★中等部★
[雪 ■藤下です]
僕の苗字は「藤下 」という。
藤の木の下に居たからなんだって。
居たという表現はちょっと違うかな。
もっと正確に言うと、藤の木の下に捨てられていたってこと。
その時、僕は0歳。
だから当時のことなんて覚えてはいない、って当たり前か。
雪がちらほらと降る寒い時季で、たまたま通りがかった人が、毛布に包まれた僕を発見したらしい。
泣きもせずスヤスヤと寝てたっていうんだから、なかなか大物かもしれないね。
もちろん警察に届けられ、一応身元を調べたりしたらしい。
とはいえ、身に着けていたのは産着と毛布だけで手紙ひとつなかったうえ、産まれたての赤ん坊では状況説明も無理。
当然捨てた人が名乗り出るはずもなく、僕はそのまま孤児院で育てられることになった。
なかなかいい孤児院で、園長先生も他の先生もとても親切にしてくれたよ。
たくさんの兄弟もいたしね。あ、血は繋がってないけど。
いろいろ感謝してるけど、名前に関しては不満があるかな。
「藤下雪(ふじしたせつ)」なんて、まんま捨てられてたときの状況を表していて、ちょっと笑えるんだよね。
あ、僕は自分のこと不幸とか思ってないよ、捨てられたことも悲しんでないし、ただ、やっぱ園長先生のセンスがね、どうにも単純すぎて。
それを本人に伝えたら、ふくよかな頬をさらに膨らませて拗ねていたっけ。
環境が良かったからか、特に明るいわけでも暗いわけでもない僕は、自分の境遇を哀れむことも、だからといって幸福だと感じることもなかった。
ただただ普通。
自分は自分だし、他と比べても仕方ないというか、だいたい僕より不幸な人だって居るわけでしょ、考えるだけ無駄だもん。
現実は現実として受け止めなきゃね。
「ほんと、せっちゃんは前向きっつーか、めげないっつーか」
中学に入ってできた同居人がそう言ったけど、僕は別に前向きな性格じゃない、後ろ向きでもないけど。
だから、本当に普通なんだってば。
でも選んだ中学校は、ちょっと普通からはかけ離れてるかな。
普通の人が持ってる程度の向上心で、この中学校を選んだけど、入ってみてビックリ。
だって、通う生徒のほとんどが、セレブってやつなんだもの。
家柄がよくお金持ちって人ばかりで、しかも顔までいいときたもんだ。
それで偏差値まで高いなんて、これはもう二物も三物も与えすぎって抗議していいんじゃない?
え、そんな学校になんで僕みたいな捨て子が来てるかって?
えっとね、説明すると長くなるんだけどね、ずばり僕の頭が良かったからなんだよね。
僕の育った園では、皆を高校までは絶対に通わせるっていうのが方針だったんだけどね、やっぱりいろいろと大変なんだよ。
いくら公立は授業料免除とはいえ、それ以外にもお金かかるでしょ。
はっきり言って裕福な園じゃなかったから、頭の良さを活かせる方法を模索し、調べに調べてこの学園に行き当たり、そこから毎日勉強しまくって今に至るってわけ。
ここは中高一貫の男子校として有名で、学費が高いのでも有名。
だけど特待制度に力をいれていて、それがとにかく半端ないレベルに達しているんだ。
授業料免除は当たり前、制服だって教科書だって全部無料、しかも全寮制だということで、その寮費もただ。
まだまだこんなもんじゃないよ。
生活にかかる費用、いわゆる食費や消耗品その他を賄うためのお金までもが支給される。
その金額は、かなりの高額。
どう使用してもお咎めなしで、上手くやりくりすれば、相当の金額を残すことができるんだよ。
僕は節約に励み、残りを園へと送っているんだ。
