第二章
貴女のお名前は?
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「それで、だ―――」
「おいコラ。ちょっと待てや」
招かれざる客も去り落ち着きを取り戻した部屋の中、口を開いた三蔵を押し留めたのは悟浄だった。
「お前ね…機転利かせてやった俺に対してその仕打ちはあんまりなんでねーの?」
ヘイゼル達が部屋を出て早々、三蔵はどかっと椅子に腰を下ろすと名無子を手招き、膝の上へと座らせた。
そして今、法衣の袖で悟浄が口付けた髪をごしごしと拭っている三蔵に、悟浄が呆れと怒りとで彩った笑みを向けていた。
「ここぞとばかりに調子に乗るからですよ、悟浄」
ベッドから力ない叱咤が飛ぶが、悟浄は悪びれる様子もない。
「つってもよー、あん時はあれが最善手だったべや」
三蔵も否定はしなかった。しかしそれとこれとは話が別だと。
眉間に皺を寄せ清拭する三蔵に、名無子は無表情でされるがまま。
そんな甘いのか苦いのかよくわからない光景を目にしながら、悟空が尋ねた。
「なぁなぁ。なんで三蔵、いつもみたいに俺のって言わなかったの?」
「って悟空、そこからかよ…」
真意をわかっていなかった悟空が少なくとも余計なことを言わなかったのは、野生の勘によるものだろうか。
呆れるべきか褒めてやるべきか悩む悟浄に、八戒が苦笑して助け船を出す。
「悟空、前話したの覚えてますか?悪意を持った敵が何を狙うか」
「えっと、弱点と…大事なもの?」
「はい、正解です。特に三蔵の恋人である名無子はその両方に該当しますから、極力その事は秘めていた方が得策ということです。
特に、ああいった手合いには―――」
敵であるという確証は何もない。しかし、味方と断ずるには余りにも不穏な要素があり過ぎると、青色吐息の八戒に返されたのは、
「え?あいつらって敵だったん??」
ぱちぱちと金眼を瞬かせた気抜けする一言だった。
「おぉい…マジかよ……」
「少なくとも味方じゃねぇ。余りに胡散臭すぎる」
呆れ顔の悟浄と三蔵。
能天気と言ってしまえばそれまでだが、旅を始めてから猜疑心と警戒心を磨き上げられてしまった八戒にしてみれば悟空の純朴さは羨ましくも感じるところでもあり、何とも言えない苦笑いで同意を示す。
確かに、敵意や悪意は感じられなかった。
悟空の野性の警戒網をすり抜けたのもそのせいだろう。
あの口振りからして牛魔王配下の者とも考えにくい。
しかし代わりに値踏みするような、何かを見極めているような視線が三蔵は気になっていた。
「ほぇえ〜…名無子も?気付いてた??」
悟空が感嘆の声と共に、三蔵の膝の上に視線を寄越した。
「敵かどうかは知らない。私はただ八戒が言った通り、私が誰かの弱点になる可能性は少しでも失くしたいって思っただけ。
だから、本当だったら悟浄も何も言わないで欲しかったよ…?」
しゅんと萎れた眉で上目遣いに見上げる視線に射抜かれた悟浄が、目元を掌で押さえ、天を仰いで唸った。
その様子に三蔵は右手で名無子の目元を覆い、左腕を名無子に巻き付けて嘆息を吐くと
「確かに。コイツの身はどうでもいいが、何も言わず黙ってりゃ良かっただけの話だったな…」
肩の力が抜けたせいで妙に冷静になった思考を口にしてみせた。
名無子の肩口に顎を乗せ、先程までとは打って変わって険の取れた三蔵に八戒が苦笑いする。
「まぁいいじゃないですか。騎士様には何かあれば囮と盾を務めてもらいましょう」
「名無子ちゃんのためなら囮でも何でもなってやるけどよ。それよか、俺の前であんまベタベタしないでくんない?ごじょさん血反吐と砂糖吐きそうなんだけど」
「囮も盾も吐くのもダメ……三蔵、見えない…」
「見なくていい。それより―――お前はどう見る」
「どうって?」
「ヘイゼルともう一人の男のことだ」
