Pristinus Finis 〜最初の終わり〜
貴女のお名前は?
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とある街のカジノ。一人の男の姿があった。
短い赤髪に白いタオルを巻き、無精髭に咥え煙草。
目の前のテーブルにはカジノチップが積み上げられている。
「ねぇ、どう?この後二人で…」
隣に座る女が男に撓垂れ、その耳元で媚びるような甘えた声で囁いた。
香水の甘い香りを撒き散らすその女の肩をそっと押し返し、
「悪ぃね。もう女は抱かねぇって決めてんだわ」
男は苦笑を滲ませた。
「ほぉ。そりゃ殊勝なことだな」
背後から響いた耳馴染みのある声に
「さっ……三蔵!?」
悟浄が振り返り、真紅の瞳が驚愕に染まった。
「表、出ろ」
三蔵が親指を立てその背後、店の出入り口を指し示す。
その目が捉えたのは、無闇に朗らかな笑みを湛える八戒と、両手を頭の後ろで組みにやにやと笑う悟空、そして―――
(あー…やべ……泣きそう…)
毎夜の夢よりもっと色鮮やかな、愛しい女の姿だった。
「顔見せるなっつったのお前だろうが……なんでここに―――ッぐっっ!!」
決まり悪そうにぼやく悟浄の腹を、外に出るなり三蔵の膝が強かに蹴り上げた。
「三蔵っ!」
駆け寄ろうとした名無子の腕を、八戒が掴み留める。
「名無子。大丈夫ですから」
場違いに清々しい微笑みを煌めかせている八戒に、名無子が戸惑いの表情を浮かべた。
殴打音が響く度、名無子が眉を寄せる。
一切の抵抗を見せない悟浄を一頻り蹴りつけると、胸倉を掴み上げ、その顔を力一杯殴り飛ばした。
そして額に銃口を突き付け、正面から真っ直ぐ見据えた。
「一つ」
三蔵が口を開く。
「あの日のことは忘れろ。二度と思い出すな」
「さん―――」
悟浄の言葉を遮り、二つ目。
「二つ。今後名無子に指一本でも触れてみろ。お前の股にぶら下がってるモンを今度こそ撃ち抜いてやる」
理解が追い付かず、ぽかんと口を開け目を見開いている悟浄に三蔵は舌打ち、
「返事は!!」
声を荒げれば
「はい!―――は?いや…は??」
条件反射的に返された返事と、困惑を深めた真紅。
「……次はねぇ」
吐き捨てるように言って悟浄に背を向けた三蔵。
八戒が片手を挙げてそれを迎える。
そしてすれ違い様、三蔵がパン、と音を響かせてその手を叩くと
「八戒…」
今度は八戒が悟浄の元へ。
笑顔で胸倉を掴み、
「これは僕から。名無子さんを泣かせた分です」
「ッッ!!」
顔面に拳を見舞った。
今度は悟空が軽やかな足取りで八戒とハイタッチ。
「名無子辛そうだったしマジで雰囲気最悪だったしもー……このクソ河童!!」
「ッぐ…!!」
脳を揺さぶられ、状況の理解は一層困難になっていた。
しかし―――
「はい、最後名無子!」
にっと笑い、掲げられた悟空の掌に促され、名無子は躊躇いがちにもその手を打った。
全身を覆う痛みなど一瞬で彼方に。
悟浄の前で膝を着き、座り込んだ名無子の瞳から、雫が溢れ出す。
「悟浄…ごめんなさい……全て貴方に抱えさせた…本当にごめん……生きててくれて…また会えて良かった…」
「え…ちょ…名無子っ!?」
両手で顔を覆い泣きじゃくる名無子に、慌てふためく悟浄の両手が宙を彷徨う。
視線を走らせた先は、接触禁止令の発布元だった。
煙草を吹かしていた三蔵の眉がぴくり跳ねる。
米神には既に青筋が浮かび上がっている。
その背後から忍び寄る陰―――
八戒の両手が三蔵の視界を奪った。
「…おい」
「じゅーーう、きゅーーーーう…」
声高らかに、勝手に始めたカウントダウン。
三蔵が深々と嘆息を吐き出した。
八戒が悪戯っ子のような視線を悟浄に向ける。
事態を把握し、零れた苦笑い。
「謝るのは俺の方だ……本当に、ごめんな…」
恐る恐る伸ばされた腕が、そっと名無子を包み込む。
永遠にも思える離別を経て再び触れることが出来た温もりを一片も逃さぬよう、悟浄は奥歯を噛み、胸に抱き締めていた。
「―――いーーち、ぜ―――」
パンッ!
