ひねもすのたりのたり
[ひねもすのたりのたり1-3]
今日も今日とてお天道様は燦々と輝いている。
昨夜遅くに雨が降りだしたときはショックだったけど、今朝方には止んでいたことが、アキは嬉しくて堪らなかった。
雨の日は大嫌い。だけど、雨後は大好き。
雨が降ったあとの空気は、まるでお洗濯したてのシーツのように爽やかで清々しくて、アキはなんとなく興奮してしまうのだ。
確かことわざに、飴降って血高鳴る、というものがあった。
降ったのは飴ではないが雨と同じ韻だから、使いどころとしてはきっと間違ってはいないはず。
「う、あ、いくのよ、するのよ」
せっかくのお天気だ、この間、途中で終わったお散歩の続きをしてもいいかもしれない。
よし、そうと決まれば早速……。
この世には、割愛、という便利な言葉がある。
つまり色々あって、アッくんは悪の巣窟に旅立って、重い荷物はアッキーに任せ、そうしてアキは澄んだ景色に目を瞠りながらお散歩中ということだ。
「う、ああ~、するの~、なのよ~♪」
地面はとうに乾いていて、雨が降った名残はなかった。
ただ時折吹く風が、少しばかり涼しげなだけ。
ご機嫌に花を観賞し、今度は森の中に足を運んだ。
ちょっと籠る湿気が、ジャングルっぽくて何気に格好いい。
「う、するの、なのっ」
さあ、アキの冒険のはじまりだ。
この先に待っているのは、未知の遺跡か黄金境か、はたまた……。
人食い虎も底なし沼も、冒険者アキの行く手を遮ることはできない、いざ前進あるのみ!
「う、ああ」
ざくざくと険しい道を踏破して、ようやく抜けたその先に、謎の遺跡……ではなく、やけに豪華なテーブルセットに小さな花壇、そして温室を発見。
手入れの行き届いた小さな花壇には、美味しそうな香りを放つ美しい花々が、力強い陽光を漏らさず受け入れようとする温室には、自然の恵みが色づいていた。
「あう、うあ」
どうやら、謎の原住民の住処らしい。
この原住民、温室を作る知恵があり、花を愛でる心があることから、我々人類とそう大差ない知識水準にあると推測される。
ならば、友好的且つ、紳士的に対応するのが筋だろう。
言葉が通じるかやや不安だが、いざとなればボディーランゲージという手もある。
アキの血がざわざわと騒いだ。
未知なるものとのファーストコンタクトは冒険の醍醐味なのだ、興奮して然るべきだろう。
「するのよ、なのよっ」
そうと決まれば、原住民が現れるのを待つのみ。
屋外にあるとは思えないほど綺麗なテーブルに、休憩がてら静かに腰をおろした。
…………
遠くで聞こえる鳥の声。
閉じていた目をパッと開け、アキはキョロキョロと周囲を見回した。
どうやら、ほんの少しうとうとしていたらしい。
「あみゅ、う」
慌てて背筋を伸ばし、姿勢を整えた。
ついでにシャツも手で直す。
ネクタイが、ちょっと濡れているのが不思議だった。
残念ながら、原住民は現れないようだ。
お腹も空いてきたことだし、そろそろ部屋に戻って……。
今日のおやつはなんだろう?
アッキーが用意してくれるはずだから、おそらくは手作りのはず。
ちょっと残念な部分はあるが、彼の作る菓子は問題なく美味しい。
ああ、早く戻っておやつを……などと考えていたら、こちらに近づく足音が。
やや、とうとう現れたか!