随分と遠回りを経て無理矢理軌道修正。当初の話に巻き戻す。
「んーと…納得した。だからちぐはぐだったんだって」
「…何?」
目を覆っていた手を離してやれば、真ん丸な瞳が三蔵を見上げ首を傾げた。
「??……魂を移し替えるって、あの人が言ってたでしょ?」
どうにも理解が噛み合っていないような違和感と、それでいて核心に迫っているような緊迫感が渦を巻き始める。
「ちぐはぐって…昨日言ってたやつ?」
「うん」
「もしかして…」
「うん。全部違う妖怪の魂だったからわかりにくかったけど―――
昨日の式神って言ってた人達、たぶんヘイゼル?が、蘇生した人間だよ」
「「「「!!?」」」」
「あと、あの大っきい人も」
淡々と事も無げに言ってのけた名無子に目を見開いた四対の視線が注がれた。
「つまりヘイゼルさんが蘇らせた人間に妖怪を襲わせていると…?」
「どこまで意図してやってるのかは知らない。
少なくともあの人自身からは悪意みたいなのは感じなかったし、実際、あの大っきい人も他の蘇った人達も襲ってこなかったしね」
「確かに…」
蘇生された人間が須らく妖怪を襲うようになるのならば、昨晩の襲撃でヘイゼルが蘇生した者達がその場で襲い掛かってきていてもおかしくない。
しかしそうはならず、更に名無子が言うように完全に操っているというわけでもないとなれば―――
三蔵はふぅと息を吐き、混迷を極め始めた思考を一旦手放すことにした。
「何にせよ、油断していい相手じゃねぇ。もう会うこともなけりゃそれが一番だがな」
「さっきの言い方からして、そうはならなさそうですねぇ―――それより、すみません…」
「何だ」
青白い顔が笑みを引き攣らせ、控えめに片手を上げた。
「僕、吐きそうです……」
がたんと椅子を鳴らし悟浄が立ち上がり悟空に指示を飛ばす。
「ちょっ!!おい悟空!洗面器持ってこい!!」
「お、おう!」
洗面所へと駆け出した悟空と
「八戒大丈夫??」
口を手で覆い項垂れる八戒の背を心配そうに擦る名無子。
「お前は……とりあえず寝ろ…」
三蔵は手に取っていた煙草を諦め、八戒の不調という目下の問題解決の時を待つことにした。
八戒を休ませるため、また、八戒が回復し次第速やかに発てるよう買い出しを済ませるため、街へと繰り出した三蔵達四人。
昨晩あれ程の惨劇が繰り広げられた通りには、何事もなかったかのように昼間の賑わいが戻っていた。
「なぁなぁッ、八戒これ食えるかな。買ってってやろーぜ」
病人に焼きそばは如何なものかと思いながら名無子が見詰める前で、病人への差し入れとは到底思えない量を注文している悟空に、
「買い物済ませてさっさと戻るぞ。昨日の今日だが妖怪の襲撃も油断できん」
部屋で断念した煙草を漸く咥え、三蔵が注意を促す。
「だーいじょーぶだって!」
「そーそー、ちょっとした妖気にも敏感に反応し―――どわッ!!?」
正に油断大敵。
焼きそばから目を離したほんの数秒の間に一薙ぎされた包丁は、危うく二人の胴を切り裂くところだった。
「〜〜〜っぶねェ!!」
「お…オバチャン?」
冷や汗を滲ませ顔を引き攣らせる二人に
「…ろせ……殺せ…」
「妖怪だ…コロセ…」
刃物を手にした老若男女が距離を詰めてくる。
「…まァた俺ら御指名ってか?」
「―――”黄色の眼”だ」
いつの間にか周囲を完全に囲まれ、四方八方から襲い来る凶刃。
それを避けながらふと、悟浄があることに気がついた。
「こいつらどっかで見た事あると思ったらどいつもこいつも昨日いっぺん死んだ奴らじゃねぇか…?」
その言葉に三蔵の目が見開かれた。
同時、背後に潜ませていた名無子が袖を引いた。
「三蔵。八戒が」
「あぁ…おい、宿に戻るぞ!!」
「はァ!?状況見て言えクソ坊主ッ!!」
碌に身動き取れず非難の声を上げる悟浄と悟空を残し、三蔵と名無子は宿へと走り出した。
