合作
[榊著、MMO日記]
当主を名乗りしお方々が、皆様揃って学生の御身分というのは、永い歴史の中でもそうはないことであろう。
いや、初めてのことかもしれぬ。
なんといっても、皆様方ほぼ同年ということが、そうあることではないのだからして。
100年以上の空位の後、白儿の方がご誕生めされた折は、晃様の御祖父様――先代の雪客様は、それはもうお喜びであらした。
継埜、白儿、牟韻は、始まりの御方と共に立たれた、最初のお方々であるのだからして、万感胸に迫るものがおありだったのでござろう。
時を置き、滅多と顕れぬ牟韻の方までもがご誕生めされたことで、これにて、最初のお方々が揃うこととなり申したのだ。
一度も途切れたことのない守人は別として、数十年単位の空位はありはしたものの、100年もの長き時を空にしていた門音のことを、先代は既に諦めておられた。
この時代には、不要であると定めたのであろう、と。
音無に至っては、とうに終焉を迎えたものと、見定めておられた。
それがどうであろう。
晃様御誕生に呼応するかのように皆様方が揃われるなど、それはまるで、そう、まるで、終わりの御方を見送るためにと、この世に顕れ出でたようではないか……。
「空にしろしめす、なべて世は……、ふふ、詰まらぬことを」
ひとり呟き、墨を磨りつづける。
なにをどう思案したとて、詮無いことだ。
鷺視本家の奥深く、雪客様直系方のお住まいたる御殿――奥院と、この世を隔てるべく建てられし館がある。
比良坂と名付けられしその建物、決して起こり得ぬことではあるものの、そもそもは奥院へと敵が押し寄せてきた場合の盾となるべし、と継埜が建立したものであると聞き及んでいる。
そのためか、数多くの居住空間が設えられ、大勢のモノが住まうようできているのだ。
先代の頃、半室以上を洋風の、いや、今風とでもいうのか、そういった部屋へとリホームされはしたが、私の私室はほぼ以前通りの内装を維持していた。
藺草(いぐさ)の香り漂う室内で、愛用の黒漆の文台を前にすると、自然と背筋が伸びるというもの。
今時はパソコンなどで済ますというが、やはり時候の挨拶文には筆を使用すべきであろう。
「失礼いたします」
静かに開く襖の向こうから、柊が顔を覗かせた。
かつて名付けた名を捨てて、長老候補として私の下に就く柊の視線から、なにかしらの想いというものは一切伝わってはこない。
当然のことだ。
もとは我が家の四男であったとはいえ、とうに父子の絆は断っているのだから。
墨を一旦置き、次の言葉を促すように顎を上げた。
「継埜代理殿が、お渡りにございます」
先触れもなく比良坂に参られるとは、よもやと思いながらも、いやいやあの方にはいつものことよ、という気持ちも湧いた。
いずれにしろ、早々に片付けねばならぬ問題であれば、電話という最も早い連絡手段がある。
わざわざの参上なれば、極内密での話であるか、逆に単なる世間話である可能性が高いのだ。
継埜茜殿なれば、後者の方が……いやいや、早合点は禁物だ。
晃様の身になんぞ大事があったとは思えぬが、気を引き締めて会う必要があろう。
「あの方と会うのに、この身形ではいかんな。急ぎ仕度を」
若いとはいえ、茜殿は守人様の代わりに継埜を統べる方だ。
さすがに普段着でお会いするわけにはゆかぬと、現れた侍女たちの手を借り、急ぎ衣装を改めることにした。
茜殿を上座へ、私の席はその対面へと用意させ、まずはと畳に指をつけば、堅苦しい挨拶は抜きに、と先手を打たれた。
茜殿は、やはり守人様の、と言わしめるほどに、かの方を彷彿とさせる女性だ。
気さくで、何事にも動じない面や、押しが強く否やを言わせぬ雰囲気などは、まさに母子としかいいようがあるまい。
