第二章
貴女のお名前は?
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立待月が照らす真夜半、三蔵は名無子と二人、部屋の外にいた。
特に用があったわけではない。
強いて言えば、長らく振りに二人きりの時間を過ごしたかったからかもしれない。
誘い出された理由を問うこともせず、名無子は煙草を燻らせる三蔵の隣で、三蔵とは逆を向いて窓枠に腰を下ろし、黙って月を見上げている。
一人心静かに過ごす時間を何より重んじていた三蔵だったが、今ではその隣に名無子の存在があることが必然に思えるようになった。
少し手を伸ばせば触れ合う程の距離にいながら、何を求めるでもないこの静寂が三蔵の心を優しく鎮めていく。
凪の闇に棚引く煙のような時間が幾許か過ぎた頃、名無子がふと口を開いた。
「三蔵は、さん…光明のこと、生き返らせたい?」
いつからか名無子は光明三蔵のことを三蔵とは呼ばなくなった。
それでも時々、こうやって不意に言いかけては引き戻すのが可笑しくて、三蔵の口の端に微笑が上る。
が、それは扠置き、主題へと思いを巡らせる。
「―――そう願ったことがないと言えば嘘になる」
何の偽りも繕いもなく、ただ素直にそう答えた。
名無子の力を知った時、死後の年数、状態は関係ないという言葉を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは確かに師の事だった。
しかし―――
「お前が言っただろう『在りの儘に生きたその延長が死ならそれでいい』と。
それを聞いてきっと、お師匠様も同じことを言うと、そう思った」
全てを消化しきれたわけではない。傷跡は未だ、同じところに残って時折じくりと疼く。
それでも、死すらも在りの儘に受け入れる澄んだ銀月が、胸の澱みを淡く溶かしていくのを確かに感じた。
三蔵はふと思い出す。
名無子と出会って間もない頃、自分を光明三蔵の代わりに見ていると思い込んで憤慨したことがあった。
その時はまさか、自分が名無子と師とを重ねる日が来るとは夢にも思わなかった。
「お前は正しく…お師匠様の娘、だな」
ふっと口元に笑みを乗せて呟いた三蔵に
「…三蔵のお姉さん??」
首を傾げながらどこか嬉しそうに名無子が尋ねる。
「それはいらんと何度言えばわかる…」
呆れ顔の三蔵を可笑しそうに笑って、名無子はまた月を見上げた。
「いつかまた会えたら、お父さんって呼んでもいいかなぁ」
名無子でなければくだらないと一蹴するような夢物語も、今だけは―――
「あぁ、呼んでやれ。きっと喜ぶ」
年甲斐もなく、子供のように目を輝かせて喜ぶ姿が目に浮かぶようだと三蔵は鼻で笑った。
「三蔵も呼んであげたら喜ぶと思うよ?」
「だろうな。絶対ェ呼ばねぇ」
「やっぱり可愛くない」
記憶に残る光明の僅かな言葉を思い出しては笑う名無子を、心から愛おしいと思った。
「―――ねぇ三蔵。私の"力"は、必要ない?」
その声にちらりと視線を向けるが、不安の色はない。
わかった上でのその問いに三蔵は口の端を上げ、躊躇なく答えた。
「あぁ。お前自身がいれば、それでいい」
視界の隅で、名無子がふわり柔らかな笑みを湛えていた。
「お。おかえり名無子ちゃん……ん?三蔵は?」
静かに開いた部屋の扉から名無子の姿を捉えた悟浄が、珍しく傍にいないその存在を尋ねる。
「一緒だったけどヘイゼルの気配がしたから、一足先にこっそり戻ってきた。二人はまだ起きてたの?悟空は?」
「お猿ちゃんはまだ外で運動中。俺らは男二人でナイショ話」
電気も消した暗い部屋の中、其々のベッドで半身を起こした二人が視線を交わし苦笑いを浮かべた。
「そっか…ふふっ、仲良しでいいね。もしかして邪魔した?」
「まさか。野郎よりも名無子ちゃんと仲良くしたいに決まってるっしょ」
「悟浄、僕のことは遊びだったんですか…?」
「おい!気色悪いこと言ってんな!」
「八戒可哀想…」
「名無子ちゃん、意外と悪ノリするよね…」
苦笑して名無子を手招けば、素直に応じた名無子が悟浄のベッドへと腰を下ろした。
「名無子」
少し居を正し名を呼んだ八戒が
「さっきはすみませんでした」
と、頭を下げる。
「…なんで謝るの?」
怪訝そうな顔が少し間を置いて答えた。
薄々、そう返される気はしていたものの、それはそれ。
自らの過ちを改めて言葉にして真っ直ぐに向き合う。
「貴女を"使って"子供を生き返らせようと考えたことに、です」
しかし、
「??別に気にしてないよ?」
気にする様子もなく、相変わらずきょとんとした眼が返ってくるだけだった。
「そう言ってもらえると気が楽に――なっちゃ、いけないんですけどね。でも、ありがとうございます」