天に向かって放たれた銃弾が逸早く終幕を告げる。
八戒の手を払い、
「名無子。来い」
名無子を呼び戻す。
早足で帰ってきた名無子の腕を引き、その唇に噛み付いた。
「なっっ!!?」
「あーあ…」
「…ひゃぁぁ」
名無子の腰を抱き、悟浄に見せ付けるように深く、深く口付ける。
そして悟浄も呆れる頃漸く唇を離すと、名無子を抱き寄せ
「お前の出番はねぇ。一生引っ込んでろ」
悟浄を見下ろし、三蔵らしい尊大不遜な態度で言い放った。
心底苦々しそうに顔を顰め、それでも立場上為す術のない悟浄が、せめてもの慈悲を乞う。
「……想い続けるくらい許してくんね?」
「大人しく指咥えて見てるんならな」
言って、頬を朱に染め、恨めしげな瞳で見上げてくる名無子の髪に口付けを降らせた。
「〜〜〜〜っ!!こンのクソ坊主……」
「フン、負け犬の遠吠えは聞こえねぇなぁ」
怒りと悔しさに悶絶すると、力尽きたように仰向けに倒れた悟浄。
困り顔の名無子を腕に抱き、至極ご満悦な様子の三蔵。
明暗分かれた二人の様子を八戒と悟空が笑った。
「流石に懲りましたかね」
「とっくに懲りてるっつーの…」
悟浄は痛む身体を何とか引き起こすと、
「あーー…なんだ…お前らも、悪かったな…」
頭を掻きながら、バツの悪そうな顔で謝罪を口にする。
すると悟空が
「言う相手違うだろ!」
腰に両の拳を当て、尤もな叱責を飛ばした。
隣で八戒がうんうんと頷く。
ちらり向けた悟浄の視線が、薄目で見下してくる三蔵の紫暗とぶつかった。
数秒、悟浄は苦悶に顔を歪めると胡座から正座に座り直し、
「………玄奘三蔵法師様!!本当に申し訳ありませんでした!!」
声を張り上げ、深々と頭を下げる。
が、
「口だけなら何とでも言える。行動で示せ」
耳に小指を突っ込みながら何の感慨もなく一蹴してみせた三蔵に悟浄が臍を噛んだ。
「こいつはッ……っクソ!わかってるわンなこと!!見とけよ俺の猛省っぷりを!!」
三蔵を指差し喧嘩腰で決意を叩き付けた悟浄を呆れ顔で見守る面々。
「何で反省する側まで偉そうなんだよ…」
「悟浄は悟浄のままですねぇ」
それでも、悟浄の思いは誰もが理解していたから。
五人の顔には、同じ柔らかな色が浮かんでいた。
その後、三人分の拳と蹴りを受け、流石に満身創痍の悟浄を治癒してやりながら八戒がふと口を開いた。
「ところで悟浄。髪、切ったんですね」
「あ?あぁ…まぁな」
少し離れたところで名無子を腕に抱いたまま煙草を咥えていた三蔵が白煙混じりに言う。
「お前、あれだろ。失恋すると髪切るタイプだろ。女子か」
「あぁ、そう言えば僕のときもそうでしたねぇ」
「なっ!!?」
悟浄がぎょっと目を見開いた。
「『僕のとき』も…??」
「え、悟浄まさか…」
「いや違ぇ!!全部違ぇッッ!!」
言われてみれば否定できないところもあるにはあるが、その表現には語弊があると全力で否定するが、
「悟浄見境ねー…」
「全くだ。流石エロ河童だな」
「意外と乙女なんですかねぇ」
口を揃えるいつもの面子は兎も角、
「悟浄?別に良いと思うよ??」
「ほらすぐそうやって悪乗りする!!名無子ちゃん!?わかってるよね??」
わかっていながらにわかっていないふりをして笑っている名無子に久々の突っ込みを入れる。