守人様の実母にあらせられる紅殿も、そういう面をお持ちではござったが、茜殿とは少々趣きが異なるようだ。
4つ違いのご姉妹で、姿形は双子のように似通っておられるのに……。
茜殿は、どうもふざけすぎな面が……いかんいかん、失礼ではないか。
だいたい茜殿がそうであるならば、その方とまさに母子としか言いようのない守人様も……はっ、いかんいかん、平常心平常心。
茜殿は渡理家に遊びに行った帰りに、なんとなく比良坂にも顔を出したと語られた。
火急の要件でなかったことに安堵しながら、渡理の姫君のご様子を伺う。
かつては祖母と呼んだことのある姫君は、ますますご健勝であられるとのことだった。
「榊殿は、元の名を、なんと?」
突如真面目な面持ちで尋ねる茜殿に、心中では幾分驚きはしたものの、斯様な質問なれば悩むこともなくすんなりと答えられるというものだ。
「とうに捨てたものでございますれば、そのようなもの憶えてもおりませぬな」
「これは、詰まらぬことをお聞きしました。どうぞ、お許しくださいませ」
そう言って、深く頭を下げられた。
どういう心持での問いかけなのかはわかりえぬが、彼女にとってなにかしらの意味があってのことであろう。
「実は……ババ様にBL本をお貸ししたのですが、主人公の、あ、受けなんですけどね、その受けの名前が気に入らないご様子で、わけを尋ねても語っていただけなかったのでございます。ただ去り際に、榊と呟いてたようなないような、という次第でして。もしかしたら、榊殿のかつての名と、この受けの名前が一緒だったりなんかするかもー、と考えたのでございます」
「……」
日本語……で、あらせられる、のか?
「ちなみに時代物でして、普通の商業誌なんですけどね、いわゆる稚児物で、これがまたベタといいますか、美形攻め美少年受けなうえ、腐りきった女子なら鼻で笑っちゃう設定なんですよ。まぁ、素人には、これくらいからが丁度良いかと思いまして。だからといって、私がその程度の腐だと思われるのも、困るんですけどね」
此度は幾分理解できた。
だがしかし、何を仰っておられるかが、どうにも判らぬ。
同席している柊を見れば、私と変わらぬ様子であった。
侍女たちだけは、なにやら得心したような顔をしていたが。
女性にしかわからぬ隠語か何かなのであろうか。
も、もしや、継埜だけの暗号の類ということはあるまいか!?
いやしかし、我らを欺くような真似、継埜のモノがするはずはあるまい。
かようなこと、雪客様に叛意ありと取られる可能性もあるのだから。
なにやらよくわからぬままに、茜殿の話は続いた。
そうして気が付けば、茜殿は新幹線の時間だからと去ってゆかれ、私の手元には薄い本が5冊残された。
「同人誌とは、茜殿もなかなかの趣味人であらせるな」
「ええ、俳句でしょうか? 小説にござりましょうか?」
「この厚さからして、俳句であろう。5冊ある、好きなのを手に取りなさい」
「はっ、ありがたき」
柊が一冊手に取ったのち、私も一番上のものを手に取る。
俳句冊子にしては風変わりな表紙には、なにやら愛らしい少女、いや、少年? のイラストが描かれており、赤い文字で「18禁」と書かれていた。
後悔先に立たずという言葉があるが、艶めいた歌など、俳句では数多く詠まれているうえ、かつては発禁となるに至った文学作品も多くあることから、「18禁」という文字を取り立てておかしなこととは思わずにいた。
が、それがすべての間違いであったのだと、後々悔いることになると、このときの私と柊に判ろうはずもないことなのだ。
■■■
明日も学校に行かなきゃならない週の半ば。
アキラを先に風呂に入れ、その間はもちろんゲーム三昧といく。
「ゲッ」