「???……楽になることはいいことだよ?八戒が楽になるのは私も嬉しいし」
「ドMかっつーの…ホント拗らせてんな、お前」
「はは…すみません、性分なもので」
「……」
苦笑いの八戒、呆れ顔の悟浄を交互に見詰め、名無子は少し視線を落として考え込む。
「えっと……八戒や悟空が苦しいのって、あの子供を助けられなかったから?」
改めて直球で問われ、内心たじろぎはした。
お茶を濁し誤魔化すことは簡単だ。しかし名無子に対しては、そうはしたくないとも思う。
八戒は息を吸い込み、淀んだ胸の内を言語化することにした。
「それも、一つには。―――ですが、正直なところそれよりも自分の無力さと愚かしさに凹んでるっていうのが大きいかも知れません」
その言葉を名無子は咀嚼する。
無力さは蘇生する力があるヘイゼルや自分と比べて、ということだろうか。
しかし、
「愚かしさ…?」
どう頭を捻っても思い至らず、その出処に助けを求めると
「さっきのごめんなさいについて、ですね」
遠慮がちな力ない笑みが答えた。
「あぁ…」
一先ず、理解には至った。
しかし―――
「何ともないよ、私は。
例えば本当に、みんなが私のことを道具として扱って力を使えって言ったとしても、役に立てるなら嬉しいしかない」
名無子の横顔に、悟浄が僅かな陰りを見止めた。
「私にとっては四人が全てで、それ以外のことはどうでもいい。
生き返らせるのも、殺すのも、助けないのも―――ヘイゼルの考え方も。何も思わない。
でも……それじゃ多分、足りないんだろうなって…」
理解はできても、同じ感情を抱くことができない自分に、名無子は気付いていた。
今もまた、頭を下げた八戒の思いも、この場にいない悟空の思いも、実感が伴わないまま。
「みんなが…大事な人達が苦しそうなのに何も言える言葉もなくて…
私、本当に人間でも妖怪でもない――異物、なんだなぁって実感した」
自分の存在について観音に聞かされた時は、特に何も思うことはなかった。
しかしここ数日、皆が―――特に八戒と悟空が抱いている感情と自身の抱く感情に明確な乖離があることに気付いてからは、その原因と思しき自身の存在を少なからず恨めしく思ってしまう。
自嘲に似た歪な笑みを口元に浮かべた名無子に、
「名無子…」
悟浄がそっと自分の手を重ねた。
八戒と悟浄の胸に去来していたのは、目を伏せ唇を固く結んでいる名無子とは不釣り合いな感情だった。
優しさも慈しみも人一倍。
ただ、それを一身に受けるのが自分達四人のみというだけの話。
それは二人にとって誇らしくこそあれ、名無子が抱いているであろう劣等的な感情など覚える余地はあるはずもなかった。
つい先程まで二人が話していた人間と妖怪の生きる世界。その枠外にいる名無子が人並み以上の優しさの全てを自分達だけに向け、それでも足りないと必死に苦悩している姿が妙に可笑しく、そして愛しく思えた。
「……なぁ、八戒よ」
「なんですか?」
「なんつーかさ、世界を憂うより前に、できることがあんじゃね?」
「…そうですね」
ふっと八戒の顔に光が射したように思えたのは窓から射し込む月光のせいだろうか。
そんなことを思いながら悟浄は唇に笑みを引き、名無子の傍へと近付いた。
俺も、名無子と似たようなもんだ。
八戒には悪いが、世界の異変だとか人間と妖怪の確執だとか、
そんなこと大して興味もねぇ。
そもそもちっぽけな俺らが、手に負えない現実を嘆いても仕方ねぇだろ?
これまでと同じように、今その瞬間、やりたいようにやるだけ。
後悔なく生きるだけだ。
俺にとっては世界の危機より惚れた女が笑っていられないことの方が余程問題で、
でもそれ以上に、嬉しさの方が勝っちまうんだよな。
俺達だけが全てなんて、殺し文句でしかねぇだろうよ。
腰に腕を回し、抱き締めてその首元で囁く。
「名無子ちゃん」
「ん…?」
「惚れ直した」
ぱちぱちと瞬いた瞳が、やがて訝しげに悟浄を見詰め、
「……悟浄、頭大丈夫…?」
心底心配そうに尋ねてきた。
「………八戒。これ三蔵の口の悪さが移り始めてんじゃねぇかと俺は思うんだが、どうよ」
「否めませんねぇ。まぁ僕も名無子と同意見ではありますが」
「てめっ…」
八戒に振ったのが間違いだったと後悔を滲ませて嘆息を一つ。
そして改めて。
「―――名無子ちゃんが何だって関係ねぇよ。
俺のお姫様で、今は俺の女、だろ?それだけで十分」
微笑を乗せた唇で、名無子の頬に口付けた。
「むぅぅ……ならいい…」
未だ悩ましげにも納得の言葉を口にした名無子を見ながら、八戒は思う。
(チョロい…わけじゃないんですよね…)
