根岸保小夜曲(セレナーデ)
日向君の家は、豪邸だった。
広くて綺麗で部屋数が多くて、家政婦さんが居てシッターさんまで居る、まるでお城のような場所。
日向君と門倉君はそれぞれ個室を持っていて、その子供部屋というにはあまりにも贅沢すぎる空間に、僕はただ言葉を失った。
居候で祖母と同室の僕には、考えられない世界だ。
初めてお邪魔した日、家政婦さんがケーキと紅茶を出してくれた。
まさか自分の分とは思わず手を着けない僕に、日向君が食べるよう勧めてくれた。
緊張しつつ口にしたケーキは、緊張してても味が分かるほど、甘くて美味しかった。
久しぶりの感覚だ。
柔らかい食感も甘さも、『おやつ』の習慣でさえも、伯父家に引き取られる以前から途絶えていたから。
その日から、毎日のように日向家にお邪魔していた。
放課後ともなれば一緒に帰ろうと誘ってもらい、そのまま家に呼んでもらえた。
家ではゲームをしたり宿題をしたり、『おやつ』まで食べさせてもらった。
いつも図書室や公園で時間を潰していた僕には、夢のような時間だった。
交流を持つうちに、少しずつ会話もできるようになった。
それでもまだまだ拙くて、まったく応えられないときもある。
そんなとき、日向君は門倉君と違い素直に苛立ってみせた。
最初こそ怖かったけど、日が経つにつれ今度は申し訳なさでいっぱいになった。
彼の苛立ちは怒りではなく、どうしていいか分からないジレンマに見えたから。
異色の組み合わせは、学校中の反感を買った。
人気者二人の間に僕が無理矢理割り込んだと、陰口を叩かれる。
でも直接文句を言ってくるコはいなかったし、虐めなんかも全然なかった。
みんな、日向君たちに告げ口されるのを恐れていんだ。
僕も恐れていた。
日向君たちに見離されたとき、これまでの鬱憤が全部僕に向くだろう、と。
結局そんな日は来ず、逆に僕の周囲には少しずつ人が増えた。
誰にでも気さくな二人が、僕を含んだ輪に、いろんな生徒を呼んでくれたおかげだ。
そうやって打ち解けていくうちに、僕の極端な人見知りに理解を示してくれる人もできた。
学校が楽しいと言えるまでになったのは、すべて二人のおかげだ。
友人が増えても、僕たち三人は一つのグループとして扱われた。
進級でクラスが別れても、門倉君も日向君も、毎日僕を迎えにきてくれたから。
どう見ても、僕たちは仲良しだろう。
親友と思われてるかもしれない。
でも、本当はそんなんじゃないんだ。
日向君たちは優しすぎて、僕を見捨てられなかっただけ。
特に門倉君は、僕と似た境遇だからか、いつでも気遣ってくれている。
悲しいことに、門倉君はお母さんを早くに亡くしている。
唯一の家族である父親とも離れ、一人日向家でお世話になっていた。
それを聞いたとき、迂闊にも「お父さんは?」と尋ねる僕に、門倉君は言葉を濁して曖昧に微笑った。
日向君はやけに厳しい顔をしてたから、これは訊いてはいけないことだったんだ。
彼も、僕と同じかもしれない。
同じように、家族から「いらない」と切り捨てられたのかも。
だから門倉君は、異常なまでに僕を気に掛けてるんじゃないかな。
同じく家族に捨てられた僕は、お風呂に入るにも消しゴム一つ買うのにも、伯父一家の顔色を窺わなきゃいけない。
その都度、祖母に頭を下げることで、学用品はどうにか賄えている。
でもそれも、中学に進んだらどうなるのかと、いつも不安だった。
その点、門倉君は違う。
裕福な日向家に暖かく迎え入れられ、実の家族以上の愛情を注がれていた。
だからって、羨ましいとは思えない。
どれほど恵まれていても、実の母を亡くし父とも疎遠になった彼が、今の状況を喜んでるわけないもの。
そして、日向君。
彼の境遇も、少しばかり特殊だった。
外から見る限り、日向家ほど理想的な家族は他にない。
ご両親は仕事で忙しい分、愛情持って子供たちに接していて、甥である門倉君のことも実子と分け隔てなく可愛がっている。
僕みたいな子供相手でも、とても丁寧に話しかけてくれるし、優しくもしてくれた。
どっから見ても、非の打ちどころがない人たちなんだ。
でもそれは、見ように寄っては酷く嘘くさくもあった。
完璧な両親、完璧な家庭――まるで『理想の家族』という舞台を、日向君も含めた全員で演じてるかのようだった。
もしかしたら、彼も、彼の家族も、どこか壊れてるのかもしれない。
だからなのか、日向君と門倉君は、お互いをとても大切にしていた。
日向君の心の内を占めるのは、いつだって門倉君のこと。
