第二章
貴女のお名前は?
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とある街、一軒の酒場にその男達の姿はあった。
「―――つまり、や。その『斉天大聖』いうモンスターを倒さな桃源郷に安息は訪れんという事やね」
久々の再会を果たした烏哭から聞かされた話をヘイゼルが咀嚼する。
「うん、まぁそーなるかな」
「一体どこにおるんやそいつは」
「―――これは噂だけど、今は本性を隠してある三蔵法師の元に預けられてるらしいな」
「…何やて?」
「ただ、この異変の影響を受けてそいつの制御が聞かなくなった場合……たとえ三蔵法師でも倒すことはかなわないだろうね」
真剣な面持ちで黙り込んだヘイゼルに、烏哭が続けた。
「でもね、悪い話ばかりじゃないよ?」
「……と、言いますと?」
「君と同じ―――いや、それ以上の力を持つ女の子がいるって話」
「なんやて?」
「君みたいに移し替える魂も、何の代償も必要とせずに人を生き返らせることができる力―――それを持ってる子も、その三蔵法師の元にいるらしいよ。これがまた嘘みたいな話なんだけどさぁ、その子と三蔵法師、どうやら恋仲らしくってね。随分溺愛してるとか」
俄には信じられないといったふうに笑いながら話す烏哭だったが、ヘイゼルには思い当たる節があった。
「その子がいれば今以上に人間を助けることができるんだろうけど…斉天大聖と一緒っていうのが怖いよねぇ…」
「…烏哭はん。確かめたい事ができたわ」
「―――そう。じゃあ、行くといいよ」
ヘイゼルが席を立ち、店を出ていく。
「君の選んだ道をね」
咥え煙草で見送る烏哭の口元に、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
幾つもの山越えと野宿を経て、一行は街へと辿り着いた。
三日振りのまともな食事を済ませ、宿へ向かう。
「三蔵、二人部屋に5人でも構いませんね?」
生憎、名無子と二人だけとはいかなかったが
「…野宿よりはマシだ」
と渋々了承した。
「この町に来てからやたらと黄色い目を見かけんな」
「ヘイゼルさんもこの町を訪れたんでしょうねきっと」
始めは少々身構えたものの、今回は襲い掛かってくる様子もない。
笑顔で日常を送り、生きていて良かったと話す人々を目の当たりにして、一度は心に沈めたはずの澱が舞い上がるのを感じていた。
それを察したのか、八戒が笑顔で話を切り替える。
「ところで。今日のベッドはどうします?片方はいつも通り……」
「俺が使う。当然」
八戒が向けた視線の先、真っ先にベッドへ腰を下ろしていた三蔵が宣った。
「お前がじゃなくて名無子ちゃんが!な!」
「結局は同じことだろうが」
「全っっ然違ぇ!心境が!!」
「はいはい悟浄。その辺で。で、もう一つのベッドは……カードで決めましょうか」
「「絶対嫌」」
思惑を隠そうともしない八戒と、声を揃えた悟空と悟浄を名無子が笑っていた。
その夜、宿の女主人にお勧めされた蟹料理の専門店で思う存分腹を満たし、宿へと戻ってきた一行を
「おかえりやす」
見知った顔が出迎えた。
「何でてめェらがここに居んだよ!?」
狭い部屋に招かれざる来客。
