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★その他★

[初穂■お姫さま]


初穂が住むのは、御殿、お城、そんな言葉の似合う建物の中だった。
外見は和風建築だけど、初穂が生活する大部分は現在の家と変わらない造りで、何も不自由は感じない。
いや、むしろ、贅沢すぎて困るくらいかもしれない。
なんせここには、広い庭に池、そして露天風呂まで存在していて、離れ、いやいや別邸とも呼ぶべき建物がいくつも並んでいるのだから。
迷子になることなどしょっちゅうで、まさに高級旅館のような場所なのだ。

表向きは寺などと言い張っているし、そう登録はされてもいるが、実際のところは分からない。
地元の誰も参拝にはこず、葬儀を取り扱うわけでもない、そんな不思議な場所だったが、幼い頃から暮らす初穂には、あまりどうでも良いことだった。

父の実家に居た頃は、ほとんど記憶にはないが、祖母も祖父も弟に夢中だったことだけは、なんとなく覚えている。
だけどここの人たちは、誰もが初穂を構ってくれるし、仕事で忙しいはずの父も、しょっちゅう顔を見せてもくれる。
初穂にとってはとても嬉しいことだった。

「初穂、出かけるぞ」

「はい、父上」

よそゆきの服を着た初穂の手を握り、車まで一緒に歩くその人物は、初穂の戸籍上の父ではない。
本当の父親は、現在海外出張中だ。
いつも忙しく世界中を飛び回っている父のことを、初穂は「パパ」と呼んでいる。
そう呼ぶのはとても気恥ずかしかったが、父自らの申告に仕方なく初穂が折れることにした。

そして預けられたこの場所で、初穂の面倒を見てくれているのが、今手を繋いでいるこの人物。
どういう人なのか、初穂にはさっぱり分からない。

出張から帰ったパパが真っ先に顔を出すのはこの家で、この謎の人物ととても親しそうな間柄から、子供心にこの人がママなのかな、などと思っていた。
実際、母親の記憶はまったく無く、ただパパのお嫁さんがママ、というくらいのイメージしか初穂は持っていない。

だからある日、初穂は戯れに呼んでみた。

「ママ」

と。
途端、パパが腹を抱えて笑いだして、ママと呼ばれた人物は、怖いくらいに眉間に皺をつくっていた。
そして、気がついた。失敗した、と。

少しばかり傷ついた初穂に、父上と呼ぶように提言してくれたのは、パパ。
謎の人物は、やはり眉の間に皺を湛えたままで、不満を露わにしていた。

「ママは嫌でしょー。パパは俺だし、あとは父上様くらいしかないじゃん。な、初穂」

同意を求めるものだから、深く考えることもせずに初穂は頷いた。
今思えば、呼び方などいくらでもある。
それこそ、その人物の名で呼ぶなり、おじさんなどと呼べばよかったのだが、最後にパパが口にした、

「家族なんだからねー」

の一言が、初穂の胸にしみじみと染み渡っていた。



此処にくるのは嫌いじゃない。
なんの建物なのかは分からないけど、入り口はとてもシンプルで、だけどそこはかとなく豪華さが伝わって、初穂は子供ながらに興奮してしまう。
最上階まで直通のエレベータに乗ると、ほんのりと消毒薬の臭いがするのは、あまり好きではないが特別嫌いでもない。

最上階に着けば、そこにあるのは、たった1人のための特別な部屋。
清潔感溢れる広い室内には、真っ白の天井に、ベッドが2つ、そして重厚なソファとその奥の部屋に続く扉が見て取れる。
初穂のイメージでは、ここは高級ホテルのスウィートといった所だ。
普段住んでいる場所も、まさにそんな感じだが、ここはそれだけではない。

何に使うのかさっぱり分からない機械の数々。
色んな数字や光の波形が映し出されたそれをみる白衣の男性は、眉を寄せたり笑顔になったりしているから、きっと何か意味があるのだろう。

「日々大きくなりますね」

機械から延びた線をたくさん身体にひっつけて、腕からは管を生やしたその人が、頭を優しく撫でてくれる。
初穂の知ってる男の人は、パパや父上、家にたくさんいる人たちで、だから初穂はその人のことを、女性だと思っていた。
だって、折れそうなほどに細くて、肌の色も真っ白だったから。
パパも父上も、アキトくんのパパも伯父さんも、他にもたくさんの人がその人のことを大切にしていたから。
アキちゃまが読んでくれる、絵本のお姫様のようだと、いつもそう思っていた。

「ついでに、初穂の健康診断もやってくれ」

「ったく、優秀な外科医をそんなことに使うかねー」

たまにここに連れてこられては、この特別な部屋で初穂はベッドに横たわるお姫様と話をする。
そして、これまたたまに、父上は白衣を着た優しそうな男の人に、初穂の身体を調べさせるのだ。
この男の人は医者なのだと、初穂でもすぐに理解ができた。

「先生は、びょういんに行かなくてもいいの?」

抱っこをされて、隣りの部屋に連れて行かれる。
簡単に身長や体重、胸に聴診器を当てられて、そしてこれだけは好きになれない注射で、ちょっとだけ血を採られてしまう。
それほど痛くはないけど、やっぱり慣れない。

「えっ、さぼってるとか思われてんの? 超ショックなんだけどー」

また、失敗してしまった。

初穂たちがきたときは、この先生はいつもこの部屋に居て、特に何もしていない。
だから、普段はちゃんと病院にいって仕事をしているんだろうと考えていた。
だって、ここは病院にはみえないから、だから初穂たちのために病院に行っていないのだと、そう思っていた。

ちょっとだけ後悔した初穂の頭を、先生は優しく撫でてから、ショックなどなにも受けてはいない笑顔で、また初穂の身体を抱き上げた。
小さいからと、いつもこうやって抱かれてしまうが、初穂はもう5歳なのだ。
でも、抱っこされるのは好きなので、文句は言わない。

部屋に戻ると、一人増えていた。

「アキトくんの伯父さん、こんにちは」

初穂が挨拶すると、伯父さんは相好を綻ばせ挨拶を返してくれる。
パパとは違うタイプの美形に、初穂はいつも圧倒されてしまう。

「こんな幼子まで誘惑なさらないでくださいよ」

真っ赤になって俯いてると、ベッドのお姫様は拗ねた口調で、伯父さんに文句を言った。
自分のせいで伯父さんが怒られるのではと少々焦りはしたが、それが取り越し苦労なのだと知ってすぐに胸を撫で下ろした。

伯父さんもお姫様も、それは眩しいほどに幸せそうな表情で、見詰め合っている。
子供心にも二人がとても愛し合ってるのだと、初穂は確信していた。
伯父さんが頬を撫でると、お姫様は擽ったそうに目を細めて、本当に物語の中の王子様とお姫様みたいだと、初穂はいつもそう思っていたのだ。



「父上、次はいつですか?」

帰りの車の中で、次はいつお姫様に会えるのかと、そう訊ねた。

「次は…あいつが家に戻ってからだな」

初穂はその言葉の意味を、ちゃんと理解している。
それはとても良いことを表しているのだと、ちゃんと知っている。

たくさんの管から解放されたお姫様が、王子様に抱かれながら、自分の家に帰るのだ。
そこだと、父上がおやつを作ってくれることもある。
多少走り回っても怒られない。

そしてお姫様はベッドではなくソファに座っていて、たまにご飯を作ってくれたりもする。
それが、なにより嬉しい初穂は、今からその日が楽しみでならなかった。
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