★キラキラ 蘖(ひこばえ)の章★
[御船■回答]
森を抜けてすぐの場所に、小さく横たわる存在を見つけた。
まだ数ヶ月しか生きていない子猫は、既にその息吹を止めている。
FCとして佐藤君を詰り殴った僕が、この状況下で見つかったらどうなるだろう。
確実に、あらぬ疑いを持たれてしまう。
こんなときに、そんなことしか考えられない自分が恥ずかしかった。
結局その場を動かずに、来るか来ないか分からない相手を待ち続けた。
そしてやがて、
「御船先輩」
硬直し佇む僕を呼ぶ声は、間違いなく佐藤君のものだ。
ゆっくりと振り向けば、佐藤君と一緒に特別棟から出てきた少年もいた。
そして、東峰様のお姿も。
少年が、僕に対して厳しい眼を向けてくる。
佐藤君を不当に責めた僕は、彼にとっては敵なのだ。
だけど東峰様は、違った。
僕の存在など気にもとめず、視線すらも寄越してはくれなかったのだ。
「やはり御船先輩も猫がお好きなん……」
急に黙り込む佐藤君の肩に、友人が促がすように手を置く。
「どしたん? 早く餌あげなよ」
「佐藤…?」
東峰様の手が、反対側に添えられる。
それでも佐藤君は反応しない。
あぁ、佐藤君も見つけてしまったのだ。
あの、小さな塊を。
突然二人を振り払うようにして、佐藤君が子猫のもとへと駆け寄っていった。
その行動にようやく彼らも気付いたのか、一様に表情を顰める。
「……あんたかよっ!? あんたが嫌がらせでやったのか!? FCってのはそんなことまですんのかよ!?」
「ち、違っ、」
佐藤君の友人が、凄まじい剣幕で僕を責めたてた。
皮肉なほど、予想通りの結果だ。
「よせ、高橋! 御船はそんなことするやつじゃねぇ!」
「会長…さ、ま……」
でもまさか、東峰様が庇ってくださるなんて。
そんな場合ではないのに、喜びに体が震える。
「御船…? あんたが御船か!」
高橋と呼ばれた少年が、僕の胸倉を掴みあげた。
睨めつける双眸に、歓喜の震えが間逆のものへと転じていく。
高橋という下級生に、いとも容易く屈服した瞬間だった。
「よせっ!」
「アキラを殴った奴を、信用できるか!」
違う!
あんなにも健気なイキモノを嫌がらせで傷つけたりしない! 絶対にしない!
そんな言い訳も、高橋君の前では言葉にならず、僕はみっともなく怯えるしかなかった。
「アーちゃん! 止めてください!」
「うるせえ! 能天気も大概にしろよ! 後つけたり言い掛かりつけたり、挙句の果てにはこんな酷いことまでされてんだぞっ!」
「違います! 御船先輩は何もしていません!! この子は、他の動物に襲われたのです!」
「…………はい?」
「昨夜のうちに襲われたようです。首を噛まれておりますから、野犬の類だと思われます」
「……へ、野犬?」
「そうか。可哀想だが、運がなかったんだな」
「はい。弱肉強食は世の常です。アーちゃん、その手を放して、ちゃんと謝罪してください」
「あ、あぁ、わりぃわりぃ。いやいや、ごめんねー、疑っちゃってサーセン」
「ケホッ、ケホッ…っ……」
唐突に解放され、暫し咳き込んだ。
「御船、大丈夫か?」
「は、はい…大、丈夫、です…」
自然と気遣ってくれる東峰様に、涙が溢れそうになる。
彼の中に、まだ僕という存在が残っているのだ。
「いやー、マジごめんねー」
あひゃひゃと笑う高橋君にも、大丈夫だと返しおいた。
だけどその声は、若干掠れて震えていた。
喉の痛みだけが原因ではない震え。
眼前で笑う少年への違和感が、戦慄となり現れたせいでもあるのだ。
小さな子猫を囲むようにして、僕らはしゃがみこんだ。
佐藤君が言ってたように、子猫の首元には獣に噛まれた痕があった。
「首のところをやられてるな。ここまで逃げてきて、力尽きたんだろう」
「これも自然の摂理です。惜しむらくは、相手の糧となれなかったことですね」
