平凡君の日々彼此
[平凡君の日々彼此12]
アキの言葉は、慣れてしまえばどうということはない。
そのほとんどが、単語の上か下を略してるものだったり、擬声語や擬態語を駆使してることから、ある意味とても分かりやすいんだ。
だけど稀に、どうしても理解できない言葉もあった。
アキラはアキの言葉はすべて理解できる。
アーちゃんもアッキーもそのほとんどを察することができる。
そして僕も、アッキーたち並みには理解できるようになったつもりでいたんだけど……。
「したの! ミンチ、なの!」
いつだったかはよく覚えていないが、という出だしで始まったアキの冒険譚――いや、スパイ行動の記録というべきか――は、つまるところ明石君を付けたという、いいのか悪いのかよく分からない内容のものだった。
明石君が、似合いもしない貰い物――この二点はかなり重要らしい――の服を着て、バスに乗って街まで出かけた。
えっと、普通に、シャツを贈ってくれた人と待ち合わせしてたからとしか思えない行動なんだけど。
それはアキも分かっていたから、だからこそ、後を付けたということらしい。
なぜ? という疑問は、はぐらかされた。というより、アキ本人もどうしてそんなことをしたか分かっていないみたいだった。
面白そうだったからかな?
それとも、よほど退屈してたってことかな?
「いいのよっ、いいの」
そんなこと、アキにはどうでもいいことらしい。
確かに、どうでもいいと言えばどうでもいいかな。
アキも、アキラに負けず劣らず突拍子もないことをしでかすタイプだしね。
「あう、みたの、アキ、みたのよ! おーさん、ミンチよ! ミンチ、したの、なのよ!」
かなり興奮気味に続きを話してくれたけど、ここで僕は首を傾げることになった。
「あう、ミンチよ、なの、したの! ミンチ、なの!」
アキが力説しているのは、アーちゃんの部屋だ。
当然アキラもアーちゃんもアッキーもいるわけだが、アキの言葉に耳を傾けているのは僕だけ。
アッキーはソファに寝転がった姿勢で本を読み、アーちゃんは床に座ってソファを背もたれにしてPCと向き合っている。
アキラはキッチンに立てこもり、本日のおやつとなるドーナツを揚げることに夢中だ。
「ミンチ? ミンチって、お肉の?」
明石君とお肉が、どう繋がるののかな?
「う?」
問われたアキが、不思議そうな顔で僕を見詰め返してくる。
あれ、もしかしなくても、噛みあってないのかな。
ここのところめっきり少なくなっていた齟齬を痛烈に感じ取った僕とアキは、暫し呆然と見詰め合った。
「ぷっ、」
それは笑いを堪えようして見事に失敗した音。
無関心を装おうとして失敗した男が、僕の背後でけたたましく笑い出した。
「アーちゃんっ、笑い事じゃないよっ」
「ああ、悪い悪い」
まったく悪びれないアーちゃんが、ギャハハと遠慮のない笑い声を披露する。
ひとまずアーちゃんは無視すると決定し、アキに言葉の説明を求めた。
「アキ、ミンチってなに? お肉のことじゃないの?」
「ミンチ、なの、ミンチよ!」
だけどアキは、ミンチはミンチなのだと言うだけで、珍しくも言葉を駆使して説明しようという意志を見せない。
困りかけていたところで救いの手を差し出したのは、アッキーだった。
こういうとき、アーちゃんはまったくあてにできない。逆に引っ掻き回すだけの存在だ。
「渡辺、聞くだけ無駄だぞ」
「ミンチは、ミンチでしかないから?」
ページから目を逸らさずに、アッキーが頷いてくれる。
アキの中にはいろんな言葉が内包されていて、先にも述べたようにそれを省略したり、音にしたりして表現してくれる。
だけど、もとからそれ以上は表現しようがない言葉というものも、多く存在していた。
たとえば、本というものを表したとき、本とは何かと問われても、本としか説明しようがなく、逆に本を知らないほうがおかしいというわけだ。
つまりミンチという単語は、知っていて当然だろうというレベルの言葉というわけだ。
確かに、ミンチくらいは知ってるけど……。
なおも答えが分からない僕を見かねてか、アッキーがサッと立ち上がりキッチンに向かった。
「あ、それは明日のお夕食の、」
「借りるだけだ」
咎めるようなアキラの声と軽く呆れてるようなアッキーの声がしたかと思えば、すぐにアッキーが何かを持って戻ってくる。
「これはなんと読む?」
そう言って、手にした物を僕に見せる。
それは、どうということはない挽肉だった。
「え、挽肉、だよ…ね……、あ、あああああっ」
突然の閃きに、興奮が抑えられない。
アッキーがキッチンから持ってきたものは、どこにでもある挽肉であり、しかも合挽き肉と堂々書かれている物だったのだ。
合挽き、つまり【あいびき】肉であり、これらは一般的にミンチと呼ばれている。
「も、もしかして合挽きと、隠れて会う逢引をかけてるの!?」
その通りだとアッキーが首肯してくれた。
「な、なんだ、そういうことか、はっ、つまり明石君がどっかの誰かと逢引してたってこと!? え、そういうことなの!?」
逢引というちょっと古風な言い回しからは、男女の密会風景しか思いつかない。
しかも、少し大人向けの方向にしか思考が定まらなかった。
明石君がそんなことを……いや、それよりも!