幸いにして無事、八戒とジープに合流できた一行だったが、襲い来る人間達に行く手を阻まれ街を出ることも能わず立ち往生していた。
煙草を吹かし傍観に徹する三蔵と、その三蔵の袖を固く握りしめたままはらはらと事態を見守る名無子には目もくれず、明確に八戒、悟浄、悟空の三人目掛けて襲いかかってくる人々。
武器も気功も使わず、極力傷付けぬよう加減しながらの戦闘に神経を消耗させられ、焦りと苛立ちを滲ませながら立ち回る。
そんな中、
「お父さん!?」
一人の女が父親を止めようと武器を手にした男に駆け寄ってくる。
「やめてよ!お父さんってば!!――――きゃあァ!!」
最早相手が誰なのかもわかっていないのだろう。
娘を乱暴に払い飛ばしたその様子は、まるで暴走状態にある妖怪と違わぬものだった。
その父親が振り下ろしてきた斧を受け留めることしかできず歯噛みする悟空に
「悟空。―――倒せ!」
三蔵の冷徹な命が下った。
しかし、
「っっダメだっ―――できねェッ!!」
悲痛な声が答えたその瞬間、父親の眉間を一発の銃弾が貫いた。
響き渡った、聞き慣れた銃声。
しかしそれは三蔵の手元からではなかった。
三蔵が視線を左後方へ下ろせば名無子の手元、両手で握られた昇霊銃。
三蔵が引き金を引くよりも一瞬早く、自らの手でそれを成した名無子は既に銃を下ろしていた。
色のない横顔が、真っ直ぐに正面を見据えたまま
「半分にね、したかったの」
ぽつり呟いた。
土塊と化した男を前に、襲い掛かってきていた者達が悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
限界を迎え立ち眩む八戒。憤りに臍を噛む悟空。
思うところはあったものの、今はそれよりもこの場を離れるのが先だと。
「とっとと行くぞ。俺達はこの街の連中にしてみたら害虫のようなモンだろうからな」
三蔵の号令に従い、五人は突き刺さる視線に背を向け歩き出した。
街を出て暫く、
「名無子、一つ聞きたいんですが…」
車を止めた森の中、漸く腰を落ち着けた八戒が口を開いた。
「死んだ人間に妖怪の魂を移し替えて、普通に生活できるものなんでしょうか」
宿で一人休んでいる時、先程頭を撃ち抜かれた男の娘が言っていた言葉。
『昨日のことが嘘みたいに元気ですよォ』
自分達に襲い掛かってきたことを別にしても、そのようなことが本当に有り得るのだろうかと、人知を超えた存在に答えを求めた。
駄目で元々。そう思っていたが、名無子は予想外にも期待に応えてみせた。
「たぶんできるよ。不具合はあるだろうけど記憶は肉体にも残ってるから」
多少おかしなところがあっても、「あんなことがあったんだから」と周りが勝手に斟酌するだろうと話す名無子に、悟空が問いを重ねる。
「記憶って体の方に残んの?魂じゃなくて?」
「どちらにも残るよ。どの程度かは人に寄るけど」
「へぇ〜」
「そう言えば、臓器移植を受けた人がドナーの嗜好に影響されたとかって話も聞きますね」
うん、と名無子が頷く。
「ただ……別々の魂と肉体が歪に組み合わさってるから普通の生者より脆いし、何もなくてもそう長くは保たないと思う。
まぁ、それでも普通に生活できるって意味では"生き返った"ことには変わりないのかな?」
それを聞いた悟空の陰りが色を濃くする。
自分達と出会わなければ―――『妖怪』というトリガーさえ引かなければ、短い時間でも普通に親子仲良く暮らすことができたであろう二人。
最後に娘が見せた、憎悪に満ちた表情が幾度となくフラッシュバックする。
それに気付いた悟浄がぽんと悟空の頭に手を遣り、話を変えた。
「因みになんだけど、名無子ちゃんも同じことできたりする?移し替えるってやつ」
「無理。する理由もないし、もしできたとしてもしないかな。
それが大事な人なら尚更」
口の端に小さく笑みを添えて答えた名無子が、誰を想定しているかは問うまでもないと。
