隊長たちの休日-2014秋の特別編-
[隊長たちの休日-2014秋の特別編-蛇足1]
ようやく女子高生そのもの、いや、それよりももっと性質の悪い二人から解放されて、次のバイト先に向かった。
はっきり言って、やりたくない! このまま逃げ帰りたい! 財布の中には今現在7100円の現金があるしね!
『勤労は、今のあなたにとっては義務、いいえ責務です! しっかりと働いて、そうそうに僕に借金を返しなさい!!』
一円玉すら吸い取られたあげく、空っぽになった財布を投げつけて、そう俺に申し渡したのはアキラさん。
『これらは僕からの餞別です。明日のバイトが終わるまで、帰ってこなくともよろしい!!』
そう言って、ICカード(電車用だ)とバスの回数券一枚を手渡すアキラに、自分の部屋を追い出されたのは、つい今朝がたのことだった。
たかが使い込みくらい、今に始まったことではない。
だがしかし、食費が完全に不足するまでに至ったのは……四回目? いやいや、三回くらいだよな。たぶん。
不足分は当然アキラが補ったわけだが、それらは俺の持つ電子マネー、そのとき財布に入っていた現金全部を併せても到底足りない。
つまりその分は、アキラへの借金として背負うことになったわけだ。
ミフネッチのお守の報酬だけでは、とてもとても。
なんだかんだで鳥ちゃんから貰えたのも微々たる金額。
「はぁぁぁぁ」
バックヤードですら広く豪華に作られてはいたが、やはりどこまでいっても楽屋裏てなロッカールームで、シルク100%のシャツに袖を通した。
もちろん、盛大な溜息をつきながら。
執事喫茶なんて考案したやつを、殴り殺したい気分だ。
瞳子さんにお願いしたのは昨日のこと。
ぶっちゃけ、適当な勤務形態で働ける場所など限られているのだ。
そもそも土日の二日間だけ、研修期間ぶっとばして正規の時給を得る俺は、かなり疎まれることだろう。
だがまぁ、ここの支配人とはもともと顔見知りだし、実は去年も何度かバイトしてるから下地はあるっちゃーある。
瞳子さん自身から、びしばし教育もされたことだしね。
「佐野さん、はよーっす。改めて今日明日よろしくー」
午前の間、つまりミフネッチと待ち合わせる前に、既に店のほうには顔を出していた。
そのせいで若干遅刻はしたが。
そのときに、支配人である佐野さんとは挨拶を済ませている。
なのにわざわざ顔を見せに来てくれた支配人に、もう一度挨拶しておくのは礼儀だよな。
関係ないけど、出勤したら時間に関係なくおはようってのは、水に関する商売だけなのかな?
「ホント、大きくなったね。一年ぶりだっけ?」
「は? ああ、そんなもんかな……」
前に同じ理由でアキラに追い出されたのは、いつだったっけな。
つか、大きくなったって、あんたは親戚のオッサンかよ。
「金欠になったらじゃなくて、正式に働いたら? うちの時給なら文句はないでしょう」
「冗談、ココ、18歳からでしょ。こう見えて俺、17なんだよねー。そもそもうちのガッコ、バイト禁止だし」
「そんなの、オーナーに頼めばなんとかなるよ」
「そんな裏を匂わすようなこと、高校生に聞かせないでよ。あーこわいこわい」
この佐野さん、執事喫茶の支配人なんてやってるけど、瞳子さんとは結構古い知り合いだったりする。
俺も何度か会ったことあるけど、昔は銀行員やってたらしく、年は若く見えるけど30代だ。
リストラにあって妻子に逃げられて、どん底にいたところを瞳子さんに拾われたそうな。
「本格的な勧誘は、君が大学生になったときかな。じゃ、今日明日とがんばってね。あ、臨時だからって適当は駄目だよ」
「ラジャー」
約一年ぶりに袖を通した燕尾服。
腹立つことに、ポリじゃなくて完全ウールの仕立物だった。
こういうのは、限りなく体にフィットさせるのが基本。
ぶかぶかだと、素材がよくても安っぽく見える。
さすがに入れ替わりの激しいバイトに、一から仕立てた服は用意できない。
つーわけで、ある程度いろんなサイズを取り揃えてるわけだが、不思議なことにこの度身に着けた礼服は、俺の体にジャストフィットだった。
「あのヤロー、いつ計りやがった」
もっとも直近でお邪魔したのは、アッくんと一緒のときだったかな。
「もうちょっと、ましなところに金かけろっつんだ」
つまんねーとこばかりに使うところは、誰かさんにそっくりだ。
