幼少期編
名前変更
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最初は怖い大人が追いかけてくる場面だった。
でもそれはすぐ終わって、酷く泣きたくなるようなやさしい夢をみた気がする。
大きな手が優しく頭を撫でてくれてて、あったかい手だった。
何処にも行って欲しくなくて私はその人に縋ってた。
でも、この頭を撫でてくれる人は一体誰だろう。
***
閉じていた目を開ければ、そこから涙がぽたぽたと零れ落ちた。
袖で目元を拭って寝ぼけた頭で左右を見渡せば私は知らない間に布団の上で寝かされてた様だった。
格子から差し込む光で朝が来た事を知る。…あの大男は部屋には居なかった。
勝手に出ていくなら今が絶好の機会でもある訳だが、風呂場やら色々つれて行かれて感じたが正直この家の構造が全く分からない…というより私のいた家とは比べ物にならないぐらい広いのだ。
そんな中考えなしに出歩いた所で逃げ出せないし、どうしたものかと悩んだ末にとりあえず布団を畳んでしまおうと起き上がる。
母に習った通りに片付け終わった所で部屋の襖が開いた音がしてそっちを向く。
「おはよう、よく寝てたね」
「………。」
扉を開けた相手は昨日のあの大男で、私は警戒心から無言でじりじりと後ろに下がっていく。
私の行動が不思議なのかそいつは首を傾げつつ部屋の中へと入ってくる。
「どうしたの?そっちは壁だけど」
「う、うるさい。あっちいけ」
「あっちいけって言われてもねえ。朝ご飯食べないの?」
そう聞かれた途端、都合よく私のお腹が空腹を訴えて小さく鳴る。
まんまと見透かされたみたいで恥ずかしさに顔が赤くなっていく。
お腹の音はそいつにも聞こえた様で小さく笑われてしまった。
「ほら、顔洗って身支度したらご飯にしよう。という訳で…よっこいしょ」
「へ…うわぁ!」
大股で歩いて来たそいつは昨日と同じ様に私の体を持ち上げる。
なんで一緒に移動するのにいちいち持ち上げるんだ。やっぱり猫と一緒の扱いをされているのか?そういう事なのか?
「おろせってば!自分で歩ける!」
「まだ足の裏の傷治りきってないし、こうした方が早いしいいじゃない。ほらいい子いい子」
昨日と同じ様にあやす様に背中を叩かれながらそう言われてしまう。
これはもう多分何言っても無駄だと悟った私は項垂れて為すがまま連れて行かれる事にした。
…その方が無駄な労力を使わなくて済むという判断だ。こいつに屈した訳じゃない。
大男に見守られつつ洗面など身支度を済ませた後、また部屋に戻って来て用意されていた朝ご飯を食べる。
最初、毒とか…と昨日と同じ事を言いかけたが思ってた事が見透かされてたようで大男が先に一口食べてから「安心してお食べ」と差し出された。
そう言われたら素直に食べる他なく、料理に罪はないのでそのまま全部頂いた。
「よし、朝ご飯が終わった所でお話ししようか子猫ちゃん」
言われるまま正座して座り直し、私とそいつはお互い向き合う形になる。
大男の方は足を揃えて横座りしていて、母さんがするような座り方をするので不思議に感じたがとりあえず横に置いておこう。
「…話すって、何を話すの」
「とりあえず自己紹介しようか、昨日は寝ちゃったしね。…私は雑踏昆奈門。タソガレドキ城に仕える忍軍の組頭だ」
「…忍者…くみがしら、って…ぅ、え。それって、一番えらい人…?」
「うーん、忍軍の中ではそうなるかな。忠誠を誓って仕える城主がいるから単純に一番偉いって表現は間違っているけども」
驚いた。忍者だったからこの男、雑渡はこんな服装だったのか。
うちの家系はそういうのとは無縁だったから話でしか知らなかったけれど…草刈り鎌でこいつに襲い掛かった時によく殺されないで済んだなと生唾を飲み込む。
「それで子猫ちゃん。君の名前はあるのかな?」
「私の名前は…」
尋ねられて膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
思った状態とは違う感じに事が進んでしまったがどちらにせよ私は人を襲う事という行為を決行したのだ。だったら、こう言う他ないだろう。
「名前は…人を襲うと決めた時に父さんと母さんに返した。両親はきっと真っ当に生きなさいって言うと思ったけど、私は二人の願いを裏切ったから。だから私の名前はない」
「…なるほどね。じゃあ名無しの子猫ちゃんか」
「あの、名無しは合ってるけど私は猫じゃない」
訂正するも、それじゃあ次へ行こうかとそのまま流されてしまった。
これはこれから先もずっと猫だと揶揄されるような気がしてきた。
「それで君は今後どうするのかって決めてるのかい?」
「それは…えと……」
雑渡に質問されて答えに困って私は下を向く。
聞かれるとは思っていたが正直今後の事なんて思いつかない。
強盗だってその場しのぎの行為である事は分かってた。
もしあの時物を奪う事に成功していても、食糧やお金が尽きればまた次をやらざるを得ない。堂々巡りになると分かっていてもその日をどうにかする事しか私には方法がなかったのだ。
「…なにも、決めてない」
「そっか、まあそうだろうと思ったよ。さて、そんな子猫ちゃんにこちらから提案だ。…君、うちの忍軍に入るか、住み込みの女中として働く気はないかい」
雑渡の言葉に吃驚して目を皿の様に丸くさせて固まった。
後者の女中は分かる。要するに雑渡達タソガレドキ忍軍の忍者達に対して炊事洗濯その他諸々の世話をしてくれという事だろう。
だが前者の忍軍に入るとはどういう事だ?
