泣血哀慟
白儿の屋敷と言うと仰々しく感じるが、ようはアッキーの実家だ。
初めて訪れたとき、アキにそう言われたのを思い出した。
当たり前のように人が住み、そこには普通の家と同じだけの生活感がある。
だからって、立派で荘厳というイメージから離れることはないけどね。
白儿が保有する土地は多々あるけど、彼らの持つ山には、他人はもちろん許可のない人間は立ち入れないという。
特に、生活の拠点ともいえる館の建つ山に連なるもう一方の山は、厳重に管理されてるという話だった。
それもそのはず。
そちらの山には、すべてのモノの主たる御方たちの眠る霊廟があるのだから。
僕もあのときに訪れた。
道々、整然と並べられた石畳、廟の立つ地は、顔が映るほどに磨かれた石が敷き詰められていたのを覚えている。
皆、その下に眠っているとアッキーが教えてくれた。
今は、二人ともそこに居る。
彼らの祖である、大勢の同胞らとともに。
あの日から、閉められたままの大門。
誰も寄せ付けず、また内に秘めたるモノを、外へと漏らさぬと宣言してるかのようだった。
重たい気持ちで、横に設けられた小さな出入口から中に入り、出迎えてくれた人に荷物を預ける。
二三言交わしてから、庭を眺めながらアッキーの元に向かうと伝えた。
心得たもので、出迎えの人はあっさりと承諾し、そのまま姿を消した。
僕の心情など、とっくに見破られているのだろう。
目的の座敷までは、結構時間がかかるだろう。
それくらい広い邸内を、僕はことさらゆっくりと移動した。
ここまで来て、僕はまだ迷っている。
裕輔さんも、きっとそう。
それゆえ、門を潜ることはしなかったのだろう。
彼が、二度と目覚めぬ眠りについた瞬間、"カレ"の心は砕けてしまった。
プライドもなにも投げ捨てて、最も憎む男に縋りつき、共に連れて行ってくれと、身も世もなく懇願していた"カレ"。
応えは、冷酷なまでの拒絶だった。
そうして完全に壊れた心は、"カレ"の鼓動を止めた。
誰も何もしなかった。
僕も……何もできなかった。
蘇生なんて言葉、浮かんですらこなかった。
そこに居た誰もが、"カレ"の死を、既に受け入れはじめていたのだ。
ああ、なんということだろう。
だというのに、"カレ"は還ってきた。
未練も何もない、苦しいだけの現世へと、自ら舞い戻ってきたではないか。
すぐに動き出す鼓動。
細いながらも、生きる証を示す呼吸。
決して自ら命を絶たぬと、その約束を守るため。
そのためだけに、"カレ"は死の淵から蘇ったのだ。
その代償は大きすぎるほどに、大きかったが。
◆
庭を眺めながら廊下を歩いてると、庭で遊ぶ初穂ちゃんを発見した。
初穂ちゃんは、藤村さんの息子さんだ。
本来ならご実家で養育されるべきところを、虚弱だったという理由で、空気のキレイな白儿の地で預ることになったらしい。
毎日のように、アキとそこらじゅう走り回ってたおかげか、今ではかなり健康になっている。
こんなときだから、実家か博人君のところに預けようとしたらしいけど、本人がどっちも嫌だと言い張ったそうだ。
「初穂ちゃん」
声をかけたら、初穂ちゃんが走り寄ってきた。
顔は泥で汚れていて、手も真っ黒だから、泥んこ遊びでもしていたのだろう。
冬だというのに、本当に元気だね。
初穂ちゃんは、縁あって僕が引き取った洸夜と、同じ年だ。
来年には、もう小学六年生になるのか……。
「こんにち、は。コウちゃんは、いないの?」
「ごめんね。洸夜は、博人おじさんのところに行ってるんだよ」
初穂ちゃんが、あっと口を開けた。
自分も誘われていたことを、思い出したのだろう。
休暇のたびに連れて来てたから、洸夜とはとても仲が良い。
他にも、博人君の息子さんである晃人君、初穂ちゃんの双子の弟である穂高君とも親しくしている。
「晃人君のおうち、なの…の…」
「うん。初穂ちゃんが来ないから、寂しがってたよ」