佐藤君の言葉に、ギョッとした。
悲しげに子猫を見ながら、餌になれなかったのは残念だという意味合いを口にしたからだ。
「な、なんで、そんな……」
「おかしなことを言いましたか?」
「はは、まぁ、おかしくないはないけどね。普通の人なら驚くんじゃないの? 御船っちは、死んだ猫が可哀想って言いたいんでしょ」
高橋君が察してくれたけど、その言い方はかなり引っかかるものだった。
東峰様はさして気にもしてないようで、もしかしたら僕のほうがおかしいのかもしれない。
「もちろんこの子が亡くなったことは、哀しく思います。ですが襲った方も、生きるためにしたことです。この子を逃したのなら、今頃は飢えているかもしれません。
食物連鎖とは弱肉強食の上で成り立っているもの、弱いものを食べるというのは、彼らにとっては当たり前の行為であり権利なのです。
この子だって、自分より弱い命を奪い生きてきました。そして次は、より強いものの糧となる。
それを見て可哀想、残酷だ、そんなことしか考えられないほうが、おかしいのではないですか」
「そ、そうかもしれない、でも……」
「俺らだって食ってるでしょー、食って自分の糧にして生きてんの。だけどこの猫は誰の糧にもなれず、このまま朽ち果てるしかないわけよ。
なんの役目も果たせないなんて、それこそ無駄死にみたいなもんじゃん」
「役目……」
「せめて、地に還してやるか」
そう言って、東峰様がハンカチを取り出す。
そして、自然と会話が終了した。
もしかしたら、助け舟のつもりで仰ってくれたのかもしれない。
「あ、僕が」
東峰様は優しく頷き返し、佐藤君にハンカチを手渡した。
「結構育っていると思っておりましたのに、まだまだ小さかったのですね」
子猫の体をハンカチで包み、両掌に収まる程度の体を、佐藤君は愛しげに胸へと抱き寄せた。
僕に同じことができるだろうか。
その骸に、躊躇いなく触れられるだろうか。
高橋君と東峰様、そして片手に子猫を抱えた佐藤君が、素手で木の根元を掘り起こしはじめた。
もちろん僕も参加する。
自分の手が汚れることなど、まったく気にならなかった。
手を泥だらけにする東峰様を見ても、格好悪いとは思わなかった。
神崎先輩たちなら、東峰様がそのようなことを~なんて嘆くに違いないだろう。
「くすっ」
いけない。
大騒ぎする神崎先輩を思い描いたせいで、笑いが漏れ出てしまったのだ。
あまりにも非常識だ。
「思い出し笑いする奴はスケベっていうけどー」
「あ…ご、ごめ」
「楽しいことでも思い出しましたか?」
「ごめんなさい、こんなときに……」
「御船、気に病む必要はないぞ。楽しいという感情があるのは、生きてる証拠だ」
「そうですよ。哀しむことも大事ですが、人はいつまでも哀しみに浸れないようできているのです。
別の想いが湧きあがるのは、生きている証なのですから、何も悪いことではないのですよ」
「そそ、気にする必要なんて、なーんもないよ」
「そう、なの? ……そっか、そうですよね」
彼らの持つ価値観に、今度はすんなりと頷くことができた。
たったそれだけのことで、初めて彼らに受け入れてもらえたような、居心地のいい安心感を得ることができたのだ。
「これっくらいでいいんじゃね?」
「そうですね」
掘り進めた穴に子猫を横たえる。
大きな布の隙間から覗く耳を、指先で擽りながら佐藤君がポツリと呟いた。
「あなたのことは、僕が覚えておきますからね」
それは、死したものへの慰めであったのかもしれない。
だけど彼ならば、真実この先忘れることなく、この小さな存在を覚えているだろうと、なぜかそう信じこむ自分がいた。
子猫の埋葬を終え、寮に戻ることになった。
さすがに4人が一緒だと目立つ。
そのため、佐藤君と高橋君が先に戻り、僕と東峰様は暫く裏山に残ることになった。
