第二章
貴女のお名前は?
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街を出で暫く、山中で暫しの休息を取っていた三蔵達四人。
仮寝の夢がヘイゼルに零させた言葉を三蔵が拾い上げた。
「……カラス―――それがお前に斉天大聖の話を吹き込んだ男か」
やはり、と、白煙を吐き出した。
「俺も昔―――その烏に一度だけ会った事がある」
挑発するかのようにその存在を匂わせては姿を見せなかったその男が、此度は直接名無子に―――そして恐らく、悟空にも手を下してきた。
憎悪と殺意は音もなく、しかし今も激しく胸の内で燃え盛っている。
それを鎮める方法は一つしかないと、三蔵は理解していた。
三蔵の足元で腰を下ろしていた名無子が、眉間を曇らせ顔を上げる。
煙草を捨て、袂から銃を取り出すとハンマーを起こした。
「天竺吠登城で妖怪に混じり蘇生実験を担う化学者でもあり
無天経文の継承者にして唯一額に『印』を持たない異端の最高僧―――」
烏が、哭いた―――
「てめェだ。烏哭三蔵法師」
「……やっと"呼んだ"ね」
薄笑いを浮かべた烏へと、殺気混じりの視線が突き刺さる。
「『嫌いな相手にでも、挨拶 だけはキチンとしなさい』って教わらなかった?
―――光明パパに」
放たれた銃弾。
一発、また一発―――
「昔は女の子みたいに可愛かったのにな〜。随分と目つき悪くなっちゃって」
外れている筈もない。しかし、届かない。
烏哭はそれを避ける仕草もなく、真っ直ぐ三蔵に向けて歩みを進め
「そういえばなんか顔色も良くないけど―――どうしたの?」
その銃口が烏哭の胸に触れた。
接近戦に切り替えるも烏哭の笑みは揺るがない。
互いにその攻撃を間一髪のところで避けてはいるが、一方的に玩ばれていることは明白だった。
隙をつき、烏哭の頭蓋に突き付けた銃。
その指が引き金を引くより早く、三蔵の利き腕を打った一撃に骨が軋んだ。
六字真言を唱え発動した魔戒天浄が―――空に消えた。
何が起きたか分からず呆然とする三蔵を、烏哭が嘲笑う。
「この程度って事はないよね?『第三十一代目 玄奘三蔵』 」
銃も持てず、魔天経文も破られた。
それでも三蔵の足は止まらない。
「うぉぉおおおお!!」
雄叫びを上げ殴りかかった三蔵の拳をひらりと避け往なす。
「幼名は『江流』。生後まもなく小舟で放置され、第三十代唐亜光明三蔵法師によって救助、保護される―――」
繰り広げられる一方的な攻撃の合間、烏哭の問わず語りが、三蔵自身ですら知らない生い立ちにまで及んでいく。
連連と語られるは、事実か将又―――
「師父・光明三蔵は―――妖怪の凶刃を受け"自ら"死亡」
「デタラメ抜かすんじゃねぇ!!!」
骨の折れる不快な音も、悲鳴じみた叫びの遮げにはならなかった。
烏哭がやれやれと肩を竦め、わざとらしく嘆息を吐く。
「まったく、強情だなぁ。たった一晩の付き合いしかない、ずっと箱の中に閉じ込められてた彼女ですら分かってるっていうのに…―――ねぇ?名無子」
烏哭が思いがけず口にした名前に三蔵の瞳が見開かれる。
その視線の先、三蔵が振り返ると、地面にへたり込んだ名無子が噛み締めた唇に紅を滲ませ、涙に濡れた灰銀の瞳を烏哭へと突き立てている。
「考えたことはなかったかい?光明が不本意にも妖怪に殺されたのだとしたら、どうして名無子が光明を蘇らせようとしないのか。
わかってたからだよ。それが光明の"選択"だったってこと」
三蔵の脳裏に、いつかの名無子の言葉が甦る。
『 大事な人が生きてきた中で形作ってきたものを――その軌跡を壊したくない 』
『 "在るが儘"に自分を生きてほしいし、その延長が死なら、それでいい 』
(名無子が……知っていた…?)