「だ、誰がアキにそんな言葉を!?」
逢引という言葉を知っているのは、悪いことではない。
だけどそれをミンチなどと表現するのは、いったいどういう経緯からなんだ。
「そんなことをしでかすやつは、一人しかおらんだろ」
冷たく言い放ち、アッキーがミンチを冷蔵庫へと戻しに行く。
アッキーの言葉を正しく受け止めた僕は、そのままクルリと背後を振り返った。
「ア、アーちゃ、」
「なのよ、したの、おーさん、したのよ」
「ふうん、美女と、しかもホテルで逢引か、狼も隅に置けないねー」
「あうう、なのっ、わるいの、おーさん、わるいのしたの」
「17の男なんて、セックスのことしか頭にねーんだし、どうせ遊びなんだからほっとけほっとけ」
「あ、あうう、ううう」
ミンチの単語に振り回されていた短時間に、アキは話し相手を換えていたらしい。
明石君のことなんかより、そっちのほうが遥かにショックだった。
「も、もうっ、アキに変な言葉教えないでよ」
「は? 変な言葉? あ、セックス? んなの、アキはとっくに知ってるよなー」
「あい、なの、サックス、なのよ」
「あああああ、もうっ、それじゃなくて、いや、それもだけど、そうじゃなくてっ」
「伝えるのが下手だからって、言葉を覚えたくないわけじゃないもんね。アキの知的好奇心を阻害するなんてのは、いくらアッくんでもしちゃダメよー」
「なのっ、なのよー、アッくん、わるいのー、のよのよっ」
「そ、そんなぁ……」
どうして僕が責められてるの?
アキが言葉を覚えるのは僕だって大賛成だし、それを邪魔する気は毛頭ない。
だけど間違った言葉を教えるなんて、大問題じゃないの!?
「無理です。ことこれに関しては、アキはなぜだかアーちゃんを信頼しているため、僕たちの言葉に耳を貸そうとはいたしません」
ジュワジュワいい音を立てているナベから揚がったドーナツを取り出しながら、アキラが事もなげに言う。
そこに諦めや怒りなどの感情はなく、本気でアキの好きにすればいいという考えが見える。
「で、でも、」
「今夜の夕飯は、アッキーの大好きなエビフライですからね」
「え、あれ、昨日はコロッケだったよね」
「ええ、そうですよ。明日はメンチカツです。たっぷり作りますからね、楽しみにしておいてください」
おやつはドーナツで、夕飯がエビフライ?
連続して、揚げ物?
それってあまり楽しくないんだけど……。
いやいや、今はそんなことどうでもいいじゃないか。
「ゆ、夕飯は分かったけど、アキの、」
「ことわざや慣用句などもアーちゃんが教えてるようですが、基本的な意味や使い方はそう間違ってはいないので、まぁ、よろしいかと。
なにより、アキが喜んで覚えるのですよ、アーちゃんが教えると」
アキの気持ちが最優先というアキラの心情は理解できた。
だけどこのまま間違った言葉を覚えていいんだろうか。
だからアキのことに関して、もっとも強い発言力を有する人にそっとお伺いを立ててみた。
「アッキーは、それでいいの?」
暗に、アーちゃんなんかに任せていいのかと訊いてみる。
「寝坊という言葉を知っているか?」
「え、寝坊? うん、そりゃ知ってるけど」
どうしてこんなところで寝坊の話が出るんだろう?
