第二章
貴女のお名前は?
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三蔵達が砂漠での野宿を覚悟したその日、幸いにして辿り着いたのは軍武装で固められたオアシスのある街だった。
大仰な歓待を受けたその夜、ヘイゼルとの話を終え部屋へと戻る。
「 うんと深い闇色で冷たく澄んどる―――
まるで、砂漠の夜みたいや 」
ヘイゼルの言葉が、三蔵の脳裏に一人の男の姿をありありと浮かび上がらせていた。
「―――大丈夫?」
ベッドに入っても尚、険しい表情で天井を睨み付けている三蔵に、隣から名無子が遠慮がちに声を掛ける。
「…何がだ」
「……何でもない」
「言いたいことがあるならはっきり言え。黙ってても察してやれる程女心には聡くねぇ」
不本意な本音で促せば、
「うん。知ってる…」
「てめッ…」
返されたいらぬ一言。
むすりとしながら、言葉の続きを待つ。
「あのね三蔵」
「あ?」
「私にできること、ない?」
「できること…?」
「うん。何ができるわけでもないんだろうなって、わかってはいるんだけど…
悟空が襲われた時も、今も。みんなが苦しんでたり大変な時に何もできないのが…なんか…悲しい」
自分が下手に動けば事態を悪化させかねないことは十二分にわかっている。
だからこそ、出来得る限り身を守ることだけに専念してはいるものの、それでも助けにはなれない自分へのもどかしさと不甲斐なさは溶けることなく降り積もり、遂には言葉となって溢れた。
その事を察した三蔵が眉根を寄せる。
その存在がどれ程自分の支えになっているか、説いて聞かせたところで名無子は納得しない気がした。
(何か…ね……)
三蔵は一思案すると、身を転じて名無子へと覆い被さった。
「抱かせろ」
「三蔵っ―――ッッ!!」
一言告げ、唇を重ねる。
その隙間から舌を差し入れ、深く貪るように口付けを送った。
やがて名無子の吐息が熱を帯び、そうじゃないと言わんばかりに僅かながらも抵抗を示していた腕が緩んだ頃、三蔵の唇が離れ音を紡いだ。
「……冗談で言ってるわけじゃねぇ」
名無子と肌を重ね、初めて知った悦楽。
金山寺の兄弟子の幾人かがそうであったように、色に溺れ破門になる僧侶が跡を絶たないわけだと納得した。
しかしそれ以上に―――
「お前を抱いてる時が一番、生きていることを実感できる。絶対に死ねねぇと、そう強く思える」
三蔵が生を思うとき、必ず隣には死があった。
だが、名無子と交わる瞬間だけは死が最も遠ざかる。
光と生に満たされるその感覚はこれまでに味わったことのない至福だった。
「これはお前にしかできねぇことで、お前でないと意味のないことだ」
真っ直ぐに注がれる視線は熱に浮かされたそれではなかったが、
「ほんとに…?」
半ば蕩けた思考で今一度確かめる。
三蔵が片眉を上げ、
「性欲満たすためだけにこんなこと言うとでも思ってんのか。どっかのエロ河童じゃあるまいし」
呆れた様に短く息を吐き言った。
久方振りに三蔵の口に上った、名を伏せた意味のない蔑称に名無子が苦笑する。
「三蔵はほんとどっかのエロ河童さんに当たりが強い…」
「お前に粉掛けてくる男は漏れなく敵だ。触れたやつは死ねばいい」
「過激派…」
「で、どうなんだ。嫌ならやめるが?」
「ぅあ……いえ…はい…」
戸惑いと羞恥を頬に淡く滲ませ、頷いた名無子の額に、ふっと微笑を引いた唇で触れた。
「…いい子だ」
固く繋いだ掌。
焼けるような肌と吐息が一つに溶け合い、その境を朧にしていく。
自分が、誰よりも愛しき者が、生きてそこに存在していることを確かに知覚しながら、目眩う程の多幸感と官能の海に溺れていった。
翌日、街の役人からオアシスの案内を受ける三蔵、ヘイゼル。その後方、少し離れてガトと名無子が続く。
「この前は―――」
その図体に似合わぬ小さな声を拾い、名無子が顔を向けた。
「この前はすまなかった」
「…??何が?」
「ヘイゼルが悟空のことを化け物と呼んだことだ」
「あぁ。別に謝らなくていいよ。その考えを否定する気はないし。
ただ私はヘイゼルのことが嫌いってだけで」
