平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-
[平凡君の日々彼此-2014夏の特別編-9]
アーちゃんの肩を借りて、大雨のなかどうにかこうにか数歩は歩くことができた。
そして乗り込んだタクシーの中で、食事はともかく、映画は諦めてと言われた。
足の状態を考えたら、それも仕方ないことだ。
「ねぇ、タクシーで寮まで帰るの?」
駅まで歩いて、そこからまたバス停までと考えたら、そうしてもらう他はなさそうだった。
だけど、ここから寮までの距離を考えたら、かなりの金額になるんじゃないだろうか。
お小遣い、いくら持ってきたっけ……。
「近くに知り合いがいるから、そこで足の手当て」
「知り合い?」
「うん、知り合い」
「……女の人?」
アーちゃんが、さり気ない動作で窓の外を見る。
…………女の人の部屋に行くつもりだーーー!
「あ、え、えええ、ちょ、ちょっと、ちょっと」
「うっさいよ」
「だ、だだだだって」
アーちゃんの知り合いの女の人となれば、それはすなわち、セフレさんのことではないでしょうか!?
さして走ってもいないのに、車はゆっくりと停車し、ドアが勝手に開く。
って、タクシーのドアは自動だから、当たり前なんだけどね。
「え、も、もも、もう着いたの?」
メーターはワンメーターくらいしか動いてないんじゃなかろうか?
「ごめんね、近くて。お釣りはいいから」
そう言って、乗ったときから笑顔の運転手さんに1000円札を渡し、アーちゃんがさっさと車から降りる。
「え、えっと、あ、ありがとうございました」
僕もお礼を言いながら、足に負担をかけないようソッと身を乗り出した。
待ち構えていたアーちゃんが手を貸してくれたから、そのままもたれるようにして肩を借りて歩く。
すぐに大きなビル内に入ったら、そこは目を瞠るほどにきらびやかなエントランスだった。
大理石の床、荘厳かつ豪華なシャンデリア、そしてカウンターがあり、ビシッとスーツを着こなした男女がこちらをジロジロと見ていた。
アーちゃんになかば抱え上げられるようにして歩きながら、ポカンと口を開けてる僕には、まったくもって相応しくない場所だってのは分かったけど、いったいここは何処なんだろう?
ホテルかな?
それにしては、雰囲気が違いすぎる。
だって、人がいないんだもの。
ホテルのロビーなら、それに見合ったお客さんがいるはずなのに、誰も、本当に誰もいないんだ。
「ちょっと待ってて」
「あ、アーちゃん」
豪華なソファに座らされ、一人取り残されてしまった。
アーちゃんはカウンターに行き、そこで女の人と話していた。
まさか、あの人が、セフレさん?
男性のほうが一旦奥に引っ込み、すぐにカウンターから出てきて僕の方にやってくる。
もしかしたら、怒られて摘み出されるのかもしれない。
そんな恐怖にビクビクしながら待ち構えてると、
「どうぞ、お使いください」
そう言って、真っ白で見るからに清潔そうなフワフワのタオルを差し出してくれた。
「え、あの、あ、ありがとう、ございます」
「ただいま確認を取っております、もう少々お待ちください」
これぞまさしく完璧な笑顔ともいうべき微笑を残して、男性は去って行った。
さっぱり意味がわからない……。
だけども、タオルをくれたってことは、使っていいってことだよね。
まさか、あとから怒られたりしないよね。
多少不安はあるけども、濡れたせいで体も冷えてきたから、ありがたく使わせていただくことにした。
まるで服を着たままプールに飛び込んだのかというくらいに、全身はずぶ濡れだった。
頭の水気を拭い上半身を拭いてると、同じくタオルを持ったアーちゃんが戻って来る。
「もうちょいがんばれる? それとも、抱っこがいい?」
「あ、歩けるよっ」
「あらら、残念」
また肩を借りてびっこを引きながら歩き、ロビーを横切って大きな扉を潜り抜けて着いた先には、エレベーターがあった。
やっぱり誰とも擦れ違ったりしなくて、その人気のなさに尻込みしそうだ。
エレベーターは既に開いていたのに、誰かが降りる気配も乗る気配もなかった。
ただ到着を知らせるランプが、チカチカ光っているだけだ。
アーちゃんは迷うことなくその箱に入ったから、当然僕も一緒に乗るわけだけど。
「あ、あれ、押さないの?」
「目的の階にしか止まらないようになってんの」
「すごい…」
閉まるのボタンで、すぐに浮上しはじめたエレベーター。
デジタル表示の数字が、どんどん上階を映し出していく。
豪華な造り。
誰とも会わないエントランス。
カウンターの人。
目的階にしか止まらないエレベーター。
僕だって、まともな男子高校生だ。
しかも男子校に通っている。
女三人寄ればというが、男だって数人寄ればかなりかしましい。
会話の内容も、女性にはとてもとても聞かせられないものになるときもある。
だから僕だって、少なからず知っている。
そういう場所があることも、そういう場所の独特なルールも。
「ねぇ、こ、ここが、ラブホってところ?」
◆
結論からいえば、ここはラブホテルではなかった。
どちらかというと、まったく真逆の建物だ。
つまり、マンションなんだって。
入り口にカウンターがあり、24時間コンシェルジュが待機していて、来客はカウンターを通さなければマンション内には入れない。
はは、あまりにも僕の常識から掛け離れているよ。
「芸能人なんかが多いからね、しゃーないのよ」
「ふ、ふーん……」
他になんと言えと?
