★高等部★
[雪 ■ぽややん]
お手伝い賃として昼食をご馳走になってから、継埜さんの部屋へとお邪魔した。
リビングには大量の段ボール箱が積み重なっていて、いささか気分が滅入る。
「自分の分は終わったんだけどね……」
「え、これ全部が幼馴染さんのなの?」
「うん」
ためしに、10箱以上ある箱の中から、小さめの箱を持ち上げてみた。
重い。結構重い。
それは、着替えというレベルの重さではなかった。
いったい何が入っているのかと、箱の表面の文字を読んでみれば。
「おみみ?」
丸くて大きなひらがなで、そう書かれている。
「味噌はそっちか。んじゃ、こっちは漬物だけかな?」
「つ、漬物?」
今まさに台所へと向かう継埜さんの持つ荷物を、横から覗き込んだ。
そこには、
「おつくりもの?」
やはり丸い大きなひらがなで書かれている。
「おつくりものってのは、初穂用語でお漬物のこと。あ、おみみってのは、お味噌な」
「初穂用語?」
「うん。日本語がね、ちょっと下手なんだよ」
初穂というのは、件の幼馴染さんの名前だ。
もしかして、外国の人なのかな?
あれ、でも、幼馴染さんは、確か藤村穂高さんのお兄さんだったはず。
二卵性双生児で、まったく似ていないって話だったけど、穂高さんは純粋な日本人のはずだし。
あまり詮索してはいけないだろうと黙っていると、継埜さんはお漬物の箱をキッチンへと運んだ。
せっかくお味噌と教えてもらったのだから、僕も手元の箱をどっこいしょと持ち上げる。
それなりの重量を感じながらキッチンへ向かえば、ピンポーン、とお客様を告げる鐘の音が。
「たぶん洸夜だ。せっちゃん出てー」
「はーい」
葛西さんも助っ人に来てくれたのだと喜びながら、言われたとおりに玄関の扉を開いた。
「せっちゃん!」
「うぼっ」
開いた扉を閉めた瞬間、葛西さんに抱きつかれた。
ぎゅうぎゅうと背中を締め付けられて、ちょっとばかし苦しい。
久方ぶりに会ったというのに、これじゃ挨拶もできないよ。
「ちょっと、葛西さん」
「はーはー、地味受け。地味受け。はあはあ、くんかくんか」
可憐な容姿で不気味なことを言うのには、慣れた。
抱きつかれるのにも、そこそこ慣れた。
葛西さんの偉いところは、人前ではしてこないところだ。
葛西さんと僕の身長差は、ほとんどない。
そんな彼の顔が肩口に当たっていて、なにやらクンクンと鼻を動かしてから、ようやく解放してくれた。
はっきり言って、気持ちのいいものじゃない。だけど実害がないから、好きにさせている。
「はあ、すっきりした。春休みの間に平凡受けと無口受けと萌えッコは堪能したんだけどね、地味受けが足りなかったんだよねぇ」
「はぁ…」
「あ、それよりも、人目がないときは僕のことはこうちゃんって呼んでって、中一から言ってるよね。いつになったら覚えるの?」
「あの、だから…僕は器用じゃないので、いざというときボロが出ないようにと」
僕こそ中一から言い続けているのに、いったいいつになったら分かってくれるんですか?
「おい、手伝いに来たんだろ。さっさとやれよ」
「もうっ、分かってるよ。……やれとか…やだなぁ禿げそう」
クククと怪しい笑みを浮かべる華のように美しいお方は、ダンボールのガムテを剥がす姿も美しく映えていた。
まるで一輪の花を手折るかのごとき仕草も、中身を知っているだけに……恐い。
「あの変態だけは、わかんね」
継埜さんの意見に、僕も同意する。
◆
本当なら東峰さんと藤村さんも手伝いに来る予定だったらしい。
だけど、
「次期役員候補ってことで、初っ端から補佐させるんだってさ」
「なるほどね、どうせ比較されんなら、早々に取り込んでおこうってことか。あのバ会長らしい姑息な手段だな」
高等部の役員は、もちろん新二年生の先輩たちだ。
メンバーは中等部の頃と何も変わらず、おまけに同じく中等部の頃に生徒会長を担った東峰さんに、副会長をやっていた藤村さんをも取り込んだってことか。
僕たちが中二になったときの役員は、歴代最高と言われた年に次ぐほどに素晴らしいと絶賛されていた。
その歴代最高年は相当に昔のことだそうで、実は当時の会長が東峰さんの伯父さんだったと、葛西さんに教えてもらったんだ。
「中等部での実績で考えたら、それも仕方ないよね。どう考えても晃人たちのが上だもん」
「つか、お前は?」
「僕?」
「お前はあのバ会長に呼ばれてねーの?」
中等部では、葛西さんも書記をやっていたのだ。
だから継埜さんがそう尋ねるのは、おかしな話じゃない。
「丁重にお断りしたよ。もう面倒なことはゴメンだもの。高校には漫研があるしね、そっちに集中するつもり」
「……お前、どんどんやばくなってくな」
「どういう意味だよ!?」
「だが安心しろ。どんなにやばい奴になろうと、友人であることには違いない。あ、外では、声かけてくんなよ」
葛西さんの肩を叩きながら、継埜さんが優しげに語った。
一見厚い友情を表現しているようでいて、その実かなり失礼なことを言っている。
葛西さんは大きな瞳を吊り上げて、これ以上はないというほどに殺気を込めた目で睨みつけていた。
三人でやったお陰で、ようやく全部を片付けることができた。
大量の箱のうち7割が食料だったのには、驚かされたよ。
「はっちゃんはね、すごく料理が上手なんだよ。しかもお味噌もお漬物も自家製でね、これがもうすごく美味しくて」
「育ての親が料理上手だからね」
「ふーん、そうなんだ」
そういえば、そういう話も何度か聞かされたような気が。
「ねぇ、その初穂さんって、どんな感じの人なの?」
いつもいつも葛西さんは、彼のことを可愛いと話していた。
継埜さんからは、死んでもいいくらいに大事な人だと聞かされていた。
東峰さんは、誰よりも大切な人だと、藤村さんも、大切な人だと語っていたのだ。
皆がみな、声を揃えて大切だと語る少年は、いったいどんな子なのだろうか。
「どんな感じって…」
継埜さんが暫し考え込み、徐に口を開ける。
「一言でいえば、ぽややん」
「うん、そうだね。ぽややん」
「ぽややん…?」
ぽややんってなんだろ?
