ひねもすのたりのたり-2013秋の特別編-
[ひねもすのたりのたり-2013秋の特別編-2]
「ここは、公平にじゃんけんで決める?」
なんだかんだ言っても、冷静になるのが一番早いのは藤村だ。
じゃんけんで決めるという最も公平な提案をしてきたことで、この舌戦もいよいよ決着を迎える……かと思いきや、
「どこが公平なんだよ」
意義を唱えたのは、停学をも恐れない不良狼だった。
「なんで? じゃんけんは公平でしょ」
「てめー、こいつの運の良さ知らねーのかよ」
明石が指差す先にいるのは、アキ。
アキは内心舌打した。
じゃんけんを持ち出した藤村には悪いが、アキはじゃんけんで負けたことなど、数えるほどしかないのだ。
負けるときは体調が悪いとき、そして勝ちを譲ってあげようなどと仏心を出したときだけという、まさにキング・オブ・JANKENのアキからすれば、藤村の提案は万々歳、渡りにフナッシーだったというのに……明石めー、余計なことを!
「う、ああ、しらないのよ、ないのよ、アキ、ないの」
「くじを引いたら必ず当たり、ガチャとかいうやつでも大当たりばっか引きやがる」
「げっ、マジ?」
「う、うう、ああ」
「マジも大マジだ。確実に俺たちが負けるぜ」
「じゃんけんはなしなし。アミダもなしだよな……」
せっかく知らぬ存ぜぬで通そうと思ったのに、明石のせいで目論見が外れた。
くそくそくそと心の中で文句を言いながらも、どうにかアキのペースに持っていかねばと頭を働かせる。
「う、あ、アキ、おうちよ、なのよ、アキの、なのよ」
そうそう、うっかりと忘れかけていたが、そもそもここはアキの部屋であり、アキは家主なのだ。
そこをきっちりと主張しておかねば。
「俺は、客だ」
「う、あっ」
そういえば、この狼は、アッキーが呼び出したのだった。
しかししかし、オムライスを頼んだのはアキであり、アッキーの家族のような立場なのだから、譲ってやる必要などない。
ん? こうなると、藤村の立場が一番弱いのではないか。
三人の意見がぶつかるのならば、二人の意志を封じ込めるが勝ちと考えていたアキは、ここで戦法を変えるのもアリかもなんて考えた。
ずばり、消去法。
まずは一人消えたほうが、後々楽というものだ。
「あれれ、俺がやばい雰囲気?」
ここでも、皆の考えは同じだったようだ。
まずは明石が動いた。
「会計様は、勝手に押しかけて来たんだよな」
「なのよ、のよ」
もちろん、アキもそれに乗る。
まずは、藤村から消えてもらうことにしよう。
「ほー、チビちゃんらしからぬ判断をしちゃったねー。マロンケーキが泣いてるよー」
ハッと目を瞠れば、そこには笑みを湛える藤村の姿が。
しかし、瞳だけは、笑ってはいなかった。
アキは判断を間違えてしまったのだ。
これ以上の失策は、マロンケーキの命を危うくするだけ。
口に入る分が一切れ減るというのならばともかく、この男ならば笑いながらマロンケーキを蹂躙する可能性があるではないか。
それはもう、情け容赦なく完膚なきまでに……。
「ちゃらさん、おきゃくさまさま、のよ」
「あっ、てめっ」
あっさりと日和ったアキを、責める明石の気持ちは判る。
が、そもそも藤村は、某有名店の季節限定スイーツを上納しているのだ。
手ぶらで偉そうにしているどこぞの狼とは立場が違う。
その立場の違う狼が恨みがましい視線を送ってきたが、そんなものマロンケーキにかかればなんのその。
アキは甘味のためならば、誰であろうと堂々と切り捨てる覚悟を持つ漢の中の漢なのだ。
「あのさー、ずっと疑問に思ってたんだけどねー」
