泣血哀慟-後日談-
自分の面をじっくりと拝むのは、実に数ヶ月ぶりのことだった。
肉がごっそり削げ落ちていた頬は、今ではかなりマシになっている。
へこんだ眼窩もほぼ元通りで、目の下のクマも消えていた。
積もり積もった垢を落とし、元の顔色を取り戻して、髭もスッキリ。
食生活のおかげか、お肌の状態もそう悪くはない。
つまり鏡には、一般レベルならそこそこイケメンの部類に入る30代の男が映ってるというわけだ。
じゃあ、これで完全元通りかというと、そういうわけにはいかなかった。
「バンドでも組んだらどうだ?」
鏡面前で佇む俺に、とんでもない提案をしてきたのは、アッキー。
現在お世話になっている、白儿家のご当主様だ。
口調に抑揚がなさすぎて、ジョークなのかマジなのか、さすがの俺でも見極めが難しいところだな。
「この年でですかー?」
「なんとかいうのがあったじゃないか。そういうのを面白おかしく懐かしむ世代だろ?」
だぶん、ビジュアル系のことを言ってるのだろう。
ちなみに、俺よりも、ずっと上の世代で大人気でしたから。
「俺がおっさんだって言いたいの? もしかしてジジイって言われてるのか? つか、お前のほうが年上じゃねぇか!!」
「怒鳴る体力があるなら大丈夫だな。そろそろお引取り願おうか」
「オニ……」
「まさしく鬼の大将だが、それが何か?」
誰だよ、こいつにうまい切り返しなんか教えたやつは。
「と、冗談はさておき、いいかげん茜殿には、連絡を入れたらどうだ」
「冗談、あ、そう、冗談なのね」
アッキーさんのことだから、本気で追い出す気かと焦っちゃった。
「心配しておられたぞ」
「ふうん。あんなんでも一応親だしね、心配くらいはするか」
「心労のあまり、ここ数ヶ月で5キロ落ちたそうだ」
「それ、普通にダイエット成功」
何、アッて顔してんだよ!
「50キロと聞き間違えた、…か?」
「それだとマイナスだからね。消えちゃうからね」
また、アッて顔しやがったが、ここでようやくアッキーさんも察したらしい。
「からかわれたか……」
「あの人も通常運転なようで、ある意味ホッとしたよ」
「やはり貴様ら一族とは、相容れない……」
「一括りにするな。他が気の毒だ」
などと、俺たちの通常運転ともいえる掛け合いをしながらも、俺の視線は鏡の中の自分に釘付けだった。
一度心臓が止まった弊害か、はたまた数ヶ月の不摂生が原因なのか、とにかく俺の頭髪は見事なまでに白くなっている。
まだ36だってのに、それこそ一本残らず全部が全部真っ白なんだぜ。
アッキーではないが、これではビジュアル系と言われたら言い返せない。
「いや、待てよ」
どっちかってぇと……、
「コスコスーなの」
「それを言うなっ」
とうとう万人に受け入れられてしまったオタク文化の一つ、コスプレ。
初穂に言われるまでもなく、今の俺はまんまレイヤーではないか。
しかも白髪とか、中ニ病患いすぎでしょ。
ちょっとマジ勘弁してくださいよ。
「せんせい、コスコスーよ」
「二度も言うなっ」
さっきから痛いところを突きまくってくるのは、白儿家の養い子、初穂だ。
アッキーの後ろに隠れてキャッキャ笑う姿が、どことなく藤村を連想させる。
姿形は似てなくて、むしろアッキーの子供だろってくらい地味で平凡な顔のくせに、やはりこういうところは親子だな。
「ガキは、とっとと寝ろ」
「あいあい」
「あいあいじぇねーよ。学校始まったら苦労するぞ」
「あいあい」
小学校の入学式はもう間もなく。
つっても、小六になる初穂には関係ないが、始業式と入学式は同日だから、いいかげん春休みの生活習慣は変えないといけない。
親でもない俺が心配することじゃねぇけどな。
夜が更けきっても元気ハツラツ初穂に業を煮やしたか、アッキーが半ば強引に部屋へと連れ戻した。
無理矢理ベッドに押し込んで消灯、それだけで、あっという間もなく初穂は寝息をたてた。
結局眠かったんかい。
初穂を寝かしつけたあとは、俺も布団かなと思いきや、アッキーが別室へと誘ってくる。
もちろん断る気はさらさらなくて、素直についてゆけば、座敷には膳が用意されていて、今が旬の鰹が酒のお供にと饗されていた。
「あれ、酒解禁?」
