平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-
[平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-4]
結局アーちゃんが止めに入って、僕と利香の兄妹喧嘩もどきは終了した。
しょせんは子供の力だし、なにより利香本人が本気じゃなかったから、叩かれても痛くもなんともなかったけど、怒り出した理由が分からないことが衝撃だった。
だけど蒸し返すのも面倒だし、仕方なく何もなかったフリでおやつだけを出してキッチンに戻る。
「あ、そうだ。宿題あるんでしょ。ちゃんと終わらせなきゃダメだよ」
途端に、利香がムッと唇を尖らせた。
家にいるときは当たり前のように言ってることだから、どうしてそんな顔をするのかが分からない。
またもや文句を言われるのかと身構えたら、
「宿題あったらもっといで、見てあげる」
とのアーちゃんの言葉に、利香はみるみる表情を緩ませて、自分の部屋に駆け昇っていく。
たぶん、宿題を持ってくるつもりなんだ。
いつもの利香なら、生返事を返すだけなのに。
「いつも適当に返事して終わるのに…」
なんだか、おかしい。
「やっぱ、オンナだねー」
「女? 利香が?」
「うん、立派にオンナしてるじゃん」
「何言ってるんだよ、利香は小学生だよ」
「いくつでも、女は常にオンナってことよ」
「はぁ?」
アーちゃんの言ってることは、さっぱりと理解できなかった。
利香が、女だって?
確かに性別でいえば『女』だけど、そんな艶めいた表現からは程遠い存在だ。
そういうのが似合うのは、もっと大人でしっかりした女性だと思う。
少なくとも、小学生に向ける言葉ではないよね。
妙な話に頭を悩ませ手だけを動かしていると、利香がノートと教科書を持って現れた。
僕が見てやると言ったときには、結局持ってこなかったくせに、アーちゃんだったらそんなに違うのか。
そう考えると、少し腹立たしい気もする。
「あの、算数と国語なんですけど」
「了解、どっちから片付ける?」
「えっと、……国語?」
なんで疑問系なんだよ?
早く終わらせたいほうからやればいいじゃないか。
「やっぱ、数字が苦手なの?」
「え、あ、う……」
ズバリ指摘され、利香が口をパクパクさせながら項垂れた。
アーちゃんは、下向いた頭を撫でながら、
「お兄ちゃんとおんなじ」
などと、いらぬ情報を与えたのだった。
◆
食卓で急遽はじまった勉強会。
おやつを食べながらも、利香の宿題は見る間に片付いていく。
先生はアーちゃんなんだから、当然だ。
アーちゃんは、教え方が断然上手い。
それは実体験から言えることで、だから利香の勉強を見てもらうことになんの不満もなかった。
アーちゃんくらい頭のいい人に、小学生の勉強を見てもらうのは失礼なのかもしれないけど。
目の前の二人を眺めながら、材料を切って調理して、火加減見たり、味を見たりと細々動いていたら、不意に利香がとんでもないことを口にした。
「アーちゃん」
「利香っ!!」
突然の僕の大声に、利香がビックリしてこちらを見る。
アーちゃんも目を大きく見開いていた。
「な、なによっ」
「利香っ、年上の人に、"ちゃん"はダメだろ!」
「だ、だって、オニイはそう呼んでるじゃない」
「僕はいいんだよ! 利香とは違うの!」
「そんなの勝手よっ」
「勝手じゃない、こういうのは礼儀なの!」
滅多に怒らない僕が声を荒げたことで、利香がシュンと小さくなる。
僕はアーちゃん呼ばわりで、利香はダメだなんて、利香からしたらすごく理不尽なことかもしれない。
だけどこういうことは、はっきりさせとかないと。
「じゃ、じゃあ…」
甘えた声を出し、利香が上目使いでアーちゃんを見る。
「お兄ちゃん?」
飛び出した一言に僕はガックリと肩を落とした。
「……それ、なんてエロゲ?」
「え?」
「あ、いや、うん、なかなかの萌えシチュ、いやいや、魅力的な呼称だけど、お兄ちゃんはちゃんといるわけだし…」
「あっちはオニイだから、大丈夫です」
「あっち!? あ、あっちって、利香っ」
なんて言い草だよ!