ゲラゲラと無遠慮に大笑いしてくれたアーちゃんは、それでも僕の体を支える腕を緩めない。
無知を披露したのは自分だし、これは怒れる立場ではないよね。
その後エレベーターはかなり上階で止まり、僕たちは目的の部屋の前に到着した。
インターフォンを鳴らしたら、暫くして扉の開く音がした。
どうしよう、すごく緊張する。
そして開いた瞬間、明らかに女性の腕とおぼしきものが中から伸びてきて、真っ直ぐにアーちゃんの頬にヒットした。
「いってーっ」
「……」
目にも留まらぬ、いや、留まったけど、そういう問題じゃなくて、あまりにも迷いのない平手打ちが、アーちゃんの頬を直撃したことに愕然とし、あんぐりと口が開いた。
「あーらアーさん、お見限りー」
「昭和の飲み屋かよ」
「シャッチョサーン、シンダオモテタヨー」
「アホか」
中から現れたのは、女の人だった。
それも見るからに美しい、大人の女性だ。
体のラインを強調するようなワンピースの丈は短く、細い足を際立たせるスリットまでが入っている。
胸元は大きく開いていて、ついでに背中もガッツリ開いてるものだから、目のやり場に困った。
「で、純情可憐な少年は?」
「目の前にいますよねっ、見えませんっ?」
小声で怒鳴りながら、アーちゃんが僕の腰を引き上げた。
おかげで、美女の視線を真正面から受け止めることになってしまった。
「あ、あの、あの……」
どうしよう、すごく逃げたい。
意識せずビクビクと震えていたら、美女の赤く濡れた口唇が弧を描くのを目の当たりにした。
泣きそうです……。
「いやーん、カーワーイーイー」
突然、女子高生のような奇声を発し、両手をキュッと拝むように組み合わせた女性が、首と腰をくにゃくにゃと動かした。
「決して食わないように」
「味見は?」
「ダメ」
「ケチ、イ○ポ」
「誰がだ!」
アーちゃんと女性の間で交わされる不穏な会話は、僕の耳にもしっかりと届いていた。
正直、聞きたくなかったです。
◆
美女の名前は、瞳子(とうこ)さん。
苗字は分からない。アーちゃんとの関係も、何者なのかも、そして、年齢も。
外見からでは、まったく判別つかないんだ。
ちょっと、不思議な雰囲気を持った女性です。
「結構な年だから」
アーちゃんが言った途端、瞳子さんの平手打ちがさっきとは逆の頬に炸裂した。
「痛いって、このドSっ」
「お黙り、ドM」
「誰がドMだっちゅーねん」
「あんた以外に、誰がいるのよ」
扉の中には入れてもらえたけど、まだ玄関先で靴も脱いでない状態で始まった、二人の掛け合い。
なんとなく、似た者同士という言葉が浮かんできた。
「あ、あ、あの……ックシュン」
「あ」
「あらら、まずはお風呂ね」
「ごめんごめん、かなり冷えてるよな」
確かに、ちょっと寒い。
借りたタオルのおかげで水気はどうにかなったけど、服が乾いてきたせいで体温が奪われ始めている。
「いいわ、早く上がりなさい。全部好きに使っていいから、ゆっくり温まってくるのよ、ボクちゃん」
「ボクちゃん認定、よかったね、アッくん」
「はぁっ!?」
まったくペースの掴めない会話に唖然としてる間もなく、アーちゃんが僕の体をヒョイと持ち上げた。
「ちょ、ちょっと、アーちゃん」
「メンドイの」
「メン、メンドイって、わ、わわ」
いわゆるお姫様抱っこをされたせいで安定感に欠く体は、下手に動けば落とされそうな不安感を煽ってくれる。
