第二章
貴女のお名前は?
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野宿とは言え一先ずの休息を挟んだ三蔵一行。
未だ心に引き摺るものはあれど、気にするだけ無駄なことと切り替え、虚しくもあるだけマシな携行食を胃に流し込んでいると
「見付けたぞお尋ね者の三蔵一行ォ!!経文も貴様らの命も貰い受けるぜ!!」
嬉々とした定型句が朝の澄んだ空気に響き渡った。
「人海戦術で攻めてきましたよ」
「フン…早朝出勤御苦労なこった」
ぼやきつつ、妖怪の襲撃であったことに安堵は否めない。
苛立ちとストレスの発散を兼ねて、一片の遠慮もなく敵を打ち倒していく。
久々に三蔵の銃の出番―――とは、此度もならなかった。
怒声と衝突音を裂いて、腹の底に響くような発砲音が空気を揺らし
「お早うさんどす。ええ天気やね」
その言葉に相応しい笑顔で現れたのはヘイゼルと両手に銃を構えた大男だった。
「はぁ…おはようございます」
虚を突かれ、思わず丁寧に挨拶を返してしまう八戒。
「ガト。行きなはれ」
ヘイゼルの名に是も否もなく、ガトと呼ばれた大男が敵を殲滅していく様を悟空が目を輝かせて見詰めている。
再び姿を表した不穏の種。しかし、現時点においては煩わしい敵の大群を減らしてくれる都合の良い存在と割り切り、三蔵は銃を袂に仕舞い代わりに煙草を取り出した。
対抗意識を燃やす悟浄と悟空が、その悠然たる振る舞いに苦言を呈していると
「ホンマ、無理は禁物どすえ三蔵はん。天使様と一緒に、その三人さんの後ろ隠れとき」
曇りのない笑みが差し出してきた、気遣いの皮を纏った癇に障る一言。
普段冷静な割に、妙なところで安い挑発を高価買取してしまうのが三蔵である。
子供じみた対抗心から放たれた魔戒天浄が、残った妖怪達を瞬く間に一掃した。
「あーあ、ホントにやりましたね」
「どっちがガキだよどっちが!!」
「楽勝楽勝」
呆れつつも鼻高々の面々。
ヘイゼルの驚愕に見開いた瞳が喜色に染まる。
「"魔の闇を破く光の力"―――これやわ。うちが欲しかったんは」
含みのあるその言葉に三蔵がぴくりと眉を上げた。
「―――さてと。この森降りた所に町があるんやけど、御一緒にお昼ご飯でもどないです?うちが奢りますさかい」
その言葉に文句を垂れつつ訝しみつつ、しかし聞きたいこともあると、一行はその誘いに応じることにした。
「よう食べはりますなぁ……天使はんも、見た目に反して…」
「…天使って言わないで」
「おや、普通に喋れるんやね。じゃあ、お名前、聞かせてもろても?」
「…名無子」
「名無子はんどすか。以後お見知りおきを。仲良ぉしてね」
「……」
「あれ。もしかしてうち、嫌われてしもた?」
返答もなく、素っ気ない素振りにヘイゼルが苦笑いで頬を搔く。
横から腕を伸ばした悟浄が
「うちのお姫様は恥ずかしがり屋なもんでな。あんまりちょっかいかけんじゃねーよ」
名無子の頭を引き寄せ、そんなことより、と、本題に取り掛かる。
「お宅ら、西から来たんだろ?何でまた西に引き返してきたんだよ」
「言いましたやろ?うちらの目的は妖怪退治やて。
なんや三蔵はん達、妖怪に狙われてはるようやったからなぁ。一緒におった方が妖怪も仰山出て来よるかな思て」
「なるほど……いえ、実は僕らの方も貴方にお聞きしたい事があったんですよ」
「へぇ、何やろ」
ここぞとばかりに八戒が問いを重ねる。
「例えば貴方の力で生き返った方々についてなんですが、蘇生した事による副作用のようなものはないんでしょうか」
「副作用は特にないんと違います??ただ…うちの力で蘇ったんは皆、妖怪に命を奪われたお人らばっかりや。
せやから、妖怪に対する憎しみの感情までも蘇らせてしまう。それを拭い去る事ができひんのは…うちの力の至らんところやね」
『 身体を動かす力と思念だけを屍体に入れた感じ。 』
昨晩、名無子が言っていた言葉を思い出す。
ヘイゼルがその"思念"を加えているものと思っていたが、ヘイゼルの口振りはまるで甦った人間側に起因するもののようだった。
果たしてその言葉をどこまで信用して良いものか判じかねていると、今度はヘイゼルからの問いが飛ぶ。
「ところであんさん達は何の目的で旅してはるん?