瞳子さんの100%趣味の店は、悔しいことに結構儲けているらしいが。
本格的というのが売りだそうだが、顔の広さを利用してるのは間違いないだろう。
どこぞの店からスカウトしてきたシェフの功績もでかいか。
佐野さんのようないかにもな蝶ネクタイは避け、鏡を見ながらクロスタイを締める。
手袋は、まだ着けない。
まずはパイプ椅子に座り、マニュアルに目を通す作業だ。
紅茶の種類にケーキの名前、本日のおすすめやらワインの名称をどんどん記憶していく。
ミフネッチたちの子守に始まり、お嬢様方のお世話で終わるとか、マジで勘弁して、だわ。
トホホな気分でバイト開始の時間を待っていると、ロッカールームに人が入ってきた。
別に驚くことじゃない。
バイトは何人もいるわけで、皆ここで着替えるんだからな。
入ってきたのは、大学生風の茶髪のにーちゃんだった。
実際、俺よりも小さくて年下に見えないこともなかったが、ここで働けるのは18歳以上なこともあり、全員がおにーちゃんで合っている。
「おはようございまーっす」
「おはようございます」
間延びした俺とは違い、正しく挨拶できる人だね、と。
彼はタイムカードを押したのち、執事とは違うフットマンと呼ばれる乙女チックな衣装に着替えた。
ふむふむ、フリルシャツが似合うほどには、ほどほど可愛い顔かもしれん。
すべて瞳子さん自らが面接、もしくはスカウトしてるというが、まぁまぁ納得がいく。
「もしかしたら、初めて、だよね?」
「今日明日の臨時だけど、よろしく」
「臨時? 別店舗の人?」
「え、あ、えーっと」
そういえば、こことはまったく違う地域に、別店舗があるんだっけ。
曖昧に頷いてたら、フットマンは勝手に納得してくれた。
「土日はかなり忙しくなるからね、助っ人はありがたいよ。よろしく頼むね」
「あ、はい、どーも。ん……?」
フットマンが、右手をそっと差し出してくる。
それが握手のためと察しはしたが、こういうときすぐに握手が出るなんて、珍しい。
日本ではあまり馴染みがない習慣なのにね。
「高橋です。どーぞ、よろしく」
「仲立(なかだち)です。よろしく……って、あっ、高橋って」
「はい?」
握手したまま仲立が壁に貼ってあるシフト表を見に行った。
当然ながら、俺もそっち側に引っ張られる。
「今日の相方は、君か。改めてよろしく」
「相方? ああ、なるほど。はいはい、よろしくー」
さらに右手を握りこまれ、離すタイミングがなかなか掴めない。
この俺がテンポを崩されるとは、今日のバイト、なんとなく嫌な予感がするな……。
指名が入ったと聞き、耳を疑った。
俺が働いてるなんて、誰が知ってるんだ?
アキラは知ってるけども、あ、もしかして栞?
指名料があるから、嬉しいっちゃー嬉しいが。
だがしかし、客は二名で男ということだった。
まさかと思いはしたが、見覚えのない名前にその思考は捨て去った。
だいたいあいつらは、俺のバイト先なんか知らねーはずだしな。
ま、いっか、たぶん瞳子さん関係だろう。
さて、目にも眩しい白手袋をはめ、いざ出陣といきましょうか。
◆
何があったかなんて、説明はいらんよな。
もともと瞳子さんのことは、栞経由でアキラに伝わっている。
とはいえ、あくまでも栞の友人、いや親友としてだけだ。
俺と栞のことも、当然アキラは知っている。
医学知識を学ぶための先生と生徒。それだけ。
もちろんアキラの了承のもと、今でもそれを理由に会ってることになっていた。
初めて借金を理由に追い出された日、俺はすぐに瞳子さんに連絡を取った。
もちろんバイトさせてもらうため。
さっきも言ったが、実にいいかげんな勤務形態では、彼女しか頼る伝手がなかったんだ。
それは、栞を通してすぐさまアキラに伝えさせた。
「私の親友の店でなら、融通が利きます」
という形で。
それからというもの、借金すれば瞳子さんの店でご奉仕というのが、俺とアキラの暗黙の了解になっている。
できれば瞳子さんの持ってる普通のカフェで働きたい。
だがあの女が、ここでのバイトしか認めてくれないから、こんなことになったんだ。
クソッタレ!!
ミフネッチにばらしたのは、もちろんアキラの所業。
腹の中は煮えくりながらも、額には冷や汗。頬は引き攣り、声すらも上擦る中、佐野さんに睨まれながら、どうにかこうにか最初の仕事をこなした。
くそっ、このまま這い蹲って泣きたいくらい、情けなくて恥ずかしいわい!!
