平凡君の日々彼此
[平凡君の日々彼此6]
電話は携帯するのが当たり前となった昨今、好きなときに誰とでも連絡がとれる、ある意味とても息苦しいこの現代社会に、果たして究極のお嬢様お坊ちゃまなんて、生息してるんだろうか……?
新しく開店したというケーキ屋さんに、皆で行くことになったのは、土曜日のことだった。
アーちゃんは、ちょうど買いたい物があったらしく、町で一番大きなファッションビルに行くつもりらしい。
アキは下着を買うからと、それに付いて行くことになった。
人混みの苦手なアキラとアッキーは、ケーキ屋さんで待つことになり、僕もアキラたちと一緒にケーキ屋さんに行くことにして、だいたいの待ち合わせ時間を決め、そうして二手に分かれたんだ。
先々週がオープンだったというケーキ屋さんは、テイクアウトだけではなく、中で軽食とケーキを出してくれる形式になっている。
開店当初は列ができ混み合っていたらしいけど、それから日数の経った今は、待つことなく中に入れそうだった。
お洒落な外観に、ガラス張りの大きなドアの脇には、本日のオススメデザートの書かれた置き看板。
どこにでもあるカフェの風景だ。
「……?」
自然とアキラが先頭に立ち、その脇に僕とアッキーが控えている状態で、僕は不思議な違和感を覚えた。
僕たち3人は、店の外に立っている。
そして、アキラの目の前には、閉まったままのドア。
当たり前だ、だって、このドアは自分で押すタイプの物だもの。
それなのに、アキラはただにこやかにその場に立つだけで、扉を押す気配なんて微塵も感じさせなかった。
まさか、自動と勘違いしてるのかな?
でも普通は見れば分かるだろうし、待っていて開かなければ自然と理解できるはずだ。
透明なガラスの向こう側からも、僕たちの様子は窺える。
店員さんが、慌ててこちらにやって来るのが見えた。
「いらっしゃいませ」
中から開けられる扉と、笑顔で迎えるウェイトレスさんに、プロ根性が垣間見えた。
「あー、そりゃしゃーないわ」
結構前のことだけど、ふとそれを思い出し、アーちゃんに話して聞かせた。
「そうなの?」
「お姫さんで育ったからねー。扉は誰かが開けるもんだと思ってんだよ」
「でも、学校では普通だったような……」
男のアキラをお姫様と形容するのはどうかと思うんだけどな。
「学校では、自分のことは自分ですること、って言われてるからね」
「ふーん……なんとなくアキラなら納得しちゃうけど、でもね、アッキーも同じ反応だったのが、意外だったんだよ」
「そりゃ、あいつもお殿様で育てられてるもん」
「……え、アッキーが!?」
料理も掃除も洗濯も得意な、あのアッキーが!?
あ、でも、アキラだってなんでも出来るし、お裁縫だって得意だし、お姫様やお殿様ってそういうものなのかな?
「あのね、アキラもアッキーも、物心着く前から大勢に傅かれて生きてんのよ。着替えも風呂も、ぜーんぶ人任せだったんだからね」
「そうなんだ…」
アッキーの実家には、たくさんの男の人たちがいた。
かなり年配の人から、僕のお父さんくらいの年代の人たちまで様々で、その人たちがアッキーのお世話をしてたのだとしたら、確かに時代劇のお殿様のようだ。
アキラの住んでいたというあの御殿でも、たぶんたくさんの人たちが居たんだと思う。
普段はあまり人気がないのに、必要なときにはどこからともなく現れる多くの女性や男性に、僕も何度も出会っている。
「昔はね、トイレの世話までやってたらしいよ」
「えっ、ト、トイレって、あのトイレ!?」
驚く僕に、アーちゃんはやけに神妙な顔で、うんうんと頷いた。
「アッくんも、あいつらん家でトイレ行ったでしょ」
「え、あ、うん、そりゃ借りたけど」
アキラの家でもアッキーの家でも、ついでに言うとアーちゃんの家でもお手洗いは使用した。
僕の知っているトイレとはかなり違って、10畳くらいはあるんじゃないかというくらい広い室内に設置されていた、完璧に磨き上げられた便器。
とにかく落ち着かなかったことは、ようく覚えている。
「トイレとは思えないくらい広かったでしょ」
「う、うん、なんか部屋みたいだった」
「あれね、御付の者たちが中で待つために広くしてあんのよ」
「な、中!?」
