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日向琉夏交響曲(シンフォニー)

俺と保は、揃って私立中学に合格した。
根岸は、まるで自分のことのように喜び、心からのおめでとうを言っていた。
だけど、俺の心境はなんとなく複雑だった。
保に言われたことが引っかかっていたのか、はたまた別のことなのか、とにかく素直に喜べなかった。
とにもかくにも、中学という新たな世界が拓けるのは、悪いことじゃない。
互いの場所は異なるが、俺たちの関係に差して支障はないだろう。

だが俺は、入学式を前にしてイラつくことになった。
携帯の類を持っていない根岸と、どうやって連絡を取り合うのか考慮していなかったせいで。
いままでは、学校で会えた。
長期休暇も、図書館か公園に行けば、根岸を捕まえることができた。
だがしかし中学となった今は、そう簡単にはいかないだろう。

解決策なんて一つしか思いつかず、俺と保は携帯ショップに走った。
そして親名義の携帯を契約し、すぐさま根岸に渡した。

「だ、駄目だよ。いらないよ……」

なんか知らんが、カチンときた。

「なんで!!」

「ルカッ」

それは、もはや怒声だった。
萎縮する根岸を見なくとも、完全に俺が悪い。
それでも怒りの収まらない俺を、引き摺るようにして自宅まで連れ戻したのは、保。
結局、携帯は渡せなかった。

「あれは、ルカが悪いよ」

「うん、ごめん」

「普通、遠慮するって分かるでしょ」

「ごめん」

「もう少し、うまく言わなきゃ……」

「じゃあ、どう言えばいいんだよ」

「……」

保にも解決策はないらしい。
普段はビクビクして、他人の意見に逆らわないくせに、根岸は妙なところで頑固だった。
無用な施しは、絶対に拒否するタイプなんだよな。

「なんだろ……なんだか、不安になってきた」

「なにがだよ?」

「なんとなく、僕たち、このままじゃいられない気がする。すごく変わっちゃいそう……」

「そりゃ、中学生になるわけだし」

「うん、そうだね……。たぶん、それが、大人になるってことなんだよね……」

保の予感は、おおよそ当たった。
俺たちを取り巻く環境の変化に、まずは俺が一歩踏み出すことになったから。

最初の一年は、まだよく分かっていなかった。
俺も保も、小学校の延長のつもりでいたから。
だが肉体の変化に伴い、俺は嫌でも自覚していった。
自分が、いかに周囲に影響を与えるかを。

物心ついた頃から、俺への賛辞といえば『可愛い』が当たり前だった。
それは保も同じで、結婚式ともなれば俺は必ずリングボーイを、保は……フラワーガール(笑)を依頼されるほど。

小学校に進むとさらに周囲は加速し、気が付けば俺と保は揃って王子様などと呼ばれるようになっていた。
中学校でも変わらぬ扱い、だが小学校のときとは歴然とした差があった。
保は女子も男子も惹き付ける、天使のように愛らしい王子様のまま。
俺はといえば『可愛い』よりも『イケメン』が際立ち、そこに性的な含みが混じるようになっていった。

女を知ったのは、中二のとき。
相手は一つ上の先輩で、誘われて興味本位で寝た。
終わってみれば、「こんなもんか」としか思わなかった。

それから、いろんな相手と、請われるままにヤッた。
その都度「ヤるだけ」と口頭で確認して。

初めこそ断っていたものの、そうすると俺の友人に攻撃的になる女ばかりで、仕方なく……。
いや、これは言い訳だ。
結局、「こんなもんか」と言い放っても、快感は本物だった。
気持ちいいし、相手が悶えれば悶えるほど、気分が高まる。
それは支配欲とか征服欲やら、呼ばれるものだろう。
俺は、確かにその瞬間酔っていた。
だが終わってみれば、「こんなもんか」と醒めるのもまた、事実だった。

