白儿の下っ端かく語りき
[白儿の下っ端かく語りき2]
白儿で一番の年少さんは、もちろん章様にございます。
僕は、二番目です。こういうところは次点でなくてもよかったのに。
僕の上には、同じく30代の兄さんたちが大勢いて、その上にも満遍なく兄が揃っておりますし、もっと上になればかなりの年寄りたちが寄り集まっております。
ま、上にどれほどおられようとも、下がいない限りは僕が一番の下っ端なので、どうでもいいことなんですけどね。
しつこいようですが、皆外見だけは若いんですよ。そして背が、若干低目なんです……。
代理は、その方が相手が油断するとかなんとか慰めてくれますが、やはり男としては高身長に憧れるもの。
でも章様の次に身長が高い僕は、きっと恵まれてるほうなんでしょうね。
まぁ、低いとはいえ、あくまで章様が一番というだけで、50歩100歩、みな似たり寄ったりの身長といえます。
大きな差なんて、ないに等しいのではないでしょうか。
比例して体格自体もそう立派ではございません。いわゆる中肉中背というやつですね。
どうも筋肉がつきにくい体質らしく、プロテインでも効果は得られませんでした。
……え? ええ、そうですよ。試しましたよ。いけませんか!?
筋肉ムキムキ、男なら一度くらいはなってみたいものでしょう!
ここだけの話、僕のプロテインを盗み飲みしていた章様を発見したときは、いたく感激したものです。
さてそんな白儿たちですが、外見はどうであれ、やはりヒトとはずば抜けて違っております。
一ヶ月以上食べなくても全然平気だとか、ほとんどの毒物に耐性があるだとか、大怪我してもすぐ治ってしまうとか、便利といえば便利な肉体ですよね。
なんて、この心境にいたったのは、実は訓練の賜物なんですけどね、おかげさまで今では笑って話せます。
白儿の力を持って生まれたモノは、先に生まれた兄弟たちから力を抑制する術を学びます。
それこそ、体に覚えさせられるので、何度か三途の川の一歩手前まで行きました。
とはいえ、これは一般的なオニの話です。
章様が生まれたとき、傍には代理が付き添っておいででした。
30ヶ月もの妊娠を経て生まれる赤子は、とてつもない力を持っているに違いないと警戒してのことです。
ちなみに、僕の妊娠期間は15ヶ月です。
代理の予想通り、母君の胎を破って生まれた赤子は、真っ先に代理に向かってきたそうです。
警戒していたにも関わらず、代理の鎖骨は見事に折られ、肋骨にはヒビが入っておりました。
章様は、その代理の手によって、一度は呼吸が止まったそうです。
圧し折られる寸前まで縊られたのですから、それもいたしかたないことでしょう。
しかし凄いのは、蘇生させる前に息を吹き返し、代理に飛びかからんとすぐさま殺気を漲らせたことでしょうか。
ですがそこは年の功、息を止めてる間に手足の関節を外されていた章様は、そのまま失神させられたということです。
なんとも壮絶ですね。さすがは門音様といったところでしょうか。
しかしながら、成長するにしたがい章様の力はいや増しました。ええ、あっという間に代理を超えてしまったのです。
仕方ありません。門音様は、通常のオニではないのですから。
それでも成長すればするほどに、章様の理解力のほうも増していくものです。
過去の門音様もそうだったのでしょう。彼は力を抑える必要性に駆られ、どうにか抑制しようと必死になっておられました。
ですがその努力はなかなか実を結ばず、それこそ飯を食うための箸すら握れない有様でした。
だからといって、お世話しようと近寄れば、その気配に反応する始末。
代理は頭を痛め、兄弟たちは胸を痛める。その気配すらも感じ取り、章様の苦しみはより増していく。悪循環です。
この流れを断ち切ったのは、当時の総代です。
総代の命により、土兒家より遣わされた少年、名を鏡呉と言いました。
総代と代理の間で、どのような話し合いが持たれたのかは、わかりません。
過去の門音たちが、この困難をどう乗り切ったかもわかりません。
ですが、土兒鏡呉の役目だけは、わかります。
彼はその身を献げるつもりで、こちらへと赴いたのです。
哀しいかな、彼と我々では立場が違いすぎたということです。
貴重なオニを活かすためなら、彼程度の人間が何人犠牲になろうとも、我らは気に病んだりはいたしません。
それは、他家にとっても同じだったのかもしれない。
それほどに差がある命が、章様と真正面から向き合うことになったのです。
なんだかんだいっても、章様を取り巻いていたのは、所詮僕たちオニなのでございます。
簡単に傷つけられるも、死ぬことはそうそうなく、すぐに回復する頑丈さをも兼ね備えているイキモノなのです。
そんなオニとは根本からして違う土兒鏡呉との生活は、章様のヒトへの認識を高める結果となりました。
いかに脆弱な生物であるか、どれほどの忍耐を必要とするか、そのすべてを章様は驚くほどの早さで身に着けていったのです。
こうやって思い返せば、あの土兒鏡呉という男は、大層なことを遣り遂げたといっていいのかもしれない。
なんといっても、あの章様と添い寝までしていたのですから。
しかも、二人ともに幸せそうに熟睡していたなんて、普通では考えられないことなんですよ。
怒りを抑える術をも、相当に教え込まれたといっていいでしょう。