だとすれば―――だとしても―――
「光明は―――アンタの為に死んだんだ」
「黙りやがれェ!!!」
"自分を守って殺された"のではなく"自分のための自死だった"など、到底受け入れられるはずもなかった。
四肢が悲鳴を上げるのも構わず残った力で頭突きを食らわせるが、大したダメージを与えることもないままその身は蹴り飛ばされ、近くの樹木へと強かに打ち付けられた。
「―――待ってェな烏哭はん、やりすぎやわ!!」
青褪めた顔でヘイゼルが口を差し挟む。
しかしガトがヘイゼルに請うた3分も虚しく過ぎ、一発の銃弾も当たらぬままガトの右腕を失ったのみだった。
「邪魔すんじゃねぇ…退いてろ」
四肢を折られ立ち上がることすらできない筈の三蔵が地に蠢き、儘ならない呼吸の合間に声を絞り出す。
「必死だな〜。そんなに恥ずかしい?」
煙草に火を着け醜態を嘲笑う烏哭を前に
「……あぁ…このザマじゃ恥ずかし過ぎて―――『三蔵一行』も名乗れやしねぇ」
震える四肢で身を支え、泥と血に塗れた体を起こした三蔵。
紫暗の瞳は未だ強く光を宿し、真っ直ぐに前を見詰めていた。
「―――うん、なるほど。孫悟空を殺しそびれたのは誤算だったなぁ」
呟き、烏哭の姿が宙に立ち消える。
「なら、別の光を消してしまおうか」
背後から届けられた声に全身が総毛立った。
「名無子!!」
振り向けば烏哭の片腕が、ぐったりと脱力した名無子を抱えている。
「触れられただけでオシマイ。殺せもしない。でも、こうして気を失わせてしまえば力は使えない。簡単なことだよね」
噛み締めた奥歯が軋み音を立てる。如何に動けと命じても、その足は地を踏むに至らなかった。
「ところでさ、この子を抱いた感想は?」
烏哭が名無子の顎に手を添え、顔を持ち上げて下卑た笑みを浮かべる。
「是非聞かせてもらいたいなァ。神仏でヌいた僧は数多いても、紛い物とは言え神仏を抱いたのはアンタだけだろうからねぇ」
「何を…言って―――」
その物言いはまるで―――
眼を見張り言葉を失った三蔵を前に、烏哭は連連と語り始める。
「名無子―――カミサマの成り損ない」
「数千年前、神の手によって神を造り出すという途方も無い計画で生み出された不死の存在。
阿弥陀如来の細胞を核に神通力で形を成したものの自我もなくその後すぐに消滅。
かと思いきや不定期に現れては消えを繰り返し、20年程前光明三蔵と出会うことで名を得、実体を確立。
そしてその力は光を―――時を操る」
名無子の足の裏の紋様を目にした時から、もしやと思っていた。
否―――本当はその力を知った日から、或いはと予見していたのではないか。
目を背け、気付かぬ振りで遣り過ごしていた可能性を、まさかこの男に突き付けられるとは夢にも思わなかった。
「超日月光だっけ?凄いよね、僕みたいに有を無に還すだけの一方通行じゃない。死を生に巻き戻すことも、そして―――世界の流れそのものにまで干渉しちゃうんだから」
わざとらしく嘆息を吐いていた烏哭の口の端が、歪に上がる。
「でも、それすらも無天は飲み込む―――」
烏哭の背後、姿を現した闇が
「!!?ッ…やめろ………名無子ーーーーー!!!!!」
名無子を虚空へと溶かした。
「安心しなよ。彼女の存在もすぐに君の中から―――この世界から消えるから」