唯一人、三蔵だけが別の人物を心に浮かべていた。
「なんで?大事な人なら、生き返ってほしくない??」
あの娘がそうだったように、と、純朴な金眼が首を傾げる。
名無子は橙を端に滲ませる濃紺の空を見上げ、少し考えてから視線を戻した。
「記憶にしろ人格にしろ、大事な人が生きてきた中で形作ってきたものを――その軌跡を壊したくないから、かな。
生き返ってほしいと願う気持ちは理解できるけど、それ以上に私は大事な人達には"在るが儘"に自分を生きてほしいし、その延長が死なら、それでいいんだと思う。
本人が望むなら兎も角、他人が覆していいことじゃない」
柔らかくも凛然とした響きを帯びた声が、三蔵の記憶を呼び起こす。
胸に甦ったのは、数少ない師の教え―――無一物の三文字だった。
仏に会えば仏を殺せ。祖に会えば祖を殺せ。
何物にも囚われず縛られず、ただ在るが儘に己を生きよと説いた師の顔が、似ても似つかない名無子の顔に重なって見えたような気がしていた。
名無子の言葉を咀嚼するように俯き黙り込む四人の前で、
「そういうのは……なんだっけ…えっと…」
名無子は頭を捻り、何やら言葉を探しあぐねている様子。
数秒の後、目を見開いて、あっと声を上げると、
「そういうのは、野暮だと思います」
すっきりした表情で言い切り、満足そうに微笑んだ。
思わず悟浄が吹き出す。
「ぶっ―――ッははっ、野暮か。確かに」
「あー…なんかわかる…」
「成程、凄くしっくり来ました…ふふっ…野暮な人、ですね」
「フン…あの男が一番嫌がりそうな言葉だな」
意図せず笑いを呼び込んでしまったことにほんの少しの戸惑いを覚えつつも、四人が零した笑みに張り詰めた空気が解けていくのを感じ、名無子は安堵の微笑を重ねていた。
その夜、八戒達三人が寝静まった頃、
「で―――半分、って何だ」
肩を寄せ座る名無子に三蔵が尋ねた。
「半分?……あぁ。あれ」
普段から戦闘時は『邪魔をしない』『足手纏にならない』に徹している名無子があの瞬間、三蔵よりも早く引き金を引いた。
その理由であるはずの『半分にしたい』という言葉の真意を問い質した三蔵に、名無子は色を変えるでもなくぼんやりと空に浮かぶ半月を見詰めながら口を開いた。
「三蔵がね、強いのは知ってる。身体も、心も。だから、大丈夫なのはわかってるけど―――
痛くないわけじゃないでしょ?」
それはいつだったか、悟空が名無子に投げかけた言葉でもあった。
「三蔵が痛いのは嫌だけど、私と半分"ずつ"だと三蔵が嫌でしょう?
でも、あの時は単純に半分にできるかなって。私は何とも思わないから」
あの時、三蔵は悟空に『倒せ』と、そう言った。
『殺せ』とは言わなかった。
それは、既に生きた人間として見ていなかったからというだけではなく、
人間を殺すことへの悟空の忌避感を慮ってのこと。
そしてそれは、三蔵自身も少なからず持つ感情だった。
そのことを察して、その上、自らが傷を負って三蔵がそれを憂うことにならない状況であると判断しての行動だったことを知った今、
(あぁ……こいつは大丈夫だ…)
三蔵の胸に去来したのは純粋な安堵だった。
守りたいと思った日から、守ると決めた日から、三蔵がずっと恐れていたのは守れないことではなく守られること―――嘗て師がそうしたように、自分のために名無子が自身を犠牲にしてしまうことだった。
だが、名無子はわかっている。
守るべき者に守られた者の想いを。そして、遺された者の想いを。
それでも、これまでのように避けられないことはあるかも知れないが、少なくとも自ら率先して余計な傷を負うような真似はしないだろうと。
得難い確信と信頼が、少なからず萎えた三蔵の心に優しく寄り添う。
込み上げる愛おしさに、三蔵は細く息を吐き出すと名無子を胸に抱き寄せた。