「あ、う、う、ごみん、なさい…の…」
「ううん、いいんだ。初穂ちゃんは、離れたくないんだよね」
「あい。せんせい、まつの……なの……」
言葉少なに"カレ"を想う初穂ちゃんに、眼の奥が熱くなる。
せんせいとは、"カレ"のことだ。
医師という職業柄、"カレ"をそう呼ぶ人は多い。
「そっか……僕も初穂ちゃんと一緒に、待ってもいいかな?」
「おととり(お泊り)するの?」
「うん、暫くごやっかいになろうと思ってるんだ」
「おばけ、いましゅよ」
「おばけ?」
「あい、おばけ、でましゅ」
ある時期から、初穂ちゃんは上手く喋れなくなった。
アキが、自分の影響かと落ち込んでいたけど、それは違うとキラキラ会一丸で否定したのだ。
初穂ちゃんは、幼い頃から実の父親が嫉妬するほど、アキの傍を離れなかった。
だけど、それまでの初穂ちゃんは、少し舌ったらずではあるものの、ちゃんと喋っていたのだ。
初穂ちゃんが変わったのは、いつからだろう。
軽く記憶を紐解いてみる。
アキラが最後に入院した頃、あの頃は普通だったように記憶している。
では、変わったのは、その後か……。
アキラの最後の入院から、彼が眠りにつくまでの期間。
不意に、なんの脈絡もなく、アキラが原因ではないかと思い至った。
アキラが何かをしたとか、そんなことではなく、アキラが何かを講じた結果が、初穂ちゃんの失語に繋がったのではないか、と。
今となっては、もう分からないことだけど。
「おばけかぁ……ちょっと怖いね」
夏に幽霊は定番だけど、冬にそんな話題が出るとは。
「だいじぶ。初穂が、おももりしてあげゆ(守ってあげる)」
「ありがとう。頼りにしてるよ」
「あい、初穂は、アキちゃまのでち(弟子)でしゅ。どーんでしゅ(どーんと任せて)」
常日頃から、アキのような戦士になりたいと言うだけあって、頼もしい限りだ。
頼りになる小さな戦士の頭を撫でて、僕はこの家の主の待つ座敷へと向かった。
初めて訪れたとき、アキにそう言われたのを思い出した。
当たり前のように人が住み、そこには普通の家と同じだけの生活感がある。
だからって、立派で荘厳というイメージから離れることはないけどね。
白儿が保有する土地は多々あるけど、彼らの持つ山には、他人はもちろん許可のない人間は立ち入れないという。
特に、生活の拠点ともいえる館の建つ山に連なるもう一方の山は、厳重に管理されてるという話だった。
それもそのはず。
そちらの山には、すべてのモノの主たる御方たちの眠る霊廟があるのだから。
僕もあのときに訪れた。
道々、整然と並べられた石畳、廟の立つ地は、顔が映るほどに磨かれた石が敷き詰められていたのを覚えている。
皆、その下に眠っているとアッキーが教えてくれた。
今は、二人ともそこに居る。
彼らの祖である、大勢の同胞らとともに。
あの日から、閉められたままの大門。
誰も寄せ付けず、また内に秘めたるモノを、外へと漏らさぬと宣言してるかのようだった。
重たい気持ちで、横に設けられた小さな出入口から中に入り、出迎えてくれた人に荷物を預ける。
二三言交わしてから、庭を眺めながらアッキーの元に向かうと伝えた。
心得たもので、出迎えの人はあっさりと承諾し、そのまま姿を消した。
僕の心情など、とっくに見破られているのだろう。
目的の座敷までは、結構時間がかかるだろう。
それくらい広い邸内を、僕はことさらゆっくりと移動した。
ここまで来て、僕はまだ迷っている。
裕輔さんも、きっとそう。
それゆえ、門を潜ることはしなかったのだろう。
彼が、二度と目覚めぬ眠りについた瞬間、"カレ"の心は砕けてしまった。
プライドもなにも投げ捨てて、最も憎む男に縋りつき、共に連れて行ってくれと、身も世もなく懇願していた"カレ"。
応えは、冷酷なまでの拒絶だった。
そうして完全に壊れた心は、"カレ"の鼓動を止めた。