アキの膝に軽くローキックを入れてくる姑息な狼に、負けじとやり返していたところで、ふと藤村が真面目な面持ちで話しかけてくる。
「なんで伊藤が明石を呼び出したりするわけ? 伊藤と明石って仲良いの? つーかさ、伊藤とどんな関係?」
「クラスメイト以外なにがあるんだよ」
「伊藤のクラスには、おめーしかいねーのかよ?」
「あいつが、クラスの皆さん仲良くしましょーって柄か?」
「……だから、なんで明石とは親しくしてんのかって訊いてんだよ」
藤村は、ちょっとだけイラついているようだ。
とはいえ、ついさきほどまでオムライスのソースは何にするのか闘争を繰り広げていたアキたちは、皆どこかイライラとしてはいたのだが、あのときとはまた違う種類のイラつきに見える。
おお、そういえば、うっかりと忘れていたが、この男はうようよきゃっきゃ(おそらく紆余曲折の意)の末に、見事アッキーの旦那様の座をもぎ取ったのであった。
アキからすれば義兄のようなもの。つまりアキは、恐れ多くも小姑様なのだ。
ぬおおお、ならば藤村がアキの意見に逆らうなんて暴挙、許されるはずがないではないか。
ぬふふ、勝機を得たり。
二人の気付かない所で、アキはこっそりとほくそ笑んだのだった。
「おいっ、まさか、この俺に嫉妬してんのか!?」
「まさかってなんだよ。恋人が他の男と親しくしてたら、ムカつくのは普通だろうが」
「俺とあいつとか、マジ気持ち悪ぃんだよ」
かなり本気であるようで、明石は軽く身震いしていた。
◆
明石は、アッキーと藤村のことを一応は知っている。
ひとを揶揄うのが三度の飯の次の次くらいに好きであろう茶髪の男が、ポロリと溢したからだなんて、責任のすべてを負わすつもりはアキにはない。
わざわざ言い触らしもしないし態度にも出さないが、問われれば素直に答えたアッキーも悪いのだから。
いやいや待てよ、「マジで藤村と付き合ってんのか?」なんて問われて軽く頷いたのは、そう悪いことではないのかもしれない。
ましてや、相手が明石だから答えただけで、これが別の人間なら当然無視していただろうから。
つまりアッキーは、アッくんほどとは言わないが、明石のこともそれなりにそれなりに(二度言った)受け入れているということだ。
なるほど、とアキは神妙に頷いた。
藤村は、明石のそういう部分も気に入らないということか。
だがしかしだ、アッキーからしたら明石は単なる友人、いや、知人レベルの人間であり、それは明石側から見ても同様であろう。
知人関係に嫉妬されてしまえば、アッキーは誰とも遊べないではないか。
とはいえ、藤村自身もそれなりに友人がいるわけで、とりわけ鳥山辺りとはかなり親しくしている。
しかも、過去には相当に深い仲であったし、今後も信頼に基づいた関係が維持されるわけで。
だからこそ藤村は、詰まらない嫉妬はあまり表に出していなかったのであろうが、さすがにわざわざ明石を招いたという事実は堪えられなかったらしい。
しかしながら、明石がここに居る理由などひとつしかないし、藤村だってとっくに承知しているものと思っていた。
仕方がない、ここは小姑らしくアキが藤村を安心させてやるべきだろう。
「あう、おーさん、アキ、なのよ、アキと、するの、のよ」
そもそも明石は、アキと遊ぶためにここに来たのだ。
遊びといっても、一緒にゲームするとかトランプするとか、そういうレベルでの遊び相手ではない。
アキをテレビから離したり、転寝したら毛布をかけたり、つまみ食いを阻止したり、お菓子を買うのに付き添ったり、溢したお菓子屑を拾ったり、と今まではアッキーが担っていたことをさせるのが目的なのだ。
