第二章
貴女のお名前は?
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その日、街に到着した時間と悟空の腹時計の兼ね合いで、昼食には遅すぎる、夕食には早すぎる時間に食事を取った一行。
夜になって案の定、
「なんか腹減ったー…」
悟空の腹の虫が騒ぎ出した。
「とは言え、買い出しまだなので酒のツマミくらいしかないんですよねぇ」
「朝飯まで我慢しろ」
「えー…これじゃ腹減って寝れねぇよぉ…」
三蔵の無情な声に、悲壮な腹の音を鳴らして縋っていると
「確かに俺も小腹空いたな…」
悟浄の援護射撃に悟空の顔が明らむ。
「だべ!?悟浄、なんか食いに―――」
「名無子ちゃん、小腹満たすついでに飲み行かね?」
受け流された一方通行の視線に、思わず肩を滑らせた。
「なんでだよ!俺も行く!!」
「行くなら一人で行って来い。俺は名無子ちゃんと二人でしっぽりと夜のデートしてくっから」
「誰が行かすか。勝手に決めてんじゃねぇよ」
「なぁー!腹減ったーーー!!」
上から下から、音量を増していく悟空に三蔵の米神に青筋が浮き始めていることに気付いた名無子が事態の収拾を図るべく折衷案を提示する。
「じゃあ、三人で行く??」
「行く!!」
「だァから!俺は名無子ちゃんと二人で―――」
「あーもううるせェ!!行くならさっさと行け!但し11時迄には帰って来い」
喧しさに痺れを切らし三蔵が折れた。
しかし、付け加えられた条件に悟浄がちらり、時計に視線を遣って溜息を吐く。
「11時ってガキの門限かよ…あと二時間もねぇし」
「軽く飲み食いして帰ってくるだけなら十分だろうが。嫌なら悟空と二人で行け」
「それじゃ何のも意味ねー…」
「行こうぜ名無子!!夜食夜食ー!」
「あ、ちょっ―――待て悟空!」
名無子の手を引き駆け出した悟空を追い掛ける悟浄。
あっという間に去って行った喧騒に、三蔵の嘆息と八戒の苦笑いが滲んだ。
通りの両側に立ち並ぶ夜店に目移りしながら右へ左へ。
鼻を鳴らし本能の赴くままに歩き回る悟空を見失わないよう目を配っている名無子と、悟空のことなど気にも止めず名無子の腰に手を回し機嫌良く歩く悟浄に
「そこのお二人さん!」
声を掛けた露天商がいた。
「こりゃまた美男美女のお似合いのカップルだねぇ。どうだい?一つ」
其々に違うものに気を取られていた二人だったが、傍から見ればただのカップルに見えたのだろう。
その言葉に気を良くした悟浄が足を止めた。
「お。おっちゃん見る目あんじゃん。何、菓子??」
「そう、今若いカップルに大人気!!付き合いたてのカップルは末永く、倦怠期のカップルも出逢った頃のように、絆を深めて親密度をアップさせる魔法のお菓子だ!」
差し出されたのは小さな箱に入った、悟空なら一口サイズのハート型の焼き菓子だった。
露骨にカップルをターゲットにした胡散臭い売り文句を悟浄が鼻で笑う。
「魔法て…なんだそりゃ」
「まぁ、お呪いみたいなもんだけどね。本日最後の一組!安くしとくよ、兄ちゃん」
正直なところ、お呪いにでも縋りたい気持ちはなきにしもあらずだった。
一度は膝を着きかけた心もとうに癒え、今日のように隙を見て距離を詰めては虎視眈々とその時を狙ってはいるものの、名無子の目に三蔵以外映っていないのは、いつも名無子を見ている悟浄が一番よく分かっていた。
今もまた、大して興味もなさそうに隣から覗き込み、悟浄の判断を待っている。
買ってやればそれはそれで喜ぶのだろうが……
悩んだ末―――そもそも、こんなことで悩むのもどうなのかと自嘲しながら、
「―――んにゃ、いいわ。既に俺ら、深〜〜〜い絆で結ばれてっから。な?名無子ちゃん」
名無子を抱き寄せ冗談めかして言えば、