テーブルの上で、ブルブルと震える携帯に目をやる。
今現在入浴中の方の携帯だ。
自然と目に入る画面に、げんなりと項垂れた。
数日前から毎晩のようにかかる電話は、今宵も誰も出ぬままに留守電へと切り替わる。
そして、数秒後に……、
「はいはいはいっ」
すぐに震えだした自分の携帯を手にし、大慌てで通話のボタンを押した。
「はいはい、俺ですよー」
【あ、晃様はご無事であらせられまするか!?】
「ご無事もなにも、風呂入ってますけど」
【ふ、……ま、まさか、御身をけが、けが、汚されっ、】
「ちゃうから! 普通に、入浴中だから!」
【ま、まことにござりまするか!?】
「まことまこと、ほんにまこと。んじゃ、そういうことで」
【お、お待ちくださりませ!】
「なによ、まだなんかあんの? 言っとくけど、本日も何事もなく終わったからね。告白されることもなければ、人気のない場所に連れ込まれることもなく襲われもしませんでしたー。ちなみに、明日も明後日もそういう予定はございません。以上、おやすみ!」
【も、守人様!】
「なによ?」
【ど、どうか、どうか東殿にも、充分ご配慮めされるようにと、そうお伝えしていただきたく】
「わーってるって、つか、あれが一番危険なんすけど」
【は!?】
「いやいや、なんもない。とにかく、地味受けなんて現実ではそうないから、安心してちょうだい!」
【何を仰っておられるのですか! 晃様ほどに見目麗しい男子が、衆道盛んな現代男子校におられるのですぞ! 実に危険極まりない! ああ、知っておったら入学など勧めたりはいたしませんでしたものをっ】
ここ数日、まったく同じ内容でかかってくる榊からの電話に、アキラは初日のみで出ることを止めた。
そのせいで、毎回俺が対応する嵌めに陥ったんすけどね。
適当に相手しないと、寮まで押しかけて来そうな勢いなんだもん。
つーかさ、欲目なんて超越しきった強烈フィルター、なんとかならないもんすかね!
【くれぐれも怪しい物は口にせぬようにと、晃様に、】
「わーってるっつの!」
【昨今出回っている媚薬は、継埜が作り出すもの以上の効果があるようですので、】
「……リアルと妄想をごっちゃにしないように」
BL界のマストアイテム媚薬様も、リアルじゃそうそう効果なんてないから。
【は?】
「いや、榊の心配はよーくわかった。つか、責任の一端は俺にもあるわけだし、一応謝っとくね。さーせんでした」
【しゃ、謝罪!? 守人様が、謝罪!? まままままさか、晃様の身にーーー】
汚されてるか汚されてないかつったら、とっくの昔に汚されてはいるんだよな。
東峰に。
「あ、いや、悪い。そういう意味じゃなくて、身内がご迷惑おかけしたというか、なんつーか、云々かんぬん……」
【晃様ーーーーーー】
どうしよう、めんどい。
だからといって切るのも申し訳ないし。
仕方なく携帯を耳から少し離したとき、人の気配に気が付いた。
入浴を終えたアキラが、頭にタオルを乗っけながら戻ってきたのだ。
「あら、ゆっくりのお戻りで」
「また榊ですか?」
「うん」
自分の名前を連呼する携帯を、苦々しく眺めるアキラ。
どうする? と目で問えば、渋い顔で俺から携帯を奪い取った。
「ボケ老人は、もう寝なさい!」
【あ、あきっ、】
躊躇なく通話を終わらせたアキラさんに、なんだか拍手したい気分になる。
「アーちゃんっ」
「は、はいっ」
「明日、あなたとあなたのお母様とで、ボケ老人の見舞いに行きなさい」
「はい……すんませんでした……」
俺はまったく悪くはない。
悪くはないのだが、親の因果が子に報い~~~なんて恨み節もあることから、世の中ってのは得てして不条理にできてるもんなんだと、痛感したようなしないような、云々かんぬん……。