朗らかながらも戦々恐々とした笑みと嫌味の応酬を三蔵が引き戻す。
「何故西に戻ってきた」
「実はちょっと捜しとる妖怪がおるんや。なんでもごっつぅ凶悪な妖怪が西におる言う話を聞いてな、引き返して来た処なんよ」
どうやら協力を仰ぎたい様子だが辛辣に一蹴されると意外にも簡単に引き下がった。
「今日の処はこの辺でおいとましまひょ」
「今日の処って…」
「この街のお人らがえらい豪華な宿用意してくれはったんや。さっき戴いた御馳走も凄かったわ〜」
無邪気か嫌味か。当然に後者と受け取ったチビッコどもが噛み付く。
「…あーそーかい。生憎こっちも豪華カニ料理で満腹なんでよ!!」
「そーだそーだ!!すっげぇ美味かったもんね上海蟹!!」
張り合う二人をふっと笑い、
「蟹は―――タラバや」
最後まで鼻につく捨て台詞を吐いて去って行った。
ヘイゼル達が去って暫く、三蔵は理由も言わず一人部屋を出て行った。
「何だ?一体」
「考え事じゃないですかねぇ」
「ま、俺的には願ったり叶ったりなんだけどな」
名無子の座ってるベッドに飛び乗ると、名無子の隣に腰掛け腕を回した。
「また暫くは俺の名無子ちゃん、ってね」
至極上機嫌で言って名無子の髪に口付ける。
「あー、ヘイゼルさんが来ちゃったから…」
「あれ?でもそれってさ、ヘイゼルが敵かどうかわかんなかったからだよな?別にもう良くね?本当のこと言っても」
「あ。確かに」
「いやいや!まだわかんねーぜ?万が一ってこともあるし、"三蔵の女"じゃない方が狙われにくいのは確かだろ?」
「それは…まぁ…」
単なる我欲に過ぎないのは分かっているのだが、筋は通っている。
まだその情報は漏れていないのか、幸いにして、名無子を"三蔵の女"と認識して襲ってくる妖怪はこれまでのところいなかった。
しかし、
「表向きなら私はどっちでも良いけど……三蔵がだめって言うと思うよ?」
小首を傾げた名無子の、ご尤もな一言。
「ですね」
「だな」
「くっ…せめて今だけでもっ…」
往生際悪く名無子に抱きついた悟浄に、八戒と悟空の白けた視線が突き刺さっていた。
「―――ところでさ、名無子ちゃん」
名無子の首元に顔を埋めたまま、悟浄が呼び掛ける。
「ん?」
「もし俺が、名無子ちゃんの望まない形で死んだら―――生き返らせてくれる?」
突然降って湧いたその言葉に、八戒と悟空が目を見開いた。
「悟浄!?」
「判断は任せるけど、そーねぇ…病死老衰腹上死、以外で死んだら、かな?」
冗談めかして言う悟浄を、八戒が眉を顰め睨み付ける。
「悟浄貴方……自分が何言ってるかわかってるんですか?」
声を厳しく問うも、
「マジもマジ。俺はどこぞの最高僧みたいなご立派な死生観なんか持ち合わせてねぇしな。
多少若返ろうが記憶なくそうが、俺なら何度でも名無子ちゃんに惚れる自信あるし、それに―――」
普段通りの軽い口調で言って顔を上げると、名無子を真っ直ぐに見詰めた。
「名無子、俺がいないとダメだろ?」
大事な人達には在るが儘に生きてほしいと、名無子は言った。
その延長が死ならそれでいいと。
俺もさ、そう思ってたけどよ。
ずっと、名無子が消えることを恐れてたのに、
いつの間にか名無子を遺して逝くことの方が恐くなっちまってた。
どうせ、お前は泣くんだろ?