懐柔されているわけではなく、本人の言う通り、自分達四人の事以外本当にどうでもいいのだろう。
『どうでも良くない事』の中に自分自身が含まれていないのも相変わらずだ。
自己犠牲だとか、そんなことすら考えていない。始めから名無子の世界に名無子自身は存在しない。
その見識と洞察力の割に、名無子の世界は徹底して閉じている。
もっと色々なことに興味を持ってほしいと思う一方、人間でないことを口実に今のままでいて欲しいとも願ってしまう。
この感情を名付けるとすれば―――
「やはり、これが親心なんでしょうか…」
しみじみとぽつり、呟いた。
悟浄にされるがまま頬擦りされていた名無子が眉を顰める。
「八戒も、大丈夫じゃない…」
「…だな……てか俺は大丈夫よ!?」
「悟浄も八戒も変…」
「名無子ちゃん聞いてー。惚れた女の前だと男はおかしくなるものなんだって」
「それだと結局おかしいことには変わりありませんし、僕の場合は親心だって言ってるじゃないですか」
「いや、だからそれもどーなのよ…」
いつの間にか不穏も不安も見る影を失くし、例によってくだらない与太話の体を成し始める。
取り留めのない遣り取りは、戻ってきた三蔵が名無子とゼロ距離の悟浄を見止め、銃声を響かせるまで続いた。
「いやぁまた妖怪が出たんかと思たら……ゴキブリが嫌いとか、三蔵はんも可愛らしとこあるんどすなぁ」
昨夜の銃声について問われた三蔵が返した答えをヘイゼルが笑う。
テーブルの端では悟空が八戒に耳打ちし、
「なぁなぁ、ゴキブリってもしかして悟浄のこと?」
「えぇ。いつもの自業自得です」
悟浄がそっぽを向いて舌打ちする。そんな朗らかな朝食の席でのこと。
微かに聞こえたガラスの割れる音に神経を研ぎ澄ましてすぐ、開かれたドアから顔を出したのは、
「貴方、昨日の……」
昨日、八戒達が隣町からの道程で見掛けた妖怪の子供だった。
怯えたその表情と、近付いてくる複数の足音とがなり声に凡その状況を把握。
「ほれ」
悟浄がそっとテーブルクロスを捲り上げた。
暫くして、
「あ…こりゃ失礼。おかしいなァ…」
「ここに子供が来なかったかい?」
駆け付けた男達を適当にあしらい、
「……行ったぜ」
テーブルの下に向け声を掛けてやる。
恐る恐るテーブルから出てきたその子供は、何事もなかったかのように食事を続ける面々を狐につままれたような顔で見渡し、そしてぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。
「―――ごちそうさん」
言って席を立ったヘイゼル。通りすがり、ガトの胸にとん、と拳を当てたのを悟空は見逃さなかった。
「お前……まだ懲りねぇのかよ!?」
「今ならまだ間に合うんや。昨夜のあの子…なんとかしたいてあんさんらも思いましたのやろ?」
「そういう問題じゃねーだろ!」
その場にいない一つの命を巡る遣り取りは徐々に熱を増していく。
「あんさんらがどんな人生歩んできたか判らしませんけど、一度は思ったことありまへんの?
『この人が生き返ったらどんなにか』て」
如何にその言葉が己に突き刺さろうとも、引くわけにはいかなかった。
「つまり貴方の本当の目的は妖怪を根絶やしにする事だと?」
漸く明らかになった真意は、妖怪の暴走が負の異変によるものと説いても揺らぐことはなく
「―――早い話、妖怪なんぞみぃんないなくなればええ。そうですやろ?」
平行線を辿り、遂には
「―――殺しゃあいいじゃねぇか」
避けようもなく、火蓋は切られる。
「そんなに妖怪が嫌ェなら俺らを殺してみろよ。運が良ければ魂三つも手に入るぜ?」
「―――場所を変えましょう。三蔵、少し時間を頂けますか?」
「……チッ…勝手にしろ」
三蔵が忌々しそうに舌打ちし、煙草を灰皿で押し潰した。
街の外れ、ヘイゼル、ガトと対峙する八戒、悟浄、悟空の三人。
「―――ホンマに構へんのですか?」
少し離れて、木に背を預けて紫煙を燻らせている三蔵にヘイゼルが尋ねた。
「俺は誰の肩も持つ気はねぇ。好きにしろ」
答え、隣に佇む名無子を横目で見遣る。
ここに至るまで、三人を止めることも、傍観に徹する三蔵に異を唱えることもなく黙ったまま。
何の色もなくいつも通りの無表情で真っ直ぐに正面を見据えている名無子の、ジープを抱くその腕が――袂に入れられた右手が、しっかりと銃を握っていることに三蔵は気付いていた。
「ほな、遠慮なく行かしてもらいますわ」
ガトの放った銃弾が開戦を告げる。
交錯する攻防。
その中で、ガトに微かな躊躇いを見た悟空は攻めに徹することが出来ずにいた。
「なんで…何でお前あいつの言いなりなんだよ…お前のやりたい事って何なんだよ!!?」
「…償いだ」
「え?」
