日向琉夏交響曲(シンフォニー)
当初は、保と根岸に関わらないつもりでいた。
保が根岸を構うのは、根岸保を守るため。
ただでさえ弄り甲斐ありそうなのに、自分(門倉保)と同クラス同名ときては、幾ばくかの責任を感じざるをえまい。
保は、根岸に同情したんだ。
捨て猫を見るように、根岸を憐れんだ。
実に傲慢な思考じゃないか。
だから俺は、根岸を軽んじるようなマネに、加担する気になれなかった。
いずれ保が飽きるのを、待とうと思っていたんだ。
だがしかし、これは俺が甘かった。いや、バカだった。
保は何も、同情から根岸に関わったわけじゃない。
純粋に、友達になりたかったそうだ。
名前が一緒、同じ転校生、からの、運命だと直感したと言うが、それを聞いてドン引きした。
電波か。
だが、保の言い分は理解した。
はじまりは同情ではなく、いわゆる好意だと言うならば、俺も考えを改めよう。
改めたからといって、保を全般に支持するわけにいかない。
同情でないならば、優先させるべきは、根岸のほうじゃないだろうか。
毎日声をかけてくる保に、果たして根岸はどう思っているのか。
いつまでもまともな会話ができない以上、迷惑してると捉えるべきじゃないのか。
押しても駄目なら引いてみなと言うし、保を引かせるべきか否か、根岸に直接聞くのがいいかもしれない。
回りくどいのが苦手な俺は、放課後に根岸を呼び出すことにした。
俺が直接声を掛けてはまた騒ぎになりかねないから、机に手紙という超古典的な方法を使って。
手紙に名前は書いたし、そのうえで無視されたなら仕方ない。
しかし、根岸は指定の場所に来てくれた。
だというのに、俺だと分かるなり踵を返すから、追いかけて腕を掴んだ。
「ご、ごめ、なさ……ごめん、なさいっ」
ブルブル震えて謝罪される覚えは、俺にはないんだが。
「根岸、謝るようなことしたの?」
「ご、ごめ、ごめ……っ」
「そうじゃなくて、俺に謝らなきゃいけないようなこと、したのかって聞いてんの」
厳しく言ったつもりはなかったが、根岸の肩がビクッと竦んだ。
こういう性質だと理解してたくせに、いつも通りの俺すぎた。
いくら周囲に居なかったタイプとはいえ、怯えさせることくらいちょっと考えたら分かるってのにな。
でも反省してないし、後悔もしていない。
むしろ、ちょっとだけ気分が高揚する。
俺って、虐めっ子体質だったのかな。
だからって、根岸を虐める気ないし、とりあえず謝っとこ。
「俺のほうが、ごめんなさい。とりあえず、泣き止んで」
「な、泣いて、ない……」
「ホントに?」
身長はあんま変わらないのに、根岸はいつも俯いてるから表情が分かり難い。
だから両頬掴んで、無理矢理顔を上げさせた。
こういう接触に慣れてなさそうな根岸が、怯えた目で俺を見る。
そこには、言葉通り涙はなかった。
「ホントだ、泣いてない。良かったー」
ついでとばかりに、根岸の頭を両手で撫でる。
やっぱりビクビクしていたが、構わず撫で続けると震えは止まり、その代わり落ち着きなく瞳が左右に動いていた。
「あのさ、虐めるとかじゃないから。ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
「な、なに?」
「保、あ、門倉保な」
俺が『タモツ』と言った瞬間、根岸が目に見えて動揺した。
そういえば、こいつも『保』だったんだよな……。
「かど、くら……君……?」
根岸は、俺と保が従兄弟同士ってこと、知ってるんだろうか?
学校では知らない奴はいないけど、根岸には伝わってるのかな?
「あいつ……俺の従兄弟なんだけど、知ってた?」
「う、うん……」
なんだ、知ってたのか。
だから俺の呼び出しに、素直に応じたのかな。
にしては、逃げようとしたのが腑に落ちないけど。
「じゃあ、率直に聞くけど、保のこと迷惑じゃない?」
「め、迷惑?」
「うん、あいつ、毎日煩いだろ。根岸、迷惑してない?」
根岸の頭が、すさまじい速度で左右に振られる。
それがノーの意であることよりも、そこまで必死になる姿に仰天した。
「そ、そんな、か、門倉君を、迷惑、なんてっ、そん、そんなっ」
「わ、分かった。分かったから」
「か、門倉君は、僕を気に掛けてくれて、だから、いっぱい、話してくれて、だから…っ」
「迷惑じゃない?」
「め、迷惑な、わけ、ないっ」
「良かったー。じゃあ、これからも、保と仲良くしてあげて」
「え……? いい、の……?」
は? 何言ってんだ、こいつは?
『いいの?』て、どういう意味?
