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平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-

[平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-17]


結局また、アーちゃんにからかわれてるだけなのだと悟り、ムッとしながら手元のグラスに何度も口を付けた。
ちゃんとおつまみも食べながらだから、前とは違って急激に酔ってはいない、と思う。
ただ顔が火照ってきた気はするけど。

「おかわりっ」

チビチビ飲んでたはずが、いつの間にか空っぽになったグラス。
だから空になったグラスを、グイッとアーちゃんに押し付けてやった。
アーちゃんは暫く僕を見詰めて、やがて渋々と空のグラスを受け取った。

「はいはい、お坊ちゃま」

そう言ってキッチンに向かうアーちゃんを、ピリ辛きゅうりを食べながら見送る。
アーちゃんをこき使うなんて、こういうときくらいしかできないものね。

「はい、どうぞ。あまり飲み過ぎないように」

「ありがとう……あれ? さっきのと違うよ」

コトンとテーブルに置かれたグラス。
その中身は、さっき飲んでいたものとはあまりにも違っていた。
さっきのは、単純に日本酒に氷を入れただけのもの。
でも今回のは、朱色をした液体だったんだ。

「レッドサンっていうの」

「レッドサン?」

朱色に染まったグラスを手に取って、鼻を近づけてみる。
微かに漂うアルコール臭に混じり、強く自己主張してくるこの香りは。

「トマトジュースだ」

「正解。日本酒のトマトジュース割り」

「へぇ、おもしろい」

初めてみた朱色の液体は、つまりはカクテルと呼ばれるものってことだよね。
試しに一口飲んでみたら、

「美味しいっ」

「そりゃ、よかった」

日本酒の味は消えてないのにすごくスッキリとした味わいで、驚くほど飲みやすくなっている。

「飲みやすいからって、調子に乗らないように」

「え、あ、う、うん、もちろんだよ」

既に3分の1ほど飲み干していたけど、その一言で自制心をフル稼働することにした。
いくら美味しくても、これはお酒なんだ。
この間と同じ失敗をしないよう、自分で自分を制限しなければいけない。
それが、大人だ。

というわけで、できるだけゆっくりと飲んでるつもりでも、やはりペースは速まっていたらしく、あっという間に二杯目のおかわりをねだっていた。
そんな僕を、アーちゃんは叱るでもなく文句を言うでもなく、なぜだか呆れもせずに眺めている。
思ったのと違う反応に少し戸惑いながらも、ねだることは止められなかった。

「おかわり、ねぇ、作ってよ、アーちゃん」

「いいよ」

優しい微笑みだけを残し、再度レッドサンを作り行く背中をボンヤリと眺める。
自分がすごく甘えてるような気がした。
事実、甘えている。

「はい、どうぞ」

「ううう」

「なに? 変顔の練習?」

「へ、変顔って言うなっ」

「はいはい、ごめんなさい」

軽くいなされたことが、すごくたまらなく感じた。

「チ、チーズ、食べたい」

「チーズ? いいよ、はい」

アーちゃんがフォークで刺したチーズを、僕の口元に運んでくれる。
すかさず口を開けて、ありがたく頂戴した。
アーちゃんが選んでくれたのは、トロリとした触感とミルクの風味が絶妙なチーズだった。
まろやかで濃厚で、まるでチーズケーキを食べたかのようだ。

「お、おいひいっ。こんなチーズ、初めてだよ」

「ブリア・サヴァランっていうの。気に入った?」

「うん、うん、すごくおいしい」

ちょっと興奮気味の僕に口元だけで笑い返し、アーちゃんが自分のグラスにお酒を注ぐ。
もう、何杯目か分からない。
僕の相手をしながらも、しっかりと飲んでるところがアーちゃんらしい。

それから二度おかわりをねだる僕に、アーちゃんは嫌な顔一つせず、レッドサンなるものを作ってくれた。
そして四杯目を前にして、僕の体は熱を持ち頭はボーっとふらついていて、酔っていると自信満々に言える状態にあった。
飲みすぎるなと注意されてたはずなのに、ジュースとしかいえない味に油断した。

「アッくん、先に寝てていいよ」

「アーちゃんは、まだ飲むの?」

「まだって、まだ9時じゃん」

「え、はれ? まだそんな時間?」

「うん、まだそんな時間。でも、アッくんはそろそろ寝たほうがいいよ。
なんだったら運んであげようか?」

一見親切な申し出のようでいて、その実茶化していることは顔を見なくてもわかる。
もうっ、すぐにからかうんだから。

「だ、大丈夫だよっ」

「そ、じゃ、お一人でどうぞ」

あっさり引いて、アーちゃんがノートPCのふたを開ける。
ずっと閉まっていたけど、その間も電源は入っていたらしい。

「ゲームするの?」

「ゲーム"も"するの」

「お酒飲みながら?」

「うん、飲みながら」

アーちゃんの視線は、既にPCに釘付けだった。
僕にはよく分からないものが、液晶のモニターに映し出されている。

「寝ないの?」

「まだ寝ないでしょー」

「夜更かしするの?」

「明日も休みだしね」

この連休が始まってから、アーちゃんがPCに触れる時間はなかった。
だったらしょうがないと思いはするのに、なぜだか無性に腹が立つ。
酔いのせいなのかもしれない。うん、そうだ、僕は酔ってるんだ。