念の為視線を走らせ、どうせ聞き耳を立てているだろう出歯亀達の目に止まらないことを確認してから名無子の顎を掬い、唇に口付ける。
湧き上がる衝動を必死に堪え、気を紛らわすためだけに必要のない念押しを口にした。
「―――本当に何とも、ないんだな」
「うん。寧ろ…嬉しかった。できることがあって。―――悪い子?」
小首を傾げ見上げた顔に少しだけ不安の色が見て取れる。
その様子すらも扇情的に思えて、
(全く…人の気も知らねェで……)
内心でぼやきながら溜息を降らせ、頭を撫でてやる。
「いいや。だが、お前に汚れ仕事をやらせるのはこれきりにしたいところだな」
「えー…何ともないって言ってるのに…」
「プライドの問題だ」
「ぷらいど…」
名無子は今一つ納得のいかない顔で、それでもそれ以上何も言う事なく三蔵の胸に頬を寄せていた。
「おいコラ。ちょっと待てや」
招かれざる客も去り落ち着きを取り戻した部屋の中、口を開いた三蔵を押し留めたのは悟浄だった。
「お前ね…機転利かせてやった俺に対してその仕打ちはあんまりなんでねーの?」
ヘイゼル達が部屋を出て早々、三蔵はどかっと椅子に腰を下ろすと名無子を手招き、膝の上へと座らせた。
そして今、法衣の袖で悟浄が口付けた髪をごしごしと拭っている三蔵に、悟浄が呆れと怒りとで彩った笑みを向けていた。
「ここぞとばかりに調子に乗るからですよ、悟浄」
ベッドから力ない叱咤が飛ぶが、悟浄は悪びれる様子もない。
「つってもよー、あん時はあれが最善手だったべや」
三蔵も否定はしなかった。しかしそれとこれとは話が別だと。
眉間に皺を寄せ清拭する三蔵に、名無子は無表情でされるがまま。
そんな甘いのか苦いのかよくわからない光景を目にしながら、悟空が尋ねた。
「なぁなぁ。なんで三蔵、いつもみたいに俺のって言わなかったの?」
「って悟空、そこからかよ…」
真意をわかっていなかった悟空が少なくとも余計なことを言わなかったのは、野生の勘によるものだろうか。
呆れるべきか褒めてやるべきか悩む悟浄に、八戒が苦笑して助け船を出す。
「悟空、前話したの覚えてますか?悪意を持った敵が何を狙うか」
「えっと、弱点と…大事なもの?」
「はい、正解です。特に三蔵の恋人である名無子はその両方に該当しますから、極力その事は秘めていた方が得策ということです。
特に、ああいった手合いには―――」
敵であるという確証は何もない。しかし、味方と断ずるには余りにも不穏な要素があり過ぎると、青色吐息の八戒に返されたのは、
「え?あいつらって敵だったん??」
ぱちぱちと金眼を瞬かせた気抜けする一言だった。
「おぉい…マジかよ……」
「少なくとも味方じゃねぇ。余りに胡散臭すぎる」
呆れ顔の悟浄と三蔵。
能天気と言ってしまえばそれまでだが、旅を始めてから猜疑心と警戒心を磨き上げられてしまった八戒にしてみれば悟空の純朴さは羨ましくも感じるところでもあり、何とも言えない苦笑いで同意を示す。
確かに、敵意や悪意は感じられなかった。
悟空の野性の警戒網をすり抜けたのもそのせいだろう。
あの口振りからして牛魔王配下の者とも考えにくい。
しかし代わりに値踏みするような、何かを見極めているような視線が三蔵は気になっていた。
「ほぇえ〜…名無子も?気付いてた??」
悟空が感嘆の声と共に、三蔵の膝の上に視線を寄越した。
「敵かどうかは知らない。私はただ八戒が言った通り、私が誰かの弱点になる可能性は少しでも失くしたいって思っただけ。
だから、本当だったら悟浄も何も言わないで欲しかったよ…?」
しゅんと萎れた眉で上目遣いに見上げる視線に射抜かれた悟浄が、目元を掌で押さえ、天を仰いで唸った。
その様子に三蔵は右手で名無子の目元を覆い、左腕を名無子に巻き付けて嘆息を吐くと
「確かに。コイツの身はどうでもいいが、何も言わず黙ってりゃ良かっただけの話だったな…」
肩の力が抜けたせいで妙に冷静になった思考を口にしてみせた。