誰も何もしなかった。
僕も……何もできなかった。
蘇生なんて言葉、浮かんですらこなかった。
そこに居た誰もが、"カレ"の死を、既に受け入れはじめていたのだ。
ああ、なんということだろう。
だというのに、"カレ"は還ってきた。
未練も何もない、苦しいだけの現世へと、自ら舞い戻ってきたではないか。
すぐに動き出す鼓動。
細いながらも、生きる証を示す呼吸。
決して自ら命を絶たぬと、その約束を守るため。
そのためだけに、"カレ"は死の淵から蘇ったのだ。
その代償は大きすぎるほどに、大きかったが。
◆
庭を眺めながら廊下を歩いてると、庭で遊ぶ初穂ちゃんを発見した。
初穂ちゃんは、藤村さんの息子さんだ。
本来ならご実家で養育されるべきところを、虚弱だったという理由で、空気のキレイな白儿の地で預ることになったらしい。
毎日のように、アキとそこらじゅう走り回ってたおかげか、今ではかなり健康になっている。
こんなときだから、実家か博人君のところに預けようとしたらしいけど、本人がどっちも嫌だと言い張ったそうだ。
「初穂ちゃん」
声をかけたら、初穂ちゃんが走り寄ってきた。
顔は泥で汚れていて、手も真っ黒だから、泥んこ遊びでもしていたのだろう。
冬だというのに、本当に元気だね。
初穂ちゃんは、縁あって僕が引き取った洸夜と、同じ年だ。
来年には、もう小学六年生になるのか……。
「こんにち、は。コウちゃんは、いないの?」
「ごめんね。洸夜は、博人おじさんのところに行ってるんだよ」
初穂ちゃんが、あっと口を開けた。
自分も誘われていたことを、思い出したのだろう。
休暇のたびに連れて来てたから、洸夜とはとても仲が良い。
他にも、博人君の息子さんである晃人君、初穂ちゃんの双子の弟である穂高君とも親しくしている。
「晃人君のおうち、なの…の…」
「うん。初穂ちゃんが来ないから、寂しがってたよ」
「あ、う、う、ごみん、なさい…の…」
「ううん、いいんだ。初穂ちゃんは、離れたくないんだよね」
「あい。せんせい、まつの……なの……」
言葉少なに"カレ"を想う初穂ちゃんに、眼の奥が熱くなる。
せんせいとは、"カレ"のことだ。
医師という職業柄、"カレ"をそう呼ぶ人は多い。
「そっか……僕も初穂ちゃんと一緒に、待ってもいいかな?」
「おととり(お泊り)するの?」
「うん、暫くごやっかいになろうと思ってるんだ」
「おばけ、いましゅよ」
「おばけ?」
「あい、おばけ、でましゅ」
ある時期から、初穂ちゃんは上手く喋れなくなった。
アキが、自分の影響かと落ち込んでいたけど、それは違うとキラキラ会一丸で否定したのだ。
初穂ちゃんは、幼い頃から実の父親が嫉妬するほど、アキの傍を離れなかった。
だけど、それまでの初穂ちゃんは、少し舌ったらずではあるものの、ちゃんと喋っていたのだ。
初穂ちゃんが変わったのは、いつからだろう。
軽く記憶を紐解いてみる。
アキラが最後に入院した頃、あの頃は普通だったように記憶している。
では、変わったのは、その後か……。
アキラの最後の入院から、彼が眠りにつくまでの期間。
不意に、なんの脈絡もなく、アキラが原因ではないかと思い至った。
アキラが何かをしたとか、そんなことではなく、アキラが何かを講じた結果が、初穂ちゃんの失語に繋がったのではないか、と。
今となっては、もう分からないことだけど。
「おばけかぁ……ちょっと怖いね」
夏に幽霊は定番だけど、冬にそんな話題が出るとは。
「だいじぶ。初穂が、おももりしてあげゆ(守ってあげる)」
「ありがとう。頼りにしてるよ」
「あい、初穂は、アキちゃまのでち(弟子)でしゅ。どーんでしゅ(どーんと任せて)」
常日頃から、アキのような戦士になりたいと言うだけあって、頼もしい限りだ。
頼りになる小さな戦士の頭を撫でて、僕はこの家の主の待つ座敷へと向かった。