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日向琉夏交響曲(シンフォニー)

特別、おかしな家とは思わなかった。
ただ普通とは、少々異なるのかもしれない。
その程度の認識だった。

俺の父母は、ともに弁護士をしている。
父が代表を務める事務所はかなり大手で、母を筆頭に腕のいい弁護士が揃っていた。
だから、金に不自由したことはない。

仕事でいない両親に代わり、家庭内の雑事を担っていたのは通いの家政婦だ。
掃除洗濯はもちろん、俺たちの食事も、遠足のときの弁当も、彼女が作ってくれた。
夜は夜で、シッターがやって来る。
俺はともかく、まだ幼稚園だった妹の風呂や添い寝は、彼女の役目だった。
そこに、なんの不都合もなかった。

両親は、もともと結婚に不向きだったのだろう。
義務としての結婚をし、二人の子をもうけたあとは、仕事にのみ打ち込んでいたのだから。
いや、仕事に打ち込みつつ、自らの楽しみにも耽っていた。お互いに。

父にも母にも、当たり前のように愛人がいた。
だが、決して家庭には持ち込まないし、持ち込ませもしなかった。
傍から見れば破綻してるような夫婦でも、実際のところ、小さな揉め事一つ起こさず、仲睦まじいものだった。
つまり、両者の関係は、相当うまくいっていたというわけだ。
二人の子供である、俺と妹との関係もな。
そう、うまくいっている。
誰もが期待するような冷えた家庭など、そこにはなかった。

公私ともに充実しているからか、両親はある意味とても家庭的な人たちだった。
俺と妹に愛情を注ぎ込み、外にもちゃんと目を向ける。
運動会には揃って参加し、他のイベントにも率先して顔を出す両親は、周囲からの評判も良く、俺たちはまさに理想の家族として見られていた。

おかしなもので、歪であったからこそ、俺たちの家族はうまくいっていた。
両親は互いを尊敬し尊重しあい、男女の意味でなく愛し合っていた。いや、必要としていた。
だからこそ、他所にいくら愛人を作っても、家庭を壊そうとは思わなかったのだ。
俺と妹は、そんな二人を見て育った。
夫婦喧嘩すらしなかった二人だから、不和というものを知らずに成長したってことだ。

母が父を大切に扱えば、妹も自然と父を大切なものとして慕った。
父が母を丁重に扱うから、俺も母とはそういうものだと認識する。
そうしてできた、少しばかり歪んだ幸せな家族の輪に、門倉保(かどくらたもつ)も加わることになった。



小学三年生のある日、珍しくも母が家にいた。
母は真っ黒なワンピースを着て、俺と妹の起床を待っていたのだ。

「葬式」

と言われたのは覚えている。
俺も妹も黒ずくめの服を着せられて、小学校も幼稚園も休まされた。
外では車が待っていて、父お抱えの運転手が暗い顔で挨拶してくれた。

連れて行かれたのは立派な建物だった。
今思えば、葬儀会館だったのだろう。
着いた途端、真っ青な顔をした父が出迎え、そのまま、親族席と書かれた席に座らされた。
正面には花で飾られた祭壇があり、中央には叔母――父の妹の写真が飾られていて、傍らに叔父さんと従兄弟が座っていた。
何があったのか、小学生の俺でも理解できた。

父は厳しい表情で堪えていたが、母は涙を止められなかった。
叔母と母は、親友だったと聞いている。
父の妹であり、母の友人でもあった叔母の家とは、しょっちゅう行き来する仲だった。
だから俺と同じ歳の従兄弟とも、自然と仲良くなっていた。

葬儀は恙無く終了した。
叔母を亡くした従兄弟は、これから叔父と二人でやっていくのだろう。
親交が途絶えるとは思わなかった。
むしろ、以前よりも頻繁に会うべきだと考えていた。