「うん」
と、柔らかな笑みが返ってくる。
それだけで、悟浄にとっては十分だった。
「悟浄ー!名無子ー!こっち!早く来いよー」
「おー。―――じゃ、悪ぃなおっちゃん」
人混みの中飛び跳ね手を振る悟空の声に答え、名無子と二人、苦笑を浮かべている露天に背を向けた。
ほぼ満席となっている酒場の片隅、悟浄の思惑に嵌って酔い潰された悟空がテーブルに突っ伏している。
「食って飲んで寝て……お子様はお手軽で良いねぇ…」
「ふふっ、可愛い」
笑みを零しながら悟空の頭を撫でている名無子を目に、悟浄の口元にも微笑が灯る。
「―――ま、そのお陰で二人っきりで飲めるし、な?」
「ん」
屈託なく微笑んだ名無子のグラスに酒を注いでやり、自身もグラスを傾けながら尋ねた。
「―――で。どーなのよ最近。三蔵とは」
返された沈黙と、訝しむようにこちらを見詰める銀眼に首を傾げる。
「ん?どったの?」
「いや、なんで聞きたくないこと聞くんだろうって…」
躊躇いがちに問い返した萎れた声に、悟浄が吹き出した。
「っふはッ―――全く、名無子ちゃんには敵わねーな」
折角世間話の体を装っても、こちらの想いをこうも汲まれては一溜りもない。
しかし少なくとも、想いは伝わっているし忘れられてもいないことが悟浄は嬉しかった。
「んー…心配半分、付け入る隙を探してんのが半分、かな」
「……正直に言い過ぎじゃない?」
小さく笑った名無子に苦笑を返し、言葉を続ける。
「俺もそー思う。でも、名無子ちゃんには嘘吐きたくねーし、それに―――」
「それに?」
「名無子だったら、どんなカッコ悪い俺でも嫌いにならないでいてくれんだろーなって」
「うん。ならない」
欲を言えば"カッコ悪い"も否定してほしかったところだが、迷いのない即答に笑みを滲ませる。
「―――そんで?俺の付け入る隙はありそう?」
" 聞きたくないこと "
それが答えだとわかっているのだが。
「なさそう?かな?」
案の定な答え。
疑問符がついているのは、そもそも付け入る隙が何なのかよくわかっていないせいだろう。
「そりゃ―――素直に良かったとは言えねぇなぁ…」
わざとらしく溜息を吐いて見せた悟浄を、困ったように名無子が笑う。
「ほんと正直だね。でも……大丈夫?」
「何が??」
「私が言うことじゃないけど…その…苦しい思いさせてるの、やだなって…」
尻窄みな言葉。落ちていく視線。
悟浄の胸がじくりと疼いた。
「……付け入る隙、作ってくれてる?」
「そういうわけじゃ…」
「名無子ちゃん」
名を呼ばれ、少しだけ視線を上げた名無子に自分の頬を向け、指先でとんとん、と叩く。
「悪いなーって思ってくれてんなら、お詫びってことで」
悪戯な笑みのその意図に、名無子は萎れた眉で小さく笑い応える。
名無子の吐息が頬を掠め、唇が頬に触れようとするるその瞬間―――
顔の向きを変えた悟浄と、唇同士が触れ合った。
瞬きも忘れた真ん丸な銀月に悟浄の顔が映っている。
羽根のような一瞬の口付けが、燻っていた欲望を叩き起こそうとしてくるのを必死で抑え付け、
「三蔵にはナイショな」
耳元で囁く。
未だ驚愕の色が消えぬ視線と鳴り響く鼓動から目を背け、煙草を咥えると冗談めかして言った。
「信頼してくれんのは嬉しいけど、オトコとして警戒されないのも歯痒い、って男心。わかる?」
「わかんない…」
「かと言って警戒され過ぎんのも都合が悪ぃんだけどな」
「……男心、難しい…」
言葉通りの表情が浮ぶ名無子の顔に嫌悪の色がないことを確認し、安堵を白煙に巻いて吐き出した。
「そーゆーことだから。いつも俺のこと気にしててな、名無子」
改めて頬に口付ければ、頬に仄かにも朱を引いた物言いたげな視線が突き刺さる。
しかし今の悟浄にはそれすらも悦楽でしかない。
