峰岸照真の言い分
翌日、貴璃の下校時間を見計らって電話をするも、土曜のお泊まりはあっさり却下された。
なんでも、同級生と映画に行くとか。
ちょっとだけ食い下がった俺に、
『俺に約束を破れって言うのか!』
と、貴璃は激怒した。
慌てて謝罪して、そうではなく映画の後にでもと尚も食い下がったが、
『終わる時間なんか分からない。その後、どっか行くかもしれないし』
と、至極当然のことを言われた。
映画が大前提なだけで、友達同士で集まったら、どうなるかなんて分からないもんだよな。
自分だってそうだってのに、あまりにもアホなこと言ってしまったと猛烈に反省した。
泊まりは、また今度考えるという貴璃に謝り倒し、その日の電話は終わった。
そして金曜。
バイト先に少し早く顔を出した俺は、早速保さんを捕まえて切り出した。
「ねぇ、保さん」
「なに?」
「麻婆豆腐って、難しいの?」
「難しくはないけど……」
「じゃあ、俺でもできる?」
「照真君、料理の経験は? あ、店以外でね」
これは、ひじょうに答えづらい質問だった。
ホストクラブで客に提供するのは、ドリンクだけじゃない。
例えば、フルーツ。
これをカットするには熟練技が必要なため、一部のボーイしかできない。
そして、野菜スティック。
これは、慣れれば簡単ではあるものの、バランスやら見栄えやらもあるため、やはりボーイ全員できるわけではなかった。
他にもいろいろあるのだが、結論を述べると、俺が担当したことのある食い物は、ポッキーやらの乾き物をそれ専用の器に盛るくらい。
あ、クラッカーの上にチーズ乗せたこともあるな。チーズは、別の人が切ってたけど。
俺の厨房での役割は基本洗い物であり、包丁すら握ったことがないのだ。
そんな俺の、店以外での料理経験か……。
そういえば、小学校のときの調理実習で、みそ汁を作ったような。
「一応、みそ汁なら……」
「おみそ汁なら作れるんだね。じゃあ、最初は麻婆豆腐の素を使うといいよ」
「えー、それだと美味しくないでしょ」
「そんなことないよ。ああいうのって、すごく計算されてて、ちゃんと作ったらすごく美味しくなるんだよ」
「そうなの?」
「うん。調味料は全部入ってるし、物によっては挽き肉が入ってるのもあるよ」
「そっか。よし、帰ったら、挑戦してみよ」
「照真君、料理に興味あるんだ」
「いや、まったく」
「じゃあ、どうして作ろうなんて思ったの?」
「貴璃が、麻婆豆腐好きだから……」
ルカ、保さん、仁さんの三人には、俺の恋人のことは伝えていた。
男子高校生で、貴璃って名前もね。
お泊まりデートを断られた俺が次に考えたのは、貴璃の大好物で釣ることだった。
食事といえば外食かケータリングの俺が、貴璃のために麻婆豆腐を作るって言ったら、絶対に驚くに決まってる。
驚いて、そして、必ず家に来てくれるはずだ。
だけど、もしまずかったら、確実に貴璃を怒らせてしまうだろう。
でもさ、保さんほどとは言わないけど、それなりに美味しいものが出来上がったら、きっと喜んでくれると思うんだよね。
「貴璃君のためなんだ。照真君、優しいね」
「別に優しくないよ。普通でしょ」
そもそも、下心ありき、だし。
「そうだね。好きな人に何か作ってあげたいっていうのは、普通ことだね」
「でしょ」
「そうだ、市販の物でもね、少し調味料を加えたら、味が劇的に変わるよ」
「そうなんだ。参考にするよ」
「うん、分からないことがあったら、なんでも聞いてよ」
「んじゃ、早速」
「うん、なにかな?」
「豆腐は買わなきゃいけなんだよね?」
「そうだね。素にもよるけど、豆腐は絶対だね。場合によっては、挽き肉もいるかもしれない」
「スーパーで買えばいい?」
「え、うん、そうだけど……」
「行けば分かる? あ、麻婆用って言えばいいのか」
「て、照真君?」