おやつのことは一旦忘れて、冒険者アキに戻る。
息を殺しながら、足音のした方向――校舎の裏から続く遊歩道をジッと見つめた。
「そうですか、お散歩なさっていたのですか」
「なの、なのよ」
温かい紅茶をアキの前に置きながら、原住民、もとい三井右京はなんとも優雅な微笑みを見せた。
冒険の末アキが辿り着いたのは、副会長三井の花園。
その昔、朽ちゆく運命にあった庭園は、彼の手により蘇り、今ではたくさんの花たちが誇らしげに匂い立つ場所へと生まれ変わった。
自然の美しさをこれほどに引き出せるとは、もしかして三井は魔法使いなのかもしれない。
彼の手になる紅茶が、美味しくて、甘くて、そしてアキをほんのりと暖かくしてくれる理由に、これで合点がいった。
「副会長ー、早くイチゴイチゴー」
「あうっ」
そうそう、遊歩道から現れたのは、魔法使い三井だけではなかったのだ。
アキとは違い、砂糖をほんの少しだけ溶かした紅茶を、ガチャガチャと混ぜる藤村は、さながら魔法使いの弟子?
いや、単にこうるさい動物だ。
しかしこのこうるさい動物、聞き捨てならない言葉を口にした。
「あなたはそればっかりですね」
「いいじゃん、早く食わせてよー」
イチゴ、藤村は確かにイチゴと口にしたのだ。
自然、アキの喉がごくりと鳴る。
それに気付いた藤村が、にっこりとアキに笑いかけてきた。
「イチゴがたくさん生って困ってるんだってー」
温室内に、赤い恵みがたわわに実っていることは、アキもとうに気が付いていた。
しかし、人様の物を勝手に採るようなことは、いくら食いしん坊のアキとはいえ絶対にしない。
「あ、う、ああ」
「この間のお茶会でも出したのですが、まだまだたくさんあって困っているんですよ。このまま枯らすのも可哀想ですし、よければアキも一緒に食べていただけませんか?」
三井は真剣に困ったという表情を見せたが、アキからすればなんとも素晴らしい出来事だ。
もちろんアキに否やなどあろうはずがない。
「あ、あい、なのよっ」
急遽開催されたイチゴ狩りに、アキは笑いが止まらなくなりそうだった。
「すっげ、まさに鈴生りじゃん」
「村上君が手伝ってくれるので、植物の状態がとても良いんですよ」
忙しい副会長は、毎日来れるわけじゃない。
彼が手を掛けられない分、副会長親衛隊隊員のひとり、村上浩太君が植物たちの世話をするようになった。
世話の仕方を学び、肥料を吟味し、三井のためにとがんばる村上の姿は、容易に想像ができる。
きっと、彼こそが魔法使いの弟子なのだ。
カゴいっぱいのイチゴを前に、アキはそう確信した。
大漁のうちに終了したイチゴ狩り。
ここから先は、至福の時間が待っている。
ざっと洗ったそれを、三井が皿に乗せてテーブルに置いてくれた。
新たな紅茶も淹れられて、ようやく冒険家にとって最大にして最高の時間がはじまる。
興奮のあまりイチゴと同じくらい赤くなった頬を、アキはにんまりと緩めた。
陽光に照らされてキラキラ輝く大粒のイチゴは、真っ赤に真っ赤に熟している。
さながら、アキの眼には赤い宝石のように映った。
いや、それ以上に価値があるものだ。
いただきますをしてから、何もつけない素のままのイチゴを口に放り込んだ。
大きい、本当に大きく育っている。
なんという食べ応えだ。
噛んだ瞬間、丸々太った果肉から甘い果汁がじゅわりと滲み出た。
ああ、これぞ天の齎す至高の味、まさに甘露とアキは心の中で雄叫びをあげた。
「あむ、しろいのよ、いいのよ、あむ、おむ」
「チョーうめー」
皿に盛られていた紅玉は、飢えた冒険家とこうるさい動物の腹に収められ、見る間にその数を減らしていった。
むむ、どうやら藤村は、意外に大食漢のようだ。
このままでは自分の取り分が減ってしまうのでは、とアキは両手の動きを速めた。
「う、ああ、あ」
「アキ、まだまだありますから、焦らずにゆっくり食べてくださいね」
「あ、う、あい、なのよ」
アキの気持ちを読み取って先手を打ってくるとは、さすがは魔法使い。
「あむ、うっぷ、うう、なの、なの」
「はー、満足満足」
ひたすら口と手を動かして、気が付けばアキのお腹は満腹状態になっていた。
口元を手で拭おうとしたら、三井がおしぼりで優しく拭いてくれた。
ついでに、手の平も。
「ありがと、なのよ」
