Pristinus Finis 〜最初の終わり〜
貴女のお名前は?
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とある日の夜。
悟空、悟浄、名無子の三人は悟空の腹の虫を慰めるため、三蔵と八戒を宿に残し、街へと繰り出していた。
通りの両側に立ち並ぶ夜店に目移りしながら右へ左へ。
鼻を鳴らし本能の赴くままに歩き回る悟空を見失わないよう目を配っている名無子と、悟空のことなど気にも止めず名無子の腰に手を回し機嫌良く歩く悟浄に
「そこのお二人さん!」
声を掛けた露天商がいた。
「こりゃまた美男美女のお似合いのカップルだねぇ。どうだい?一つ」
其々に違うものに気を取られていた二人だったが、傍から見ればただのカップルに見えたのだろう。
その言葉に気を良くした悟浄が足を止めた。
「お。おっちゃん見る目あんじゃん。何、菓子??」
「そう、今若いカップルに大人気!!付き合いたてのカップルは末永く、倦怠期のカップルも出逢った頃のように、絆を深めて親密度をアップさせる魔法のお菓子だ!」
差し出されたのは小さな箱に二つ入った、悟空なら一口サイズのハート型の焼き菓子だった。
露骨にカップルをターゲットにした胡散臭い売り文句を悟浄が鼻で笑う。
「魔法て…なんだそりゃ」
「まぁ、お呪いみたいなもんだけどね。本日最後の一組!安くしとくよ、兄ちゃん」
「ふぅん…」
隣に目を遣れば、大して興味もなさそうに覗き込む名無子の横顔。
これが三蔵相手だったら、違う表情を見せていたのだろうか―――
そう思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……おっちゃん。それ、ちょーだい」
「まいど!」
金を渡し、菓子の入った箱を受け取る。
そして片方のハートを指で摘み、
「はい、あーん」
名無子に差し出すと、素直に開いた口に悟浄の喉が小さく鳴った。
「…チョコ味。美味しいよ」
もぐもぐと咀嚼しながら目を細めた名無子の頭を撫で、自身もそれを口に放り込む。
「俺との絆、深まった?」
「どうだろ?わかんないけど、悟浄のことはちゃんと好きだよ?」
軽口に、名無子が何の躊躇もなく微笑んで答える。
悟浄の胸中、どろりとした澱が巻き上げられた。
「悟浄ー!名無子ー!こっち!早く来いよー」
人混みの中飛び跳ね手を振る悟空の声に悟浄はふと我に返ると再び笑みを貼り付け、
「おー。―――行くか、名無子ちゃん」
名無子の手を引き、気色満面で後片付けを始めている露天に背を向けた。
ほぼ満席となっている酒場の片隅、悟浄の思惑に嵌って酔い潰された悟空がテーブルに突っ伏している。
「食って飲んで寝て……お子様はお手軽で良いねぇ…」
「ふふっ、可愛い」
笑みを零しながら悟空の頭を撫でている名無子を目に、悟浄の口元にも微笑が灯る。
「―――ま、そのお陰で二人っきりで飲めるし、な?」
「ん」
屈託なく微笑んだ名無子のグラスに酒を注いでやり、自身もグラスを傾ける。
ここまでは目論見通り。早々に悟空を退場させるべく駆け付け一杯、キツめの酒を飲ませてやったのだが、何故だか自身も酒の回りが早い。
大して飲んでいないはずが、心音も既に喧しく、どうにも落ち着かない。
そしてどうやらそれは、自分だけではないようだ。
横目で名無子に視線を向けると、朱に染まった頬。普段よりも瞼に覆われた銀月。
流石に状況を怪しんで周囲に警戒網を張り巡らせるが、特段妙な気配も変わった様子もなく、賑わった酒場の喧騒があるだけ。
完全に気を抜ける状況ではないが、最早目の前の誘惑を無視できる程の余裕もなく、そっと名無子の頬に手を伸ばす。
「―――名無子、酔っちゃった?」
「酔ってない…」
名無子が僅かに眉を顰め、顔を横に振った。
煌めいて揺れた銀糸に指を滑り込ませ、首に手を添える。
「今日はすきーって、言ってくんないの?」
「んー?ごじょーすきー」
蕩けた瞳を細め笑う名無子の姿に、悟浄の口の端に妖しげな微笑が灯る。
「俺も。大好きだよ」
言って、名無子の髪へと唇を降らせた。
額へ、瞼へ、頬へ。柔らかな口付けで熱を帯びた肌に触れていく。
そっと指先で首筋をなぞると、名無子の口から微かな声が零れた。
それはまるで、コップに満たされその縁ギリギリで耐えている水を溢れさせる最後の一滴だった。
「名無子…」
「ごじょ―――」
名無子を抱き寄せ、言葉を発しかけた唇を自身の唇で塞ぐ。