「自分などない……俺の全ては、ヘイゼルとともにある」
「悟空…!!」
悟空に突き付けられた銃口。
鳴り渡ったのは、ガトの大口径銃の銃声ではなかった。
「誰の肩も持たん、て、言わはりませんでした?」
放たれた銃弾がガトの腕を撃ち抜き、ヘイゼルが眉を上げる。
「状況が変わったんでな―――おいチビ。隠れてねぇで出て来い」
一瞬、自分が呼ばれたのかと誤認した悟空だったが、
「なんでケンカしてるの…?オレを…助けてくれた人達なのに…」
三蔵の背後、木の陰から現れたのは此度の切欠となった妖怪の子供だった。
「―――どうした?説明してやれ」
三蔵に促され、ヘイゼルが子供の前にしゃがみ込んだ。
「…お兄ちゃんなぁ、君の命が欲しいんや」
「……え…?」
「病気で死んでもうた赤ちゃんがおるんや。君の魂をうちに預けてくれはったらな、代わりにその子生き返るんや」
「…オレが…死ねば、その子が助かるって…こと?」
八戒、悟浄が怒りと憤りをぶつけるが、三蔵は黙ったままその遣り取りを見詰めている。
「……うん。いいよ」
「…父ちゃんも母ちゃんも…妖怪の仲間はみんなおかしくなっちゃった…
オレももうすぐおかしくなるって町の人達が言ってるの聞いちゃったし」
「…だから…いいよ……オレもう、死んでもいいよ」
歪な笑みが是と答え、
「やめろぉおおお!!」
悟空の絶叫が響き渡った。
「……ッ!!」
「―――なぜ震える」
三蔵の声に、引き金にかかるガトの指が止まった。
「…っ…だって……」
「怖いのか。―――なぜ恐れる?」
「…に…たくない…から…」
「聞こえねぇぞ」
「し…にっ…しにたくないっ…」
「もっとでけぇ声で言え!!!」
「死にたくないよおお!!!」
森に木霊したのは、小さな体から放たれた、死にたくないと、生きたいと足掻く力強い声だった。
「―――聞こえたな?」
三蔵が一言、静かに告げる。
「……ほんま…卑怯やわ、あんた」
ヘイゼルがぼやくように呟いた。
「―――怖がらせてしもたな……堪忍な」
名無子の手が銃から離れ、細く息を吐き出していた。
「なんつーーーかこーーー……ひょーし抜けしたっつーか…」
「おもろないわー」
思わぬ形で緊張から解き放たれ、不完全燃焼と虚脱感を持て余しただらけた空気に嘆息が重なる。
直接刃を交えた結果、互いにその評定を少なからず改めるに至ったがそれでも、二つの道が交わることはないと、誰もがわかっていた。
「競争しようぜ。アンタ達が妖怪を全滅させるのが先か、俺達が異変ってヤツを止めるのが先か」
「その勝負、のらせてもらいまひょ」
背を向け歩き出した五人と二人。
前を見据えた瞳に、迷いはなかった。
「あーーー広いひろい〜〜っと」
「みんな、お疲れ様」
「さーんきゅ、名無子ちゃん。疲れたから癒やしちょーだい」
名無子の肩を抱き寄せご満悦な悟浄と、呆れ顔の悟空。
漸く戻ってきた日常をバックミラー越しに見ながら、軽くなったハンドルを握る八戒が
「―――どうしました?三蔵」
何やら考え込んだ様子の三蔵に問い掛けた。
「………いや……」
牛魔王の蘇生を目的とする牛魔王サイドが、果たしてヘイゼルの能力を見逃すだろうか。
そして同様―――いや、個人的にそれ以上の懸念は―――
「……名無子」
手を上げ、指先で名無子を呼び寄せる。
「はーい」
運転席と助手席の間から顔を出した名無子に、改めて念を押す。
「殺す方は兎も角、蘇らせる方の力はこれからも絶対に使うな」
「??うん、わかった」
「あと―――」
疑問符を浮かべつつも承諾した名無子の耳元に口を寄せ囁いた。
すると、
「……えぇー…」
名無子が戸惑いに眉を寄せ、不満げな声を上げるが
「やれ」
にべもなく命を下す。
徐ろに立ち上がり、悟浄に向き合った名無子。
「え。どったの名無子ちゃん…?」
その手には、三蔵の手に握られるべき武器とも呼べる道具が―――
「……ごめんね、悟浄」
詫び言と共に振り下ろされたハリセンが小気味良い音を響かせた。
「ッッてぇ!!―――!??」
頭を押さえ、困惑に目を白黒させる悟浄をバックミラーで一瞥。三蔵が鼻をふんと鳴らす。
「いつまでも人の女にベタベタくっついてんじゃねぇよ殺すぞ」
「だッッ…だからって名無子ちゃんにやらせるか!!??」
「その方がお前は堪えるだろう。第一、お前如きをはたくのに一々動くのがダルい」
「さっきも全く動いてねぇだろうがお前は!!」
「いやぁ、なかなかのスイングでしたねぇ」
「いい音したな〜」
「握りがまだ甘ぇ。たまに貸してやるからそいつで練習しろ」
「何のためにだよ!!」
「わかった。頑張る」
「素直で可愛いね!!誰だ名無子ちゃんにこのノリ教えたの!!」
