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泣血哀慟

"カレ"は、眠っていた。
悪臭渦巻く場所であらゆる穢れに身を浸しながら、膝を折り小さく丸まり眠っていたのだ。
その姿が胎児と重なって汚れきった空間が、一瞬子宮であるような錯覚に陥った。

「ア、アーちゃん……」

かつて何度も口にした旧友の名を呼ぶ。
案の定、"カレ"はなんの反応も見せない。

身に着けているものは、薄い着物一枚だけ。
それも、随分と汚れている。
裾から伸びる素足と腕には垢と泥がこびりつき、"カレ"のものとは思えないほどか細くもなっていた。

フラフラと"カレ"に近づく僕を、アッキーは止めなかった。
それをいいことに、丸くなる"カレ"の傍に膝をつく。
室内の汚れなど、もうどうでもよかった。

"カレ"は、ほんの少しの労わりすらも拒絶するように、直に畳に転がっていた。
記憶の中の"カレ"よりも小さく見えるのは、やせ細った身体のせいだろう。
クマに縁取られた眼窩は落ち窪み、やせこけた頬にはヒゲが疎らに伸びていた。
あまりにも面変わりした友に、不思議なほど哀れむ気持ちが湧いてこない。
"カレ"の見せる寝顔が、とても静かだったせいで。

そこに憂いもなにもないのなら、この狂気も悪くないのかもしれない。
少なくとも、アーちゃんにとっては、今が幸せではないだろうか。
戻ってこいと願うのは、傲慢なのかもしれない。

見つめ続けるなか、アーちゃんの瞼が微かに震え開きはじめた。

「ア、アーちゃ、……」

瞼の間から覗きみえた瞳に、僅かな期待も打ち砕かれる。
なんの意思も見出せない虚ろな両眼は、ただ澱み濁るだけで、僕を捉えることもなければ何も映し出してはいなかったのだ。
無意味に宙を見つめるだけの、ただのガラス玉だ……。

いつの間にか、アッキーが傍に来ていた。
手には盆を持っていて、かぎりなく重湯に近いお粥が一杯だけ乗っている。

「アッキー……?」

「食事の時間なんだ」

お粥は、アーちゃんの食事らしい。
こんな状態でも、食欲があることにホッとした。

目覚めたアーちゃんは、見るからに体力の衰えた体を必死で動かしていた。
震える両手で体を支え、もがくようにして起き上がろうとする。
咄嗟に手を貸そうとした僕を、アッキーが押しとどめる。

「ア、アッキー?」

「下手に触れたら、ひきつけを起こす」

「ひ、ひきつけ? ……アーちゃんが?」

「ああ。機嫌がいいときは平気だが、今日は生憎と機嫌が悪そうだ」

「そんな、どうして……」

「人肌がイヤなのだろ」

寝具を拒否するだけでなく、人肌の温もりまで拒絶しているのか……。

アーちゃんが、ようやくにして身を起こす。
不安定な体勢のなか、肩で息をしていることに奇妙なほど安堵した。

誰も見ないまま、アーちゃんがアッキーの差し出す盆に手を伸ばした。
持ち上げる力はないのか、椀の縁に指をかけるだけで結局中身を溢してしまう。
盆の上を濡らす白く濁った液体を、アーちゃんは啜るようにして口にした。
"カレ"は、生きようとしているのだ。
それが主命であれ、本能であれ、生き抜こうとする意思は備わっているのだ。

やがて最後の一滴まで舐めとったアーちゃんが、苦しげにえづきだした。

「え、ア、アーちゃん?」

「グッ……ゲッ、っ…」

即座に吐き出される液体。
見るまでもなく、いまさっき口にしたお粥だった。
胃液と重湯が入り混じった吐瀉物のなかに、アーちゃんが突っ伏す。
慌てて起こそうとする僕を、やはりアッキーが止めた。
どうしてと非難する前に、アーちゃんの行動を見て言葉を失った。

"カレ"は、啜っていた。
己が吐き出したものを啜り、舐め、手で掻き寄せては、一心不乱に飲み込んでいたのだ。
生きる糧とするために、それだけのために。
そうかと思えばまたえづき、吐き出し、啜り、舐め……。
何度も何度も繰り返し、とうとう疲れ果てたアーちゃんがその場で目を閉じていた。
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