平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-
[平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-13]
両手にたくさんの荷物、そして、
「あらー、ちゃんと買えたのね。エライエライ」
ひどいときは四時間待ちというレアなデザートを携えて、アーちゃんが戻って来ました。
この雨のなか、本当にご苦労様です。
「大雨のおかげで、ほとんど人がいなかったから」
並ぶことなく買えたのは、この豪雨のおかげだったのか。
映画はダメにしてくれたけど、デザートが買えたのはよかったと喜ぶべきかな。
「アッくん、飯の前に手当てすっから」
「う、うん、ありがと、あの、アーちゃん、その服は?」
アーちゃんの服装は、さっきまでとガラリと変わっていた。
よく見ると、アーちゃん自身にも、ずぶ濡れだった痕跡がない。
「これ? 着替えたけど、なんかヘン?」
「い、いつシャワー浴びたの?」
「ここ、ベッドルームにシャワーがついてんの」
セ、セレブだ……。
「そ、そうなんだ、だけどね、どうして着替えが、」
そ、そっか、セフレさんだから、アーちゃんの着替えがあってもおかしくない、のかな?
でもね、引っかかる部分があるんだよね。
服の趣味が明らかにアーちゃんのものじゃないってところが、どうしても気に掛かるんだよ。
黒のスラックスは超がつくほどにシンプルで、くっきり出てるツータックはアイロンが完璧にあてられている証拠。
こんなの、どう考えてもアーちゃんの趣味じゃないよ。
シャツのほうも真っ白でシンプルで、これまたカッチリとアイロンがあてられた、いかにもなまでのワイシャツ。
あまりにもアーちゃんらしくない服装だ。
たとえるなら、スーツから背広とネクタイを取っただけのような感じなんだもの。
「着替え? ああ、これ? 瞳子さんの」
「と、瞳子さんの?」
どう見ても男物なのに、まさか瞳子さんがそれを着てるの?
「ちょっと、その言い方だと誤解されるでしょ。ボクちゃん、これはねうちのお店の制服だから、変な勘違いはダメよ」
「そうそう、ウェイターの、あれ? そういう話したんだ」
「したした、いろんなこといーっぱい話した」
ニヤニヤと、まるで挑発してるかのような瞳子さんに、アーちゃんは平然と
「ふーん、打ち解けたようでなにより」
とだけ返して、冷蔵庫に買ってきた品々を詰め込みはじめた。
「つまんない男ね」
「よく言われる」
瞳子さんはこりゃダメだと僕に訴えかけるように、両手を広げ大きく肩を竦めてみせた。
「相変わらず、ここの冷蔵庫には酒しか入ってないね。もっと仕事させてやれよ」
「他に何を冷やすっていうのよ? ねー、ボクちゃん」
「えっと、普通に卵とかお肉とか野菜とか冷やせばいいかと……」
「あーあー聞こえない」
耳を押さえ、ぶんぶん頭を振り回す瞳子さんに苦笑するしかなかった。
可愛いんだけど、その姿から察するに、何もできない手のかかる女性のようで、だけどそれがまた魅力の一つと受け止められる女性だ。
食料を詰め終わると、アーちゃんは湿布片手に僕の前に跪き、すぐに挫いた足を取った。
「ちょっと、氷で冷やしといてって、お願いしといたじゃんっ」
何も施されていない僕の足を見て、アーちゃんが瞳子さんに食って掛かった。
だけどそれは本気とも思えず、とりあえず言ってみただけにすぎないものだ。
瞳子さんも瞳子さんで、まったく悪びれない様子。
「あんたのお願いの仕方が悪かったんじゃないの?」
「ったく、これでアッくんが歩けなくなったら、責任とってもらうからねっ」
「喜んで」
瞳子さんが、ニコッと笑う。
喜んでと言ってもらえたのには安心したけど、その責任の取り方には些か問題がありそうです。
◆
アーちゃんは患部に湿布を貼り、丁寧にテーピングしてくれた。
綺麗に固定された足首は、軽く着いただけでは痛みはなく、その手際のよさに感心した。
「アーちゃんって、なんでもできるね」
「そうでもないわよー」
「なんで瞳子さんが答えてんのよっ」
それはまるで、会話でじゃれあってるかのようだった。
お互いが甘えあい突き放す、そんなことを楽しんでいるような、そんな感じ。
やがて瞳子さんはスケッチと向き合う。アーちゃんはキッチンに立ち、遅い遅い昼食を作りはじめた。
