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ひねもすのたりのたり

[ひねもすのたりのたり2-3]


昨日のお手伝いは上手くいった。
報酬のジュース代150円は、ブタさんがしっかりと守ってくれていて、妖精さんも小人さんも手をつけてはいなかった。
このまま当日まで見逃してくれることを祈りながら、アキは今日も校内を走り回る。

アキラの誕生日は明日なのだ。
つまり、お手伝いができるのは今日まで。
少なくとも二件は片付けたいが、運が良いことに今日は土曜日。
時間なら、相当ある。

というわけで、お昼を食べ終わった時点で、すぐに部屋を飛び出した。
さてさて、アキのお手伝いを必要としている人は、どこにいるだろうか。

まさにハンターの如き眼差しで、あちらこちらと見渡すアキ。

「あう、うううぅぅ」

しかし獲物、いやいや困っている人というのは、なかなか見つからないものである。
挫けそうになる心に叱咤しながら、アキは寮外へと駆け出した。

適当に走り回りながら、時折鼻をクンクンと動かす。
どこかにお手伝いの匂いはしないものかと……。

「あうっ」

見つけた。
左手に、なにやらポーチのような物を抱えながら、ダルそうに歩く大きな背中を。
アキのお手伝いセンサーが、見事に反応する。

「あう、おおさん、するのよ、アキ、するの」

「うわっ、なんだ!?」

背後から駆け寄り、その腰をがっしりと掴む。
むむ、逃してなるものか、この獲物、いやいや困っている人を。



「あ、う、するのよ、なのよ」

キュッキュッと磨けば磨くほど、その銀色は美しい輝きを放ってくれた。
それが喜んでるように見えて、アキはとても嬉しくなる。

「う、するの、なの」

拭くだけでピカピカが謳い文句のウェットシートを使い、黒く煤けていたタイヤホイールをどんどんと磨きあげてゆく。

広い敷地内に、明石がこっそりと持ち込んだバイク。
そのタイヤホイールを拭き拭きすることが、アキに任されたお手伝いだ。
本当なら無断持込をお説教しなければいけないが、ズル賢い大人であるアキはそのことに目を瞑る。

「おーい、そろそろ疲れたんじゃねーか?」

「あう? アキ、ごいのよ、いいのよっ」

木陰に座り込む明石が、とんでもないことを言ってきた。
まだ一個しか磨いていないのに疲れるとか、元気な男の子のアキにはありえないことだ。

「ならいいけどよー」

バイクは二輪、磨く箇所など高が知れているため、アキは明石の手出しを禁止した。
座っていることしかできない明石は、だからといって離れるのも不安で、ただアキを見守ることしかできずにいる。

「う、う、いいのよ、きゅよ、のよ」

磨けば磨くほど綺麗になるとは、これほどに楽しいものはない。
お風呂掃除のときには味わえなかった感動に満たされながら、アキは後輪前輪と順調に拭き終わった。

「うう、あう、もっとよ、なのよ」

「あ? もっとっつってもなぁ……」

よっこいしょと立ち上がり、明石がウェットティッシュらしき物をポーチから取り出した。

「今日はホイールだけだからな、これでお終めぇだ」

「あうぅ」

ちょっと残念だけど仕方ない。
こんな簡単なことで報酬を要求するのもどうかと思ったが、それはそれ、貰えるものは貰うべきだ。

「おら、手出せ」

まだ何も言っていないのに、もうジュース代をくれるのだろうか。

「あい、なの」

期待でワクワクしながら、右手を差し出す。
ところが、差し出した手には期待した小銭は乗せられず、なぜか大きな左手で包まれたかと思うと、いきなりウェットティッシュでゴシゴシと擦られた。

「あ、あう、あう」

「ったく、ドロドロじゃねぇか。ホイール拭くだけで、なんでこうなるんだ?」

明石に言われ、自分の両手をマジマジと眺めた。
本当だ、真っ黒になっている。

「そっちもだっ」

「あい、なの、なの」

今度は左手を差し出す。
新たなティッシュで同じように拭かれながら、アキは自分の右手を見てみた。
汚れがすべて落ちている。
ホイールがピカピカと喜んでいたように、この右手も喜んでいるに違いない、そう思えるほどの輝き。

うきゃきゃとはしゃいでいると、左手が下ろされた。
アキの拭き拭きは終わったらしい、ちょっと残念だ。

「あぼ、うばうっ」

「ったく、顔まで汚れるとか、どんだけだよ」

「うぼ、うびゃ」

どうやらアキの顔にも汚れが付着してたらしい。
しかし、乱暴な手付きで顔全体をゴシゴシとされては、息苦しいことこのうえない。

「うぷ、あああ、いやなのよっ、のよ、おおさん、わるいのよっ、のよのよっ!」

ティッシュから顔を逸らし、目一杯文句を言ってやった。

「んだとおっ、てめぇの汚ねぇ面拭いてやってんのに、あんだぁその態度は!」

「うみゅうううっ、ぶっ、うぼぶ」

またもや拭き拭き攻撃がはじまった。
逃げようにもがっちりと首を固定され、明石のされるがままになる。

おでこも頬も全部が全部綺麗に磨かれ、最後にチーンと鼻をかんだら、ようやく終了した。

「で、何を要求してくんだ?」

「あ、なのよ、なのよ」

汚れの落ちた頬を手で確認していたアキは、急にそのことを思い出した。
アキは明石とここで遊んでいたわけではないのだ、お手伝いをしていたのだ。
お手伝いには報酬が付き物。