得意満面でその視線を躱すと、立ち上がり、悟空を揺さぶった。
「さ、戻るか。―――おら、猿起きろ。帰んぞ」
「ん〜……まだ食える〜……」
「そういう時は『もう食えねぇ』って言うもんじゃねぇの…?」
結局、起きる気配のない悟空を悟浄がおぶって帰路へ着くこととなった。
「クソ重てぇ…なんで名無子ちゃんじゃなくて子猿おぶって帰んなきゃなんねーんだよ…」
文句を垂れながら、人通りが少なくなった通りを名無子と並んで歩く。
ふと、名無子が口を開いた。
「……前から思ってたんだけど、悟浄って普段私のことちゃん付けで呼ぶのに、時々呼び捨てだよね?」
不思議そうに見詰め来る視線から、思わず目を逸らしてしまった。
「あー…あんま意識したことなかったけど…なんだろな」
悟浄が決まり悪そうな表情で口籠っていると、
「悟浄が名無子呼び捨てにするときは、割りとマジなときだって八戒が言ってた」
首元から聞こえた声に身を跳ねさせた。
「ッッ―――悟空てめっ!起きてんなら降りろ!!」
両手を離し、誤魔化すように悟空の頭を叩いた。
「ってッ!……ふぁあ〜…眠ぃ…」
覚醒も一瞬。再び瞼は半ばまで下り、悟空が覚束ない足取りで歩き出す。
悟浄はそれに続きながら、咳払いと
「もしかして呼び捨て嫌だったり…?」
どうでもいい確認事項でお茶を濁す。
「ん?全然?どっちでも」
悟空が差し挟んだ答えを特に気に止めた様子もなく名無子が答えた。
一歩前を歩いていた悟空が、欠伸を零しながら振り返る。
「そう言えばさ、八戒も名無子のこと名無子って呼ぶよな?」
「あ?そりゃそうだろうよ」
何を当たり前のことをと訝る悟浄に、
「違くて。八戒って初対面の相手ってさん付けで呼ぶじゃんいつも。名無子のことは最初から呼び捨てだったなーって」
特段気にしていた訳ではないものの、話の流れでふと思い出した疑問を紡いだ。
「……そういやそうだな」
悟空に言われるまで気付きもしなかったが、確かにその通り。
それが敵であろうと子供であろうと、名乗られれば敬称を付けて呼ぶのが八戒である。
今更ながらに違和感を覚え考え込む悟浄の疑念は
「呼び捨てでも何でも良いよ。みんなが名前呼んでくれるの、それだけで嬉しいし」
その言葉に違わぬ色で微笑む名無子によって容易く霧散した。
「ま、そんなこともあるだろうよ。―――って悟空、ふらふらすんな!目ェ開けて歩け!」
少し先で千鳥足の悟空に悟浄が駆け寄る。
ふと、名無子が足を止め斜め上方、屋根の上を見上げた。
それに気付いた悟浄が、悟空に手を貸してやりながら振り返る。
「名無子ちゃん?」
「―――なんでもない」
足を早め悟浄達に追い付く名無子を、一羽の烏が見下ろしていた。
缶ビール片手に裂きイカを摘みながら、三蔵の視線が壁に掛けられた時計へと走る。
10時を過ぎた頃から―――名無子達が出て行って1時間も経たぬ内から幾度となく時間を確認している三蔵を、八戒が黙って、しかし口の端に笑みを浮かべ見ている。
自分の恋人が横恋慕している男と一緒に出掛けているのだから心配するのも無理からぬ事だ。
ならば行かせなければ良かっただろうにと思わなくもないが、そこは三蔵なりに名無子の自由を慮ってのことだろうと八戒は好意的に捉えていた。
「大丈夫ですよ。悟空も着いてますから」
「……何も言ってねぇ」
八戒の気遣いも余計なお世話と言わんばかりの不機嫌そうな声が返ってくるが、八戒にはとっては慣れたものである。
新しい缶ビールを三蔵に差し出し、構うことなく言葉を続ける。
「名無子がいるからこそ心を煩わされるもあるでしょうが……それも恋愛の醍醐味ですよ」
「んなモン求めてねぇよ…」
嘆息混じりに三蔵がぼやく。
まったくもって余計な、正直遠慮したい煩わしさではある。