どこかの街で、父親を亡くして泣いてた娘みたいに。
惚れた女を泣かせて、その涙も拭えないなんて真似、できるわけがねぇ。
倫理観だとか道徳心だとか、そんなの知ったことか。
生き返ってやるさ。お前が生きていてほしいと、そう願ってくれるなら。
悪戯な微笑を引いた口元。しかしその眼差しはまるで全てを見透かしているようで。
「悟浄…もしかして……」
呟いた名無子に、
「ん?」
悟浄が疑問符を浮かべる。
そんなはずはないと名無子は疑念を振り払った。
八戒は呆れ顔で見詰めているが、名無子の心には別の感情が渦巻いていて、気を抜けば溢れそうなその想いを深呼吸で堪える。
「―――うん。わかった」
必死に笑顔を繕った目の端から、零れてしまった一滴を悟浄が指で掬う。
「こんな泣き虫な名無子遺して死んでられっかよ」
言って、名無子を抱き寄せ笑う。
浮薄な言葉の奥、悟浄の覚悟に八戒も悟空も気付いた。
この上なくシンプルで、真っ直ぐな想い。
惑わず、標を持つ者の強さを垣間見る。
何故だか悟空は、三蔵と話したいと、そう思った。
「俺、ちょっと三蔵探してくる」
立ち上がり、部屋の外へと駆け出す。
窓の外、一羽の烏が哭いた。
不意に名無子の目が見開かれる。
「……!!悟空待って!だめ!!」
悟浄の腕から離れ、悟空を追おうと足を踏み出したその瞬間―――
「名無子!!?」
名無子を、そして悟浄と八戒を、音もなく闇が飲み込んだ。
そこは、目を開けているのか閉じているのかもわからない、闇の中だった。
天地もなく、自身の存在すら見失いそうな一面の闇。
「悟浄!八戒!!」
傍らに横たわっている二人に気付き名無子が駆け寄る。
呼吸は――ある。意識を失っているだけのようだ。
安堵に息を吐いたその時、一人の男が宙に浮かんで立っていることに気付く。
「烏哭…三蔵法師……」
名無子の険しい表情とは対象的に、薄笑いを浮かべたその男の名を、名無子は呼んだ。
「ご明答。初対面のはずなんだけど、なぁんで知ってるのかな?名無子チャン」
悟浄とは毛色の違う軽薄な声に名無子は答えることなく、ただ真っ直ぐに見据えている。
「しかしこの中で普通に立ってられるなんてねぇ…普通はそうなっちゃうんだよ?」
笑いながら視線を二人に向けた烏哭に、名無子が眉根を寄せた。
「粗方理解してるみたいだけどさ、今は君がいるとね、困るんだ。
その子達は―――まぁ、どっちでもいいんだけど、戻してあげるよ。
だから君は大人しく、ここで見ててくれるかな―――あぁ、もう"知ってる"んだっけ?」
にやりと唇を歪ませた烏哭と悟浄、八戒の姿が闇に消える。
代わりに浮かび上がった、映画のスクリーンのような四角いビジョン。
「 …俺はいいや 」
「 そん時は、いいや 」
そこに映し出されたのは、
「だめ…やめて……やめてぇぇえええッ!!」
三蔵の目の前で、全身から鮮血を吹き出し倒れる悟空の姿だった。
「っっ!!?」
全身を走った衝撃で悟浄と八戒は目を覚ました。
「っ―――一体何が…」
元いた部屋の床の上に放り出された身体。
何が起きたのかもわからぬまま辺りを見渡す。
「名無子……おい!名無子は!!?」
「名無子!?」
意識が途切れる直前、悟空を呼び止めた名無子を思い出し、二人はもつれる足を踏み締め部屋を飛び出した。
「 三蔵!名無子が―――っっ!!!悟空!? 」
血塗れの悟空を腕に、茫然自失の三蔵に悟浄と八戒が駆け寄る。
「 おい悟空!しっかりしろ!! 」
「 深い傷が多すぎる…出血に追いつかない!! 」
必死に治癒に取り掛かる八戒と悟浄、そして悟空をも残し
「 ―――出て来い!!ブッ殺してやる!!! 」
街を駆け、悲鳴のような叫びを上げる三蔵を、名無子は闇の中からただ見ていた。
悟空を救うため八戒が金鈷を外すのを、死の淵から蘇るも暴走状態となった悟空が人々に襲いかかるのを、そして、それを止めるために八戒がカフスを外すのを、見ていることしかできなかった。
「嫌だ…もうやめて……お願い…」
止めどなく溢れる涙が頬を濡らしていく。
しかし自分にできることなど何もない。
あの場にいても、足手纏いにしかなれないだろう。
"今は"困ると、烏哭はそう言った。