「そ、主が用を足すのを待って、終わったら綺麗にして差し上げるわけ。さすがにアッキーはさせなかったらしいけど、中まで付き添ってはいたらしいよ」
「え、えええ!?」
「昔の高貴な御方ってのは、自分の手は汚さなかったの。ぜーんぶ、御付の者がすんのよ」
「す、すごい世界だね…」
な、なるほど、昔のお殿様やお姫様って、そんな暮らしをしてたんだ。
それって、本人的にはどうだったんだろう……。
「恥ずかしく、ないのかな?」
「恥ずかしい? んな感情があるわけないじゃん」
「え、そ、そういうものなの?」
「あのね、着替えはぜーんぶ人任せで、パンツの上げ下げまでしてもらうのよ。風呂に入れば洗うのも拭くのも人にしてもらって、寝るときは必ず誰かが寝ずの番。アキラなんてお添い寝役までいたんだからね。子供んときからそんなお育ちなのに、んな感情が育つわけないじゃん」
なぜか、息を止めるようにして聞いていた。
それくらい、衝撃的な話だったんだもの。
「一応、外と内で使い分けてるようだから、学校じゃそういう雰囲気はないけど、あのふたりにはそういう感覚がないって、覚えといたほうがいいよ」
「う、うん、わかった」
寝るときですら人目に晒されているなんて、どことなく気の毒な気がしたけど、それって僕の感覚だからそう思うだけってことだよね。
本人たちにとっては、それが自然ってことなんだ。
「まぁ、俺たち庶民には、分かんねー感覚であるのは確かだよね」
「そ、そうだね」
アーちゃんは継埜の御当主様なんてやってるけど、中二までは普通に育ったというし、やはり僕に近い感覚らしく、それにホッと息を吐いた。
だけど、ここでふと思いついたことがある。
会長だって、すごいお家のお坊ちゃまだよね、裕輔さんだって……。
「ま、まさか、裕輔さんも」
「あひゃひゃ、ないない。絶対にないから」
否定してもらったことで、アーちゃんの失礼な笑いも気にはならない。
そっか、裕輔さんは、普通ってことなんだ。
そのことに安堵していたら、あひゃひゃという笑い声が急に止んだ。
「今時、あいつらみたいな本物のお嬢様やお坊ちゃまが、いるはずないじゃん」
急に真面目な表情で、呟くように口にした。
「アーちゃん?」
まるで、僕の声が聞こえないかのように、アーちゃんは床の方に視線を向けた。
そこには、お昼寝中のアキと、そしてアキラがいる。
アキに釣られるようにして眠りこけてしまったアキラは、アイマスクも耳栓もしていなくて、安らかな寝顔を見せていた。
時折、アキの口元がもぐもぐ動くと、アキラもこれまた釣られるように動かしている。
きっと、ふたりして食べ物の夢でもみているんだ。
「この世がどう変わろうとも、俺たちには関係ないよな」
彼らの生きてきたその場所は、まるで時代に置いていかれたかのような空間だ。
喧騒から遠く離れ、だけどそれは、取り残されたからではなく、彼ら自身がこの世の流れに背を向けた証なのではないだろうか。
それは、どういうことなんだろう。
もしかしたら彼らは、ここに、このクニに、なんの未練も執着もないってことではないのか。
すべてをヒトへと明け渡し、そして……。
なぜだか、鳥肌が立っていた。
ナニを考えてそうなったのか理解はできなかったけど、ただ恐怖だけが先走ってしまったんだ。
「う、あうう、ちっこ、ちっこよー」
突然、アキが叫びながら飛び起きた。
起きぬけとは思えぬ早業で、すぐにズボンと下着を脱ぎ散らかす。
「あ、ばかばかばか、ここですんじゃねー」
「う、うう、ちっこ、ちっこよ、するの、ちーよ、ちー」
「ア、アキッ、ここは違うよ!」
大慌てでアキを抱きかかえたアーちゃんが、引き摺るようにしてトイレまで連れて行く。
あ、危なかった……。
「ったく、あの寝ぼけ癖、なんとかならねーもんかね」
アキを無事にトイレに放り込み、ブツブツと文句を言いながら戻ってくるアーちゃんに、ちょっと気になる点を訊いてみることにした。
「ねぇ、アキも意外と羞恥心がないけど、やっぱりそういうお育ちだから?」
「んにゃ、アレはお子様なだけ」
ああ、納得。
電話は携帯するのが当たり前となった昨今、好きなときに誰とでも連絡がとれる、ある意味とても息苦しいこの現代社会に、果たして究極のお嬢様お坊ちゃまなんて、生息してるんだろうか……?