2人の姿が見えなくなると、東峰様は携帯を取り出した。
「右京か? 悪いが今夜の飯はパスだ。……あぁ、少し用事がある」
電話の相手は、副会長だった。
東峰様が役員たちとの夕食を断るだなんて、珍しいこともあるものだ。
「……分かった、じゃ。……御船、一緒に夕飯でもどうだ?」
いつまでもここに居てはご迷惑だと、早々に立ち去ろうとした僕に、東峰様からの思い掛けないお誘いが。
普段なら舞い上がるところだが、ここ数日の自分の行動を自覚している身としては、手放しで喜ぶなどできない。
だけど、完全な絶縁を東峰様から告げられることを承知で、それでも僕はこの誘いに乗るほかなかった。
これが最後というならば、せめて彼から直接言い渡されるほうが遙かにマシだからだ。
「……はい、ご一緒させていただきます」
東峰様の私室に初めてお邪魔した。
緊張の糸はソファを勧められたことで少しばかり解れたけど、恐縮する気持ちは隠しようがない。
オドオドビクビクする僕を見て、東峰様が面白そうにしてたのは、きっと目の錯覚ではないだろう。
「あの……」
沈黙を恐れるあまり、ソファに座ってすぐ僕から話しかけた。
すぐに、黙れと一喝される予感に言葉が詰まる。
ところが東峰様は、先を促がすように頷いただけだった。
それに勇気を得て、再度唇を動かした。
まずは、今日の出来事すべてを語る。
佐藤君に警告したこと、佐藤君の言葉に衝撃を受けたこと、どうして裏山に行ったかのかのすべてを。
「で、お前は俺のナニになりたいんだ?」
「え……?」
「単なるファン、狂信者、友人……まぁ、色々あるが、お前はナニになりたいんだ?」
それが分からないから、悩んでいるのだ。
曖昧な状態で、当の本人から問われることになるとは。
「ナニに……正直、どうなりたいのかわかりません……」
「だったら想像してみろ。…まずは、ファンだな、単なる一ファン」
「一ファン……そんなものになりたいとは思いません……」
それは、今の立場となんら変わりのない立ち位置だ。
そこで満足できるなら、これほどに悩んだりはしない。
「じゃあ、友人だ」
「友人……それは、魅力的です。でも違う気がします」
東峰様と友人として付き合えたら、それはそれできっと幸せなのだろう。
だけど、なぜかそれは自分の望む姿ではないと確信していた。
「だったら……恋人、ってのはどうだ?」
「こ、こい!?」
あまりにも予想外の単語に、声が裏返るのは仕方ない。
いったいどういうおつもりで、そんな事をおっしゃったのだろう。
「……正直申しまして、会長様とそのような関係になりたいとは、思いません」
「なぜだ? FCってのは、それを望む奴ばかりじゃないのか?」
「それはっ、確かにそういう子が大勢いますが、僕も、以前は望んでいたかもしれません。ですが、こうやって考えてみると、やっぱり違うんです」
「どう違う?」
「僕は、あなたと甘い関係を築きたいわけではない……ような気がします。すみません、はっきりとは分からないんです」
胸が痛むほどに敬愛し心酔しているのだから、その方と恋人になれれば、それこそ喜びで胸が一杯になるはずなのに。
それを想像しても僕の心は、少しも満たされないのだ。
何かが違う。
それが何なのかは、もう分かり始めているというのに、どうしても最後の部分が分からない。
あぁ、モヤモヤする。
「だったら、順を追って考えてみるか。最初に佐藤のことを神崎たちに告げたのは、お前だろ?」
「え、あ、……はい、そう、です。申し訳ありませんでした……」
たまたま意気揚々とどこかへ向かう東峰様をお見かけして、こっそりと後をつけ、あの裏山での2人を覗き見し、神崎先輩に告げたのは僕だ。
東峰様には、とっくにばれていたのか。
「だが、あいつらに場所までは教えなかった。なぜだ?」
「え……?」