できれば手伝ってあげたいけど、少し立ち上がっただけで
「座ってなさい」
「座ってろって」
と、二人係りで止められるものだから、何もできない。
仕方なく大人しく座ったまま、暇を持て余した僕は、さきほどのスケッチブックの続きを見ることにした。
たまにジュエリーのデザイン画らしきものがチラホラあるなか、一番多いのは静物画だった。
トマトだったりリンゴだったり。次に多かったのは、風景画。
不思議と人物画らしきものはなく、人を描くのが嫌いなのかなと思ったとき、最後のページに描かれた絵を見て、瞬間息を飲んだ。
軽いタッチで描かれたデッサンは、初めて見た人物画だった。
地にペタンと座り込む華奢な肢体、どこを見ているのか分からない、黒目勝ちの瞳。
アキラかと、思った。
だけど、その予想が大幅に外れてることは、胸元の微かな膨らみを見つける前からわかっている。
髪の長さも違うし、なにより女性だということがパッと見ただけで伝わってくるんだもの。
いわゆる、裸婦像というものだろうか。
モデルとなった女性は布一枚纏わずに、子供のようにいとけない身体を晒していた。
そこから淫らなものなど何一つ伝わってこない。
そんな彼女の姿をつぶさに眺めようとしたとき、僕の目の前で唐突にスケッチブックが閉じられた。
「あ、」
「おしまい」
アーちゃんが、自然な動作で表紙に手を重ねた。
それはまるで、もう見てはいけないと語ってるようだ。
「瞳子さん、カスクルートでよかった?」
「口に入るなら、なんでも」
バゲットサンドの並んだ皿を、アーちゃんがどんどんとテーブルに運んでくる。
待ちに待った昼食は、雨が降る前に希望したメニューとなり、わざわざ作ってくれたアーちゃんに感動した。
フランスパンに挟まっていたのは、スモークサーモンに生ハム、チキン、レタスやアボカドなどのたっぷりの野菜。
これは、お世辞抜きに美味い。
「ホント、器用ね」
「これくらい誰でもできるっつの」
モグモグと口を動かしながら、こんなときでもじゃれあう二人がおもしろい。
「それは、皮肉かしら」
「瞳子さんほどの人なら、料理なんかできなくても問題ないでしょ」
「男は、そうは思わないんでしょ」
「家政婦雇えばいいんだし、関係ないんじゃないのー。ま、俺ならごめんだけど」
目一杯バゲットを口に含みパンパンに膨らませた頬で、ギッとアーちゃんを睨みつける瞳子さんが真剣に怖い。
とても美しい人なだけに、気の強そうな印象を与える眦を吊り上げると、それはそれは恐ろしくなるんだ。
鬼女というのは、もしかしたらこういう人を言うのかもしれないね。
両手にたくさんの荷物、そして、
「あらー、ちゃんと買えたのね。エライエライ」
ひどいときは四時間待ちというレアなデザートを携えて、アーちゃんが戻って来ました。
この雨のなか、本当にご苦労様です。
「大雨のおかげで、ほとんど人がいなかったから」
並ぶことなく買えたのは、この豪雨のおかげだったのか。
映画はダメにしてくれたけど、デザートが買えたのはよかったと喜ぶべきかな。
「アッくん、飯の前に手当てすっから」
「う、うん、ありがと、あの、アーちゃん、その服は?」
アーちゃんの服装は、さっきまでとガラリと変わっていた。
よく見ると、アーちゃん自身にも、ずぶ濡れだった痕跡がない。
「これ? 着替えたけど、なんかヘン?」
「い、いつシャワー浴びたの?」
「ここ、ベッドルームにシャワーがついてんの」
セ、セレブだ……。
「そ、そうなんだ、だけどね、どうして着替えが、」
そ、そっか、セフレさんだから、アーちゃんの着替えがあってもおかしくない、のかな?
でもね、引っかかる部分があるんだよね。
服の趣味が明らかにアーちゃんのものじゃないってところが、どうしても気に掛かるんだよ。
黒のスラックスは超がつくほどにシンプルで、くっきり出てるツータックはアイロンが完璧にあてられている証拠。
こんなの、どう考えてもアーちゃんの趣味じゃないよ。
シャツのほうも真っ白でシンプルで、これまたカッチリとアイロンがあてられた、いかにもなまでのワイシャツ。
あまりにもアーちゃんらしくない服装だ。
たとえるなら、スーツから背広とネクタイを取っただけのような感じなんだもの。
「着替え? ああ、これ? 瞳子さんの」
「と、瞳子さんの?」
どう見ても男物なのに、まさか瞳子さんがそれを着てるの?