とはいえ基準はかなり高めで、一学年に2人までと決まっていて、ゼロの年も多いらしい。
僕は運良くこの制度の恩恵に預かっているってわけ。
学期ごとの試験はもちろん、僕の在籍するSクラスだけで催されるテストの点数を元に、三ヶ月に一度は見直されるから、絶対に成績を落とすわけにはいかないんだ。
「んもうっ、無視しないでよー」
「るさい、あっちいけ」
「ひっどー、せっちゃんのオニ!」
わーん、なんてわざとらしい声を出す相手を、睨むことなどはしない。
そんなことしたら、喜ぶだけだもの。
特待生として中等部への入学を許可され、園から遠く離れた山奥の寮に住処を移した僕には、同居人なるものができた。
一人部屋なんてなかった園では、常に誰かが傍にいたから、たったひとりの同居人くらい苦にもならない。
そもそも寮部屋は二人部屋とは思えないほど広くて、その造りもモデルルームのように豪華だ。
しかも各々個室が用意されていて、完全にプライバシーを守れるようになっているから、まさにここは楽園みたいなもの。
たまに、園の騒々しさが懐かしくは感じるけどね。
そんな環境は、勉強するにはもってこいで、特待生という立場を維持しなければならない僕には、最高に恵まれた場所ともいえる。
なのに、なのに……、同居人である継埜将史(つぐやまさし)がこの上なくうざい存在なんだ!
「ねー、今夜は何食べたいー?」
「あ、え、えっと、と、鶏肉を、香草と焼いた、えっと……」
生まれてこのかた大した物は食べてきてないから、こういうときに咄嗟に名前が出てこない。
えっと、あの美味しかった料理は、なんて言うんだっけ……。
「はは、バジルチキンね、りょうかーい」
参考書から視線を逸らさぬ僕の拙い説明でも、継埜さんは理解してくれたようだ。
いつもいつも僕の部屋で勝手に寛ぎ、勉強中であろうとも好きに話しかけてくる厄介極まりない同居人は、口惜しいことにとても料理上手という一面を持っている。
恥ずかしながら、今まで一度も台所に立ったことのない僕は、それでも節約のため入寮初日から料理なるものに挑戦した。
結果は、敢え無く惨敗。
見かねた継埜さんが、それから毎日のように夕食を作ってくれるようになったんだ。
それがあまりにも美味しくて、今まで園では食べたことのない物ばかりで、正直にそれを伝えたら、ついでとばかりにお弁当まで用意してくれるようになった。
そのままズルズルと相手の好意に甘えているせいで、継埜さんに対してあまり強い態度に出れなくなったんだけどね。
でも、それももうすぐお終い。
3年間続けられた習慣も、もうすぐ終わりに近づいている。
「せっちゃん、高等部で虐められたら、ちゃーんとお兄さんに言うのよ」
「お兄さんって、誰だよ」
浮かんだのは園の年長者さんたち。
この学園を狙う僕に、寝る間も惜しんで勉強を教えてくれたのは、当時高校生だった人たちばかりだ。
決して高いレベルではない高校だったけど、小学生からすればそれはかなりの水準だったと思う。
おかげさまで無事合格したのだから、本当にありがたい。
「俺に決まってるでしょー、せっちゃんのことが心配で心配で、禿そうだっつのに」
勝手に禿てろとという悪態は、心の中に仕舞っておく。
「僕は大丈夫だから、継埜さんは幼馴染さんのことだけを考えててください」
「あれれー、妬いてんの?」
「いや、まったく」
「せっちゃんには前科があるからね、ほんと心配」
「前科って……」
まるで犯罪者のような表現に、げんなりした。
だけど、ある意味正しいのかな?