お坊はんとそのお弟子さんら…には、ちと見えへんのやけど」
ちらりと一同を見渡したヘイゼルに三蔵が常套句を返した。
「弟子じゃねぇよ。下僕だ」
(また言った)
(久々に言った)
(言うと思った)
(下僕…)
最早誰も突っ込まない。
ヘイゼルが笑って続ける。
「ははッ、それなら納得や。三蔵はんのあの技、ほんまドえらいモンやからなぁ。
そないな経文持ってはるなら妖怪に狙われるんも当然やねぇ」
「…あんたのペンダントだって特殊な物だろう」
明らかになったペンダントの効力に八戒が
「てっきりお洒落さんなのかと思いました」
と、軽口を叩けば
「それを言うんやったらアンタはん―――その耳のカフスの方がよっぽどお洒落なんと違います?」
返された、含みのある軽口。
「……それはどうも」
凍えるような笑みの応酬に悟浄と悟空が顔を引き攣らせる。
表向きには和やかな腹の探り合いを終わらせたのは、
「あの―――お食事中のところ申し訳ありません」
ヘイゼル司教様御一行という聞き慣れない括りに向けられた
「お願いがございます司教様!!我々を…この街をお救いください!!」
町民達の悲痛な嘆願だった。
快く妖怪退治を引き受けたヘイゼルに言い包められ、西へと向かうジープは完全に乗車定員をオーバーしていた。
7人分の荷重に耐え必死にタイヤを回すジープを哀れみながら、八戒は重いハンドルを握る。
「ところであんさん、恋人を他の男の膝に乗せるのはアリなんどすか?」
じゃんけんに負け、一人不安定な後部座席の端にぎりぎりで腰を下ろしている悟浄に、ヘイゼルが問い掛けた。
「アリなワケあるか!アンタらのせいでこうなってるんですけど!?」
一人街で待たせることも躊躇われ、かと言って限られた車上で名無子が苦痛にならない乗車位置を探した結果、最終的に落ち着いたのは助手席に座る三蔵の膝の上だった。
「大丈夫ですよ。最高僧たる三蔵法師様が不邪淫戒を破るような真似するはずありませんから」
ヘイゼル達の死角、ちゃっかりと名無子の手を握っている三蔵を横目に、八戒が笑顔で答える。
「あぁ、こっちでもお坊さんは独身制なんやね。でも三蔵はん、そんな真面目に戒律守るようなお人に見えへんのやけど…」
「だそうですよ?三蔵」
「……八戒、お前覚えとけよ…」
含みを隠そうともしない八戒に三蔵の米神がひくついた。
「いくら破戒僧とは言え人の女に手ェ出したりはしねぇよなぁ?三蔵サマよ」
「……お前、降りろ。少しは軽くなる」
「ブッ殺すぞクソ坊主!!」
いつもより賑やかな車を走らせること数十分―――
辿り着いた襲撃にはもってこいの森の中、囮を演じた三蔵・ヘイゼルにまんまと誘い出された襲撃部隊を、一人だけ残して速やかに一掃する。
それじゃあこれまでと感慨もなく別れを告げた悟浄に、ヘイゼルがわざとらしい言葉を投げ掛けた。
「あんさん方、ホンマに手ェ貸してくれはらんのでっか?冷たいわぁ〜」
「ハッ、その手の挑発にゃもう乗らねぇぞ。なぁ三蔵?」
これ以上付き合う義理もないと、一番同意を示してくるだろう相手に視線を投げた悟浄だったが、
「―――つき合ってやるよ」
「…さ……三蔵??」
その思惑は大きく外れ、どういう訳かヘイゼル達と共に被害者救出へと赴くこととなった。
然して大所帯で突入した妖怪の根城。
「―――三蔵。どういう風の吹き回しですか?こういう事に首を突っ込むだなんて」
襲い掛かる妖怪達を片付けながら、声を潜め怪訝そうな顔で八戒が問い質す。
その前で、発動した矢衾の罠からヘイゼルを守ったガトが膝を着いたが
「言いましたやろ?うちと一緒にいる限りガトは死なへんのや」
ヘイゼルの力によって何事もなかったように再び立ち上がる。
「―――あの力だ」
誰にとも無く三蔵が呟いた。
「え?」
「魂を自在に操る能力……奴がどんな聖人だか知らんが―――人一人の手に負えるもんじゃねぇよ」
人間には不相応な強大すぎる力。