「そういうことだ。あの面倒くさがりの男が、これ幸いと俺を利用してんだよっ」
マメなくせに実は結構無精なアッキーは、明石が世話好きだと見抜いた途端、アキの世話係に勝手に任命してしまった。
まるでアキが手の掛かる子供のような扱いだが、この世話係はプロレスの相手もしてくれるから、文句を言ったりはしない。
「これもさ、前から気になってたんだけど、チビちゃんは、こんな不良といて楽しいの?」
「あう?」
言外に、俺よりも? なんて意味が見え隠れするその問いに、アキの頭の中は一瞬生クリームのように白くなってしまった。
楽しいかと問われれば、楽しいと答えるしかない。
しかし、明石と居るからといって特別なことをしているわけでもなく、ほぼ放ったらかしと言っていい状態だ。
明石は明石で雑誌を読んだり、たまに課題を片付けたり、反省文を書いたりしている。
アキはアキでひとりで居るときと、そう大差ない行動。
いったい何が楽しくて一緒に居るのかと、唐突に疑問を持ってしまった。
何気に明石を見やれば、興味なさそうにソファにふんぞり返っていた。
「なにをつまんねーこと訊いてんだか、天下の会計様のお言葉とは思えねーな」
「もう、会計じゃねーっての」
「だいたいそんなこと訊いてどうすんだよ。楽しい楽しくないは関係なし、伊藤が楽かどうかだけのことなんだからよ、なぁ、チビ?」
「う? うう、…あい、なの」
どうも何かが引っかかる。
その正体を見極めようと必死で考え込んでみたものの、いまいちよく判らない。
だから別のことを考えることにした。
その結果、アッキーはアキをひとりにするのが不安なのだ、と行き着いた。
なんたる無礼か!
アキはもう高校生であり、藤村や明石など比べものにならないほどに大人だというのに!
「ぐあああ、わるいの、アッキー、わるいのよ!」
「そうだ、すべて伊藤が悪い」
うんうんと首を縦に振る明石に、アキも同じように首を振る。
「ここんとこ上手く逃げてたのによー、出会い頭、いきなり腹パンだもんな」
それは昨日の朝、学校の廊下で起こった悲劇だ。
その現場にアキも遭遇した、というか、アッキーやアッくんと登校中の出来事だった。
明石を見つけるやいなや、アッキーのパンチが炸裂した……のだと思う、たぶん。
速すぎて見えなかったから断言はできないが、明石が倒れるようにして蹲ったのは確か。
アッキーは何事かを呟いて、何もなかったかのように教室に入っていった。
傍目からは、アッキーは明石の横を通り過ぎただけのようにしか映らなかったであろう。
一緒にいたアッくんも、何も気付いていなかった。
そのお陰で、明石は急な腹痛を起こした、なんて、ちょっと格好悪い状況だと周囲に認識されていた。
だがアキだけは気付いていたのだ。
呼吸が止まり言葉もままならず脂汗を垂らし続ける明石に、アッキーが囁いた台詞を辛うじて聞き取ってしまったから。
『次はないと思え』
「ひいいいいいっ、あわわわわー、なの、なのよー」
そのときのことを思い出し、アキはガクガク震えだした。
せっかく忘れていたのに、おのれ明石!
一方恐れ戦くアキのことなど気付いてもいない二人は、どこか穏やかな雰囲気で語り合っていた。
「あいつ、まずは手が出るもんなー」
藤村の憐れみの篭った言葉を、明石は素直に受け入れた。
どうやら共感してくれたことが、嬉しかったようだ。
「まぁ、ここまで酷いのは滅多にないことだけどよ、今日は余程何もしたくないってことだろうな」
それは、図書室で借りてきた本のせい。
アッキーの読書速度は普通のひとと変わりない。いくら鬼とはいえ、そういう部分は一般人と同じなのだ。