当主を名乗りしお方々が、皆様揃って学生の御身分というのは、永い歴史の中でもそうはないことであろう。
いや、初めてのことかもしれぬ。
なんといっても、皆様方ほぼ同年ということが、そうあることではないのだからして。
100年以上の空位の後、白儿の方がご誕生めされた折は、晃様の御祖父様――先代の雪客様は、それはもうお喜びであらした。
継埜、白儿、牟韻は、始まりの御方と共に立たれた、最初のお方々であるのだからして、万感胸に迫るものがおありだったのでござろう。
時を置き、滅多と顕れぬ牟韻の方までもがご誕生めされたことで、これにて、最初のお方々が揃うこととなり申したのだ。
一度も途切れたことのない守人は別として、数十年単位の空位はありはしたものの、100年もの長き時を空にしていた門音のことを、先代は既に諦めておられた。
この時代には、不要であると定めたのであろう、と。
音無に至っては、とうに終焉を迎えたものと、見定めておられた。
それがどうであろう。
晃様御誕生に呼応するかのように皆様方が揃われるなど、それはまるで、そう、まるで、終わりの御方を見送るためにと、この世に顕れ出でたようではないか……。
「空にしろしめす、なべて世は……、ふふ、詰まらぬことを」
ひとり呟き、墨を磨りつづける。
なにをどう思案したとて、詮無いことだ。
鷺視本家の奥深く、雪客様直系方のお住まいたる御殿――奥院と、この世を隔てるべく建てられし館がある。
比良坂と名付けられしその建物、決して起こり得ぬことではあるものの、そもそもは奥院へと敵が押し寄せてきた場合の盾となるべし、と継埜が建立したものであると聞き及んでいる。
そのためか、数多くの居住空間が設えられ、大勢のモノが住まうようできているのだ。
先代の頃、半室以上を洋風の、いや、今風とでもいうのか、そういった部屋へとリホームされはしたが、私の私室はほぼ以前通りの内装を維持していた。
藺草(いぐさ)の香り漂う室内で、愛用の黒漆の文台を前にすると、自然と背筋が伸びるというもの。
今時はパソコンなどで済ますというが、やはり時候の挨拶文には筆を使用すべきであろう。
「失礼いたします」
静かに開く襖の向こうから、柊が顔を覗かせた。
かつて名付けた名を捨てて、長老候補として私の下に就く柊の視線から、なにかしらの想いというものは一切伝わってはこない。
当然のことだ。
もとは我が家の四男であったとはいえ、とうに父子の絆は断っているのだから。
墨を一旦置き、次の言葉を促すように顎を上げた。
「継埜代理殿が、お渡りにございます」
先触れもなく比良坂に参られるとは、よもやと思いながらも、いやいやあの方にはいつものことよ、という気持ちも湧いた。
いずれにしろ、早々に片付けねばならぬ問題であれば、電話という最も早い連絡手段がある。
わざわざの参上なれば、極内密での話であるか、逆に単なる世間話である可能性が高いのだ。
継埜茜殿なれば、後者の方が……いやいや、早合点は禁物だ。
晃様の身になんぞ大事があったとは思えぬが、気を引き締めて会う必要があろう。
「あの方と会うのに、この身形ではいかんな。急ぎ仕度を」
若いとはいえ、茜殿は守人様の代わりに継埜を統べる方だ。
さすがに普段着でお会いするわけにはゆかぬと、現れた侍女たちの手を借り、急ぎ衣装を改めることにした。
茜殿を上座へ、私の席はその対面へと用意させ、まずはと畳に指をつけば、堅苦しい挨拶は抜きに、と先手を打たれた。
茜殿は、やはり守人様の、と言わしめるほどに、かの方を彷彿とさせる女性だ。
気さくで、何事にも動じない面や、押しが強く否やを言わせぬ雰囲気などは、まさに母子としかいいようがあるまい。