自分達の預り知らぬところで振るわれるならまだしも、意図的に接触を図ってきている以上無視はできなかった。
そうして辿り着いた根城の最奥。
「そこ退かねぇと女の命はねぇぞ!!」
攫ってきた人間の女を人質に、お決まりの流れに突入する。
そこで放たれたのは、ヘイゼルの予期せぬ一言だった。
「―――構へんよ。娘はんらごと、いっぺん死んでもらいまひょ」
一切の冗談を感じられない言葉に悟空と悟浄が狼狽する。
「ちょ…待てよ、まさか…」
「本気か!?」
「妖怪は三匹、人質は三人。魂みっつ回収して三人蘇らせてもプラマイ0や」
ヘイゼルの命を受け、ガトが銃を構えた。
しかしそれを許すはずもなく、八戒と悟空の手がガトを静止する
「―――言っただろ。俺達のやり方があるんだよ」
悟浄の錫月杖が人質を避けて敵を切り裂き、
「―――俺は確かに外の世界を知らないが、それでもわかることがある」
「命ってのは―――ひとつふたつと数えるもんじゃねぇよ」
三蔵の小銃が終幕を告げた。
その後、人質となっていた女達をジープで元の街へ送り届ける八戒・悟空・ヘイゼルの三人と、一足先に次の街へ徒歩で向かう三蔵・悟浄・名無子・ガトの四人の二手に分かれることとなった。
方や一触即発、方や居心地の悪い沈黙の空気に疲弊した一部の面々が宿での再会を手荒に喜び合う。
手土産を夜食に漸く一息。カードに興じる久方振りの平穏も束の間だった。
「誰か……誰か来てぇェえ!!!」
それは、同じ宿に泊まる女性客の悲鳴だった。
流行病に罹った我が子の薬を取りに行く途中で幼体が急変したのだと言う。
駆け付けた八戒が脈を取るも、既に手遅れと黙って首を振った。
冷たくなった我が子を抱き泣き叫ぶ母親を前に、悟空が視線を差し向けた先―――
「御期待には添えへんよ―――『魂切れ』や」
ヘイゼルが静かに微笑んで問わず語りに答えた。
「だからさっき言うたやないですか。ジープを停めろ、て」
「ッッ!!貴方という人は…!」
付け足したヘイゼルの胸倉を、八戒が怒りを顕に掴み上げる。
しかし、
「したら、どなたか身代わりにならはりますか?」
「―――!!」
その言葉に、応えることができるはずもなく。
「……そういう事や」
誰もが険しい表情で押し黙る中、悟空がはっと顔を上げた。
「!?そうだ名無子なら―――ッ!!」
慌てて悟浄がその口を塞ぐ。
「悟空。言うんじゃねぇ」
はっとしてこくこくと頷く悟空に、三蔵の鋭利な視線が突き刺さった。
しかし今は撤収が先だと言葉を飲み込み、
「戻るぞ」
首を傾げこちらを見詰めているヘイゼルに背を向け部屋へと歩き出した。
「悟空、てめェ何考えてやがる…」
部屋に戻るなり響いた三蔵の舌打ちと重低音に悟空の肩が跳ねる。
「ごめん、つい…でも!」
「でもじゃねぇ!こいつの力の事がバレたらどうするつもりだったんだ!?」
本意は兎も角、妖怪退治と人間の蘇生を目的と謳うヘイゼルにそのことが知れたらどうなるか―――
偽装とは言え、悟浄に恋人の座を明け渡してまで名無子の身の安全を考えてきた三蔵にしてみれば、名無子を危険に晒しかけた悟空の行動は到底看過できるものではなかった。
「ッッ―――だから悪かったって…」
声を荒げる三蔵に、悟空が眉を萎れさせ悄然と項垂れる。
その間に割って入った名無子が、三蔵の腕にそっと触れた。
「三蔵、怒らないであげて」
言って、
「それより―――いいの?」
話の向きを変えた。
「あのくらいの年の子供なら欠けるものも殆どないから、戻せるよ?」
その言葉に答えたのは三蔵ではなく、
「そ、そーだよ!名無子なら助けられんじゃん!今からでも―――」
恐る恐るにも息を吹き返した悟空だった。
「確かに…通常であれば記憶等の欠損があるという話でしたがそれがないのであれば…」
八戒が言葉を重ねる。