何がなんでも貸出期間の間に読みきる心算のアッキーは、家事のほとんどを放棄し、ついでにアキのお世話まで放棄した。
そのつけが、すべて明石に回っただなんて、当の本人が一番分かっていることだろう。
「要望出してた本が、まとめて入荷したんだってよ。ったく、余計なことを」
なんてほざくのは、そのせいで放置プレイを科せられた藤村。
余計なことという意見には、アキも賛成だ。
「同情していいのかわからねーが、少なくとも、あんな凶暴なのと付き合えるあんたを、尊敬するぜ」
「羨ましがっても、このポジは譲んねーぞ」
「一っ欠けらも羨ましくねー!」
それから男たちのアッキーに対する愚痴は続いた。
暴君だということで意見の一致を見、時刻はそろそろ昼食時。
「もうなんでもいいや」
デミグラスに拘っていた男は、愛する者の手料理が食べたいだけだと気が付いた。
「俺も、どうでもいいな」
和風きのこを主張していた男は、食えるならなんでもいいことに気が付いた。
「あう……」
そして、ベシャベシャソースをこよなく愛する男は、アッキーが己の願いを聞き届けてくれただけでいいじゃないかと、気が付いたのだった。
三人が三人とも、またもや同じことを考えた。
目を見交わして、ニヤリと笑い合う。
アッキーが作ってくれればなんでもいい。それが最高に美味しいものなのだから。
食卓に並ぶのは、鮮やかな黄色。
ふわふわトロトロ、どんな有名店だって敵わないオムライス。
男たちの腹を満たすため、アッキーが作ってくれた一品だ。
「……あ、あれ?」
「……お、おい?」
戸惑いを隠しきれない藤村と明石のことを、アッキーは華麗にスルーした。
テーブルに並んでいるのは、熱々のオムライス。
アキの大好きなオムライス。
ナイフで切れば、とろりと溶け出す半熟玉子を想像しただけで、今にも涎が零れ落ちそう。
だがしかし、ちょっとおかしくはないだろうか?
アキの目の前にあるのは、黄色、それはもう見事な黄色い玉子。
何ものにも侵されず、ただ黄色だけを主張する玉子だなんて、ちょっとおかしくはないか?
「えっと、なんもかかってないですよね、これ」
藤村の勇気ある発言に、アッキーは聞こえないフリをした。
「ソースってのは、どこいったんだ?」
明石の素朴な疑問は、アッキーの眦を吊り上げただけだった。
「好みでかけろ」
ぶっきらぼうにそう告げて、アッキーがテーブルの上に乗せた物に、三人の男たちは目を丸くする。
デンと置かれたその物体、それはまさしく……。
「あ、あああああああ、」
赤く輝くボトルのラベルに、ケチャップの文字を発見したその瞬間、アキの絶叫がリビング内を席巻したのは言うまでもないこと
「いやなのーーーーー!」
「ここは、公平にじゃんけんで決める?」
なんだかんだ言っても、冷静になるのが一番早いのは藤村だ。
じゃんけんで決めるという最も公平な提案をしてきたことで、この舌戦もいよいよ決着を迎える……かと思いきや、
「どこが公平なんだよ」
意義を唱えたのは、停学をも恐れない不良狼だった。
「なんで? じゃんけんは公平でしょ」
「てめー、こいつの運の良さ知らねーのかよ」
明石が指差す先にいるのは、アキ。
アキは内心舌打した。
じゃんけんを持ち出した藤村には悪いが、アキはじゃんけんで負けたことなど、数えるほどしかないのだ。
負けるときは体調が悪いとき、そして勝ちを譲ってあげようなどと仏心を出したときだけという、まさにキング・オブ・JANKENのアキからすれば、藤村の提案は万々歳、渡りにフナッシーだったというのに……明石めー、余計なことを!