この笑顔を永遠に失くしていたかも知れないと思うと、改めて自身の犯した過ちの重さを再認識するとともに、それでもまたこうやって笑い合う機会を与えてくれた四人への感謝の念を禁じ得なかった。
そして、もう一つ。
悟浄には未だに気掛かりなことがあった。
「つか、おい三蔵」
「なんだ」
「ちょっと」
立ち上がり、三蔵を手招く。
「あ?」
「いーから。ちょっと来いって。頼む」
眉を上げ、渋々ながらも三蔵が腰を上げた。
「あ、名無子ちゃんはそのままね」
掌で制し、声が聞こえない距離まで離れた。
「全部忘れる前によ、一つだけ聞かせてくれ」
真剣な眼差しで切り出した悟浄を三蔵が眉を寄せ訝しむ。
下手をすれば即銃弾が飛んでくる問いではあったが、覚悟を決め口を開いた。
「名無子ちゃん、俺が初めてじゃねぇよ…な?」
「よしわかった死ね」
一瞬の間も置かず予想通りの展開を慌てて制止する。
「だぁああっっ!!待て待て!!待てって!その返答如何によっては俺ぁマジで……俺が許せねぇ…」
もしそうなら、名無子が何と言おうと許されるべきものではないと、眉間に嫌悪を刻み視線を伏せた悟浄に三蔵は暫し思案を巡らせる。
わざわざ悟浄の重荷を軽くしてやる義理もないが、背後から聞こえてくる笑い声に免じて答えをくれてやることにした。
「―――そうだったとしたらお前は今この場にいねぇよ」
煙草を踏み潰しながら言った三蔵に、悟浄の顔に光が射した。
「!!そ、そうか!いや、だから良いってわけじゃねぇんだけどよ…
あんときの記憶が曖昧だったんでな…」
つい跳ねてしまった声を落とし、付け加えられた一言に三蔵が動きを止めた。
「曖昧…だと…?」
「へ?」
「全く覚えてねぇわけじゃねぇのか…」
「いや…ちょっ……三蔵…?」
ゆらり、三蔵の背後に羅刹の影が揺らいだ気がした。
至近距離で銀色の小銃が煌めく。
「安心しろ。海馬だけを撃ち抜いてやる」
「器用だなおい!どっちみち死ぬけどな!!ちょっと待て忘れる!忘れたから!!」
「ごじょーだいじょーぶー?」
悟浄の悲鳴を聞きつけた名無子が遠くから気の抜けた声を投げてきた。
「名無子ちゃん!ヘルプ!!三蔵止めて!」
「……おい名無子!」
険相を刻んで三蔵が名無子を呼び付けた。
「はい?」
とことことやってきた名無子と真っ直ぐ視線を合わせる。
悟浄と違い、記憶は"ない"とはっきり断言した名無子を疑うわけではなかったが、
「お前、俺に嘘は吐いてねぇな?」
記憶を甦らせることを避けつつ、改めて尋ねる。
三蔵の厳しい声に怯むでもなく、
「??吐いてないよ?最初の日に約束したじゃん」
首を傾げ、きょとんとした無垢な瞳がさも当然の如く答えた。
思わずその頭に手を伸ばし、柔らかな銀糸を無言で撫で回していると、
「よしっ!名無子ちゃんそのままご機嫌取って!!」
難を逃れた悟浄が息を吹き返した。
となれば、お決まりの流れである。
「…余程死にたいらしいなぁ」
銃を握ったその手を、名無子がそっと握った。
「三蔵、殺しちゃ嫌だ…」
その上目遣いに三蔵がぐっと唸り、悟浄がガッツポーズを決める。
ならばと久々にこちらの出番。
美しい軌道を描き、振るわれたハリセンが小気味好い音を奏でた。
「ッッてぇえっ!!」
「もしかして悟浄、わざとやってる…?」
そんな三人を傍目に見ていた悟空が釈然としない様子で零した。
「……なぁ、こんなあっという間に元通りとかアリ??」
