平凡君の日々彼此
[平凡君の日々彼此16-1]
それを初めて見たのは、高校一年のときだった。
姫宮くんから逃れるために、アーちゃんの部屋に居候していたときだ。
「うがぁ、…うがが……」
まったく覇気の感じられない声は、アキのもの。
まるで呻き声のようなそれは、息継ぎで自然と押し出されたものだった。
アキには自ら声を出すという意志はなく、ただアーちゃんにしがみついているだけ。
「ねぇ、アキ、どうかしたの?」
いつも元気なアキが大人しくアーちゃんに抱っこされてるなんて、おかしいとしか思えなかった。
しかも、大好きなアニメを完全に無視してまで。
寝てるというなら、まだ納得がいく。
いや、それだって、どうしてアーちゃんに?という疑問が残るけど……。
ともかくも、アキは眠ってるわけではなく、ひたすらアーちゃんに抱きついていたのだった。
その抱きつき方が、どうにも尋常なく見える。
アーちゃんの膝に乗り、首に両腕を回し両足は胴体に巻きつけて、小さな頭を相手の肩に乗せた姿勢からは、決して逃すまいとする意志が窺えるんだもの。
つまり、アキが力づくでこの体勢を維持させているのだ。
完全に動きを封じられているアーちゃんは、とっくに諦めているようで、仕方なくアキの背中を抱っこしてるけど、目蓋は完全に閉じ合わさっていた。
起床したばかりなのに、昼寝と決め込んだわけだ。
「うがぁ、……うが……うががぁ…」
イビキのような呻きは、まだまだ続いていた。
アーちゃんとは違い、アキは眠ってはいない。
ただ、アキにしては表情が無さすぎて、目も半分ほどしか開いておらず、しかも焦点が定まってなくて虚ろだった。
ボンヤリというか、ボウッというか、あまり意識がはっきりしてるようには見えないけど、それでもちゃんと起きている。
もしかして、体調が悪いのかな?
「うがうが期ですよ」
「うがうが期?」
「何年かに一度、こういう状態になることがあるのです」
「しがみついて全然動かなくなるってこと?」
「ええ。おそらく、ストレスが原因かと」
「ストレス……」
「姫宮が転校してきてから、アキのほうでもいろいろと溜め込んでおりましたからね」
「ひょっとして、僕と姫宮くんのせい……?」
「アッくんに何もできないことも含め、いろいろと思うところがあったのではないですか」
「……」
「アッくんが気に病むことはございません。そもそも、アキがこの状態になるのは、ストレス源がある程度片付いたときなのです。
つまり、アキにとっては休息のようなもので、ああやってアーちゃんに抱きついていれば、じきに回復いたしますよ」
「片付いたとき……」
藤村先輩だけでなく、つい最近は、あの副会長さまにまで頭を下げられた。
姫宮くんとの今後は気になるところだけど、彼を中心に吹き荒れた嵐は収束に向かってるといえる。
僕と姫宮くんのやり取りは、僕だけでなく、アキの繊細な心をも傷つけていたのだ。
キラキラ会と出会ったことで、僕の傷は癒された。
だからこそ、アキもようやく治療に専念できるのかもしれない。
「うん、そっか。アキ、すごく疲れちゃったんだね」
「ええ。そういうことです」
何もせずにただうがうが言うことで、きっと頭の中を空っぽにしてるんだね。
「アキ、ありがとう。それと、お疲れさま」
「うががぁ……うが……うがうが……」
薄目を開けてるアキに横から声をかけるけど、当然まともな応えは返ってこない。
ちょっと寂しいな……。
普段のアキは元気すぎて困るほどだけど、こうしてアーちゃんにしがみつく姿は、どことなく赤ちゃんを彷彿とさせる。
それも、動物の赤ちゃんを思い出すというか……。
抱きつき方からして、コアラの赤ちゃんみたいだって思うのは、きっと悪くないよね。
アキのふわっとした髪の毛から、なんとなくネコの赤ちゃんを思いだすのも、あり……だよね。
ネコの赤ちゃんか……ど、どうしよう、可愛いかも。
「うがぁ……うがが……」
目がしょぼついたのか、アキがアーちゃんの肩に顔を擦りつけた。
それがまた、なんとも可愛らしい仕草で……。
あ、頭を撫でたいかも。
いいよね、普段からよくやってることだし、問題ないよね。
今日のアキからは、反応は期待できなさそうだけど。