必然的に両腕は縋るものを求め、だから、つまり、
「そうそう、そうやってジッとしててね」
自らアーちゃんの首にしがみついた両腕が、憎い……。
外観も設備も立派なら、内装も強烈なマンションの廊下はとにかく広くて長い。
もう驚くのも疲れたから、気にしないことにしよう。
アーちゃんは案内もなくスタスタ進み、バスルームで僕を降ろしてくれた。
「豪華つっても普通の風呂だから、だいたい分かるでしょ?」
「あ、うん、大丈夫、だと思う」
「脱いだ服は、ここにいれといて、あとで乾燥機回すから」
「うん」
「着替えがないから、バスローブな」
「……う、うん」
「あ、瞳子さんの借りる? アッくんなら着れそうだし」
「い、いいっ、大丈夫っ」
あのすごいワンピースを見たら、とてもじゃないけど借りる気にはならない。
「あっそ、じゃ、ごゆっくり」
「アーちゃんは?」
「俺は、ちょっと買い物。この家、湿布とかねーから」
「ええっ、ぼ、僕、一人?」
「うん、風呂出たら、ソファに座ってたらいいよ。それくらいの移動はできるでしょ」
「うん、それは大丈夫だと思うけど……」
「なんかあったら、瞳子さん呼べばいいから。なんだかんだで面倒見いい人だからね」
アーちゃんがそういうなら、そうなんだろう。
とても信頼してるみたいだし。
「うん、分かった」
アーちゃんの肩を借りて、大雨のなかどうにかこうにか数歩は歩くことができた。
そして乗り込んだタクシーの中で、食事はともかく、映画は諦めてと言われた。
足の状態を考えたら、それも仕方ないことだ。
「ねぇ、タクシーで寮まで帰るの?」
駅まで歩いて、そこからまたバス停までと考えたら、そうしてもらう他はなさそうだった。
だけど、ここから寮までの距離を考えたら、かなりの金額になるんじゃないだろうか。
お小遣い、いくら持ってきたっけ……。
「近くに知り合いがいるから、そこで足の手当て」
「知り合い?」
「うん、知り合い」
「……女の人?」
アーちゃんが、さり気ない動作で窓の外を見る。
…………女の人の部屋に行くつもりだーーー!
「あ、え、えええ、ちょ、ちょっと、ちょっと」
「うっさいよ」
「だ、だだだだって」
アーちゃんの知り合いの女の人となれば、それはすなわち、セフレさんのことではないでしょうか!?
さして走ってもいないのに、車はゆっくりと停車し、ドアが勝手に開く。
って、タクシーのドアは自動だから、当たり前なんだけどね。
「え、も、もも、もう着いたの?」
メーターはワンメーターくらいしか動いてないんじゃなかろうか?
「ごめんね、近くて。お釣りはいいから」
そう言って、乗ったときから笑顔の運転手さんに1000円札を渡し、アーちゃんがさっさと車から降りる。
「え、えっと、あ、ありがとうございました」
僕もお礼を言いながら、足に負担をかけないようソッと身を乗り出した。
待ち構えていたアーちゃんが手を貸してくれたから、そのままもたれるようにして肩を借りて歩く。
すぐに大きなビル内に入ったら、そこは目を瞠るほどにきらびやかなエントランスだった。
大理石の床、荘厳かつ豪華なシャンデリア、そしてカウンターがあり、ビシッとスーツを着こなした男女がこちらをジロジロと見ていた。
アーちゃんになかば抱え上げられるようにして歩きながら、ポカンと口を開けてる僕には、まったくもって相応しくない場所だってのは分かったけど、いったいここは何処なんだろう?
