泣血哀慟
僅かな期待のもと、反応を待ってみた。
やはり呟くだけのキミに、不思議と僕の口元が綻んでゆく。
このまま力を入れたら、ほどなくキミは眠るだろう。
永遠の安らぎを、キミに与えてあげられる。
もう苦しむことはない。
肉体の苦痛に、喘ぎ涙することはないんだ。
アキラの傍に、いけるんだよ……。
「いま、楽に、してあげるね……」
怖くはなかった。
むしろ誇らしくさえある。
キミを楽にしてあげられるのは僕だけなんだと、そう考えると嬉しくて堪らない。
長く苦しめたくはない。
できるだけ早く、終わらせてあげよう……。
両指の力を増す。
呼吸のたびに上下する喉元に、キミの生が垣間見えた。
苦しいだけの、生が。
「っ、……ッ、」
止まらない呟きに、グッ、フっ、と呻く息吹が重なった。
その瞬間、僕の身体は凍りつき、恐怖ゆえの絶叫が唇を割り裂く。
「あ、……あ、ああああああ――!!」
それは幻聴かもしれない。
たんなる思い過ごしかもしれない。
とっくに、僕も壊れていたのかもしれない。
それでも僕の耳は、はっきりと捉えたのだ。
キミの呟きが、僕にはちゃんと聴こえたんだよ。
「ぼ、僕は、僕はっ、」
なんてことをしようとしてたんだ――!
後悔より先に、いまだアーちゃんの首に絡まる指を外そうとした。
なのに震え固まった指は、僕の意思に反してなかなか動かない。
指なんか、折れてもいい。
早く、早くアーちゃんを解放するのだ。
ああ、なんてことだ。
ここにきて、ここまできて、ようやく僕は、キミたちに辿り着けた。
遅すぎた。
いや、まだ間に合う。
まだ、彼の命は、ここにあるじゃないか。
ようやく外れた両指は、ガタガタと震えていた。
否、瘧にでもかかったように全身に怖気が走っている。
命を断ち切ろうとしたことへの恐怖は、いまもってなかった。
あるのは強い罪悪感と、過ちを起こしかけたことへの怯えだ。
僕はまた、思い違いをしていた。
ずっと、ずっと、アーちゃんが狂うのは、当然だと決め付けていたのだ。
とんでもない過ちだった。
どうして忘れていたのだろう。
キミが意地悪だということを、嘘つきだということを、どうして今の今まで忘れてしまっていたのだろう。
「ふ、ふふふ、あははは」
僕は、何度騙されたら気が済むのだろうか。
「アーちゃん、ようやく分かったよ……」
たった今、僕に殺されかけた相手は、相変わらず天井を眺めていた。
その瞳に何も映っていないのは、承知だ。
それでも言葉にせずにいられない。
これから口にすることが、どれほどアーちゃんを傷つけるか分かっていて、それでも止める意志を僕は持たない。
「キミは、狂ってなんかいないんだ。また、騙されるところだったよ」
◆
どうして気づかなかった。
どうして気づけなかった。
キミが求めているモノは、主なんかじゃないってことを。
キミは、雪客なんか求めてないんだ。
そんなモノ、キミにはどうだっていいんだよ。
佐藤晃と高橋昭の間に、主従なんてないのだから。
そもそもアーちゃんは、異端だ。
その昔、アーちゃん自身が語ってくれたことであり、その所以は彼の育ちにあるらしい。
だが、ふと思う。
アキラは、どうなんだろうか、と。
僕は、アキラ以外の雪客を知らない。
でも、アキラは言ってたじゃないか。
記憶を伝える想いがないって。
それってきっと、おかしいんだよ。狂ってるんだよ。
過去の雪客たちは、皆それに囚われていたのに、アキラだけがそうじゃなかったなんて、異端の最たるモノじゃないか。
そうだ。
彼らの理は、初めから狂ってたんだ。
それだけじゃない。
東峰さんだって、きっと狂っていた。
三人が三人とも異端であったことが、大きな矛盾を呼んでしまったんだ。
「いつまで狂ったフリを続けるの? 自分が守人じゃないってことくらい、とっくに自覚してるんでしょ!?」
アーちゃんが継埜守人でないように、アキラもまた雪客ではなかった。
いや、逆か。
もしかしたらアキラこそが、雪客としての正しい姿だったのではないだろうか。
だからこそ、何にも囚われずにいた。
では、継埜守人が守人でないことも、正しい姿なんだろうか。
随分と矛盾している。
だけど、間違ってはいないと信じたい。
だって、アーちゃんは継埜守人としては不完全で、だけど、アキラの守人としては正しい存在なんだから。
「守人になれなかった自分を、そうやって責め続けるつもり!?」
継埜守人は、雪客の死をもって狂死するが運命。
この理から逃れた守人は、誰一人としていないという。
これまでは。
アキラが己の枷を振り切ったように、アーちゃんだって、この呪縛を断ち切ることができるはずなんだ。
だって、アーちゃんは、守人じゃないから。
アキラを愛しただけだから。
だって、アーちゃんは、守人としてもっとも正しい形だから。
雪客を求め嘆き悲しんだりしないから。
大いなる矛盾は、かつてないほどの秩序を齎す、はずだった……。
「いまさらそんなことして、どうなるんだよ!?」
諦めることを選んだのはキミだ。
キミだけなんだよ。キミが、キミだけが。
逃げて、逃げて、その先で守人と成ったキミに、運命に殉ずる資格などあるはずがないのだ。
それでも続けるのか?