ちょっとだけ。
「アッくん、いけませんっ」
「え?」
「うがあっ――!!」
「ヒイッ!」
アーちゃんに抱かれるアキが、まるで赤ちゃんを見てるようで可愛かった。
だから、ちょっとだけ触ってみたくなったんだ。
頭を撫でようと、そうっと手を伸ばして……。
「アッくん、いけませんっ」
「え?」
僕の行動に気付いたアキラが、慌てて制止の言葉を投げつけた。
だけど時既に遅く、急に頭を上げたアキが、大きく口を開け牙を剥き出しにし、
「うがあっ――!!」
「ヒイッ!」
あまりにも怖ろしい形相に、咄嗟に手を引っ込めた。
その直後、大きく開けられたアキの口が、ガチンと嫌な音を立て閉じられる。
もしかして、僕の手を噛むつもりだったとか!?
「な、なに、いまの!? な、なに!?」
「アッくん、大丈夫ですか?」
「なになに!? なんなの!?」
アキは僕の手を噛もうとしたのが嘘だったように、例のうがうが状態に戻っていた。
つまり、可愛らしい赤ちゃんみたいな姿に。
「アッくん、騙されてはいけませんよ」
「だ、だま、騙され、え、ええ!?」
「ああしてアーちゃんに抱っこされている姿は、それはもう愛らしいモフモフの化身のようですが、実態は飢えた獣以上に凶悪なケダモノなのです。
今後は、お気をつけください」
「な、なにを冷静に、え、ケ、ケダモノ!?」
「ええ、ケダモノです。愛らしい仮面の下には、血に飢えたケダモノが潜んでいるのです。手がご無事で、本当にようございました」
「お、おおげさだよ……」
「いいえ、おおげさではございません。もしあのままでしたら、アッくんの手は食いちぎられていたことでしょう」
「そ、そんな……」
アキラの真剣な表情に、まさかという言葉を飲み込んだ。
代わりのように、無事だった手を逆の手で擦る。
危うく難を逃れた指先は、確かめるまでもなく震えていた。
こんな騒ぎのなかでもアーちゃんが目覚めることはなく、アキを抱っこしたまますやすや寝息を立てている。
「ねぇ、うがうが期は抱っこしなきゃいけないの?」
「ええ、そうですよ。アキの気が済むまで、ああやって抱っこしておくのです」
「それって、誰でもいいの?」
もし誰でもいいなら、僕が代わってもいいんだけどな。
触るのはダメでも、抱っこなら大丈夫みたいだし。
「いいえ、アーちゃんか雅人、もしくは葛西先輩の三人だけですね。いまのところは」
「ゆ、裕輔さん!?」
「基準はまったく分かりませんが、うがうが期での抱っこ係りは、この三人しか無理なのです。
雅人と葛西先輩はお忙しいので、おのずとアーちゃんが担うことになりますが」
「ア、アッキーは?」
アキがもっとも甘えるのは、アッキーだと相場が決まっている。
それなのに、彼の名前が入ってないのが不思議だった。
「普段ならばまずアッキーとなるところですが、ことうがうが期に関しては、完全に無視を決め込むのです」
「ど、どうして?」
「さぁ、わかりません。もちろん僕などは眼中にございませんし、手を出そうものなら、さきほどのアッくんと同じ運命を辿るのみです。
非常に無念」
アーちゃんはよくて、僕もアキラもアッキーまでもがダメだなんて、うがうが期とはなんと不可解な現象なのだろう。
僕だって、出来うるならばアキに甘えられたかった。
ずっと抱っこというのは大変だろうけども、それでもアーちゃんみたいに全身で寄りかかられたかったのに……。
「アーちゃんだけなんだ……」
それを初めて見たのは、高校一年のときだった。
姫宮くんから逃れるために、アーちゃんの部屋に居候していたときだ。
「うがぁ、…うがが……」
まったく覇気の感じられない声は、アキのもの。
まるで呻き声のようなそれは、息継ぎで自然と押し出されたものだった。
アキには自ら声を出すという意志はなく、ただアーちゃんにしがみついているだけ。
「ねぇ、アキ、どうかしたの?」
いつも元気なアキが大人しくアーちゃんに抱っこされてるなんて、おかしいとしか思えなかった。
しかも、大好きなアニメを完全に無視してまで。
寝てるというなら、まだ納得がいく。
いや、それだって、どうしてアーちゃんに?という疑問が残るけど……。