ちゃんとお礼を言ってから、ご馳走様と手を合わせる。
「結構残ってますね」
アキも藤村もしこたまイチゴを味わった。
それでも、まだカゴ二つ分残っている。
どれほど食べても無くならないとは、さすがは魔法使いの育てた果実だ。
「もう無理ー」
椅子にぐったりもたれながら、パンパン腹を叩いての藤村のギブアップ宣言。
ならば己が、と意気込むも、さすがのアキもこれ以上は、アッキーのおやつが食べられない可能性がある。
「あ、う、あっ」
どうしようかと悩んでいたら、三井がカゴを手に立ち上がった。
まさか、捨ててしまうのだろうか。
そんなこと、お天道様が許しても、アキが許さない。
「アキ、渡辺君たちへのお土産に、持って帰ってください」
「あう!?」
三井は新品のビニール袋を取り出すと、そこにカゴいっぱいのイチゴを入れて、アキに向かって差し出した。
なんと準備のいい男なのだろう。さすがは魔法使いだ。
「あ、あ、ありがとなの、なのよ」
「そっちはどうすんの?」
カゴ二つ分のイチゴ。
ひとつはアキのお土産に、残りは……?
「こちらは風紀への差し入れにしましょう」
無事イチゴの行き先が決まったことで、アキはホッと安堵の息をついた。
「チビちゃん、お土産できて良かったねー」
「なの、なのよ」
「それでは、そろそろ仕事に戻りますか」
「はいはーい、了解です」
「あう」
今日の冒険でアキが見つけたものは、こうるさい動物を従えた、心優しき魔法使いの守る秘密の庭園。
甘い香りに満ちたその場所に、魔法使いは優しくアキを迎え入れてくれた。
冒険に疲れた身体を癒してくれたのは、甘い果実に、温かいお茶、そして、たくさんの宝物。
そう、冒険には宝がつきもの。
赤く輝く宝石は、冒険者アキの冒険が、大成功のうちに終了したことの証なのだ。
「うきゃ、なの、うきゃ、なのよ」
勝者の高笑いとスキップを披露するアキに、三井も藤村も優しい視線を送った。
「あっ、うっ、」
「どうしました?」
「どったの?」
自分の喜びばかりに浸っていて、アキは大事な事を忘れていた。
なにか、自分はなにか持ってはいなかったか。
美しい微笑を称えた心優しき魔法使いに、アキの心身を癒してくれた人に、感謝の気持ちを表すものを、なにか持ってはいないだろうか。
まずはズボンの前ポケットを触ってみた。
ない。
では、後ろ。
ガサリと何かの音がした。
慌てて音の元を取り出して、アキはホッと口元を綻ばせた。
既に口が開いている、かなり小さめの袋。
どうしてこんなところにあったのか謎だが、自分の服に入っていたなら、それは食べ物に他ならないはずだ。
指に触れる感触から、キャンディと見て間違いないだろう。
「あ、う、あげるの、のよ」
「キャンディ、ですか?」
「お、口直しに丁度いいじゃん」
「あい、なの」
アキは、まずは三井に向かって袋を差し出した。
「ありがとうございます。では、ちょうだいしますね」
「あい、なのよ」
「チビちゃん、サンキュ」
「ああ、うう」
三井が取る前に、先に藤村が手を突っ込んできた。
こうるさい動物はついでなのに、最初に取るとはけしからん、とアキは心の中で説教した。
すぐに藤村は包装された飴を取り出し、続いて三井も飴を手にした。
「う、あ、たべるのよ、のよ」
しっかりと小分けされたキャンディは、その姿をアキに見せてはくれない。
自分の手元から離れいく愛しい存在を、せめて目で味わおうと、アキは今すぐ飴を食べろと二人に強要した。
必死の形相のアキに、三井と藤村は吹き出しながら包みを破った。
「あ、う、きらよ、きら、なのよ」
三井は黄色、藤村は紫色。
丸く透明なキャンディは、日差しの下でキラキラと煌いて、まるで宝石のようだ。
見た目は充分に楽しんだ。
次は、その味を教えて貰わなければ、意味がない。
「あ、う、するの、いうのよ」
アキの予想では、黄色いキャンディはレモン味、紫色のキャンディはぶどう味だ。
まずは藤村が、右に左にとじっくり舐めてから教えてくれた。
「あ、りんごだ」
「あ、あうあっ」
そして、三井が上品に口元を動かしながら、
「マスカットですね」
「あ、ああああっ、うああああっ」
な、なんといことだ。
ぶどう色をしながらりんごで、レモン色のくせにマスカットとは!