「っっ!!!?」
「って言われても信じられないよねぇ。じゃあ、君自身で試してみよう。
…見に行くかい?本物の闇を」
一歩、烏哭が三蔵へと近付く。
「想像できるかな?『玄奘三蔵』という一人の人間が、始めから存在などしなかった世界を」
そして、また一歩。
「玄奘三蔵という"己"などは存在しない。すべては、他者によって与えられた錯覚に過ぎない」
歩を進めるごとに迫りくる、闇。
「『無一物』―――その教えを今も唱え続ける君に、
すべてを捨てることができるかな?」
己が 侵食されていく
黒く 黒く 闇に染まる
記憶が 過去の軌跡が 俺を形作る全てが
あぁ あの揺らぐ光は 何だったか
金色の太陽と
銀色の―――
「……めろ…―――やめろぉぉおお!!」
" 捨てなくていいよ。三蔵 "
" 大丈夫。だって、ほら――― "
声なき声と温かな感触が、闇から逃れようと手を伸ばす三蔵の背を押した。
「悟空!!」
響いた、何者かの声。
三蔵の手を誰かが掴み、その身を宙へと放り上げた。
反転した視界を掠めたのは、色とりどりの―――光。
「…あーあ、誰がブン投げろっつったよ」
「だって八戒が『引っ張り出せ』って言うからさぁ」
「だからって首の骨まで折ってどうするんですか。下手したら死んじゃいますよ」
懐かしさすら覚える声がぼやけた脳に喧しく響く。
「つーかおい三蔵!名無子は!?」
朧な視界で真紅の髪が揺れた。
「ッッ…名無子……?誰だ…」
痛みに眉根を寄せながら三蔵が声を絞り出す。
「何だと…?」
「………は?さっき俺のこと呼んだじゃん!どこだよ!?」
「三蔵、貴方何言って―――」
悟浄と悟空が苛立ちを滲ませ、頭を強く打ってしまったせいかと八戒がその身を案じていると、
「無駄だよ」
宙に舞い踊る経文を肩へと収めながら烏哭が言った。
「―――貴方が烏哭三蔵法師ですね」
「つか無駄ってなんだよ無駄って!」
烏哭は薄ら笑いを浮かべたままに、両手を広げ問い掛ける。
「逆に君達に問おう。―――名無子って、だーれだ?」
「あぁ!?そんなもん……え…」
「なっ…!?」
「あれ…??」
ずっと、つい今し方まで、強く心に思い浮かべていた彼の人の姿が思い出せない。
確かに今自分が、そして烏哭が口にした筈の名すらも既に忘却の彼方だった。
間違いなくそこにあったはずのものが突如として姿を消し、それに留まらず、そこにあったという認識すらも霞んでいく。
困惑する三人を前に、
「やっと消えた、ね」
烏哭が誰にも届かぬ声で小さく呟いた。
「―――しかし残念だね〜玄奘ちゃん。みっともないトコ見られたくなかったんでしょ?」
揶揄する烏哭に
「―――そりゃ見ちまうよ。そんなん当たり前じゃん」
突き返された金色の瞳。
「一緒に旅してるんだから」
その目に彼の人の光はもう、映っていなかった。
「愉しみにしてるよん♪―――次の夜を」
モンスターをその身に宿したヘイゼルを含む激闘の末、耳障りな烏の哭き声と羽音を纏い、烏哭はその身を闇に翻した。
三蔵一行から離れ、堪えていた笑いを溢れさせる。
「―――く…くくっ……あっははははは!!」
餞別にと三蔵が放った銃弾が連れてきたのは