八戒がそれに嘆息を吐いて同意する。
「ホントに…人の苦労も知らないで……―――何か腹立ってきました。三蔵、それ僕にも貸してください」
「あ、俺も俺も!!」
「はぁ!?なんでお前らまでぇッッ!!イテっ!!」
「名無子もやっとく?」
「私はいいや。見てる方が楽しい」
「名無子ちゃんに楽しんでもらえるなら本望―――だからって意味もなく叩かれたいわけじゃねぇからな!?おい三蔵聞けコラ!!」
響き渡る快音と、笑い声と、絶叫。
一度は解けた糸が再び繋がり、これまでと何一つ変わらないようにも見える時間が流れていた。
「悟浄」
少し前までは話題に上げることすら憚られていたその名を、愛おしそうに名無子が呼ぶ。
「おかえり」
目を細め、心からの歓迎の言葉を送った。
込み上げてくる想いが悟浄の目に滲む。
息を深く吸い込み、歯を食いしばると
「っっ―――あぁ…ただいま。名無子」
涙の代わりに、目一杯の笑みを溢れさせた。
そしてジープは再び西へと走り出す。
名無子の定位置は後部座席の真ん中から悟空と入れ替わり、助手席後部へと移ったが、それは悟浄の申し出に依るものだった。
口では変わらず、隙あらば名無子を口説いている悟浄だが、三蔵の言った通り指一本触れることはなくなった。
しかし、ただそれだけのこと。
今日も五人、笑みと喧騒を傍らに未知なる旅路を往く。
それだけはきっとこれからも、変わらないと信じて―――
短い赤髪に白いタオルを巻き、無精髭に咥え煙草。
目の前のテーブルにはカジノチップが積み上げられている。
「ねぇ、どう?この後二人で…」
隣に座る女が男に撓垂れ、その耳元で媚びるような甘えた声で囁いた。
香水の甘い香りを撒き散らすその女の肩をそっと押し返し、
「悪ぃね。もう女は抱かねぇって決めてんだわ」
男は苦笑を滲ませた。
「ほぉ。そりゃ殊勝なことだな」
背後から響いた耳馴染みのある声に
「さっ……三蔵!?」
悟浄が振り返り、真紅の瞳が驚愕に染まった。
「表、出ろ」
三蔵が親指を立てその背後、店の出入り口を指し示す。
その目が捉えたのは、無闇に朗らかな笑みを湛える八戒と、両手を頭の後ろで組みにやにやと笑う悟空、そして―――
(あー…やべ……泣きそう…)
毎夜の夢よりもっと色鮮やかな、愛しい女の姿だった。
「顔見せるなっつったのお前だろうが……なんでここに―――ッぐっっ!!」
決まり悪そうにぼやく悟浄の腹を、外に出るなり三蔵の膝が強かに蹴り上げた。
「三蔵っ!」
駆け寄ろうとした名無子の腕を、八戒が掴み留める。
「名無子。大丈夫ですから」
場違いに清々しい微笑みを煌めかせている八戒に、名無子が戸惑いの表情を浮かべた。
殴打音が響く度、名無子が眉を寄せる。
一切の抵抗を見せない悟浄を一頻り蹴りつけると、胸倉を掴み上げ、その顔を力一杯殴り飛ばした。
そして額に銃口を突き付け、正面から真っ直ぐ見据えた。
「一つ」
三蔵が口を開く。
「あの日のことは忘れろ。二度と思い出すな」
「さん―――」
悟浄の言葉を遮り、二つ目。
「二つ。今後名無子に指一本でも触れてみろ。お前の股にぶら下がってるモンを今度こそ撃ち抜いてやる」
理解が追い付かず、ぽかんと口を開け目を見開いている悟浄に三蔵は舌打ち、
「返事は!!」
声を荒げれば
「はい!―――は?いや…は??」