やられた、まさに完敗の気分だ。
「おっと、そろそろ行かないとまずいっしょ」
「そうですね。ではアキ、また一緒にお茶をしましょうね」
「んじゃ、またね、チビちゃん」
「あ、あい、なのよ」
かろうじて返事を返し、力無く手を振りながら、アキは二人を見送った。
なんだろう、この敗北感は初めてではない気がする。
前にもどこかで、これと似た感覚に陥りはしなかったか。
そういえば、キャンディの袋の口が開いていたということは、つまりこの飴を以前食したことがある、ということで……。
「あっ、あうああ!!」
とんでもないことを思い出した。
あまりのことに、ガタガタと身体が震えだす。
なんという恐ろしいことをしてしまったのかと、後悔してももう遅い。
常に優雅な笑みを浮かべていた、あの優しい魔法使いに、自分がしでかしたことを省みて、アキは泣きそうなほどに落ち込んだ。
ああしかし、彼がハズレを手にしなくて、本当に良かった。
神は我を見捨てなかったのだ!
アキは両手を合わせ、姿の見えない神に感謝の祈りを奉げた。
ですが神様、あのチャラ男がハズレを引いていれば、それはそれで気分爽快うきゃきゃきゃであったのに、最後にそう付け加えたのは、ここだけの秘密。
残りの飴数――2個。
今日も今日とてお天道様は燦々と輝いている。
昨夜遅くに雨が降りだしたときはショックだったけど、今朝方には止んでいたことが、アキは嬉しくて堪らなかった。
雨の日は大嫌い。だけど、雨後は大好き。
雨が降ったあとの空気は、まるでお洗濯したてのシーツのように爽やかで清々しくて、アキはなんとなく興奮してしまうのだ。
確かことわざに、飴降って血高鳴る、というものがあった。
降ったのは飴ではないが雨と同じ韻だから、使いどころとしてはきっと間違ってはいないはず。
「う、あ、いくのよ、するのよ」
せっかくのお天気だ、この間、途中で終わったお散歩の続きをしてもいいかもしれない。
よし、そうと決まれば早速……。
この世には、割愛、という便利な言葉がある。
つまり色々あって、アッくんは悪の巣窟に旅立って、重い荷物はアッキーに任せ、そうしてアキは澄んだ景色に目を瞠りながらお散歩中ということだ。
「う、ああ~、するの~、なのよ~♪」
地面はとうに乾いていて、雨が降った名残はなかった。
ただ時折吹く風が、少しばかり涼しげなだけ。
ご機嫌に花を観賞し、今度は森の中に足を運んだ。
ちょっと籠る湿気が、ジャングルっぽくて何気に格好いい。
「う、するの、なのっ」
さあ、アキの冒険のはじまりだ。
この先に待っているのは、未知の遺跡か黄金境か、はたまた……。
人食い虎も底なし沼も、冒険者アキの行く手を遮ることはできない、いざ前進あるのみ!