FCの決まりとして、佐藤君のことを報告はしたが、たしかに詳細までは告げていない。
「佐藤を本気で排除したいなら、そこにFCの奴らを案内すればいいことだ。なぜそうしなかった?」
「それ、は……F、FCの決まりで、佐藤君のことを告げないわけにはいかなくて、あの……でも、場所まで告げたら……あ、あなた方の邪魔になる……と……」
思ったよりもスムーズに吐き出された回答。
意識したこともない、だけど僕が考えていたことは、これだったのか。
「じゃ、次だ。お前はなぜ佐藤を殴った?」
「それは、彼の言葉が間違っていると感じた…から?」
あぁ、そうか。
『先輩は…ひょっとして会長様の恋人ですか?』
彼の問いかけが、あまりにも見当違いに思えたのだ。
『ですがご安心を、僕と会長様は単なる先輩と後輩で、』
そして直後に言い渡された内容に、反感を持った。
それは、彼が口にしていい言葉ではなかったのだ。
そうだ、彼が言ってはいけないことなのだ。
「……」
「どうやら、何か見えてきたようだな」
「はい。ようやく目が覚めた気がします」
今ならはっきりと分かる。
なぜ彼らの逢引現場を秘密にしたのか。
それは、東峰様の私的な部分を荒らされたくなかったからだ。
そして佐藤君の言葉に感じた不条理な怒りの原点も――
「僕は、貴方の駒になりたい」
「やけに卑屈だな」
言葉とは裏腹に、東峰様はひじょうに満足げなご様子だった。
まるで、僕がそう告げるだろうことを、予期していたかのように。
「卑屈と取られるかもしれません。でも、どんなにすごい棋士も、駒がなければ何もできませんよ」
東峰様の口角が、それと分かるほどにはっきりと上がる。
僕が導き出した答えの正しさが、これで証明されたのだった。
森を抜けてすぐの場所に、小さく横たわる存在を見つけた。
まだ数ヶ月しか生きていない子猫は、既にその息吹を止めている。
FCとして佐藤君を詰り殴った僕が、この状況下で見つかったらどうなるだろう。
確実に、あらぬ疑いを持たれてしまう。
こんなときに、そんなことしか考えられない自分が恥ずかしかった。
結局その場を動かずに、来るか来ないか分からない相手を待ち続けた。
そしてやがて、
「御船先輩」
硬直し佇む僕を呼ぶ声は、間違いなく佐藤君のものだ。
ゆっくりと振り向けば、佐藤君と一緒に特別棟から出てきた少年もいた。
そして、東峰様のお姿も。
少年が、僕に対して厳しい眼を向けてくる。
佐藤君を不当に責めた僕は、彼にとっては敵なのだ。
だけど東峰様は、違った。
僕の存在など気にもとめず、視線すらも寄越してはくれなかったのだ。
「やはり御船先輩も猫がお好きなん……」
急に黙り込む佐藤君の肩に、友人が促がすように手を置く。
「どしたん? 早く餌あげなよ」
「佐藤…?」
東峰様の手が、反対側に添えられる。
それでも佐藤君は反応しない。
あぁ、佐藤君も見つけてしまったのだ。
あの、小さな塊を。
突然二人を振り払うようにして、佐藤君が子猫のもとへと駆け寄っていった。
その行動にようやく彼らも気付いたのか、一様に表情を顰める。
「……あんたかよっ!? あんたが嫌がらせでやったのか!? FCってのはそんなことまですんのかよ!?」
「ち、違っ、」
佐藤君の友人が、凄まじい剣幕で僕を責めたてた。
皮肉なほど、予想通りの結果だ。
「よせ、高橋! 御船はそんなことするやつじゃねぇ!」
「会長…さ、ま……」
でもまさか、東峰様が庇ってくださるなんて。
そんな場合ではないのに、喜びに体が震える。
「御船…? あんたが御船か!」
高橋と呼ばれた少年が、僕の胸倉を掴みあげた。
睨めつける双眸に、歓喜の震えが間逆のものへと転じていく。
高橋という下級生に、いとも容易く屈服した瞬間だった。
「よせっ!」
「アキラを殴った奴を、信用できるか!」
違う!