それが、アキラへの愛だとでも言うのか?
そこには、何もないじゃないか。
恋の歓びも輝きも、切なさや哀しみですら遠くへと追いやったキミが、いまさらアキラを求めるなんて、ズルイよ。
彼に、気づかせるべきだったのだ。
異端だと言うのなら、誰かがそれに言及すべきだった。
誰か……否、これこそが、僕に与えられた役割ではあるまいか。
「逃げるために守人を選んだキミが、守人になれないのは当たり前のことじゃないかっ」
ほんの一瞬、アーちゃんがこちらを見た。
濁った白目で、意思というものを感じさせない瞳で。
本当に僅かな時間だけ、彼の視線と僕の視線はぶつかったのだ。
「ア、アー、ちゃ……」
直後、静かな狂気は純然たる狂気に転じる。
そこに居たのは、ただの狂人だった。
枯れた声帯を震わせて、下卑た哂いを披露する、狂人。
狂人は、骨と皮ばかりの躰を仰け反らせ、今度は弾かれたように前へと戻し、全身で僕を嘲笑っていた。
嫌らしく歪む唇からは、泡混じりの涎がひっきりなしに滴り落ち、しわがれたケタケタ哂いが僕の不快感を煽ってゆく。
「アー……ちゃん……」
失敗した?
僕は、間違えたのか?
僕が、彼を、壊してしまった……?
期待と落胆を、幾度となく繰り返してきた。
きっと、これが最後となるだろう。
お仕舞いだ。
これですべて終わったのだ。
自分が招いた結末に、後悔はなかった。
ただただ、呆気ない。
いつでも周囲を翻弄してきたキミが、こうも容易く壊れるなんて……。
より一層狂気を帯びたアーちゃんが、いつものようにアキラの元へと向かう。
その行為が、守人としてあるためなのか、高橋昭の恋心ゆえなのか、僕には判別できなかった。
どちらにしろ、痛々しい背中を見送るのも、今日で終わりだ。
だから、僕も同行しよう。
キミの最後を見届けよう。
アキラと向き合う空っぽのキミに、失望するのだ。
やはり呟くだけのキミに、不思議と僕の口元が綻んでゆく。
このまま力を入れたら、ほどなくキミは眠るだろう。
永遠の安らぎを、キミに与えてあげられる。
もう苦しむことはない。
肉体の苦痛に、喘ぎ涙することはないんだ。
アキラの傍に、いけるんだよ……。
「いま、楽に、してあげるね……」
怖くはなかった。
むしろ誇らしくさえある。
キミを楽にしてあげられるのは僕だけなんだと、そう考えると嬉しくて堪らない。
長く苦しめたくはない。
できるだけ早く、終わらせてあげよう……。
両指の力を増す。
呼吸のたびに上下する喉元に、キミの生が垣間見えた。
苦しいだけの、生が。
「っ、……ッ、」
止まらない呟きに、グッ、フっ、と呻く息吹が重なった。
その瞬間、僕の身体は凍りつき、恐怖ゆえの絶叫が唇を割り裂く。
「あ、……あ、ああああああ――!!」
それは幻聴かもしれない。
たんなる思い過ごしかもしれない。
とっくに、僕も壊れていたのかもしれない。
それでも僕の耳は、はっきりと捉えたのだ。
キミの呟きが、僕にはちゃんと聴こえたんだよ。
「ぼ、僕は、僕はっ、」
なんてことをしようとしてたんだ――!