悟空は兎も角、八戒までもが名無子の力を当てにし始めたことに三蔵の怒りが再び沸点に達しようとしたが、それを察したのか、名無子が三蔵の袖を引き無言で首を振った。
喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、ゆっくりと深く呼吸する。
ベッドへと向かい腰を下ろすと、名無子に顎で指し示し隣に座らせた。
誰もが珍しくも口を閉じ、三蔵の言葉を待つ。
三蔵は煙草に火を着けると白煙を吐き出し、そして徐に口を開いた。
「それで」
「……??」
「これからもそうやって助けていくのか」
怒気の欠けた、それでいて威厳を纏う凛然とした声が言う。
「その線引きはどこでする。年齢か。その年齢を1日過ぎただけの者は。
生き返らせる選択をするなら、当然生き返らせない選択もできるんだろうな」
「それは―――」
言い淀む二人に、三蔵は苦々しげに舌打ちを零した。
「自分で選んで自分で実行するならまだいい。だが、それをやるのは誰だ」
悟空と八戒の目が自然と三蔵の隣へ向けられる。
何の感情も映さない無機質な灰銀の瞳に全てを見透かされてるようで、思わず視線を反らし目を伏せた。
「一瞬の自己満足にこいつを巻き込むな。ヘイゼルに張り合ってくだらねェ事考えてんじゃねぇよ」
何一つ、言い返すことができなかった。
ヘイゼルの力を見慣れてしまったせいで麻痺した感覚。
『 死んだ人間は生き返らない 』
そんなことすら忘れていたのだろうか。
支障がないなら良いだろうと独善的に、目の前の可能性に手を伸ばした。
その選択と行為の重さに目を向けることもなく、あまつさえ名無子を道具かの如く用いようとした。
まるで緩んだ螺子を閉めるためにドライバーを手に取るかのように、極々当たり前に。
ヘイゼルに泣き縋った村人達よりも余程質が悪いと、八戒が唇を噛む。
漸く理解に至ったらしき二人を前に三蔵が細く息を吐いた。
「―――つーかよぉ、俺ら、いつからそんな偉くなったんだ?」
聞こえてきた声は名無子の膝の上、いつの間にか頭を預け仰向けに転がる悟浄だった。
名無子の髪の毛を一房指に絡め、自分の鼻の下に当て「髭」と小さく呟いた悟浄に名無子が思わず失笑する。
その笑顔に安堵の色を口の端に浮かべ、斜め上方から突き刺さる視線を無視して悟浄は口を開いた。
「誰々を生き返らせるだの何だの…ンなのもう人間やら妖怪やらの領分じゃねぇべ」
一度は畏れたその力を、名無子の一部として既に受け入れてはいるもののそれでも―――だからこそ、軽んじていいものではないと。
「名無子は少なくともその力の影響をちゃーんと理解してんだろ。
その上で、俺らがそうして欲しいって言えば喜んでやってくれるんだろうけどよ…俺は、畏ろしくて頼めねーわ」
苦笑いで、いつもと変わらぬ軽い口調で言ってのけた悟浄に、名無子がふわりと柔らかな微笑を纏い、その頭を撫でている。
微かな嫉妬を新しい煙草の先端に灯しながら、三蔵はふぅと煙を吐き出した。
「―――悟浄のくせにマトモなこと言うじゃねぇか」
「お前ね…たまには普通に褒めてくれても良いのよ?」
「……さっき、悟空を止めたことに関しては褒めてやる。よくやった」
「上司かよ…」
相も変わらず尊大なその態度に呆れる悟浄。
くすくすと笑みを零している名無子に三蔵の眉間は解け。
改めて、八戒と悟空に視線を向ける。
「野暮ならまだいい。だが―――命に対して傲慢にはなるな。それはいつか、己の命に跳ね返ってくる」
死を容易く覆せるものとして軽んじるならば、それは即ち生を軽んじることに等しい。
人間の命に対しても妖怪の命に対しても同様に、真摯に、真剣に、そして時に冷酷に向き合う三蔵の口から発せられる言葉が、八戒と悟空の胸に深く突き刺さる。
去来する様々な感情を飲み込むには、まだ暫くの時間が必要だった。
未だ心に引き摺るものはあれど、気にするだけ無駄なことと切り替え、虚しくもあるだけマシな携行食を胃に流し込んでいると