「う、ああ」
ざくざくと険しい道を踏破して、ようやく抜けたその先に、謎の遺跡……ではなく、やけに豪華なテーブルセットに小さな花壇、そして温室を発見。
手入れの行き届いた小さな花壇には、美味しそうな香りを放つ美しい花々が、力強い陽光を漏らさず受け入れようとする温室には、自然の恵みが色づいていた。
「あう、うあ」
どうやら、謎の原住民の住処らしい。
この原住民、温室を作る知恵があり、花を愛でる心があることから、我々人類とそう大差ない知識水準にあると推測される。
ならば、友好的且つ、紳士的に対応するのが筋だろう。
言葉が通じるかやや不安だが、いざとなればボディーランゲージという手もある。
アキの血がざわざわと騒いだ。
未知なるものとのファーストコンタクトは冒険の醍醐味なのだ、興奮して然るべきだろう。
「するのよ、なのよっ」
そうと決まれば、原住民が現れるのを待つのみ。
屋外にあるとは思えないほど綺麗なテーブルに、休憩がてら静かに腰をおろした。
…………
遠くで聞こえる鳥の声。
閉じていた目をパッと開け、アキはキョロキョロと周囲を見回した。
どうやら、ほんの少しうとうとしていたらしい。
「あみゅ、う」
慌てて背筋を伸ばし、姿勢を整えた。
ついでにシャツも手で直す。
ネクタイが、ちょっと濡れているのが不思議だった。
残念ながら、原住民は現れないようだ。
お腹も空いてきたことだし、そろそろ部屋に戻って……。
今日のおやつはなんだろう?
アッキーが用意してくれるはずだから、おそらくは手作りのはず。
ちょっと残念な部分はあるが、彼の作る菓子は問題なく美味しい。
ああ、早く戻っておやつを……などと考えていたら、こちらに近づく足音が。
やや、とうとう現れたか!
おやつのことは一旦忘れて、冒険者アキに戻る。
息を殺しながら、足音のした方向――校舎の裏から続く遊歩道をジッと見つめた。
「そうですか、お散歩なさっていたのですか」
「なの、なのよ」
温かい紅茶をアキの前に置きながら、原住民、もとい三井右京はなんとも優雅な微笑みを見せた。
冒険の末アキが辿り着いたのは、副会長三井の花園。
その昔、朽ちゆく運命にあった庭園は、彼の手により蘇り、今ではたくさんの花たちが誇らしげに匂い立つ場所へと生まれ変わった。
自然の美しさをこれほどに引き出せるとは、もしかして三井は魔法使いなのかもしれない。
彼の手になる紅茶が、美味しくて、甘くて、そしてアキをほんのりと暖かくしてくれる理由に、これで合点がいった。
「副会長ー、早くイチゴイチゴー」
「あうっ」
そうそう、遊歩道から現れたのは、魔法使い三井だけではなかったのだ。
アキとは違い、砂糖をほんの少しだけ溶かした紅茶を、ガチャガチャと混ぜる藤村は、さながら魔法使いの弟子?
いや、単にこうるさい動物だ。
しかしこのこうるさい動物、聞き捨てならない言葉を口にした。
「あなたはそればっかりですね」
「いいじゃん、早く食わせてよー」
イチゴ、藤村は確かにイチゴと口にしたのだ。
自然、アキの喉がごくりと鳴る。
それに気付いた藤村が、にっこりとアキに笑いかけてきた。
「イチゴがたくさん生って困ってるんだってー」
温室内に、赤い恵みがたわわに実っていることは、アキもとうに気が付いていた。
しかし、人様の物を勝手に採るようなことは、いくら食いしん坊のアキとはいえ絶対にしない。
「あ、う、ああ」
「この間のお茶会でも出したのですが、まだまだたくさんあって困っているんですよ。このまま枯らすのも可哀想ですし、よければアキも一緒に食べていただけませんか?」
