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単発もの

[期待セズニハイラレナイ-紅-]


私の総ては消え去りました。
もうこの世に私という存在は不要なのです。

なのに、あの御方は、最期に二つの命(めい)を私にお与えくださった。
一つは私を苦しめるもの。
もう一つは、私に生きる意味を与えるため……だったのでしょう。

雪客様の最後のお言葉、逆らうことなどありえません。
ですが、己の望に縋ることは、どうかお許しくださいませ。



「はい、お乳でございますね」

空腹を訴えて静かに泣く赤様。
私の唯一人の御方が御産みなされた小さな赤様をあやしながら、着物の合わせをそっと緩める。
乳房を出すと、いつも不思議そうに見詰めてくる黒い瞳に、あの御方の御姿が少しばかり重なった。

「自ら死ぬことは許しません。この子を無事成長させてください」

消え入る息の下、そう命じてくださった雪客様。

それはいつまでなのでしょうか?
御成長の暁には、死は、許されるのですか? 与えられるのですか?

消毒しおえた乳首を御口の傍へとお運び申し、

「さぁ、おあがりくださいませ」

そう、いつものように声をかける。
そうして、ようやく赤様――晃様は乳首をお吸いになられた。

いつでもお声をかけるまでは、大人しく待たれる晃様。
我が子にあげた回数など、ほんの数えるほどしかないが、そのときあの子はこのように静かに待っていただろうか。

生まれてすぐに傍を離れ、その頃から一度も会ってはいない我が子を、だが、特に懐かしいとは感じなかった。
むしろ、厭うているかもしれない。
あのとき、あの子を孕んでなければ、もっと長く雪客様のお傍に居れたであろうに、そう考えるだにあの時期が口惜しい。



雪客様の御出産までの数ヶ月が、私にとっての至上の幸福。
膨らみの少ない御腹を擦りながら、子の御名を考えておられる姿はそれはもう真剣で、こちらが焦るほどだった。
産まれるまでの楽しみだと、医師から性別を聞くことをせず、なのに、名をお考えになるならば、ぜひとも男女両方をお考えくださいと進言すれば、結局、アキラという御名前ひとつで落ち着いた。

「男の子なら、晃。女の子なら、晶。これなら大丈夫でしょう?」

「結局、二つ考えるのが、面倒だったのですか?」

そう笑いながら問えば、雪客様は拗ねたように頬を膨らませた。

「違うわ。アキラという響きが、とても綺麗だとは思わなくて?」

「綺麗、ですか」

「ええ、キラという響きが、とても輝いてる感じがしない? でも、キラなんて名前は、ちょっと…」

その、御可愛らしい発想を微笑ましく感じながらも、それが我が子と同じ名であることに、幾許(いくばく)か驚いた。
雪客様の赤様と同じ名とは、これほどの栄誉はあるまい。

雪客様に、我が子の話をしたことはなかった。
どうやら、私から子を奪ってしまったと、雪客様はお考えらしい。
だから、子のことは何もお尋ねにはならないのだ。

雪客様に、そんな詰まらない苦悩を与える原因が自分であることに、ただただ胸が痛んだ。
過去に戻れるのならば、子など孕みはしなかったものを。



「もう、よろしいのですか?」

晃様の御腹はようやっと膨れたらしい。
吸い付いたときと同様に、とても静かに唇を離された晃様の御背を、軽く叩く。

この御方は、他の赤子よりもよく乳を飲まれるが、御身体のほうはなかなか成長なさらない。
自分の乳が悪いのかと検査をしてもらったが、そうではなかったことにひとまずは安堵した。
やはり、直系ということが、関係なさっておられるのであろう。

雪客様が崩御して二十日あまり経った頃、私はようやく晃様の御尊顔を拝した。
部屋から出てきた私に、守人が驚愕と哀れみの籠った瞳を向けていたのを覚えている。

ただただ言葉を失った守人に、晃様のお世話を願い出、おそれながらと自分の乳を差し出すことを懇願した。
我が子が吸うことのない乳は、ただ無駄に張るばかりで、それならばあの御方の代わりにせめてもという気持ちと、御成長を見守るは己の勤め、という気持ちがあってのもの。
乳母の乳の出が悪いことが功を奏し、私は無事晃様のお世話係りになることができた。

この御方の御成長に期待せずにはいられない。
御成長の暁には、総代には許されなかった望を、叶えていただける可能性があるやもしれぬから。

御両親共に雪客様であり、とても血の濃い直系。

なにより、赤子でありながら、分別ついたこの物腰。

期待で胸が逸る。

あぁ、疾く、はやく、ハヤク……ハヤク、私ヲ――
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