守人様の実母にあらせられる紅殿も、そういう面をお持ちではござったが、茜殿とは少々趣きが異なるようだ。
4つ違いのご姉妹で、姿形は双子のように似通っておられるのに……。
茜殿は、どうもふざけすぎな面が……いかんいかん、失礼ではないか。
だいたい茜殿がそうであるならば、その方とまさに母子としか言いようのない守人様も……はっ、いかんいかん、平常心平常心。
茜殿は渡理家に遊びに行った帰りに、なんとなく比良坂にも顔を出したと語られた。
火急の要件でなかったことに安堵しながら、渡理の姫君のご様子を伺う。
かつては祖母と呼んだことのある姫君は、ますますご健勝であられるとのことだった。
「榊殿は、元の名を、なんと?」
突如真面目な面持ちで尋ねる茜殿に、心中では幾分驚きはしたものの、斯様な質問なれば悩むこともなくすんなりと答えられるというものだ。
「とうに捨てたものでございますれば、そのようなもの憶えてもおりませぬな」
「これは、詰まらぬことをお聞きしました。どうぞ、お許しくださいませ」
そう言って、深く頭を下げられた。
どういう心持での問いかけなのかはわかりえぬが、彼女にとってなにかしらの意味があってのことであろう。
「実は……ババ様にBL本をお貸ししたのですが、主人公の、あ、受けなんですけどね、その受けの名前が気に入らないご様子で、わけを尋ねても語っていただけなかったのでございます。ただ去り際に、榊と呟いてたようなないような、という次第でして。もしかしたら、榊殿のかつての名と、この受けの名前が一緒だったりなんかするかもー、と考えたのでございます」
「……」
日本語……で、あらせられる、のか?
「ちなみに時代物でして、普通の商業誌なんですけどね、いわゆる稚児物で、これがまたベタといいますか、美形攻め美少年受けなうえ、腐りきった女子なら鼻で笑っちゃう設定なんですよ。まぁ、素人には、これくらいからが丁度良いかと思いまして。だからといって、私がその程度の腐だと思われるのも、困るんですけどね」
此度は幾分理解できた。
だがしかし、何を仰っておられるかが、どうにも判らぬ。
同席している柊を見れば、私と変わらぬ様子であった。
侍女たちだけは、なにやら得心したような顔をしていたが。
女性にしかわからぬ隠語か何かなのであろうか。
も、もしや、継埜だけの暗号の類ということはあるまいか!?
いやしかし、我らを欺くような真似、継埜のモノがするはずはあるまい。
かようなこと、雪客様に叛意ありと取られる可能性もあるのだから。
なにやらよくわからぬままに、茜殿の話は続いた。
そうして気が付けば、茜殿は新幹線の時間だからと去ってゆかれ、私の手元には薄い本が5冊残された。
「同人誌とは、茜殿もなかなかの趣味人であらせるな」
「ええ、俳句でしょうか? 小説にござりましょうか?」
「この厚さからして、俳句であろう。5冊ある、好きなのを手に取りなさい」
「はっ、ありがたき」
柊が一冊手に取ったのち、私も一番上のものを手に取る。
俳句冊子にしては風変わりな表紙には、なにやら愛らしい少女、いや、少年? のイラストが描かれており、赤い文字で「18禁」と書かれていた。
後悔先に立たずという言葉があるが、艶めいた歌など、俳句では数多く詠まれているうえ、かつては発禁となるに至った文学作品も多くあることから、「18禁」という文字を取り立てておかしなこととは思わずにいた。
が、それがすべての間違いであったのだと、後々悔いることになると、このときの私と柊に判ろうはずもないことなのだ。
■■■
明日も学校に行かなきゃならない週の半ば。
アキラを先に風呂に入れ、その間はもちろんゲーム三昧といく。
「ゲッ」