「光明、あんたの子供からいーモノ貰っちゃった」
本物の、闇―――
血に濡れた掌でそこにあるはずの銀月を握り潰し
「しかし……憐れだねぇ。失くしたことにも気付かないなんてさ」
小さく呟いた。
その身を地面に打ち捨てた三蔵一行の耳に響くは、木々を駆ける夜風とそして―――
「………虫、すげーーー鳴いてやがんな…」
「……うん」
「あれ。三蔵、生きてます?」
「…生きてちゃ悪ィか」
先程まで死闘を演じていたとは思えぬ気の抜けた空気。
しかしそれは、間違いなく"三蔵一行"のそれであった。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、込み上げる可笑しさに全身の傷を痛ませながら身を震わす。
事実、誰もが満身創痍。このまま意識を手放せば最悪目覚めない可能性すらあると、八戒がある提案をした。
「三人でジャンケンでもします?」
「負けた奴がジープまで"荷物"運ぶってか」
「……てめェらな…」
荷物扱いされた三蔵が眉を顰めるが、八戒は無視して重い片腕を天へと突き上げた。
「はい、じゃあ―――最初はグー、じゃんけん」
「「「「ほい」」」」
掲げられた四本の腕。一つ、多い。
「あれ?三蔵」
「なんで『荷物』が参加してんだよ」
「誰がてめェらなんかに運ばれてやるか」
「お好きにどうぞ。あいこで―――」
「ちょっと待て」
二戦目を止めた声に、三人が視線を走らせる。
「おい―――なんだこれは」
掲げた腕。インナーと繋がった中指のリング。その隣、煌めいた見覚えのない金色の輪と月光色の石に三蔵が眉を上げた。
「三蔵、指輪なんかしてましたっけ?」
「なんだって…俺らに聞かれても」
「つーかお前、左手の薬指って…チェリーちゃんの癖に生意気な」
悟浄の悪態すらも、三蔵の耳には届かなった。
(何だ……何か……)
得体の知れぬ違和感が三蔵の鼓動を逸らせる。
ふと、何かに引き付けられるように紫暗の瞳が結ぶ焦点が移動していく。
指輪のその奥、木々の向こう―――夜空に浮かぶ、白銀の満月へ。
『 これ見て、私のこと思い出してね 』
指輪から放たれた同じ色の光が三蔵の視界を眩く染め上げた―――
仮寝の夢がヘイゼルに零させた言葉を三蔵が拾い上げた。
「……カラス―――それがお前に斉天大聖の話を吹き込んだ男か」
やはり、と、白煙を吐き出した。
「俺も昔―――その烏に一度だけ会った事がある」
挑発するかのようにその存在を匂わせては姿を見せなかったその男が、此度は直接名無子に―――そして恐らく、悟空にも手を下してきた。
憎悪と殺意は音もなく、しかし今も激しく胸の内で燃え盛っている。
それを鎮める方法は一つしかないと、三蔵は理解していた。
三蔵の足元で腰を下ろしていた名無子が、眉間を曇らせ顔を上げる。
煙草を捨て、袂から銃を取り出すとハンマーを起こした。
「天竺吠登城で妖怪に混じり蘇生実験を担う化学者でもあり
無天経文の継承者にして唯一額に『印』を持たない異端の最高僧―――」
烏が、哭いた―――
「てめェだ。烏哭三蔵法師」
「……やっと"呼んだ"ね」
薄笑いを浮かべた烏へと、殺気混じりの視線が突き刺さる。
「『嫌いな相手にでも、挨拶 だけはキチンとしなさい』って教わらなかった?
