泣血哀慟
なんのことはない、お化けとはアーちゃんのことだった。
「おばけ、よ」
アーちゃんは離れで見たそのままの格好で、両手をつき這いずるようにして石段を昇っていた。
ズル、ズルッと、体重の減った身体を重そうに引きずり、石段の最上段に手をかける。
全身を敷石の上に引き上げたあとは滑るようにして進み、半ばまできてとうとう動かなくなった。
一連の動作をこなしながらも、まったく生気を感じさせないアーちゃんは、さながら幽鬼のようであり、子供の目にはお化けと同一に見えても不思議じゃないだろう。
「おばけ」
「初穂ちゃん……」
「おばけ、よ。せんせい、おばけ、なの」
「違うよ。お化けじゃ、な、」
「おばけよ、おばけなの。せんせい、おばけなの」
「……」
初穂ちゃんは、しきりにお化けと口にした。
違う、アーちゃんだよ。
そう言って訂正したいのに、なぜだか僕の口は閉ざされたまま。
そもそもあれは、死人ではないか。
魂の抜け落ちた、ただの空っぽの器。
お化けというのは、案外正しいんじゃないだろうか。
「おばけ、ないないするの。せんせい、もどるのよ」
初穂ちゃんは、アーちゃんがいつか元に戻ると信じているのだ。
僕も、そう信じていた。
今朝までは。
今は、まったく真逆のことを考えている。
亡者と化したモノを現世に呼び戻すなど、不可能ではないか。
「せんせい、ゆうえいちやうの。おばけ、なの」
突然幽霊などと言い出す初穂ちゃんに、僅かばかり動揺した。
まるで僕の心中を、読み取ったかのようだ。
「……お化けと幽霊は違うの?」
「ちやうの。ゆうえい、いきるないのよ。おばけ、いきもの、なの」
「生きもの……?」
幽霊は生きてなくて、お化けはイキモノだって?
確かに幽霊とは多くは死者に使われる言葉であり、お化けとは微妙に異なっている。
だけど、これまで明確な差異を意識したことはなく、また初穂ちゃんがはっきりと使い分けてるとも思っていなかった。
「幽霊と……お化けか……」
倒れたまま身動ぎ一つしないアーちゃんは、まさしく死人そのものだ。
この寒空で薄着のままいれば、やがて本物の死人と化すだろう。
せめてもと自分のコートを脱ぎ上にかけようとしたとき、アーちゃんの身体が小刻みに揺れてるのが目に入る。
この寒さに、震えてるんだ。
肉体は、ちゃんと気温を感じ取っている。
それは単なる反射であり、離れでも似たようなことは起きた。
だけど……、
「せんせい、いきてるの。おばけ、だもの」
生きて寒さを感じてるなら、それは幽霊(死者)ではないということか。
だから、お化け?
本来あるべきモノから逸脱し、変化したモノということ……?
「お化け……か」
アーちゃんは、どうしてここに来たんだろう?
まともに動けない身体で、それでも必死になって来たのは、どうして?
そんなこと、考えるまでもない。
アキラが、ここに、居るからだ……。
「初穂ちゃん、アーちゃんは、毎日ここに来てるの?」
「あい、でしゅ」
「もしかして、初穂ちゃんはアーちゃんのあとをつけてきたの?」
「う、…あ、あい……」
咎められるとでも思ったのか、初穂ちゃんが後ろめたそうに俯く。
もちろん僕に、責める気持ちはない。
「初穂ちゃんは、どうしてアーちゃんをつけてたの?」
「ん、と、ちんぱい、するの」
「そっか。そうだね、こんな状態だもの、心配だよね」
「あい」
「初穂ちゃんは、いい子だね」
「え、えへ」
初穂ちゃんが言うには、アーちゃんはほぼ毎日霊廟を訪れるとのことだった。
時間は決まっておらず、明け方だったり昼日中だったりと、その日によって違うらしい。
雨は、行動を阻害する要因にはならないそうだ。
コートをアーちゃんにかけ、初穂ちゃんの話を聞いてから、アーちゃんをそのままにして帰宅した。
あのまま置いていくのは不安だったけど、アッキーが頃合を見計らって連れ帰ってくるらしい。
だから初穂ちゃんも、辿り着いたのを確認したら帰ると話してくれた。
母屋に戻ると、二人分の夕餉が用意されていた。
アッキーはアーちゃんを迎えに行ったとのことで、僕と初穂ちゃんだけの夕食となった。
初穂ちゃんと他愛ないおしゃべりをしながらも、僕はまたしても考えを改めようとしていた。
初穂ちゃんの言葉を借りるなら、彼は幽霊ではなく、単に化け者に転じただけと考えていいんじゃないだろうか。
だって、彼にはある。
衰弱した肉体を突き動かす意思が、ちゃんとあるんだ。
アキラの傍にいたいという強い欲望は、死者ならば当然持ち得ないものだろう。
それが生きてることの証と受け止めてしまっても、いいんじゃないだろうか。
でも……。
答えの出ない問いかけが当たり前になったのは、彼らと出会ってからだった。