テーブルの上で、ブルブルと震える携帯に目をやる。
今現在入浴中の方の携帯だ。
自然と目に入る画面に、げんなりと項垂れた。
数日前から毎晩のようにかかる電話は、今宵も誰も出ぬままに留守電へと切り替わる。
そして、数秒後に……、
「はいはいはいっ」
すぐに震えだした自分の携帯を手にし、大慌てで通話のボタンを押した。
「はいはい、俺ですよー」
【あ、晃様はご無事であらせられまするか!?】
「ご無事もなにも、風呂入ってますけど」
【ふ、……ま、まさか、御身をけが、けが、汚されっ、】
「ちゃうから! 普通に、入浴中だから!」
【ま、まことにござりまするか!?】
「まことまこと、ほんにまこと。んじゃ、そういうことで」
【お、お待ちくださりませ!】
「なによ、まだなんかあんの? 言っとくけど、本日も何事もなく終わったからね。告白されることもなければ、人気のない場所に連れ込まれることもなく襲われもしませんでしたー。ちなみに、明日も明後日もそういう予定はございません。以上、おやすみ!」
【も、守人様!】
「なによ?」
【ど、どうか、どうか東殿にも、充分ご配慮めされるようにと、そうお伝えしていただきたく】
「わーってるって、つか、あれが一番危険なんすけど」
【は!?】
「いやいや、なんもない。とにかく、地味受けなんて現実ではそうないから、安心してちょうだい!」
【何を仰っておられるのですか! 晃様ほどに見目麗しい男子が、衆道盛んな現代男子校におられるのですぞ! 実に危険極まりない! ああ、知っておったら入学など勧めたりはいたしませんでしたものをっ】
ここ数日、まったく同じ内容でかかってくる榊からの電話に、アキラは初日のみで出ることを止めた。
そのせいで、毎回俺が対応する嵌めに陥ったんすけどね。
適当に相手しないと、寮まで押しかけて来そうな勢いなんだもん。
つーかさ、欲目なんて超越しきった強烈フィルター、なんとかならないもんすかね!
【くれぐれも怪しい物は口にせぬようにと、晃様に、】
「わーってるっつの!」
【昨今出回っている媚薬は、継埜が作り出すもの以上の効果があるようですので、】
「……リアルと妄想をごっちゃにしないように」
BL界のマストアイテム媚薬様も、リアルじゃそうそう効果なんてないから。
【は?】
「いや、榊の心配はよーくわかった。つか、責任の一端は俺にもあるわけだし、一応謝っとくね。さーせんでした」
【しゃ、謝罪!? 守人様が、謝罪!? まままままさか、晃様の身にーーー】
汚されてるか汚されてないかつったら、とっくの昔に汚されてはいるんだよな。
東峰に。
「あ、いや、悪い。そういう意味じゃなくて、身内がご迷惑おかけしたというか、なんつーか、云々かんぬん……」
【晃様ーーーーーー】
どうしよう、めんどい。
だからといって切るのも申し訳ないし。
仕方なく携帯を耳から少し離したとき、人の気配に気が付いた。
入浴を終えたアキラが、頭にタオルを乗っけながら戻ってきたのだ。
「あら、ゆっくりのお戻りで」
「また榊ですか?」
「うん」
自分の名前を連呼する携帯を、苦々しく眺めるアキラ。
どうする? と目で問えば、渋い顔で俺から携帯を奪い取った。
「ボケ老人は、もう寝なさい!」
【あ、あきっ、】
躊躇なく通話を終わらせたアキラさんに、なんだか拍手したい気分になる。
「アーちゃんっ」
「は、はいっ」
「明日、あなたとあなたのお母様とで、ボケ老人の見舞いに行きなさい」
「はい……すんませんでした……」
俺はまったく悪くはない。
悪くはないのだが、親の因果が子に報い~~~なんて恨み節もあることから、世の中ってのは得てして不条理にできてるもんなんだと、痛感したようなしないような、云々かんぬん……。