何故彼が謝るのかは分からなかったが、大して気にもならない。
淡々と応じた名無子に一度は途切れた会話をガトが続けた。
「……ヘイゼルがあんたの力を借りたいと言っただろう」
「うん」
「あの言葉に裏はない。あんたに害をなす気も。あいつはただ心から、妖怪に殺された人間を救いたいと思っているだけなんだ。それだけはわかってやってくれ」
既に顔を前へと戻していた名無子だったが、再び視線だけで見上げ、少し思案する。
そして、口を開いた。
「ヘイゼルのことが心配……いや、焦ってる?のかな」
「……」
「そんなに時間、ないもんね」
名無子の目に映る光は、まるで腐食し朽ちかけている老木が持つそれのようにも見える。
しかし、その光を繋ぎ止めているのはヘイゼルの力ではないのだろうと名無子は思った。
「…あぁ。その通りだ」
驚いた表情を見せるでもなくガトが名無子の言葉を肯定する。
「大事、なんだ」
「……あぁ」
「そっか」
名無子が小さく息を吐いた。
「………純粋な善意なのはわかったよ。でも、力にはならないけど」
「なれない―――とは言わないんだな」
「うん。なれるけどならない。私は三蔵と行くから」
「……そうか」
「うん」
「おーい。二人共何話しとるん?置いていくでー」
「名無子。さっさと来い」
「はーい」
歩を速めた名無子の背を、ガトが黙って見詰めていた。
その夜、
「是非、お力を貸して頂けませんでしょうか。
妖怪共の集落を全滅させるために」
微笑を浮かべてそう依頼してきた役人に覚えた違和感を拭いきれぬまま、部屋のソファで煙草片手に物思いに耽る三蔵。
その隣で名無子はいつものように黙って寄り添っていた。
「―――お前は、この街をどう見る」
幾本かの煙草が灰皿に押し潰され、コーヒーカップも空になった頃、三蔵が名無子に尋ねる。
少し顔を上げ、ふふっと嬉しそうに名無子が笑った。
「…なんだ」
訝る三蔵に、
「いつもね、そうやって三蔵が私にも聞いてくれるの嬉しいなって」
名無子がそう答え、三蔵の肩に頭を預ける。
腕を回し、その頭を撫でて遣りながら三蔵はふぅと息を吐いた。
「単純にお前が洞察力に優れているというのもあるが……
お前の意見は一切の先入観も偏見もねぇ。
無機質に、無感情に、常に事実だけを見て、その上で分からんことは分からんと言う。
自分の考えを見詰め直すのに都合がいい。
それに、俺には見えていないものが見えているようだからな。
まるで―――神仏の眼のように」
過日、三蔵が抱いた疑惑。
詮無きことと大して気にもしていなかったが、試しに鎌を掛けてみた。
「……」
横目で反応を覗うが、動揺の色は、ない。
何を言っているのかと訝しむ様子もない。
しかし無反応ともまた違うその表情から、感情が読み取れず、
「……なんだその顔は…」
ストレートに尋ねてみる。
すると、
「いや、そう言えば前悟浄に『俺の女神様』って言われたなぁって」
ぽつり回想を口に出した名無子に、三蔵の米神が青筋を浮き立たせる。
名無子の肩を引き、ソファへと押し倒した。
「……なんだ、襲われてぇのかそうかわかった覚悟しろ」
「ちょっ!!なんでっ!?ストップ!!」
「他の男の名前を出すな気分が悪ぃ」
想いが何の誤魔化しも繕いもなく、条件反射的に口上に上がるようになってしまったのはいつの頃からだろうか。
名無子に対してだけとは言え、悋気と妙なむず痒さが三蔵に舌打ちを零させる。
「やきもち…」
「あ゛?何か言ったか」
小さく呟いた名無子を、勢いで威圧し黙らせた。
「何でもないです。で、何だっけ、この街?」
速やかに撤回。話を戻す。
「…あぁ」
三蔵は体勢を戻したが、名無子はソファに身を横たえたまま天井を見上げて話し始めた。
「あんまりちゃんと聞いてなかったけど…オアシスの近くに妖怪の集落があって怖いから全滅してくれ?だったっけ??」
「あぁ。そうだ」
「んー…なんとかしてくれって思ってるのは、その妖怪の方なんじゃないのかなー。とか」
「何?」
「だって、この砂漠で水源押さえられてるんでしょ?その上、これだけ街中で完全武装されてるといくら妖怪でも手の出しようがないんじゃない?