それでも客は待ってくれないわけで、ミフネッチたち以外にも接客せねばならん客は大勢いる。
個室のほうがイレギュラーであり、もっとも賑わうのは広い広いテーブル席なのだから。
執事の指名なんぞしない客のほうが多く、そういったお嬢様奥様方には、各テーブルにあるベルが鳴れば、誰かしら足を運ばなければならない。
たまに、誰それに来て欲しいと素直に希望を伝えるお嬢様もおられるが、たいがいはただ単に執事が見たい、傅かれたいという可愛らしくも果てしない欲望のみで鳴り続けるベルの音。
執事たちは皆、突き刺さる視線のビームに晒されながら、一挙手一投足に気を使い仕事に励み続けるのだ。
もちろん、俺も。
たった一つの救いは、ミフネッチも鳥ちゃんも、普通の高校生ではないということか。
こういうところで、やつらが上流の人間なのだと認識できる。
人に仕えられることに慣れてる人間は、本当に必要なとき以外は使用人を呼んだりしないものだ。
使用人に余計な手間はかけさせない、それが庶民との違いであろう。
とりわけ俺も、仕え慣れている。
んな教育受けたことないし意識したこともないが、こればかりは血のなせる業としかいえまい。
客には見えないところにある、従業員用の小さな時計を見れば、ミフネッチたちの退出時間が迫っていた。
ここの利用時間は、90分。
その時間が近づけば、こちらから退出を勧めなければならない。
こここそ、執事の質が求められるのだ。
なかなか予約の取れない個室で、緊張のきの字もない歓談中の高校生を見守りつつ、傍に待機。
決してこちらから声はかけずに、無言の圧力を二人に投げかける。
実はこれ、使用人としての鉄則だったりする。
主人たちの会話を「お話中のところ失礼します」なんて、邪魔してはいけないのだ。
じゃあどうするのかって?
存在感をアピールしつつ、圧力をかけまくるんだよ。
そうすれば、ほら、二人同時にこっちを向きやがった。
そして、ミフネッチが口を開く。
「なに?」
「旦那様、坊ちゃま、そろそろお出かけのお時間でございます」
「ああ、もうそんな時間なんだ」
「あ、本当だね」
よし、これにて一番面倒な客は終了だ。
ははは、とっとと帰れ!
ようやく女子高生そのもの、いや、それよりももっと性質の悪い二人から解放されて、次のバイト先に向かった。
はっきり言って、やりたくない! このまま逃げ帰りたい! 財布の中には今現在7100円の現金があるしね!
『勤労は、今のあなたにとっては義務、いいえ責務です! しっかりと働いて、そうそうに僕に借金を返しなさい!!』
一円玉すら吸い取られたあげく、空っぽになった財布を投げつけて、そう俺に申し渡したのはアキラさん。
『これらは僕からの餞別です。明日のバイトが終わるまで、帰ってこなくともよろしい!!』
そう言って、ICカード(電車用だ)とバスの回数券一枚を手渡すアキラに、自分の部屋を追い出されたのは、つい今朝がたのことだった。
たかが使い込みくらい、今に始まったことではない。
だがしかし、食費が完全に不足するまでに至ったのは……四回目? いやいや、三回くらいだよな。たぶん。
不足分は当然アキラが補ったわけだが、それらは俺の持つ電子マネー、そのとき財布に入っていた現金全部を併せても到底足りない。
つまりその分は、アキラへの借金として背負うことになったわけだ。
ミフネッチのお守の報酬だけでは、とてもとても。
なんだかんだで鳥ちゃんから貰えたのも微々たる金額。
「はぁぁぁぁ」
バックヤードですら広く豪華に作られてはいたが、やはりどこまでいっても楽屋裏てなロッカールームで、シルク100%のシャツに袖を通した。
もちろん、盛大な溜息をつきながら。
執事喫茶なんて考案したやつを、殴り殺したい気分だ。
瞳子さんにお願いしたのは昨日のこと。
ぶっちゃけ、適当な勤務形態で働ける場所など限られているのだ。
そもそも土日の二日間だけ、研修期間ぶっとばして正規の時給を得る俺は、かなり疎まれることだろう。
だがまぁ、ここの支配人とはもともと顔見知りだし、実は去年も何度かバイトしてるから下地はあるっちゃーある。
瞳子さん自身から、びしばし教育もされたことだしね。
「佐野さん、はよーっす。改めて今日明日よろしくー」
午前の間、つまりミフネッチと待ち合わせる前に、既に店のほうには顔を出していた。
そのせいで若干遅刻はしたが。
そのときに、支配人である佐野さんとは挨拶を済ませている。
なのにわざわざ顔を見せに来てくれた支配人に、もう一度挨拶しておくのは礼儀だよな。
関係ないけど、出勤したら時間に関係なくおはようってのは、水に関する商売だけなのかな?