「寝坊の由来は諸説あるから置いておくとして、アキは寝過ごすことは寝坊という人間と同じになることと信じ込んでいる」
「え、ど、どういう意味?」
「寝てばかりいると三年寝太郎になるぞとか、食ってすぐ寝ると牛になるぞなどの苦言と同一の意味に捉えてるってことだ」
「つまりアキは、寝坊を形容動詞と捉えていないということです。名詞としてのみ使用しているのですよ。
アーちゃんが、その昔、寝過ごしてばかりいるお寝坊という男がいて、とでも話して聞かせたのでしょう」
だからアキは寝坊したとき、寝坊しちゃったではなく、お寝坊さんになってしまったと騒ぐのか。
これでひとつ謎が解けた!
じゃなくて、
「単なる言い間違いに近いが、いちおう三度正してみた。が、四度目で諦めた」
つまりは、それがアッキーの出した結論というわけだ。
どっかの誰かが教えた使い方を、そのまま信じて使っているアキに、どうしてという気持ちが強く湧いてくる。
どうして、どうして、どうしてそんなところばかり、アーちゃんの言うことを鵜呑みにするんだよ。
普段はまるっきり信用してなくて、それはもうぞんざいな扱いばかりしてるくせに、どうしてそういう面だけは素直に吸収しちゃうの!
「ですが、意味はそれほど違っておりませんし」
夕食用のエビの下拵えをしながら、アキラがのんきに言ってくれた。
「お前がそうやって、甘やかすからっ」
「僕? 僕がなにかしましたか?」
「お前はいつでもアキを甘やかす、ついでに高橋のこともっ」
「んま、僕が何をしたと言うのですか? そもそも甘やかしたことなどございませんよ。あ、分かりました。責任転嫁ですね。
またそうやって僕のせいにしようという魂胆なのですね。なんて恐ろしい方なんでしょう」
クッと唇を噛むアッキーに、おもわずその場から逃げ出していた。
結局、あれが大本の原因なのではないだろうか。
アッキーがどれほどアキに厳しくしても、それ以上に甘やかす存在がいるかぎり、アキとアーちゃんの奇行は止まらないだろう。
そして僕も、加担するとまではいかないものの、彼らを阻止するほどの意気地はない。
三人でタッグを組まれては、誰がどう物申しても無理ってものだよね。
アキの言葉は、慣れてしまえばどうということはない。
そのほとんどが、単語の上か下を略してるものだったり、擬声語や擬態語を駆使してることから、ある意味とても分かりやすいんだ。
だけど稀に、どうしても理解できない言葉もあった。
アキラはアキの言葉はすべて理解できる。
アーちゃんもアッキーもそのほとんどを察することができる。
そして僕も、アッキーたち並みには理解できるようになったつもりでいたんだけど……。
「したの! ミンチ、なの!」
いつだったかはよく覚えていないが、という出だしで始まったアキの冒険譚――いや、スパイ行動の記録というべきか――は、つまるところ明石君を付けたという、いいのか悪いのかよく分からない内容のものだった。
明石君が、似合いもしない貰い物――この二点はかなり重要らしい――の服を着て、バスに乗って街まで出かけた。
えっと、普通に、シャツを贈ってくれた人と待ち合わせしてたからとしか思えない行動なんだけど。
それはアキも分かっていたから、だからこそ、後を付けたということらしい。
なぜ? という疑問は、はぐらかされた。というより、アキ本人もどうしてそんなことをしたか分かっていないみたいだった。
面白そうだったからかな?
それとも、よほど退屈してたってことかな?
「いいのよっ、いいの」
そんなこと、アキにはどうでもいいことらしい。
確かに、どうでもいいと言えばどうでもいいかな。
アキも、アキラに負けず劣らず突拍子もないことをしでかすタイプだしね。
「あう、みたの、アキ、みたのよ! おーさん、ミンチよ! ミンチ、したの、なのよ!」
かなり興奮気味に続きを話してくれたけど、ここで僕は首を傾げることになった。
「あう、ミンチよ、なの、したの! ミンチ、なの!」
アキが力説しているのは、アーちゃんの部屋だ。
当然アキラもアーちゃんもアッキーもいるわけだが、アキの言葉に耳を傾けているのは僕だけ。
アッキーはソファに寝転がった姿勢で本を読み、アーちゃんは床に座ってソファを背もたれにしてPCと向き合っている。
アキラはキッチンに立てこもり、本日のおやつとなるドーナツを揚げることに夢中だ。
「ミンチ? ミンチって、お肉の?」
明石君とお肉が、どう繋がるののかな?