実際、妖怪が暴れたような形跡は見当たらなかったし、『妖怪が恐くて気の休まらない住人達』も……いた?」
さして興味もなさそうに、しかし三蔵の考えを確たるものにするには十分な答えが名無子の口から紡がれる。
「……行くぞ。着いてこい」
不意に立ち上がった三蔵に名無子が身体を起こした。
「どこに?」
「散歩」
僅かに上がった口の端にその意図を把握。名無子が笑う。
「……あぁ。―――なんか、わくわくするね」
「どっかのチビッコ達みたいなこと言ってんじゃねぇよ…」
「どっかのチビッコ達と保父さん、元気にしてるかな」
「……そう易易と野垂れ死ぬようなタマじゃねぇだろ」
「……うん。そうだね」
繋がれた手が、同じ思いを握り締めていた。
翌朝―――
「昨晩は二人して部屋にもおらんと、何処にいてはりましたん?」
朝食の席、ヘイゼルが首を傾げ尋ねた。
連日の豪勢な食事と昨夜の散歩で明らかになった街の思惑に、内心げんなりしながら三蔵が口を開く。
「妖怪が街に現れたそうだな」
「そうなんどすわ。被害が出る前に片しときましたけどな」
「『一寸の虫にも五分の魂』―――知ってるか」
怪訝そうな表情を浮かべるヘイゼルの耳に届けられたのは、
「『魂』ってのは命のことじゃねぇ。―――『誇り』だ」
荘厳な声と、開戦を告げる爆音だった。
「妖怪共が攻め入って参りました!我が町の為にお力をお貸し下さい!!」
駆け込んできた役人達。
その後に続きながら三蔵が役人達の根回しの良さを鼻で笑った。
「濁ってんのは妖怪達からオアシスどころか命まで奪おうとしているあんたらの性根だけだ」
ヘイゼルの瞳が驚愕に見開かれる。
ここに来て漸く、自身が利用されたことに気付いたが既に役人達が描いた絵図の通り。
「さぁ司教様。どうか希望の力をお与え下さい―――我々人間のために」
積み上げられた妖怪の死体を前に、自身を支えていた何かが揺らいだ気がした。
しかしそれでも、
「―――ま、しゃあないな。うちが撒いた種や」
最早引けない状況。
自らを嘲るヘイゼルが手に取ったペンダントを
「お前が納得できないならする必要はない」
ガトの大きな手が握り潰した。
「―――邪魔したな」
妖怪が城内に攻め込んでくる中、踵を返した三蔵に役人が悪びれる様子もなく叫ぶ。
「この状況で見放そうというのか!!たかが妖怪の命を、人間が尊重してやる必要がどこにある!!?」
僅かに眉間を曇らせた名無子の頭に、三蔵は掌を降らせた。
「……あんたらに、たった五分でも誇りがあるなら分かったかもしれねぇがな」
きっと、その言葉すらも理解することはないのだろうと。
憤懣と失望を胸に沈め、三蔵達は街を後にした。
そしてジープもまた、西へと走り出す。
「行こうぜ。西に」
轟いた爆音を背に、悟空が言う。
「蘇生実験止めて……そんでどうにかなるのか なんて、正直分かんねえけど―――でも」
「俺が行きたいから行くんだ」
その目は、悲しみに暮れ膝を付く者の目ではなかった。
自分にとって大事なもの、自分の在るべき場所を明確に見定めた揺るぎない金眼が、前だけを見据えている。
八戒と悟浄の口の端を微笑が染めた。
「その為にはまずリーダー拾い直さないといけませんねぇ」
「俺的にリーダーはどーでもいいんだけどよ。名無子欠乏症がマジでヤバい。一刻も早く会いてぇし触れてぇし嗅ぎてぇ…」
「うわ。悟浄キモ」
「再会の日が命日にならないと良いですけどねぇ…」
「何とでも言え……名無子ちゃんの胸に抱かれて死ねるならいっそ本望…」
「弱ってんなぁ悟浄」
「名無子ーー!騎士様が今行くぜー!待ってろーーー!!」
「悟浄うっせぇ!!」
「まだまだ元気そうで何よりです」
一度は別れた道が、再び一つに繋がろうとしていた。
大仰な歓待を受けたその夜、ヘイゼルとの話を終え部屋へと戻る。
「 うんと深い闇色で冷たく澄んどる―――
まるで、砂漠の夜みたいや 」