ハイソな人種ばかりが揃う学園で、僕はそれなりの虐めを経験した。
最初はかなり驚いたよ。
だって、小学校に通っていた頃は、捨て子ってことで多少の虐めにあっていたけど、それはあくまで庶民の学校でのことだったし、まさか上流家庭のご子息たちに同じような目に遭わされるとは夢にも思わなかったんだもの。
だけど虐められる理由は、小学校のときとは微妙に異なった。
あれ、よくよく考えたら、心配だなんてことを言ってる人が元凶だったはずだよね……。
この学園は偏差値も高いけど、家柄容姿すべてにおいてのレベルが半端ない。
そんな世界で重要視されるのは、なんと家柄と外見のみと言っても過言じゃないんだ。
おい、学生なら成績も考慮しろよ! なんて突っ込みたくならない?
とにかく、それには本気で参った。
家柄はまだなんとなく理解できる。
だって、巧く取り入ればコネができる可能性があるってことだもんね。
将来を見越してる感じで、逆に好感が持てるってものだ。
だけどね、容姿だけはどうしても納得いかない。
どうして容姿のいい男に、キャーキャーと黄色い悲鳴を上げたり、色目使ったりするわけ!?
ここが男子校って説明したよね、つまり、ホモなんだよ! ホモ!!
まぁ、個人の趣味に難癖つける気はないけど、どノーマルの僕からしたら、まったく無縁の世界なんだ。
とはいえ、僕個人に危害がないならそれで良かった。
いずれは奨学金を貰って立派な大学に入り、国家公務員Ⅰ種試験にパスして、気立ての良いできればCカップ以上の女性と結婚、子供は二人以上で将来は年金暮らしという計画に支障がなければ、ノープロブレム。
しかし神は時には残酷で、悲しいことにこの同居人、見た目が悪くはなかったんだ。
完全に下の下に位置している僕からしたら、相当に男前と言ってもいいレベルで、しかも家柄もいいらしい。
らしいというのは、あくまで噂でしか聞いたことがないから。
だって、僕みたいな底辺の人間が、上流の御家庭なんて知るはずもないでしょ。
とにかく運が悪いことに、僕の同居人となった相手は、この学園では相当におもてになる存在だったわけだ、あ、男にだけどね。
それでもSクラスはSクラス同士の部屋割だと皆承知しているから、誰も僕にたいして嫉妬なんてしなかった。
こんな不細工は相手にされないと、誰もがそう予想したわけだ。
その評価は有り難かった、この人が僕に馴れ馴れしくするまでは。
とはいえ、この人の馴れ馴れしさは僕だけにじゃなく、大抵の人に発揮されるものだ。
一般クラスにも大勢の友人がいて、先輩たちともすぐに打ち解け、教師受けも良く、とにかく目立つことこの上ない存在。
ついでにいうと成績は常に首席、もっとついでにいうと僕は次席だ……。
と、とにかくそんな人に構われる僕に、周囲の反応は手厳しかった。
不細工なだけでなく捨て子なんて立場の人間が、この人に話しかけられるってことが相当に許せなかったらしい。
そして自称ファンクラブという輩から、それなりの虐めにあってしまったというわけ。
このFC、頭の悪い発想をするくせに変なところが巧妙で、それはそれは地味で目立たない虐めをしてくれた。
通りすがりに悪口を言われるのは当たり前、でも継埜さんが一緒のときには絶対言わない。
下駄箱に脅迫文紛いの手紙は日常茶飯事で、でも靴を隠したりはしない。
ね、地味でしょ。
でも階段で背を押されたときは、かなりビビッた。
それも通りすがりに突然だったから、誰がやったかも分からないし、周囲の誰も犯人なんていないと証言したから、結局は僕が足を踏み外したのだと判断された。
それも仕方ないかと、捻るだけで済んだ足を抱えて部屋に戻ると、継埜さんが鬼のような形相で待ち構えていて、それにもビビッた。
そして足を捻った理由を詰問され、それまでの地味な虐めを告白した途端、すっぱりと虐めが無くなったんだ。
いったい何があったのかは知らないけど、自称FCたちは僕を見たらコソコソと逃げ出すから、これで勉強だけに集中できると安堵したものだ。
「せっちゃんはね、運が悪いコなんだから、我慢せずにもっと人に頼りなさい」
