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泣血哀慟

常人ならば、とうに立てなくなってるだろうに、アーちゃんの足取りは僕よりもしっかりしていた。
人並みはずれた強靭さも、継埜守人の特性なのか。
それでも、この数ヶ月の生活は確実にアーちゃんを弱らせている。
途中何度も膝を折り手をついては土に塗れ、それでも主の元に向かう後姿を僕は必死で追いかけた。
そして例の石段に着いたころには、僕のほうこそ息も絶え絶えだったのだ。

僅かに先行していたアーちゃんは、階段の途中で伏せていた。
まさか力尽きたのかと焦ったところで、石段を降って来る初穂ちゃんに気づく。
先回りしていたのだろう初穂ちゃんは、アーちゃんに駆け寄ると心配そうに覗き込んだ。

それを待っていたかのように、アーちゃんが動く。
それはあまりにも衝撃的な光景だった。
屈んだ初穂ちゃんの喉元を、アーちゃんの無骨な右手が捕らえたのだから。
数ヶ月も絶食に近かったとは思えぬほどの早業で、幼子の急所を押さえたアーちゃんは狂気の笑みを浮かべていた。

「テメェ殺せば、あの鬼も、さすがに怒り狂うか」

まともに話す彼は、本当に久しぶりだった。
いや、これをまともと言えるかは分からない。
狂った様で、潰れた喉を酷使する彼を、アーちゃんだと言い切れる自信がなかったから。
そこに居るのは、継埜守人にも高橋昭にもなれなかったモノだ。
僕がこの手で叩き壊したモノが、自らの命を散らす策を講じたのだった。

もしも初穂ちゃんを殺したら、アッキーは怒り狂うだろうか。
藤村さんは、激昂するだろうか。
アキは、赦さないだろうか。

アーちゃんの取った手段は、もっとも有効に思えた。
子供を殺されて、冷静でいられる親は少ないだろう。
しかも初穂ちゃんには、親が三人いるようなものなのだ。

明確な脅しを受けた初穂ちゃんは、何が起きたか分からないのか、きょとんとアーちゃんを見返していた。
命乞いとまではいかなくとも、せめて泣いたり驚いたりしてくれたら、僕の身体は反応していたかもしれない。
怯える初穂ちゃんを微かでも察知できたら、二人の元まで駆け上がり、初穂ちゃんを助け、アーちゃんを置き去りに、この場を去っていたかもしれないのに。

「初穂ちんだら、パパも父上も、アキちゃまも、なくの」

「……」

「みんな、なくの」

「……」

「それだけよ。初穂ちんだら、なくの。それだけなの」

「……」

「先生は、死なないよ。初穂死んでも、死ねないよ」

微笑みながら残酷なことを告げる初穂ちゃんに、怯えの色はなかった。
この子は、分かっていないんじゃない。
むしろ誰よりも状況を理解し把握し、統べている。

「なんだそりゃ……。だったら、初穂は、死に損じゃねぇか……」

「そうなの。初穂死にぞ……ちがうのよ。先生、殺し損なのよ」

「俺が、損するのか」

「そうなの。損なの、先生だけなのよ」

「俺だけ……」

初穂ちゃんを縛っていた右手が、力なく落とされた。
絶望ゆえか、深く項垂れるアーちゃんから、狂気の色が急速に衰えてゆく。
そして始まる、静かなる狂気が。

結局、キミの行き着く先はそこなのか。
否。
僕は、キミがこのまま息絶えることを望む。
僕は、キミがこのまま壊れきることを望む。
僕は、終わりの先が見たい。
終焉と終演を、キミは受け入れるべきなのだ。

だって、居るじゃないか。
それを与えるモノが、すぐそこに居るではないか。
キミは、気づいていなかったの?

僕は、知らなかった。
今の今まで、何も。
ああ、感じる。
彼と同じ匂いを、彼と同じ慈愛を、彼と同じ無関心を、彼と同じ……恐怖を――僕は、この身に感じ取っているよ。

震える膝が、勝手に地面を踏んでいた。
情けなくも腰を沈める僕を、初穂ちゃんが能面のような顔で一瞥する。
彼を彷彿とさせる瞳。
周囲のすべてを凍りつかせるその視線に、僕の体は奮い立つ。
彼が与えてくれた役を、僕は最後まで演じなければならないのだ。

「は、初穂ちゃん、キミは、彼に、何を託されたんだ!?」

こちら側にいる僕は、いつだって問うしかない。
分からないことだらけで、分かろうともしないけど、それでも、そこが僕の立ち位置なのだから。

「何……? 何も……何も、ないよ。初穂は、空っぽだもの」
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