「はい?」
「き、君、自分で買い物したことある?」
「はぁ? 当たり前じゃん。幼稚園児じゃあるまいし、服も靴も親任せとかないでしょ」
「そ、そうじゃなくて! 食べ物を買ったことはあるの!?」
「なんで興奮してんの?」
「い、いいから、答えてっ」
「あるに決まってるじゃん」
「そ、そう、良かっ、」
「テイクアウトはしょっちゅうだし、コンビニなんか日課になってるしね」
「……」
「保さん?」
俺には、いくつかの常識が欠けてるのを自覚した。
結構、へこむな。
地味に落ち込んだ俺を、すかさずフォローしたのは保さんだった。
「照真君に足りないのは、経験だけだよ。だって、知識としては知ってるでしょ」
当たり前だが、スーパーで食材を買い込み、家で調理するという知識くらい俺にもある。
ただ、それをしてこなかっただけだ。
だから、保さんの言う事は真っ当であり、逆にそれらの雑用をこなしてこなかった俺は恵まれてるのかもしれない。
「高価なグラスを割りまくった照真君が、いまではクリスタルグラスも洗えるんだよ。それって、経験したからでしょ」
保さんはクスクス笑って、俺の過去の行いから今に至る成長度合いを力説してくれた。
そう言われると、なんとなく自信が持てるような気が。
「そういえば、照真君の家には、包丁とかフライパンはあるの?」
「うん、ある。調理器具は一通り揃ってるよ。たぶん、調味料も」
保さんは、やけに驚いた顔をしていた。
料理なんかしないのに、一式揃ってるのが不思議なのだろう。
もちろん俺が使うためじゃない。
通いの家政婦が料理もしてくれるから、困らない程度にはなんでも揃ってるってだけだ。
「じゃあ、あとは材料を揃えるだけだね」
「それが一番ハードル高そう」
「僕でよかったら、付き合おうか?」
「マジで」
「うん。ついでに、作り方も教えるよ」
「うんうん、ぜひともお願いしやっす」
「それじゃあ、いつにしようか。できれば、土日がいいんだけど」
フルで入ってる保さんは、店が休みの土日祝しか無理だろう。
土曜といえば、明日が土曜日だな。
「明日は?」
「え、明日?」
あまりにも急だけど善は急げと言うし、せっかくのやる気を損ないたくもない。
「うん、明日。保さんに予定があるなら、別の日でいいよ」
「ううん、大丈夫。なんの予定も入ってないよ」
「じゃあ、決まりだね」
俺の住むマンションは、この店から徒歩で行けるところに建っている。
保さんはというと、これまた徒歩圏内に住んでいた。
とはいえ、俺とはまったく逆方向らしく、駅でたとえると一駅分くらいは離れていた。
当然のように車で迎えに行くと言ったら、保さんに笑顔で却下された。
場所さえ教えてくれたら自分で行けると言われては、食い下がっていいものか悩む。
子供じゃないからと追い討ちをかけられて、結局、店の近くで待ち合わせることになった。
俺の家に向かう途中にスーパーがあるはずだから、そこで買い物をしようと待ち合わせの時間を決めた。
貴璃と会うときは、自宅まで車で迎えに行くのが当たり前だった。
貴璃を無駄に歩かせるわけにいかないし、そのままドライブにも行けるから、そっちのほうが好都合なんだ。
保さんとはドライブの必要はないが、それにしたって車での迎えを断られるなんて想像もしてなかった。
貴璃は言うに及ばず、こういうことって誰でも喜ぶものだと思ってたのにな。
明日は明日として、今日は今日で仕事をしなくちゃならない。
ただでさえ忙しい金曜日、客は入れ代り立ち代りで、店の電話は常に鳴り続けた。
俺も何度も電話を取り、都度、予約の確認やらヒロキやルカの出勤状況を伝えていた。
そんな中、初めて伝えられる女性の名に、もはやテンプレとなった応答をしたあと、準備の傍ら予約のことを保さんに告げる。
「え、トウコさんがお見えになるって?」