「う、ああ、しらないのよ、ないのよ、アキ、ないの」
「くじを引いたら必ず当たり、ガチャとかいうやつでも大当たりばっか引きやがる」
「げっ、マジ?」
「う、うう、ああ」
「マジも大マジだ。確実に俺たちが負けるぜ」
「じゃんけんはなしなし。アミダもなしだよな……」
せっかく知らぬ存ぜぬで通そうと思ったのに、明石のせいで目論見が外れた。
くそくそくそと心の中で文句を言いながらも、どうにかアキのペースに持っていかねばと頭を働かせる。
「う、あ、アキ、おうちよ、なのよ、アキの、なのよ」
そうそう、うっかりと忘れかけていたが、そもそもここはアキの部屋であり、アキは家主なのだ。
そこをきっちりと主張しておかねば。
「俺は、客だ」
「う、あっ」
そういえば、この狼は、アッキーが呼び出したのだった。
しかししかし、オムライスを頼んだのはアキであり、アッキーの家族のような立場なのだから、譲ってやる必要などない。
ん? こうなると、藤村の立場が一番弱いのではないか。
三人の意見がぶつかるのならば、二人の意志を封じ込めるが勝ちと考えていたアキは、ここで戦法を変えるのもアリかもなんて考えた。
ずばり、消去法。
まずは一人消えたほうが、後々楽というものだ。
「あれれ、俺がやばい雰囲気?」
ここでも、皆の考えは同じだったようだ。
まずは明石が動いた。
「会計様は、勝手に押しかけて来たんだよな」
「なのよ、のよ」
もちろん、アキもそれに乗る。
まずは、藤村から消えてもらうことにしよう。
「ほー、チビちゃんらしからぬ判断をしちゃったねー。マロンケーキが泣いてるよー」
ハッと目を瞠れば、そこには笑みを湛える藤村の姿が。
しかし、瞳だけは、笑ってはいなかった。
アキは判断を間違えてしまったのだ。
これ以上の失策は、マロンケーキの命を危うくするだけ。
口に入る分が一切れ減るというのならばともかく、この男ならば笑いながらマロンケーキを蹂躙する可能性があるではないか。
それはもう、情け容赦なく完膚なきまでに……。
「ちゃらさん、おきゃくさまさま、のよ」
「あっ、てめっ」
あっさりと日和ったアキを、責める明石の気持ちは判る。
が、そもそも藤村は、某有名店の季節限定スイーツを上納しているのだ。
手ぶらで偉そうにしているどこぞの狼とは立場が違う。
その立場の違う狼が恨みがましい視線を送ってきたが、そんなものマロンケーキにかかればなんのその。
アキは甘味のためならば、誰であろうと堂々と切り捨てる覚悟を持つ漢の中の漢なのだ。
「あのさー、ずっと疑問に思ってたんだけどねー」
アキの膝に軽くローキックを入れてくる姑息な狼に、負けじとやり返していたところで、ふと藤村が真面目な面持ちで話しかけてくる。
「なんで伊藤が明石を呼び出したりするわけ? 伊藤と明石って仲良いの? つーかさ、伊藤とどんな関係?」
「クラスメイト以外なにがあるんだよ」
「伊藤のクラスには、おめーしかいねーのかよ?」
「あいつが、クラスの皆さん仲良くしましょーって柄か?」
「……だから、なんで明石とは親しくしてんのかって訊いてんだよ」
藤村は、ちょっとだけイラついているようだ。
とはいえ、ついさきほどまでオムライスのソースは何にするのか闘争を繰り広げていたアキたちは、皆どこかイライラとしてはいたのだが、あのときとはまた違う種類のイラつきに見える。
おお、そういえば、うっかりと忘れていたが、この男はうようよきゃっきゃ(おそらく紆余曲折の意)の末に、見事アッキーの旦那様の座をもぎ取ったのであった。
アキからすれば義兄のようなもの。つまりアキは、恐れ多くも小姑様なのだ。
ぬおおお、ならば藤村がアキの意見に逆らうなんて暴挙、許されるはずがないではないか。
ぬふふ、勝機を得たり。
二人の気付かない所で、アキはこっそりとほくそ笑んだのだった。
「おいっ、まさか、この俺に嫉妬してんのか!?」
「まさかってなんだよ。恋人が他の男と親しくしてたら、ムカつくのは普通だろうが」
「俺とあいつとか、マジ気持ち悪ぃんだよ」
かなり本気であるようで、明石は軽く身震いしていた。
◆
明石は、アッキーと藤村のことを一応は知っている。
ひとを揶揄うのが三度の飯の次の次くらいに好きであろう茶髪の男が、ポロリと溢したからだなんて、責任のすべてを負わすつもりはアキにはない。
わざわざ言い触らしもしないし態度にも出さないが、問われれば素直に答えたアッキーも悪いのだから。
いやいや待てよ、「マジで藤村と付き合ってんのか?」なんて問われて軽く頷いたのは、そう悪いことではないのかもしれない。
ましてや、相手が明石だから答えただけで、これが別の人間なら当然無視していただろうから。