「う?」
問われたアキが、不思議そうな顔で僕を見詰め返してくる。
あれ、もしかしなくても、噛みあってないのかな。
ここのところめっきり少なくなっていた齟齬を痛烈に感じ取った僕とアキは、暫し呆然と見詰め合った。
「ぷっ、」
それは笑いを堪えようして見事に失敗した音。
無関心を装おうとして失敗した男が、僕の背後でけたたましく笑い出した。
「アーちゃんっ、笑い事じゃないよっ」
「ああ、悪い悪い」
まったく悪びれないアーちゃんが、ギャハハと遠慮のない笑い声を披露する。
ひとまずアーちゃんは無視すると決定し、アキに言葉の説明を求めた。
「アキ、ミンチってなに? お肉のことじゃないの?」
「ミンチ、なの、ミンチよ!」
だけどアキは、ミンチはミンチなのだと言うだけで、珍しくも言葉を駆使して説明しようという意志を見せない。
困りかけていたところで救いの手を差し出したのは、アッキーだった。
こういうとき、アーちゃんはまったくあてにできない。逆に引っ掻き回すだけの存在だ。
「渡辺、聞くだけ無駄だぞ」
「ミンチは、ミンチでしかないから?」
ページから目を逸らさずに、アッキーが頷いてくれる。
アキの中にはいろんな言葉が内包されていて、先にも述べたようにそれを省略したり、音にしたりして表現してくれる。
だけど、もとからそれ以上は表現しようがない言葉というものも、多く存在していた。
たとえば、本というものを表したとき、本とは何かと問われても、本としか説明しようがなく、逆に本を知らないほうがおかしいというわけだ。
つまりミンチという単語は、知っていて当然だろうというレベルの言葉というわけだ。
確かに、ミンチくらいは知ってるけど……。
なおも答えが分からない僕を見かねてか、アッキーがサッと立ち上がりキッチンに向かった。
「あ、それは明日のお夕食の、」
「借りるだけだ」
咎めるようなアキラの声と軽く呆れてるようなアッキーの声がしたかと思えば、すぐにアッキーが何かを持って戻ってくる。
「これはなんと読む?」
そう言って、手にした物を僕に見せる。
それは、どうということはない挽肉だった。
「え、挽肉、だよ…ね……、あ、あああああっ」
突然の閃きに、興奮が抑えられない。
アッキーがキッチンから持ってきたものは、どこにでもある挽肉であり、しかも合挽き肉と堂々書かれている物だったのだ。
合挽き、つまり【あいびき】肉であり、これらは一般的にミンチと呼ばれている。
「も、もしかして合挽きと、隠れて会う逢引をかけてるの!?」
その通りだとアッキーが首肯してくれた。
「な、なんだ、そういうことか、はっ、つまり明石君がどっかの誰かと逢引してたってこと!? え、そういうことなの!?」
逢引というちょっと古風な言い回しからは、男女の密会風景しか思いつかない。
しかも、少し大人向けの方向にしか思考が定まらなかった。
明石君がそんなことを……いや、それよりも!
「だ、誰がアキにそんな言葉を!?」
逢引という言葉を知っているのは、悪いことではない。
だけどそれをミンチなどと表現するのは、いったいどういう経緯からなんだ。
「そんなことをしでかすやつは、一人しかおらんだろ」
冷たく言い放ち、アッキーがミンチを冷蔵庫へと戻しに行く。
アッキーの言葉を正しく受け止めた僕は、そのままクルリと背後を振り返った。
「ア、アーちゃ、」
「なのよ、したの、おーさん、したのよ」
「ふうん、美女と、しかもホテルで逢引か、狼も隅に置けないねー」
「あうう、なのっ、わるいの、おーさん、わるいのしたの」
「17の男なんて、セックスのことしか頭にねーんだし、どうせ遊びなんだからほっとけほっとけ」
「あ、あうう、ううう」
ミンチの単語に振り回されていた短時間に、アキは話し相手を換えていたらしい。
明石君のことなんかより、そっちのほうが遥かにショックだった。
「も、もうっ、アキに変な言葉教えないでよ」
「は? 変な言葉? あ、セックス? んなの、アキはとっくに知ってるよなー」
「あい、なの、サックス、なのよ」
「あああああ、もうっ、それじゃなくて、いや、それもだけど、そうじゃなくてっ」
「伝えるのが下手だからって、言葉を覚えたくないわけじゃないもんね。アキの知的好奇心を阻害するなんてのは、いくらアッくんでもしちゃダメよー」
「なのっ、なのよー、アッくん、わるいのー、のよのよっ」
「そ、そんなぁ……」
どうして僕が責められてるの?