三井は真剣に困ったという表情を見せたが、アキからすればなんとも素晴らしい出来事だ。
もちろんアキに否やなどあろうはずがない。
「あ、あい、なのよっ」
急遽開催されたイチゴ狩りに、アキは笑いが止まらなくなりそうだった。
「すっげ、まさに鈴生りじゃん」
「村上君が手伝ってくれるので、植物の状態がとても良いんですよ」
忙しい副会長は、毎日来れるわけじゃない。
彼が手を掛けられない分、副会長親衛隊隊員のひとり、村上浩太君が植物たちの世話をするようになった。
世話の仕方を学び、肥料を吟味し、三井のためにとがんばる村上の姿は、容易に想像ができる。
きっと、彼こそが魔法使いの弟子なのだ。
カゴいっぱいのイチゴを前に、アキはそう確信した。
大漁のうちに終了したイチゴ狩り。
ここから先は、至福の時間が待っている。
ざっと洗ったそれを、三井が皿に乗せてテーブルに置いてくれた。
新たな紅茶も淹れられて、ようやく冒険家にとって最大にして最高の時間がはじまる。
興奮のあまりイチゴと同じくらい赤くなった頬を、アキはにんまりと緩めた。
陽光に照らされてキラキラ輝く大粒のイチゴは、真っ赤に真っ赤に熟している。
さながら、アキの眼には赤い宝石のように映った。
いや、それ以上に価値があるものだ。
いただきますをしてから、何もつけない素のままのイチゴを口に放り込んだ。
大きい、本当に大きく育っている。
なんという食べ応えだ。
噛んだ瞬間、丸々太った果肉から甘い果汁がじゅわりと滲み出た。
ああ、これぞ天の齎す至高の味、まさに甘露とアキは心の中で雄叫びをあげた。
「あむ、しろいのよ、いいのよ、あむ、おむ」
「チョーうめー」
皿に盛られていた紅玉は、飢えた冒険家とこうるさい動物の腹に収められ、見る間にその数を減らしていった。
むむ、どうやら藤村は、意外に大食漢のようだ。
このままでは自分の取り分が減ってしまうのでは、とアキは両手の動きを速めた。
「う、ああ、あ」
「アキ、まだまだありますから、焦らずにゆっくり食べてくださいね」
「あ、う、あい、なのよ」
アキの気持ちを読み取って先手を打ってくるとは、さすがは魔法使い。
「あむ、うっぷ、うう、なの、なの」
「はー、満足満足」
ひたすら口と手を動かして、気が付けばアキのお腹は満腹状態になっていた。
口元を手で拭おうとしたら、三井がおしぼりで優しく拭いてくれた。
ついでに、手の平も。
「ありがと、なのよ」
ちゃんとお礼を言ってから、ご馳走様と手を合わせる。
「結構残ってますね」
アキも藤村もしこたまイチゴを味わった。
それでも、まだカゴ二つ分残っている。
どれほど食べても無くならないとは、さすがは魔法使いの育てた果実だ。
「もう無理ー」
椅子にぐったりもたれながら、パンパン腹を叩いての藤村のギブアップ宣言。
ならば己が、と意気込むも、さすがのアキもこれ以上は、アッキーのおやつが食べられない可能性がある。
「あ、う、あっ」
どうしようかと悩んでいたら、三井がカゴを手に立ち上がった。
まさか、捨ててしまうのだろうか。
そんなこと、お天道様が許しても、アキが許さない。
「アキ、渡辺君たちへのお土産に、持って帰ってください」
「あう!?」
三井は新品のビニール袋を取り出すと、そこにカゴいっぱいのイチゴを入れて、アキに向かって差し出した。
なんと準備のいい男なのだろう。さすがは魔法使いだ。
「あ、あ、ありがとなの、なのよ」
「そっちはどうすんの?」
カゴ二つ分のイチゴ。
ひとつはアキのお土産に、残りは……?