ともかくも、アキは眠ってるわけではなく、ひたすらアーちゃんに抱きついていたのだった。
その抱きつき方が、どうにも尋常なく見える。
アーちゃんの膝に乗り、首に両腕を回し両足は胴体に巻きつけて、小さな頭を相手の肩に乗せた姿勢からは、決して逃すまいとする意志が窺えるんだもの。
つまり、アキが力づくでこの体勢を維持させているのだ。
完全に動きを封じられているアーちゃんは、とっくに諦めているようで、仕方なくアキの背中を抱っこしてるけど、目蓋は完全に閉じ合わさっていた。
起床したばかりなのに、昼寝と決め込んだわけだ。
「うがぁ、……うが……うががぁ…」
イビキのような呻きは、まだまだ続いていた。
アーちゃんとは違い、アキは眠ってはいない。
ただ、アキにしては表情が無さすぎて、目も半分ほどしか開いておらず、しかも焦点が定まってなくて虚ろだった。
ボンヤリというか、ボウッというか、あまり意識がはっきりしてるようには見えないけど、それでもちゃんと起きている。
もしかして、体調が悪いのかな?
「うがうが期ですよ」
「うがうが期?」
「何年かに一度、こういう状態になることがあるのです」
「しがみついて全然動かなくなるってこと?」
「ええ。おそらく、ストレスが原因かと」
「ストレス……」
「姫宮が転校してきてから、アキのほうでもいろいろと溜め込んでおりましたからね」
「ひょっとして、僕と姫宮くんのせい……?」
「アッくんに何もできないことも含め、いろいろと思うところがあったのではないですか」
「……」
「アッくんが気に病むことはございません。そもそも、アキがこの状態になるのは、ストレス源がある程度片付いたときなのです。
つまり、アキにとっては休息のようなもので、ああやってアーちゃんに抱きついていれば、じきに回復いたしますよ」
「片付いたとき……」
藤村先輩だけでなく、つい最近は、あの副会長さまにまで頭を下げられた。
姫宮くんとの今後は気になるところだけど、彼を中心に吹き荒れた嵐は収束に向かってるといえる。
僕と姫宮くんのやり取りは、僕だけでなく、アキの繊細な心をも傷つけていたのだ。
キラキラ会と出会ったことで、僕の傷は癒された。
だからこそ、アキもようやく治療に専念できるのかもしれない。
「うん、そっか。アキ、すごく疲れちゃったんだね」
「ええ。そういうことです」
何もせずにただうがうが言うことで、きっと頭の中を空っぽにしてるんだね。
「アキ、ありがとう。それと、お疲れさま」
「うががぁ……うが……うがうが……」
薄目を開けてるアキに横から声をかけるけど、当然まともな応えは返ってこない。
ちょっと寂しいな……。
普段のアキは元気すぎて困るほどだけど、こうしてアーちゃんにしがみつく姿は、どことなく赤ちゃんを彷彿とさせる。
それも、動物の赤ちゃんを思い出すというか……。
抱きつき方からして、コアラの赤ちゃんみたいだって思うのは、きっと悪くないよね。
アキのふわっとした髪の毛から、なんとなくネコの赤ちゃんを思いだすのも、あり……だよね。
ネコの赤ちゃんか……ど、どうしよう、可愛いかも。
「うがぁ……うがが……」
目がしょぼついたのか、アキがアーちゃんの肩に顔を擦りつけた。
それがまた、なんとも可愛らしい仕草で……。
あ、頭を撫でたいかも。
いいよね、普段からよくやってることだし、問題ないよね。
今日のアキからは、反応は期待できなさそうだけど。
ちょっとだけ。
「アッくん、いけませんっ」
「え?」
「うがあっ――!!」
「ヒイッ!」
アーちゃんに抱かれるアキが、まるで赤ちゃんを見てるようで可愛かった。
だから、ちょっとだけ触ってみたくなったんだ。
頭を撫でようと、そうっと手を伸ばして……。
「アッくん、いけませんっ」
「え?」
僕の行動に気付いたアキラが、慌てて制止の言葉を投げつけた。
だけど時既に遅く、急に頭を上げたアキが、大きく口を開け牙を剥き出しにし、
「うがあっ――!!」
「ヒイッ!」
あまりにも怖ろしい形相に、咄嗟に手を引っ込めた。
その直後、大きく開けられたアキの口が、ガチンと嫌な音を立て閉じられる。
もしかして、僕の手を噛むつもりだったとか!?