触れただけで雷に撃たれたかのような甘美な刺激が全身を駆け巡った。
唇を貪り、舌を滑り込ませる。
抵抗する様子もなく、ぎゅっと悟浄にしがみつく名無子。
甘い香りと吐息が肌を擽り、時折鼻から漏れる甘い声が内耳を撫で上げてくる。
その瞬間、悟浄にとって五感で感じる名無子だけが世界の全てだった。
やがて躊躇いがちに離れた唇を名残が繋ぐ。
乱れた呼吸。先程よりももっと、紅を乗せた肌。見上げ来る、潤んだ銀月―――
最早限界だった。
悟浄は椅子を鳴らし席を立つと、早足でカウンターへと向かう。
店主と言葉を交わし、幾らかの金と引き換えに一本の鍵を受け取った。
そしてテーブルへと戻る。
「おいで、名無子」
手を伸ばせば、何も言わずその手を取り立ち上がった名無子。その足元がふらつく。
悟浄は唇に微笑を引いて名無子を抱き上げると、悟空を残したまま店の二階へと足を向けた。
「……どうします?探しに行きますか?」
八戒が三蔵にそう尋ねたのは、三蔵が門限とした刻限から2時間余りが経過した頃だった。
その間、三蔵の舌打ちと苛立ちを適当に宥め遣り過ごしていた八戒だったが、流石に心配になり三蔵へと伺いを立てる。
無言のまま立ち上がった三蔵の纏う殺気に顔を引き攣らせながら、部屋を出る三蔵の後に続いた。
通りにある殆どの店の明かりは消え、賑やかだった街は夜の静寂に包まれている。
懸念される事態は、二つ。妖怪の襲撃と、悟浄の暴走。
酔っ払いが道端で鼾をかいて酔い潰れている光景を見ると、前者の可能性は低いように思われる。
後者も、そうならないよう悟空を着いて行かせたわけで、三蔵としては考えたくもない可能性だろう。
そんな分析をしながら開いている店々を覗いていくが、結局その姿は見付けられないまま。
始めは単なる嫉妬と苛立ちに支配されていた三蔵も流石におかしいと感じ始めたのか、眉間に刻印を刻みながらも辺りの気配に感覚を澄ましている。
「―――三蔵。一旦宿に戻りましょう。入れ違いに戻ってきているかもしれません」
「……あぁ」
そうして足を転じ暫く、
「……三蔵?」
ふと立ち止まった三蔵に八戒が声を掛ける。
答えることなく三蔵は通りから伸びた脇道へと足早に向かった。
そこには
「!!?悟空!!」
壁を背に倒れ込んだ悟空の姿があった。
「悟空!!まさか…」
三蔵の後に続いて、異変を察知した八戒が青褪めた顔で駆け寄るが、
「―――いや…見ろ」
「!!これは……」
聞こえてきた大鼾。天に向け開かれた大口。
一気に肩の力が抜け、同時に三蔵の米神に浮かび上がった青筋。
「こンの―――バカ猿!!!」
静寂を裂いて振り下ろされたハリセンが悟空の頭を強かに打った。
「いてぇッッ!!」
「何こんなところで寝てやがる!!名無子はどうした!」
頭を押さえ、目を白黒させている悟空の胸倉を掴み上げ、三蔵が吠える。
「は…?―――三蔵??何??」
「いいからさっさと答えろ!名無子はどうした!一緒じゃなかったのか!?」
「三蔵ちょっと落ち着いてください。悟空、名無子さんと悟浄がどこにいるか知りませんか?」
気色ばむ三蔵に、このままでは問答すら儘ならないと八戒が会話を引き取り尋ねた。
「名無子と悟浄…??いや、わかんね…途中まで一緒に飯食ってたけど…俺、寝てた???」
未だ混乱から覚めぬ様子も、何とか記憶を辿り悟空が答える。
「えぇ、ぐっすりと。……もしかして薬でも盛られた…!?」
ならば名無子達の身も危ういとはっとした表情を見せる八戒に
「いや、悟浄にやたら強い酒飲まされたことまでは覚えてるから多分そのせい…頭痛ぇ…」
酒のせいか、将又ハリセンの打撃によるものか、痛む頭を擦りながらの悟空の言葉が三蔵に再び火を着けた。
「おい悟空…」
「え?」
「どの店だ」
「三蔵…?」
「どの店で飲んでいたのかと聞いている」
立ち上る殺気に悟空の肩が跳ねた。
「えっと……たぶんこっち」
一気に酔いも冷め、確かな足取りで大通りへと出ると薄暗い街を見渡して二人を案内する。
(いつものように誤解でしたとハリセンで済めば良いのですが…)
祈りながら、八戒は悟空と三蔵の背を追った。
既に明かりの消えた一軒の店。
今にも蹴破らんばかりの三蔵を何とか宥めると、八戒は戸を叩き店主を呼び出して事情を話した。
その結果、笑い飛ばしていた疑念が現実味を帯びていく。
酒家の二階、酔客のための簡易的な宿泊部屋へと向かう階段を上る足取りはまるで、絞首台へ上るかのようだった。
誰も何も言わず、辿り着いた部屋の前。店主に銃を突き付け脅し取った鍵で扉を開ける。