が、八戒の言う通り名無子がいるからこそ、名無子を愛したが故の心労であることを考えれば、苦々しくも受け入れざるを得ないものなのだろうと諦め半分で吐息を零す。
それに事実、その煩わしさ以上のものを手にしたのだ。
例え仮に、時をやり直せたとしても、この煩わしさを理由に名無子を選ばないことなどあるはずもないと。
三蔵はふと、思い出す。
「名無子が俺達の元へ来た日、ここで手放せば後悔すると、お前はそう言ったな」
「えぇ。そんなこと言いましたね」
「お前の言葉に従ったわけじゃねぇが―――」
途絶えた言の葉を、八戒がくすり笑った。
「良かったですね、手放さなくて」
「…あぁ」
短くも素直に肯定を示した三蔵の横顔を見詰めながら、随分と柔らかな表情をするようになったものだと八戒が感心する。
「たまには直感に従ってみるものでしょう?」
あの日の言葉を繰り返した八戒に、
「……股間に従ったわけじゃねぇぞ」
同じように三蔵がなぞったのは、八戒が口にしたくだらない冗談だった。
「今となっては似たようなものじゃないですか?」
「お前な…」
名無子がいないからか、明け透けな八戒に三蔵が呆れていると
「あぁそう言えば。気になってたことがあるんですが、聞いてもいいですか?」
今度は八戒が思い出したように言う。
「……なんだ」
何となし、嫌な予感を覚えながらも三蔵が問えば、
「もう、チェリーちゃんは卒業したんですか?」
即結実した予感。思わず三蔵が噎せ返った。
「っっぶッ―――げほッッ……っ…」
「いえね、悟浄がそう呼んで良いものかどうかって悩んでたもんですから」
「っは―――何の話をしてやがるてめーら…」
眉間に刻印を刻み睨め付けてくる三蔵も意に介さず、爽やかな笑みで追撃する。
「で。どうなんです?実際のところ」
「答えるわけねぇだろうが!!二人纏めて死ねぇぇえっ!!」
鳴り響いたハリセン。もう一発が帰ってきて早々、訳も分からぬままの悟浄の頭上に振り下ろされるまで、あと少し―――
夜になって案の定、
「なんか腹減ったー…」
悟空の腹の虫が騒ぎ出した。
「とは言え、買い出しまだなので酒のツマミくらいしかないんですよねぇ」
「朝飯まで我慢しろ」
「えー…これじゃ腹減って寝れねぇよぉ…」
三蔵の無情な声に、悲壮な腹の音を鳴らして縋っていると
「確かに俺も小腹空いたな…」
悟浄の援護射撃に悟空の顔が明らむ。
「だべ!?悟浄、なんか食いに―――」
「名無子ちゃん、小腹満たすついでに飲み行かね?」
受け流された一方通行の視線に、思わず肩を滑らせた。
「なんでだよ!俺も行く!!」
「行くなら一人で行って来い。俺は名無子ちゃんと二人でしっぽりと夜のデートしてくっから」
「誰が行かすか。勝手に決めてんじゃねぇよ」
「なぁー!腹減ったーーー!!」
上から下から、音量を増していく悟空に三蔵の米神に青筋が浮き始めていることに気付いた名無子が事態の収拾を図るべく折衷案を提示する。
「じゃあ、三人で行く??」
「行く!!」
「だァから!俺は名無子ちゃんと二人で―――」
「あーもううるせェ!!行くならさっさと行け!但し11時迄には帰って来い」
喧しさに痺れを切らし三蔵が折れた。
しかし、付け加えられた条件に悟浄がちらり、時計に視線を遣って溜息を吐く。
「11時ってガキの門限かよ…あと二時間もねぇし」
「軽く飲み食いして帰ってくるだけなら十分だろうが。嫌なら悟空と二人で行け」
「それじゃ何のも意味ねー…」
「行こうぜ名無子!!夜食夜食ー!」
「あ、ちょっ―――待て悟空!」
名無子の手を引き駆け出した悟空を追い掛ける悟浄。
あっという間に去って行った喧騒に、三蔵の嘆息と八戒の苦笑いが滲んだ。
通りの両側に立ち並ぶ夜店に目移りしながら右へ左へ。