「いいかげん、飲みたいだろう」
「そりゃあね」
病人食は卒業したが、どこをとっても健康第一な食事が続き、かなり鬱憤が溜まってたところだ。
そろそろ切れる算段をしてたところでの酒解禁、しかも刺身付きとは、絶好のタイミングと言っていいだろう。
アッキーのこういうところがたまに鼻につくが、今夜ばかりはありがたかった。
アッキーとの呑みに、猪口なんて野暮な物は使わない。
いつだって一升瓶にコップ酒ってのがルールだ。
久しぶりだってのに、今回もそれに則り手の平サイズのグラスが置かれていた。
お互い手酌で並々注いだら軽くグラスを掲げ、あとは好き勝手飲み更ける。
「淵とは、どんなものだ?」
「なに? 感想でも聞きたいの?」
「俺には無縁のものだからな、興味はある」
「確かにお前は堕ちないね。でも残念。俺も堕ちてないから、たいした報告はできないよ」
えっと顔を上げた相手に、ほくそ笑む。
アッキー的には、多少なりともやり込めたい気持ちがあったのだろう。
だが残念なことに、正気を失っていた期間は、俺の暗部となり得ないのだ。
主を喪い狂うなど、それは周囲からみれば呪いのようであろう。
しかも正気に戻った守人がいないとなれば、ますます呪い染みてくる。
が、当人にとってはそう言い切れるものではなかった。
そもそも守人は、自らの意思で狂ってやがるんだからな。
いや、微妙に違うか。
そもそもからして守人は、狂ってるわけじゃねーし。
慕う相手を喪った哀しみに絶望し、嘆いてるにすぎないんだ。
嘆きは眼を閉じさせ、判断を鈍らせる。
そうなると、普通ならば避けて通る危険な道も、知らず突き進んでしまうのだ。
行き着く先は崖っぷち、塞いだ眼では判断つかず、あとは真っ逆さまに暗闇へと落ちて行くだけ。
俺も例外なく落ちた。
狂気の縁を歩き、足を滑らせた。
だが過去のお人と違ったのは、落ちたと同時にうっかり手を伸ばしたことだ。
辛うじてぶら下がるにとどめた俺は、だからといって這い昇る意思はなく、宙ぶらりんのまま力尽きるのを待っていた。
そんな俺の腕を掴んだのはアッくんで、引き上げるのに手を貸したのは、初穂。
そして、それらすべてをお膳立てしたのが……。
情けない。
いつでも俺は、どっちつかずもいいところだ。
優柔不断で選択を他者に委ねがちで、今回もその法則に従った。
「そういえば、お前は初穂のこと知ってたのか?」
まさかと、アッキーが口にする。
そこに嘘偽りはなかった。
存外、一番驚いているのは、アッキーかもしれない。
俺もかなり驚いた。
あいつで最後となるはずが、まさか初穂という次代が生まれていたとは。
いや、次代とは呼べないか。
なぜなら初穂は、何も受け継いでいないから。
本人が語ったように、あれは空っぽの器でしかない。
「記憶がないわりに、そういうことは憶えているのか」
「記憶がないのはホントだよ。でも、あの日のことはなんとなく憶えてる。アッくんに、えらい迷惑かけちゃったことも……」
「片や、こうなることを見越し、片や、別のことを見越して、双方ともが渡辺を愛寵した……」
反論の余地のない言葉が、耳に刺さる。
ああそうだよ。俺はアッくんに、大いに期待していた。
初めから、利用するつもりでいたんだ。
そのために散々甘やかし、俺に依存させてきたと言っても過言じゃない。
アッくんには、耐えられないはずだった。
無意味な生に縋り付き無様な姿を晒す俺に、いずれアッくんこそが苦しみもがく嵌めになる。
そうして、いつかは俺に情けをかけると確信していた。
俺たちの理を知りながら、ナニモノにも束縛されない彼になら、それができる。
現に彼は、俺を殺そうとしたじゃないか。
俺の目論見通りに、動こうとしたじゃないか。
ギリギリでの翻意とは、まさに裏切られた気分だが、不思議と無念とまでは思わなかった。
なんのことはない、俺はアッくんに裏切られたのではなく、アキラに負けただけなんだからな。
アッくんが最終的に選んだのはアキラであり、アキラのために俺を切り捨てる決意をしたってだけのことだ。
敗因は分かっている。
俺とアキラの真意の所在だ。
俺にとってのアッくんは、望みを叶える道具にすぎず、アキラにはそうではなかった。
