2013年お正月
[凧揚げ対決]
和凧は揚げるのがとても難しい。
しかも、この凧には尾がついてなくて、とてもバランス調節が大変そうだ。
庭というにはあまりにも広すぎる庭園に躍り出て、とりあえず揚げるための介助をしてもらおうと思った瞬間、3つの凧が既に空へと昇りはじめていた。
「え、嘘……」
凧って、一人で揚げれるものだったっけ?
やはり尻尾がない分フラフラと頼りなく揺れているけど、揚がれば揚がるほどにそれも無くなっていった。
「す、すごい!」
「ですね。和凧は揚げるまでが大変なのに、これほど簡単に揚げてしまうとは」
僕の隣りに立ったアキラも、眩しそうに天を見詰めていた。
「ささ晃様も渡辺殿も、人のことよりもまずはご自分のことを」
僕と似たような黒紋付を着た榊さんと、少し年若の男性が背後に立っていた。
「このモノは柊と申します」
「あ、えっと、渡辺彬です。お、おめでとうございます」
榊さんが紹介してくれた人が丁寧にお辞儀してきたから、僕も慌ててしかえした。
ちょっとだけ榊さんに似てる気がするから、もしかして息子さんかもしれない。
「渡辺殿は和凧は初めて故、しっかりとご指南してさしあげろ」
「畏まりました。では渡辺殿、あちらの広い場所へと参りましょう」
「あ、ああ、はい、ありがとうございます」
「さ、晃様はこちらで」
そう言って榊さんが取り出したのは、
「うっわ、卑怯くせー」
「なの、アキラ、わるいのよ」
「あいつに扱える和凧はこの世に存在しないだろう。あれくらい許してやれ」
いわゆるゲイラカイトから延びた糸巻きを握ったアキラが、グッと唇を噛み締めて俯いてしまった。
「晃様、今年こそは揚がるやもしれませぬ。諦めてはいけませんぞ」
「え、カイトって誰でも揚げられるんじゃなかったっけ?」
何気なく零した自分の言葉を、これほど後悔したことはないだろう。
柊さんに教わりながらの凧揚げは、はっきり言って上手くいきました。
ただバランス調整が難しいので、少し揚がったと思って油断すると、すぐに落ちていってしまう。
5度目にしてようやくアーちゃんたちの高さにまで昇ることができたときは、とても興奮した。
「渡辺殿は、なかなかお上手でございますね」
「え、そうですか」
お世辞だってわかってるけど、ちょっと嬉しい。
「アレに比べたらアッくんは天才だねー」
「なの、アッくん、ごいのよ」
「だな」
アーちゃんに"アレ"呼ばわりされたアキラは、現在榊さんと二人で走り回ってます。
「晃様、走るのでございますよ」
「は、走っておるわっ」
どっからどう見ても早足レベルの速度でも、カイトって意外にスムーズに揚がるはずなんだけどな……。
当然ながら、アキラの凧が空をかけ上る光景を、まだ一度も拝見できてません。
「ううう、嫌じゃ、もう嫌じゃぁぁぁ」
とうとうその場にしゃがみこんで、アキラがぐずり出してしまった。
「晃様……」
アキラの傍らにしゃがみこんだ榊さんが、とても辛そうに表情を歪めた。
柊さんも僕の隣りで、なんとも傷ましげに彼らを眺めている。
「ぐしゅ、アキラ、いやなのよ、ぐしっ、あうう、アキラ、なくのよ、のよ、えぐぅぅ」
自分の凧を繰りながら、アキラの悲惨な境遇にアキが鼻水とともに涙を流した。
「榊ー、おめーが揚げてやればー」
アーちゃんからの提案に、アキラが濡れそぼった瞳で榊さんを見上げた。
「はぁ、しかし皆様がご自分で揚げてらっしゃるのに」
甘やかすことなく、という榊さんの精神は立派だけど、場合によるかもしれない。
「自力でさせたら、100年経っても揚がらないって」
「そうだな。榊揚げてやれ」
「なのー、するのよ、じーじー、するの、なのよ」
百人一首にはじまって、福笑い、双六と、なぜか大人気ない諍いばかりを繰り広げた仲間が、アキラの窮状にようやく一致団結できたことに、僕はとても感激していた。
これこそが、僕の愛するキラキラ会の姿なんだ。
「そ、そうですよ、榊さんが揚げてください」
「渡辺殿までそう仰るならば……晃様、じぃが揚げたものでもよろしゅうございますか」
榊さんに抱き起こされながら、アキラは何度も何度も頷いていた。
誰よりも高く揚がった三角形が、激しく急降下して地面と激突……もう5回目だから驚かないよ。
「あっ、」
「晃様、じぃが何度でも揚げまする。どうぞお諦め申しますな」
そういえばカイトって、揚げやすい反面急降下する率が高かったんだ。
そうして、アキラの10度目の挑戦がやってきた。