なんでもかんでもマヨネーズをかける土兒鏡呉に、章様は眉をしかめるにとどめ、手を出そうとはしなかったのです。
殺気を漂わせながらも、耐えることを選んだということですね。まさに、土兒鏡呉のおかげです。
しかしアレは酷かった。
刺身、お萩……なんでもかんでもかけまくりで、正直、〆てやろうと考えたのは一度や二度ではございませんでした。
味音痴のくせに嗅覚は非常に優れ、今では土兒家でも1.2を争う調香師というのだから、世も末ですね。
さて、そんなこんなで見事普通人らしく振舞う術を学ばれた章様は、ようやく外に出るご決心をなさりました。
地元の小学校に通うことにしたのです。
とはいえ、章様はとっくに10歳。本来なら一年生とはいえませんが、外見からすればなんの問題もございません。
ご本人様も、特に嫌がったりはせず、ピカピカの一年生として小学校に通うこととなったのです。
あの頃の章様は、それはそれは子供らしかぬ気を放っておいででしたが、そこはそれ、黙っていればとても可愛いらしい小学生でございましたよ。
ランドセルは断固拒否なさりましたが、手提げ鞄を携えての通学は、今思い出しても微笑ましい光景です。
ちなみに僕も学校に通っていましたが、いかんせん勉学が身に合わず、4年ほどで辞めました。
特に学歴は必要ないですし、戸籍すらどうとでもなりますからね、問題はございません。
章様は、実に真面目に通っておられました。
少ないながらもご友人もでき、たまにこちらに連れて来てもおられましたし。
ええ、そうです。アキ様のことです。
小学校への通学は、章様にとってよいことばかりを齎したということですね。
その最たるものが、給食でしょうか。
年寄りが多いせいか、白儿の食卓を席巻しているのは和食でございます。
まったくもって質素とは無縁な食事でございましたが、とかくあっさりしがちな、なんといいますかこれぞ和食の見本のような食事ばかりが目立っていたのです。
オニなんだからなんでも食えと抗議したいところですが、年寄りには和食がもっとも好まれる味だったのでしょう。
しかしながら、章様のような若くて活発な少年真っ盛りには、年寄りの事情なぞまったくの無関係。
たまにはフライ物も食べたいでしょうし、ジャンクフードをがっつり食したいと考えてもいたしかたありません。
なにより、カタカナ食は、とかく子供の味覚に合致しているものです。
章様は、給食で初めてクリームシチューを口にした際、いたく感動したんだそうです。
この世の中に、これほどにまろやかでクリーミーな食べ物が存在したのか、と。実に、おいたわしい。
汁物といえば味噌がメインの白儿では、確かにお出ししたことはございませんね。
コロッケもエビフライも、食卓にのぼったことはございません。揚げ物といえば天麩羅です。
それだって胃に重たいということで、滅多に出しません。白儿にあるまじき理由です。
辛うじてハンバーグはございましたね、主に豆腐の。いわしのつみれでは、代わりにはなりませんよね。
チーズ、バター、ほとんど縁がございませんでしたね。せめてカレーくらいは、頻繁に出してあげてもよかったのでは。
卵焼きよりスクランブルエッグ、塩鮭ではなくスモークサーモン、けんちん汁の代わりに、ミネストローネを。
我が一族の厨房を仕切るのは、当然白儿の男たちでございます。
腕のよい料理人ではありますが、章様がエビフライをご所望なさった折、伊勢エビの鬼殻焼きをお出ししたのは、決して嫌がらせなどではなかったのですよ。
よかれと思ってしたことなのです。伊勢エビとしては、それなりに美味い食べ方ですからね。
しかしながら章様にとっては、相当にダメージが大きかったようで、翌日からはご自分で包丁を握る決心をなさるほどでした。
自分の分は自分で作るしかないと、お考えになったのでしょう。
みな最初こそ動揺しておりましたが、日を追うごとにそれも薄れ、結果からいえば章様の並々ならぬ才能が開花することと相成ります。
今では和洋中なんでもござれだなんて、これは怪我の功名と言っても過言ではないのかもしれませんね。
白儿で一番の年少さんは、もちろん章様にございます。
僕は、二番目です。こういうところは次点でなくてもよかったのに。
僕の上には、同じく30代の兄さんたちが大勢いて、その上にも満遍なく兄が揃っておりますし、もっと上になればかなりの年寄りたちが寄り集まっております。
ま、上にどれほどおられようとも、下がいない限りは僕が一番の下っ端なので、どうでもいいことなんですけどね。
しつこいようですが、皆外見だけは若いんですよ。そして背が、若干低目なんです……。
代理は、その方が相手が油断するとかなんとか慰めてくれますが、やはり男としては高身長に憧れるもの。
でも章様の次に身長が高い僕は、きっと恵まれてるほうなんでしょうね。
まぁ、低いとはいえ、あくまで章様が一番というだけで、50歩100歩、みな似たり寄ったりの身長といえます。
大きな差なんて、ないに等しいのではないでしょうか。
比例して体格自体もそう立派ではございません。いわゆる中肉中背というやつですね。
どうも筋肉がつきにくい体質らしく、プロテインでも効果は得られませんでした。
……え? ええ、そうですよ。試しましたよ。いけませんか!?