―――光明パパに」
放たれた銃弾。
一発、また一発―――
「昔は女の子みたいに可愛かったのにな〜。随分と目つき悪くなっちゃって」
外れている筈もない。しかし、届かない。
烏哭はそれを避ける仕草もなく、真っ直ぐ三蔵に向けて歩みを進め
「そういえばなんか顔色も良くないけど―――どうしたの?」
その銃口が烏哭の胸に触れた。
接近戦に切り替えるも烏哭の笑みは揺るがない。
互いにその攻撃を間一髪のところで避けてはいるが、一方的に玩ばれていることは明白だった。
隙をつき、烏哭の頭蓋に突き付けた銃。
その指が引き金を引くより早く、三蔵の利き腕を打った一撃に骨が軋んだ。
六字真言を唱え発動した魔戒天浄が―――空に消えた。
何が起きたか分からず呆然とする三蔵を、烏哭が嘲笑う。
「この程度って事はないよね?『第三十一代目 玄奘三蔵』 」
銃も持てず、魔天経文も破られた。
それでも三蔵の足は止まらない。
「うぉぉおおおお!!」
雄叫びを上げ殴りかかった三蔵の拳をひらりと避け往なす。
「幼名は『江流』。生後まもなく小舟で放置され、第三十代唐亜光明三蔵法師によって救助、保護される―――」
繰り広げられる一方的な攻撃の合間、烏哭の問わず語りが、三蔵自身ですら知らない生い立ちにまで及んでいく。
連連と語られるは、事実か将又―――
「師父・光明三蔵は―――妖怪の凶刃を受け"自ら"死亡」
「デタラメ抜かすんじゃねぇ!!!」
骨の折れる不快な音も、悲鳴じみた叫びの遮げにはならなかった。
烏哭がやれやれと肩を竦め、わざとらしく嘆息を吐く。
「まったく、強情だなぁ。たった一晩の付き合いしかない、ずっと箱の中に閉じ込められてた彼女ですら分かってるっていうのに…―――ねぇ?名無子」
烏哭が思いがけず口にした名前に三蔵の瞳が見開かれる。
その視線の先、三蔵が振り返ると、地面にへたり込んだ名無子が噛み締めた唇に紅を滲ませ、涙に濡れた灰銀の瞳を烏哭へと突き立てている。
「考えたことはなかったかい?光明が不本意にも妖怪に殺されたのだとしたら、どうして名無子が光明を蘇らせようとしないのか。
わかってたからだよ。それが光明の"選択"だったってこと」
三蔵の脳裏に、いつかの名無子の言葉が甦る。
『 大事な人が生きてきた中で形作ってきたものを――その軌跡を壊したくない 』
『 "在るが儘"に自分を生きてほしいし、その延長が死なら、それでいい 』
(名無子が……知っていた…?)
だとすれば―――だとしても―――
「光明は―――アンタの為に死んだんだ」
「黙りやがれェ!!!」
"自分を守って殺された"のではなく"自分のための自死だった"など、到底受け入れられるはずもなかった。
四肢が悲鳴を上げるのも構わず残った力で頭突きを食らわせるが、大したダメージを与えることもないままその身は蹴り飛ばされ、近くの樹木へと強かに打ち付けられた。
「―――待ってェな烏哭はん、やりすぎやわ!!」
青褪めた顔でヘイゼルが口を差し挟む。
しかしガトがヘイゼルに請うた3分も虚しく過ぎ、一発の銃弾も当たらぬままガトの右腕を失ったのみだった。
「邪魔すんじゃねぇ…退いてろ」
四肢を折られ立ち上がることすらできない筈の三蔵が地に蠢き、儘ならない呼吸の合間に声を絞り出す。
「必死だな〜。そんなに恥ずかしい?」
煙草に火を着け醜態を嘲笑う烏哭を前に
「……あぁ…このザマじゃ恥ずかし過ぎて―――『三蔵一行』も名乗れやしねぇ」
震える四肢で身を支え、泥と血に塗れた体を起こした三蔵。
紫暗の瞳は未だ強く光を宿し、真っ直ぐに前を見詰めていた。
「―――うん、なるほど。孫悟空を殺しそびれたのは誤算だったなぁ」
呟き、烏哭の姿が宙に立ち消える。