「なにが?」
「あの……門倉君と、いい…の?」
「うん、そう言ってんじゃん。ついでに、俺とも仲良くしよーよ」
「え……」
「でも、仲良くってどうやるんだろ? そだ、今から俺ん家来ない?」
「ええっ」
「いったん根岸の家に寄って、それから俺ん家行こうーよ」
「う、ううん、それは、いい」
「いいって。親に言っとかなくて、いいの?」
「うん、だ、大丈夫……でも、あの」
「じゃあ、決まり。保は掃除当番だから、先に帰って待ってよ」
「え、えええっ」
急に家に誘うなんて、俺はどうかしちまったのかもしれない。
保が迷惑かどうか確認だけのつもりが、どうして突然こんなこと思いついたんだろう?
俺も、根岸と仲良くなりたかったのかな。
たぶん、そうなんだろうな。
成長に伴い、当時の心境も若干理解できるまでになっていた。
俺はやはり虐めっ子体質だったらしい。
真性ではないってだけで、そういう性質を持ってるんだ。
だってさ、根岸がビクビクしてると、楽しいって思うことがちょっとだけあるもん。
でもさ、度を越したら、本気で腹が立つんだよな。
こういうのを、虐めっ子体質って言うんじゃないの?
運のいいことに、根岸以外にはそんな風に思わないから、俺が虐めっ子になる可能性はほぼなかった。
だってさ、当の根岸とはちゃんとお友達してるから、虐めになんて発展しないもんね。
そんなこんなで、小五小六と付き合いが続いたおかげで、根岸のこともいろいろと詳しくなった。
親が離婚してるとか、どっちの親も根岸の引き取りを拒否したとか、いろいろ。
今は親戚の家にお世話になってて、本人は言わないが、相当肩身の狭い思いをしてるらしい。
この話を聞いた保は、ますます根岸にのめり込んだ。
自分と似た境遇に、共感したってわけだ。
実のところ、保の方でもいろいろあった。
小五の終わりに、保の父親が再婚したのだ。
それは、それでいい。いつまでも独り身も気の毒だしな。
だが保の引き取りを、遠まわしに拒否してきたのは、どうなんだ。
もとから再婚を視野に入れての、日向家への託児だったと疑いたくなる。
俺の両親はかなりご立腹だったが、これ幸いと叔父を見限り、今では堂々保を自分の子扱いしていた。
俺だとて例外じゃない。
もっともっと、保を大切に思うようになっていた。
だからこそ、保はたまに自己嫌悪に陥る。
自分がいかに恵まれてるかを認識することで、とてつもなく賎しく思えてしまうそうだ。
こればかりは、持って生まれた運としか言いようがなかった。
そもそも、俺たちにはどうしようもできないじゃないか。
しょっちゅう根岸を家に呼ぶことから、俺の両親も根岸とはかなり懇意だ。
だからって何も変わらないし、両親は根岸の境遇を何も知らない。
根岸は、己の不遇をペラペラ吹聴し、憐れみを誘う性格じゃないからな。
むしろ口が重たくて、俺らが事情を知るまでに、えらい時間がかかった。
しかも、半分くらいが、俺たちの勝手な憶測だし。
いいかげん辟易するほど、根岸は誰のことも当てにしていない。
そして、そういう態度が見え隠れするとき、俺はえらく攻撃的になることがあった。
そういうときは保が根岸に帰宅を促し、その後俺に説教するのが慣例だった。
「僕たち、このまま中受で、いいのかな?」
「何言ってんだよ、保」
私立の中学を受験するのは、かなり前から決まっていた。
保は授業料のことなんかで遠慮してたけど、俺の両親に説得され了承したのだ。
「だってさ。根岸君は、このまま公立中でしょ。なのに僕たちは、私立?」
「それの、何が駄目なんだ?」
「何って……」
「家が近所で、学校だってそう離れてないよ。いつでも会えるじゃん」
「そうだけどー」
「根岸が心配なの?」
「うーん……」
「学校で、うまくやってるのに? 根岸、ああ見えて友達多いよ」
「知ってるー」
ブスッだれる唇を指で掴んでやる。
「もう、やめてよ」
「取られそうだからって、スネんなよ」
「スネてないもんっ」
「スネてんじゃん」
「ルカこそ、たまに怖い顔してるよ」
「え、誰に? 根岸に? あいつ、たまにムカつくもんなー」
「違うよ」
「じゃあ、誰にだよ?」
「いいよ、もうっ」
「なんだよ」
「いいったら、いいのー。ほら、先生来るよ」
私立中学を受けると決めてから、俺たちには家庭教師がついた。
現役T大生の男性だったが、彼は勉強以外にもいろんな話をしてくれた。
いまどき下宿しているらしく、話題はもっぱら下宿屋のこと。
