秋吉保の弁明
僕とヒロキ、いや、僕と弘樹が育った町は、よく言えば自然豊かなところで、悪く言えばど田舎だった。
閉鎖的とか保守的とか言われるけど、実際、その通りの町だ。
自分が絶対的マイノリティであると気付いたのは、中学生のときだった。
僕は女性を愛せない。
恋愛対称はいつでも男性で、それは田舎では死に等しいことだった。
でも、隠すのは、さほど困難じゃない。
地味で目立たない僕なんかに近寄る女子はいないし、いつだってその他大勢に埋もれていたから。
友達の話す内容に適当な相槌を打ってれば、なんの疑問も抱かれなかった。
弘樹とそれまで以上に親しくなったのは、中学生のときだった。
田舎の学校は、生徒数がひじょうに少ない。
各学年一クラスが当たり前で、だから弘樹とも幼い頃から友人だった。
弘樹は、田舎には不釣合いなイケメンだ。
そのうえ頭も性格も良かったから、女子からも男子からも好かれていた。
もしもこの町じゃなかったら、僕と彼が親しくなる機会はなかっただろう。
だけど田舎という狭い社会に於いては、同じ男子というだけで自然と接点ができあがる。
僕にとっては保守的な田舎の特質も、幸運なことに思えたのだ。
弘樹の家に遊びに行くのは、珍しくなかった。
もちろん僕一人が、じゃない。
何人もの仲間と連れ立って、漫画を読んだり雑誌を見たりしてた。
僕の家に来ることも、しょっちゅうあった。
別の友人の家にも行くし、ごく普通の中学生らしいお付き合いを皆でしていたのだ。
ある休日のことだった。
僕は弘樹の家に誘われた。
いつも通りの日課だと思っていた。
だから、当たり前に皆が来るものと信じていた。
でも、その日はいつまで経っても誰も来なくて、おばさんが出してくれたおやつもジュースもなくなってしまって、少し居心地悪いなと感じていた。
漫画は読むけど、本当は女キャラに興味はない。
雑誌を見るけど、本当は水着姿の女性の胸に興味はない。
アイドルの話題にしても自分から振ったことはなく、どうしたって弘樹と二人では話が続かなかったのだ。
「保は、こっちのほうが好きだろ」
そう言って弘樹が渡してくれたのは、文庫本だった。
それは翻訳されたミステリー小説で、見るからに妖しい表紙に俄然興味が湧いていた。
「え、でも、あの……どうして?」
「お前の部屋、推理小説ばっかじゃん」
その通りだった。
漫画も雑誌も付き合い程度に買うけど、僕が本当に好きなのは推理小説やミステリー小説だったのだ。
部屋の本棚にたくさん並べてるのに、これまで気付いた友人はいなかった。
いや、興味がなさすぎて、話題にされなかっただけだろう。
「俺もジャ○プより、小説のほうが好きなんだ」
「そうなんだ……」
全然知らなかった。
弘樹の本棚も、漫画が多い。
彼も付き合いで買っていたのだろうか。
「どんなの読んでるの?」
「バカにするなよ」
「しないよ」
「司馬遼太郎とか」
それは、僕でも知ってる時代小説の大家の名前。
でも部屋に、その類の本が一冊もない。
というより、これまで気付かなかったのは、どういうことなんだ?