名無子の肩口に顎を乗せ、先程までとは打って変わって険の取れた三蔵に八戒が苦笑いする。
「まぁいいじゃないですか。騎士様には何かあれば囮と盾を務めてもらいましょう」
「名無子ちゃんのためなら囮でも何でもなってやるけどよ。それよか、俺の前であんまベタベタしないでくんない?ごじょさん血反吐と砂糖吐きそうなんだけど」
「囮も盾も吐くのもダメ……三蔵、見えない…」
「見なくていい。それより―――お前はどう見る」
「どうって?」
「ヘイゼルともう一人の男のことだ」
随分と遠回りを経て無理矢理軌道修正。当初の話に巻き戻す。
「んーと…納得した。だからちぐはぐだったんだって」
「…何?」
目を覆っていた手を離してやれば、真ん丸な瞳が三蔵を見上げ首を傾げた。
「??……魂を移し替えるって、あの人が言ってたでしょ?」
どうにも理解が噛み合っていないような違和感と、それでいて核心に迫っているような緊迫感が渦を巻き始める。
「ちぐはぐって…昨日言ってたやつ?」
「うん」
「もしかして…」
「うん。全部違う妖怪の魂だったからわかりにくかったけど―――
昨日の式神って言ってた人達、たぶんヘイゼル?が、蘇生した人間だよ」
「「「「!!?」」」」
「あと、あの大っきい人も」
淡々と事も無げに言ってのけた名無子に目を見開いた四対の視線が注がれた。
「つまりヘイゼルさんが蘇らせた人間に妖怪を襲わせていると…?」
「どこまで意図してやってるのかは知らない。
少なくともあの人自身からは悪意みたいなのは感じなかったし、実際、あの大っきい人も他の蘇った人達も襲ってこなかったしね」
「確かに…」
蘇生された人間が須らく妖怪を襲うようになるのならば、昨晩の襲撃でヘイゼルが蘇生した者達がその場で襲い掛かってきていてもおかしくない。
しかしそうはならず、更に名無子が言うように完全に操っているというわけでもないとなれば―――
三蔵はふぅと息を吐き、混迷を極め始めた思考を一旦手放すことにした。
「何にせよ、油断していい相手じゃねぇ。もう会うこともなけりゃそれが一番だがな」
「さっきの言い方からして、そうはならなさそうですねぇ―――それより、すみません…」
「何だ」
青白い顔が笑みを引き攣らせ、控えめに片手を上げた。
「僕、吐きそうです……」
がたんと椅子を鳴らし悟浄が立ち上がり悟空に指示を飛ばす。
「ちょっ!!おい悟空!洗面器持ってこい!!」
「お、おう!」
洗面所へと駆け出した悟空と
「八戒大丈夫??」
口を手で覆い項垂れる八戒の背を心配そうに擦る名無子。
「お前は……とりあえず寝ろ…」
三蔵は手に取っていた煙草を諦め、八戒の不調という目下の問題解決の時を待つことにした。
八戒を休ませるため、また、八戒が回復し次第速やかに発てるよう買い出しを済ませるため、街へと繰り出した三蔵達四人。
昨晩あれ程の惨劇が繰り広げられた通りには、何事もなかったかのように昼間の賑わいが戻っていた。
「なぁなぁッ、八戒これ食えるかな。買ってってやろーぜ」
病人に焼きそばは如何なものかと思いながら名無子が見詰める前で、病人への差し入れとは到底思えない量を注文している悟空に、
「買い物済ませてさっさと戻るぞ。昨日の今日だが妖怪の襲撃も油断できん」
部屋で断念した煙草を漸く咥え、三蔵が注意を促す。
「だーいじょーぶだって!」
「そーそー、ちょっとした妖気にも敏感に反応し―――どわッ!!?」
正に油断大敵。
焼きそばから目を離したほんの数秒の間に一薙ぎされた包丁は、危うく二人の胴を切り裂くところだった。
「〜〜〜っぶねェ!!」
「お…オバチャン?」
冷や汗を滲ませ顔を引き攣らせる二人に
「…ろせ……殺せ…」
「妖怪だ…コロセ…」
刃物を手にした老若男女が距離を詰めてくる。
「…まァた俺ら御指名ってか?」
「―――”黄色の眼”だ」