「じゃあ、やっぱり、アーちゃん?」
「利香!!」
もう一度怒鳴ったら、利香はあからさまに瞳を潤ませて、再度アーちゃんを仰ぎ見た。
こういうとき、誰も彼もがなんとなく利香の味方という雰囲気になりやすい。
やっぱり妹だし、なにより女の子だからだと思う。
昔からそうだったせいで、利香は自分のお願いはほぼ通ると思っているんだ。
それは間違ってないし、それを理由に我儘を助長させる子じゃないから、これまでしつこく注意したことはなかったけど……。
よくよく考えたら、呼び方くらいで怒るのもどうかと思うよね。
年上だなんだといっても、アーちゃんなら特に気にしない可能性のほうが高いし。
というか、絶対に気にしないと断言できるもの。
利香にアーちゃんと呼ばれても、アーちゃんは絶対に気分を害したりはしないはず。
むしろ親しくなったのだと、喜ばしく感じてくれるかもしれない……。
だったら、煩く言う必要はないはずなんだ。
僕だって、アーちゃんと利香が親しくしてくれたら嬉しいんだもの。
いったいなにをムキになっていたんだろう。
利香の小さなお願いくらいで、目くじら立てるなんてどうかしていた。
どうせアーちゃんも利香の味方をするだろうし、ここは素直に自分の非を認めよう。
「えっと、ご、ごめ…」
「高橋さんで」
僕がごめんと言い切る前に、アーちゃんが笑顔で告げる。
「えっ!?」
「……アーちゃん?」
「年云々には拘らないけど、せっかくだしこういう作法は覚えといていいんじゃない? 将来的に。
ね、お兄ちゃん?」
「あ、う、うん…」
「で、でもぉ…」
「高橋さんなんてほとんど呼ばれないからね。
利香ちゃんが呼んでくれたら、ちょっと新鮮かも」
アーちゃんの、学園ではあまり見せない種類の微笑に、利香の頬が見るからに赤く染まっていた。
まさか、まさかね……。
あはは、利香はまだ小学生なのに、僕、何考えてるんだろ。
「た、たかはし、さん?」
「はい」
試しにとばかりに利香が呼べば、アーちゃんがすぐさま応じる。
「高橋、さん」
「はい、なんでしょうか?」
「高橋さんっ」
「はい、お嬢様」
利香がキャっと声を上げた。
さっきまでの剣呑な空気など、もう欠片も残っていない。
いったい、なんなんだ……?
微笑ましくもバカらしい受け答えは、この後二回も繰り返され、ようやく終了して利香は二階に上がっていった。
その姿が実に満足気だったのは、言うまでもない。
「アーちゃん……えっと、ご、ごめんね、ありがと」
不思議と、アーちゃんを真っ直ぐに見れなくて、俯きがちで伝えた。
利香の我儘を上手くそらしてくれたのは、本当にありがたい。
「わっ、」
突然、髪をくしゃりと撫でられた。
「アーちゃんって呼ぶのは、アッくんたちだけだもんね」
「え……」
それだけで、何事もなかったかのように、アーちゃんはソファに移動する。
この後、夕飯の時間まで、利香とDVDを見る約束をしているのだ。
「高橋さん、これこれ、利香のおすすめ」
すぐに戻ってきた利香の手には、DVDが握られていた。
内容は知らないけど、アーちゃん好みでないことは確かだろう。
「2時間か、結構な長丁場だね。
利香ちゃん、食べ物と飲み物用意」
「了解であります」
「ちょっと、ご飯前なんだから、少しだけだよ」
「もう、オニイうるさい」
「そうよー、うるさいよー、お兄ちゃん」
「……もうっ!」
結局アーちゃんが止めに入って、僕と利香の兄妹喧嘩もどきは終了した。
しょせんは子供の力だし、なにより利香本人が本気じゃなかったから、叩かれても痛くもなんともなかったけど、怒り出した理由が分からないことが衝撃だった。