あんなにも健気なイキモノを嫌がらせで傷つけたりしない! 絶対にしない!
そんな言い訳も、高橋君の前では言葉にならず、僕はみっともなく怯えるしかなかった。
「アーちゃん! 止めてください!」
「うるせえ! 能天気も大概にしろよ! 後つけたり言い掛かりつけたり、挙句の果てにはこんな酷いことまでされてんだぞっ!」
「違います! 御船先輩は何もしていません!! この子は、他の動物に襲われたのです!」
「…………はい?」
「昨夜のうちに襲われたようです。首を噛まれておりますから、野犬の類だと思われます」
「……へ、野犬?」
「そうか。可哀想だが、運がなかったんだな」
「はい。弱肉強食は世の常です。アーちゃん、その手を放して、ちゃんと謝罪してください」
「あ、あぁ、わりぃわりぃ。いやいや、ごめんねー、疑っちゃってサーセン」
「ケホッ、ケホッ…っ……」
唐突に解放され、暫し咳き込んだ。
「御船、大丈夫か?」
「は、はい…大、丈夫、です…」
自然と気遣ってくれる東峰様に、涙が溢れそうになる。
彼の中に、まだ僕という存在が残っているのだ。
「いやー、マジごめんねー」
あひゃひゃと笑う高橋君にも、大丈夫だと返しおいた。
だけどその声は、若干掠れて震えていた。
喉の痛みだけが原因ではない震え。
眼前で笑う少年への違和感が、戦慄となり現れたせいでもあるのだ。
小さな子猫を囲むようにして、僕らはしゃがみこんだ。
佐藤君が言ってたように、子猫の首元には獣に噛まれた痕があった。
「首のところをやられてるな。ここまで逃げてきて、力尽きたんだろう」
「これも自然の摂理です。惜しむらくは、相手の糧となれなかったことですね」
佐藤君の言葉に、ギョッとした。
悲しげに子猫を見ながら、餌になれなかったのは残念だという意味合いを口にしたからだ。
「な、なんで、そんな……」
「おかしなことを言いましたか?」
「はは、まぁ、おかしくないはないけどね。普通の人なら驚くんじゃないの? 御船っちは、死んだ猫が可哀想って言いたいんでしょ」
高橋君が察してくれたけど、その言い方はかなり引っかかるものだった。
東峰様はさして気にもしてないようで、もしかしたら僕のほうがおかしいのかもしれない。
「もちろんこの子が亡くなったことは、哀しく思います。ですが襲った方も、生きるためにしたことです。この子を逃したのなら、今頃は飢えているかもしれません。
食物連鎖とは弱肉強食の上で成り立っているもの、弱いものを食べるというのは、彼らにとっては当たり前の行為であり権利なのです。
この子だって、自分より弱い命を奪い生きてきました。そして次は、より強いものの糧となる。
それを見て可哀想、残酷だ、そんなことしか考えられないほうが、おかしいのではないですか」
「そ、そうかもしれない、でも……」
「俺らだって食ってるでしょー、食って自分の糧にして生きてんの。だけどこの猫は誰の糧にもなれず、このまま朽ち果てるしかないわけよ。
なんの役目も果たせないなんて、それこそ無駄死にみたいなもんじゃん」
「役目……」
「せめて、地に還してやるか」
そう言って、東峰様がハンカチを取り出す。
そして、自然と会話が終了した。
もしかしたら、助け舟のつもりで仰ってくれたのかもしれない。
「あ、僕が」
東峰様は優しく頷き返し、佐藤君にハンカチを手渡した。
「結構育っていると思っておりましたのに、まだまだ小さかったのですね」
子猫の体をハンカチで包み、両掌に収まる程度の体を、佐藤君は愛しげに胸へと抱き寄せた。
僕に同じことができるだろうか。
その骸に、躊躇いなく触れられるだろうか。
高橋君と東峰様、そして片手に子猫を抱えた佐藤君が、素手で木の根元を掘り起こしはじめた。