おかげで『青葉荘』という名前は、しっかりと覚えてしまった。
保が根岸を構うのは、根岸保を守るため。
ただでさえ弄り甲斐ありそうなのに、自分(門倉保)と同クラス同名ときては、幾ばくかの責任を感じざるをえまい。
保は、根岸に同情したんだ。
捨て猫を見るように、根岸を憐れんだ。
実に傲慢な思考じゃないか。
だから俺は、根岸を軽んじるようなマネに、加担する気になれなかった。
いずれ保が飽きるのを、待とうと思っていたんだ。
だがしかし、これは俺が甘かった。いや、バカだった。
保は何も、同情から根岸に関わったわけじゃない。
純粋に、友達になりたかったそうだ。
名前が一緒、同じ転校生、からの、運命だと直感したと言うが、それを聞いてドン引きした。
電波か。
だが、保の言い分は理解した。
はじまりは同情ではなく、いわゆる好意だと言うならば、俺も考えを改めよう。
改めたからといって、保を全般に支持するわけにいかない。
同情でないならば、優先させるべきは、根岸のほうじゃないだろうか。
毎日声をかけてくる保に、果たして根岸はどう思っているのか。
いつまでもまともな会話ができない以上、迷惑してると捉えるべきじゃないのか。
押しても駄目なら引いてみなと言うし、保を引かせるべきか否か、根岸に直接聞くのがいいかもしれない。
回りくどいのが苦手な俺は、放課後に根岸を呼び出すことにした。
俺が直接声を掛けてはまた騒ぎになりかねないから、机に手紙という超古典的な方法を使って。
手紙に名前は書いたし、そのうえで無視されたなら仕方ない。
しかし、根岸は指定の場所に来てくれた。
だというのに、俺だと分かるなり踵を返すから、追いかけて腕を掴んだ。
「ご、ごめ、なさ……ごめん、なさいっ」
ブルブル震えて謝罪される覚えは、俺にはないんだが。
「根岸、謝るようなことしたの?」
「ご、ごめ、ごめ……っ」
「そうじゃなくて、俺に謝らなきゃいけないようなこと、したのかって聞いてんの」
厳しく言ったつもりはなかったが、根岸の肩がビクッと竦んだ。
こういう性質だと理解してたくせに、いつも通りの俺すぎた。
いくら周囲に居なかったタイプとはいえ、怯えさせることくらいちょっと考えたら分かるってのにな。
でも反省してないし、後悔もしていない。
むしろ、ちょっとだけ気分が高揚する。
俺って、虐めっ子体質だったのかな。
だからって、根岸を虐める気ないし、とりあえず謝っとこ。
「俺のほうが、ごめんなさい。とりあえず、泣き止んで」
「な、泣いて、ない……」
「ホントに?」
身長はあんま変わらないのに、根岸はいつも俯いてるから表情が分かり難い。
だから両頬掴んで、無理矢理顔を上げさせた。
こういう接触に慣れてなさそうな根岸が、怯えた目で俺を見る。
そこには、言葉通り涙はなかった。
「ホントだ、泣いてない。良かったー」
ついでとばかりに、根岸の頭を両手で撫でる。
やっぱりビクビクしていたが、構わず撫で続けると震えは止まり、その代わり落ち着きなく瞳が左右に動いていた。
「あのさ、虐めるとかじゃないから。ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
「な、なに?」
「保、あ、門倉保な」
俺が『タモツ』と言った瞬間、根岸が目に見えて動揺した。
そういえば、こいつも『保』だったんだよな……。
「かど、くら……君……?」
根岸は、俺と保が従兄弟同士ってこと、知ってるんだろうか?
学校では知らない奴はいないけど、根岸には伝わってるのかな?
「あいつ……俺の従兄弟なんだけど、知ってた?」
「う、うん……」
なんだ、知ってたのか。
だから俺の呼び出しに、素直に応じたのかな。
にしては、逃げようとしたのが腑に落ちないけど。
「じゃあ、率直に聞くけど、保のこと迷惑じゃない?」
「め、迷惑?」
「うん、あいつ、毎日煩いだろ。根岸、迷惑してない?」
根岸の頭が、すさまじい速度で左右に振られる。
それがノーの意であることよりも、そこまで必死になる姿に仰天した。
「そ、そんな、か、門倉君を、迷惑、なんてっ、そん、そんなっ」
「わ、分かった。分かったから」
「か、門倉君は、僕を気に掛けてくれて、だから、いっぱい、話してくれて、だから…っ」
「迷惑じゃない?」
「め、迷惑な、わけ、ないっ」
「良かったー。じゃあ、これからも、保と仲良くしてあげて」
「え……? いい、の……?」
は? 何言ってんだ、こいつは?
『いいの?』て、どういう意味?