「うん、一時間くらいしたら二人で来るって」
トウコとは、瞳子と書くらしい。
初回の客でないのは確かだが、週三とはいえ一ヶ月以上働いてる俺が初めて耳にする名だった。
ということは、いわゆる常連ではないのだろう。
「あそこ空いてるし、あそこでいいよね?」
あそことは、ホールの真ん中ほどの席で、近くにはOL風の賑やかな集団が座っているところだ。
静かな雰囲気とは言い難いが、金曜だし仕方ないだろう。
だが保さんは、首を大きく横に振った。
「駄目駄目。席は一番テーブルにして」
「え、一番?」
店のソファは全部同じ種類で、テーブルだって同じ物を使っている。
それでも店内の座席には、大まかなランク付けがされていた。
入口に近い席から順々にランクアップしてゆき、最終的に入口から遠く離れた数席が、もっともランクが高いとされている。
そのうちの一つが、一番テーブルだった。
よほど席が足らない限り、一般の客を座らせたりしない。
「ボトルはないけど、メニュー表はいらないから」
「もしかして、上客なの?」
「すごく特別なお客様だよ」
「俺、初めてだよね?」
「そうだね。以前はよくいらしてたけど、最近は滅多に来られないから」
「誰の客?」
「一応、ヒロキだね」
メインのホストだけが重要ではないと、ホストクラブで働くようになって知った。
誰だって一人が相手では、いつか飽きがくる。
そのためのヘルプであり、自分の派閥にいかに質のいいヘルプを揃えてるかが大切なんだ。
だが、気に入られすぎれば、客を取られる可能性が出てくる。
意外と、シビアな世界だった。
「ねぇ、最近来なくなったってことは、気に入るホストがいないってことじゃないの?」
「それを言われると痛いね。もともと、いい意味での遊びを知ってる方だから、ホストにのめり込むってタイプじゃないんだよ」
「でも、前はよく来てたんでしょ」
「その頃は、ヒロキをナンバー1にするのが目的だったみたい。それが叶ってからは、気が向いたらって感じになったね」
「ヒロさんをナンバー1にした人なんだ」
「うん、結果的にそうなったよ」
「そういう人、ホントに居るんだね」
「そういう、粋な遊びをなさる方なんだよ、瞳子さんは。
お酒の飲み方も綺麗だし、ホストに無茶なこともさせないから、皆ヘルプに着きたがるんだよ」
「粋だねー」
保さんの指示通りに、一番テーブルに二人分の準備を整える。
ヒロキにも瞳子さんのことを伝えたら、彼は少し間を置いてから「ルカにも出迎えさせろ」と言ってきた。
「なんで、ルカ?」
「近々、ルカのバースディを祝いに来るって言ってたから、たぶん、今日がそうなんだろ」
「ルカの誕生日って、一ヶ月以上も先じゃなかった?」
「そういう人なんだよ」
瞳子さんという女性は粋なだけでなく、変わり者でもあるらしい。
なんとも、面白そうなご婦人だ。
「俺も着くけど、今日の売り上げはルカにって仁さんに言っといてくれ」
それだとヒロキの売り上げにならないだろうに、こういうことをサラッとやるところが、実にヒロキらしいと言えた。
面倒見がいいと、保さんが事あるごとに言っているが、まったくその通りの男だ。
だが俺は、どこか捻くれた見方でヒロキを見ていた。
器のでかさを何度も見せ付けられたというのに、だ。
それは多分に、店長とできてることに起因する。
そもそも、できてること自体は、悪くないんだよ。
ただ、兄貴の元カレってのが、どうしても引っかかってしまうんだ。
そして初日に見せた保さんへの態度からも、俺はどうしたって、ヒロキを評判通りの男として捉えられなかった。
あれから、ヒロキと保さんが絡む場面はない。
だから、すべては俺の思い違いで、ヒロキは本当にイイ男なのかもしれない。
とはいえ、どうしても纏わり付いてくる疑念は如何ともしがたく、こればかりは生半可なことでは解けないだろう。