ホテルかな?
それにしては、雰囲気が違いすぎる。
だって、人がいないんだもの。
ホテルのロビーなら、それに見合ったお客さんがいるはずなのに、誰も、本当に誰もいないんだ。
「ちょっと待ってて」
「あ、アーちゃん」
豪華なソファに座らされ、一人取り残されてしまった。
アーちゃんはカウンターに行き、そこで女の人と話していた。
まさか、あの人が、セフレさん?
男性のほうが一旦奥に引っ込み、すぐにカウンターから出てきて僕の方にやってくる。
もしかしたら、怒られて摘み出されるのかもしれない。
そんな恐怖にビクビクしながら待ち構えてると、
「どうぞ、お使いください」
そう言って、真っ白で見るからに清潔そうなフワフワのタオルを差し出してくれた。
「え、あの、あ、ありがとう、ございます」
「ただいま確認を取っております、もう少々お待ちください」
これぞまさしく完璧な笑顔ともいうべき微笑を残して、男性は去って行った。
さっぱり意味がわからない……。
だけども、タオルをくれたってことは、使っていいってことだよね。
まさか、あとから怒られたりしないよね。
多少不安はあるけども、濡れたせいで体も冷えてきたから、ありがたく使わせていただくことにした。
まるで服を着たままプールに飛び込んだのかというくらいに、全身はずぶ濡れだった。
頭の水気を拭い上半身を拭いてると、同じくタオルを持ったアーちゃんが戻って来る。
「もうちょいがんばれる? それとも、抱っこがいい?」
「あ、歩けるよっ」
「あらら、残念」
また肩を借りてびっこを引きながら歩き、ロビーを横切って大きな扉を潜り抜けて着いた先には、エレベーターがあった。
やっぱり誰とも擦れ違ったりしなくて、その人気のなさに尻込みしそうだ。
エレベーターは既に開いていたのに、誰かが降りる気配も乗る気配もなかった。
ただ到着を知らせるランプが、チカチカ光っているだけだ。
アーちゃんは迷うことなくその箱に入ったから、当然僕も一緒に乗るわけだけど。
「あ、あれ、押さないの?」
「目的の階にしか止まらないようになってんの」
「すごい…」
閉まるのボタンで、すぐに浮上しはじめたエレベーター。
デジタル表示の数字が、どんどん上階を映し出していく。
豪華な造り。
誰とも会わないエントランス。
カウンターの人。
目的階にしか止まらないエレベーター。
僕だって、まともな男子高校生だ。
しかも男子校に通っている。
女三人寄ればというが、男だって数人寄ればかなりかしましい。
会話の内容も、女性にはとてもとても聞かせられないものになるときもある。
だから僕だって、少なからず知っている。
そういう場所があることも、そういう場所の独特なルールも。
「ねぇ、こ、ここが、ラブホってところ?」
◆
結論からいえば、ここはラブホテルではなかった。
どちらかというと、まったく真逆の建物だ。
つまり、マンションなんだって。
入り口にカウンターがあり、24時間コンシェルジュが待機していて、来客はカウンターを通さなければマンション内には入れない。
はは、あまりにも僕の常識から掛け離れているよ。
「芸能人なんかが多いからね、しゃーないのよ」
「ふ、ふーん……」
他になんと言えと?