条件反射的に返された返事と、困惑を深めた真紅。
「……次はねぇ」
吐き捨てるように言って悟浄に背を向けた三蔵。
八戒が片手を挙げてそれを迎える。
そしてすれ違い様、三蔵がパン、と音を響かせてその手を叩くと
「八戒…」
今度は八戒が悟浄の元へ。
笑顔で胸倉を掴み、
「これは僕から。名無子さんを泣かせた分です」
「ッッ!!」
顔面に拳を見舞った。
今度は悟空が軽やかな足取りで八戒とハイタッチ。
「名無子辛そうだったしマジで雰囲気最悪だったしもー……このクソ河童!!」
「ッぐ…!!」
脳を揺さぶられ、状況の理解は一層困難になっていた。
しかし―――
「はい、最後名無子!」
にっと笑い、掲げられた悟空の掌に促され、名無子は躊躇いがちにもその手を打った。
全身を覆う痛みなど一瞬で彼方に。
悟浄の前で膝を着き、座り込んだ名無子の瞳から、雫が溢れ出す。
「悟浄…ごめんなさい……全て貴方に抱えさせた…本当にごめん……生きててくれて…また会えて良かった…」
「え…ちょ…名無子っ!?」
両手で顔を覆い泣きじゃくる名無子に、慌てふためく悟浄の両手が宙を彷徨う。
視線を走らせた先は、接触禁止令の発布元だった。
煙草を吹かしていた三蔵の眉がぴくり跳ねる。
米神には既に青筋が浮かび上がっている。
その背後から忍び寄る陰―――
八戒の両手が三蔵の視界を奪った。
「…おい」
「じゅーーう、きゅーーーーう…」
声高らかに、勝手に始めたカウントダウン。
三蔵が深々と嘆息を吐き出した。
八戒が悪戯っ子のような視線を悟浄に向ける。
事態を把握し、零れた苦笑い。
「謝るのは俺の方だ……本当に、ごめんな…」
恐る恐る伸ばされた腕が、そっと名無子を包み込む。
永遠にも思える離別を経て再び触れることが出来た温もりを一片も逃さぬよう、悟浄は奥歯を噛み、胸に抱き締めていた。
「―――いーーち、ぜ―――」
パンッ!
天に向かって放たれた銃弾が逸早く終幕を告げる。
八戒の手を払い、
「名無子。来い」
名無子を呼び戻す。
早足で帰ってきた名無子の腕を引き、その唇に噛み付いた。
「なっっ!!?」
「あーあ…」
「…ひゃぁぁ」
名無子の腰を抱き、悟浄に見せ付けるように深く、深く口付ける。
そして悟浄も呆れる頃漸く唇を離すと、名無子を抱き寄せ
「お前の出番はねぇ。一生引っ込んでろ」
悟浄を見下ろし、三蔵らしい尊大不遜な態度で言い放った。
心底苦々しそうに顔を顰め、それでも立場上為す術のない悟浄が、せめてもの慈悲を乞う。
「……想い続けるくらい許してくんね?」
「大人しく指咥えて見てるんならな」
言って、頬を朱に染め、恨めしげな瞳で見上げてくる名無子の髪に口付けを降らせた。
「〜〜〜〜っ!!こンのクソ坊主……」
「フン、負け犬の遠吠えは聞こえねぇなぁ」
怒りと悔しさに悶絶すると、力尽きたように仰向けに倒れた悟浄。
困り顔の名無子を腕に抱き、至極ご満悦な様子の三蔵。
明暗分かれた二人の様子を八戒と悟空が笑った。
「流石に懲りましたかね」
「とっくに懲りてるっつーの…」
悟浄は痛む身体を何とか引き起こすと、
「あーー…なんだ…お前らも、悪かったな…」
頭を掻きながら、バツの悪そうな顔で謝罪を口にする。
すると悟空が
「言う相手違うだろ!」
腰に両の拳を当て、尤もな叱責を飛ばした。
隣で八戒がうんうんと頷く。
