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平凡君の日々彼此

[平凡君の日々彼此16-完]


アキのうがうが期は、めったなことでは訪れない。
その言葉通り、二度目のうがうが期は、一年も経ったころに起きた。

「なんでぇ、ありゃあ?」

アーちゃんにしがみつくアキを初めて目にした明石くんが、戸惑いながら僕に尋ねてくる。

「うがうが期だよ」

「うがうが?」

明石くんが、モロに怪しいものを見る目付きで二人を眺める。
まともに動けないアーちゃんは今回も眠っていて、アキはアキで例のごとくうがうが呻っていた。

「コアラごっこってわけか」

アキの突拍子もない行動を、明石くんはごっこ遊びと揶揄することが多い。
今回も、その類だと思ったのだろう。

「ごっこじゃなくて、」

「ったく、くだらねーことばっか思いつくヤローだな」

説明しようとしたのに、明石くんの手がアキの頭に伸ばされるほうが早かった。

「あっ、」

「うがあっ!!」

「うわっ!」

あーあ。
去年の僕と同じ目に合った明石くんに、同情を禁じえない。
危うく噛みつかれそうになった手を、咄嗟に引き戻した瞬発力は、さすがという感じだけど。

「明石くん、大丈夫?」

「テメッ、この、なにしやがる!」

怒鳴り声など聞こえないかのように、アキは元の体勢でうがうが言っていた。
こうしてると、可愛くみえるんだけどなぁ……。

「なんだ、こいつ……」

「今のアキは、凶暴な獣みたいなもので」

「あ? んなの、いつものことじゃねーか」

付き合いが長いからか、明石くんはアキの外見に惑わされることはない。
身体が小さいせいか、アキをよく知らない人は、彼の事を見た目そのままの子供と勘違いしがちだ。
僕もその一人になりかけたけど、さすがにアキと深く付き合ううちに、その考えはなくなった。
そもそもアキは、僕なんかよりもずっと大人で、いろいろと達観している。
そのうえ狡猾で頭もよくて、しかも、あざといんだ。
このあざとさこそが、アキを曲者たらしめる原点だと思っている。

「そうじゃなくてね、今はうがうが期で、えっと」

去年の話をまじえ、明石くんにうがうが期の説明をした。
ストレスが原因で、ストレス源が粗方片付いたら起こることも含めて。
明石くんは、意外なほど真面目に聞いていた。

「だとしたら、今回のストレスはアレだろうな」

「え、思い当たるものがあるの?」

実は姫宮くんのときと違って、今回のアキのストレスがよく分かっていなかった。
心当たりとしては、一橋くんが僕を親友だと公言してることくらいかな。
あと、仁科くんと、アッキーの不調と……。

「ナベによそよそしくされて、相当堪えたんだろ」

「あ……」

彼らを避けていたことを、忘れたわけではなかった。
いくら今は元通りとはいえ、遠ざけていた過去はなくならないし、アキを、ううん、アキたちを傷つけたのは事実だ。
ただ、それに至った理由が分からず、また元に戻った理由も分からないままだけど。

「だからって、ヘタに謝ったりすんじゃねーぞ」

「……」

「ああやって回復してるってことは、終息してるってことなんだろ。チビの中では、とっくに終わってんだよ」

「今さら蒸し返すなってこと?」

「そういうこった。ナベが謝罪なんてしてみろ、まーた高橋が動けなくなるだけだぜ。ま、それはそれでザマミロだがな」

明石くんが、ガハハと笑う。
それにもアキは無反応で、アーちゃんが起きる気配もなかった。

明石くんは、僕なんかよりも彼らのことを理解している。
彼らのことなど何も知らないのに。
それはある意味、安全圏にいるのと同義ではないだろうか。
なのに無知ゆえの知恵とでもいうのか、畏れる理由を知らないままに、純粋に彼らのことを感じ取っているのだ。