「特待生になれたんだから、運は良いと思うよ」
頭の出来が良かったってことは、とっても運が良いことだと本気でそう思うもの。
だけどこれを言うと、いつも継埜さんは人の悪い笑みを浮かべる。
あ、この人と同居することになったんだから、やっぱり運が悪いのかもしれない。
「んにゃ、せっちゃんは最大限に運が悪いコだと思うよ」
「んー、捨てられてたしね、そういう意味では悪いかもね」
「はは、そういうことじゃないけどねー」
じゃあどういうこと? とは訊かない。
それはつまりーとか語られたら、長くなるかもしれないでしょ。面倒だもの。
「とにかく、困ったことがあったら、遠慮なく言ってきてね」
「はいはい、分かったから」
高等部に入ったら、同居は解消になるんだ。
しかもクラスまで別れることになり、それで縁が切れるのだから嬉しくて仕方ない。
「初穂は特別なコだけど、せっちゃんは一番大事。だからいつでも頼ってね」
「はいはい」
そういうことをしれっと言うところが、継埜さんらしいというか。
この人は、春からこの学園の高等部に入学する幼馴染と同室になるために、Sクラスから一般への編入を希望した。
Sクラスは高等部では特別寮の一人部屋と決まっていて、今のままでは絶対に同室になんかなれないからとクラス替えするほどに、継埜さんは幼馴染を大事にしている。
長期休暇の間は幼馴染の家で過ごし、学園にいる間はしょっちゅう電話やメールをしている。
とにかく真剣に大事にしているんだ。
確か、そのコのためなら命捨てるって平然と言ってたっけ、さすがにそれは大袈裟だろうけど、継埜さんにとってはそこまで大切な存在ってことなんだよね。
ま、僕には関係ないし、というかもうすぐ本当に関係なくなるから、どうでもいいや。
僕の苗字は「
藤の木の下に居たからなんだって。
居たという表現はちょっと違うかな。
もっと正確に言うと、藤の木の下に捨てられていたってこと。
その時、僕は0歳。
だから当時のことなんて覚えてはいない、って当たり前か。
雪がちらほらと降る寒い時季で、たまたま通りがかった人が、毛布に包まれた僕を発見したらしい。
泣きもせずスヤスヤと寝てたっていうんだから、なかなか大物かもしれないね。
もちろん警察に届けられ、一応身元を調べたりしたらしい。
とはいえ、身に着けていたのは産着と毛布だけで手紙ひとつなかったうえ、産まれたての赤ん坊では状況説明も無理。
当然捨てた人が名乗り出るはずもなく、僕はそのまま孤児院で育てられることになった。
なかなかいい孤児院で、園長先生も他の先生もとても親切にしてくれたよ。
たくさんの兄弟もいたしね。あ、血は繋がってないけど。
いろいろ感謝してるけど、名前に関しては不満があるかな。
「藤下雪(ふじしたせつ)」なんて、まんま捨てられてたときの状況を表していて、ちょっと笑えるんだよね。
あ、僕は自分のこと不幸とか思ってないよ、捨てられたことも悲しんでないし、ただ、やっぱ園長先生のセンスがね、どうにも単純すぎて。
それを本人に伝えたら、ふくよかな頬をさらに膨らませて拗ねていたっけ。
環境が良かったからか、特に明るいわけでも暗いわけでもない僕は、自分の境遇を哀れむことも、だからといって幸福だと感じることもなかった。
ただただ普通。
自分は自分だし、他と比べても仕方ないというか、だいたい僕より不幸な人だって居るわけでしょ、考えるだけ無駄だもん。
現実は現実として受け止めなきゃね。
「ほんと、せっちゃんは前向きっつーか、めげないっつーか」
中学に入ってできた同居人がそう言ったけど、僕は別に前向きな性格じゃない、後ろ向きでもないけど。
だから、本当に普通なんだってば。
でも選んだ中学校は、ちょっと普通からはかけ離れてるかな。
普通の人が持ってる程度の向上心で、この中学校を選んだけど、入ってみてビックリ。
だって、通う生徒のほとんどが、セレブってやつなんだもの。
家柄がよくお金持ちって人ばかりで、しかも顔までいいときたもんだ。
それで偏差値まで高いなんて、これはもう二物も三物も与えすぎって抗議していいんじゃない?