ちらり向けた悟浄の視線が、薄目で見下してくる三蔵の紫暗とぶつかった。
数秒、悟浄は苦悶に顔を歪めると胡座から正座に座り直し、
「………玄奘三蔵法師様!!本当に申し訳ありませんでした!!」
声を張り上げ、深々と頭を下げる。
が、
「口だけなら何とでも言える。行動で示せ」
耳に小指を突っ込みながら何の感慨もなく一蹴してみせた三蔵に悟浄が臍を噛んだ。
「こいつはッ……っクソ!わかってるわンなこと!!見とけよ俺の猛省っぷりを!!」
三蔵を指差し喧嘩腰で決意を叩き付けた悟浄を呆れ顔で見守る面々。
「何で反省する側まで偉そうなんだよ…」
「悟浄は悟浄のままですねぇ」
それでも、悟浄の思いは誰もが理解していたから。
五人の顔には、同じ柔らかな色が浮かんでいた。
その後、三人分の拳と蹴りを受け、流石に満身創痍の悟浄を治癒してやりながら八戒がふと口を開いた。
「ところで悟浄。髪、切ったんですね」
「あ?あぁ…まぁな」
少し離れたところで名無子を腕に抱いたまま煙草を咥えていた三蔵が白煙混じりに言う。
「お前、あれだろ。失恋すると髪切るタイプだろ。女子か」
「あぁ、そう言えば僕のときもそうでしたねぇ」
「なっ!!?」
悟浄がぎょっと目を見開いた。
「『僕のとき』も…??」
「え、悟浄まさか…」
「いや違ぇ!!全部違ぇッッ!!」
言われてみれば否定できないところもあるにはあるが、その表現には語弊があると全力で否定するが、
「悟浄見境ねー…」
「全くだ。流石エロ河童だな」
「意外と乙女なんですかねぇ」
口を揃えるいつもの面子は兎も角、
「悟浄?別に良いと思うよ??」
「ほらすぐそうやって悪乗りする!!名無子ちゃん!?わかってるよね??」
わかっていながらにわかっていないふりをして笑っている名無子に久々の突っ込みを入れる。
この笑顔を永遠に失くしていたかも知れないと思うと、改めて自身の犯した過ちの重さを再認識するとともに、それでもまたこうやって笑い合う機会を与えてくれた四人への感謝の念を禁じ得なかった。
そして、もう一つ。
悟浄には未だに気掛かりなことがあった。
「つか、おい三蔵」
「なんだ」
「ちょっと」
立ち上がり、三蔵を手招く。
「あ?」
「いーから。ちょっと来いって。頼む」
眉を上げ、渋々ながらも三蔵が腰を上げた。
「あ、名無子ちゃんはそのままね」
掌で制し、声が聞こえない距離まで離れた。
「全部忘れる前によ、一つだけ聞かせてくれ」
真剣な眼差しで切り出した悟浄を三蔵が眉を寄せ訝しむ。
下手をすれば即銃弾が飛んでくる問いではあったが、覚悟を決め口を開いた。
「名無子ちゃん、俺が初めてじゃねぇよ…な?」
「よしわかった死ね」
一瞬の間も置かず予想通りの展開を慌てて制止する。
「だぁああっっ!!待て待て!!待てって!その返答如何によっては俺ぁマジで……俺が許せねぇ…」
もしそうなら、名無子が何と言おうと許されるべきものではないと、眉間に嫌悪を刻み視線を伏せた悟浄に三蔵は暫し思案を巡らせる。
わざわざ悟浄の重荷を軽くしてやる義理もないが、背後から聞こえてくる笑い声に免じて答えをくれてやることにした。
「―――そうだったとしたらお前は今この場にいねぇよ」
煙草を踏み潰しながら言った三蔵に、悟浄の顔に光が射した。
「!!そ、そうか!いや、だから良いってわけじゃねぇんだけどよ…