沈む夕日に向かって進むジープの上、奏でられる喧騒が日常の帰還を告げる。
軽やかなエンジン音が五人を笑っていた。
特に用があったわけではない。
強いて言えば、長らく振りに二人きりの時間を過ごしたかったからかもしれない。
誘い出された理由を問うこともせず、名無子は煙草を燻らせる三蔵の隣で、三蔵とは逆を向いて窓枠に腰を下ろし、黙って月を見上げている。
一人心静かに過ごす時間を何より重んじていた三蔵だったが、今ではその隣に名無子の存在があることが必然に思えるようになった。
少し手を伸ばせば触れ合う程の距離にいながら、何を求めるでもないこの静寂が三蔵の心を優しく鎮めていく。
凪の闇に棚引く煙のような時間が幾許か過ぎた頃、名無子がふと口を開いた。
「三蔵は、さん…光明のこと、生き返らせたい?」
いつからか名無子は光明三蔵のことを三蔵とは呼ばなくなった。
それでも時々、こうやって不意に言いかけては引き戻すのが可笑しくて、三蔵の口の端に微笑が上る。
が、それは扠置き、主題へと思いを巡らせる。
「―――そう願ったことがないと言えば嘘になる」
何の偽りも繕いもなく、ただ素直にそう答えた。
名無子の力を知った時、死後の年数、状態は関係ないという言葉を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのは確かに師の事だった。
しかし―――
「お前が言っただろう『在りの儘に生きたその延長が死ならそれでいい』と。
それを聞いてきっと、お師匠様も同じことを言うと、そう思った」
全てを消化しきれたわけではない。傷跡は未だ、同じところに残って時折じくりと疼く。
それでも、死すらも在りの儘に受け入れる澄んだ銀月が、胸の澱みを淡く溶かしていくのを確かに感じた。
三蔵はふと思い出す。
名無子と出会って間もない頃、自分を光明三蔵の代わりに見ていると思い込んで憤慨したことがあった。
その時はまさか、自分が名無子と師とを重ねる日が来るとは夢にも思わなかった。
「お前は正しく…お師匠様の娘、だな」
ふっと口元に笑みを乗せて呟いた三蔵に
「…三蔵のお姉さん??」
首を傾げながらどこか嬉しそうに名無子が尋ねる。
「それはいらんと何度言えばわかる…」
呆れ顔の三蔵を可笑しそうに笑って、名無子はまた月を見上げた。
「いつかまた会えたら、お父さんって呼んでもいいかなぁ」
名無子でなければくだらないと一蹴するような夢物語も、今だけは―――
「あぁ、呼んでやれ。きっと喜ぶ」
年甲斐もなく、子供のように目を輝かせて喜ぶ姿が目に浮かぶようだと三蔵は鼻で笑った。
「三蔵も呼んであげたら喜ぶと思うよ?」
「だろうな。絶対ェ呼ばねぇ」
「やっぱり可愛くない」
記憶に残る光明の僅かな言葉を思い出しては笑う名無子を、心から愛おしいと思った。
「―――ねぇ三蔵。私の"力"は、必要ない?」
その声にちらりと視線を向けるが、不安の色はない。
わかった上でのその問いに三蔵は口の端を上げ、躊躇なく答えた。
「あぁ。お前自身がいれば、それでいい」
視界の隅で、名無子がふわり柔らかな笑みを湛えていた。
「お。おかえり名無子ちゃん……ん?三蔵は?」
静かに開いた部屋の扉から名無子の姿を捉えた悟浄が、珍しく傍にいないその存在を尋ねる。
「一緒だったけどヘイゼルの気配がしたから、一足先にこっそり戻ってきた。二人はまだ起きてたの?悟空は?」
「お猿ちゃんはまだ外で運動中。俺らは男二人でナイショ話」
電気も消した暗い部屋の中、其々のベッドで半身を起こした二人が視線を交わし苦笑いを浮かべた。
「そっか…ふふっ、仲良しでいいね。もしかして邪魔した?」
「まさか。野郎よりも名無子ちゃんと仲良くしたいに決まってるっしょ」
「悟浄、僕のことは遊びだったんですか…?」
「おい!気色悪いこと言ってんな!」
「八戒可哀想…」
「名無子ちゃん、意外と悪ノリするよね…」
苦笑して名無子を手招けば、素直に応じた名無子が悟浄のベッドへと腰を下ろした。
「名無子」
少し居を正し名を呼んだ八戒が
「さっきはすみませんでした」
と、頭を下げる。
「…なんで謝るの?」
怪訝そうな顔が少し間を置いて答えた。
薄々、そう返される気はしていたものの、それはそれ。
自らの過ちを改めて言葉にして真っ直ぐに向き合う。
「貴女を"使って"子供を生き返らせようと考えたことに、です」
しかし、
「??別に気にしてないよ?」
気にする様子もなく、相変わらずきょとんとした眼が返ってくるだけだった。
「そう言ってもらえると気が楽に――なっちゃ、いけないんですけどね。でも、ありがとうございます」
「???……楽になることはいいことだよ?八戒が楽になるのは私も嬉しいし」