なんでも、同級生と映画に行くとか。
ちょっとだけ食い下がった俺に、
『俺に約束を破れって言うのか!』
と、貴璃は激怒した。
慌てて謝罪して、そうではなく映画の後にでもと尚も食い下がったが、
『終わる時間なんか分からない。その後、どっか行くかもしれないし』
と、至極当然のことを言われた。
映画が大前提なだけで、友達同士で集まったら、どうなるかなんて分からないもんだよな。
自分だってそうだってのに、あまりにもアホなこと言ってしまったと猛烈に反省した。
泊まりは、また今度考えるという貴璃に謝り倒し、その日の電話は終わった。
そして金曜。
バイト先に少し早く顔を出した俺は、早速保さんを捕まえて切り出した。
「ねぇ、保さん」
「なに?」
「麻婆豆腐って、難しいの?」
「難しくはないけど……」
「じゃあ、俺でもできる?」
「照真君、料理の経験は? あ、店以外でね」
これは、ひじょうに答えづらい質問だった。
ホストクラブで客に提供するのは、ドリンクだけじゃない。
例えば、フルーツ。
これをカットするには熟練技が必要なため、一部のボーイしかできない。
そして、野菜スティック。
これは、慣れれば簡単ではあるものの、バランスやら見栄えやらもあるため、やはりボーイ全員できるわけではなかった。
他にもいろいろあるのだが、結論を述べると、俺が担当したことのある食い物は、ポッキーやらの乾き物をそれ専用の器に盛るくらい。
あ、クラッカーの上にチーズ乗せたこともあるな。チーズは、別の人が切ってたけど。
俺の厨房での役割は基本洗い物であり、包丁すら握ったことがないのだ。
そんな俺の、店以外での料理経験か……。
そういえば、小学校のときの調理実習で、みそ汁を作ったような。
「一応、みそ汁なら……」
「おみそ汁なら作れるんだね。じゃあ、最初は麻婆豆腐の素を使うといいよ」
「えー、それだと美味しくないでしょ」
「そんなことないよ。ああいうのって、すごく計算されてて、ちゃんと作ったらすごく美味しくなるんだよ」
「そうなの?」
「うん。調味料は全部入ってるし、物によっては挽き肉が入ってるのもあるよ」
「そっか。よし、帰ったら、挑戦してみよ」
「照真君、料理に興味あるんだ」
「いや、まったく」
「じゃあ、どうして作ろうなんて思ったの?」
「貴璃が、麻婆豆腐好きだから……」
ルカ、保さん、仁さんの三人には、俺の恋人のことは伝えていた。
男子高校生で、貴璃って名前もね。
お泊まりデートを断られた俺が次に考えたのは、貴璃の大好物で釣ることだった。
食事といえば外食かケータリングの俺が、貴璃のために麻婆豆腐を作るって言ったら、絶対に驚くに決まってる。
驚いて、そして、必ず家に来てくれるはずだ。
だけど、もしまずかったら、確実に貴璃を怒らせてしまうだろう。
でもさ、保さんほどとは言わないけど、それなりに美味しいものが出来上がったら、きっと喜んでくれると思うんだよね。
「貴璃君のためなんだ。照真君、優しいね」
「別に優しくないよ。普通でしょ」
そもそも、下心ありき、だし。
「そうだね。好きな人に何か作ってあげたいっていうのは、普通ことだね」
「でしょ」
「そうだ、市販の物でもね、少し調味料を加えたら、味が劇的に変わるよ」
「そうなんだ。参考にするよ」
「うん、分からないことがあったら、なんでも聞いてよ」
「んじゃ、早速」
「うん、なにかな?」
「豆腐は買わなきゃいけなんだよね?」
「そうだね。素にもよるけど、豆腐は絶対だね。場合によっては、挽き肉もいるかもしれない」
「スーパーで買えばいい?」
「え、うん、そうだけど……」
「行けば分かる? あ、麻婆用って言えばいいのか」
「て、照真君?」
「はい?」
「き、君、自分で買い物したことある?」