あんときの記憶が曖昧だったんでな…」
つい跳ねてしまった声を落とし、付け加えられた一言に三蔵が動きを止めた。
「曖昧…だと…?」
「へ?」
「全く覚えてねぇわけじゃねぇのか…」
「いや…ちょっ……三蔵…?」
ゆらり、三蔵の背後に羅刹の影が揺らいだ気がした。
至近距離で銀色の小銃が煌めく。
「安心しろ。海馬だけを撃ち抜いてやる」
「器用だなおい!どっちみち死ぬけどな!!ちょっと待て忘れる!忘れたから!!」
「ごじょーだいじょーぶー?」
悟浄の悲鳴を聞きつけた名無子が遠くから気の抜けた声を投げてきた。
「名無子ちゃん!ヘルプ!!三蔵止めて!」
「……おい名無子!」
険相を刻んで三蔵が名無子を呼び付けた。
「はい?」
とことことやってきた名無子と真っ直ぐ視線を合わせる。
悟浄と違い、記憶は"ない"とはっきり断言した名無子を疑うわけではなかったが、
「お前、俺に嘘は吐いてねぇな?」
記憶を甦らせることを避けつつ、改めて尋ねる。
三蔵の厳しい声に怯むでもなく、
「??吐いてないよ?最初の日に約束したじゃん」
首を傾げ、きょとんとした無垢な瞳がさも当然の如く答えた。
思わずその頭に手を伸ばし、柔らかな銀糸を無言で撫で回していると、
「よしっ!名無子ちゃんそのままご機嫌取って!!」
難を逃れた悟浄が息を吹き返した。
となれば、お決まりの流れである。
「…余程死にたいらしいなぁ」
銃を握ったその手を、名無子がそっと握った。
「三蔵、殺しちゃ嫌だ…」
その上目遣いに三蔵がぐっと唸り、悟浄がガッツポーズを決める。
ならばと久々にこちらの出番。
美しい軌道を描き、振るわれたハリセンが小気味好い音を奏でた。
「ッッてぇえっ!!」
「もしかして悟浄、わざとやってる…?」
そんな三人を傍目に見ていた悟空が釈然としない様子で零した。
「……なぁ、こんなあっという間に元通りとかアリ??」
八戒がそれに嘆息を吐いて同意する。
「ホントに…人の苦労も知らないで……―――何か腹立ってきました。三蔵、それ僕にも貸してください」
「あ、俺も俺も!!」
「はぁ!?なんでお前らまでぇッッ!!イテっ!!」
「名無子もやっとく?」
「私はいいや。見てる方が楽しい」
「名無子ちゃんに楽しんでもらえるなら本望―――だからって意味もなく叩かれたいわけじゃねぇからな!?おい三蔵聞けコラ!!」
響き渡る快音と、笑い声と、絶叫。
一度は解けた糸が再び繋がり、これまでと何一つ変わらないようにも見える時間が流れていた。
「悟浄」
少し前までは話題に上げることすら憚られていたその名を、愛おしそうに名無子が呼ぶ。
「おかえり」
目を細め、心からの歓迎の言葉を送った。
込み上げてくる想いが悟浄の目に滲む。
息を深く吸い込み、歯を食いしばると
「っっ―――あぁ…ただいま。名無子」
涙の代わりに、目一杯の笑みを溢れさせた。
そしてジープは再び西へと走り出す。
名無子の定位置は後部座席の真ん中から悟空と入れ替わり、助手席後部へと移ったが、それは悟浄の申し出に依るものだった。
口では変わらず、隙あらば名無子を口説いている悟浄だが、三蔵の言った通り指一本触れることはなくなった。
しかし、ただそれだけのこと。
今日も五人、笑みと喧騒を傍らに未知なる旅路を往く。
それだけはきっとこれからも、変わらないと信じて―――