誰にでも優しいけど、そういうのとは比較できない愛情を、門倉君にだけ向けている。
門倉君のほうも、まったく同じ愛情を、日向君へと注ぎこんでいた。
彼らは、従兄弟以上の強い絆を求めあい、そして結ばれているのだろう。
それは、ひょっとしたら『恋』やそれに近いものかもしれない。
正直言うと、『恋』なんて言葉が浮かんだのはもっと後だけど、二人を近くで見てきた僕は、彼らの想いの深さをずっと肌で感じていた。
小学校卒業後の進路は、別々。
僕は公立中学へ、日向君と門倉君は私立中学に行く予定になっている。
日向君と門倉君が私立中学を目指すのは、不思議でもなんでもなかった。
日向君はもともとすごく優秀だし、門倉君もかなり努力していた。
だから大好きな二人が志望中学に受かったとき、僕は心の底から喜んだんだ。
でも門倉君は、あまり嬉しそうじゃなかった。
ううん、喜んではいたけど、どことなく様子がおかしかった。
日向君も似たような感じだったけど、もともと子供っぽい喜び方をする人じゃないから、あまり気にならなかった。
それよりも、門倉君のほうが気に掛かる。
でも僕が訊いても、門倉君は「なんでもないよ」としか言わない。
受かったのは素直に嬉しいと言うし、僕の思い過ごしかもしれない。
中学の入学式まであと数日というとき、僕は二人に呼び出された。
小学校のときとは違い会う時間が減るからと、携帯を渡された。
僕の従兄弟は持ってるけど、僕は携帯なんか持ったことがない。
これから先も、持つ予定はないだろう。
あれは、お金がかかるもの。
断ったら、日向君がムッとした。
「料金なら、心配いらないから」
「だ、駄目だよ。いらないよ……」
「なんで!!」
「ルカッ」
あまりの剣幕に、身が竦んだ。
どうしてそこまでと思う以前に、激昂する日向君自体初めてのことで、僕はオロオロするしかなかった。
見かねた門倉君が、引っ張るようにして日向君を連れて帰った。
苛立たせたことは、数え切れないほどあった。
でも最近では、それもめっきり減っていた。
そもそも日向君は、あまり怒るタイプじゃない。
それなのに、こうまで激怒させるなんて、僕の落ち度だ。
中学に行ったら、会えなくなるかもしれない。
もしかしたら、今日が日向君に会える最後の日かもしれないのに、こんな別れになってしまったのが悲しかった。
広くて綺麗で部屋数が多くて、家政婦さんが居てシッターさんまで居る、まるでお城のような場所。
日向君と門倉君はそれぞれ個室を持っていて、その子供部屋というにはあまりにも贅沢すぎる空間に、僕はただ言葉を失った。
居候で祖母と同室の僕には、考えられない世界だ。
初めてお邪魔した日、家政婦さんがケーキと紅茶を出してくれた。
まさか自分の分とは思わず手を着けない僕に、日向君が食べるよう勧めてくれた。
緊張しつつ口にしたケーキは、緊張してても味が分かるほど、甘くて美味しかった。
久しぶりの感覚だ。
柔らかい食感も甘さも、『おやつ』の習慣でさえも、伯父家に引き取られる以前から途絶えていたから。
その日から、毎日のように日向家にお邪魔していた。
放課後ともなれば一緒に帰ろうと誘ってもらい、そのまま家に呼んでもらえた。
家ではゲームをしたり宿題をしたり、『おやつ』まで食べさせてもらった。
いつも図書室や公園で時間を潰していた僕には、夢のような時間だった。
交流を持つうちに、少しずつ会話もできるようになった。
それでもまだまだ拙くて、まったく応えられないときもある。
そんなとき、日向君は門倉君と違い素直に苛立ってみせた。
最初こそ怖かったけど、日が経つにつれ今度は申し訳なさでいっぱいになった。
彼の苛立ちは怒りではなく、どうしていいか分からないジレンマに見えたから。
異色の組み合わせは、学校中の反感を買った。
人気者二人の間に僕が無理矢理割り込んだと、陰口を叩かれる。
でも直接文句を言ってくるコはいなかったし、虐めなんかも全然なかった。
みんな、日向君たちに告げ口されるのを恐れていんだ。
僕も恐れていた。
日向君たちに見離されたとき、これまでの鬱憤が全部僕に向くだろう、と。
結局そんな日は来ず、逆に僕の周囲には少しずつ人が増えた。
誰にでも気さくな二人が、僕を含んだ輪に、いろんな生徒を呼んでくれたおかげだ。
そうやって打ち解けていくうちに、僕の極端な人見知りに理解を示してくれる人もできた。
学校が楽しいと言えるまでになったのは、すべて二人のおかげだ。
友人が増えても、僕たち三人は一つのグループとして扱われた。
進級でクラスが別れても、門倉君も日向君も、毎日僕を迎えにきてくれたから。