「見付けたぞお尋ね者の三蔵一行ォ!!経文も貴様らの命も貰い受けるぜ!!」
嬉々とした定型句が朝の澄んだ空気に響き渡った。
「人海戦術で攻めてきましたよ」
「フン…早朝出勤御苦労なこった」
ぼやきつつ、妖怪の襲撃であったことに安堵は否めない。
苛立ちとストレスの発散を兼ねて、一片の遠慮もなく敵を打ち倒していく。
久々に三蔵の銃の出番―――とは、此度もならなかった。
怒声と衝突音を裂いて、腹の底に響くような発砲音が空気を揺らし
「お早うさんどす。ええ天気やね」
その言葉に相応しい笑顔で現れたのはヘイゼルと両手に銃を構えた大男だった。
「はぁ…おはようございます」
虚を突かれ、思わず丁寧に挨拶を返してしまう八戒。
「ガト。行きなはれ」
ヘイゼルの名に是も否もなく、ガトと呼ばれた大男が敵を殲滅していく様を悟空が目を輝かせて見詰めている。
再び姿を表した不穏の種。しかし、現時点においては煩わしい敵の大群を減らしてくれる都合の良い存在と割り切り、三蔵は銃を袂に仕舞い代わりに煙草を取り出した。
対抗意識を燃やす悟浄と悟空が、その悠然たる振る舞いに苦言を呈していると
「ホンマ、無理は禁物どすえ三蔵はん。天使様と一緒に、その三人さんの後ろ隠れとき」
曇りのない笑みが差し出してきた、気遣いの皮を纏った癇に障る一言。
普段冷静な割に、妙なところで安い挑発を高価買取してしまうのが三蔵である。
子供じみた対抗心から放たれた魔戒天浄が、残った妖怪達を瞬く間に一掃した。
「あーあ、ホントにやりましたね」
「どっちがガキだよどっちが!!」
「楽勝楽勝」
呆れつつも鼻高々の面々。
ヘイゼルの驚愕に見開いた瞳が喜色に染まる。
「"魔の闇を破く光の力"―――これやわ。うちが欲しかったんは」
含みのあるその言葉に三蔵がぴくりと眉を上げた。
「―――さてと。この森降りた所に町があるんやけど、御一緒にお昼ご飯でもどないです?うちが奢りますさかい」
その言葉に文句を垂れつつ訝しみつつ、しかし聞きたいこともあると、一行はその誘いに応じることにした。
「よう食べはりますなぁ……天使はんも、見た目に反して…」
「…天使って言わないで」
「おや、普通に喋れるんやね。じゃあ、お名前、聞かせてもろても?」
「…名無子」
「名無子はんどすか。以後お見知りおきを。仲良ぉしてね」
「……」
「あれ。もしかしてうち、嫌われてしもた?」
返答もなく、素っ気ない素振りにヘイゼルが苦笑いで頬を搔く。
横から腕を伸ばした悟浄が
「うちのお姫様は恥ずかしがり屋なもんでな。あんまりちょっかいかけんじゃねーよ」
名無子の頭を引き寄せ、そんなことより、と、本題に取り掛かる。
「お宅ら、西から来たんだろ?何でまた西に引き返してきたんだよ」
「言いましたやろ?うちらの目的は妖怪退治やて。
なんや三蔵はん達、妖怪に狙われてはるようやったからなぁ。一緒におった方が妖怪も仰山出て来よるかな思て」
「なるほど……いえ、実は僕らの方も貴方にお聞きしたい事があったんですよ」
「へぇ、何やろ」
ここぞとばかりに八戒が問いを重ねる。
「例えば貴方の力で生き返った方々についてなんですが、蘇生した事による副作用のようなものはないんでしょうか」
「副作用は特にないんと違います??ただ…うちの力で蘇ったんは皆、妖怪に命を奪われたお人らばっかりや。
せやから、妖怪に対する憎しみの感情までも蘇らせてしまう。それを拭い去る事ができひんのは…うちの力の至らんところやね」
『 身体を動かす力と思念だけを屍体に入れた感じ。 』
昨晩、名無子が言っていた言葉を思い出す。
ヘイゼルがその"思念"を加えているものと思っていたが、ヘイゼルの口振りはまるで甦った人間側に起因するもののようだった。
果たしてその言葉をどこまで信用して良いものか判じかねていると、今度はヘイゼルからの問いが飛ぶ。
「ところであんさん達は何の目的で旅してはるん?