「で、あのうがうがは、いつまで続くんだ?」

「半日もせずに終わると思うよ」

前回は、夕方には元に戻ってたしね。
だいたいそんなものだとアキラが言っていた。

「んじゃ、その間は平和ってわけか」

「平和って……」

「静かなのは結構結構。明日も明後日も、うがうが言ってりゃいいのによ」

「それだと、アーちゃんが大変だよ」

明石くんの、こういった物言いはいつものことだ。
決して本意ではないし、アキを邪険にしてるわけでもない。
彼らなりの交流の一種だから、応える僕も気楽なものだった。

「だろうな。あのチビブタが相手だ、見た目以上に酷だろうよ。さすがに高橋とはいえ、気の毒になっちまうな。
ナベ、代わってやったらどうだ?」

僕だったら、気の毒じゃないってことだろうか……。
なんとなく腑に落ちないけど、それに反論するつもりはない。
実は、試してみたい衝動に駆られているんだ。
あれから一年経ってるし、もしかしたらアキの心境に変化があるかもと期待したせいで。
といっても、無闇に手を出すのは危険だし、アキの眼をジッと見てお伺いを立てるところから始める。

「ねぇ、アキ、アーちゃんもしんどそうだし、僕が代わりじゃダメかな?」

「うが、……うががぁ……」

アキの瞳が、ほんの僅かだけど僕を捉えてくれた。
これは、脈ありかも。

アキを抱っこしつづけるのは、とても辛い作業だろう。
それでも、僕に凭れかかってほしかった。
僕にとって、アキはヒーローのようなものだ。
強くて、男らしくて、カッコよくて。
そんなアキが、こうして弱った姿を見せてくれている。
それを信頼の証と受け取るのは、自然なことだった。

だからこそ、もっと頼ってほしいんだ。
アキの支えに、なりたいんだよ。

攻撃範囲ギリギリの位置まで、両腕を差し出す。

さあアキ、僕の胸に飛び込、

「え……」

プイッと逆を向く小さな頭。
すかさず、明石くんの無粋な笑いが起こる。

「振られちまったか。残念だったな、ナベ」

「……」

いったい全体、アーちゃんと僕の何が違っているのか。
体格?
確かにアーちゃんと僕とでは、体型が全然違う。
だけど去年までなら、そう変わりなかったはずだ。
だいたい、今でこそ裕輔さんや東峰先輩と変わらないけど、中学生の頃のアーちゃんは小さかったって聞いてるよ。
アッキーの方が大きかったんでしょ。
それでもアキが抱きつくのはアーちゃんだったってことは、体型は関係ないはずだよね。
じゃあ、何が理由なの?
はっ、ま、まさか、顔、とか……!?

「アキ」

「うがが、……うがぁ……」

「お、果敢に挑戦。さすがはナベだ」

さもバカにした言い方も、たいして腹は立たない。
それよりも、確かめたいことがあったから。

「明石くんが、抱っこしてあげるって言ってるよ」

「はぁ!? おいこら、テメッ」

「うが……?」

アキが再びこちらを向いた。
いったい、どうして?
何に惹かれたの?
やっぱり、顔?

「い、言ってねー。俺はんなこと言ってねーぞ。テメーなんかに抱きつかれるなんざ、御免だっ」

明石くんが、咄嗟に拒絶してみせた。
だけどアキは気にしたふうもなく、明石くんをジッと見詰める。

「し、しねぇぞ、んなコアラみてぇなマネ、絶対にしねぇぞっ」

ちょっとしどろもどろになってるのが、なんだかんだで明石くんらしい。
アキがねだれば、結局やっちゃうのかな。
その答えを分かってそうなアキが、

「へっ」

と、鼻で笑ってみせた。
しかも、心底バカにしきった視線付きで……。

「……あれ?」

あっという間にソッポを向き、うがうがが再開される。
残された僕と明石くんの間に、なんとも言えない気まずい空気が流れた。

「ナベ」

「は、はい」

「俺はな、間違ってもチビブタの抱き枕になんか、なりたくねぇ」

「う、うん、そうだよね。明石くんはイヤがってたよね……」

明石くんが本気でイヤがってたことも、真剣に拒絶してたのも、ちゃんと分かってる。
分かってはいるけど、この微妙な感じはどうしたらいいのかな。

「ご、ごめん、なさい……」

「謝るんじゃねー。こうなって、むしろ喜んでんだからな」

「は、はい、ごめん、なさい」

「だから、謝るなっつってんだろうが」

「う、うん、ごめん」

明石くんに不必要な敗北感を抱かせたのは、間違いなく僕の責任だ。
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