だけど蒸し返すのも面倒だし、仕方なく何もなかったフリでおやつだけを出してキッチンに戻る。
「あ、そうだ。宿題あるんでしょ。ちゃんと終わらせなきゃダメだよ」
途端に、利香がムッと唇を尖らせた。
家にいるときは当たり前のように言ってることだから、どうしてそんな顔をするのかが分からない。
またもや文句を言われるのかと身構えたら、
「宿題あったらもっといで、見てあげる」
とのアーちゃんの言葉に、利香はみるみる表情を緩ませて、自分の部屋に駆け昇っていく。
たぶん、宿題を持ってくるつもりなんだ。
いつもの利香なら、生返事を返すだけなのに。
「いつも適当に返事して終わるのに…」
なんだか、おかしい。
「やっぱ、オンナだねー」
「女? 利香が?」
「うん、立派にオンナしてるじゃん」
「何言ってるんだよ、利香は小学生だよ」
「いくつでも、女は常にオンナってことよ」
「はぁ?」
アーちゃんの言ってることは、さっぱりと理解できなかった。
利香が、女だって?
確かに性別でいえば『女』だけど、そんな艶めいた表現からは程遠い存在だ。
そういうのが似合うのは、もっと大人でしっかりした女性だと思う。
少なくとも、小学生に向ける言葉ではないよね。
妙な話に頭を悩ませ手だけを動かしていると、利香がノートと教科書を持って現れた。
僕が見てやると言ったときには、結局持ってこなかったくせに、アーちゃんだったらそんなに違うのか。
そう考えると、少し腹立たしい気もする。
「あの、算数と国語なんですけど」
「了解、どっちから片付ける?」
「えっと、……国語?」
なんで疑問系なんだよ?
早く終わらせたいほうからやればいいじゃないか。
「やっぱ、数字が苦手なの?」
「え、あ、う……」
ズバリ指摘され、利香が口をパクパクさせながら項垂れた。
アーちゃんは、下向いた頭を撫でながら、
「お兄ちゃんとおんなじ」
などと、いらぬ情報を与えたのだった。
◆
食卓で急遽はじまった勉強会。
おやつを食べながらも、利香の宿題は見る間に片付いていく。
先生はアーちゃんなんだから、当然だ。
アーちゃんは、教え方が断然上手い。
それは実体験から言えることで、だから利香の勉強を見てもらうことになんの不満もなかった。
アーちゃんくらい頭のいい人に、小学生の勉強を見てもらうのは失礼なのかもしれないけど。
目の前の二人を眺めながら、材料を切って調理して、火加減見たり、味を見たりと細々動いていたら、不意に利香がとんでもないことを口にした。
「アーちゃん」
「利香っ!!」
突然の僕の大声に、利香がビックリしてこちらを見る。
アーちゃんも目を大きく見開いていた。
「な、なによっ」
「利香っ、年上の人に、"ちゃん"はダメだろ!」
「だ、だって、オニイはそう呼んでるじゃない」
「僕はいいんだよ! 利香とは違うの!」
「そんなの勝手よっ」
「勝手じゃない、こういうのは礼儀なの!」
滅多に怒らない僕が声を荒げたことで、利香がシュンと小さくなる。
僕はアーちゃん呼ばわりで、利香はダメだなんて、利香からしたらすごく理不尽なことかもしれない。
だけどこういうことは、はっきりさせとかないと。
「じゃ、じゃあ…」
甘えた声を出し、利香が上目使いでアーちゃんを見る。
「お兄ちゃん?」
飛び出した一言に僕はガックリと肩を落とした。
「……それ、なんてエロゲ?」
「え?」
「あ、いや、うん、なかなかの萌えシチュ、いやいや、魅力的な呼称だけど、お兄ちゃんはちゃんといるわけだし…」
「あっちはオニイだから、大丈夫です」
「あっち!? あ、あっちって、利香っ」
なんて言い草だよ!