え、そんな学校になんで僕みたいな捨て子が来てるかって?
えっとね、説明すると長くなるんだけどね、ずばり僕の頭が良かったからなんだよね。
僕の育った園では、皆を高校までは絶対に通わせるっていうのが方針だったんだけどね、やっぱりいろいろと大変なんだよ。
いくら公立は授業料免除とはいえ、それ以外にもお金かかるでしょ。
はっきり言って裕福な園じゃなかったから、頭の良さを活かせる方法を模索し、調べに調べてこの学園に行き当たり、そこから毎日勉強しまくって今に至るってわけ。
ここは中高一貫の男子校として有名で、学費が高いのでも有名。
だけど特待制度に力をいれていて、それがとにかく半端ないレベルに達しているんだ。
授業料免除は当たり前、制服だって教科書だって全部無料、しかも全寮制だということで、その寮費もただ。
まだまだこんなもんじゃないよ。
生活にかかる費用、いわゆる食費や消耗品その他を賄うためのお金までもが支給される。
その金額は、かなりの高額。
どう使用してもお咎めなしで、上手くやりくりすれば、相当の金額を残すことができるんだよ。
僕は節約に励み、残りを園へと送っているんだ。
とはいえ基準はかなり高めで、一学年に2人までと決まっていて、ゼロの年も多いらしい。
僕は運良くこの制度の恩恵に預かっているってわけ。
学期ごとの試験はもちろん、僕の在籍するSクラスだけで催されるテストの点数を元に、三ヶ月に一度は見直されるから、絶対に成績を落とすわけにはいかないんだ。
「んもうっ、無視しないでよー」
「るさい、あっちいけ」
「ひっどー、せっちゃんのオニ!」
わーん、なんてわざとらしい声を出す相手を、睨むことなどはしない。
そんなことしたら、喜ぶだけだもの。
特待生として中等部への入学を許可され、園から遠く離れた山奥の寮に住処を移した僕には、同居人なるものができた。
一人部屋なんてなかった園では、常に誰かが傍にいたから、たったひとりの同居人くらい苦にもならない。
そもそも寮部屋は二人部屋とは思えないほど広くて、その造りもモデルルームのように豪華だ。
しかも各々個室が用意されていて、完全にプライバシーを守れるようになっているから、まさにここは楽園みたいなもの。
たまに、園の騒々しさが懐かしくは感じるけどね。
そんな環境は、勉強するにはもってこいで、特待生という立場を維持しなければならない僕には、最高に恵まれた場所ともいえる。
なのに、なのに……、同居人である継埜将史(つぐやまさし)がこの上なくうざい存在なんだ!