筋肉ムキムキ、男なら一度くらいはなってみたいものでしょう!
ここだけの話、僕のプロテインを盗み飲みしていた章様を発見したときは、いたく感激したものです。
さてそんな白儿たちですが、外見はどうであれ、やはりヒトとはずば抜けて違っております。
一ヶ月以上食べなくても全然平気だとか、ほとんどの毒物に耐性があるだとか、大怪我してもすぐ治ってしまうとか、便利といえば便利な肉体ですよね。
なんて、この心境にいたったのは、実は訓練の賜物なんですけどね、おかげさまで今では笑って話せます。
白儿の力を持って生まれたモノは、先に生まれた兄弟たちから力を抑制する術を学びます。
それこそ、体に覚えさせられるので、何度か三途の川の一歩手前まで行きました。
とはいえ、これは一般的なオニの話です。
章様が生まれたとき、傍には代理が付き添っておいででした。
30ヶ月もの妊娠を経て生まれる赤子は、とてつもない力を持っているに違いないと警戒してのことです。
ちなみに、僕の妊娠期間は15ヶ月です。
代理の予想通り、母君の胎を破って生まれた赤子は、真っ先に代理に向かってきたそうです。
警戒していたにも関わらず、代理の鎖骨は見事に折られ、肋骨にはヒビが入っておりました。
章様は、その代理の手によって、一度は呼吸が止まったそうです。
圧し折られる寸前まで縊られたのですから、それもいたしかたないことでしょう。
しかし凄いのは、蘇生させる前に息を吹き返し、代理に飛びかからんとすぐさま殺気を漲らせたことでしょうか。
ですがそこは年の功、息を止めてる間に手足の関節を外されていた章様は、そのまま失神させられたということです。
なんとも壮絶ですね。さすがは門音様といったところでしょうか。
しかしながら、成長するにしたがい章様の力はいや増しました。ええ、あっという間に代理を超えてしまったのです。
仕方ありません。門音様は、通常のオニではないのですから。
それでも成長すればするほどに、章様の理解力のほうも増していくものです。
過去の門音様もそうだったのでしょう。彼は力を抑える必要性に駆られ、どうにか抑制しようと必死になっておられました。
ですがその努力はなかなか実を結ばず、それこそ飯を食うための箸すら握れない有様でした。
だからといって、お世話しようと近寄れば、その気配に反応する始末。
代理は頭を痛め、兄弟たちは胸を痛める。その気配すらも感じ取り、章様の苦しみはより増していく。悪循環です。
この流れを断ち切ったのは、当時の総代です。
総代の命により、土兒家より遣わされた少年、名を鏡呉と言いました。
総代と代理の間で、どのような話し合いが持たれたのかは、わかりません。
過去の門音たちが、この困難をどう乗り切ったかもわかりません。
ですが、土兒鏡呉の役目だけは、わかります。
彼はその身を献げるつもりで、こちらへと赴いたのです。
哀しいかな、彼と我々では立場が違いすぎたということです。
貴重なオニを活かすためなら、彼程度の人間が何人犠牲になろうとも、我らは気に病んだりはいたしません。
それは、他家にとっても同じだったのかもしれない。
それほどに差がある命が、章様と真正面から向き合うことになったのです。
なんだかんだいっても、章様を取り巻いていたのは、所詮僕たちオニなのでございます。
簡単に傷つけられるも、死ぬことはそうそうなく、すぐに回復する頑丈さをも兼ね備えているイキモノなのです。
そんなオニとは根本からして違う土兒鏡呉との生活は、章様のヒトへの認識を高める結果となりました。
いかに脆弱な生物であるか、どれほどの忍耐を必要とするか、そのすべてを章様は驚くほどの早さで身に着けていったのです。
こうやって思い返せば、あの土兒鏡呉という男は、大層なことを遣り遂げたといっていいのかもしれない。
なんといっても、あの章様と添い寝までしていたのですから。
しかも、二人ともに幸せそうに熟睡していたなんて、普通では考えられないことなんですよ。
怒りを抑える術をも、相当に教え込まれたといっていいでしょう。