もちろん僕も参加する。
自分の手が汚れることなど、まったく気にならなかった。
手を泥だらけにする東峰様を見ても、格好悪いとは思わなかった。
神崎先輩たちなら、東峰様がそのようなことを~なんて嘆くに違いないだろう。
「くすっ」
いけない。
大騒ぎする神崎先輩を思い描いたせいで、笑いが漏れ出てしまったのだ。
あまりにも非常識だ。
「思い出し笑いする奴はスケベっていうけどー」
「あ…ご、ごめ」
「楽しいことでも思い出しましたか?」
「ごめんなさい、こんなときに……」
「御船、気に病む必要はないぞ。楽しいという感情があるのは、生きてる証拠だ」
「そうですよ。哀しむことも大事ですが、人はいつまでも哀しみに浸れないようできているのです。
別の想いが湧きあがるのは、生きている証なのですから、何も悪いことではないのですよ」
「そそ、気にする必要なんて、なーんもないよ」
「そう、なの? ……そっか、そうですよね」
彼らの持つ価値観に、今度はすんなりと頷くことができた。
たったそれだけのことで、初めて彼らに受け入れてもらえたような、居心地のいい安心感を得ることができたのだ。
「これっくらいでいいんじゃね?」
「そうですね」
掘り進めた穴に子猫を横たえる。
大きな布の隙間から覗く耳を、指先で擽りながら佐藤君がポツリと呟いた。
「あなたのことは、僕が覚えておきますからね」
それは、死したものへの慰めであったのかもしれない。
だけど彼ならば、真実この先忘れることなく、この小さな存在を覚えているだろうと、なぜかそう信じこむ自分がいた。
子猫の埋葬を終え、寮に戻ることになった。
さすがに4人が一緒だと目立つ。
そのため、佐藤君と高橋君が先に戻り、僕と東峰様は暫く裏山に残ることになった。
2人の姿が見えなくなると、東峰様は携帯を取り出した。
「右京か? 悪いが今夜の飯はパスだ。……あぁ、少し用事がある」
電話の相手は、副会長だった。
東峰様が役員たちとの夕食を断るだなんて、珍しいこともあるものだ。
「……分かった、じゃ。……御船、一緒に夕飯でもどうだ?」
いつまでもここに居てはご迷惑だと、早々に立ち去ろうとした僕に、東峰様からの思い掛けないお誘いが。
普段なら舞い上がるところだが、ここ数日の自分の行動を自覚している身としては、手放しで喜ぶなどできない。
だけど、完全な絶縁を東峰様から告げられることを承知で、それでも僕はこの誘いに乗るほかなかった。
これが最後というならば、せめて彼から直接言い渡されるほうが遙かにマシだからだ。
「……はい、ご一緒させていただきます」
東峰様の私室に初めてお邪魔した。
緊張の糸はソファを勧められたことで少しばかり解れたけど、恐縮する気持ちは隠しようがない。
オドオドビクビクする僕を見て、東峰様が面白そうにしてたのは、きっと目の錯覚ではないだろう。
「あの……」
沈黙を恐れるあまり、ソファに座ってすぐ僕から話しかけた。
すぐに、黙れと一喝される予感に言葉が詰まる。
ところが東峰様は、先を促がすように頷いただけだった。
それに勇気を得て、再度唇を動かした。
まずは、今日の出来事すべてを語る。
佐藤君に警告したこと、佐藤君の言葉に衝撃を受けたこと、どうして裏山に行ったかのかのすべてを。
「で、お前は俺のナニになりたいんだ?」
「え……?」
「単なるファン、狂信者、友人……まぁ、色々あるが、お前はナニになりたいんだ?」
それが分からないから、悩んでいるのだ。
曖昧な状態で、当の本人から問われることになるとは。
「ナニに……正直、どうなりたいのかわかりません……」
「だったら想像してみろ。…まずは、ファンだな、単なる一ファン」