それから二ヶ月。
父が、突然従兄弟を伴い帰宅したのだ。
その日も珍しく在宅してた母が、慌てることなく俺たちに告げる。

「保君は、今日から家の子よ」

と。



突然、我が家にやって来た従兄弟が、はにかんだ笑みで「よろしくお願いします」と言った。
もともと仲は良かったから、俺も妹もすんなり受け入れた。

「ねぇねぇ、日向保(ひなたたもつ)ちゃんになるの?」

妹が無邪気に問えば、父も母も言葉を濁した。
だが従兄弟は気にすることなく、幼子の質問に真摯に対応した。

「ううん、門倉保(かどくらたもつ)のままだよ」

「えー、日向じゃないのー」

プウと頬を膨らませる妹に、母が優しく諭す。

「同じ名前になったら、保君と結婚できないわよ」

「えー、やだー」

そんなわけないのだが、幼稚園児の妹は簡単に信じた。
これでこの話はお終いといわんばかりに、母が妹と保を食卓へと促す。
滅多とないことだが、この日の夕食は母が作ったものだった。
俺も妹も、母の手料理を口にしたのは、数えるほどしかない。
だからだろう、その滅多とない出来事に、妹は保が突如やって来た不自然さをあっさり忘れた。

俺は、不思議だった。
日向家に引き取られたってことは、門倉の叔父さんに何か起こったということだ。
もとから行き来はしていたし親交が厚かったとはいえ、「家の子になる」なんて、あまりにも不自然すぎる。

だから父親に、直接聞くことにした。
妹と保が寝入った時間に、夫婦の寝室を訪れた俺を、両親は追い返さなかった。
そして、妹には言わないようにと口止めしてから、門倉保のことを明かしてくれた。

正直言って、知ってしまえば、なんてことない事情だった。
要は叔父さん一人では、育てきれないということだ。
日によっては夜中帰宅も有りうるなかで、保一人を家に置いておくのが不安で堪らないのだろう。
運の悪いことに、叔父の両親は鬼籍だった。
じゃあ、俺の家のようにシッターを雇うか? 決して安いものじゃないのに。
煮詰まった叔父が、父と母に相談した結果、門倉保は日向家に迎えられることになった。
もともと親しかったから、保のほうでも違和感なく打ち解けられるだろうという判断のもと。

その判断は正しかった。
物怖じしない保は、新しい学校、新しい級友、新しい住人に、あっという間に馴染んだ。
周囲の人間も、可愛らしく人懐っこい保を、ごく自然に受け入れた。
半年も経つと、日向家は、最初から三人兄妹であったと思われるほどになっていた。

そして、保が日向家に来て一年後、俺たちは小学四年生になっていた。
クラスが同じで、席も前と後ろであることから、保はしょっちゅう後ろの俺に話しかけてくる。
今日も、例外じゃない。

「ルカ、知ってる?」

「何を?」

「今日、転校生が来るんだって」

「へぇ、知らない。うちのクラス?」

「知らない」

「なんだよ、聞いてないのかよ」

「転校生が来るらしいとしか聞いてないもん」

「誰が言ってたの?」

「三組の**」

「ふうん」

「どんなコかな? 女子かな? 男子かな?」

「どっちでもいいよ」

「えー、なんでー。ルカは気にならないの?」

「ぜんぜん」

素っ気無く返したら、保が両頬を膨らませた。
こいつは、すぐに拗ねるし、すぐに笑う。

「ほら、先生来るぞ。前向けよ」

「ふーんだ」

予鈴が鳴り、すぐに担任が入ってくる。
いつもどおりの規律礼が済んだら、担任が新しいお友達を紹介しますと告げた。
直後、こっそりと俺のほうを振り向いた保は、なぜだかドヤ顔だった。
三組の生徒から聞きかじった転校生とやらが、このクラスに来たってだけのことなのに、なぜにお前が自慢げなんだ。