それだけのこと。
肉がごっそり削げ落ちていた頬は、今ではかなりマシになっている。
へこんだ眼窩もほぼ元通りで、目の下のクマも消えていた。
積もり積もった垢を落とし、元の顔色を取り戻して、髭もスッキリ。
食生活のおかげか、お肌の状態もそう悪くはない。
つまり鏡には、一般レベルならそこそこイケメンの部類に入る30代の男が映ってるというわけだ。
じゃあ、これで完全元通りかというと、そういうわけにはいかなかった。
「バンドでも組んだらどうだ?」
鏡面前で佇む俺に、とんでもない提案をしてきたのは、アッキー。
現在お世話になっている、白儿家のご当主様だ。
口調に抑揚がなさすぎて、ジョークなのかマジなのか、さすがの俺でも見極めが難しいところだな。
「この年でですかー?」
「なんとかいうのがあったじゃないか。そういうのを面白おかしく懐かしむ世代だろ?」
だぶん、ビジュアル系のことを言ってるのだろう。
ちなみに、俺よりも、ずっと上の世代で大人気でしたから。
「俺がおっさんだって言いたいの? もしかしてジジイって言われてるのか? つか、お前のほうが年上じゃねぇか!!」
「怒鳴る体力があるなら大丈夫だな。そろそろお引取り願おうか」
「オニ……」
「まさしく鬼の大将だが、それが何か?」
誰だよ、こいつにうまい切り返しなんか教えたやつは。
「と、冗談はさておき、いいかげん茜殿には、連絡を入れたらどうだ」
「冗談、あ、そう、冗談なのね」
アッキーさんのことだから、本気で追い出す気かと焦っちゃった。
「心配しておられたぞ」
「ふうん。あんなんでも一応親だしね、心配くらいはするか」
「心労のあまり、ここ数ヶ月で5キロ落ちたそうだ」
「それ、普通にダイエット成功」
何、アッて顔してんだよ!
「50キロと聞き間違えた、…か?」
「それだとマイナスだからね。消えちゃうからね」
また、アッて顔しやがったが、ここでようやくアッキーさんも察したらしい。
「からかわれたか……」
「あの人も通常運転なようで、ある意味ホッとしたよ」
「やはり貴様ら一族とは、相容れない……」
「一括りにするな。他が気の毒だ」
などと、俺たちの通常運転ともいえる掛け合いをしながらも、俺の視線は鏡の中の自分に釘付けだった。
一度心臓が止まった弊害か、はたまた数ヶ月の不摂生が原因なのか、とにかく俺の頭髪は見事なまでに白くなっている。
まだ36だってのに、それこそ一本残らず全部が全部真っ白なんだぜ。
アッキーではないが、これではビジュアル系と言われたら言い返せない。
「いや、待てよ」
どっちかってぇと……、
「コスコスーなの」
「それを言うなっ」
とうとう万人に受け入れられてしまったオタク文化の一つ、コスプレ。
初穂に言われるまでもなく、今の俺はまんまレイヤーではないか。
しかも白髪とか、中ニ病患いすぎでしょ。
ちょっとマジ勘弁してくださいよ。
「せんせい、コスコスーよ」
「二度も言うなっ」
さっきから痛いところを突きまくってくるのは、白儿家の養い子、初穂だ。
アッキーの後ろに隠れてキャッキャ笑う姿が、どことなく藤村を連想させる。
姿形は似てなくて、むしろアッキーの子供だろってくらい地味で平凡な顔のくせに、やはりこういうところは親子だな。
「ガキは、とっとと寝ろ」
「あいあい」
「あいあいじぇねーよ。学校始まったら苦労するぞ」
「あいあい」
小学校の入学式はもう間もなく。
つっても、小六になる初穂には関係ないが、始業式と入学式は同日だから、いいかげん春休みの生活習慣は変えないといけない。
親でもない俺が心配することじゃねぇけどな。
夜が更けきっても元気ハツラツ初穂に業を煮やしたか、アッキーが半ば強引に部屋へと連れ戻した。
無理矢理ベッドに押し込んで消灯、それだけで、あっという間もなく初穂は寝息をたてた。
結局眠かったんかい。
初穂を寝かしつけたあとは、俺も布団かなと思いきや、アッキーが別室へと誘ってくる。
もちろん断る気はさらさらなくて、素直についてゆけば、座敷には膳が用意されていて、今が旬の鰹が酒のお供にと饗されていた。
「あれ、酒解禁?」
「いいかげん、飲みたいだろう」