何かの比喩?
「そ、ぽややん。それしか思いつかねー」
「うんうん、初穂はぽややんなの、って本人も認めてるし。いいんじゃない、それで」
「ぽややんって、もしかしてぼんやりしてるとか、そういう類のこと?」
「うーん、そんな感じ。でも、ぼんやりってのとはちょっと違うんだよなぁ。なんつーか、やっぱぽややん」
「うん、それしか言いようがないよね」
さっぱりとイメージが湧かない。
のほほんとかとも違うのかな?
「ま、明日になれば分かるし、いいんじゃね?」
「…え、あの」
「そうそう、明日になったらこっちに来るんだし、せっちゃんにもぽややんの意味が分かるよ」
「え、ちょ」
もしかしなくても、その初穂さんを僕に紹介するつもりなんだろうか?
高等部に上がれば、彼らとの縁は完全に途切れると思っていたのに、まだ春休みにしてその望みは絶たれるのかと、少し目の前が暗くなった。
「せっちゃんとは気が合うだろうし、仲良くしてやって」
継埜さんのトドメともいうべき台詞に、なんとなく泣きたい気分に陥った。
お手伝い賃として昼食をご馳走になってから、継埜さんの部屋へとお邪魔した。
リビングには大量の段ボール箱が積み重なっていて、いささか気分が滅入る。
「自分の分は終わったんだけどね……」
「え、これ全部が幼馴染さんのなの?」
「うん」
ためしに、10箱以上ある箱の中から、小さめの箱を持ち上げてみた。
重い。結構重い。
それは、着替えというレベルの重さではなかった。
いったい何が入っているのかと、箱の表面の文字を読んでみれば。
「おみみ?」
丸くて大きなひらがなで、そう書かれている。
「味噌はそっちか。んじゃ、こっちは漬物だけかな?」
「つ、漬物?」
今まさに台所へと向かう継埜さんの持つ荷物を、横から覗き込んだ。
そこには、
「おつくりもの?」
やはり丸い大きなひらがなで書かれている。
「おつくりものってのは、初穂用語でお漬物のこと。あ、おみみってのは、お味噌な」
「初穂用語?」
「うん。日本語がね、ちょっと下手なんだよ」
初穂というのは、件の幼馴染さんの名前だ。
もしかして、外国の人なのかな?
あれ、でも、幼馴染さんは、確か藤村穂高さんのお兄さんだったはず。
二卵性双生児で、まったく似ていないって話だったけど、穂高さんは純粋な日本人のはずだし。
あまり詮索してはいけないだろうと黙っていると、継埜さんはお漬物の箱をキッチンへと運んだ。
せっかくお味噌と教えてもらったのだから、僕も手元の箱をどっこいしょと持ち上げる。
それなりの重量を感じながらキッチンへ向かえば、ピンポーン、とお客様を告げる鐘の音が。
「たぶん洸夜だ。せっちゃん出てー」
「はーい」
葛西さんも助っ人に来てくれたのだと喜びながら、言われたとおりに玄関の扉を開いた。
「せっちゃん!」
「うぼっ」
開いた扉を閉めた瞬間、葛西さんに抱きつかれた。
ぎゅうぎゅうと背中を締め付けられて、ちょっとばかし苦しい。
久方ぶりに会ったというのに、これじゃ挨拶もできないよ。
「ちょっと、葛西さん」
「はーはー、地味受け。地味受け。はあはあ、くんかくんか」
可憐な容姿で不気味なことを言うのには、慣れた。
抱きつかれるのにも、そこそこ慣れた。
葛西さんの偉いところは、人前ではしてこないところだ。
葛西さんと僕の身長差は、ほとんどない。
そんな彼の顔が肩口に当たっていて、なにやらクンクンと鼻を動かしてから、ようやく解放してくれた。
はっきり言って、気持ちのいいものじゃない。だけど実害がないから、好きにさせている。
「はあ、すっきりした。春休みの間に平凡受けと無口受けと萌えッコは堪能したんだけどね、地味受けが足りなかったんだよねぇ」
「はぁ…」
「あ、それよりも、人目がないときは僕のことはこうちゃんって呼んでって、中一から言ってるよね。いつになったら覚えるの?」
「あの、だから…僕は器用じゃないので、いざというときボロが出ないようにと」
僕こそ中一から言い続けているのに、いったいいつになったら分かってくれるんですか?