つまりアッキーは、アッくんほどとは言わないが、明石のこともそれなりにそれなりに(二度言った)受け入れているということだ。
なるほど、とアキは神妙に頷いた。
藤村は、明石のそういう部分も気に入らないということか。
だがしかしだ、アッキーからしたら明石は単なる友人、いや、知人レベルの人間であり、それは明石側から見ても同様であろう。
知人関係に嫉妬されてしまえば、アッキーは誰とも遊べないではないか。
とはいえ、藤村自身もそれなりに友人がいるわけで、とりわけ鳥山辺りとはかなり親しくしている。
しかも、過去には相当に深い仲であったし、今後も信頼に基づいた関係が維持されるわけで。
だからこそ藤村は、詰まらない嫉妬はあまり表に出していなかったのであろうが、さすがにわざわざ明石を招いたという事実は堪えられなかったらしい。
しかしながら、明石がここに居る理由などひとつしかないし、藤村だってとっくに承知しているものと思っていた。
仕方がない、ここは小姑らしくアキが藤村を安心させてやるべきだろう。
「あう、おーさん、アキ、なのよ、アキと、するの、のよ」
そもそも明石は、アキと遊ぶためにここに来たのだ。
遊びといっても、一緒にゲームするとかトランプするとか、そういうレベルでの遊び相手ではない。
アキをテレビから離したり、転寝したら毛布をかけたり、つまみ食いを阻止したり、お菓子を買うのに付き添ったり、溢したお菓子屑を拾ったり、と今まではアッキーが担っていたことをさせるのが目的なのだ。
「そういうことだ。あの面倒くさがりの男が、これ幸いと俺を利用してんだよっ」
マメなくせに実は結構無精なアッキーは、明石が世話好きだと見抜いた途端、アキの世話係に勝手に任命してしまった。
まるでアキが手の掛かる子供のような扱いだが、この世話係はプロレスの相手もしてくれるから、文句を言ったりはしない。
「これもさ、前から気になってたんだけど、チビちゃんは、こんな不良といて楽しいの?」
「あう?」
言外に、俺よりも? なんて意味が見え隠れするその問いに、アキの頭の中は一瞬生クリームのように白くなってしまった。
楽しいかと問われれば、楽しいと答えるしかない。
しかし、明石と居るからといって特別なことをしているわけでもなく、ほぼ放ったらかしと言っていい状態だ。
明石は明石で雑誌を読んだり、たまに課題を片付けたり、反省文を書いたりしている。
アキはアキでひとりで居るときと、そう大差ない行動。
いったい何が楽しくて一緒に居るのかと、唐突に疑問を持ってしまった。
何気に明石を見やれば、興味なさそうにソファにふんぞり返っていた。
「なにをつまんねーこと訊いてんだか、天下の会計様のお言葉とは思えねーな」
「もう、会計じゃねーっての」
「だいたいそんなこと訊いてどうすんだよ。楽しい楽しくないは関係なし、伊藤が楽かどうかだけのことなんだからよ、なぁ、チビ?」
「う? うう、…あい、なの」
どうも何かが引っかかる。
その正体を見極めようと必死で考え込んでみたものの、いまいちよく判らない。
だから別のことを考えることにした。
その結果、アッキーはアキをひとりにするのが不安なのだ、と行き着いた。
なんたる無礼か!
アキはもう高校生であり、藤村や明石など比べものにならないほどに大人だというのに!
「ぐあああ、わるいの、アッキー、わるいのよ!」
「そうだ、すべて伊藤が悪い」
うんうんと首を縦に振る明石に、アキも同じように首を振る。
「ここんとこ上手く逃げてたのによー、出会い頭、いきなり腹パンだもんな」
それは昨日の朝、学校の廊下で起こった悲劇だ。
その現場にアキも遭遇した、というか、アッキーやアッくんと登校中の出来事だった。
明石を見つけるやいなや、アッキーのパンチが炸裂した……のだと思う、たぶん。
速すぎて見えなかったから断言はできないが、明石が倒れるようにして蹲ったのは確か。
アッキーは何事かを呟いて、何もなかったかのように教室に入っていった。
傍目からは、アッキーは明石の横を通り過ぎただけのようにしか映らなかったであろう。
一緒にいたアッくんも、何も気付いていなかった。
そのお陰で、明石は急な腹痛を起こした、なんて、ちょっと格好悪い状況だと周囲に認識されていた。
だがアキだけは気付いていたのだ。
呼吸が止まり言葉もままならず脂汗を垂らし続ける明石に、アッキーが囁いた台詞を辛うじて聞き取ってしまったから。
『次はないと思え』
「ひいいいいいっ、あわわわわー、なの、なのよー」
そのときのことを思い出し、アキはガクガク震えだした。
せっかく忘れていたのに、おのれ明石!