お坊はんとそのお弟子さんら…には、ちと見えへんのやけど」
ちらりと一同を見渡したヘイゼルに三蔵が常套句を返した。
「弟子じゃねぇよ。下僕だ」
(また言った)
(久々に言った)
(言うと思った)
(下僕…)
最早誰も突っ込まない。
ヘイゼルが笑って続ける。
「ははッ、それなら納得や。三蔵はんのあの技、ほんまドえらいモンやからなぁ。
そないな経文持ってはるなら妖怪に狙われるんも当然やねぇ」
「…あんたのペンダントだって特殊な物だろう」
明らかになったペンダントの効力に八戒が
「てっきりお洒落さんなのかと思いました」
と、軽口を叩けば
「それを言うんやったらアンタはん―――その耳のカフスの方がよっぽどお洒落なんと違います?」
返された、含みのある軽口。
「……それはどうも」
凍えるような笑みの応酬に悟浄と悟空が顔を引き攣らせる。
表向きには和やかな腹の探り合いを終わらせたのは、
「あの―――お食事中のところ申し訳ありません」
ヘイゼル司教様御一行という聞き慣れない括りに向けられた
「お願いがございます司教様!!我々を…この街をお救いください!!」
町民達の悲痛な嘆願だった。
快く妖怪退治を引き受けたヘイゼルに言い包められ、西へと向かうジープは完全に乗車定員をオーバーしていた。
7人分の荷重に耐え必死にタイヤを回すジープを哀れみながら、八戒は重いハンドルを握る。
「ところであんさん、恋人を他の男の膝に乗せるのはアリなんどすか?」
じゃんけんに負け、一人不安定な後部座席の端にぎりぎりで腰を下ろしている悟浄に、ヘイゼルが問い掛けた。
「アリなワケあるか!アンタらのせいでこうなってるんですけど!?」
一人街で待たせることも躊躇われ、かと言って限られた車上で名無子が苦痛にならない乗車位置を探した結果、最終的に落ち着いたのは助手席に座る三蔵の膝の上だった。
「大丈夫ですよ。最高僧たる三蔵法師様が不邪淫戒を破るような真似するはずありませんから」
ヘイゼル達の死角、ちゃっかりと名無子の手を握っている三蔵を横目に、八戒が笑顔で答える。
「あぁ、こっちでもお坊さんは独身制なんやね。でも三蔵はん、そんな真面目に戒律守るようなお人に見えへんのやけど…」
「だそうですよ?三蔵」
「……八戒、お前覚えとけよ…」
含みを隠そうともしない八戒に三蔵の米神がひくついた。
「いくら破戒僧とは言え人の女に手ェ出したりはしねぇよなぁ?三蔵サマよ」
「……お前、降りろ。少しは軽くなる」
「ブッ殺すぞクソ坊主!!」
いつもより賑やかな車を走らせること数十分―――
辿り着いた襲撃にはもってこいの森の中、囮を演じた三蔵・ヘイゼルにまんまと誘い出された襲撃部隊を、一人だけ残して速やかに一掃する。
それじゃあこれまでと感慨もなく別れを告げた悟浄に、ヘイゼルがわざとらしい言葉を投げ掛けた。
「あんさん方、ホンマに手ェ貸してくれはらんのでっか?冷たいわぁ〜」
「ハッ、その手の挑発にゃもう乗らねぇぞ。なぁ三蔵?」
これ以上付き合う義理もないと、一番同意を示してくるだろう相手に視線を投げた悟浄だったが、
「―――つき合ってやるよ」
「…さ……三蔵??」
その思惑は大きく外れ、どういう訳かヘイゼル達と共に被害者救出へと赴くこととなった。
然して大所帯で突入した妖怪の根城。
「―――三蔵。どういう風の吹き回しですか?こういう事に首を突っ込むだなんて」
襲い掛かる妖怪達を片付けながら、声を潜め怪訝そうな顔で八戒が問い質す。
その前で、発動した矢衾の罠からヘイゼルを守ったガトが膝を着いたが
「言いましたやろ?うちと一緒にいる限りガトは死なへんのや」
ヘイゼルの力によって何事もなかったように再び立ち上がる。
「―――あの力だ」
誰にとも無く三蔵が呟いた。
「え?」
「魂を自在に操る能力……奴がどんな聖人だか知らんが―――人一人の手に負えるもんじゃねぇよ」