新しく開店したというケーキ屋さんに、皆で行くことになったのは、土曜日のことだった。
アーちゃんは、ちょうど買いたい物があったらしく、町で一番大きなファッションビルに行くつもりらしい。
アキは下着を買うからと、それに付いて行くことになった。
人混みの苦手なアキラとアッキーは、ケーキ屋さんで待つことになり、僕もアキラたちと一緒にケーキ屋さんに行くことにして、だいたいの待ち合わせ時間を決め、そうして二手に分かれたんだ。
先々週がオープンだったというケーキ屋さんは、テイクアウトだけではなく、中で軽食とケーキを出してくれる形式になっている。
開店当初は列ができ混み合っていたらしいけど、それから日数の経った今は、待つことなく中に入れそうだった。
お洒落な外観に、ガラス張りの大きなドアの脇には、本日のオススメデザートの書かれた置き看板。
どこにでもあるカフェの風景だ。
「……?」
自然とアキラが先頭に立ち、その脇に僕とアッキーが控えている状態で、僕は不思議な違和感を覚えた。
僕たち3人は、店の外に立っている。
そして、アキラの目の前には、閉まったままのドア。
当たり前だ、だって、このドアは自分で押すタイプの物だもの。
それなのに、アキラはただにこやかにその場に立つだけで、扉を押す気配なんて微塵も感じさせなかった。
まさか、自動と勘違いしてるのかな?
でも普通は見れば分かるだろうし、待っていて開かなければ自然と理解できるはずだ。
透明なガラスの向こう側からも、僕たちの様子は窺える。
店員さんが、慌ててこちらにやって来るのが見えた。
「いらっしゃいませ」
中から開けられる扉と、笑顔で迎えるウェイトレスさんに、プロ根性が垣間見えた。
「あー、そりゃしゃーないわ」
結構前のことだけど、ふとそれを思い出し、アーちゃんに話して聞かせた。
「そうなの?」
「お姫さんで育ったからねー。扉は誰かが開けるもんだと思ってんだよ」
「でも、学校では普通だったような……」
男のアキラをお姫様と形容するのはどうかと思うんだけどな。
「学校では、自分のことは自分ですること、って言われてるからね」
「ふーん……なんとなくアキラなら納得しちゃうけど、でもね、アッキーも同じ反応だったのが、意外だったんだよ」
「そりゃ、あいつもお殿様で育てられてるもん」
「……え、アッキーが!?」
料理も掃除も洗濯も得意な、あのアッキーが!?
あ、でも、アキラだってなんでも出来るし、お裁縫だって得意だし、お姫様やお殿様ってそういうものなのかな?
「あのね、アキラもアッキーも、物心着く前から大勢に傅かれて生きてんのよ。着替えも風呂も、ぜーんぶ人任せだったんだからね」
「そうなんだ…」
アッキーの実家には、たくさんの男の人たちがいた。
かなり年配の人から、僕のお父さんくらいの年代の人たちまで様々で、その人たちがアッキーのお世話をしてたのだとしたら、確かに時代劇のお殿様のようだ。
アキラの住んでいたというあの御殿でも、たぶんたくさんの人たちが居たんだと思う。
普段はあまり人気がないのに、必要なときにはどこからともなく現れる多くの女性や男性に、僕も何度も出会っている。
「昔はね、トイレの世話までやってたらしいよ」
「えっ、ト、トイレって、あのトイレ!?」
驚く僕に、アーちゃんはやけに神妙な顔で、うんうんと頷いた。
「アッくんも、あいつらん家でトイレ行ったでしょ」
「え、あ、うん、そりゃ借りたけど」
アキラの家でもアッキーの家でも、ついでに言うとアーちゃんの家でもお手洗いは使用した。
僕の知っているトイレとはかなり違って、10畳くらいはあるんじゃないかというくらい広い室内に設置されていた、完璧に磨き上げられた便器。
とにかく落ち着かなかったことは、ようく覚えている。
「トイレとは思えないくらい広かったでしょ」
「う、うん、なんか部屋みたいだった」
「あれね、御付の者たちが中で待つために広くしてあんのよ」
「な、中!?」