事が終わればここから出られるかも知れない。
それまで待てば―――
「 八戒ィ!!! 」
身を挺し、八戒を暴走状態から引き戻した悟浄の声が、鼓膜を揺らした。
いざという時、盾にくらいはなれる。
そう言ったのは、私自身だったのに。
考えろ 考えろ 考えろ
どうすればいい。今何ができる。
こんなところで立ち止まっているだけじゃ、
彼らの傍にいる資格なんて、ない―――
(隔離するためだけの空間……静の闇…なら)
「―――消す」
立ち上がり、涙を拭う。
その顔に、もう迷いはなかった。
すぅっと息を吸い込み、目を閉じる。
親指と人差し指を捻り結んで、その両手を左右に広げた。
闇が、揺らいだ。
名無子を中心として光が広がり、闇を侵食していく。
そして須臾の間、無明の闇を、銀色の閃光が飲み込んだ―――
「無明長夜の闇を破し―――って、ホント嫌んなっちゃうね…でも―――もう手遅れだよ」
不敵な笑いを浮かべる烏哭の声は、誰にも届くことはなかった。
闇から脱した名無子は、街へと走った。
水溜りに足を取られ転びそうになりながらもただ只管に足を進める。
その視界に飛び込んできたのは
「みんな……」
「―――名無子!!?無事か!?」
両腕に血に塗れぼろぼろになった悟空と八戒を抱え、真っ先に無事を問うた悟浄の姿だった。
そしてその奥、逆方向へと歩みを進める三蔵の背中が見える。
「―――っっ…」
違えてしまった道。それでも―――
唇を噛み、悟浄へと駆け寄る。
「悟浄」
「名無子!どこ行ってた!?怪我は―――」
「大丈夫。私は何ともない」
ほっと安堵を滲ませた悟浄の腕に手を添え、真っ直ぐに視線を合わせた。
「悟浄。"大丈夫"だから。悟空にも、そう伝えて」
「………名無子―――」
そう言い残し、悟浄の言葉を待たずその横を通り過ぎる。
そしてヘイゼル達に声を掛け歩みを進める三蔵へと追い付いた。
「三蔵」
呼び掛けた名無子に、三蔵は振り向かなかった。
「……お前はあいつらと一緒に行け」
静かに、色のない声が言う。
「ごめん。それはできない」
答える声は、なかった。
「―――つまり、や。その『斉天大聖』いうモンスターを倒さな桃源郷に安息は訪れんという事やね」
久々の再会を果たした烏哭から聞かされた話をヘイゼルが咀嚼する。
「うん、まぁそーなるかな」
「一体どこにおるんやそいつは」
「―――これは噂だけど、今は本性を隠してある三蔵法師の元に預けられてるらしいな」
「…何やて?」
「ただ、この異変の影響を受けてそいつの制御が聞かなくなった場合……たとえ三蔵法師でも倒すことはかなわないだろうね」
真剣な面持ちで黙り込んだヘイゼルに、烏哭が続けた。
「でもね、悪い話ばかりじゃないよ?」
「……と、言いますと?」
「君と同じ―――いや、それ以上の力を持つ女の子がいるって話」
「なんやて?」
「君みたいに移し替える魂も、何の代償も必要とせずに人を生き返らせることができる力―――それを持ってる子も、その三蔵法師の元にいるらしいよ。これがまた嘘みたいな話なんだけどさぁ、その子と三蔵法師、どうやら恋仲らしくってね。随分溺愛してるとか」
俄には信じられないといったふうに笑いながら話す烏哭だったが、ヘイゼルには思い当たる節があった。
「その子がいれば今以上に人間を助けることができるんだろうけど…斉天大聖と一緒っていうのが怖いよねぇ…」
「…烏哭はん。確かめたい事ができたわ」
「―――そう。じゃあ、行くといいよ」
ヘイゼルが席を立ち、店を出ていく。
「君の選んだ道をね」
咥え煙草で見送る烏哭の口元に、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
幾つもの山越えと野宿を経て、一行は街へと辿り着いた。
三日振りのまともな食事を済ませ、宿へ向かう。
「三蔵、二人部屋に5人でも構いませんね?」
生憎、名無子と二人だけとはいかなかったが
「…野宿よりはマシだ」
と渋々了承した。
「この町に来てからやたらと黄色い目を見かけんな」
「ヘイゼルさんもこの町を訪れたんでしょうねきっと」
始めは少々身構えたものの、今回は襲い掛かってくる様子もない。