ヘイゼルの言葉が、三蔵の脳裏に一人の男の姿をありありと浮かび上がらせていた。
「―――大丈夫?」
ベッドに入っても尚、険しい表情で天井を睨み付けている三蔵に、隣から名無子が遠慮がちに声を掛ける。
「…何がだ」
「……何でもない」
「言いたいことがあるならはっきり言え。黙ってても察してやれる程女心には聡くねぇ」
不本意な本音で促せば、
「うん。知ってる…」
「てめッ…」
返されたいらぬ一言。
むすりとしながら、言葉の続きを待つ。
「あのね三蔵」
「あ?」
「私にできること、ない?」
「できること…?」
「うん。何ができるわけでもないんだろうなって、わかってはいるんだけど…
悟空が襲われた時も、今も。みんなが苦しんでたり大変な時に何もできないのが…なんか…悲しい」
自分が下手に動けば事態を悪化させかねないことは十二分にわかっている。
だからこそ、出来得る限り身を守ることだけに専念してはいるものの、それでも助けにはなれない自分へのもどかしさと不甲斐なさは溶けることなく降り積もり、遂には言葉となって溢れた。
その事を察した三蔵が眉根を寄せる。
その存在がどれ程自分の支えになっているか、説いて聞かせたところで名無子は納得しない気がした。
(何か…ね……)
三蔵は一思案すると、身を転じて名無子へと覆い被さった。
「抱かせろ」
「三蔵っ―――ッッ!!」
一言告げ、唇を重ねる。
その隙間から舌を差し入れ、深く貪るように口付けを送った。
やがて名無子の吐息が熱を帯び、そうじゃないと言わんばかりに僅かながらも抵抗を示していた腕が緩んだ頃、三蔵の唇が離れ音を紡いだ。
「……冗談で言ってるわけじゃねぇ」
名無子と肌を重ね、初めて知った悦楽。
金山寺の兄弟子の幾人かがそうであったように、色に溺れ破門になる僧侶が跡を絶たないわけだと納得した。
しかしそれ以上に―――
「お前を抱いてる時が一番、生きていることを実感できる。絶対に死ねねぇと、そう強く思える」
三蔵が生を思うとき、必ず隣には死があった。
だが、名無子と交わる瞬間だけは死が最も遠ざかる。
光と生に満たされるその感覚はこれまでに味わったことのない至福だった。
「これはお前にしかできねぇことで、お前でないと意味のないことだ」
真っ直ぐに注がれる視線は熱に浮かされたそれではなかったが、
「ほんとに…?」
半ば蕩けた思考で今一度確かめる。
三蔵が片眉を上げ、
「性欲満たすためだけにこんなこと言うとでも思ってんのか。どっかのエロ河童じゃあるまいし」
呆れた様に短く息を吐き言った。
久方振りに三蔵の口に上った、名を伏せた意味のない蔑称に名無子が苦笑する。
「三蔵はほんとどっかのエロ河童さんに当たりが強い…」
「お前に粉掛けてくる男は漏れなく敵だ。触れたやつは死ねばいい」
「過激派…」
「で、どうなんだ。嫌ならやめるが?」
「ぅあ……いえ…はい…」
戸惑いと羞恥を頬に淡く滲ませ、頷いた名無子の額に、ふっと微笑を引いた唇で触れた。
「…いい子だ」
固く繋いだ掌。
焼けるような肌と吐息が一つに溶け合い、その境を朧にしていく。
自分が、誰よりも愛しき者が、生きてそこに存在していることを確かに知覚しながら、目眩う程の多幸感と官能の海に溺れていった。
翌日、街の役人からオアシスの案内を受ける三蔵、ヘイゼル。その後方、少し離れてガトと名無子が続く。
「この前は―――」
その図体に似合わぬ小さな声を拾い、名無子が顔を向けた。
「この前はすまなかった」
「…??何が?」
「ヘイゼルが悟空のことを化け物と呼んだことだ」
「あぁ。別に謝らなくていいよ。その考えを否定する気はないし。
ただ私はヘイゼルのことが嫌いってだけで」
何故彼が謝るのかは分からなかったが、大して気にもならない。
淡々と応じた名無子に一度は途切れた会話をガトが続けた。
「……ヘイゼルがあんたの力を借りたいと言っただろう」
「うん」