榊さんは揚げきった凧の糸巻きを、アキラの手に握らせる。
アキラは楽しそうに空に舞う凧を操る。
ここまでは、何度も何度も見てきた。
風向きによって乱れる動きを、糸巻きから延びた糸で華麗に操るのが凧揚げの醍醐味だけど、
「あ、あああっ」
その雄姿が見れたのは、ほんの束の間。
僕の目の前を見事な速度で落下するゲイラカイトに、なぜだか鼻の奥がつんとした。
あまり気にしたことなかったけど、凧揚げって最低限の器用さが必要なのかもしれない。
榊さんにしがみつきながら、ぐしぐしと泣き崩れるアキラに、さすがの榊さんも再チャレンジとは言わなかった。
そのまま縁側まで連れて行き、そこに腰掛けさせる。
見学というのが、彼にとっての最良策かもしれない。
「晃様…おいたわしい……」
柊さんの悲哀に満ちた呟きが、僕の心に切なく響いた。
「ちょ、アキッ」
「あう、いいのよ、なのよ」
そんな哀切を吹っ飛ばすかのようなアーちゃんの大声と、あっけらかんと返すアキ。
どうやらアキの凧がアーちゃんの凧にぶつかったらしい。
アーちゃんは糸を上手く操って、墜落を回避した。
きゃっきゃ笑うアキに、空を舞う色鮮やかな4つの凧。
ご機嫌の直ったアキラは、縁側で微笑ましげに凧を見上げながら、お茶を啜っている。
ああ、平和だなぁ。
一年の計は元旦にありとも言うし、この平和な光景は、まさに今年一年の、
「あ、あああうあ!」
え、なに!? 何事!?
悲鳴をあげたのはアキで、見ればアーちゃんの凧がアキの凧に体当たりをしていた。
「あ、う、いやなのよ、アーちゃん、わるいのよっ」
「へへーん、空の支配者は四人もいらねーよなー」
「あ、あうあ!!」
体勢が変わったアキの凧は、気流の流れから見放され、そのまま白く輝く地面へと頭から落ちていった。
「おいっ」
いつの間にか喧嘩凧と化したアーちゃんの凧が、次に捉えた獲物はアッキーの物だった。
ガツンという音が、ここまで聞こえてきそうな勢いでぶつかり合う。
一瞬傾いたアッキーの凧は、なんとか体勢を立て直した。
「お、やるねー」
「貴様、酔っているな」
「ちょ、ちょっと、二人ともやめなよ」
ばちばちと火花を散らしあう二人に、僕の言葉など届きはしない。
凧を操るにはかなりのコツがいる。
手元にある糸を少し動かしただけでも、何メートルも先にある凧には、大きな動きとなって伝わってしまうからだ。
アーちゃんもアッキーも、はっきり言ってかなり上手い。
ぶつかり合い崩れた体勢も、ほんの少しの力を加えて、上手く元の状態に戻してゆき再度の攻撃に転じる。
ど、どうして、どうして争いになるんだよ!
アーちゃんが指先に微かな力をこめた瞬間、アッキーの凧の背後から、アーちゃんの凧が大きく襲い掛かった。
アッキーも指先にかけた糸を動かす。
しかし、その力が強すぎたのか、凧は驚くほど大きく動き、そして、
「くっ」
そこを狙われたアッキーの凧は、再度の体当たりに耐え切れずに、儚く散っていった。
口惜しそうに舌打ちするアッキーに、僕は密かに同情した。
「興奮してマウスぶっ壊すような奴が、俺様に勝とうなんて10万年早いっつのー」
アーちゃんは勝ち誇った笑みをみせ、僕へと視線を走らせた。
ああ、次の標的は、僕なのか……。
その時を静かに待っていた僕の耳に、風を斬るヒュッという音が聞こえてきた。
そして……、
「あ、ちょ、ちょっとーーーー!」
アーちゃんから解放された、凧――ちなみに描かれていた絵柄は、龍――は、自由を謳歌するように美しい弧を描き、そうして遠くへと消え去った。
龍を操っていたアーちゃんの手元には、糸の切れた糸巻きだけが残された。
「どうやら、糸が弱っていたらしいな」
目にも止まらぬ手刀にて、アーちゃんの凧糸を断ち切った犯人は平然と嘯いた。
なんとも大人気ないアッキーの行動に、アキは諸手をあげて持て囃し、アキラと榊さんはクスクスと笑って済ませた。
僕はどう反応していいかもわからずに、柊さんを仰ぎ見る。
「渡辺殿も、そろそろご休憩なさいますか」
困ったようにそう勧める柊さんに、僕は力無く首を縦に振った。
和凧は揚げるのがとても難しい。
しかも、この凧には尾がついてなくて、とてもバランス調節が大変そうだ。
庭というにはあまりにも広すぎる庭園に躍り出て、とりあえず揚げるための介助をしてもらおうと思った瞬間、3つの凧が既に空へと昇りはじめていた。
「え、嘘……」
凧って、一人で揚げれるものだったっけ?