「ちょっと、その言い方だと誤解されるでしょ。ボクちゃん、これはねうちのお店の制服だから、変な勘違いはダメよ」
「そうそう、ウェイターの、あれ? そういう話したんだ」
「したした、いろんなこといーっぱい話した」
ニヤニヤと、まるで挑発してるかのような瞳子さんに、アーちゃんは平然と
「ふーん、打ち解けたようでなにより」
とだけ返して、冷蔵庫に買ってきた品々を詰め込みはじめた。
「つまんない男ね」
「よく言われる」
瞳子さんはこりゃダメだと僕に訴えかけるように、両手を広げ大きく肩を竦めてみせた。
「相変わらず、ここの冷蔵庫には酒しか入ってないね。もっと仕事させてやれよ」
「他に何を冷やすっていうのよ? ねー、ボクちゃん」
「えっと、普通に卵とかお肉とか野菜とか冷やせばいいかと……」
「あーあー聞こえない」
耳を押さえ、ぶんぶん頭を振り回す瞳子さんに苦笑するしかなかった。
可愛いんだけど、その姿から察するに、何もできない手のかかる女性のようで、だけどそれがまた魅力の一つと受け止められる女性だ。
食料を詰め終わると、アーちゃんは湿布片手に僕の前に跪き、すぐに挫いた足を取った。
「ちょっと、氷で冷やしといてって、お願いしといたじゃんっ」
何も施されていない僕の足を見て、アーちゃんが瞳子さんに食って掛かった。
だけどそれは本気とも思えず、とりあえず言ってみただけにすぎないものだ。
瞳子さんも瞳子さんで、まったく悪びれない様子。
「あんたのお願いの仕方が悪かったんじゃないの?」
「ったく、これでアッくんが歩けなくなったら、責任とってもらうからねっ」
「喜んで」
瞳子さんが、ニコッと笑う。
喜んでと言ってもらえたのには安心したけど、その責任の取り方には些か問題がありそうです。
◆
アーちゃんは患部に湿布を貼り、丁寧にテーピングしてくれた。
綺麗に固定された足首は、軽く着いただけでは痛みはなく、その手際のよさに感心した。
「アーちゃんって、なんでもできるね」
「そうでもないわよー」
「なんで瞳子さんが答えてんのよっ」
それはまるで、会話でじゃれあってるかのようだった。
お互いが甘えあい突き放す、そんなことを楽しんでいるような、そんな感じ。
やがて瞳子さんはスケッチと向き合う。アーちゃんはキッチンに立ち、遅い遅い昼食を作りはじめた。
できれば手伝ってあげたいけど、少し立ち上がっただけで
「座ってなさい」
「座ってろって」
と、二人係りで止められるものだから、何もできない。
仕方なく大人しく座ったまま、暇を持て余した僕は、さきほどのスケッチブックの続きを見ることにした。
たまにジュエリーのデザイン画らしきものがチラホラあるなか、一番多いのは静物画だった。
トマトだったりリンゴだったり。次に多かったのは、風景画。
不思議と人物画らしきものはなく、人を描くのが嫌いなのかなと思ったとき、最後のページに描かれた絵を見て、瞬間息を飲んだ。
軽いタッチで描かれたデッサンは、初めて見た人物画だった。
地にペタンと座り込む華奢な肢体、どこを見ているのか分からない、黒目勝ちの瞳。
アキラかと、思った。
だけど、その予想が大幅に外れてることは、胸元の微かな膨らみを見つける前からわかっている。
髪の長さも違うし、なにより女性だということがパッと見ただけで伝わってくるんだもの。
いわゆる、裸婦像というものだろうか。
モデルとなった女性は布一枚纏わずに、子供のようにいとけない身体を晒していた。
そこから淫らなものなど何一つ伝わってこない。
そんな彼女の姿をつぶさに眺めようとしたとき、僕の目の前で唐突にスケッチブックが閉じられた。
「あ、」
「おしまい」
アーちゃんが、自然な動作で表紙に手を重ねた。
それはまるで、もう見てはいけないと語ってるようだ。
「瞳子さん、カスクルートでよかった?」
「口に入るなら、なんでも」
バゲットサンドの並んだ皿を、アーちゃんがどんどんとテーブルに運んでくる。
待ちに待った昼食は、雨が降る前に希望したメニューとなり、わざわざ作ってくれたアーちゃんに感動した。
フランスパンに挟まっていたのは、スモークサーモンに生ハム、チキン、レタスやアボカドなどのたっぷりの野菜。
これは、お世辞抜きに美味い。
「ホント、器用ね」
「これくらい誰でもできるっつの」
モグモグと口を動かしながら、こんなときでもじゃれあう二人がおもしろい。
「それは、皮肉かしら」
「瞳子さんほどの人なら、料理なんかできなくても問題ないでしょ」
「男は、そうは思わないんでしょ」
「家政婦雇えばいいんだし、関係ないんじゃないのー。ま、俺ならごめんだけど」
目一杯バゲットを口に含みパンパンに膨らませた頬で、ギッとアーちゃんを睨みつける瞳子さんが真剣に怖い。
とても美しい人なだけに、気の強そうな印象を与える眦を吊り上げると、それはそれは恐ろしくなるんだ。
鬼女というのは、もしかしたらこういう人を言うのかもしれないね。