「はい、自己紹介してね」

そんなことをやってる間に、件の転校生が教壇に立っていた。
性別は、男子。
ランドセルを背負い俯いた男子が、ボソボソとなんか喋ってる。

「聞こえませーん」

知らない生徒ばかりの中に放り込まれた不安感など、察する気のない女子が厳しく指摘する。
指摘された転校生は、さらに俯いて縮こまった。
慌てて担任が、転校生に代わって自己紹介とやらを始める。

「根岸保(ねぎしたもつ)君です。皆、仲良くしてあげてね」

はーいと小学生らしい大合唱が決まったら、ようやく転校生は席に着いた。

名前を聞いたとき、あーあと思った。
既にそこかしこで雑談が始まっていて、あーあが、げんなりになる。
雑談の内容は聞き取れなくとも、だいたいの予想がついた。
どうせ「保君だって。保君と同じじゃん」とかの類だろう。

俺の従兄弟である"門倉保"と同名なんて、根岸という転校生はホントについてない。
単に名前が同じなら珍しくもないが、残念なことに"門倉保"は、学校中の人気者だった。
女子にも男子にも受けがいい愛らしい外見と、誰からも好かれる明るい性格の保君。
他方、オドオドビクビクしてる転校生の保君。
この大差は、比較対象としてもってこいと思われるんじゃないだろうか。
子供は、時にとても残酷になる。
何かにつけ、人気者の保君と比較するだろうし、それをネタに転校生の保君をからかいかねない。
その程度ならいいけど、下手すりゃ虐めに発展する可能性も。

困ったことに転校生の保君からは、虐められっこ臭がプンプンしていた。
たかが転校の挨拶もできないほどの怯えよう、女子に指摘されビクつく弱さ。
どう考えても、虐められっこ体質だ。
だからって俺にはどうにもできないし、関係もない。
できれば揉め事なんか起きてほしくないが、それだって、俺に火の粉が降りかからなきゃどうでもよかった。



休み時間になると、転校生の回りには人が集まる。
これは世の常であり、保だってそうだった。
だから、根岸保の周囲にも、人だかりができるだろう。
既に女子数人が、根岸をタゲッてることだし。

だが、その女子たちが動く前に、俺の前に座る保が動き出した。
まるでマッハのごとき早業で、根岸の机に体当たりしたのだ。

「うぐっ」

あーあ、モロに机にぶつかりやがった。
そりゃ、くぐもった悲鳴も出るわな。
バカな保は痛みに悶絶しつつ、それでも机にしがみついていた。

「ぼ、僕、」

お、痛みに耐えての自己紹介か。なんか知らんが、がんばれ。

「僕もね、保って言うんだ。門倉保、根岸君と一緒だね」

ニコッと、万人を魅了する笑みを浮かべ、第一印象はバッチシのはず。
だがしかし、バッチシなはずの笑顔に、根岸は落ち着きなく瞳をうろつかせていた。
挙動不審だ。

「あのね、僕もね、去年、転校してきたんだよ」

保が明るく話しかけても、根岸の挙動不審は納まらず、結局、何も喋らず項垂れた。

「ねぇ、どこから来たの? 前の学校はどんな感じだった?」

めげない保が、いじらしい。
だがしかし、このままでは、周囲への反感に繋がるんじゃなかろうか。
人気者の保君がここまで気に掛けてるのに、あの転校生は無視をしたってな具合に。
さあ困った。さあ、どうしよう。

という俺の心配は、どうにかこうにか杞憂とまで言い切れるまでになった。
あっという間に、保と根岸保は友達になったから。
俺という存在も含めてね。
気が付けば三人一緒が当たり前になっていて、周囲もなんとなく三人組として見てくれるまでになったんだ。
偏に、俺と保の努力の賜物だ。

だからって、根岸自身に、大きな変化はないけど。
友人とカテゴライズされた今も、俺たちに対する態度は、相変わらずビクビクオドオドしている。
半端ない人見知りスキルは、常時フル稼働ってわけだ。

それでも、最近は少し笑うようになった。
声も、少し大きくなった。

「おはよう」

と俺が言えば。

「おは…ょ……」

と返してくれる。
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