やはり尻尾がない分フラフラと頼りなく揺れているけど、揚がれば揚がるほどにそれも無くなっていった。
「す、すごい!」
「ですね。和凧は揚げるまでが大変なのに、これほど簡単に揚げてしまうとは」
僕の隣りに立ったアキラも、眩しそうに天を見詰めていた。
「ささ晃様も渡辺殿も、人のことよりもまずはご自分のことを」
僕と似たような黒紋付を着た榊さんと、少し年若の男性が背後に立っていた。
「このモノは柊と申します」
「あ、えっと、渡辺彬です。お、おめでとうございます」
榊さんが紹介してくれた人が丁寧にお辞儀してきたから、僕も慌ててしかえした。
ちょっとだけ榊さんに似てる気がするから、もしかして息子さんかもしれない。
「渡辺殿は和凧は初めて故、しっかりとご指南してさしあげろ」
「畏まりました。では渡辺殿、あちらの広い場所へと参りましょう」
「あ、ああ、はい、ありがとうございます」
「さ、晃様はこちらで」
そう言って榊さんが取り出したのは、
「うっわ、卑怯くせー」
「なの、アキラ、わるいのよ」
「あいつに扱える和凧はこの世に存在しないだろう。あれくらい許してやれ」
いわゆるゲイラカイトから延びた糸巻きを握ったアキラが、グッと唇を噛み締めて俯いてしまった。
「晃様、今年こそは揚がるやもしれませぬ。諦めてはいけませんぞ」
「え、カイトって誰でも揚げられるんじゃなかったっけ?」
何気なく零した自分の言葉を、これほど後悔したことはないだろう。
柊さんに教わりながらの凧揚げは、はっきり言って上手くいきました。
ただバランス調整が難しいので、少し揚がったと思って油断すると、すぐに落ちていってしまう。
5度目にしてようやくアーちゃんたちの高さにまで昇ることができたときは、とても興奮した。
「渡辺殿は、なかなかお上手でございますね」
「え、そうですか」
お世辞だってわかってるけど、ちょっと嬉しい。
「アレに比べたらアッくんは天才だねー」
「なの、アッくん、ごいのよ」
「だな」
アーちゃんに"アレ"呼ばわりされたアキラは、現在榊さんと二人で走り回ってます。
「晃様、走るのでございますよ」
「は、走っておるわっ」
どっからどう見ても早足レベルの速度でも、カイトって意外にスムーズに揚がるはずなんだけどな……。
当然ながら、アキラの凧が空をかけ上る光景を、まだ一度も拝見できてません。
「ううう、嫌じゃ、もう嫌じゃぁぁぁ」
とうとうその場にしゃがみこんで、アキラがぐずり出してしまった。
「晃様……」
アキラの傍らにしゃがみこんだ榊さんが、とても辛そうに表情を歪めた。
柊さんも僕の隣りで、なんとも傷ましげに彼らを眺めている。
「ぐしゅ、アキラ、いやなのよ、ぐしっ、あうう、アキラ、なくのよ、のよ、えぐぅぅ」
自分の凧を繰りながら、アキラの悲惨な境遇にアキが鼻水とともに涙を流した。
「榊ー、おめーが揚げてやればー」
アーちゃんからの提案に、アキラが濡れそぼった瞳で榊さんを見上げた。
「はぁ、しかし皆様がご自分で揚げてらっしゃるのに」
甘やかすことなく、という榊さんの精神は立派だけど、場合によるかもしれない。
「自力でさせたら、100年経っても揚がらないって」
「そうだな。榊揚げてやれ」
「なのー、するのよ、じーじー、するの、なのよ」
百人一首にはじまって、福笑い、双六と、なぜか大人気ない諍いばかりを繰り広げた仲間が、アキラの窮状にようやく一致団結できたことに、僕はとても感激していた。
これこそが、僕の愛するキラキラ会の姿なんだ。
「そ、そうですよ、榊さんが揚げてください」
「渡辺殿までそう仰るならば……晃様、じぃが揚げたものでもよろしゅうございますか」
榊さんに抱き起こされながら、アキラは何度も何度も頷いていた。
誰よりも高く揚がった三角形が、激しく急降下して地面と激突……もう5回目だから驚かないよ。
「あっ、」
「晃様、じぃが何度でも揚げまする。どうぞお諦め申しますな」
そういえばカイトって、揚げやすい反面急降下する率が高かったんだ。
そうして、アキラの10度目の挑戦がやってきた。