一方恐れ戦くアキのことなど気付いてもいない二人は、どこか穏やかな雰囲気で語り合っていた。
「あいつ、まずは手が出るもんなー」
藤村の憐れみの篭った言葉を、明石は素直に受け入れた。
どうやら共感してくれたことが、嬉しかったようだ。
「まぁ、ここまで酷いのは滅多にないことだけどよ、今日は余程何もしたくないってことだろうな」
それは、図書室で借りてきた本のせい。
アッキーの読書速度は普通のひとと変わりない。いくら鬼とはいえ、そういう部分は一般人と同じなのだ。
何がなんでも貸出期間の間に読みきる心算のアッキーは、家事のほとんどを放棄し、ついでにアキのお世話まで放棄した。
そのつけが、すべて明石に回っただなんて、当の本人が一番分かっていることだろう。
「要望出してた本が、まとめて入荷したんだってよ。ったく、余計なことを」
なんてほざくのは、そのせいで放置プレイを科せられた藤村。
余計なことという意見には、アキも賛成だ。
「同情していいのかわからねーが、少なくとも、あんな凶暴なのと付き合えるあんたを、尊敬するぜ」
「羨ましがっても、このポジは譲んねーぞ」
「一っ欠けらも羨ましくねー!」
それから男たちのアッキーに対する愚痴は続いた。
暴君だということで意見の一致を見、時刻はそろそろ昼食時。
「もうなんでもいいや」
デミグラスに拘っていた男は、愛する者の手料理が食べたいだけだと気が付いた。
「俺も、どうでもいいな」
和風きのこを主張していた男は、食えるならなんでもいいことに気が付いた。
「あう……」
そして、ベシャベシャソースをこよなく愛する男は、アッキーが己の願いを聞き届けてくれただけでいいじゃないかと、気が付いたのだった。
三人が三人とも、またもや同じことを考えた。
目を見交わして、ニヤリと笑い合う。
アッキーが作ってくれればなんでもいい。それが最高に美味しいものなのだから。
食卓に並ぶのは、鮮やかな黄色。
ふわふわトロトロ、どんな有名店だって敵わないオムライス。
男たちの腹を満たすため、アッキーが作ってくれた一品だ。
「……あ、あれ?」
「……お、おい?」
戸惑いを隠しきれない藤村と明石のことを、アッキーは華麗にスルーした。
テーブルに並んでいるのは、熱々のオムライス。
アキの大好きなオムライス。
ナイフで切れば、とろりと溶け出す半熟玉子を想像しただけで、今にも涎が零れ落ちそう。
だがしかし、ちょっとおかしくはないだろうか?
アキの目の前にあるのは、黄色、それはもう見事な黄色い玉子。
何ものにも侵されず、ただ黄色だけを主張する玉子だなんて、ちょっとおかしくはないか?
「えっと、なんもかかってないですよね、これ」
藤村の勇気ある発言に、アッキーは聞こえないフリをした。
「ソースってのは、どこいったんだ?」
明石の素朴な疑問は、アッキーの眦を吊り上げただけだった。
「好みでかけろ」
ぶっきらぼうにそう告げて、アッキーがテーブルの上に乗せた物に、三人の男たちは目を丸くする。
デンと置かれたその物体、それはまさしく……。
「あ、あああああああ、」
赤く輝くボトルのラベルに、ケチャップの文字を発見したその瞬間、アキの絶叫がリビング内を席巻したのは言うまでもないこと
「いやなのーーーーー!」