「ホント、大きくなったね。一年ぶりだっけ?」
「は? ああ、そんなもんかな……」
前に同じ理由でアキラに追い出されたのは、いつだったっけな。
つか、大きくなったって、あんたは親戚のオッサンかよ。
「金欠になったらじゃなくて、正式に働いたら? うちの時給なら文句はないでしょう」
「冗談、ココ、18歳からでしょ。こう見えて俺、17なんだよねー。そもそもうちのガッコ、バイト禁止だし」
「そんなの、オーナーに頼めばなんとかなるよ」
「そんな裏を匂わすようなこと、高校生に聞かせないでよ。あーこわいこわい」
この佐野さん、執事喫茶の支配人なんてやってるけど、瞳子さんとは結構古い知り合いだったりする。
俺も何度か会ったことあるけど、昔は銀行員やってたらしく、年は若く見えるけど30代だ。
リストラにあって妻子に逃げられて、どん底にいたところを瞳子さんに拾われたそうな。
「本格的な勧誘は、君が大学生になったときかな。じゃ、今日明日とがんばってね。あ、臨時だからって適当は駄目だよ」
「ラジャー」
約一年ぶりに袖を通した燕尾服。
腹立つことに、ポリじゃなくて完全ウールの仕立物だった。
こういうのは、限りなく体にフィットさせるのが基本。
ぶかぶかだと、素材がよくても安っぽく見える。
さすがに入れ替わりの激しいバイトに、一から仕立てた服は用意できない。
つーわけで、ある程度いろんなサイズを取り揃えてるわけだが、不思議なことにこの度身に着けた礼服は、俺の体にジャストフィットだった。
「あのヤロー、いつ計りやがった」
もっとも直近でお邪魔したのは、アッくんと一緒のときだったかな。
「もうちょっと、ましなところに金かけろっつんだ」
つまんねーとこばかりに使うところは、誰かさんにそっくりだ。
瞳子さんの100%趣味の店は、悔しいことに結構儲けているらしいが。
本格的というのが売りだそうだが、顔の広さを利用してるのは間違いないだろう。
どこぞの店からスカウトしてきたシェフの功績もでかいか。
佐野さんのようないかにもな蝶ネクタイは避け、鏡を見ながらクロスタイを締める。
手袋は、まだ着けない。
まずはパイプ椅子に座り、マニュアルに目を通す作業だ。
紅茶の種類にケーキの名前、本日のおすすめやらワインの名称をどんどん記憶していく。
ミフネッチたちの子守に始まり、お嬢様方のお世話で終わるとか、マジで勘弁して、だわ。
トホホな気分でバイト開始の時間を待っていると、ロッカールームに人が入ってきた。
別に驚くことじゃない。
バイトは何人もいるわけで、皆ここで着替えるんだからな。
入ってきたのは、大学生風の茶髪のにーちゃんだった。
実際、俺よりも小さくて年下に見えないこともなかったが、ここで働けるのは18歳以上なこともあり、全員がおにーちゃんで合っている。
「おはようございまーっす」
「おはようございます」
間延びした俺とは違い、正しく挨拶できる人だね、と。
彼はタイムカードを押したのち、執事とは違うフットマンと呼ばれる乙女チックな衣装に着替えた。
ふむふむ、フリルシャツが似合うほどには、ほどほど可愛い顔かもしれん。
すべて瞳子さん自らが面接、もしくはスカウトしてるというが、まぁまぁ納得がいく。
「もしかしたら、初めて、だよね?」
「今日明日の臨時だけど、よろしく」
「臨時? 別店舗の人?」
「え、あ、えーっと」
そういえば、こことはまったく違う地域に、別店舗があるんだっけ。
曖昧に頷いてたら、フットマンは勝手に納得してくれた。
「土日はかなり忙しくなるからね、助っ人はありがたいよ。よろしく頼むね」
「あ、はい、どーも。ん……?」
フットマンが、右手をそっと差し出してくる。
それが握手のためと察しはしたが、こういうときすぐに握手が出るなんて、珍しい。
日本ではあまり馴染みがない習慣なのにね。
「高橋です。どーぞ、よろしく」
「仲立(なかだち)です。よろしく……って、あっ、高橋って」
「はい?」
握手したまま仲立が壁に貼ってあるシフト表を見に行った。
当然ながら、俺もそっち側に引っ張られる。
「今日の相方は、君か。改めてよろしく」
「相方? ああ、なるほど。はいはい、よろしくー」
さらに右手を握りこまれ、離すタイミングがなかなか掴めない。
この俺がテンポを崩されるとは、今日のバイト、なんとなく嫌な予感がするな……。
指名が入ったと聞き、耳を疑った。
俺が働いてるなんて、誰が知ってるんだ?
