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泣血哀慟

伴侶が奪う、最期の息吹。
お互いが、お互いしか映さぬ双眸。
やがて彼の瞳は閉ざされゆく。
ゆっくりと。
それはまるで、眠らんとするかのようで。
その眠りから目覚める日は、もう、こない。永遠に――



東峰当主の突然の訃報に、世の中は一時騒然としていた。
それは財閥トップの死というには、あまりにも異例すぎる騒ぎだった。
それほどに、東峰は大きすぎたのだ。
そしてそれ以上に、東峰雅人という光が、強すぎた結果だった。

記者会見は、御船さんが行った。
当時のおぼろげな記憶では、交通事故、即死、そして密葬ということを話していたと思う。
記者からの質問を、厳しい表情で拒絶してみせたのが、印象的だった。

葬儀は菩提寺で即刻執り行われたという。
喪主を務めたのは、東峰さんの実弟である博人君だったそうだ。
裕輔さんも参列したと、後から聞いた。
藤村さんは、その後の告別式に参列したと聞いている。

とても、おかしな気分だった。
皆が訪れたその場所に、東峰さんはいないというのに。
彼は、いない。そこには、いないのに。

東峰さんは、あの日からずっと、彼の傍にいる。
一瞬でも離れることを許さず、彼とともに眠ると決めたあのときから、ずっと、ずっと、片時も離れることなく。

二人の見送り人は、僕とアッキーとアキ、そして裕輔さんと藤村さん、それから、彼らの同胞たち数人だった。
アーちゃんは……とても参列できる状態ではなかった。

二人を収めた棺は、それに見合うほどに大きい。
だけどあっという間に燃え尽きて、あとは灰ばかりになった。
灰と、骨と、それでも離れたくないと嘆く二人を、アッキーたちが一つの壷に収めてゆく。
僕は、途中で立っていられなくなった。
アキは、そんな僕を、支えてくれていた。

あんなに大きかった人が、小さな壷に入っているのが、不思議だった。
こんなに小さいと、彼をぎゅうぎゅうに抱き締めないとしんどいんじゃないかな。
「きついです」とか「あなたが無駄に大きいから悪いんです。もっと縮みなさい」とか、言われてたら気の毒だなぁ……。

自然と浮かぶ二人のやり取りに、頬がひくひくと震えた。
あの二人のことだから、これからもわけの分からない言い合いを続けそうだ。
ああ、でも、東峰さんのことだから、無理矢理黙らせちゃうかな。
いつもいつも、それで誤魔化されるって愚痴ってたし……。

「ふ……ッ、ふ、」

ああ、どうしよう。
こんなときだというのに、笑いが止まらない。
あの二人が悪いんだ。
いや、もっぱら彼のせいだよね。
真剣な場面で、いつもいつも突拍子もない言動をするから、だからいつだって空気が一変してしまう。

ああ、どうしよう、どうしよう。
怒られる。呆れられる。
こんなときに笑うなんてと、皆に責められる。
どうしよう……。

「アッくん」

アキがポケットから白いハンカチを取り出した。
いきなり僕の顔に当て、ギュッと目元を押さえてくる。
痛いよ、アキ。
何をしてるの?

「いいの、いいのよ。いまは、いいの。いっぱい、なくの、するのよ」

「アッ……うっ、ふっ……」

アキと呼びたかったのに、漏れ出たのは嗚咽だった。
アキの白いハンカチに、見る間に染みができてゆく。
それが自分のせいだなんて思考は、もう働かない。
まともに立っていられなくなって、とうとう裕輔さんに抱き止められた。
抱き締める両腕は、震えている。
なのにその力は激しい。
骨も折れろといわんばかりの強さに、痛くて苦しいはずなのに、もっともっととねだる心に喘いだ……。



一月も過ぎると、世間はかなり静かになっていた。
東峰さんの急死から次期当主へと移った話題は、派閥争い、権力争い、骨肉の争い、という文字を無駄に踊らせただけで、存外早くに決着したのだ。
比較的スムーズに、全権は博人君に移行された。
あまりのソツのなさに、まるで死を予期し準備していたかのようだと、どこぞの大衆紙が書いていたけど。

とはいえ、これにて東峰の話題は収束した。
いずれ東峰雅人は、過去の人物となるだろう。
それが、生きるということだから……。

東峰雅人の生き方は、僕には理解不能だった。
死を選ぶことも、それを彼が許した、いや、求めたことも、僕には生涯理解できないだろう。
でも、それもまた、黙して受け入れるしかない。
その昔、彼ら闇のモノたちを受け入れたように。

「ありがとう、裕輔さん。ここまででいいよ」

「一人で大丈夫か?」

「うん、大丈夫。暫く帰らないけど、お仕事がんばってくださいね」

「帰りたくなったら、連絡してくれ。迎えに来る」

「はい」

助手席のドアを閉めるとき、一瞬だけ、痛ましげに屋敷を見つめる裕輔さんの瞳とぶつかった。
何ごともなかったように逸らされる視線に、僕も見なかったフリをする。

「気が済むまで居たらいい。洸夜のことは心配するな」

「はい」

車はUターンし、元来た道を戻って行く。
いまだ忙しい身なのに、僕を送るためだけに車を走らせてくれたのだ。

「ふう、久しぶりだな……」

白儿の屋敷を隠すようにして建つ門扉の前で、一度大きく深呼吸する。
ここに来るのは、一ヶ月振りだ。
最後の訪れは、二人の見送りのとき。
あれから、まだ一ヶ月……ようやく、一ヶ月……。

彼らの時間は永遠に止まったというのに、僕たちの時は、こうして流れてゆくのだ。
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