「あっ、こらっ」

勢いよくふたを閉めたら、アーちゃんがびっくりした顔で僕を見ていた。
なんだか、してやったりな気分。
でも、きっと怒られるよね。
アーちゃんは、意外と口よりも先に手が出るタイプだし……。

案の定、僕に向かって伸ばされる右手に、ビクッと身を竦ませた。
こめかみグリグリ? それとも、こしょばし攻撃?
どちらも苦手だ。ここは、そうそうに降参したほうがいいんだろうか。

「連休始まってから、なーんかおかしいよね。なんかあった?」

髪に触れる温かな掌。
その感触に、恐る恐る顔を上げてみれば、正面には心配顔のアーちゃんがいた。

「怒らないの?」

「なんで怒るのよ?」

「だって、いつもなら怒ってるでしょ」

「何言ってんの。いつもは、こんなことしないくせに」

そう言われたらそうかもしれない。
そもそもアーちゃんは、いつも僕をからかったり苛めたりするけど、ここぞというときには優しく接してくれるんだ。
それは連休中にも、十分に感じ取れていた。
利香に詰まらない嫉妬をしてた僕に、望む言葉を容易くくれたり、たかがアイスのために走ってくれたり……。

そうなんだ、アーちゃんはすべてを冗談で済ませたりしない。
本当に必要なとき、ちゃんと話を聞いてくれるし、ただただ甘やかしてもくれる。
それは極限られた人にだけ与えられる恩恵で、だからこそこちらの優越感を強烈に刺激する。
彼に認められたと、そんな意識に捕らわれやすくなってしまうんだ。
それは、間違っているというのに……。

「僕ね……すごくおかしいんだよ」

「うん、おかしいね」

「僕、我儘ばっかり言ってるよね」

「そうかもね。小さいものばっかだけど」

「小さい……かな?」

「いきなりアイスが食べたいとか、酒入れてこいとか、その程度どってことないでしょ」

「どうってことない? じゃあ、もっともっと我儘を言ったら?」

「できることは叶えてあげるけど、無理なものは我慢してもらう」

「わ、我儘言うなーって怒らないの?」

「怒らないよ。だって、アッくんは俺を試したいんでしょ?」

何を言われてるか、分からなかった。
だけど自分の行動を振り返ると、一気に頭に血が昇ったんだ。
僕の言動すべてが、アーちゃんの気を引きたいがためのものに思えてきたから。

「ぼ、ぼぼぼぼぼ、僕っ、」

動揺すると、上手く言葉を発せなくなるのは、僕の短所だ。
だけど今回は、この先の言葉が思いつかないだけ。
まともな思考力が吹っ飛んだのかもしれない。

「落ち着けって」

「ぼ、ぼぼぼ、僕、だって、僕、」

歩いているとき、アーちゃんを見る人たちが気になった。
アーちゃんのことなんか何も知らないくせに、簡単に声をかけてきた女性たちが……。

更に上がってくる血液に、眩暈がした。
頭の中は限界までクラクラしてて、体の感覚なんか完璧に麻痺している。

アーちゃんが利香に優しくしたときに感じたモヤモヤや、他の人に見られてると気付いたときのイライラ。
それら全部が、アーちゃんへの独占欲から来ているもの。
じゃあ、その独占欲はどこから来てるんだろう?
友達だから? 違う、それだけで、ここまで相手を意識するだろうか?
心当たりがある感情は一つだけで、だけどそれだと、まるで、まるで僕がアーちゃんを……、

「僕は、……」

耳の傍で、ドクドク脈打つ血管。
うるさいとか煩わしいとか思わなかった。
遠くなりかけた意識では、それらを厭う気持ちすらも遥か遠くにあったから。

「僕は……アーちゃんが、好きなのかな?」

「違うよ」

即座に返ってきたのは、否定の言葉だった。
それにホッとした途端、僕は簡単に意識を手離していた。

だから知らないんだ。
完全に眠りに落ちた僕を抱き上げながら、アーちゃんが言った最後の言葉を。

「数滴で酔えるとか、ヤッスいなー」

常と変わらぬ意地悪な表情と軽口で、そんなことを言ってたなんて、知らないんだ。
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