「ドMかっつーの…ホント拗らせてんな、お前」
「はは…すみません、性分なもので」
「……」
苦笑いの八戒、呆れ顔の悟浄を交互に見詰め、名無子は少し視線を落として考え込む。
「えっと……八戒や悟空が苦しいのって、あの子供を助けられなかったから?」
改めて直球で問われ、内心たじろぎはした。
お茶を濁し誤魔化すことは簡単だ。しかし名無子に対しては、そうはしたくないとも思う。
八戒は息を吸い込み、淀んだ胸の内を言語化することにした。
「それも、一つには。―――ですが、正直なところそれよりも自分の無力さと愚かしさに凹んでるっていうのが大きいかも知れません」
その言葉を名無子は咀嚼する。
無力さは蘇生する力があるヘイゼルや自分と比べて、ということだろうか。
しかし、
「愚かしさ…?」
どう頭を捻っても思い至らず、その出処に助けを求めると
「さっきのごめんなさいについて、ですね」
遠慮がちな力ない笑みが答えた。
「あぁ…」
一先ず、理解には至った。
しかし―――
「何ともないよ、私は。
例えば本当に、みんなが私のことを道具として扱って力を使えって言ったとしても、役に立てるなら嬉しいしかない」
名無子の横顔に、悟浄が僅かな陰りを見止めた。
「私にとっては四人が全てで、それ以外のことはどうでもいい。
生き返らせるのも、殺すのも、助けないのも―――ヘイゼルの考え方も。何も思わない。
でも……それじゃ多分、足りないんだろうなって…」
理解はできても、同じ感情を抱くことができない自分に、名無子は気付いていた。
今もまた、頭を下げた八戒の思いも、この場にいない悟空の思いも、実感が伴わないまま。
「みんなが…大事な人達が苦しそうなのに何も言える言葉もなくて…
私、本当に人間でも妖怪でもない――異物、なんだなぁって実感した」
自分の存在について観音に聞かされた時は、特に何も思うことはなかった。
しかしここ数日、皆が―――特に八戒と悟空が抱いている感情と自身の抱く感情に明確な乖離があることに気付いてからは、その原因と思しき自身の存在を少なからず恨めしく思ってしまう。
自嘲に似た歪な笑みを口元に浮かべた名無子に、
「名無子…」
悟浄がそっと自分の手を重ねた。
八戒と悟浄の胸に去来していたのは、目を伏せ唇を固く結んでいる名無子とは不釣り合いな感情だった。
優しさも慈しみも人一倍。
ただ、それを一身に受けるのが自分達四人のみというだけの話。
それは二人にとって誇らしくこそあれ、名無子が抱いているであろう劣等的な感情など覚える余地はあるはずもなかった。
つい先程まで二人が話していた人間と妖怪の生きる世界。その枠外にいる名無子が人並み以上の優しさの全てを自分達だけに向け、それでも足りないと必死に苦悩している姿が妙に可笑しく、そして愛しく思えた。
「……なぁ、八戒よ」
「なんですか?」
「なんつーかさ、世界を憂うより前に、できることがあんじゃね?」
「…そうですね」
ふっと八戒の顔に光が射したように思えたのは窓から射し込む月光のせいだろうか。
そんなことを思いながら悟浄は唇に笑みを引き、名無子の傍へと近付いた。
俺も、名無子と似たようなもんだ。
八戒には悪いが、世界の異変だとか人間と妖怪の確執だとか、
そんなこと大して興味もねぇ。
そもそもちっぽけな俺らが、手に負えない現実を嘆いても仕方ねぇだろ?
これまでと同じように、今その瞬間、やりたいようにやるだけ。
後悔なく生きるだけだ。
俺にとっては世界の危機より惚れた女が笑っていられないことの方が余程問題で、
でもそれ以上に、嬉しさの方が勝っちまうんだよな。
俺達だけが全てなんて、殺し文句でしかねぇだろうよ。
腰に腕を回し、抱き締めてその首元で囁く。
「名無子ちゃん」
「ん…?」
「惚れ直した」
ぱちぱちと瞬いた瞳が、やがて訝しげに悟浄を見詰め、
「……悟浄、頭大丈夫…?」
心底心配そうに尋ねてきた。
「………八戒。これ三蔵の口の悪さが移り始めてんじゃねぇかと俺は思うんだが、どうよ」
「否めませんねぇ。まぁ僕も名無子と同意見ではありますが」
「てめっ…」
八戒に振ったのが間違いだったと後悔を滲ませて嘆息を一つ。
そして改めて。
「―――名無子ちゃんが何だって関係ねぇよ。
俺のお姫様で、今は俺の女、だろ?それだけで十分」
微笑を乗せた唇で、名無子の頬に口付けた。
「むぅぅ……ならいい…」
未だ悩ましげにも納得の言葉を口にした名無子を見ながら、八戒は思う。
(チョロい…わけじゃないんですよね…)
懐柔されているわけではなく、本人の言う通り、自分達四人の事以外本当にどうでもいいのだろう。
『どうでも良くない事』の中に自分自身が含まれていないのも相変わらずだ。