「こちらは風紀への差し入れにしましょう」
無事イチゴの行き先が決まったことで、アキはホッと安堵の息をついた。
「チビちゃん、お土産できて良かったねー」
「なの、なのよ」
「それでは、そろそろ仕事に戻りますか」
「はいはーい、了解です」
「あう」
今日の冒険でアキが見つけたものは、こうるさい動物を従えた、心優しき魔法使いの守る秘密の庭園。
甘い香りに満ちたその場所に、魔法使いは優しくアキを迎え入れてくれた。
冒険に疲れた身体を癒してくれたのは、甘い果実に、温かいお茶、そして、たくさんの宝物。
そう、冒険には宝がつきもの。
赤く輝く宝石は、冒険者アキの冒険が、大成功のうちに終了したことの証なのだ。
「うきゃ、なの、うきゃ、なのよ」
勝者の高笑いとスキップを披露するアキに、三井も藤村も優しい視線を送った。
「あっ、うっ、」
「どうしました?」
「どったの?」
自分の喜びばかりに浸っていて、アキは大事な事を忘れていた。
なにか、自分はなにか持ってはいなかったか。
美しい微笑を称えた心優しき魔法使いに、アキの心身を癒してくれた人に、感謝の気持ちを表すものを、なにか持ってはいないだろうか。
まずはズボンの前ポケットを触ってみた。
ない。
では、後ろ。
ガサリと何かの音がした。
慌てて音の元を取り出して、アキはホッと口元を綻ばせた。
既に口が開いている、かなり小さめの袋。
どうしてこんなところにあったのか謎だが、自分の服に入っていたなら、それは食べ物に他ならないはずだ。
指に触れる感触から、キャンディと見て間違いないだろう。
「あ、う、あげるの、のよ」
「キャンディ、ですか?」
「お、口直しに丁度いいじゃん」
「あい、なの」
アキは、まずは三井に向かって袋を差し出した。
「ありがとうございます。では、ちょうだいしますね」
「あい、なのよ」
「チビちゃん、サンキュ」
「ああ、うう」
三井が取る前に、先に藤村が手を突っ込んできた。
こうるさい動物はついでなのに、最初に取るとはけしからん、とアキは心の中で説教した。
すぐに藤村は包装された飴を取り出し、続いて三井も飴を手にした。
「う、あ、たべるのよ、のよ」
しっかりと小分けされたキャンディは、その姿をアキに見せてはくれない。
自分の手元から離れいく愛しい存在を、せめて目で味わおうと、アキは今すぐ飴を食べろと二人に強要した。
必死の形相のアキに、三井と藤村は吹き出しながら包みを破った。
「あ、う、きらよ、きら、なのよ」
三井は黄色、藤村は紫色。
丸く透明なキャンディは、日差しの下でキラキラと煌いて、まるで宝石のようだ。
見た目は充分に楽しんだ。
次は、その味を教えて貰わなければ、意味がない。
「あ、う、するの、いうのよ」
アキの予想では、黄色いキャンディはレモン味、紫色のキャンディはぶどう味だ。
まずは藤村が、右に左にとじっくり舐めてから教えてくれた。
「あ、りんごだ」
「あ、あうあっ」
そして、三井が上品に口元を動かしながら、
「マスカットですね」
「あ、ああああっ、うああああっ」
な、なんといことだ。
ぶどう色をしながらりんごで、レモン色のくせにマスカットとは!
やられた、まさに完敗の気分だ。
「おっと、そろそろ行かないとまずいっしょ」
「そうですね。ではアキ、また一緒にお茶をしましょうね」
「んじゃ、またね、チビちゃん」
「あ、あい、なのよ」
かろうじて返事を返し、力無く手を振りながら、アキは二人を見送った。
なんだろう、この敗北感は初めてではない気がする。
前にもどこかで、これと似た感覚に陥りはしなかったか。
そういえば、キャンディの袋の口が開いていたということは、つまりこの飴を以前食したことがある、ということで……。
「あっ、あうああ!!」
とんでもないことを思い出した。
あまりのことに、ガタガタと身体が震えだす。
なんという恐ろしいことをしてしまったのかと、後悔してももう遅い。
常に優雅な笑みを浮かべていた、あの優しい魔法使いに、自分がしでかしたことを省みて、アキは泣きそうなほどに落ち込んだ。
ああしかし、彼がハズレを手にしなくて、本当に良かった。
神は我を見捨てなかったのだ!
アキは両手を合わせ、姿の見えない神に感謝の祈りを奉げた。
ですが神様、あのチャラ男がハズレを引いていれば、それはそれで気分爽快うきゃきゃきゃであったのに、最後にそう付け加えたのは、ここだけの秘密。
残りの飴数――2個。