ひねもすのたりのたり
[ひねもすのたりのたり5-完]
広い屋敷だし人も多いから、お手洗いはあっちこっちに設置されている。
広間から一番近いトイレは、廊下を行き最初の角を曲がったところにある。
だからアキラと手を繋いで、暗い廊下をテクテク歩いた。
せめて電気を点けたいとこだが、
「月明かりで十分ですね」
と、ノホホンと言われ、何も言えなくなった。
テクテクテクテク。
アキラが迷子にならないように、ちゃんと手を繋いで、テクテクテクテク……。
おかしい、いつまで経ってもトイレに辿り着けない。
ここの廊下は、これほどに長かっただろうか。
「そうそう、こんなお話、ご存知ですか?」
え……?
「それは真夜中の午前二時のこと」
ま、まさか……。
「とうに終電も終わったとある駅で……」
ひゃ、ひゃあああーーー!
ついさっきまで、慈愛に満ちた聖母のごとし佇まいだったアキラが、いま、優しげな笑みはそのままに、とんでもないことを口にしはじめた。
あ、悪魔だ……!
悪魔が、アキラに取り付いたに違いない!
「あわ、あわわ……」
「……まるで誰かに見られているような視線が」
「ひ、ひ、ひ」
曲がり角まであと少し。
あそこを曲がれば、トイレが待ってる。
そう、あそこを曲がれば。
「……ふと目線を上げると」
曲がり角、曲がり角、曲がりか……。
「暗い廊下の向こうから、黒い人影がヌッと、」
いままさに、暗い曲がり角からヌッと現われる人影!
「あひゃぎゃあああああああーーーー!!」
「きゃ、ど、どういたしました?」
「喧しいっ、何時だと思っているっ」
アキラの語りに呼応するように現われた人影は、幽霊ではなかった。
「おや、アッキーではないですか」
「はひゅ、はひゅ、ひゃ、ひゃっきー……」
その正体は、散歩から戻ってきたアッキーだったのだ。
あまりのことにアキは尻餅をつき、そのせいで……ちょびっと、本当にちょびっとだけ、ちびってしまった。
断じて幽霊にびびって、ちびったんじゃない。
単にびっくりしただけだ。
いくら最強の戦士とはいえ、突然人が出てきたらびっくりするのは当然なのだ。
だから、びっくりさせた方が悪い。
つまり、ちびったのは、アッキーのせいなのだ。
「二人で、何をしている?」
「お手洗いに行くところです」
「スイカの食いすぎか」
「あらあら、反論できませんね。さあアキ、早く参りましょう」
「あ、あい、なの、の……」
どうしたことだろう、足が立たない。
「どういたしました?」
アキラが手を差し伸べてくれた。
ああ、なんて優しい人なんだ。
そうだ、アキラはいつだってアキに優しい。
だというのに、ときおり笑顔で残酷なことをしでかすお茶目さんでもあった。
「アキラ、先に行ってろ」
「分かりました」
アッキーに促され、アキラはアキを置いてトイレに向かった。
たった一人で平然とトイレに行けるとか、やはりあの男は、聖母のフリした悪魔なのか……。
アキラの正体に震え上がる体を、アッキーがひょいと抱き上げた。
「あわわ、あわわ、アッキー、ちーよ、ちー」
ちょっとちびったからか、尿意が激しくなってきた。
このままでは、屈辱のおもらしをしてしまいそうだ。
「なぜ、腰が抜けている」
「あがが、う、うう」
それは、アッキーのせいだと言ってやりたい。
が、抱っこしてもらって、ついでにトイレまで運んでもらってる手前、文句を言うわけにもいかなかった。
「まさか、怖いのか?」
「うっ、ないのよ、アキ、ないのっ」
このアキが、最強の戦士たるアキが、なにを怖がるというのだ、まったく。
「だったら、一人で行けるな」
「あああ、いやなの、わるいのよ、アッキー、なのっ」
下ろそうとするアッキーに、慌ててしがみつく。
まさか、こんなところでアッキーを一人するわけにはいかない。
アッキーと一緒にいるのは、アキの使命なのだ。
アッキーに運ばれて、ようやく目的のトイレに到着する。
そこは、煌々と灯かりが差していた。
ああ、生き返るようだ。
それにしても、長かった。
ここに辿り着くまでが、本当に長かった。
「おやおや、抱っこしてもらったのですか。アキは甘えたさんですね」
既にすっきりして手を洗ってるアキラに、心外なことを言われた。
甘えたなのは、アキラのほうではないか。
アキラは一人で寝られないけど、アキはずっと一人で寝ている。
だから、アキのほうがずっとずっと大人だ。
「では、僕は先に戻りますね」
そう言って、またもや一人で廊下を戻るアキラに寒気がした。
やはりこの男は、とんでもなく危険だ……。
ブルブルッと背を震わすアキの体を、アッキーが便座に座らせた。
やっと待望のトイレタイムがやってきたのだ。
一瞬安堵しかけたところで、アッキーが扉の向こう側に消えてゆき、焦った。
しかも、パタンとドアを閉じてしまったのだ。
