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泣血哀慟

「できれば、帰れと言いたいところだが」

会った瞬間、挨拶もなく言い放つアッキーに、僅かな迷いが消滅する。

「会えないってこと?」

「本気で会いたいと願うなら、俺に止める手立てはない」

「会いたい。会いたいよ……」

「さて、あいつは、どう思うかな?」

「あ、そ、そっか。も、もしかしたら、嫌がられるかもしれないよね。
あの、だったら、今すぐじゃなくても、もともと、暫く滞在させてもらうつもりで、」

「冗談だ。今のあいつに、そんな思考力はない」

「……」

鼓動を止め、呼吸を止め、それでも僕たちの元へ還ってきた"カレ"は、意識のないままアッキーがどこかへと連れ去った。
ずっと前から、"カレ"がアキラの死に取り乱すのは、至極当然だと考えていた。
だがそれは、僕の想像を絶するほどの、あまりにも桁外れなもの。

継埜守人は、主の死を受け止められないという。
それは、どういうことなのか。
答えはすぐに明らかとなる。
狂うのだ――

『肉体が死するそのときまで、狂気の淵から戻ること適わず。例外はない』

床に倒れ伏したままの"カレ"を前に、アッキーが打ち明ける。
こんなことで、アッキーが嘘をつくはずない。
ならば、それが真実なのだ。

だが、狂う? 狂うとは、どういうことだろう。
僕だって、狂いそうだった。
"カレ"ほどの激しさはなかったとはいえ、あの場にいた誰もが、狂いそうなほどの悲しみに支配されていたのではないか。

あの悲哀から、一ヶ月。
悲しみに明け暮れていた毎日だったが、ようやくにして"カレ"の居所を尋ねる余力が戻っていた。
自分ばかりが悲しいわけじゃない。
皆が等しく涙を流した。
だからこそ、欠伸が出そうなほど退屈で、他愛ない日常ばかりが続いたあの頃を、そろそろ思い出とする勇気を見せてもいいんじゃないかと。

だから僕は、来たんだ。
アッキーに連絡を取り、"カレ"がここに居ると知って。

「何を見ても驚くな。人間だと思うな。かつての面影を追うな」

アッキーの忠告に、頷こうにも固定されたように頭が動かない。
"カレ"に会いたいと願う僕を、そんな言葉で押し止めようとしてるのか、はたまたそれらすべては、あるべき事実でしかないのだろうか。
さすがに驚かせすぎたと思ったのか、アッキーが苦笑する。

「会うなと言ってるわけじゃない。それくらい、期待するなということだ」

「わ、わかった……」

期待するな。
すなわち、"カレ"は、いまだ狂気に囚われているのだ。



いくつかある離れの一つに、アッキーが案内してくれた。
比較的こじんまりとした建物は、外観は美しい日本家屋そのものなのに、近付くごとに異様なまでの臭気を発していた。
中に入ると、余計に臭いは酷くなった。
腐臭と汚臭の入り混じるえづきそうなまでの悪臭に、どうしても表情が歪む。
アッキーが心配そうに覗き込むなか、大丈夫だと無理矢理先へと促した。

部屋数は少なくて、廊下を少し歩いただけで、呆気なく"カレ"に辿り着く。
まずは、そのことに衝撃を受けた。
てっきり座敷牢のような場所に、閉じ込められてると思ってたから。
襖で仕切られただけのごくごく普通の和室は、日当たりがよく、暖かな日差しが縁側から注ぎ込んでいた。
簡単に外に出られる構造から、"カレ"を閉じ込める意思がないことを知った。

悪臭はいよいよもって激しかった。
さもあろう、発生源は"カレ"の住まうこの部屋なのだから。
大量のシミと食べ物の残骸で埋め尽くされた畳は、一部イグサが腐り果て、元の青さは欠片も残っていなかった。
かつては清潔さを誇っていただろう布団は、シミと黴とで染め上げられている。

明るい室内とはちぐはぐな環境に、胃の奥がグッとせりあがった。
こみあげる吐き気を口元を押さえやり過ごそうとする僕の背を、アッキーが優しく擦る。

「グッ、…ゴフ…」

「外に、」

「ら、らいじょうぶ……」

口内を満たすすっぱいものを、大量の唾液とともに奥へと押し戻す。
何度かえづきはしたもの、吐くまでにはいたらなかった。
あふれてくる生理的な涙を拭い、乱れる息を整え、そんなことをしてる間に嗅覚はマヒしていた。
人とは、実に適応力の高い生き物だ……。

そんな、人の嫌悪感をモロに刺激する場所で、僕はようやくにして"カレ"と再会したのだった。
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