アキラは知ってるけども、あ、もしかして栞?
指名料があるから、嬉しいっちゃー嬉しいが。
だがしかし、客は二名で男ということだった。
まさかと思いはしたが、見覚えのない名前にその思考は捨て去った。
だいたいあいつらは、俺のバイト先なんか知らねーはずだしな。
ま、いっか、たぶん瞳子さん関係だろう。
さて、目にも眩しい白手袋をはめ、いざ出陣といきましょうか。
◆
何があったかなんて、説明はいらんよな。
もともと瞳子さんのことは、栞経由でアキラに伝わっている。
とはいえ、あくまでも栞の友人、いや親友としてだけだ。
俺と栞のことも、当然アキラは知っている。
医学知識を学ぶための先生と生徒。それだけ。
もちろんアキラの了承のもと、今でもそれを理由に会ってることになっていた。
初めて借金を理由に追い出された日、俺はすぐに瞳子さんに連絡を取った。
もちろんバイトさせてもらうため。
さっきも言ったが、実にいいかげんな勤務形態では、彼女しか頼る伝手がなかったんだ。
それは、栞を通してすぐさまアキラに伝えさせた。
「私の親友の店でなら、融通が利きます」
という形で。
それからというもの、借金すれば瞳子さんの店でご奉仕というのが、俺とアキラの暗黙の了解になっている。
できれば瞳子さんの持ってる普通のカフェで働きたい。
だがあの女が、ここでのバイトしか認めてくれないから、こんなことになったんだ。
クソッタレ!!
ミフネッチにばらしたのは、もちろんアキラの所業。
腹の中は煮えくりながらも、額には冷や汗。頬は引き攣り、声すらも上擦る中、佐野さんに睨まれながら、どうにかこうにか最初の仕事をこなした。
くそっ、このまま這い蹲って泣きたいくらい、情けなくて恥ずかしいわい!!
それでも客は待ってくれないわけで、ミフネッチたち以外にも接客せねばならん客は大勢いる。
個室のほうがイレギュラーであり、もっとも賑わうのは広い広いテーブル席なのだから。
執事の指名なんぞしない客のほうが多く、そういったお嬢様奥様方には、各テーブルにあるベルが鳴れば、誰かしら足を運ばなければならない。
たまに、誰それに来て欲しいと素直に希望を伝えるお嬢様もおられるが、たいがいはただ単に執事が見たい、傅かれたいという可愛らしくも果てしない欲望のみで鳴り続けるベルの音。
執事たちは皆、突き刺さる視線のビームに晒されながら、一挙手一投足に気を使い仕事に励み続けるのだ。
もちろん、俺も。
たった一つの救いは、ミフネッチも鳥ちゃんも、普通の高校生ではないということか。
こういうところで、やつらが上流の人間なのだと認識できる。
人に仕えられることに慣れてる人間は、本当に必要なとき以外は使用人を呼んだりしないものだ。
使用人に余計な手間はかけさせない、それが庶民との違いであろう。
とりわけ俺も、仕え慣れている。
んな教育受けたことないし意識したこともないが、こればかりは血のなせる業としかいえまい。
客には見えないところにある、従業員用の小さな時計を見れば、ミフネッチたちの退出時間が迫っていた。
ここの利用時間は、90分。
その時間が近づけば、こちらから退出を勧めなければならない。
こここそ、執事の質が求められるのだ。
なかなか予約の取れない個室で、緊張のきの字もない歓談中の高校生を見守りつつ、傍に待機。
決してこちらから声はかけずに、無言の圧力を二人に投げかける。
実はこれ、使用人としての鉄則だったりする。
主人たちの会話を「お話中のところ失礼します」なんて、邪魔してはいけないのだ。
じゃあどうするのかって?
存在感をアピールしつつ、圧力をかけまくるんだよ。
そうすれば、ほら、二人同時にこっちを向きやがった。
そして、ミフネッチが口を開く。
「なに?」
「旦那様、坊ちゃま、そろそろお出かけのお時間でございます」
「ああ、もうそんな時間なんだ」
「あ、本当だね」
よし、これにて一番面倒な客は終了だ。
ははは、とっとと帰れ!