「一ファン……そんなものになりたいとは思いません……」
それは、今の立場となんら変わりのない立ち位置だ。
そこで満足できるなら、これほどに悩んだりはしない。
「じゃあ、友人だ」
「友人……それは、魅力的です。でも違う気がします」
東峰様と友人として付き合えたら、それはそれできっと幸せなのだろう。
だけど、なぜかそれは自分の望む姿ではないと確信していた。
「だったら……恋人、ってのはどうだ?」
「こ、こい!?」
あまりにも予想外の単語に、声が裏返るのは仕方ない。
いったいどういうおつもりで、そんな事をおっしゃったのだろう。
「……正直申しまして、会長様とそのような関係になりたいとは、思いません」
「なぜだ? FCってのは、それを望む奴ばかりじゃないのか?」
「それはっ、確かにそういう子が大勢いますが、僕も、以前は望んでいたかもしれません。ですが、こうやって考えてみると、やっぱり違うんです」
「どう違う?」
「僕は、あなたと甘い関係を築きたいわけではない……ような気がします。すみません、はっきりとは分からないんです」
胸が痛むほどに敬愛し心酔しているのだから、その方と恋人になれれば、それこそ喜びで胸が一杯になるはずなのに。
それを想像しても僕の心は、少しも満たされないのだ。
何かが違う。
それが何なのかは、もう分かり始めているというのに、どうしても最後の部分が分からない。
あぁ、モヤモヤする。
「だったら、順を追って考えてみるか。最初に佐藤のことを神崎たちに告げたのは、お前だろ?」
「え、あ、……はい、そう、です。申し訳ありませんでした……」
たまたま意気揚々とどこかへ向かう東峰様をお見かけして、こっそりと後をつけ、あの裏山での2人を覗き見し、神崎先輩に告げたのは僕だ。
東峰様には、とっくにばれていたのか。
「だが、あいつらに場所までは教えなかった。なぜだ?」
「え……?」
FCの決まりとして、佐藤君のことを報告はしたが、たしかに詳細までは告げていない。
「佐藤を本気で排除したいなら、そこにFCの奴らを案内すればいいことだ。なぜそうしなかった?」
「それ、は……F、FCの決まりで、佐藤君のことを告げないわけにはいかなくて、あの……でも、場所まで告げたら……あ、あなた方の邪魔になる……と……」
思ったよりもスムーズに吐き出された回答。
意識したこともない、だけど僕が考えていたことは、これだったのか。
「じゃ、次だ。お前はなぜ佐藤を殴った?」
「それは、彼の言葉が間違っていると感じた…から?」
あぁ、そうか。
『先輩は…ひょっとして会長様の恋人ですか?』
彼の問いかけが、あまりにも見当違いに思えたのだ。
『ですがご安心を、僕と会長様は単なる先輩と後輩で、』
そして直後に言い渡された内容に、反感を持った。
それは、彼が口にしていい言葉ではなかったのだ。
そうだ、彼が言ってはいけないことなのだ。
「……」
「どうやら、何か見えてきたようだな」
「はい。ようやく目が覚めた気がします」
今ならはっきりと分かる。
なぜ彼らの逢引現場を秘密にしたのか。
それは、東峰様の私的な部分を荒らされたくなかったからだ。
そして佐藤君の言葉に感じた不条理な怒りの原点も――
「僕は、貴方の駒になりたい」
「やけに卑屈だな」
言葉とは裏腹に、東峰様はひじょうに満足げなご様子だった。
まるで、僕がそう告げるだろうことを、予期していたかのように。
「卑屈と取られるかもしれません。でも、どんなにすごい棋士も、駒がなければ何もできませんよ」
東峰様の口角が、それと分かるほどにはっきりと上がる。
僕が導き出した答えの正しさが、これで証明されたのだった。