今回もまた、明確な答えは出せないまま……。
「おばけ、よ」
アーちゃんは離れで見たそのままの格好で、両手をつき這いずるようにして石段を昇っていた。
ズル、ズルッと、体重の減った身体を重そうに引きずり、石段の最上段に手をかける。
全身を敷石の上に引き上げたあとは滑るようにして進み、半ばまできてとうとう動かなくなった。
一連の動作をこなしながらも、まったく生気を感じさせないアーちゃんは、さながら幽鬼のようであり、子供の目にはお化けと同一に見えても不思議じゃないだろう。
「おばけ」
「初穂ちゃん……」
「おばけ、よ。せんせい、おばけ、なの」
「違うよ。お化けじゃ、な、」
「おばけよ、おばけなの。せんせい、おばけなの」
「……」
初穂ちゃんは、しきりにお化けと口にした。
違う、アーちゃんだよ。
そう言って訂正したいのに、なぜだか僕の口は閉ざされたまま。
そもそもあれは、死人ではないか。
魂の抜け落ちた、ただの空っぽの器。
お化けというのは、案外正しいんじゃないだろうか。
「おばけ、ないないするの。せんせい、もどるのよ」
初穂ちゃんは、アーちゃんがいつか元に戻ると信じているのだ。
僕も、そう信じていた。
今朝までは。
今は、まったく真逆のことを考えている。
亡者と化したモノを現世に呼び戻すなど、不可能ではないか。
「せんせい、ゆうえいちやうの。おばけ、なの」
突然幽霊などと言い出す初穂ちゃんに、僅かばかり動揺した。
まるで僕の心中を、読み取ったかのようだ。
「……お化けと幽霊は違うの?」
「ちやうの。ゆうえい、いきるないのよ。おばけ、いきもの、なの」
「生きもの……?」
幽霊は生きてなくて、お化けはイキモノだって?
確かに幽霊とは多くは死者に使われる言葉であり、お化けとは微妙に異なっている。
だけど、これまで明確な差異を意識したことはなく、また初穂ちゃんがはっきりと使い分けてるとも思っていなかった。
「幽霊と……お化けか……」
倒れたまま身動ぎ一つしないアーちゃんは、まさしく死人そのものだ。
この寒空で薄着のままいれば、やがて本物の死人と化すだろう。
せめてもと自分のコートを脱ぎ上にかけようとしたとき、アーちゃんの身体が小刻みに揺れてるのが目に入る。
この寒さに、震えてるんだ。
肉体は、ちゃんと気温を感じ取っている。
それは単なる反射であり、離れでも似たようなことは起きた。
だけど……、
「せんせい、いきてるの。おばけ、だもの」
生きて寒さを感じてるなら、それは幽霊(死者)ではないということか。
だから、お化け?
本来あるべきモノから逸脱し、変化したモノということ……?
「お化け……か」
アーちゃんは、どうしてここに来たんだろう?
まともに動けない身体で、それでも必死になって来たのは、どうして?
そんなこと、考えるまでもない。
アキラが、ここに、居るからだ……。
「初穂ちゃん、アーちゃんは、毎日ここに来てるの?」
「あい、でしゅ」
「もしかして、初穂ちゃんはアーちゃんのあとをつけてきたの?」
「う、…あ、あい……」
咎められるとでも思ったのか、初穂ちゃんが後ろめたそうに俯く。
もちろん僕に、責める気持ちはない。
「初穂ちゃんは、どうしてアーちゃんをつけてたの?」
「ん、と、ちんぱい、するの」
「そっか。そうだね、こんな状態だもの、心配だよね」
「あい」
「初穂ちゃんは、いい子だね」
「え、えへ」
初穂ちゃんが言うには、アーちゃんはほぼ毎日霊廟を訪れるとのことだった。
時間は決まっておらず、明け方だったり昼日中だったりと、その日によって違うらしい。
雨は、行動を阻害する要因にはならないそうだ。
コートをアーちゃんにかけ、初穂ちゃんの話を聞いてから、アーちゃんをそのままにして帰宅した。
あのまま置いていくのは不安だったけど、アッキーが頃合を見計らって連れ帰ってくるらしい。
だから初穂ちゃんも、辿り着いたのを確認したら帰ると話してくれた。
母屋に戻ると、二人分の夕餉が用意されていた。
アッキーはアーちゃんを迎えに行ったとのことで、僕と初穂ちゃんだけの夕食となった。
初穂ちゃんと他愛ないおしゃべりをしながらも、僕はまたしても考えを改めようとしていた。
初穂ちゃんの言葉を借りるなら、彼は幽霊ではなく、単に化け者に転じただけと考えていいんじゃないだろうか。
だって、彼にはある。
衰弱した肉体を突き動かす意思が、ちゃんとあるんだ。
アキラの傍にいたいという強い欲望は、死者ならば当然持ち得ないものだろう。
それが生きてることの証と受け止めてしまっても、いいんじゃないだろうか。
でも……。
答えの出ない問いかけが当たり前になったのは、彼らと出会ってからだった。
今回もまた、明確な答えは出せないまま……。