「そりゃあね」
病人食は卒業したが、どこをとっても健康第一な食事が続き、かなり鬱憤が溜まってたところだ。
そろそろ切れる算段をしてたところでの酒解禁、しかも刺身付きとは、絶好のタイミングと言っていいだろう。
アッキーのこういうところがたまに鼻につくが、今夜ばかりはありがたかった。
アッキーとの呑みに、猪口なんて野暮な物は使わない。
いつだって一升瓶にコップ酒ってのがルールだ。
久しぶりだってのに、今回もそれに則り手の平サイズのグラスが置かれていた。
お互い手酌で並々注いだら軽くグラスを掲げ、あとは好き勝手飲み更ける。
「淵とは、どんなものだ?」
「なに? 感想でも聞きたいの?」
「俺には無縁のものだからな、興味はある」
「確かにお前は堕ちないね。でも残念。俺も堕ちてないから、たいした報告はできないよ」
えっと顔を上げた相手に、ほくそ笑む。
アッキー的には、多少なりともやり込めたい気持ちがあったのだろう。
だが残念なことに、正気を失っていた期間は、俺の暗部となり得ないのだ。
主を喪い狂うなど、それは周囲からみれば呪いのようであろう。
しかも正気に戻った守人がいないとなれば、ますます呪い染みてくる。
が、当人にとってはそう言い切れるものではなかった。
そもそも守人は、自らの意思で狂ってやがるんだからな。
いや、微妙に違うか。
そもそもからして守人は、狂ってるわけじゃねーし。
慕う相手を喪った哀しみに絶望し、嘆いてるにすぎないんだ。
嘆きは眼を閉じさせ、判断を鈍らせる。
そうなると、普通ならば避けて通る危険な道も、知らず突き進んでしまうのだ。
行き着く先は崖っぷち、塞いだ眼では判断つかず、あとは真っ逆さまに暗闇へと落ちて行くだけ。
俺も例外なく落ちた。
狂気の縁を歩き、足を滑らせた。
だが過去のお人と違ったのは、落ちたと同時にうっかり手を伸ばしたことだ。
辛うじてぶら下がるにとどめた俺は、だからといって這い昇る意思はなく、宙ぶらりんのまま力尽きるのを待っていた。
そんな俺の腕を掴んだのはアッくんで、引き上げるのに手を貸したのは、初穂。
そして、それらすべてをお膳立てしたのが……。
情けない。
いつでも俺は、どっちつかずもいいところだ。
優柔不断で選択を他者に委ねがちで、今回もその法則に従った。
「そういえば、お前は初穂のこと知ってたのか?」
まさかと、アッキーが口にする。
そこに嘘偽りはなかった。
存外、一番驚いているのは、アッキーかもしれない。
俺もかなり驚いた。
あいつで最後となるはずが、まさか初穂という次代が生まれていたとは。
いや、次代とは呼べないか。
なぜなら初穂は、何も受け継いでいないから。
本人が語ったように、あれは空っぽの器でしかない。
「記憶がないわりに、そういうことは憶えているのか」
「記憶がないのはホントだよ。でも、あの日のことはなんとなく憶えてる。アッくんに、えらい迷惑かけちゃったことも……」
「片や、こうなることを見越し、片や、別のことを見越して、双方ともが渡辺を愛寵した……」
反論の余地のない言葉が、耳に刺さる。
ああそうだよ。俺はアッくんに、大いに期待していた。
初めから、利用するつもりでいたんだ。
そのために散々甘やかし、俺に依存させてきたと言っても過言じゃない。
アッくんには、耐えられないはずだった。
無意味な生に縋り付き無様な姿を晒す俺に、いずれアッくんこそが苦しみもがく嵌めになる。
そうして、いつかは俺に情けをかけると確信していた。
俺たちの理を知りながら、ナニモノにも束縛されない彼になら、それができる。
現に彼は、俺を殺そうとしたじゃないか。
俺の目論見通りに、動こうとしたじゃないか。
ギリギリでの翻意とは、まさに裏切られた気分だが、不思議と無念とまでは思わなかった。
なんのことはない、俺はアッくんに裏切られたのではなく、アキラに負けただけなんだからな。
アッくんが最終的に選んだのはアキラであり、アキラのために俺を切り捨てる決意をしたってだけのことだ。
敗因は分かっている。
俺とアキラの真意の所在だ。
俺にとってのアッくんは、望みを叶える道具にすぎず、アキラにはそうではなかった。
それだけのこと。