笑顔で日常を送り、生きていて良かったと話す人々を目の当たりにして、一度は心に沈めたはずの澱が舞い上がるのを感じていた。
それを察したのか、八戒が笑顔で話を切り替える。
「ところで。今日のベッドはどうします?片方はいつも通り……」
「俺が使う。当然」
八戒が向けた視線の先、真っ先にベッドへ腰を下ろしていた三蔵が宣った。
「お前がじゃなくて名無子ちゃんが!な!」
「結局は同じことだろうが」
「全っっ然違ぇ!心境が!!」
「はいはい悟浄。その辺で。で、もう一つのベッドは……カードで決めましょうか」
「「絶対嫌」」
思惑を隠そうともしない八戒と、声を揃えた悟空と悟浄を名無子が笑っていた。
その夜、宿の女主人にお勧めされた蟹料理の専門店で思う存分腹を満たし、宿へと戻ってきた一行を
「おかえりやす」
見知った顔が出迎えた。
「何でてめェらがここに居んだよ!?」
狭い部屋に招かれざる来客。
朗らかながらも戦々恐々とした笑みと嫌味の応酬を三蔵が引き戻す。
「何故西に戻ってきた」
「実はちょっと捜しとる妖怪がおるんや。なんでもごっつぅ凶悪な妖怪が西におる言う話を聞いてな、引き返して来た処なんよ」
どうやら協力を仰ぎたい様子だが辛辣に一蹴されると意外にも簡単に引き下がった。
「今日の処はこの辺でおいとましまひょ」
「今日の処って…」
「この街のお人らがえらい豪華な宿用意してくれはったんや。さっき戴いた御馳走も凄かったわ〜」
無邪気か嫌味か。当然に後者と受け取ったチビッコどもが噛み付く。
「…あーそーかい。生憎こっちも豪華カニ料理で満腹なんでよ!!」
「そーだそーだ!!すっげぇ美味かったもんね上海蟹!!」
張り合う二人をふっと笑い、
「蟹は―――タラバや」
最後まで鼻につく捨て台詞を吐いて去って行った。
ヘイゼル達が去って暫く、三蔵は理由も言わず一人部屋を出て行った。
「何だ?一体」
「考え事じゃないですかねぇ」
「ま、俺的には願ったり叶ったりなんだけどな」
名無子の座ってるベッドに飛び乗ると、名無子の隣に腰掛け腕を回した。
「また暫くは俺の名無子ちゃん、ってね」
至極上機嫌で言って名無子の髪に口付ける。
「あー、ヘイゼルさんが来ちゃったから…」
「あれ?でもそれってさ、ヘイゼルが敵かどうかわかんなかったからだよな?別にもう良くね?本当のこと言っても」
「あ。確かに」
「いやいや!まだわかんねーぜ?万が一ってこともあるし、"三蔵の女"じゃない方が狙われにくいのは確かだろ?」
「それは…まぁ…」
単なる我欲に過ぎないのは分かっているのだが、筋は通っている。
まだその情報は漏れていないのか、幸いにして、名無子を"三蔵の女"と認識して襲ってくる妖怪はこれまでのところいなかった。
しかし、
「表向きなら私はどっちでも良いけど……三蔵がだめって言うと思うよ?」
小首を傾げた名無子の、ご尤もな一言。
「ですね」
「だな」
「くっ…せめて今だけでもっ…」
往生際悪く名無子に抱きついた悟浄に、八戒と悟空の白けた視線が突き刺さっていた。
「―――ところでさ、名無子ちゃん」
名無子の首元に顔を埋めたまま、悟浄が呼び掛ける。
「ん?」
「もし俺が、名無子ちゃんの望まない形で死んだら―――生き返らせてくれる?」
突然降って湧いたその言葉に、八戒と悟空が目を見開いた。
「悟浄!?」
「判断は任せるけど、そーねぇ…病死老衰腹上死、以外で死んだら、かな?」
冗談めかして言う悟浄を、八戒が眉を顰め睨み付ける。
「悟浄貴方……自分が何言ってるかわかってるんですか?」
声を厳しく問うも、
「マジもマジ。俺はどこぞの最高僧みたいなご立派な死生観なんか持ち合わせてねぇしな。
多少若返ろうが記憶なくそうが、俺なら何度でも名無子ちゃんに惚れる自信あるし、それに―――」
普段通りの軽い口調で言って顔を上げると、名無子を真っ直ぐに見詰めた。
「名無子、俺がいないとダメだろ?」
大事な人達には在るが儘に生きてほしいと、名無子は言った。
その延長が死ならそれでいいと。
俺もさ、そう思ってたけどよ。
ずっと、名無子が消えることを恐れてたのに、
いつの間にか名無子を遺して逝くことの方が恐くなっちまってた。
どうせ、お前は泣くんだろ?