「じゃあ、やっぱり、アーちゃん?」
「利香!!」
もう一度怒鳴ったら、利香はあからさまに瞳を潤ませて、再度アーちゃんを仰ぎ見た。
こういうとき、誰も彼もがなんとなく利香の味方という雰囲気になりやすい。
やっぱり妹だし、なにより女の子だからだと思う。
昔からそうだったせいで、利香は自分のお願いはほぼ通ると思っているんだ。
それは間違ってないし、それを理由に我儘を助長させる子じゃないから、これまでしつこく注意したことはなかったけど……。
よくよく考えたら、呼び方くらいで怒るのもどうかと思うよね。
年上だなんだといっても、アーちゃんなら特に気にしない可能性のほうが高いし。
というか、絶対に気にしないと断言できるもの。
利香にアーちゃんと呼ばれても、アーちゃんは絶対に気分を害したりはしないはず。
むしろ親しくなったのだと、喜ばしく感じてくれるかもしれない……。
だったら、煩く言う必要はないはずなんだ。
僕だって、アーちゃんと利香が親しくしてくれたら嬉しいんだもの。
いったいなにをムキになっていたんだろう。
利香の小さなお願いくらいで、目くじら立てるなんてどうかしていた。
どうせアーちゃんも利香の味方をするだろうし、ここは素直に自分の非を認めよう。
「えっと、ご、ごめ…」
「高橋さんで」
僕がごめんと言い切る前に、アーちゃんが笑顔で告げる。
「えっ!?」
「……アーちゃん?」
「年云々には拘らないけど、せっかくだしこういう作法は覚えといていいんじゃない? 将来的に。
ね、お兄ちゃん?」
「あ、う、うん…」
「で、でもぉ…」
「高橋さんなんてほとんど呼ばれないからね。
利香ちゃんが呼んでくれたら、ちょっと新鮮かも」
アーちゃんの、学園ではあまり見せない種類の微笑に、利香の頬が見るからに赤く染まっていた。
まさか、まさかね……。
あはは、利香はまだ小学生なのに、僕、何考えてるんだろ。
「た、たかはし、さん?」
「はい」
試しにとばかりに利香が呼べば、アーちゃんがすぐさま応じる。
「高橋、さん」
「はい、なんでしょうか?」
「高橋さんっ」
「はい、お嬢様」
利香がキャっと声を上げた。
さっきまでの剣呑な空気など、もう欠片も残っていない。
いったい、なんなんだ……?
微笑ましくもバカらしい受け答えは、この後二回も繰り返され、ようやく終了して利香は二階に上がっていった。
その姿が実に満足気だったのは、言うまでもない。
「アーちゃん……えっと、ご、ごめんね、ありがと」
不思議と、アーちゃんを真っ直ぐに見れなくて、俯きがちで伝えた。
利香の我儘を上手くそらしてくれたのは、本当にありがたい。
「わっ、」
突然、髪をくしゃりと撫でられた。
「アーちゃんって呼ぶのは、アッくんたちだけだもんね」
「え……」
それだけで、何事もなかったかのように、アーちゃんはソファに移動する。
この後、夕飯の時間まで、利香とDVDを見る約束をしているのだ。
「高橋さん、これこれ、利香のおすすめ」
すぐに戻ってきた利香の手には、DVDが握られていた。
内容は知らないけど、アーちゃん好みでないことは確かだろう。
「2時間か、結構な長丁場だね。
利香ちゃん、食べ物と飲み物用意」
「了解であります」
「ちょっと、ご飯前なんだから、少しだけだよ」
「もう、オニイうるさい」
「そうよー、うるさいよー、お兄ちゃん」
「……もうっ!」