立ち上がり本棚をじっくり観察する僕に、弘樹があっさりと謎解きをしてくれた。
「そういうのは、父さんの部屋にあるんだよ」
「そうなんだ。だからここには一冊もないんだね」
「そんな本置いといてみろ、あいつらバカにするだろ。絶対にジジイ扱いされる」
「ありえるね」
良くも悪くも噂はすぐ広まる。
弘樹が時代小説を好きだからってバカにする人はいないだろうけど、むしろ今以上に尊敬されるかもしれないけど、それでも何かとネタにされるのは確実だろう。
「僕も、読んでみたいな」
「司馬遼太郎をか?」
「うん、あと、池……ほら、池なんとかさん」
「池波正太郎」
「そうそう、その人」
「すっげー、俄かっぽい」
クスクス笑う弘樹に、腹は立たなかった。
バカにしてるんじゃなく、純粋におもしろがってるだけってのがわかってたから。
「だ、だって、全然知らないんだもん。で、でも、テレビの時代劇は知ってるよ、たぶん……」
「たとえば?」
「えっと……あ、暴れん坊将軍? 水戸黄門は、違うのかな? えっと……あ、遠山の金さんってなかった?」
弘樹の大爆笑からして、ものすごく的外れな回答をしたのだろう。
でも遠慮なく笑う姿から、やはりバカにした態度は見えず、だから素直に拗ねてみせた。
「もうっ、これから覚えるから、いいんだよっ」
悪い悪いとごめんごめん、そして『はいはい』なんてまったく誠意の篭ってない返事を頂けた。
それからは、二人で会う機会が増えた。
もっぱら弘樹のお父さんの部屋で小説を読み、感想を言い合っていた。
時代小説にもミステリー物があったことで、僕は弘樹が驚くほどのめりこんでいったのだ。
そんな時間は、高校生になっても変わらなかったが、学校での僕たちの関係は著しい変化を見せた。
なんのことはない、弘樹の周りに集まる人々に、僕のほうが気後れしてしまったのだ。
この年齢になってくると、どうしたって個性が出る。
田舎の学校でも自然とグループができ上がり、簡単なカーストも構築された。
つまり、僕のような地味で平凡な生徒は、弘樹の傍には近寄れないという暗黙のルールができてしまったのだ。
弘樹自身は何も変わってないのに、僕は進んで自らの存在を消し続けた。
寂しかったけど、弘樹の家で会えるから、平気だった。
二人だけの空間は、僕たちにいろんなことを忘れさせる。
触れ合うまで、さほど時間はいらなかった。
軽い口付けは瞬く間に深くなり、一線を越えたのは高二の夏。
扉一枚隔てた秘め事は、幾度となく繰り返された。
そして、一歩扉の外に出れば、そこには重く圧し掛かる現実が待っている。
有り体に言えば、僕と弘樹は恋人になるのだろう。
でも、お互い男だ。
たとえこの地でなくとも、許されるはずがない。
だから、逃げ出した。
東京という大都会でならば、二人手を取り暮らせる場所があると信じて。
高校卒業後、都会で働くという無難な言い訳を、両親はあっさり信じた。
弘樹も、同じ理由で家を出た。
実際、働くのは本当だった。
ただ、それがすべてではなかっただけ。
願いはいとも簡単に叶う。
都会では、誰も僕たちのことを気にしない。
こっそり手を繋いでも、誰も指摘してこない。
興奮した。
ドキドキした。
泣きそうなほど嬉しかったし、事実泣きもした。
それは僕だけが感じたことじゃなく、弘樹もそうだったはずだ。
少ないお金で借りたアパートで、僕たちはこれまで以上に愛し合った。
誰の目も気にしない生活は、まさに楽園のようであったのだ。
現実は、2Kの安アパートだったけど。
僕たちは、すぐに仕事を探した。
でも、現実は厳しい。
高卒ではバイト程度の仕事しかなく、どうしたって弘樹に苦労させるのが目に見えていた。
本来なら、弘樹は地元の大学に行けたのだ。