「なら、別の光を消してしまおうか」
背後から届けられた声に全身が総毛立った。
「名無子!!」
振り向けば烏哭の片腕が、ぐったりと脱力した名無子を抱えている。
「触れられただけでオシマイ。殺せもしない。でも、こうして気を失わせてしまえば力は使えない。簡単なことだよね」
噛み締めた奥歯が軋み音を立てる。如何に動けと命じても、その足は地を踏むに至らなかった。
「ところでさ、この子を抱いた感想は?」
烏哭が名無子の顎に手を添え、顔を持ち上げて下卑た笑みを浮かべる。
「是非聞かせてもらいたいなァ。神仏でヌいた僧は数多いても、紛い物とは言え神仏を抱いたのはアンタだけだろうからねぇ」
「何を…言って―――」
その物言いはまるで―――
眼を見張り言葉を失った三蔵を前に、烏哭は連連と語り始める。
「名無子―――カミサマの成り損ない」
「数千年前、神の手によって神を造り出すという途方も無い計画で生み出された不死の存在。
阿弥陀如来の細胞を核に神通力で形を成したものの自我もなくその後すぐに消滅。
かと思いきや不定期に現れては消えを繰り返し、20年程前光明三蔵と出会うことで名を得、実体を確立。
そしてその力は光を―――時を操る」
名無子の足の裏の紋様を目にした時から、もしやと思っていた。
否―――本当はその力を知った日から、或いはと予見していたのではないか。
目を背け、気付かぬ振りで遣り過ごしていた可能性を、まさかこの男に突き付けられるとは夢にも思わなかった。
「超日月光だっけ?凄いよね、僕みたいに有を無に還すだけの一方通行じゃない。死を生に巻き戻すことも、そして―――世界の流れそのものにまで干渉しちゃうんだから」
わざとらしく嘆息を吐いていた烏哭の口の端が、歪に上がる。
「でも、それすらも無天は飲み込む―――」
烏哭の背後、姿を現した闇が
「!!?ッ…やめろ………名無子ーーーーー!!!!!」
名無子を虚空へと溶かした。
「安心しなよ。彼女の存在もすぐに君の中から―――この世界から消えるから」
「っっ!!!?」
「って言われても信じられないよねぇ。じゃあ、君自身で試してみよう。
…見に行くかい?本物の闇を」
一歩、烏哭が三蔵へと近付く。
「想像できるかな?『玄奘三蔵』という一人の人間が、始めから存在などしなかった世界を」
そして、また一歩。
「玄奘三蔵という"己"などは存在しない。すべては、他者によって与えられた錯覚に過ぎない」
歩を進めるごとに迫りくる、闇。
「『無一物』―――その教えを今も唱え続ける君に、
すべてを捨てることができるかな?」
己が 侵食されていく
黒く 黒く 闇に染まる
記憶が 過去の軌跡が 俺を形作る全てが
あぁ あの揺らぐ光は 何だったか
金色の太陽と
銀色の―――
「……めろ…―――やめろぉぉおお!!」
" 捨てなくていいよ。三蔵 "
" 大丈夫。だって、ほら――― "
声なき声と温かな感触が、闇から逃れようと手を伸ばす三蔵の背を押した。
「悟空!!」
響いた、何者かの声。
三蔵の手を誰かが掴み、その身を宙へと放り上げた。
反転した視界を掠めたのは、色とりどりの―――光。
「…あーあ、誰がブン投げろっつったよ」
「だって八戒が『引っ張り出せ』って言うからさぁ」
「だからって首の骨まで折ってどうするんですか。下手したら死んじゃいますよ」
懐かしさすら覚える声がぼやけた脳に喧しく響く。
「つーかおい三蔵!名無子は!?」
朧な視界で真紅の髪が揺れた。
「ッッ…名無子……?誰だ…」
痛みに眉根を寄せながら三蔵が声を絞り出す。
「何だと…?」
「………は?さっき俺のこと呼んだじゃん!どこだよ!?」
「三蔵、貴方何言って―――」