ヤリ友、セフレ、呼び方はなんでもいいが、俺のアドレス帳にはそればかり増えた。
当初は俺もウブだったから、彼女気取りの女たちが揉めることもあったけど、今では完全に俺のほうで制御できている。
俺のプライベートに入りたがる女など論外で、誰も彼もが、ヤルだけという認識のもと、それ以上は求めさせない。
だから、排泄気分で楽しんだ。
当然、保にはいい顔されなかったが、セフレとの関係を制御できてるうちは、不問に伏すとのことだった。
だからこそ、遊び方には気を使っていたのだ。

根岸と会う時間は、少しずつ減っていった。
保のほうは頻繁に会っていたが、俺のほうはそうもいかなくなったんだ。
所詮は10代の男、持て余した性欲は発散せねばなるまい。

中三にもなると、相手は女だけに止まらなくなっていた。
言っとくけど、俺から手を出したわけじゃない。
後輩の男子に告白され、断ったら「せめて抱いて欲しい」と言われただけだ。
俺の魅力は男女共通ってことらしい。

やってみると、思いのほか善かった。
なにより、妊娠の心配はないし、性別が性別なだけに、一ミリ足りとてこっちに期待なんかしてこない。
つまるところ、女よりも男のほうが、数段扱い安いってことか。

自分の乱れっぷりは、自覚している。
だからではないが、日を追うごとに根岸からは遠ざかった。
汚れた俺を見せたくないとか、そんな殊勝な心掛け持ち合わせちゃいない。
単に根岸の顔を見ると、イライラするってだけだった。

保は、それにも言及しなかった。
苦言一つ呈してこなかったんだ。
それもそのはずか。
こういう展開を、保こそとうに予想してたんだもんな。

これが、俺にとっての大人ってことなんだろ……。



それは、まさに青天の霹靂と言えた。
中三も終わりに近付いたころ、授業中に突如保が倒れたのだ。
すでに病院に運ばれたと聞き、別クラスだった俺も残りの授業を欠席し駆けつけた。