アキが言葉を覚えるのは僕だって大賛成だし、それを邪魔する気は毛頭ない。
だけど間違った言葉を教えるなんて、大問題じゃないの!?
「無理です。ことこれに関しては、アキはなぜだかアーちゃんを信頼しているため、僕たちの言葉に耳を貸そうとはいたしません」
ジュワジュワいい音を立てているナベから揚がったドーナツを取り出しながら、アキラが事もなげに言う。
そこに諦めや怒りなどの感情はなく、本気でアキの好きにすればいいという考えが見える。
「で、でも、」
「今夜の夕飯は、アッキーの大好きなエビフライですからね」
「え、あれ、昨日はコロッケだったよね」
「ええ、そうですよ。明日はメンチカツです。たっぷり作りますからね、楽しみにしておいてください」
おやつはドーナツで、夕飯がエビフライ?
連続して、揚げ物?
それってあまり楽しくないんだけど……。
いやいや、今はそんなことどうでもいいじゃないか。
「ゆ、夕飯は分かったけど、アキの、」
「ことわざや慣用句などもアーちゃんが教えてるようですが、基本的な意味や使い方はそう間違ってはいないので、まぁ、よろしいかと。
なにより、アキが喜んで覚えるのですよ、アーちゃんが教えると」
アキの気持ちが最優先というアキラの心情は理解できた。
だけどこのまま間違った言葉を覚えていいんだろうか。
だからアキのことに関して、もっとも強い発言力を有する人にそっとお伺いを立ててみた。
「アッキーは、それでいいの?」
暗に、アーちゃんなんかに任せていいのかと訊いてみる。
「寝坊という言葉を知っているか?」
「え、寝坊? うん、そりゃ知ってるけど」
どうしてこんなところで寝坊の話が出るんだろう?
「寝坊の由来は諸説あるから置いておくとして、アキは寝過ごすことは寝坊という人間と同じになることと信じ込んでいる」
「え、ど、どういう意味?」
「寝てばかりいると三年寝太郎になるぞとか、食ってすぐ寝ると牛になるぞなどの苦言と同一の意味に捉えてるってことだ」
「つまりアキは、寝坊を形容動詞と捉えていないということです。名詞としてのみ使用しているのですよ。
アーちゃんが、その昔、寝過ごしてばかりいるお寝坊という男がいて、とでも話して聞かせたのでしょう」
だからアキは寝坊したとき、寝坊しちゃったではなく、お寝坊さんになってしまったと騒ぐのか。
これでひとつ謎が解けた!
じゃなくて、
「単なる言い間違いに近いが、いちおう三度正してみた。が、四度目で諦めた」
つまりは、それがアッキーの出した結論というわけだ。
どっかの誰かが教えた使い方を、そのまま信じて使っているアキに、どうしてという気持ちが強く湧いてくる。
どうして、どうして、どうしてそんなところばかり、アーちゃんの言うことを鵜呑みにするんだよ。
普段はまるっきり信用してなくて、それはもうぞんざいな扱いばかりしてるくせに、どうしてそういう面だけは素直に吸収しちゃうの!
「ですが、意味はそれほど違っておりませんし」
夕食用のエビの下拵えをしながら、アキラがのんきに言ってくれた。
「お前がそうやって、甘やかすからっ」
「僕? 僕がなにかしましたか?」
「お前はいつでもアキを甘やかす、ついでに高橋のこともっ」
「んま、僕が何をしたと言うのですか? そもそも甘やかしたことなどございませんよ。あ、分かりました。責任転嫁ですね。
またそうやって僕のせいにしようという魂胆なのですね。なんて恐ろしい方なんでしょう」
クッと唇を噛むアッキーに、おもわずその場から逃げ出していた。
結局、あれが大本の原因なのではないだろうか。
アッキーがどれほどアキに厳しくしても、それ以上に甘やかす存在がいるかぎり、アキとアーちゃんの奇行は止まらないだろう。
そして僕も、加担するとまではいかないものの、彼らを阻止するほどの意気地はない。
三人でタッグを組まれては、誰がどう物申しても無理ってものだよね。