「そ、主が用を足すのを待って、終わったら綺麗にして差し上げるわけ。さすがにアッキーはさせなかったらしいけど、中まで付き添ってはいたらしいよ」
「え、えええ!?」
「昔の高貴な御方ってのは、自分の手は汚さなかったの。ぜーんぶ、御付の者がすんのよ」
「す、すごい世界だね…」
な、なるほど、昔のお殿様やお姫様って、そんな暮らしをしてたんだ。
それって、本人的にはどうだったんだろう……。
「恥ずかしく、ないのかな?」
「恥ずかしい? んな感情があるわけないじゃん」
「え、そ、そういうものなの?」
「あのね、着替えはぜーんぶ人任せで、パンツの上げ下げまでしてもらうのよ。風呂に入れば洗うのも拭くのも人にしてもらって、寝るときは必ず誰かが寝ずの番。アキラなんてお添い寝役までいたんだからね。子供んときからそんなお育ちなのに、んな感情が育つわけないじゃん」
なぜか、息を止めるようにして聞いていた。
それくらい、衝撃的な話だったんだもの。
「一応、外と内で使い分けてるようだから、学校じゃそういう雰囲気はないけど、あのふたりにはそういう感覚がないって、覚えといたほうがいいよ」
「う、うん、わかった」
寝るときですら人目に晒されているなんて、どことなく気の毒な気がしたけど、それって僕の感覚だからそう思うだけってことだよね。
本人たちにとっては、それが自然ってことなんだ。
「まぁ、俺たち庶民には、分かんねー感覚であるのは確かだよね」
「そ、そうだね」
アーちゃんは継埜の御当主様なんてやってるけど、中二までは普通に育ったというし、やはり僕に近い感覚らしく、それにホッと息を吐いた。
だけど、ここでふと思いついたことがある。
会長だって、すごいお家のお坊ちゃまだよね、裕輔さんだって……。
「ま、まさか、裕輔さんも」
「あひゃひゃ、ないない。絶対にないから」
否定してもらったことで、アーちゃんの失礼な笑いも気にはならない。
そっか、裕輔さんは、普通ってことなんだ。
そのことに安堵していたら、あひゃひゃという笑い声が急に止んだ。
「今時、あいつらみたいな本物のお嬢様やお坊ちゃまが、いるはずないじゃん」
急に真面目な表情で、呟くように口にした。
「アーちゃん?」
まるで、僕の声が聞こえないかのように、アーちゃんは床の方に視線を向けた。
そこには、お昼寝中のアキと、そしてアキラがいる。
アキに釣られるようにして眠りこけてしまったアキラは、アイマスクも耳栓もしていなくて、安らかな寝顔を見せていた。
時折、アキの口元がもぐもぐ動くと、アキラもこれまた釣られるように動かしている。
きっと、ふたりして食べ物の夢でもみているんだ。
「この世がどう変わろうとも、俺たちには関係ないよな」
彼らの生きてきたその場所は、まるで時代に置いていかれたかのような空間だ。
喧騒から遠く離れ、だけどそれは、取り残されたからではなく、彼ら自身がこの世の流れに背を向けた証なのではないだろうか。
それは、どういうことなんだろう。
もしかしたら彼らは、ここに、このクニに、なんの未練も執着もないってことではないのか。
すべてをヒトへと明け渡し、そして……。
なぜだか、鳥肌が立っていた。
ナニを考えてそうなったのか理解はできなかったけど、ただ恐怖だけが先走ってしまったんだ。
「う、あうう、ちっこ、ちっこよー」
突然、アキが叫びながら飛び起きた。
起きぬけとは思えぬ早業で、すぐにズボンと下着を脱ぎ散らかす。
「あ、ばかばかばか、ここですんじゃねー」
「う、うう、ちっこ、ちっこよ、するの、ちーよ、ちー」
「ア、アキッ、ここは違うよ!」
大慌てでアキを抱きかかえたアーちゃんが、引き摺るようにしてトイレまで連れて行く。
あ、危なかった……。
「ったく、あの寝ぼけ癖、なんとかならねーもんかね」
アキを無事にトイレに放り込み、ブツブツと文句を言いながら戻ってくるアーちゃんに、ちょっと気になる点を訊いてみることにした。
「ねぇ、アキも意外と羞恥心がないけど、やっぱりそういうお育ちだから?」
「んにゃ、アレはお子様なだけ」
ああ、納得。