鼻を鳴らし本能の赴くままに歩き回る悟空を見失わないよう目を配っている名無子と、悟空のことなど気にも止めず名無子の腰に手を回し機嫌良く歩く悟浄に
「そこのお二人さん!」
声を掛けた露天商がいた。
「こりゃまた美男美女のお似合いのカップルだねぇ。どうだい?一つ」
其々に違うものに気を取られていた二人だったが、傍から見ればただのカップルに見えたのだろう。
その言葉に気を良くした悟浄が足を止めた。
「お。おっちゃん見る目あんじゃん。何、菓子??」
「そう、今若いカップルに大人気!!付き合いたてのカップルは末永く、倦怠期のカップルも出逢った頃のように、絆を深めて親密度をアップさせる魔法のお菓子だ!」
差し出されたのは小さな箱に入った、悟空なら一口サイズのハート型の焼き菓子だった。
露骨にカップルをターゲットにした胡散臭い売り文句を悟浄が鼻で笑う。
「魔法て…なんだそりゃ」
「まぁ、お呪いみたいなもんだけどね。本日最後の一組!安くしとくよ、兄ちゃん」
正直なところ、お呪いにでも縋りたい気持ちはなきにしもあらずだった。
一度は膝を着きかけた心もとうに癒え、今日のように隙を見て距離を詰めては虎視眈々とその時を狙ってはいるものの、名無子の目に三蔵以外映っていないのは、いつも名無子を見ている悟浄が一番よく分かっていた。
今もまた、大して興味もなさそうに隣から覗き込み、悟浄の判断を待っている。
買ってやればそれはそれで喜ぶのだろうが……
悩んだ末―――そもそも、こんなことで悩むのもどうなのかと自嘲しながら、
「―――んにゃ、いいわ。既に俺ら、深〜〜〜い絆で結ばれてっから。な?名無子ちゃん」
名無子を抱き寄せ冗談めかして言えば、
「うん」
と、柔らかな笑みが返ってくる。
それだけで、悟浄にとっては十分だった。
「悟浄ー!名無子ー!こっち!早く来いよー」
「おー。―――じゃ、悪ぃなおっちゃん」
人混みの中飛び跳ね手を振る悟空の声に答え、名無子と二人、苦笑を浮かべている露天に背を向けた。
ほぼ満席となっている酒場の片隅、悟浄の思惑に嵌って酔い潰された悟空がテーブルに突っ伏している。
「食って飲んで寝て……お子様はお手軽で良いねぇ…」
「ふふっ、可愛い」
笑みを零しながら悟空の頭を撫でている名無子を目に、悟浄の口元にも微笑が灯る。
「―――ま、そのお陰で二人っきりで飲めるし、な?」
「ん」
屈託なく微笑んだ名無子のグラスに酒を注いでやり、自身もグラスを傾けながら尋ねた。
「―――で。どーなのよ最近。三蔵とは」
返された沈黙と、訝しむようにこちらを見詰める銀眼に首を傾げる。
「ん?どったの?」
「いや、なんで聞きたくないこと聞くんだろうって…」
躊躇いがちに問い返した萎れた声に、悟浄が吹き出した。
「っふはッ―――全く、名無子ちゃんには敵わねーな」
折角世間話の体を装っても、こちらの想いをこうも汲まれては一溜りもない。
しかし少なくとも、想いは伝わっているし忘れられてもいないことが悟浄は嬉しかった。
「んー…心配半分、付け入る隙を探してんのが半分、かな」
「……正直に言い過ぎじゃない?」
小さく笑った名無子に苦笑を返し、言葉を続ける。
「俺もそー思う。でも、名無子ちゃんには嘘吐きたくねーし、それに―――」
「それに?」
「名無子だったら、どんなカッコ悪い俺でも嫌いにならないでいてくれんだろーなって」
「うん。ならない」
欲を言えば"カッコ悪い"も否定してほしかったところだが、迷いのない即答に笑みを滲ませる。
「―――そんで?俺の付け入る隙はありそう?」
" 聞きたくないこと "
それが答えだとわかっているのだが。
「なさそう?かな?」
案の定な答え。
疑問符がついているのは、そもそも付け入る隙が何なのかよくわかっていないせいだろう。