人間には不相応な強大すぎる力。
自分達の預り知らぬところで振るわれるならまだしも、意図的に接触を図ってきている以上無視はできなかった。
そうして辿り着いた根城の最奥。
「そこ退かねぇと女の命はねぇぞ!!」
攫ってきた人間の女を人質に、お決まりの流れに突入する。
そこで放たれたのは、ヘイゼルの予期せぬ一言だった。
「―――構へんよ。娘はんらごと、いっぺん死んでもらいまひょ」
一切の冗談を感じられない言葉に悟空と悟浄が狼狽する。
「ちょ…待てよ、まさか…」
「本気か!?」
「妖怪は三匹、人質は三人。魂みっつ回収して三人蘇らせてもプラマイ0や」
ヘイゼルの命を受け、ガトが銃を構えた。
しかしそれを許すはずもなく、八戒と悟空の手がガトを静止する
「―――言っただろ。俺達のやり方があるんだよ」
悟浄の錫月杖が人質を避けて敵を切り裂き、
「―――俺は確かに外の世界を知らないが、それでもわかることがある」
「命ってのは―――ひとつふたつと数えるもんじゃねぇよ」
三蔵の小銃が終幕を告げた。
その後、人質となっていた女達をジープで元の街へ送り届ける八戒・悟空・ヘイゼルの三人と、一足先に次の街へ徒歩で向かう三蔵・悟浄・名無子・ガトの四人の二手に分かれることとなった。
方や一触即発、方や居心地の悪い沈黙の空気に疲弊した一部の面々が宿での再会を手荒に喜び合う。
手土産を夜食に漸く一息。カードに興じる久方振りの平穏も束の間だった。
「誰か……誰か来てぇェえ!!!」
それは、同じ宿に泊まる女性客の悲鳴だった。
流行病に罹った我が子の薬を取りに行く途中で幼体が急変したのだと言う。
駆け付けた八戒が脈を取るも、既に手遅れと黙って首を振った。
冷たくなった我が子を抱き泣き叫ぶ母親を前に、悟空が視線を差し向けた先―――
「御期待には添えへんよ―――『魂切れ』や」
ヘイゼルが静かに微笑んで問わず語りに答えた。
「だからさっき言うたやないですか。ジープを停めろ、て」
「ッッ!!貴方という人は…!」
付け足したヘイゼルの胸倉を、八戒が怒りを顕に掴み上げる。
しかし、
「したら、どなたか身代わりにならはりますか?」
「―――!!」
その言葉に、応えることができるはずもなく。
「……そういう事や」
誰もが険しい表情で押し黙る中、悟空がはっと顔を上げた。
「!?そうだ名無子なら―――ッ!!」
慌てて悟浄がその口を塞ぐ。
「悟空。言うんじゃねぇ」
はっとしてこくこくと頷く悟空に、三蔵の鋭利な視線が突き刺さった。
しかし今は撤収が先だと言葉を飲み込み、
「戻るぞ」
首を傾げこちらを見詰めているヘイゼルに背を向け部屋へと歩き出した。
「悟空、てめェ何考えてやがる…」
部屋に戻るなり響いた三蔵の舌打ちと重低音に悟空の肩が跳ねる。
「ごめん、つい…でも!」
「でもじゃねぇ!こいつの力の事がバレたらどうするつもりだったんだ!?」
本意は兎も角、妖怪退治と人間の蘇生を目的と謳うヘイゼルにそのことが知れたらどうなるか―――
偽装とは言え、悟浄に恋人の座を明け渡してまで名無子の身の安全を考えてきた三蔵にしてみれば、名無子を危険に晒しかけた悟空の行動は到底看過できるものではなかった。
「ッッ―――だから悪かったって…」
声を荒げる三蔵に、悟空が眉を萎れさせ悄然と項垂れる。
その間に割って入った名無子が、三蔵の腕にそっと触れた。
「三蔵、怒らないであげて」
言って、
「それより―――いいの?」
話の向きを変えた。
「あのくらいの年の子供なら欠けるものも殆どないから、戻せるよ?」
その言葉に答えたのは三蔵ではなく、
「そ、そーだよ!名無子なら助けられんじゃん!今からでも―――」
恐る恐るにも息を吹き返した悟空だった。
「確かに…通常であれば記憶等の欠損があるという話でしたがそれがないのであれば…」
八戒が言葉を重ねる。