いつの間にか周囲を完全に囲まれ、四方八方から襲い来る凶刃。
それを避けながらふと、悟浄があることに気がついた。
「こいつらどっかで見た事あると思ったらどいつもこいつも昨日いっぺん死んだ奴らじゃねぇか…?」
その言葉に三蔵の目が見開かれた。
同時、背後に潜ませていた名無子が袖を引いた。
「三蔵。八戒が」
「あぁ…おい、宿に戻るぞ!!」
「はァ!?状況見て言えクソ坊主ッ!!」
碌に身動き取れず非難の声を上げる悟浄と悟空を残し、三蔵と名無子は宿へと走り出した。
幸いにして無事、八戒とジープに合流できた一行だったが、襲い来る人間達に行く手を阻まれ街を出ることも能わず立ち往生していた。
煙草を吹かし傍観に徹する三蔵と、その三蔵の袖を固く握りしめたままはらはらと事態を見守る名無子には目もくれず、明確に八戒、悟浄、悟空の三人目掛けて襲いかかってくる人々。
武器も気功も使わず、極力傷付けぬよう加減しながらの戦闘に神経を消耗させられ、焦りと苛立ちを滲ませながら立ち回る。
そんな中、
「お父さん!?」
一人の女が父親を止めようと武器を手にした男に駆け寄ってくる。
「やめてよ!お父さんってば!!――――きゃあァ!!」
最早相手が誰なのかもわかっていないのだろう。
娘を乱暴に払い飛ばしたその様子は、まるで暴走状態にある妖怪と違わぬものだった。
その父親が振り下ろしてきた斧を受け留めることしかできず歯噛みする悟空に
「悟空。―――倒せ!」
三蔵の冷徹な命が下った。
しかし、
「っっダメだっ―――できねェッ!!」
悲痛な声が答えたその瞬間、父親の眉間を一発の銃弾が貫いた。
響き渡った、聞き慣れた銃声。
しかしそれは三蔵の手元からではなかった。
三蔵が視線を左後方へ下ろせば名無子の手元、両手で握られた昇霊銃。
三蔵が引き金を引くよりも一瞬早く、自らの手でそれを成した名無子は既に銃を下ろしていた。
色のない横顔が、真っ直ぐに正面を見据えたまま
「半分にね、したかったの」
ぽつり呟いた。
土塊と化した男を前に、襲い掛かってきていた者達が悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
限界を迎え立ち眩む八戒。憤りに臍を噛む悟空。
思うところはあったものの、今はそれよりもこの場を離れるのが先だと。
「とっとと行くぞ。俺達はこの街の連中にしてみたら害虫のようなモンだろうからな」
三蔵の号令に従い、五人は突き刺さる視線に背を向け歩き出した。
街を出て暫く、
「名無子、一つ聞きたいんですが…」
車を止めた森の中、漸く腰を落ち着けた八戒が口を開いた。
「死んだ人間に妖怪の魂を移し替えて、普通に生活できるものなんでしょうか」
宿で一人休んでいる時、先程頭を撃ち抜かれた男の娘が言っていた言葉。
『昨日のことが嘘みたいに元気ですよォ』
自分達に襲い掛かってきたことを別にしても、そのようなことが本当に有り得るのだろうかと、人知を超えた存在に答えを求めた。
駄目で元々。そう思っていたが、名無子は予想外にも期待に応えてみせた。
「たぶんできるよ。不具合はあるだろうけど記憶は肉体にも残ってるから」
多少おかしなところがあっても、「あんなことがあったんだから」と周りが勝手に斟酌するだろうと話す名無子に、悟空が問いを重ねる。
「記憶って体の方に残んの?魂じゃなくて?」
「どちらにも残るよ。どの程度かは人に寄るけど」
「へぇ〜」
「そう言えば、臓器移植を受けた人がドナーの嗜好に影響されたとかって話も聞きますね」
うん、と名無子が頷く。
「ただ……別々の魂と肉体が歪に組み合わさってるから普通の生者より脆いし、何もなくてもそう長くは保たないと思う。
まぁ、それでも普通に生活できるって意味では"生き返った"ことには変わりないのかな?」
それを聞いた悟空の陰りが色を濃くする。