「わ、私の家は普通の農家だ。忍者の家系でもないし武家の子でもないから戦う鍛錬なんてやったことない」
「分かってる分かってる。だから、君が忍として生きていきたいと選ぶなら私や他の小頭からの指導を受けてもらうよ。辛く厳しいかもしれないが、君が辞めたいと言わない限りこちらも本気で一から教えてあげよう。…忍術学園の様な教師と生徒と似た感じになると思ってくれていい」
そう告げられて私の中で迷いが生まれる。
忍になるという事は、いつか月日が経てば戦いに身を投じる事になるんだろう。
あの日…村の大半の人が沢山死んでしまった光景が脳裏に過る。
仲良くしてくれていた近所のご夫婦も、ずっと一緒に遊んでた友達も、大好きだった両親も皆炎と赤い池の中に沈んでいった。
あの時私に強さがあれば、あの場から誰か一人でも救えただろうか。
「ま、忍の道を選んでも一応家事手伝いはしてもらうよ。さて、どちらがいい?」
「……。」
返答に悩んで口を閉じた私を見てる雑渡の目は真剣の様に見えた。
さっきまで茶化していた様子とは何か違うと子供ながらに感じ取れる。
…きっとこの大人は、本当に私を騙さない。
ずっと疑ってかかってたけど、私が忍として生きたいと言えばこの人は本気で一から教えてくれる。
「忍者になったら…私が強くなれたらお前と一緒に戦えるか?」
私がそう聞けば、目を細めて雑渡は口角を上げて笑ったように見えた。
「強くなれたらね。物にできるかどうかは君の努力次第だ」
「…分かった」
それが分かったなら私の答えは決まった。
雑渡の瞳を見つめ返して深呼吸した後、私は自分自身に誓いを立てる様に言葉を紡ぐ。
「私は忍になりたい。逃げ出したり、投げ出さない。私は、お前に認められる様な忍者になりたい…!」
真っすぐ彼の目を見て私が選んだ道を告げる。
この先どんな未来になったとしても選んだ事に後悔はない。これでいい。
「分かった。なら私達は君に忍者の知識と武術を指南しよう。…ようこそタソガレドキ忍軍へ」
雑渡も私の言葉に頷き、歓迎するようにそう言った。
…こうして私はタソガレドキ忍軍に新米の忍として入る事を決め、また組頭である雑踏昆奈門に軍に従事する事を認められたのだ。
「…陣左」
「はっ、」
そんな中、昆奈門が一拍置いて誰かの名前を呼んだと思ったらどこから来たのか彼の隣に見知らぬ男の人がいつの間にか跪いた状態で現れていた。
それを見た私はというと…。
「…うん、来てくれるのはいいんだけど今回は普通に部屋から入ってきてもらった方がよかったかな。ほら、あれ」
「はい?…あ」
驚きの余り脱兎の如く走って部屋の隅で陣左と呼ばれた男を警戒していた。
雑渡が困った風に私を指差してるし、隣の男も眉を八の字にしていたが本当に突然来たのだから驚いたのだ。
口を一文字に結んで陣左という男を見てる間も私の心臓は早鐘の様に鳴っている。
「大丈夫、彼は私の部下だよ。怖くない怖くない帰っておいで~」
雑渡に手招きされて、恐る恐る戻りつつそっと元の場所に戻って座り直す。
多分これが今後の日常になるだろうから、早く慣れた方がよさそうだ…。
「彼は高坂陣内左衛門、君の先輩になる人だ。もう一人先輩として諸泉尊奈門がいるけれど…彼とはまた後で顔合わせしよう。後は君の上司になる山本陣内にも紹介しないとね」
「わ、わかっ……分かり、ました」
名前が色々羅列されて圧倒されるが、先輩や上司と言う事はこれからは目上の人になるのだから頑張って敬語で話さなければならない。
…そうは思うが今までこいつに散々揶揄された事を思い出すとそんな直ぐに敬語で話せない様な気がしてきた。
「それで君の名前だけどこれからも名無しの子猫ちゃんって訳にはいかないし、そうだね…」
黙って私の顔をじっと見るから、同じ様に何度か瞬きしながら雑渡の瞳を見つめ返す。
「…志乃。君は今日からそう名乗るといい。私から君への贈りものだ」
「しの。」
そう言って雑渡は私に名をくれた。口当て越しでも彼が笑っていると分かる。
…私は繰り返して与えて貰った名前を口に出した。
これが今日からの、私の名。何故だか、じん、と胸の奥が熱くなって目が潤んでしまう。
「それじゃ、まずは何処に何があるからの説明かな。陣左も一緒に来てくれるかな」
「承知」
「さぁ、行こう志乃」
立ち上がった雑渡に名前を呼ばれて手を差し出される。
潤んだ目を誤魔化すように手で擦ってから私もその場から立って彼の大きな手を軽く握りしめた。
「…うん!」
こうして、私。志乃はタソガレドキの忍として道を歩む事になった。
これが私が九つの時。今から六年前の出来事だ。
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