「はぁ? 当たり前じゃん。幼稚園児じゃあるまいし、服も靴も親任せとかないでしょ」
「そ、そうじゃなくて! 食べ物を買ったことはあるの!?」
「なんで興奮してんの?」
「い、いいから、答えてっ」
「あるに決まってるじゃん」
「そ、そう、良かっ、」
「テイクアウトはしょっちゅうだし、コンビニなんか日課になってるしね」
「……」
「保さん?」
俺には、いくつかの常識が欠けてるのを自覚した。
結構、へこむな。
地味に落ち込んだ俺を、すかさずフォローしたのは保さんだった。
「照真君に足りないのは、経験だけだよ。だって、知識としては知ってるでしょ」
当たり前だが、スーパーで食材を買い込み、家で調理するという知識くらい俺にもある。
ただ、それをしてこなかっただけだ。
だから、保さんの言う事は真っ当であり、逆にそれらの雑用をこなしてこなかった俺は恵まれてるのかもしれない。
「高価なグラスを割りまくった照真君が、いまではクリスタルグラスも洗えるんだよ。それって、経験したからでしょ」
保さんはクスクス笑って、俺の過去の行いから今に至る成長度合いを力説してくれた。
そう言われると、なんとなく自信が持てるような気が。
「そういえば、照真君の家には、包丁とかフライパンはあるの?」
「うん、ある。調理器具は一通り揃ってるよ。たぶん、調味料も」
保さんは、やけに驚いた顔をしていた。
料理なんかしないのに、一式揃ってるのが不思議なのだろう。
もちろん俺が使うためじゃない。
通いの家政婦が料理もしてくれるから、困らない程度にはなんでも揃ってるってだけだ。
「じゃあ、あとは材料を揃えるだけだね」
「それが一番ハードル高そう」
「僕でよかったら、付き合おうか?」
「マジで」
「うん。ついでに、作り方も教えるよ」
「うんうん、ぜひともお願いしやっす」
「それじゃあ、いつにしようか。できれば、土日がいいんだけど」
フルで入ってる保さんは、店が休みの土日祝しか無理だろう。
土曜といえば、明日が土曜日だな。
「明日は?」
「え、明日?」
あまりにも急だけど善は急げと言うし、せっかくのやる気を損ないたくもない。
「うん、明日。保さんに予定があるなら、別の日でいいよ」
「ううん、大丈夫。なんの予定も入ってないよ」
「じゃあ、決まりだね」
俺の住むマンションは、この店から徒歩で行けるところに建っている。
保さんはというと、これまた徒歩圏内に住んでいた。
とはいえ、俺とはまったく逆方向らしく、駅でたとえると一駅分くらいは離れていた。
当然のように車で迎えに行くと言ったら、保さんに笑顔で却下された。
場所さえ教えてくれたら自分で行けると言われては、食い下がっていいものか悩む。
子供じゃないからと追い討ちをかけられて、結局、店の近くで待ち合わせることになった。
俺の家に向かう途中にスーパーがあるはずだから、そこで買い物をしようと待ち合わせの時間を決めた。
貴璃と会うときは、自宅まで車で迎えに行くのが当たり前だった。
貴璃を無駄に歩かせるわけにいかないし、そのままドライブにも行けるから、そっちのほうが好都合なんだ。
保さんとはドライブの必要はないが、それにしたって車での迎えを断られるなんて想像もしてなかった。
貴璃は言うに及ばず、こういうことって誰でも喜ぶものだと思ってたのにな。
明日は明日として、今日は今日で仕事をしなくちゃならない。
ただでさえ忙しい金曜日、客は入れ代り立ち代りで、店の電話は常に鳴り続けた。
俺も何度も電話を取り、都度、予約の確認やらヒロキやルカの出勤状況を伝えていた。
そんな中、初めて伝えられる女性の名に、もはやテンプレとなった応答をしたあと、準備の傍ら予約のことを保さんに告げる。
「え、トウコさんがお見えになるって?」
「うん、一時間くらいしたら二人で来るって」