「な、なに、いまの!? な、なに!?」
「アッくん、大丈夫ですか?」
「なになに!? なんなの!?」
アキは僕の手を噛もうとしたのが嘘だったように、例のうがうが状態に戻っていた。
つまり、可愛らしい赤ちゃんみたいな姿に。
「アッくん、騙されてはいけませんよ」
「だ、だま、騙され、え、ええ!?」
「ああしてアーちゃんに抱っこされている姿は、それはもう愛らしいモフモフの化身のようですが、実態は飢えた獣以上に凶悪なケダモノなのです。
今後は、お気をつけください」
「な、なにを冷静に、え、ケ、ケダモノ!?」
「ええ、ケダモノです。愛らしい仮面の下には、血に飢えたケダモノが潜んでいるのです。手がご無事で、本当にようございました」
「お、おおげさだよ……」
「いいえ、おおげさではございません。もしあのままでしたら、アッくんの手は食いちぎられていたことでしょう」
「そ、そんな……」
アキラの真剣な表情に、まさかという言葉を飲み込んだ。
代わりのように、無事だった手を逆の手で擦る。
危うく難を逃れた指先は、確かめるまでもなく震えていた。
こんな騒ぎのなかでもアーちゃんが目覚めることはなく、アキを抱っこしたまますやすや寝息を立てている。
「ねぇ、うがうが期は抱っこしなきゃいけないの?」
「ええ、そうですよ。アキの気が済むまで、ああやって抱っこしておくのです」
「それって、誰でもいいの?」
もし誰でもいいなら、僕が代わってもいいんだけどな。
触るのはダメでも、抱っこなら大丈夫みたいだし。
「いいえ、アーちゃんか雅人、もしくは葛西先輩の三人だけですね。いまのところは」
「ゆ、裕輔さん!?」
「基準はまったく分かりませんが、うがうが期での抱っこ係りは、この三人しか無理なのです。
雅人と葛西先輩はお忙しいので、おのずとアーちゃんが担うことになりますが」
「ア、アッキーは?」
アキがもっとも甘えるのは、アッキーだと相場が決まっている。
それなのに、彼の名前が入ってないのが不思議だった。
「普段ならばまずアッキーとなるところですが、ことうがうが期に関しては、完全に無視を決め込むのです」
「ど、どうして?」
「さぁ、わかりません。もちろん僕などは眼中にございませんし、手を出そうものなら、さきほどのアッくんと同じ運命を辿るのみです。
非常に無念」
アーちゃんはよくて、僕もアキラもアッキーまでもがダメだなんて、うがうが期とはなんと不可解な現象なのだろう。
僕だって、出来うるならばアキに甘えられたかった。
ずっと抱っこというのは大変だろうけども、それでもアーちゃんみたいに全身で寄りかかられたかったのに……。
「アーちゃんだけなんだ……」