後悔より先に、いまだアーちゃんの首に絡まる指を外そうとした。
なのに震え固まった指は、僕の意思に反してなかなか動かない。
指なんか、折れてもいい。
早く、早くアーちゃんを解放するのだ。
ああ、なんてことだ。
ここにきて、ここまできて、ようやく僕は、キミたちに辿り着けた。
遅すぎた。
いや、まだ間に合う。
まだ、彼の命は、ここにあるじゃないか。
ようやく外れた両指は、ガタガタと震えていた。
否、瘧にでもかかったように全身に怖気が走っている。
命を断ち切ろうとしたことへの恐怖は、いまもってなかった。
あるのは強い罪悪感と、過ちを起こしかけたことへの怯えだ。
僕はまた、思い違いをしていた。
ずっと、ずっと、アーちゃんが狂うのは、当然だと決め付けていたのだ。
とんでもない過ちだった。
どうして忘れていたのだろう。
キミが意地悪だということを、嘘つきだということを、どうして今の今まで忘れてしまっていたのだろう。
「ふ、ふふふ、あははは」
僕は、何度騙されたら気が済むのだろうか。
「アーちゃん、ようやく分かったよ……」
たった今、僕に殺されかけた相手は、相変わらず天井を眺めていた。
その瞳に何も映っていないのは、承知だ。
それでも言葉にせずにいられない。
これから口にすることが、どれほどアーちゃんを傷つけるか分かっていて、それでも止める意志を僕は持たない。
「キミは、狂ってなんかいないんだ。また、騙されるところだったよ」
◆
どうして気づかなかった。
どうして気づけなかった。
キミが求めているモノは、主なんかじゃないってことを。
キミは、雪客なんか求めてないんだ。
そんなモノ、キミにはどうだっていいんだよ。
佐藤晃と高橋昭の間に、主従なんてないのだから。
そもそもアーちゃんは、異端だ。
その昔、アーちゃん自身が語ってくれたことであり、その所以は彼の育ちにあるらしい。
だが、ふと思う。
アキラは、どうなんだろうか、と。
僕は、アキラ以外の雪客を知らない。
でも、アキラは言ってたじゃないか。
記憶を伝える想いがないって。
それってきっと、おかしいんだよ。狂ってるんだよ。
過去の雪客たちは、皆それに囚われていたのに、アキラだけがそうじゃなかったなんて、異端の最たるモノじゃないか。
そうだ。
彼らの理は、初めから狂ってたんだ。
それだけじゃない。
東峰さんだって、きっと狂っていた。
三人が三人とも異端であったことが、大きな矛盾を呼んでしまったんだ。
「いつまで狂ったフリを続けるの? 自分が守人じゃないってことくらい、とっくに自覚してるんでしょ!?」
アーちゃんが継埜守人でないように、アキラもまた雪客ではなかった。
いや、逆か。
もしかしたらアキラこそが、雪客としての正しい姿だったのではないだろうか。
だからこそ、何にも囚われずにいた。
では、継埜守人が守人でないことも、正しい姿なんだろうか。
随分と矛盾している。
だけど、間違ってはいないと信じたい。
だって、アーちゃんは継埜守人としては不完全で、だけど、アキラの守人としては正しい存在なんだから。
「守人になれなかった自分を、そうやって責め続けるつもり!?」
継埜守人は、雪客の死をもって狂死するが運命。
この理から逃れた守人は、誰一人としていないという。
これまでは。
アキラが己の枷を振り切ったように、アーちゃんだって、この呪縛を断ち切ることができるはずなんだ。
だって、アーちゃんは、守人じゃないから。
アキラを愛しただけだから。
だって、アーちゃんは、守人としてもっとも正しい形だから。
雪客を求め嘆き悲しんだりしないから。
大いなる矛盾は、かつてないほどの秩序を齎す、はずだった……。
「いまさらそんなことして、どうなるんだよ!?」
諦めることを選んだのはキミだ。
キミだけなんだよ。キミが、キミだけが。
逃げて、逃げて、その先で守人と成ったキミに、運命に殉ずる資格などあるはずがないのだ。
それでも続けるのか?
それが、アキラへの愛だとでも言うのか?
そこには、何もないじゃないか。
恋の歓びも輝きも、切なさや哀しみですら遠くへと追いやったキミが、いまさらアキラを求めるなんて、ズルイよ。
彼に、気づかせるべきだったのだ。
異端だと言うのなら、誰かがそれに言及すべきだった。
誰か……否、これこそが、僕に与えられた役割ではあるまいか。
「逃げるために守人を選んだキミが、守人になれないのは当たり前のことじゃないかっ」
ほんの一瞬、アーちゃんがこちらを見た。
濁った白目で、意思というものを感じさせない瞳で。
本当に僅かな時間だけ、彼の視線と僕の視線はぶつかったのだ。
「ア、アー、ちゃ……」
直後、静かな狂気は純然たる狂気に転じる。
そこに居たのは、ただの狂人だった。
枯れた声帯を震わせて、下卑た哂いを披露する、狂人。
狂人は、骨と皮ばかりの躰を仰け反らせ、今度は弾かれたように前へと戻し、全身で僕を嘲笑っていた。
嫌らしく歪む唇からは、泡混じりの涎がひっきりなしに滴り落ち、しわがれたケタケタ哂いが僕の不快感を煽ってゆく。
「アー……ちゃん……」
失敗した?
僕は、間違えたのか?
僕が、彼を、壊してしまった……?
期待と落胆を、幾度となく繰り返してきた。
きっと、これが最後となるだろう。
お仕舞いだ。
これですべて終わったのだ。
自分が招いた結末に、後悔はなかった。
ただただ、呆気ない。
いつでも周囲を翻弄してきたキミが、こうも容易く壊れるなんて……。
より一層狂気を帯びたアーちゃんが、いつものようにアキラの元へと向かう。
その行為が、守人としてあるためなのか、高橋昭の恋心ゆえなのか、僕には判別できなかった。
どちらにしろ、痛々しい背中を見送るのも、今日で終わりだ。
だから、僕も同行しよう。
キミの最後を見届けよう。
アキラと向き合う空っぽのキミに、失望するのだ。