「つっても、どうせ菓子なんだろ。売店寄って帰るか」

「あああ、ちがうのよ、じゅうよ、じゅうなの」

「あ? ジュースも付けろってか。んじゃ、先に自販機に寄ってくか」

「あう、いいのよ、アキ、いくの、おおさん、いいのよ」

明石は忙しいだろうから、自分に付き合う必要はないのだと、精一杯の語彙で伝えた。
明石が、訝しげに目を眇めた。

ややや、やはり怪しかっただろうか。

「忙しい俺に気遣って、自分で買いに行くってことだな」

「なのよ、うんうん、なの」

「……」

「あ、あう…う、あ」

「その方が手間も省けらぁ」

その言葉と同時に、明石が尻ポケットから財布を取り出した。
思わずアキの喉が鳴る。期待と……緊張で。

「……まさか、ジュースだけってことは、ねーよな」

おかしなことを訊かれた。
これは、やはりアキのことを怪しんでいるということだろうか。

アキの目的がお金だと疑ってるらしき相手に、ジュースなのだと強調しておくに限る。

「いいのよ、じゅうよ、じゅう、なのよ」

「……そうかよ。ほら、好きなもん買って飲め」

「あ、あい、なの、ありがと、なのよ」

手の平に乗せられた150円を握り締め、そのままアキは脇目も振らず駆け出した。
当然、すぐさま携帯を取り出した明石の姿を、アキは目にしてはいない。



「う、う、う」

まずは自室のブタさんに、今回の報酬を入れるのが先だ。
昨日に引き続きアッキーにただいまを言う前に、自分の部屋に駆け込んだ。

チャリン。

なんという良い音なのだろう。
念のため、ブタさんのお腹についたゴムのカバーを外してみる。
中身はちゃんと増えていた。

ホッと息を漏らして、次の仕事を考える。
アキの目標としている金額には、あと少し足りないのだ。
時間はもう残り少ない。

「……ううぅぅ」

もう一度外を周ってみようと決めたとき、部屋の扉がノックされた。

「あい、なのよ」

特に警戒することもなく、扉を開ける。
どうせアッキーしかいないのだから。

「アキ、頼みたいことがあるんだが」

「あう?」

案の定開けた扉から顔を覗かせたのはアッキーだった。
しかも、アキに頼みごとをするとは、これは、お手伝いの匂いがプンプンするではないか!

「あ、あい、いいのよ、アキ、するのよ」

「ここに書いてある物を買ってきてくれ。釣りは駄賃だ」

そう言って手渡されたのはエコバッグと、1000円札。
印刷されたおじさんが、アキに微笑みかけてくれてるようだ。
これぞまさに、天からの助け。

「お、おおう、いくの、いくのよー」

奪い取るようにしてエコバッグと1000円札を手にしたアキは、その勢いのまま売店まですっ飛んで行った。
買ってくる物が書かれたメモも、ちゃんと握っている。

「あ、う、う」

書かれていた物をカゴに入れていくと、自然と合計金額も頭に浮かんだ。
これは、意外とお釣りが多いかもしれない。

しかし、どうにもこの買物には納得がいかない。
お遣いが嫌な訳じゃない。

「う、あああ、うっ」

トマトにピーマン、セロリなど……とにかく嫌な物ばかりだ。
もしかして、これが夕飯に出てくるんだろうか、それとも明日の朝食だろうか。
どうにも不安になりながらも、いつもなら寄り道するお菓子コーナーに行くこともなく、アキはレジへと向かった。

バーコードがピッピッと計算する前に、既にアキにはその金額が分かっている。
もちろんお釣りも。

「237円のお返しです。ありがとうございました」

すごい!
すごい金額だ!

ジャンプしようとして、咄嗟にその衝動を抑える。
何かの拍子に小銭を落としてしまっては、元も子もないのだから。

右手にお釣りを握り締め、その手を更にポケットに押し込む。
片手で野菜を詰めるのは大変だったが、なせばなるのだと知った。

そんな苦労をしながら、ようやく詰め終ったエコバッグを担ぎ、アキは早足で部屋に戻った。

「いまいま、なのよ」

「ご苦労様」

「あ、あい、なのよ」

「アキ、おやつを食うなら、」

「あ、あとなのよ」

アッキーの誘惑を振り切って、慌てて自室の扉を開けた。
転がり込むようにして中に入り、急いでブタさんを手元に引き寄せる。

興奮する。
まずは2枚の、2枚の! 100円玉を入れる。
もちろん、心地好い音がした。

そして残りも全部入れて、そしてカバーを外して中身を確認。

「うきゃよ、うきゃーーー、なのよ!」

明日は、アキラの生まれた大切な日。
それはアキにとっても大切な日ということ。

彼の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
そして、自分が歓喜している姿も。

うふふ、ともう一度小さく笑ってから、アキはブタさんのカバーを閉じ、ポッカリ開いた一文字の穴から、チャリンチャリンと小銭を落とす。
妖精さんと小人さんの悪戯さえなければ、これで万事解決だ。


ブタさん貯金箱の中身――682円
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