自己犠牲だとか、そんなことすら考えていない。始めから名無子の世界に名無子自身は存在しない。
その見識と洞察力の割に、名無子の世界は徹底して閉じている。
もっと色々なことに興味を持ってほしいと思う一方、人間でないことを口実に今のままでいて欲しいとも願ってしまう。
この感情を名付けるとすれば―――
「やはり、これが親心なんでしょうか…」
しみじみとぽつり、呟いた。
悟浄にされるがまま頬擦りされていた名無子が眉を顰める。
「八戒も、大丈夫じゃない…」
「…だな……てか俺は大丈夫よ!?」
「悟浄も八戒も変…」
「名無子ちゃん聞いてー。惚れた女の前だと男はおかしくなるものなんだって」
「それだと結局おかしいことには変わりありませんし、僕の場合は親心だって言ってるじゃないですか」
「いや、だからそれもどーなのよ…」
いつの間にか不穏も不安も見る影を失くし、例によってくだらない与太話の体を成し始める。
取り留めのない遣り取りは、戻ってきた三蔵が名無子とゼロ距離の悟浄を見止め、銃声を響かせるまで続いた。
「いやぁまた妖怪が出たんかと思たら……ゴキブリが嫌いとか、三蔵はんも可愛らしとこあるんどすなぁ」
昨夜の銃声について問われた三蔵が返した答えをヘイゼルが笑う。
テーブルの端では悟空が八戒に耳打ちし、
「なぁなぁ、ゴキブリってもしかして悟浄のこと?」
「えぇ。いつもの自業自得です」
悟浄がそっぽを向いて舌打ちする。そんな朗らかな朝食の席でのこと。
微かに聞こえたガラスの割れる音に神経を研ぎ澄ましてすぐ、開かれたドアから顔を出したのは、
「貴方、昨日の……」
昨日、八戒達が隣町からの道程で見掛けた妖怪の子供だった。
怯えたその表情と、近付いてくる複数の足音とがなり声に凡その状況を把握。
「ほれ」
悟浄がそっとテーブルクロスを捲り上げた。
暫くして、
「あ…こりゃ失礼。おかしいなァ…」
「ここに子供が来なかったかい?」
駆け付けた男達を適当にあしらい、
「……行ったぜ」
テーブルの下に向け声を掛けてやる。
恐る恐るテーブルから出てきたその子供は、何事もなかったかのように食事を続ける面々を狐につままれたような顔で見渡し、そしてぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。
「―――ごちそうさん」
言って席を立ったヘイゼル。通りすがり、ガトの胸にとん、と拳を当てたのを悟空は見逃さなかった。
「お前……まだ懲りねぇのかよ!?」
「今ならまだ間に合うんや。昨夜のあの子…なんとかしたいてあんさんらも思いましたのやろ?」
「そういう問題じゃねーだろ!」
その場にいない一つの命を巡る遣り取りは徐々に熱を増していく。
「あんさんらがどんな人生歩んできたか判らしませんけど、一度は思ったことありまへんの?
『この人が生き返ったらどんなにか』て」
如何にその言葉が己に突き刺さろうとも、引くわけにはいかなかった。
「つまり貴方の本当の目的は妖怪を根絶やしにする事だと?」
漸く明らかになった真意は、妖怪の暴走が負の異変によるものと説いても揺らぐことはなく
「―――早い話、妖怪なんぞみぃんないなくなればええ。そうですやろ?」
平行線を辿り、遂には
「―――殺しゃあいいじゃねぇか」
避けようもなく、火蓋は切られる。
「そんなに妖怪が嫌ェなら俺らを殺してみろよ。運が良ければ魂三つも手に入るぜ?」
「―――場所を変えましょう。三蔵、少し時間を頂けますか?」
「……チッ…勝手にしろ」
三蔵が忌々しそうに舌打ちし、煙草を灰皿で押し潰した。
街の外れ、ヘイゼル、ガトと対峙する八戒、悟浄、悟空の三人。
「―――ホンマに構へんのですか?」
少し離れて、木に背を預けて紫煙を燻らせている三蔵にヘイゼルが尋ねた。
「俺は誰の肩も持つ気はねぇ。好きにしろ」
答え、隣に佇む名無子を横目で見遣る。
ここに至るまで、三人を止めることも、傍観に徹する三蔵に異を唱えることもなく黙ったまま。
何の色もなくいつも通りの無表情で真っ直ぐに正面を見据えている名無子の、ジープを抱くその腕が――袂に入れられた右手が、しっかりと銃を握っていることに三蔵は気付いていた。
「ほな、遠慮なく行かしてもらいますわ」
ガトの放った銃弾が開戦を告げる。
交錯する攻防。
その中で、ガトに微かな躊躇いを見た悟空は攻めに徹することが出来ずにいた。
「なんで…何でお前あいつの言いなりなんだよ…お前のやりたい事って何なんだよ!!?」
「…償いだ」
「え?」
「自分などない……俺の全ては、ヘイゼルとともにある」
「悟空…!!」
悟空に突き付けられた銃口。