「あ、ああああ、アッキー、アッキー」
「外にいる」
外、それは、一枚のドアを挟んだそっち側ということか。
ならば安心、あんし、
「アッキー、いるの、なの、いるの!?」
「いるっ」
「あい」
ならばパンツを下ろして……あ、パンツにちょっとだけ染みがついている。
さっき、ちびったせいだ。
盛大に漏らさずに済んだのが、なによりだった。
さぁて、待ち望んだおしっこを、
「アッキー、いるの、いるのっ、なの!?」
「いるっ、さっさと済ませろっ」
「あ、あい」
早くおしっこを済ませねば。
もう膀胱が破裂しそうだ。
ちー……、
「アッキー、」
「いる!」
「あい……」
ちー、ちー、……。
おしっこの勢いは、なかなか衰えなかった。
さすが、我慢しただけのことはある。
ちー、ち、
「アッ、」
「いいからっ、さっさと済ませろっ」
「あい」
ち、ち、ち……。
最後まで出し切って、ようやく得た満足感。
はぁ、すっきりすっきり。
ちょびっと濡れたパンツをはき、水を流してドアを開けたら、約束通りアッキーはそこに居た。
手を洗ってタオルで拭いて、その間もアッキーの確認は怠らない。
全部終わって、ずっと待ってくれていたアッキーに両手を伸ばす。
「アッキー、アッキー」
さっきも抱っこしてくれたのだ、帰りだってして当然だろう。
「甘えるな」
「うう、う」
あっさりと却下された。
ならば、せめてこれくらいはと腰に抱きつこうとしたら、今度は敢え無く押し返された。
なんと冷酷な男なのか。
「ううう、うう」
「消すぞ」
「いやー、いやなのー」
唯一の灯かりであるトイレの電気を消そうとするとは、なんという卑劣な。
断固反対の構えを見せれば、アッキーが渋々左腕を差し出してくる。
その左腕を逃がさぬよう、全身でひっ捕らえた。
「消すぞ」
「あい」
パチン。
あっという間に真っ暗闇に戻ってしまった。
だが、アキは怖くない。
なぜなら、最強の戦士だからだ。
広間に戻る間、アッキーは歩きづらいと文句をたれていた。
左腕にアキがしがみついてるからだろうか。
だがしかし、これはアッキーのためでもある。
こうしてアキがガードしていないと、いつなんどきアッキーに危険が及ぶか分からないのだから、多少歩きづらいくらい我慢してほしいものだ。
布団が敷かれた広間に戻ると、なぜだかアッくんとアーちゃんが起きだしていた。
といっても、アーちゃんはとにかく眠そうで、アッくんはそんなアーちゃんにしがみついている。
いったい何があったのだろうか?
「アッくん、ほら、おばけでも幽霊でもないから」
「おばけだ、おばけ…ひぃ」
ブルブル震えるアッくんの背中を、アーちゃんがポンポンと宥める。
もしかして、さっきの雄叫びが関係してるのだろうか……。
一向に離れる気配を見せないアッくんに、アーちゃんが堪らず欠伸をした。
「だめ、寝る」
アーちゃんが、アッくんごと自分の布団に寝転ぶ。
アッくんも引き摺られるようにして、倒れ込んだ。
手を離す気はないらしい。
すかさずアーちゃんが布団を掛ければ、もとはアキラが寝ていた場所にアッくんが自然と収まった。
これで、アッくんも安心だろう。
あれ? そういえば、アキラはどこだ?
慌てて室内を見渡せば、アッくんが寝てた布団で、安眠しているアキラを見つけた。
「すやすやすや、すやすやすや」
なんというか、この男はとことんまでマイペースにできている。
穏やかな寝顔に呆れていると、アッキーがアキにパンツをよこしてきた。
「あうっ」
ちびったのが、ばれてたらしい。
屈辱に身を焦がしつつ、いそいそとパンツをはきかえる。
ついた染みは、ちょっとだけ乾いていた。
新しいパンツに身を通したら、すぐに布団にダイブ。
さすがに、眠い。
「うう、ねるの、するのよ、なの……むにゃ」
すぐに睡魔に襲われて、手足を布団に入れる暇もなかった。
安全地帯が、むにゃむにゃむにゃ……。
「おやすみ」
アキの身を守る、大事な大事なタオルケット。
放り出したままのそれを、アッキーが手に取ったのをアキは知らない。
お腹を冷やさないようにと、アキの体に掛けてくれたのも、知らないのだ……。
広い屋敷だし人も多いから、お手洗いはあっちこっちに設置されている。
広間から一番近いトイレは、廊下を行き最初の角を曲がったところにある。
だからアキラと手を繋いで、暗い廊下をテクテク歩いた。
せめて電気を点けたいとこだが、
「月明かりで十分ですね」
と、ノホホンと言われ、何も言えなくなった。
テクテクテクテク。
アキラが迷子にならないように、ちゃんと手を繋いで、テクテクテクテク……。
おかしい、いつまで経ってもトイレに辿り着けない。
ここの廊下は、これほどに長かっただろうか。
「そうそう、こんなお話、ご存知ですか?」
え……?