どこかの街で、父親を亡くして泣いてた娘みたいに。
惚れた女を泣かせて、その涙も拭えないなんて真似、できるわけがねぇ。
倫理観だとか道徳心だとか、そんなの知ったことか。
生き返ってやるさ。お前が生きていてほしいと、そう願ってくれるなら。
悪戯な微笑を引いた口元。しかしその眼差しはまるで全てを見透かしているようで。
「悟浄…もしかして……」
呟いた名無子に、
「ん?」
悟浄が疑問符を浮かべる。
そんなはずはないと名無子は疑念を振り払った。
八戒は呆れ顔で見詰めているが、名無子の心には別の感情が渦巻いていて、気を抜けば溢れそうなその想いを深呼吸で堪える。
「―――うん。わかった」
必死に笑顔を繕った目の端から、零れてしまった一滴を悟浄が指で掬う。
「こんな泣き虫な名無子遺して死んでられっかよ」
言って、名無子を抱き寄せ笑う。
浮薄な言葉の奥、悟浄の覚悟に八戒も悟空も気付いた。
この上なくシンプルで、真っ直ぐな想い。
惑わず、標を持つ者の強さを垣間見る。
何故だか悟空は、三蔵と話したいと、そう思った。
「俺、ちょっと三蔵探してくる」
立ち上がり、部屋の外へと駆け出す。
窓の外、一羽の烏が哭いた。
不意に名無子の目が見開かれる。
「……!!悟空待って!だめ!!」
悟浄の腕から離れ、悟空を追おうと足を踏み出したその瞬間―――
「名無子!!?」
名無子を、そして悟浄と八戒を、音もなく闇が飲み込んだ。
そこは、目を開けているのか閉じているのかもわからない、闇の中だった。
天地もなく、自身の存在すら見失いそうな一面の闇。
「悟浄!八戒!!」
傍らに横たわっている二人に気付き名無子が駆け寄る。
呼吸は――ある。意識を失っているだけのようだ。
安堵に息を吐いたその時、一人の男が宙に浮かんで立っていることに気付く。
「烏哭…三蔵法師……」
名無子の険しい表情とは対象的に、薄笑いを浮かべたその男の名を、名無子は呼んだ。
「ご明答。初対面のはずなんだけど、なぁんで知ってるのかな?名無子チャン」
悟浄とは毛色の違う軽薄な声に名無子は答えることなく、ただ真っ直ぐに見据えている。
「しかしこの中で普通に立ってられるなんてねぇ…普通はそうなっちゃうんだよ?」
笑いながら視線を二人に向けた烏哭に、名無子が眉根を寄せた。
「粗方理解してるみたいだけどさ、今は君がいるとね、困るんだ。
その子達は―――まぁ、どっちでもいいんだけど、戻してあげるよ。
だから君は大人しく、ここで見ててくれるかな―――あぁ、もう"知ってる"んだっけ?」
にやりと唇を歪ませた烏哭と悟浄、八戒の姿が闇に消える。
代わりに浮かび上がった、映画のスクリーンのような四角いビジョン。
「 …俺はいいや 」
「 そん時は、いいや 」
そこに映し出されたのは、
「だめ…やめて……やめてぇぇえええッ!!」
三蔵の目の前で、全身から鮮血を吹き出し倒れる悟空の姿だった。
「っっ!!?」
全身を走った衝撃で悟浄と八戒は目を覚ました。
「っ―――一体何が…」
元いた部屋の床の上に放り出された身体。
何が起きたのかもわからぬまま辺りを見渡す。
「名無子……おい!名無子は!!?」