「そりゃ―――素直に良かったとは言えねぇなぁ…」
わざとらしく溜息を吐いて見せた悟浄を、困ったように名無子が笑う。
「ほんと正直だね。でも……大丈夫?」
「何が??」
「私が言うことじゃないけど…その…苦しい思いさせてるの、やだなって…」
尻窄みな言葉。落ちていく視線。
悟浄の胸がじくりと疼いた。
「……付け入る隙、作ってくれてる?」
「そういうわけじゃ…」
「名無子ちゃん」
名を呼ばれ、少しだけ視線を上げた名無子に自分の頬を向け、指先でとんとん、と叩く。
「悪いなーって思ってくれてんなら、お詫びってことで」
悪戯な笑みのその意図に、名無子は萎れた眉で小さく笑い応える。
名無子の吐息が頬を掠め、唇が頬に触れようとするるその瞬間―――
顔の向きを変えた悟浄と、唇同士が触れ合った。
瞬きも忘れた真ん丸な銀月に悟浄の顔が映っている。
羽根のような一瞬の口付けが、燻っていた欲望を叩き起こそうとしてくるのを必死で抑え付け、
「三蔵にはナイショな」
耳元で囁く。
未だ驚愕の色が消えぬ視線と鳴り響く鼓動から目を背け、煙草を咥えると冗談めかして言った。
「信頼してくれんのは嬉しいけど、オトコとして警戒されないのも歯痒い、って男心。わかる?」
「わかんない…」
「かと言って警戒され過ぎんのも都合が悪ぃんだけどな」
「……男心、難しい…」
言葉通りの表情が浮ぶ名無子の顔に嫌悪の色がないことを確認し、安堵を白煙に巻いて吐き出した。
「そーゆーことだから。いつも俺のこと気にしててな、名無子」
改めて頬に口付ければ、頬に仄かにも朱を引いた物言いたげな視線が突き刺さる。
しかし今の悟浄にはそれすらも悦楽でしかない。
得意満面でその視線を躱すと、立ち上がり、悟空を揺さぶった。
「さ、戻るか。―――おら、猿起きろ。帰んぞ」
「ん〜……まだ食える〜……」
「そういう時は『もう食えねぇ』って言うもんじゃねぇの…?」
結局、起きる気配のない悟空を悟浄がおぶって帰路へ着くこととなった。
「クソ重てぇ…なんで名無子ちゃんじゃなくて子猿おぶって帰んなきゃなんねーんだよ…」
文句を垂れながら、人通りが少なくなった通りを名無子と並んで歩く。
ふと、名無子が口を開いた。
「……前から思ってたんだけど、悟浄って普段私のことちゃん付けで呼ぶのに、時々呼び捨てだよね?」
不思議そうに見詰め来る視線から、思わず目を逸らしてしまった。
「あー…あんま意識したことなかったけど…なんだろな」
悟浄が決まり悪そうな表情で口籠っていると、
「悟浄が名無子呼び捨てにするときは、割りとマジなときだって八戒が言ってた」
首元から聞こえた声に身を跳ねさせた。
「ッッ―――悟空てめっ!起きてんなら降りろ!!」
両手を離し、誤魔化すように悟空の頭を叩いた。
「ってッ!……ふぁあ〜…眠ぃ…」
覚醒も一瞬。再び瞼は半ばまで下り、悟空が覚束ない足取りで歩き出す。
悟浄はそれに続きながら、咳払いと
「もしかして呼び捨て嫌だったり…?」
どうでもいい確認事項でお茶を濁す。
「ん?全然?どっちでも」
悟空が差し挟んだ答えを特に気に止めた様子もなく名無子が答えた。
一歩前を歩いていた悟空が、欠伸を零しながら振り返る。
「そう言えばさ、八戒も名無子のこと名無子って呼ぶよな?」
「あ?そりゃそうだろうよ」
何を当たり前のことをと訝る悟浄に、
「違くて。八戒って初対面の相手ってさん付けで呼ぶじゃんいつも。名無子のことは最初から呼び捨てだったなーって」
特段気にしていた訳ではないものの、話の流れでふと思い出した疑問を紡いだ。
「……そういやそうだな」
悟空に言われるまで気付きもしなかったが、確かにその通り。