どう見ても、僕たちは仲良しだろう。
親友と思われてるかもしれない。
でも、本当はそんなんじゃないんだ。
日向君たちは優しすぎて、僕を見捨てられなかっただけ。
特に門倉君は、僕と似た境遇だからか、いつでも気遣ってくれている。
悲しいことに、門倉君はお母さんを早くに亡くしている。
唯一の家族である父親とも離れ、一人日向家でお世話になっていた。
それを聞いたとき、迂闊にも「お父さんは?」と尋ねる僕に、門倉君は言葉を濁して曖昧に微笑った。
日向君はやけに厳しい顔をしてたから、これは訊いてはいけないことだったんだ。
彼も、僕と同じかもしれない。
同じように、家族から「いらない」と切り捨てられたのかも。
だから門倉君は、異常なまでに僕を気に掛けてるんじゃないかな。
同じく家族に捨てられた僕は、お風呂に入るにも消しゴム一つ買うのにも、伯父一家の顔色を窺わなきゃいけない。
その都度、祖母に頭を下げることで、学用品はどうにか賄えている。
でもそれも、中学に進んだらどうなるのかと、いつも不安だった。
その点、門倉君は違う。
裕福な日向家に暖かく迎え入れられ、実の家族以上の愛情を注がれていた。
だからって、羨ましいとは思えない。
どれほど恵まれていても、実の母を亡くし父とも疎遠になった彼が、今の状況を喜んでるわけないもの。
そして、日向君。
彼の境遇も、少しばかり特殊だった。
外から見る限り、日向家ほど理想的な家族は他にない。
ご両親は仕事で忙しい分、愛情持って子供たちに接していて、甥である門倉君のことも実子と分け隔てなく可愛がっている。
僕みたいな子供相手でも、とても丁寧に話しかけてくれるし、優しくもしてくれた。
どっから見ても、非の打ちどころがない人たちなんだ。
でもそれは、見ように寄っては酷く嘘くさくもあった。
完璧な両親、完璧な家庭――まるで『理想の家族』という舞台を、日向君も含めた全員で演じてるかのようだった。
もしかしたら、彼も、彼の家族も、どこか壊れてるのかもしれない。
だからなのか、日向君と門倉君は、お互いをとても大切にしていた。
日向君の心の内を占めるのは、いつだって門倉君のこと。
誰にでも優しいけど、そういうのとは比較できない愛情を、門倉君にだけ向けている。
門倉君のほうも、まったく同じ愛情を、日向君へと注ぎこんでいた。
彼らは、従兄弟以上の強い絆を求めあい、そして結ばれているのだろう。
それは、ひょっとしたら『恋』やそれに近いものかもしれない。
正直言うと、『恋』なんて言葉が浮かんだのはもっと後だけど、二人を近くで見てきた僕は、彼らの想いの深さをずっと肌で感じていた。
小学校卒業後の進路は、別々。
僕は公立中学へ、日向君と門倉君は私立中学に行く予定になっている。
日向君と門倉君が私立中学を目指すのは、不思議でもなんでもなかった。
日向君はもともとすごく優秀だし、門倉君もかなり努力していた。
だから大好きな二人が志望中学に受かったとき、僕は心の底から喜んだんだ。
でも門倉君は、あまり嬉しそうじゃなかった。
ううん、喜んではいたけど、どことなく様子がおかしかった。
日向君も似たような感じだったけど、もともと子供っぽい喜び方をする人じゃないから、あまり気にならなかった。
それよりも、門倉君のほうが気に掛かる。
でも僕が訊いても、門倉君は「なんでもないよ」としか言わない。
受かったのは素直に嬉しいと言うし、僕の思い過ごしかもしれない。
中学の入学式まであと数日というとき、僕は二人に呼び出された。
小学校のときとは違い会う時間が減るからと、携帯を渡された。
僕の従兄弟は持ってるけど、僕は携帯なんか持ったことがない。
これから先も、持つ予定はないだろう。
あれは、お金がかかるもの。
断ったら、日向君がムッとした。
「料金なら、心配いらないから」
「だ、駄目だよ。いらないよ……」
「なんで!!」
「ルカッ」
あまりの剣幕に、身が竦んだ。
どうしてそこまでと思う以前に、激昂する日向君自体初めてのことで、僕はオロオロするしかなかった。
見かねた門倉君が、引っ張るようにして日向君を連れて帰った。
苛立たせたことは、数え切れないほどあった。
でも最近では、それもめっきり減っていた。
そもそも日向君は、あまり怒るタイプじゃない。
それなのに、こうまで激怒させるなんて、僕の落ち度だ。
中学に行ったら、会えなくなるかもしれない。
もしかしたら、今日が日向君に会える最後の日かもしれないのに、こんな別れになってしまったのが悲しかった。