トウコとは、瞳子と書くらしい。
初回の客でないのは確かだが、週三とはいえ一ヶ月以上働いてる俺が初めて耳にする名だった。
ということは、いわゆる常連ではないのだろう。
「あそこ空いてるし、あそこでいいよね?」
あそことは、ホールの真ん中ほどの席で、近くにはOL風の賑やかな集団が座っているところだ。
静かな雰囲気とは言い難いが、金曜だし仕方ないだろう。
だが保さんは、首を大きく横に振った。
「駄目駄目。席は一番テーブルにして」
「え、一番?」
店のソファは全部同じ種類で、テーブルだって同じ物を使っている。
それでも店内の座席には、大まかなランク付けがされていた。
入口に近い席から順々にランクアップしてゆき、最終的に入口から遠く離れた数席が、もっともランクが高いとされている。
そのうちの一つが、一番テーブルだった。
よほど席が足らない限り、一般の客を座らせたりしない。
「ボトルはないけど、メニュー表はいらないから」
「もしかして、上客なの?」
「すごく特別なお客様だよ」
「俺、初めてだよね?」
「そうだね。以前はよくいらしてたけど、最近は滅多に来られないから」
「誰の客?」
「一応、ヒロキだね」
メインのホストだけが重要ではないと、ホストクラブで働くようになって知った。
誰だって一人が相手では、いつか飽きがくる。
そのためのヘルプであり、自分の派閥にいかに質のいいヘルプを揃えてるかが大切なんだ。
だが、気に入られすぎれば、客を取られる可能性が出てくる。
意外と、シビアな世界だった。
「ねぇ、最近来なくなったってことは、気に入るホストがいないってことじゃないの?」
「それを言われると痛いね。もともと、いい意味での遊びを知ってる方だから、ホストにのめり込むってタイプじゃないんだよ」
「でも、前はよく来てたんでしょ」
「その頃は、ヒロキをナンバー1にするのが目的だったみたい。それが叶ってからは、気が向いたらって感じになったね」
「ヒロさんをナンバー1にした人なんだ」
「うん、結果的にそうなったよ」
「そういう人、ホントに居るんだね」
「そういう、粋な遊びをなさる方なんだよ、瞳子さんは。
お酒の飲み方も綺麗だし、ホストに無茶なこともさせないから、皆ヘルプに着きたがるんだよ」
「粋だねー」
保さんの指示通りに、一番テーブルに二人分の準備を整える。
ヒロキにも瞳子さんのことを伝えたら、彼は少し間を置いてから「ルカにも出迎えさせろ」と言ってきた。
「なんで、ルカ?」
「近々、ルカのバースディを祝いに来るって言ってたから、たぶん、今日がそうなんだろ」
「ルカの誕生日って、一ヶ月以上も先じゃなかった?」
「そういう人なんだよ」
瞳子さんという女性は粋なだけでなく、変わり者でもあるらしい。
なんとも、面白そうなご婦人だ。
「俺も着くけど、今日の売り上げはルカにって仁さんに言っといてくれ」
それだとヒロキの売り上げにならないだろうに、こういうことをサラッとやるところが、実にヒロキらしいと言えた。
面倒見がいいと、保さんが事あるごとに言っているが、まったくその通りの男だ。
だが俺は、どこか捻くれた見方でヒロキを見ていた。
器のでかさを何度も見せ付けられたというのに、だ。
それは多分に、店長とできてることに起因する。
そもそも、できてること自体は、悪くないんだよ。
ただ、兄貴の元カレってのが、どうしても引っかかってしまうんだ。
そして初日に見せた保さんへの態度からも、俺はどうしたって、ヒロキを評判通りの男として捉えられなかった。
あれから、ヒロキと保さんが絡む場面はない。
だから、すべては俺の思い違いで、ヒロキは本当にイイ男なのかもしれない。
とはいえ、どうしても纏わり付いてくる疑念は如何ともしがたく、こればかりは生半可なことでは解けないだろう。