「保っ」

病室に駆け込んだら、中に居たおばさん、もとい看護師に睨まれた。
ベッドの上の保が呆れ顔で見ていて、そこで一気に脱力する。

「院内ではお静かに。廊下は走らないように」

「す、すみません……」

もっともなことを言う年配の看護師に、こちらは恐縮するしかない。

「すみません。よく注意しておきます」

保が助け舟を出せば、「何かあればナースコールしてください」とテンプレを言い置き、看護師は退室した。
俺を見てもニコリともしないとか、さすがはベテランさんだ。

「保、いったいどうしたんだよ?」

「貧血っぽい」

「貧血?」

「うん、突然クラッときて、それで……」

「医者はなんて言ってんの?」

「脳貧血だって。一応検査するみたいで、このまま入院だよ」

すぐに母も駆けつけて、医者との話は彼女がしていた。
俺は病室で待つしかなく、その間救急車に乗って興奮したという話を、何度も聞かされる嵌めになった。

「私立でよかったな」

「どうして?」

「こんな時期に入院なんて、普通なら絶望感でいっぱいだろ」

中三といえば、高校受験だ。
でも中高一貫の私立校に通う俺たちには、そんなもの無縁だった。

「そう言われたら、そうだね。だからルカも、こんな時期でも遊んでられるのかー」

「なんか、嫌味っぽいー」

「ルカに、疚しいことがあるからじゃない?」

皮肉たっぷりに言われて、ぐうの音も出てこない。

「なぁ、倒れたのって、もしかして俺のせい?」

「はぁ? 何言ってるの?」

「いや、俺のことで、保に心配かけたかなって……」

反省の意味を込めて言ったのに、保ときたら腹を抱えて笑いやがった。

「あはは、おかしい」

「何笑ってんだよ」

「随分、殊勝なこと言うんだね」

「一応、気にしてんだよ……」

「あのね、僕がルカの放蕩ぶりを嘆いてると思う?」

「だから分かんねーんだよ。保が、何も言わないから……」

「だって、言うようなことじゃないでしょ」

「保……?」

「逆に、何て言えばいいの? セフレなんか駄目だよとか、中学生らしいお付き合いをしなさいとか言うの?」

「もしかして、見放されてんの?」

「まさか」

「最近の俺、ひどくない?」

「ひどいねー、うん、ひどい。それで成績落ちないのは、えらいけど」

保よりも、俺のが成績いいもんな。

「小学生のときから王子様で、今では頭脳明晰なイケメン王子か。もてて当然だよね」

「保も、もてるじゃん」

「僕はね、可愛いからねー」

「自分で言うなよ」

「女子にも男子にもキャーキャー言われるけど、僕なんか、しょせんはお人形だよ」

「おい……」

「なんかさ、動物園の動物に可愛いって言ってるのと同じなんだよね。その点ルカは違う。すごく、生々しい感じがするもん」

「自虐に見せかけた罵倒かよ」

「違うよ、事実を言ってるの。だってさ、誰も彼もが、僕をお綺麗な物だと思ってるでしょ。まるで、生身の人間じゃないみたいに。
そんなの変だよね。僕だって女子の胸に興味あるし、水着見たらドキッとする。一人エッチだってするし……」

俺にとっても、保は大切な存在だ。
だがそれは、大事に仕舞って置きたいってものじゃない。

保がマンガのエロシーンを何度も読み返すのを知ってるし、一人エッチをしてるのも知ってる。
汚れたパンツをこっそり洗ってる現場に、遭遇したこともあるしね。
保が生身の男だって事実を、誰よりも実感している。

「リアルだな」

「そう、これが現実。僕は女子の妄想する天使のような王子様じゃないし、男子が期待する儚いお姫様じゃない」

「つまり、あれか。保も、いろいろ経験してみたいのに、俺ばっかだから悔しい、と」

「さすがに悔しいとまでは思わないし、ルカほど荒みたくないけど、概ねそうかもね。そんな僕が、ルカに何を言えるの?」

「いちいち回りくどいなー」

「悪かったね。とにかく、ルカはルカで好きにしたらいいってこと。ただし、余計な揉め事はごめんだよ」

「はいはい、気をつけます。それで? 今回倒れるに至った悩みとか、ないの?」

「そんなの、分かんないよ。悩みなんて普通の中学生レベルだと思うよ。勉強とか、人付き合いとか」

「まぁ、普通だな」

「それが原因になるなら、大半の中学生は病院行きじゃない?」

「好きなコが、できたとか?」

「それこそ、そんなことで倒れる?」

「さあ? 人に寄っては、あるんじゃないの?」

「好きなコか……今はいないけど、大切な人ならたくさんいるね。伯父さんでしょ、叔母さんでしょ、美優(みゆ)ちゃん」

伯父伯母は俺の両親のことで、美優とは俺の妹のことだ。
幼いときから保の嫁になると息巻いていたが、今でもそれは変わっていない。

「それから……ルカ。ルカはね、特別」

「うん」

「日向家のみんなが好き」

「うん、知ってる」

「でもね、ルカだけは違うの。大切な家族だけど、それ以上に愛してるよ」

そこに世間一般で言うところの、LOVEはなかった。
俺たちの間に、欲に直結する愛情なんかないんだ。
あるのは純粋なもののみで構成された想い。
笑えるほど子供染みているけれど、そんな想いを俺も保も大切にしていた。

「うん、俺も。保は大切な家族だけど、それだけじゃない。誰よりも愛してるよ」

「勘違いしないでよ。僕の愛は、ルカの爛れた男女関係と同じじゃないからね。もっと純粋で高貴で、」

「っ、分かってるし、俺だってそうだよ! だいたいな、保なんかを、そんな目で見るわけないだろ!」

「もう、病室で大声出さないでよ」

「お、お前がっ」

「僕に興奮したら、絶対に許さないから」

「気持ち悪いこと言うな!」
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