「ねー、今夜は何食べたいー?」
「あ、え、えっと、と、鶏肉を、香草と焼いた、えっと……」
生まれてこのかた大した物は食べてきてないから、こういうときに咄嗟に名前が出てこない。
えっと、あの美味しかった料理は、なんて言うんだっけ……。
「はは、バジルチキンね、りょうかーい」
参考書から視線を逸らさぬ僕の拙い説明でも、継埜さんは理解してくれたようだ。
いつもいつも僕の部屋で勝手に寛ぎ、勉強中であろうとも好きに話しかけてくる厄介極まりない同居人は、口惜しいことにとても料理上手という一面を持っている。
恥ずかしながら、今まで一度も台所に立ったことのない僕は、それでも節約のため入寮初日から料理なるものに挑戦した。
結果は、敢え無く惨敗。
見かねた継埜さんが、それから毎日のように夕食を作ってくれるようになったんだ。
それがあまりにも美味しくて、今まで園では食べたことのない物ばかりで、正直にそれを伝えたら、ついでとばかりにお弁当まで用意してくれるようになった。
そのままズルズルと相手の好意に甘えているせいで、継埜さんに対してあまり強い態度に出れなくなったんだけどね。
でも、それももうすぐお終い。
3年間続けられた習慣も、もうすぐ終わりに近づいている。
「せっちゃん、高等部で虐められたら、ちゃーんとお兄さんに言うのよ」
「お兄さんって、誰だよ」
浮かんだのは園の年長者さんたち。
この学園を狙う僕に、寝る間も惜しんで勉強を教えてくれたのは、当時高校生だった人たちばかりだ。
決して高いレベルではない高校だったけど、小学生からすればそれはかなりの水準だったと思う。
おかげさまで無事合格したのだから、本当にありがたい。
「俺に決まってるでしょー、せっちゃんのことが心配で心配で、禿そうだっつのに」
勝手に禿てろとという悪態は、心の中に仕舞っておく。
「僕は大丈夫だから、継埜さんは幼馴染さんのことだけを考えててください」
「あれれー、妬いてんの?」
「いや、まったく」
「せっちゃんには前科があるからね、ほんと心配」
「前科って……」
まるで犯罪者のような表現に、げんなりした。
だけど、ある意味正しいのかな?
ハイソな人種ばかりが揃う学園で、僕はそれなりの虐めを経験した。
最初はかなり驚いたよ。
だって、小学校に通っていた頃は、捨て子ってことで多少の虐めにあっていたけど、それはあくまで庶民の学校でのことだったし、まさか上流家庭のご子息たちに同じような目に遭わされるとは夢にも思わなかったんだもの。
だけど虐められる理由は、小学校のときとは微妙に異なった。
あれ、よくよく考えたら、心配だなんてことを言ってる人が元凶だったはずだよね……。
この学園は偏差値も高いけど、家柄容姿すべてにおいてのレベルが半端ない。
そんな世界で重要視されるのは、なんと家柄と外見のみと言っても過言じゃないんだ。
おい、学生なら成績も考慮しろよ! なんて突っ込みたくならない?
とにかく、それには本気で参った。
家柄はまだなんとなく理解できる。
だって、巧く取り入ればコネができる可能性があるってことだもんね。
将来を見越してる感じで、逆に好感が持てるってものだ。
だけどね、容姿だけはどうしても納得いかない。
どうして容姿のいい男に、キャーキャーと黄色い悲鳴を上げたり、色目使ったりするわけ!?
ここが男子校って説明したよね、つまり、ホモなんだよ! ホモ!!