悟空は兎も角、八戒までもが名無子の力を当てにし始めたことに三蔵の怒りが再び沸点に達しようとしたが、それを察したのか、名無子が三蔵の袖を引き無言で首を振った。
喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、ゆっくりと深く呼吸する。
ベッドへと向かい腰を下ろすと、名無子に顎で指し示し隣に座らせた。
誰もが珍しくも口を閉じ、三蔵の言葉を待つ。
三蔵は煙草に火を着けると白煙を吐き出し、そして徐に口を開いた。
「それで」
「……??」
「これからもそうやって助けていくのか」
怒気の欠けた、それでいて威厳を纏う凛然とした声が言う。
「その線引きはどこでする。年齢か。その年齢を1日過ぎただけの者は。
生き返らせる選択をするなら、当然生き返らせない選択もできるんだろうな」
「それは―――」
言い淀む二人に、三蔵は苦々しげに舌打ちを零した。
「自分で選んで自分で実行するならまだいい。だが、それをやるのは誰だ」
悟空と八戒の目が自然と三蔵の隣へ向けられる。
何の感情も映さない無機質な灰銀の瞳に全てを見透かされてるようで、思わず視線を反らし目を伏せた。
「一瞬の自己満足にこいつを巻き込むな。ヘイゼルに張り合ってくだらねェ事考えてんじゃねぇよ」
何一つ、言い返すことができなかった。
ヘイゼルの力を見慣れてしまったせいで麻痺した感覚。
『 死んだ人間は生き返らない 』
そんなことすら忘れていたのだろうか。
支障がないなら良いだろうと独善的に、目の前の可能性に手を伸ばした。
その選択と行為の重さに目を向けることもなく、あまつさえ名無子を道具かの如く用いようとした。
まるで緩んだ螺子を閉めるためにドライバーを手に取るかのように、極々当たり前に。
ヘイゼルに泣き縋った村人達よりも余程質が悪いと、八戒が唇を噛む。
漸く理解に至ったらしき二人を前に三蔵が細く息を吐いた。
「―――つーかよぉ、俺ら、いつからそんな偉くなったんだ?」
聞こえてきた声は名無子の膝の上、いつの間にか頭を預け仰向けに転がる悟浄だった。
名無子の髪の毛を一房指に絡め、自分の鼻の下に当て「髭」と小さく呟いた悟浄に名無子が思わず失笑する。
その笑顔に安堵の色を口の端に浮かべ、斜め上方から突き刺さる視線を無視して悟浄は口を開いた。
「誰々を生き返らせるだの何だの…ンなのもう人間やら妖怪やらの領分じゃねぇべ」
一度は畏れたその力を、名無子の一部として既に受け入れてはいるもののそれでも―――だからこそ、軽んじていいものではないと。
「名無子は少なくともその力の影響をちゃーんと理解してんだろ。
その上で、俺らがそうして欲しいって言えば喜んでやってくれるんだろうけどよ…俺は、畏ろしくて頼めねーわ」
苦笑いで、いつもと変わらぬ軽い口調で言ってのけた悟浄に、名無子がふわりと柔らかな微笑を纏い、その頭を撫でている。
微かな嫉妬を新しい煙草の先端に灯しながら、三蔵はふぅと煙を吐き出した。
「―――悟浄のくせにマトモなこと言うじゃねぇか」
「お前ね…たまには普通に褒めてくれても良いのよ?」
「……さっき、悟空を止めたことに関しては褒めてやる。よくやった」
「上司かよ…」
相も変わらず尊大なその態度に呆れる悟浄。
くすくすと笑みを零している名無子に三蔵の眉間は解け。
改めて、八戒と悟空に視線を向ける。
「野暮ならまだいい。だが―――命に対して傲慢にはなるな。それはいつか、己の命に跳ね返ってくる」
死を容易く覆せるものとして軽んじるならば、それは即ち生を軽んじることに等しい。
人間の命に対しても妖怪の命に対しても同様に、真摯に、真剣に、そして時に冷酷に向き合う三蔵の口から発せられる言葉が、八戒と悟空の胸に深く突き刺さる。
去来する様々な感情を飲み込むには、まだ暫くの時間が必要だった。