自宅以外からの進学は許されず、だから仕方なく働くほうを選んだだけ。
それ以外、田舎を出る道はなかった。
田舎から逃げ出す要因を作ったのは、紛れもなく僕だろう。
僕のせいで弘樹は道を踏み外した。
それなのに、彼は一度として僕を責めなかったのだ。
逆に、都会に出られたことを喜び、その都度、罪悪感に押し潰されそうになる僕を励ましてくれていた。
都会のすごいところは、仕事さえ選ばなければ、いくらでも働き口があるところだ。
貯金が尽きる前に、僕はコンビニ、弘樹はファミリーレストランでのバイトが決まった。
地元との時給の差に面食らったが、その分使うほうの金額も跳ね上がったため、生活は楽ではなかった。
それでも、幸せだった。
思えば、このときが一番幸福だったのかもしれない。
閉鎖的とか保守的とか言われるけど、実際、その通りの町だ。
自分が絶対的マイノリティであると気付いたのは、中学生のときだった。
僕は女性を愛せない。
恋愛対称はいつでも男性で、それは田舎では死に等しいことだった。
でも、隠すのは、さほど困難じゃない。
地味で目立たない僕なんかに近寄る女子はいないし、いつだってその他大勢に埋もれていたから。
友達の話す内容に適当な相槌を打ってれば、なんの疑問も抱かれなかった。
弘樹とそれまで以上に親しくなったのは、中学生のときだった。
田舎の学校は、生徒数がひじょうに少ない。
各学年一クラスが当たり前で、だから弘樹とも幼い頃から友人だった。
弘樹は、田舎には不釣合いなイケメンだ。
そのうえ頭も性格も良かったから、女子からも男子からも好かれていた。
もしもこの町じゃなかったら、僕と彼が親しくなる機会はなかっただろう。
だけど田舎という狭い社会に於いては、同じ男子というだけで自然と接点ができあがる。
僕にとっては保守的な田舎の特質も、幸運なことに思えたのだ。
弘樹の家に遊びに行くのは、珍しくなかった。
もちろん僕一人が、じゃない。
何人もの仲間と連れ立って、漫画を読んだり雑誌を見たりしてた。
僕の家に来ることも、しょっちゅうあった。
別の友人の家にも行くし、ごく普通の中学生らしいお付き合いを皆でしていたのだ。
ある休日のことだった。
僕は弘樹の家に誘われた。
いつも通りの日課だと思っていた。
だから、当たり前に皆が来るものと信じていた。
でも、その日はいつまで経っても誰も来なくて、おばさんが出してくれたおやつもジュースもなくなってしまって、少し居心地悪いなと感じていた。
漫画は読むけど、本当は女キャラに興味はない。
雑誌を見るけど、本当は水着姿の女性の胸に興味はない。
アイドルの話題にしても自分から振ったことはなく、どうしたって弘樹と二人では話が続かなかったのだ。
「保は、こっちのほうが好きだろ」
そう言って弘樹が渡してくれたのは、文庫本だった。
それは翻訳されたミステリー小説で、見るからに妖しい表紙に俄然興味が湧いていた。
「え、でも、あの……どうして?」
「お前の部屋、推理小説ばっかじゃん」
その通りだった。
漫画も雑誌も付き合い程度に買うけど、僕が本当に好きなのは推理小説やミステリー小説だったのだ。
部屋の本棚にたくさん並べてるのに、これまで気付いた友人はいなかった。
いや、興味がなさすぎて、話題にされなかっただけだろう。
「俺もジャ○プより、小説のほうが好きなんだ」
「そうなんだ……」
全然知らなかった。
弘樹の本棚も、漫画が多い。
彼も付き合いで買っていたのだろうか。
「どんなの読んでるの?」
「バカにするなよ」
「しないよ」
「司馬遼太郎とか」
それは、僕でも知ってる時代小説の大家の名前。
でも部屋に、その類の本が一冊もない。
というより、これまで気付かなかったのは、どういうことなんだ?