悟浄と悟空が苛立ちを滲ませ、頭を強く打ってしまったせいかと八戒がその身を案じていると、
「無駄だよ」
宙に舞い踊る経文を肩へと収めながら烏哭が言った。
「―――貴方が烏哭三蔵法師ですね」
「つか無駄ってなんだよ無駄って!」
烏哭は薄ら笑いを浮かべたままに、両手を広げ問い掛ける。
「逆に君達に問おう。―――名無子って、だーれだ?」
「あぁ!?そんなもん……え…」
「なっ…!?」
「あれ…??」
ずっと、つい今し方まで、強く心に思い浮かべていた彼の人の姿が思い出せない。
確かに今自分が、そして烏哭が口にした筈の名すらも既に忘却の彼方だった。
間違いなくそこにあったはずのものが突如として姿を消し、それに留まらず、そこにあったという認識すらも霞んでいく。
困惑する三人を前に、
「やっと消えた、ね」
烏哭が誰にも届かぬ声で小さく呟いた。
「―――しかし残念だね〜玄奘ちゃん。みっともないトコ見られたくなかったんでしょ?」
揶揄する烏哭に
「―――そりゃ見ちまうよ。そんなん当たり前じゃん」
突き返された金色の瞳。
「一緒に旅してるんだから」
その目に彼の人の光はもう、映っていなかった。
「愉しみにしてるよん♪―――次の夜を」
モンスターをその身に宿したヘイゼルを含む激闘の末、耳障りな烏の哭き声と羽音を纏い、烏哭はその身を闇に翻した。
三蔵一行から離れ、堪えていた笑いを溢れさせる。
「―――く…くくっ……あっははははは!!」
餞別にと三蔵が放った銃弾が連れてきたのは
「光明、あんたの子供からいーモノ貰っちゃった」
本物の、闇―――
血に濡れた掌でそこにあるはずの銀月を握り潰し
「しかし……憐れだねぇ。失くしたことにも気付かないなんてさ」
小さく呟いた。
その身を地面に打ち捨てた三蔵一行の耳に響くは、木々を駆ける夜風とそして―――
「………虫、すげーーー鳴いてやがんな…」
「……うん」
「あれ。三蔵、生きてます?」
「…生きてちゃ悪ィか」
先程まで死闘を演じていたとは思えぬ気の抜けた空気。
しかしそれは、間違いなく"三蔵一行"のそれであった。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、込み上げる可笑しさに全身の傷を痛ませながら身を震わす。
事実、誰もが満身創痍。このまま意識を手放せば最悪目覚めない可能性すらあると、八戒がある提案をした。
「三人でジャンケンでもします?」
「負けた奴がジープまで"荷物"運ぶってか」
「……てめェらな…」
荷物扱いされた三蔵が眉を顰めるが、八戒は無視して重い片腕を天へと突き上げた。
「はい、じゃあ―――最初はグー、じゃんけん」
「「「「ほい」」」」
掲げられた四本の腕。一つ、多い。
「あれ?三蔵」
「なんで『荷物』が参加してんだよ」
「誰がてめェらなんかに運ばれてやるか」
「お好きにどうぞ。あいこで―――」
「ちょっと待て」
二戦目を止めた声に、三人が視線を走らせる。
「おい―――なんだこれは」
掲げた腕。インナーと繋がった中指のリング。その隣、煌めいた見覚えのない金色の輪と月光色の石に三蔵が眉を上げた。
「三蔵、指輪なんかしてましたっけ?」
「なんだって…俺らに聞かれても」
「つーかお前、左手の薬指って…チェリーちゃんの癖に生意気な」
悟浄の悪態すらも、三蔵の耳には届かなった。
(何だ……何か……)
得体の知れぬ違和感が三蔵の鼓動を逸らせる。
ふと、何かに引き付けられるように紫暗の瞳が結ぶ焦点が移動していく。
指輪のその奥、木々の向こう―――夜空に浮かぶ、白銀の満月へ。
『 これ見て、私のこと思い出してね 』
指輪から放たれた同じ色の光が三蔵の視界を眩く染め上げた―――