ゲラゲラと無遠慮に大笑いしてくれたアーちゃんは、それでも僕の体を支える腕を緩めない。
無知を披露したのは自分だし、これは怒れる立場ではないよね。
その後エレベーターはかなり上階で止まり、僕たちは目的の部屋の前に到着した。
インターフォンを鳴らしたら、暫くして扉の開く音がした。
どうしよう、すごく緊張する。
そして開いた瞬間、明らかに女性の腕とおぼしきものが中から伸びてきて、真っ直ぐにアーちゃんの頬にヒットした。
「いってーっ」
「……」
目にも留まらぬ、いや、留まったけど、そういう問題じゃなくて、あまりにも迷いのない平手打ちが、アーちゃんの頬を直撃したことに愕然とし、あんぐりと口が開いた。
「あーらアーさん、お見限りー」
「昭和の飲み屋かよ」
「シャッチョサーン、シンダオモテタヨー」
「アホか」
中から現れたのは、女の人だった。
それも見るからに美しい、大人の女性だ。
体のラインを強調するようなワンピースの丈は短く、細い足を際立たせるスリットまでが入っている。
胸元は大きく開いていて、ついでに背中もガッツリ開いてるものだから、目のやり場に困った。
「で、純情可憐な少年は?」
「目の前にいますよねっ、見えませんっ?」
小声で怒鳴りながら、アーちゃんが僕の腰を引き上げた。
おかげで、美女の視線を真正面から受け止めることになってしまった。
「あ、あの、あの……」
どうしよう、すごく逃げたい。
意識せずビクビクと震えていたら、美女の赤く濡れた口唇が弧を描くのを目の当たりにした。
泣きそうです……。
「いやーん、カーワーイーイー」
突然、女子高生のような奇声を発し、両手をキュッと拝むように組み合わせた女性が、首と腰をくにゃくにゃと動かした。
「決して食わないように」
「味見は?」
「ダメ」
「ケチ、イ○ポ」
「誰がだ!」
アーちゃんと女性の間で交わされる不穏な会話は、僕の耳にもしっかりと届いていた。
正直、聞きたくなかったです。
◆
美女の名前は、瞳子(とうこ)さん。
苗字は分からない。アーちゃんとの関係も、何者なのかも、そして、年齢も。
外見からでは、まったく判別つかないんだ。
ちょっと、不思議な雰囲気を持った女性です。
「結構な年だから」
アーちゃんが言った途端、瞳子さんの平手打ちがさっきとは逆の頬に炸裂した。
「痛いって、このドSっ」
「お黙り、ドM」
「誰がドMだっちゅーねん」
「あんた以外に、誰がいるのよ」
扉の中には入れてもらえたけど、まだ玄関先で靴も脱いでない状態で始まった、二人の掛け合い。
なんとなく、似た者同士という言葉が浮かんできた。
「あ、あ、あの……ックシュン」
「あ」
「あらら、まずはお風呂ね」
「ごめんごめん、かなり冷えてるよな」
確かに、ちょっと寒い。
借りたタオルのおかげで水気はどうにかなったけど、服が乾いてきたせいで体温が奪われ始めている。
「いいわ、早く上がりなさい。全部好きに使っていいから、ゆっくり温まってくるのよ、ボクちゃん」
「ボクちゃん認定、よかったね、アッくん」
「はぁっ!?」
まったくペースの掴めない会話に唖然としてる間もなく、アーちゃんが僕の体をヒョイと持ち上げた。
「ちょ、ちょっと、アーちゃん」
「メンドイの」
「メン、メンドイって、わ、わわ」
いわゆるお姫様抱っこをされたせいで安定感に欠く体は、下手に動けば落とされそうな不安感を煽ってくれる。
必然的に両腕は縋るものを求め、だから、つまり、
「そうそう、そうやってジッとしててね」
自らアーちゃんの首にしがみついた両腕が、憎い……。
外観も設備も立派なら、内装も強烈なマンションの廊下はとにかく広くて長い。
もう驚くのも疲れたから、気にしないことにしよう。
アーちゃんは案内もなくスタスタ進み、バスルームで僕を降ろしてくれた。
「豪華つっても普通の風呂だから、だいたい分かるでしょ?」
「あ、うん、大丈夫、だと思う」
「脱いだ服は、ここにいれといて、あとで乾燥機回すから」
「うん」
「着替えがないから、バスローブな」
「……う、うん」
「あ、瞳子さんの借りる? アッくんなら着れそうだし」
「い、いいっ、大丈夫っ」
あのすごいワンピースを見たら、とてもじゃないけど借りる気にはならない。
「あっそ、じゃ、ごゆっくり」
「アーちゃんは?」
「俺は、ちょっと買い物。この家、湿布とかねーから」
「ええっ、ぼ、僕、一人?」
「うん、風呂出たら、ソファに座ってたらいいよ。それくらいの移動はできるでしょ」
「うん、それは大丈夫だと思うけど……」
「なんかあったら、瞳子さん呼べばいいから。なんだかんだで面倒見いい人だからね」
アーちゃんがそういうなら、そうなんだろう。
とても信頼してるみたいだし。
「うん、分かった」