まぁ、個人の趣味に難癖つける気はないけど、どノーマルの僕からしたら、まったく無縁の世界なんだ。
とはいえ、僕個人に危害がないならそれで良かった。
いずれは奨学金を貰って立派な大学に入り、国家公務員Ⅰ種試験にパスして、気立ての良いできればCカップ以上の女性と結婚、子供は二人以上で将来は年金暮らしという計画に支障がなければ、ノープロブレム。
しかし神は時には残酷で、悲しいことにこの同居人、見た目が悪くはなかったんだ。
完全に下の下に位置している僕からしたら、相当に男前と言ってもいいレベルで、しかも家柄もいいらしい。
らしいというのは、あくまで噂でしか聞いたことがないから。
だって、僕みたいな底辺の人間が、上流の御家庭なんて知るはずもないでしょ。
とにかく運が悪いことに、僕の同居人となった相手は、この学園では相当におもてになる存在だったわけだ、あ、男にだけどね。
それでもSクラスはSクラス同士の部屋割だと皆承知しているから、誰も僕にたいして嫉妬なんてしなかった。
こんな不細工は相手にされないと、誰もがそう予想したわけだ。
その評価は有り難かった、この人が僕に馴れ馴れしくするまでは。
とはいえ、この人の馴れ馴れしさは僕だけにじゃなく、大抵の人に発揮されるものだ。
一般クラスにも大勢の友人がいて、先輩たちともすぐに打ち解け、教師受けも良く、とにかく目立つことこの上ない存在。
ついでにいうと成績は常に首席、もっとついでにいうと僕は次席だ……。
と、とにかくそんな人に構われる僕に、周囲の反応は手厳しかった。
不細工なだけでなく捨て子なんて立場の人間が、この人に話しかけられるってことが相当に許せなかったらしい。
そして自称ファンクラブという輩から、それなりの虐めにあってしまったというわけ。
このFC、頭の悪い発想をするくせに変なところが巧妙で、それはそれは地味で目立たない虐めをしてくれた。
通りすがりに悪口を言われるのは当たり前、でも継埜さんが一緒のときには絶対言わない。
下駄箱に脅迫文紛いの手紙は日常茶飯事で、でも靴を隠したりはしない。
ね、地味でしょ。
でも階段で背を押されたときは、かなりビビッた。
それも通りすがりに突然だったから、誰がやったかも分からないし、周囲の誰も犯人なんていないと証言したから、結局は僕が足を踏み外したのだと判断された。
それも仕方ないかと、捻るだけで済んだ足を抱えて部屋に戻ると、継埜さんが鬼のような形相で待ち構えていて、それにもビビッた。
そして足を捻った理由を詰問され、それまでの地味な虐めを告白した途端、すっぱりと虐めが無くなったんだ。
いったい何があったのかは知らないけど、自称FCたちは僕を見たらコソコソと逃げ出すから、これで勉強だけに集中できると安堵したものだ。
「せっちゃんはね、運が悪いコなんだから、我慢せずにもっと人に頼りなさい」
「特待生になれたんだから、運は良いと思うよ」
頭の出来が良かったってことは、とっても運が良いことだと本気でそう思うもの。
だけどこれを言うと、いつも継埜さんは人の悪い笑みを浮かべる。
あ、この人と同居することになったんだから、やっぱり運が悪いのかもしれない。
「んにゃ、せっちゃんは最大限に運が悪いコだと思うよ」
「んー、捨てられてたしね、そういう意味では悪いかもね」
「はは、そういうことじゃないけどねー」
じゃあどういうこと? とは訊かない。
それはつまりーとか語られたら、長くなるかもしれないでしょ。面倒だもの。
「とにかく、困ったことがあったら、遠慮なく言ってきてね」
「はいはい、分かったから」
高等部に入ったら、同居は解消になるんだ。
しかもクラスまで別れることになり、それで縁が切れるのだから嬉しくて仕方ない。
「初穂は特別なコだけど、せっちゃんは一番大事。だからいつでも頼ってね」
「はいはい」
そういうことをしれっと言うところが、継埜さんらしいというか。
この人は、春からこの学園の高等部に入学する幼馴染と同室になるために、Sクラスから一般への編入を希望した。
Sクラスは高等部では特別寮の一人部屋と決まっていて、今のままでは絶対に同室になんかなれないからとクラス替えするほどに、継埜さんは幼馴染を大事にしている。
長期休暇の間は幼馴染の家で過ごし、学園にいる間はしょっちゅう電話やメールをしている。
とにかく真剣に大事にしているんだ。
確か、そのコのためなら命捨てるって平然と言ってたっけ、さすがにそれは大袈裟だろうけど、継埜さんにとってはそこまで大切な存在ってことなんだよね。
ま、僕には関係ないし、というかもうすぐ本当に関係なくなるから、どうでもいいや。