「あの言葉に裏はない。あんたに害をなす気も。あいつはただ心から、妖怪に殺された人間を救いたいと思っているだけなんだ。それだけはわかってやってくれ」
既に顔を前へと戻していた名無子だったが、再び視線だけで見上げ、少し思案する。
そして、口を開いた。
「ヘイゼルのことが心配……いや、焦ってる?のかな」
「……」
「そんなに時間、ないもんね」
名無子の目に映る光は、まるで腐食し朽ちかけている老木が持つそれのようにも見える。
しかし、その光を繋ぎ止めているのはヘイゼルの力ではないのだろうと名無子は思った。
「…あぁ。その通りだ」
驚いた表情を見せるでもなくガトが名無子の言葉を肯定する。
「大事、なんだ」
「……あぁ」
「そっか」
名無子が小さく息を吐いた。
「………純粋な善意なのはわかったよ。でも、力にはならないけど」
「なれない―――とは言わないんだな」
「うん。なれるけどならない。私は三蔵と行くから」
「……そうか」
「うん」
「おーい。二人共何話しとるん?置いていくでー」
「名無子。さっさと来い」
「はーい」
歩を速めた名無子の背を、ガトが黙って見詰めていた。
その夜、
「是非、お力を貸して頂けませんでしょうか。
妖怪共の集落を全滅させるために」
微笑を浮かべてそう依頼してきた役人に覚えた違和感を拭いきれぬまま、部屋のソファで煙草片手に物思いに耽る三蔵。
その隣で名無子はいつものように黙って寄り添っていた。
「―――お前は、この街をどう見る」
幾本かの煙草が灰皿に押し潰され、コーヒーカップも空になった頃、三蔵が名無子に尋ねる。
少し顔を上げ、ふふっと嬉しそうに名無子が笑った。
「…なんだ」
訝る三蔵に、
「いつもね、そうやって三蔵が私にも聞いてくれるの嬉しいなって」
名無子がそう答え、三蔵の肩に頭を預ける。
腕を回し、その頭を撫でて遣りながら三蔵はふぅと息を吐いた。
「単純にお前が洞察力に優れているというのもあるが……
お前の意見は一切の先入観も偏見もねぇ。
無機質に、無感情に、常に事実だけを見て、その上で分からんことは分からんと言う。
自分の考えを見詰め直すのに都合がいい。
それに、俺には見えていないものが見えているようだからな。
まるで―――神仏の眼のように」
過日、三蔵が抱いた疑惑。
詮無きことと大して気にもしていなかったが、試しに鎌を掛けてみた。
「……」
横目で反応を覗うが、動揺の色は、ない。
何を言っているのかと訝しむ様子もない。
しかし無反応ともまた違うその表情から、感情が読み取れず、
「……なんだその顔は…」
ストレートに尋ねてみる。
すると、
「いや、そう言えば前悟浄に『俺の女神様』って言われたなぁって」
ぽつり回想を口に出した名無子に、三蔵の米神が青筋を浮き立たせる。
名無子の肩を引き、ソファへと押し倒した。
「……なんだ、襲われてぇのかそうかわかった覚悟しろ」
「ちょっ!!なんでっ!?ストップ!!」
「他の男の名前を出すな気分が悪ぃ」
想いが何の誤魔化しも繕いもなく、条件反射的に口上に上がるようになってしまったのはいつの頃からだろうか。
名無子に対してだけとは言え、悋気と妙なむず痒さが三蔵に舌打ちを零させる。
「やきもち…」
「あ゛?何か言ったか」
小さく呟いた名無子を、勢いで威圧し黙らせた。
「何でもないです。で、何だっけ、この街?」
速やかに撤回。話を戻す。
「…あぁ」
三蔵は体勢を戻したが、名無子はソファに身を横たえたまま天井を見上げて話し始めた。
「あんまりちゃんと聞いてなかったけど…オアシスの近くに妖怪の集落があって怖いから全滅してくれ?だったっけ??」
「あぁ。そうだ」
「んー…なんとかしてくれって思ってるのは、その妖怪の方なんじゃないのかなー。とか」
「何?」
「だって、この砂漠で水源押さえられてるんでしょ?その上、これだけ街中で完全武装されてるといくら妖怪でも手の出しようがないんじゃない?