「それは真夜中の午前二時のこと」
ま、まさか……。
「とうに終電も終わったとある駅で……」
ひゃ、ひゃあああーーー!
ついさっきまで、慈愛に満ちた聖母のごとし佇まいだったアキラが、いま、優しげな笑みはそのままに、とんでもないことを口にしはじめた。
あ、悪魔だ……!
悪魔が、アキラに取り付いたに違いない!
「あわ、あわわ……」
「……まるで誰かに見られているような視線が」
「ひ、ひ、ひ」
曲がり角まであと少し。
あそこを曲がれば、トイレが待ってる。
そう、あそこを曲がれば。
「……ふと目線を上げると」
曲がり角、曲がり角、曲がりか……。
「暗い廊下の向こうから、黒い人影がヌッと、」
いままさに、暗い曲がり角からヌッと現われる人影!
「あひゃぎゃあああああああーーーー!!」
「きゃ、ど、どういたしました?」
「喧しいっ、何時だと思っているっ」
アキラの語りに呼応するように現われた人影は、幽霊ではなかった。
「おや、アッキーではないですか」
「はひゅ、はひゅ、ひゃ、ひゃっきー……」
その正体は、散歩から戻ってきたアッキーだったのだ。
あまりのことにアキは尻餅をつき、そのせいで……ちょびっと、本当にちょびっとだけ、ちびってしまった。
断じて幽霊にびびって、ちびったんじゃない。
単にびっくりしただけだ。
いくら最強の戦士とはいえ、突然人が出てきたらびっくりするのは当然なのだ。
だから、びっくりさせた方が悪い。
つまり、ちびったのは、アッキーのせいなのだ。
「二人で、何をしている?」
「お手洗いに行くところです」
「スイカの食いすぎか」
「あらあら、反論できませんね。さあアキ、早く参りましょう」
「あ、あい、なの、の……」
どうしたことだろう、足が立たない。
「どういたしました?」
アキラが手を差し伸べてくれた。
ああ、なんて優しい人なんだ。
そうだ、アキラはいつだってアキに優しい。
だというのに、ときおり笑顔で残酷なことをしでかすお茶目さんでもあった。
「アキラ、先に行ってろ」
「分かりました」
アッキーに促され、アキラはアキを置いてトイレに向かった。
たった一人で平然とトイレに行けるとか、やはりあの男は、聖母のフリした悪魔なのか……。
アキラの正体に震え上がる体を、アッキーがひょいと抱き上げた。
「あわわ、あわわ、アッキー、ちーよ、ちー」
ちょっとちびったからか、尿意が激しくなってきた。
このままでは、屈辱のおもらしをしてしまいそうだ。
「なぜ、腰が抜けている」
「あがが、う、うう」
それは、アッキーのせいだと言ってやりたい。
が、抱っこしてもらって、ついでにトイレまで運んでもらってる手前、文句を言うわけにもいかなかった。
「まさか、怖いのか?」
「うっ、ないのよ、アキ、ないのっ」
このアキが、最強の戦士たるアキが、なにを怖がるというのだ、まったく。
「だったら、一人で行けるな」
「あああ、いやなの、わるいのよ、アッキー、なのっ」
下ろそうとするアッキーに、慌ててしがみつく。
まさか、こんなところでアッキーを一人するわけにはいかない。
アッキーと一緒にいるのは、アキの使命なのだ。
アッキーに運ばれて、ようやく目的のトイレに到着する。
そこは、煌々と灯かりが差していた。
ああ、生き返るようだ。
それにしても、長かった。
ここに辿り着くまでが、本当に長かった。
「おやおや、抱っこしてもらったのですか。アキは甘えたさんですね」
既にすっきりして手を洗ってるアキラに、心外なことを言われた。
甘えたなのは、アキラのほうではないか。
アキラは一人で寝られないけど、アキはずっと一人で寝ている。
だから、アキのほうがずっとずっと大人だ。
「では、僕は先に戻りますね」
そう言って、またもや一人で廊下を戻るアキラに寒気がした。
やはりこの男は、とんでもなく危険だ……。
ブルブルッと背を震わすアキの体を、アッキーが便座に座らせた。
やっと待望のトイレタイムがやってきたのだ。
一瞬安堵しかけたところで、アッキーが扉の向こう側に消えてゆき、焦った。
しかも、パタンとドアを閉じてしまったのだ。