廊下に灯されている明かりを背に、暗い部屋の中に目を凝らした。
「三蔵…」
不安げな眼差しが背後から注がれ、三蔵が部屋の中へと足を踏み入れる。
一定の速度で、向かったのはベッドの前。
そこに眠る上半身裸の悟浄と、その腕の中―――
脳内に響き渡っていた鼓動が止んだ。
悟浄の米神に銃を突き付け、一片の躊躇もなく引き金を引いた。
「っっ!!?」
「三蔵!!」
それを察知した八戒が声を掛けるより早く、空気を揺らした発砲音。
既のところで頭を反らした悟浄の枕に穴が空き、硝煙の香とともに微かに煙が立ち上る。
見開かれた真紅の瞳と、凍えるような紫暗の瞳がかち合った。
「っっ!!?さんぞ―――」
飛び起きた名無子の姿に、三蔵は眉を顰め、銃のグリップで悟浄の顔を力一杯に殴り付けた。
透けるような白磁の肌は顕に、花弁を散らしたかのように残されたいくつもの小さな赤い痣。
制止する八戒と悟空の声も、状況を察した名無子の泣き声も、鈍い殴打音も、自身の荒い呼吸音も、何も耳には届かなかった。
悟空が背後から腕を回し、必死にその動きを止める。
幾度も過ぎっては、その度に振り払っていた懸念。それが今、目の前にあった。
最も恐れていた状況の一つに至って、八戒は名無子に服を掛け、震える肩を抱くことしか出来ずにいた。
「……場所、替えんぞ」
床に横たわり、顔を腫らした悟浄が独り言のように呟いた。
「こっから先は、名無子に見せるもんじゃねぇだろ」
誰にともなく言いながら服を着ると、悟空に離してやれと三蔵の拘束を解くように言い、扉へと向かう。
背を向けたまま、
「名無子。ごめんな」
一言、言い残し部屋を出ていく悟浄に、三蔵が続いた。
一体何が起こったのか。理解はしていても受け入れられず呆然と立ち尽くしていた悟空だったが、
「悟空!!お願い三蔵を止めて!!」
悲鳴にも似た名無子の声にはっと我に返ると、奥歯を噛み二人の後を追った。
店の裏手、木々の合間に三蔵と悟浄の姿がある。
三蔵の手に握られた銃の銃口は、真っ直ぐに悟浄の脳天に狙いを定めていた。
「言い遺すことがあるなら聞いてやる」
三蔵の顔から憤怒は消え去り、全ての色を失くした無表情が抑揚もなく言った。
悟浄は一歩、足を前に踏み出すと、横からその銃を握り自身の額に押し付けた。
「ねぇよ。ただ……最後まで手間かけて悪ぃが、後始末は頼むわ。血腥いもん、名無子には見せねぇでやってくれ」
微かに口の端を上げ、視線を逸らすことなく悟浄が答える。
既にハンマーは起こされている。
トリガーに掛かった指に、力が込められ―――
「三蔵!やめろぉぉおお!!」
駆け付けた悟空の絶叫。その合間、銃声が闇に響いた。
「……この距離で外してんじゃねぇよ」
米神から流れ出た血が、同じ色をした髪を伝い、地面へと落ちる。
悟浄を掠めた銃弾は、その背後、木の幹にめり込んでいた。
ぼやくように言った悟浄の胸倉を掴み引き寄せると、鳩尾を膝で強かに蹴り上げる。
「っっぐッ…!!」
そして膝を着いた悟浄の頭を思い切り踏みつけた。
「二度と顔を見せるな。死にたきゃ一人で勝手に野垂れ死ね」
言い捨て、悟浄に背を向ける。
立ち尽くす悟空の向こう、簡易に服を纏った名無子が八戒に付き添われ、涙に濡れた顔でこちらを見詰めていた。
「ごめん…ごめんなさい…」
両手で顔を覆い泣き崩れた名無子の横を、三蔵は何も言わず、視線も向けず素通りしていった。
それを見た八戒は顔を顰めると、
「―――悟空。名無子さんを」
「…あ、あぁ……」
泣きじゃくる名無子を悟空へ預け、既にその場を離れようとしている悟浄の後を追った。
「悟浄」
腕掴み引き止めた八戒に、悟浄は何も言わなかった。
悲哀と絶望に染め上げられた真紅の目が虚ろに八戒を捉える。
その瞳に、悟浄と出会ったときの自分が重なって見えた。
「言い訳の一つくらい、してみたらどうですか…」
八戒が絞り出すような声で言って額に手を翳し、光を集める。
「……悪ぃ」
ただ一言、零れ落ちたのはそれだけだった。
出血を止めると、八戒は悟浄に背を向けた。
これから悟浄がどうするつもりなのか、聞かずともわかっている。
だからこそ―――
「―――償う気持ちがあるなら西へ向かいなさい。これ以上名無子さんに背負わせるような真似したら……地獄まで追い駆けていってでも僕が殺します」
戒めを残し、言葉の鎖で繋いだ。
自分の知る悟浄なら、何を選ぶか―――それを信じて。
八戒も、そして悟浄も、二度と振り返ることはなかった。