立ち上がり本棚をじっくり観察する僕に、弘樹があっさりと謎解きをしてくれた。
「そういうのは、父さんの部屋にあるんだよ」
「そうなんだ。だからここには一冊もないんだね」
「そんな本置いといてみろ、あいつらバカにするだろ。絶対にジジイ扱いされる」
「ありえるね」
良くも悪くも噂はすぐ広まる。
弘樹が時代小説を好きだからってバカにする人はいないだろうけど、むしろ今以上に尊敬されるかもしれないけど、それでも何かとネタにされるのは確実だろう。
「僕も、読んでみたいな」
「司馬遼太郎をか?」
「うん、あと、池……ほら、池なんとかさん」
「池波正太郎」
「そうそう、その人」
「すっげー、俄かっぽい」
クスクス笑う弘樹に、腹は立たなかった。
バカにしてるんじゃなく、純粋におもしろがってるだけってのがわかってたから。
「だ、だって、全然知らないんだもん。で、でも、テレビの時代劇は知ってるよ、たぶん……」
「たとえば?」
「えっと……あ、暴れん坊将軍? 水戸黄門は、違うのかな? えっと……あ、遠山の金さんってなかった?」
弘樹の大爆笑からして、ものすごく的外れな回答をしたのだろう。
でも遠慮なく笑う姿から、やはりバカにした態度は見えず、だから素直に拗ねてみせた。
「もうっ、これから覚えるから、いいんだよっ」
悪い悪いとごめんごめん、そして『はいはい』なんてまったく誠意の篭ってない返事を頂けた。
それからは、二人で会う機会が増えた。
もっぱら弘樹のお父さんの部屋で小説を読み、感想を言い合っていた。
時代小説にもミステリー物があったことで、僕は弘樹が驚くほどのめりこんでいったのだ。
そんな時間は、高校生になっても変わらなかったが、学校での僕たちの関係は著しい変化を見せた。
なんのことはない、弘樹の周りに集まる人々に、僕のほうが気後れしてしまったのだ。
この年齢になってくると、どうしたって個性が出る。
田舎の学校でも自然とグループができ上がり、簡単なカーストも構築された。
つまり、僕のような地味で平凡な生徒は、弘樹の傍には近寄れないという暗黙のルールができてしまったのだ。
弘樹自身は何も変わってないのに、僕は進んで自らの存在を消し続けた。
寂しかったけど、弘樹の家で会えるから、平気だった。
二人だけの空間は、僕たちにいろんなことを忘れさせる。
触れ合うまで、さほど時間はいらなかった。
軽い口付けは瞬く間に深くなり、一線を越えたのは高二の夏。
扉一枚隔てた秘め事は、幾度となく繰り返された。
そして、一歩扉の外に出れば、そこには重く圧し掛かる現実が待っている。
有り体に言えば、僕と弘樹は恋人になるのだろう。
でも、お互い男だ。
たとえこの地でなくとも、許されるはずがない。
だから、逃げ出した。
東京という大都会でならば、二人手を取り暮らせる場所があると信じて。
高校卒業後、都会で働くという無難な言い訳を、両親はあっさり信じた。
弘樹も、同じ理由で家を出た。
実際、働くのは本当だった。
ただ、それがすべてではなかっただけ。
願いはいとも簡単に叶う。
都会では、誰も僕たちのことを気にしない。
こっそり手を繋いでも、誰も指摘してこない。
興奮した。
ドキドキした。
泣きそうなほど嬉しかったし、事実泣きもした。
それは僕だけが感じたことじゃなく、弘樹もそうだったはずだ。
少ないお金で借りたアパートで、僕たちはこれまで以上に愛し合った。
誰の目も気にしない生活は、まさに楽園のようであったのだ。
現実は、2Kの安アパートだったけど。
僕たちは、すぐに仕事を探した。
でも、現実は厳しい。
高卒ではバイト程度の仕事しかなく、どうしたって弘樹に苦労させるのが目に見えていた。
本来なら、弘樹は地元の大学に行けたのだ。
自宅以外からの進学は許されず、だから仕方なく働くほうを選んだだけ。
それ以外、田舎を出る道はなかった。
田舎から逃げ出す要因を作ったのは、紛れもなく僕だろう。
僕のせいで弘樹は道を踏み外した。
それなのに、彼は一度として僕を責めなかったのだ。
逆に、都会に出られたことを喜び、その都度、罪悪感に押し潰されそうになる僕を励ましてくれていた。
都会のすごいところは、仕事さえ選ばなければ、いくらでも働き口があるところだ。
貯金が尽きる前に、僕はコンビニ、弘樹はファミリーレストランでのバイトが決まった。
地元との時給の差に面食らったが、その分使うほうの金額も跳ね上がったため、生活は楽ではなかった。
それでも、幸せだった。
思えば、このときが一番幸福だったのかもしれない。