「おい、手伝いに来たんだろ。さっさとやれよ」
「もうっ、分かってるよ。……やれとか…やだなぁ禿げそう」
クククと怪しい笑みを浮かべる華のように美しいお方は、ダンボールのガムテを剥がす姿も美しく映えていた。
まるで一輪の花を手折るかのごとき仕草も、中身を知っているだけに……恐い。
「あの変態だけは、わかんね」
継埜さんの意見に、僕も同意する。
◆
本当なら東峰さんと藤村さんも手伝いに来る予定だったらしい。
だけど、
「次期役員候補ってことで、初っ端から補佐させるんだってさ」
「なるほどね、どうせ比較されんなら、早々に取り込んでおこうってことか。あのバ会長らしい姑息な手段だな」
高等部の役員は、もちろん新二年生の先輩たちだ。
メンバーは中等部の頃と何も変わらず、おまけに同じく中等部の頃に生徒会長を担った東峰さんに、副会長をやっていた藤村さんをも取り込んだってことか。
僕たちが中二になったときの役員は、歴代最高と言われた年に次ぐほどに素晴らしいと絶賛されていた。
その歴代最高年は相当に昔のことだそうで、実は当時の会長が東峰さんの伯父さんだったと、葛西さんに教えてもらったんだ。
「中等部での実績で考えたら、それも仕方ないよね。どう考えても晃人たちのが上だもん」
「つか、お前は?」
「僕?」
「お前はあのバ会長に呼ばれてねーの?」
中等部では、葛西さんも書記をやっていたのだ。
だから継埜さんがそう尋ねるのは、おかしな話じゃない。
「丁重にお断りしたよ。もう面倒なことはゴメンだもの。高校には漫研があるしね、そっちに集中するつもり」
「……お前、どんどんやばくなってくな」
「どういう意味だよ!?」
「だが安心しろ。どんなにやばい奴になろうと、友人であることには違いない。あ、外では、声かけてくんなよ」
葛西さんの肩を叩きながら、継埜さんが優しげに語った。
一見厚い友情を表現しているようでいて、その実かなり失礼なことを言っている。
葛西さんは大きな瞳を吊り上げて、これ以上はないというほどに殺気を込めた目で睨みつけていた。
三人でやったお陰で、ようやく全部を片付けることができた。
大量の箱のうち7割が食料だったのには、驚かされたよ。
「はっちゃんはね、すごく料理が上手なんだよ。しかもお味噌もお漬物も自家製でね、これがもうすごく美味しくて」
「育ての親が料理上手だからね」
「ふーん、そうなんだ」
そういえば、そういう話も何度か聞かされたような気が。
「ねぇ、その初穂さんって、どんな感じの人なの?」
いつもいつも葛西さんは、彼のことを可愛いと話していた。
継埜さんからは、死んでもいいくらいに大事な人だと聞かされていた。
東峰さんは、誰よりも大切な人だと、藤村さんも、大切な人だと語っていたのだ。
皆がみな、声を揃えて大切だと語る少年は、いったいどんな子なのだろうか。
「どんな感じって…」
継埜さんが暫し考え込み、徐に口を開ける。
「一言でいえば、ぽややん」
「うん、そうだね。ぽややん」
「ぽややん…?」
ぽややんってなんだろ?
何かの比喩?
「そ、ぽややん。それしか思いつかねー」
「うんうん、初穂はぽややんなの、って本人も認めてるし。いいんじゃない、それで」
「ぽややんって、もしかしてぼんやりしてるとか、そういう類のこと?」
「うーん、そんな感じ。でも、ぼんやりってのとはちょっと違うんだよなぁ。なんつーか、やっぱぽややん」
「うん、それしか言いようがないよね」
さっぱりとイメージが湧かない。
のほほんとかとも違うのかな?
「ま、明日になれば分かるし、いいんじゃね?」
「…え、あの」
「そうそう、明日になったらこっちに来るんだし、せっちゃんにもぽややんの意味が分かるよ」
「え、ちょ」
もしかしなくても、その初穂さんを僕に紹介するつもりなんだろうか?
高等部に上がれば、彼らとの縁は完全に途切れると思っていたのに、まだ春休みにしてその望みは絶たれるのかと、少し目の前が暗くなった。
「せっちゃんとは気が合うだろうし、仲良くしてやって」
継埜さんのトドメともいうべき台詞に、なんとなく泣きたい気分に陥った。