実際、妖怪が暴れたような形跡は見当たらなかったし、『妖怪が恐くて気の休まらない住人達』も……いた?」
さして興味もなさそうに、しかし三蔵の考えを確たるものにするには十分な答えが名無子の口から紡がれる。
「……行くぞ。着いてこい」
不意に立ち上がった三蔵に名無子が身体を起こした。
「どこに?」
「散歩」
僅かに上がった口の端にその意図を把握。名無子が笑う。
「……あぁ。―――なんか、わくわくするね」
「どっかのチビッコ達みたいなこと言ってんじゃねぇよ…」
「どっかのチビッコ達と保父さん、元気にしてるかな」
「……そう易易と野垂れ死ぬようなタマじゃねぇだろ」
「……うん。そうだね」
繋がれた手が、同じ思いを握り締めていた。
翌朝―――
「昨晩は二人して部屋にもおらんと、何処にいてはりましたん?」
朝食の席、ヘイゼルが首を傾げ尋ねた。
連日の豪勢な食事と昨夜の散歩で明らかになった街の思惑に、内心げんなりしながら三蔵が口を開く。
「妖怪が街に現れたそうだな」
「そうなんどすわ。被害が出る前に片しときましたけどな」
「『一寸の虫にも五分の魂』―――知ってるか」
怪訝そうな表情を浮かべるヘイゼルの耳に届けられたのは、
「『魂』ってのは命のことじゃねぇ。―――『誇り』だ」
荘厳な声と、開戦を告げる爆音だった。
「妖怪共が攻め入って参りました!我が町の為にお力をお貸し下さい!!」
駆け込んできた役人達。
その後に続きながら三蔵が役人達の根回しの良さを鼻で笑った。
「濁ってんのは妖怪達からオアシスどころか命まで奪おうとしているあんたらの性根だけだ」
ヘイゼルの瞳が驚愕に見開かれる。
ここに来て漸く、自身が利用されたことに気付いたが既に役人達が描いた絵図の通り。
「さぁ司教様。どうか希望の力をお与え下さい―――我々人間のために」
積み上げられた妖怪の死体を前に、自身を支えていた何かが揺らいだ気がした。
しかしそれでも、
「―――ま、しゃあないな。うちが撒いた種や」
最早引けない状況。
自らを嘲るヘイゼルが手に取ったペンダントを
「お前が納得できないならする必要はない」
ガトの大きな手が握り潰した。
「―――邪魔したな」
妖怪が城内に攻め込んでくる中、踵を返した三蔵に役人が悪びれる様子もなく叫ぶ。
「この状況で見放そうというのか!!たかが妖怪の命を、人間が尊重してやる必要がどこにある!!?」
僅かに眉間を曇らせた名無子の頭に、三蔵は掌を降らせた。
「……あんたらに、たった五分でも誇りがあるなら分かったかもしれねぇがな」
きっと、その言葉すらも理解することはないのだろうと。
憤懣と失望を胸に沈め、三蔵達は街を後にした。
そしてジープもまた、西へと走り出す。
「行こうぜ。西に」
轟いた爆音を背に、悟空が言う。
「蘇生実験止めて……そんでどうにかなるのか なんて、正直分かんねえけど―――でも」
「俺が行きたいから行くんだ」
その目は、悲しみに暮れ膝を付く者の目ではなかった。
自分にとって大事なもの、自分の在るべき場所を明確に見定めた揺るぎない金眼が、前だけを見据えている。
八戒と悟浄の口の端を微笑が染めた。
「その為にはまずリーダー拾い直さないといけませんねぇ」
「俺的にリーダーはどーでもいいんだけどよ。名無子欠乏症がマジでヤバい。一刻も早く会いてぇし触れてぇし嗅ぎてぇ…」
「うわ。悟浄キモ」
「再会の日が命日にならないと良いですけどねぇ…」
「何とでも言え……名無子ちゃんの胸に抱かれて死ねるならいっそ本望…」
「弱ってんなぁ悟浄」
「名無子ーー!騎士様が今行くぜー!待ってろーーー!!」
「悟浄うっせぇ!!」
「まだまだ元気そうで何よりです」
一度は別れた道が、再び一つに繋がろうとしていた。