榊さんは揚げきった凧の糸巻きを、アキラの手に握らせる。
アキラは楽しそうに空に舞う凧を操る。
ここまでは、何度も何度も見てきた。
風向きによって乱れる動きを、糸巻きから延びた糸で華麗に操るのが凧揚げの醍醐味だけど、
「あ、あああっ」
その雄姿が見れたのは、ほんの束の間。
僕の目の前を見事な速度で落下するゲイラカイトに、なぜだか鼻の奥がつんとした。
あまり気にしたことなかったけど、凧揚げって最低限の器用さが必要なのかもしれない。
榊さんにしがみつきながら、ぐしぐしと泣き崩れるアキラに、さすがの榊さんも再チャレンジとは言わなかった。
そのまま縁側まで連れて行き、そこに腰掛けさせる。
見学というのが、彼にとっての最良策かもしれない。
「晃様…おいたわしい……」
柊さんの悲哀に満ちた呟きが、僕の心に切なく響いた。
「ちょ、アキッ」
「あう、いいのよ、なのよ」
そんな哀切を吹っ飛ばすかのようなアーちゃんの大声と、あっけらかんと返すアキ。
どうやらアキの凧がアーちゃんの凧にぶつかったらしい。
アーちゃんは糸を上手く操って、墜落を回避した。
きゃっきゃ笑うアキに、空を舞う色鮮やかな4つの凧。
ご機嫌の直ったアキラは、縁側で微笑ましげに凧を見上げながら、お茶を啜っている。
ああ、平和だなぁ。
一年の計は元旦にありとも言うし、この平和な光景は、まさに今年一年の、
「あ、あああうあ!」
え、なに!? 何事!?
悲鳴をあげたのはアキで、見ればアーちゃんの凧がアキの凧に体当たりをしていた。
「あ、う、いやなのよ、アーちゃん、わるいのよっ」
「へへーん、空の支配者は四人もいらねーよなー」
「あ、あうあ!!」
体勢が変わったアキの凧は、気流の流れから見放され、そのまま白く輝く地面へと頭から落ちていった。
「おいっ」
いつの間にか喧嘩凧と化したアーちゃんの凧が、次に捉えた獲物はアッキーの物だった。
ガツンという音が、ここまで聞こえてきそうな勢いでぶつかり合う。
一瞬傾いたアッキーの凧は、なんとか体勢を立て直した。
「お、やるねー」
「貴様、酔っているな」
「ちょ、ちょっと、二人ともやめなよ」
ばちばちと火花を散らしあう二人に、僕の言葉など届きはしない。
凧を操るにはかなりのコツがいる。
手元にある糸を少し動かしただけでも、何メートルも先にある凧には、大きな動きとなって伝わってしまうからだ。
アーちゃんもアッキーも、はっきり言ってかなり上手い。
ぶつかり合い崩れた体勢も、ほんの少しの力を加えて、上手く元の状態に戻してゆき再度の攻撃に転じる。
ど、どうして、どうして争いになるんだよ!
アーちゃんが指先に微かな力をこめた瞬間、アッキーの凧の背後から、アーちゃんの凧が大きく襲い掛かった。
アッキーも指先にかけた糸を動かす。
しかし、その力が強すぎたのか、凧は驚くほど大きく動き、そして、
「くっ」
そこを狙われたアッキーの凧は、再度の体当たりに耐え切れずに、儚く散っていった。
口惜しそうに舌打ちするアッキーに、僕は密かに同情した。
「興奮してマウスぶっ壊すような奴が、俺様に勝とうなんて10万年早いっつのー」
アーちゃんは勝ち誇った笑みをみせ、僕へと視線を走らせた。
ああ、次の標的は、僕なのか……。
その時を静かに待っていた僕の耳に、風を斬るヒュッという音が聞こえてきた。
そして……、
「あ、ちょ、ちょっとーーーー!」
アーちゃんから解放された、凧――ちなみに描かれていた絵柄は、龍――は、自由を謳歌するように美しい弧を描き、そうして遠くへと消え去った。
龍を操っていたアーちゃんの手元には、糸の切れた糸巻きだけが残された。
「どうやら、糸が弱っていたらしいな」
目にも止まらぬ手刀にて、アーちゃんの凧糸を断ち切った犯人は平然と嘯いた。
なんとも大人気ないアッキーの行動に、アキは諸手をあげて持て囃し、アキラと榊さんはクスクスと笑って済ませた。
僕はどう反応していいかもわからずに、柊さんを仰ぎ見る。
「渡辺殿も、そろそろご休憩なさいますか」
困ったようにそう勧める柊さんに、僕は力無く首を縦に振った。