鳴り渡ったのは、ガトの大口径銃の銃声ではなかった。
「誰の肩も持たん、て、言わはりませんでした?」
放たれた銃弾がガトの腕を撃ち抜き、ヘイゼルが眉を上げる。
「状況が変わったんでな―――おいチビ。隠れてねぇで出て来い」
一瞬、自分が呼ばれたのかと誤認した悟空だったが、
「なんでケンカしてるの…?オレを…助けてくれた人達なのに…」
三蔵の背後、木の陰から現れたのは此度の切欠となった妖怪の子供だった。
「―――どうした?説明してやれ」
三蔵に促され、ヘイゼルが子供の前にしゃがみ込んだ。
「…お兄ちゃんなぁ、君の命が欲しいんや」
「……え…?」
「病気で死んでもうた赤ちゃんがおるんや。君の魂をうちに預けてくれはったらな、代わりにその子生き返るんや」
「…オレが…死ねば、その子が助かるって…こと?」
八戒、悟浄が怒りと憤りをぶつけるが、三蔵は黙ったままその遣り取りを見詰めている。
「……うん。いいよ」
「…父ちゃんも母ちゃんも…妖怪の仲間はみんなおかしくなっちゃった…
オレももうすぐおかしくなるって町の人達が言ってるの聞いちゃったし」
「…だから…いいよ……オレもう、死んでもいいよ」
歪な笑みが是と答え、
「やめろぉおおお!!」
悟空の絶叫が響き渡った。
「……ッ!!」
「―――なぜ震える」
三蔵の声に、引き金にかかるガトの指が止まった。
「…っ…だって……」
「怖いのか。―――なぜ恐れる?」
「…に…たくない…から…」
「聞こえねぇぞ」
「し…にっ…しにたくないっ…」
「もっとでけぇ声で言え!!!」
「死にたくないよおお!!!」
森に木霊したのは、小さな体から放たれた、死にたくないと、生きたいと足掻く力強い声だった。
「―――聞こえたな?」
三蔵が一言、静かに告げる。
「……ほんま…卑怯やわ、あんた」
ヘイゼルがぼやくように呟いた。
「―――怖がらせてしもたな……堪忍な」
名無子の手が銃から離れ、細く息を吐き出していた。
「なんつーーーかこーーー……ひょーし抜けしたっつーか…」
「おもろないわー」
思わぬ形で緊張から解き放たれ、不完全燃焼と虚脱感を持て余しただらけた空気に嘆息が重なる。
直接刃を交えた結果、互いにその評定を少なからず改めるに至ったがそれでも、二つの道が交わることはないと、誰もがわかっていた。
「競争しようぜ。アンタ達が妖怪を全滅させるのが先か、俺達が異変ってヤツを止めるのが先か」
「その勝負、のらせてもらいまひょ」
背を向け歩き出した五人と二人。
前を見据えた瞳に、迷いはなかった。
「あーーー広いひろい〜〜っと」
「みんな、お疲れ様」
「さーんきゅ、名無子ちゃん。疲れたから癒やしちょーだい」
名無子の肩を抱き寄せご満悦な悟浄と、呆れ顔の悟空。
漸く戻ってきた日常をバックミラー越しに見ながら、軽くなったハンドルを握る八戒が
「―――どうしました?三蔵」
何やら考え込んだ様子の三蔵に問い掛けた。
「………いや……」
牛魔王の蘇生を目的とする牛魔王サイドが、果たしてヘイゼルの能力を見逃すだろうか。
そして同様―――いや、個人的にそれ以上の懸念は―――
「……名無子」
手を上げ、指先で名無子を呼び寄せる。
「はーい」
運転席と助手席の間から顔を出した名無子に、改めて念を押す。
「殺す方は兎も角、蘇らせる方の力はこれからも絶対に使うな」
「??うん、わかった」
「あと―――」
疑問符を浮かべつつも承諾した名無子の耳元に口を寄せ囁いた。
すると、
「……えぇー…」
名無子が戸惑いに眉を寄せ、不満げな声を上げるが
「やれ」
にべもなく命を下す。
徐ろに立ち上がり、悟浄に向き合った名無子。
「え。どったの名無子ちゃん…?」
その手には、三蔵の手に握られるべき武器とも呼べる道具が―――
「……ごめんね、悟浄」
詫び言と共に振り下ろされたハリセンが小気味良い音を響かせた。
「ッッてぇ!!―――!??」
頭を押さえ、困惑に目を白黒させる悟浄をバックミラーで一瞥。三蔵が鼻をふんと鳴らす。
「いつまでも人の女にベタベタくっついてんじゃねぇよ殺すぞ」
「だッッ…だからって名無子ちゃんにやらせるか!!??」
「その方がお前は堪えるだろう。第一、お前如きをはたくのに一々動くのがダルい」
「さっきも全く動いてねぇだろうがお前は!!」
「いやぁ、なかなかのスイングでしたねぇ」
「いい音したな〜」
「握りがまだ甘ぇ。たまに貸してやるからそいつで練習しろ」
「何のためにだよ!!」
「わかった。頑張る」
「素直で可愛いね!!誰だ名無子ちゃんにこのノリ教えたの!!」
沈む夕日に向かって進むジープの上、奏でられる喧騒が日常の帰還を告げる。
軽やかなエンジン音が五人を笑っていた。