「あ、ああああ、アッキー、アッキー」
「外にいる」
外、それは、一枚のドアを挟んだそっち側ということか。
ならば安心、あんし、
「アッキー、いるの、なの、いるの!?」
「いるっ」
「あい」
ならばパンツを下ろして……あ、パンツにちょっとだけ染みがついている。
さっき、ちびったせいだ。
盛大に漏らさずに済んだのが、なによりだった。
さぁて、待ち望んだおしっこを、
「アッキー、いるの、いるのっ、なの!?」
「いるっ、さっさと済ませろっ」
「あ、あい」
早くおしっこを済ませねば。
もう膀胱が破裂しそうだ。
ちー……、
「アッキー、」
「いる!」
「あい……」
ちー、ちー、……。
おしっこの勢いは、なかなか衰えなかった。
さすが、我慢しただけのことはある。
ちー、ち、
「アッ、」
「いいからっ、さっさと済ませろっ」
「あい」
ち、ち、ち……。
最後まで出し切って、ようやく得た満足感。
はぁ、すっきりすっきり。
ちょびっと濡れたパンツをはき、水を流してドアを開けたら、約束通りアッキーはそこに居た。
手を洗ってタオルで拭いて、その間もアッキーの確認は怠らない。
全部終わって、ずっと待ってくれていたアッキーに両手を伸ばす。
「アッキー、アッキー」
さっきも抱っこしてくれたのだ、帰りだってして当然だろう。
「甘えるな」
「うう、う」
あっさりと却下された。
ならば、せめてこれくらいはと腰に抱きつこうとしたら、今度は敢え無く押し返された。
なんと冷酷な男なのか。
「ううう、うう」
「消すぞ」
「いやー、いやなのー」
唯一の灯かりであるトイレの電気を消そうとするとは、なんという卑劣な。
断固反対の構えを見せれば、アッキーが渋々左腕を差し出してくる。
その左腕を逃がさぬよう、全身でひっ捕らえた。
「消すぞ」
「あい」
パチン。
あっという間に真っ暗闇に戻ってしまった。
だが、アキは怖くない。
なぜなら、最強の戦士だからだ。
広間に戻る間、アッキーは歩きづらいと文句をたれていた。
左腕にアキがしがみついてるからだろうか。
だがしかし、これはアッキーのためでもある。
こうしてアキがガードしていないと、いつなんどきアッキーに危険が及ぶか分からないのだから、多少歩きづらいくらい我慢してほしいものだ。
布団が敷かれた広間に戻ると、なぜだかアッくんとアーちゃんが起きだしていた。
といっても、アーちゃんはとにかく眠そうで、アッくんはそんなアーちゃんにしがみついている。
いったい何があったのだろうか?
「アッくん、ほら、おばけでも幽霊でもないから」
「おばけだ、おばけ…ひぃ」
ブルブル震えるアッくんの背中を、アーちゃんがポンポンと宥める。
もしかして、さっきの雄叫びが関係してるのだろうか……。
一向に離れる気配を見せないアッくんに、アーちゃんが堪らず欠伸をした。
「だめ、寝る」
アーちゃんが、アッくんごと自分の布団に寝転ぶ。
アッくんも引き摺られるようにして、倒れ込んだ。
手を離す気はないらしい。
すかさずアーちゃんが布団を掛ければ、もとはアキラが寝ていた場所にアッくんが自然と収まった。
これで、アッくんも安心だろう。
あれ? そういえば、アキラはどこだ?
慌てて室内を見渡せば、アッくんが寝てた布団で、安眠しているアキラを見つけた。
「すやすやすや、すやすやすや」
なんというか、この男はとことんまでマイペースにできている。
穏やかな寝顔に呆れていると、アッキーがアキにパンツをよこしてきた。
「あうっ」
ちびったのが、ばれてたらしい。
屈辱に身を焦がしつつ、いそいそとパンツをはきかえる。
ついた染みは、ちょっとだけ乾いていた。
新しいパンツに身を通したら、すぐに布団にダイブ。
さすがに、眠い。
「うう、ねるの、するのよ、なの……むにゃ」
すぐに睡魔に襲われて、手足を布団に入れる暇もなかった。
安全地帯が、むにゃむにゃむにゃ……。
「おやすみ」
アキの身を守る、大事な大事なタオルケット。
放り出したままのそれを、アッキーが手に取ったのをアキは知らない。
お腹を冷やさないようにと、アキの体に掛けてくれたのも、知らないのだ……。