それが敵であろうと子供であろうと、名乗られれば敬称を付けて呼ぶのが八戒である。
今更ながらに違和感を覚え考え込む悟浄の疑念は
「呼び捨てでも何でも良いよ。みんなが名前呼んでくれるの、それだけで嬉しいし」
その言葉に違わぬ色で微笑む名無子によって容易く霧散した。
「ま、そんなこともあるだろうよ。―――って悟空、ふらふらすんな!目ェ開けて歩け!」
少し先で千鳥足の悟空に悟浄が駆け寄る。
ふと、名無子が足を止め斜め上方、屋根の上を見上げた。
それに気付いた悟浄が、悟空に手を貸してやりながら振り返る。
「名無子ちゃん?」
「―――なんでもない」
足を早め悟浄達に追い付く名無子を、一羽の烏が見下ろしていた。
缶ビール片手に裂きイカを摘みながら、三蔵の視線が壁に掛けられた時計へと走る。
10時を過ぎた頃から―――名無子達が出て行って1時間も経たぬ内から幾度となく時間を確認している三蔵を、八戒が黙って、しかし口の端に笑みを浮かべ見ている。
自分の恋人が横恋慕している男と一緒に出掛けているのだから心配するのも無理からぬ事だ。
ならば行かせなければ良かっただろうにと思わなくもないが、そこは三蔵なりに名無子の自由を慮ってのことだろうと八戒は好意的に捉えていた。
「大丈夫ですよ。悟空も着いてますから」
「……何も言ってねぇ」
八戒の気遣いも余計なお世話と言わんばかりの不機嫌そうな声が返ってくるが、八戒にはとっては慣れたものである。
新しい缶ビールを三蔵に差し出し、構うことなく言葉を続ける。
「名無子がいるからこそ心を煩わされるもあるでしょうが……それも恋愛の醍醐味ですよ」
「んなモン求めてねぇよ…」
嘆息混じりに三蔵がぼやく。
まったくもって余計な、正直遠慮したい煩わしさではある。
が、八戒の言う通り名無子がいるからこそ、名無子を愛したが故の心労であることを考えれば、苦々しくも受け入れざるを得ないものなのだろうと諦め半分で吐息を零す。
それに事実、その煩わしさ以上のものを手にしたのだ。
例え仮に、時をやり直せたとしても、この煩わしさを理由に名無子を選ばないことなどあるはずもないと。
三蔵はふと、思い出す。
「名無子が俺達の元へ来た日、ここで手放せば後悔すると、お前はそう言ったな」
「えぇ。そんなこと言いましたね」
「お前の言葉に従ったわけじゃねぇが―――」
途絶えた言の葉を、八戒がくすり笑った。
「良かったですね、手放さなくて」
「…あぁ」
短くも素直に肯定を示した三蔵の横顔を見詰めながら、随分と柔らかな表情をするようになったものだと八戒が感心する。
「たまには直感に従ってみるものでしょう?」
あの日の言葉を繰り返した八戒に、
「……股間に従ったわけじゃねぇぞ」
同じように三蔵がなぞったのは、八戒が口にしたくだらない冗談だった。
「今となっては似たようなものじゃないですか?」
「お前な…」
名無子がいないからか、明け透けな八戒に三蔵が呆れていると
「あぁそう言えば。気になってたことがあるんですが、聞いてもいいですか?」
今度は八戒が思い出したように言う。
「……なんだ」
何となし、嫌な予感を覚えながらも三蔵が問えば、
「もう、チェリーちゃんは卒業したんですか?」
即結実した予感。思わず三蔵が噎せ返った。
「っっぶッ―――げほッッ……っ…」
「いえね、悟浄がそう呼んで良いものかどうかって悩んでたもんですから」
「っは―――何の話をしてやがるてめーら…」
眉間に刻印を刻み睨め付けてくる三蔵も意に介さず、爽やかな笑みで追撃する。
「で。どうなんです?実際のところ」
「答えるわけねぇだろうが!!二人纏めて死ねぇぇえっ!!」
鳴り響いたハリセン。もう一発が帰ってきて早々、訳も分からぬままの悟浄の頭上に振り下ろされるまで、あと少し―――