「名無子!?」
意識が途切れる直前、悟空を呼び止めた名無子を思い出し、二人はもつれる足を踏み締め部屋を飛び出した。
「 三蔵!名無子が―――っっ!!!悟空!? 」
血塗れの悟空を腕に、茫然自失の三蔵に悟浄と八戒が駆け寄る。
「 おい悟空!しっかりしろ!! 」
「 深い傷が多すぎる…出血に追いつかない!! 」
必死に治癒に取り掛かる八戒と悟浄、そして悟空をも残し
「 ―――出て来い!!ブッ殺してやる!!! 」
街を駆け、悲鳴のような叫びを上げる三蔵を、名無子は闇の中からただ見ていた。
悟空を救うため八戒が金鈷を外すのを、死の淵から蘇るも暴走状態となった悟空が人々に襲いかかるのを、そして、それを止めるために八戒がカフスを外すのを、見ていることしかできなかった。
「嫌だ…もうやめて……お願い…」
止めどなく溢れる涙が頬を濡らしていく。
しかし自分にできることなど何もない。
あの場にいても、足手纏いにしかなれないだろう。
"今は"困ると、烏哭はそう言った。
事が終わればここから出られるかも知れない。
それまで待てば―――
「 八戒ィ!!! 」
身を挺し、八戒を暴走状態から引き戻した悟浄の声が、鼓膜を揺らした。
いざという時、盾にくらいはなれる。
そう言ったのは、私自身だったのに。
考えろ 考えろ 考えろ
どうすればいい。今何ができる。
こんなところで立ち止まっているだけじゃ、
彼らの傍にいる資格なんて、ない―――
(隔離するためだけの空間……静の闇…なら)
「―――消す」
立ち上がり、涙を拭う。
その顔に、もう迷いはなかった。
すぅっと息を吸い込み、目を閉じる。
親指と人差し指を捻り結んで、その両手を左右に広げた。
闇が、揺らいだ。
名無子を中心として光が広がり、闇を侵食していく。
そして須臾の間、無明の闇を、銀色の閃光が飲み込んだ―――
「無明長夜の闇を破し―――って、ホント嫌んなっちゃうね…でも―――もう手遅れだよ」
不敵な笑いを浮かべる烏哭の声は、誰にも届くことはなかった。
闇から脱した名無子は、街へと走った。
水溜りに足を取られ転びそうになりながらもただ只管に足を進める。
その視界に飛び込んできたのは
「みんな……」
「―――名無子!!?無事か!?」
両腕に血に塗れぼろぼろになった悟空と八戒を抱え、真っ先に無事を問うた悟浄の姿だった。
そしてその奥、逆方向へと歩みを進める三蔵の背中が見える。
「―――っっ…」
違えてしまった道。それでも―――
唇を噛み、悟浄へと駆け寄る。
「悟浄」
「名無子!どこ行ってた!?怪我は―――」
「大丈夫。私は何ともない」
ほっと安堵を滲ませた悟浄の腕に手を添え、真っ直ぐに視線を合わせた。
「悟浄。"大丈夫"だから。悟空にも、そう伝えて」
「………名無子―――」
そう言い残し、悟浄の言葉を待たずその横を通り過ぎる。
そしてヘイゼル達に声を掛け歩みを進める三蔵へと追い付いた。
「三蔵」
呼び掛けた名無子に、三蔵は振り向かなかった。
「……お前はあいつらと一緒に行け」
静かに、色のない声が言う。
「ごめん。それはできない」
答える声は、なかった。