なんでもかんでもマヨネーズをかける土兒鏡呉に、章様は眉をしかめるにとどめ、手を出そうとはしなかったのです。
殺気を漂わせながらも、耐えることを選んだということですね。まさに、土兒鏡呉のおかげです。
しかしアレは酷かった。
刺身、お萩……なんでもかんでもかけまくりで、正直、〆てやろうと考えたのは一度や二度ではございませんでした。
味音痴のくせに嗅覚は非常に優れ、今では土兒家でも1.2を争う調香師というのだから、世も末ですね。
さて、そんなこんなで見事普通人らしく振舞う術を学ばれた章様は、ようやく外に出るご決心をなさりました。
地元の小学校に通うことにしたのです。
とはいえ、章様はとっくに10歳。本来なら一年生とはいえませんが、外見からすればなんの問題もございません。
ご本人様も、特に嫌がったりはせず、ピカピカの一年生として小学校に通うこととなったのです。
あの頃の章様は、それはそれは子供らしかぬ気を放っておいででしたが、そこはそれ、黙っていればとても可愛いらしい小学生でございましたよ。
ランドセルは断固拒否なさりましたが、手提げ鞄を携えての通学は、今思い出しても微笑ましい光景です。
ちなみに僕も学校に通っていましたが、いかんせん勉学が身に合わず、4年ほどで辞めました。
特に学歴は必要ないですし、戸籍すらどうとでもなりますからね、問題はございません。
章様は、実に真面目に通っておられました。
少ないながらもご友人もでき、たまにこちらに連れて来てもおられましたし。
ええ、そうです。アキ様のことです。
小学校への通学は、章様にとってよいことばかりを齎したということですね。
その最たるものが、給食でしょうか。
年寄りが多いせいか、白儿の食卓を席巻しているのは和食でございます。
まったくもって質素とは無縁な食事でございましたが、とかくあっさりしがちな、なんといいますかこれぞ和食の見本のような食事ばかりが目立っていたのです。
オニなんだからなんでも食えと抗議したいところですが、年寄りには和食がもっとも好まれる味だったのでしょう。
しかしながら、章様のような若くて活発な少年真っ盛りには、年寄りの事情なぞまったくの無関係。
たまにはフライ物も食べたいでしょうし、ジャンクフードをがっつり食したいと考えてもいたしかたありません。
なにより、カタカナ食は、とかく子供の味覚に合致しているものです。
章様は、給食で初めてクリームシチューを口にした際、いたく感動したんだそうです。
この世の中に、これほどにまろやかでクリーミーな食べ物が存在したのか、と。実に、おいたわしい。
汁物といえば味噌がメインの白儿では、確かにお出ししたことはございませんね。
コロッケもエビフライも、食卓にのぼったことはございません。揚げ物といえば天麩羅です。
それだって胃に重たいということで、滅多に出しません。白儿にあるまじき理由です。
辛うじてハンバーグはございましたね、主に豆腐の。いわしのつみれでは、代わりにはなりませんよね。
チーズ、バター、ほとんど縁がございませんでしたね。せめてカレーくらいは、頻繁に出してあげてもよかったのでは。
卵焼きよりスクランブルエッグ、塩鮭ではなくスモークサーモン、けんちん汁の代わりに、ミネストローネを。
我が一族の厨房を仕切るのは、当然白儿の男たちでございます。
腕のよい料理人ではありますが、章様がエビフライをご所望なさった折、伊勢エビの鬼殻焼きをお出ししたのは、決して嫌がらせなどではなかったのですよ。
よかれと思ってしたことなのです。伊勢エビとしては、それなりに美味い食べ方ですからね。
しかしながら章様にとっては、相当にダメージが大きかったようで、翌日からはご自分で包丁を握る決心をなさるほどでした。
自分の分は自分で作るしかないと、お考えになったのでしょう。
みな最初こそ動揺しておりましたが、日を追うごとにそれも薄れ、結果からいえば章様の並々ならぬ才能が開花することと相成ります。
今では和洋中なんでもござれだなんて、これは怪我の功名と言っても過言ではないのかもしれませんね。