「なにが?」
「あの……門倉君と、いい…の?」
「うん、そう言ってんじゃん。ついでに、俺とも仲良くしよーよ」
「え……」
「でも、仲良くってどうやるんだろ? そだ、今から俺ん家来ない?」
「ええっ」
「いったん根岸の家に寄って、それから俺ん家行こうーよ」
「う、ううん、それは、いい」
「いいって。親に言っとかなくて、いいの?」
「うん、だ、大丈夫……でも、あの」
「じゃあ、決まり。保は掃除当番だから、先に帰って待ってよ」
「え、えええっ」
急に家に誘うなんて、俺はどうかしちまったのかもしれない。
保が迷惑かどうか確認だけのつもりが、どうして突然こんなこと思いついたんだろう?
俺も、根岸と仲良くなりたかったのかな。
たぶん、そうなんだろうな。
成長に伴い、当時の心境も若干理解できるまでになっていた。
俺はやはり虐めっ子体質だったらしい。
真性ではないってだけで、そういう性質を持ってるんだ。
だってさ、根岸がビクビクしてると、楽しいって思うことがちょっとだけあるもん。
でもさ、度を越したら、本気で腹が立つんだよな。
こういうのを、虐めっ子体質って言うんじゃないの?
運のいいことに、根岸以外にはそんな風に思わないから、俺が虐めっ子になる可能性はほぼなかった。
だってさ、当の根岸とはちゃんとお友達してるから、虐めになんて発展しないもんね。
そんなこんなで、小五小六と付き合いが続いたおかげで、根岸のこともいろいろと詳しくなった。
親が離婚してるとか、どっちの親も根岸の引き取りを拒否したとか、いろいろ。
今は親戚の家にお世話になってて、本人は言わないが、相当肩身の狭い思いをしてるらしい。
この話を聞いた保は、ますます根岸にのめり込んだ。
自分と似た境遇に、共感したってわけだ。
実のところ、保の方でもいろいろあった。
小五の終わりに、保の父親が再婚したのだ。
それは、それでいい。いつまでも独り身も気の毒だしな。
だが保の引き取りを、遠まわしに拒否してきたのは、どうなんだ。
もとから再婚を視野に入れての、日向家への託児だったと疑いたくなる。
俺の両親はかなりご立腹だったが、これ幸いと叔父を見限り、今では堂々保を自分の子扱いしていた。
俺だとて例外じゃない。
もっともっと、保を大切に思うようになっていた。
だからこそ、保はたまに自己嫌悪に陥る。
自分がいかに恵まれてるかを認識することで、とてつもなく賎しく思えてしまうそうだ。
こればかりは、持って生まれた運としか言いようがなかった。
そもそも、俺たちにはどうしようもできないじゃないか。
しょっちゅう根岸を家に呼ぶことから、俺の両親も根岸とはかなり懇意だ。
だからって何も変わらないし、両親は根岸の境遇を何も知らない。
根岸は、己の不遇をペラペラ吹聴し、憐れみを誘う性格じゃないからな。
むしろ口が重たくて、俺らが事情を知るまでに、えらい時間がかかった。
しかも、半分くらいが、俺たちの勝手な憶測だし。
いいかげん辟易するほど、根岸は誰のことも当てにしていない。
そして、そういう態度が見え隠れするとき、俺はえらく攻撃的になることがあった。
そういうときは保が根岸に帰宅を促し、その後俺に説教するのが慣例だった。
「僕たち、このまま中受で、いいのかな?」
「何言ってんだよ、保」
私立の中学を受験するのは、かなり前から決まっていた。
保は授業料のことなんかで遠慮してたけど、俺の両親に説得され了承したのだ。
「だってさ。根岸君は、このまま公立中でしょ。なのに僕たちは、私立?」
「それの、何が駄目なんだ?」
「何って……」
「家が近所で、学校だってそう離れてないよ。いつでも会えるじゃん」
「そうだけどー」
「根岸が心配なの?」
「うーん……」
「学校で、うまくやってるのに? 根岸、ああ見えて友達多いよ」
「知ってるー」
ブスッだれる唇を指で掴んでやる。
「もう、やめてよ」
「取られそうだからって、スネんなよ」
「スネてないもんっ」
「スネてんじゃん」
「ルカこそ、たまに怖い顔してるよ」
「え、誰に? 根岸に? あいつ、たまにムカつくもんなー」
「違うよ」
「じゃあ、誰にだよ?」
「いいよ、もうっ」
「なんだよ」
「いいったら、いいのー。ほら、先生来るよ」
私立中学を受けると決めてから、俺たちには家庭教師がついた。
現役T大生の男性だったが、彼は勉強以外にもいろんな話をしてくれた。
いまどき下宿しているらしく、話題はもっぱら下宿屋のこと。
おかげで『青葉荘』という名前は、しっかりと覚えてしまった。