自分達と出会わなければ―――『妖怪』というトリガーさえ引かなければ、短い時間でも普通に親子仲良く暮らすことができたであろう二人。
最後に娘が見せた、憎悪に満ちた表情が幾度となくフラッシュバックする。
それに気付いた悟浄がぽんと悟空の頭に手を遣り、話を変えた。
「因みになんだけど、名無子ちゃんも同じことできたりする?移し替えるってやつ」
「無理。する理由もないし、もしできたとしてもしないかな。
それが大事な人なら尚更」
口の端に小さく笑みを添えて答えた名無子が、誰を想定しているかは問うまでもないと。
唯一人、三蔵だけが別の人物を心に浮かべていた。
「なんで?大事な人なら、生き返ってほしくない??」
あの娘がそうだったように、と、純朴な金眼が首を傾げる。
名無子は橙を端に滲ませる濃紺の空を見上げ、少し考えてから視線を戻した。
「記憶にしろ人格にしろ、大事な人が生きてきた中で形作ってきたものを――その軌跡を壊したくないから、かな。
生き返ってほしいと願う気持ちは理解できるけど、それ以上に私は大事な人達には"在るが儘"に自分を生きてほしいし、その延長が死なら、それでいいんだと思う。
本人が望むなら兎も角、他人が覆していいことじゃない」
柔らかくも凛然とした響きを帯びた声が、三蔵の記憶を呼び起こす。
胸に甦ったのは、数少ない師の教え―――無一物の三文字だった。
仏に会えば仏を殺せ。祖に会えば祖を殺せ。
何物にも囚われず縛られず、ただ在るが儘に己を生きよと説いた師の顔が、似ても似つかない名無子の顔に重なって見えたような気がしていた。
名無子の言葉を咀嚼するように俯き黙り込む四人の前で、
「そういうのは……なんだっけ…えっと…」
名無子は頭を捻り、何やら言葉を探しあぐねている様子。
数秒の後、目を見開いて、あっと声を上げると、
「そういうのは、野暮だと思います」
すっきりした表情で言い切り、満足そうに微笑んだ。
思わず悟浄が吹き出す。
「ぶっ―――ッははっ、野暮か。確かに」
「あー…なんかわかる…」
「成程、凄くしっくり来ました…ふふっ…野暮な人、ですね」
「フン…あの男が一番嫌がりそうな言葉だな」
意図せず笑いを呼び込んでしまったことにほんの少しの戸惑いを覚えつつも、四人が零した笑みに張り詰めた空気が解けていくのを感じ、名無子は安堵の微笑を重ねていた。
その夜、八戒達三人が寝静まった頃、
「で―――半分、って何だ」
肩を寄せ座る名無子に三蔵が尋ねた。
「半分?……あぁ。あれ」
普段から戦闘時は『邪魔をしない』『足手纏にならない』に徹している名無子があの瞬間、三蔵よりも早く引き金を引いた。
その理由であるはずの『半分にしたい』という言葉の真意を問い質した三蔵に、名無子は色を変えるでもなくぼんやりと空に浮かぶ半月を見詰めながら口を開いた。
「三蔵がね、強いのは知ってる。身体も、心も。だから、大丈夫なのはわかってるけど―――
痛くないわけじゃないでしょ?」
それはいつだったか、悟空が名無子に投げかけた言葉でもあった。
「三蔵が痛いのは嫌だけど、私と半分"ずつ"だと三蔵が嫌でしょう?
でも、あの時は単純に半分にできるかなって。私は何とも思わないから」
あの時、三蔵は悟空に『倒せ』と、そう言った。
『殺せ』とは言わなかった。
それは、既に生きた人間として見ていなかったからというだけではなく、
人間を殺すことへの悟空の忌避感を慮ってのこと。
そしてそれは、三蔵自身も少なからず持つ感情だった。
そのことを察して、その上、自らが傷を負って三蔵がそれを憂うことにならない状況であると判断しての行動だったことを知った今、
(あぁ……こいつは大丈夫だ…)
三蔵の胸に去来したのは純粋な安堵だった。
守りたいと思った日から、守ると決めた日から、三蔵がずっと恐れていたのは守れないことではなく守られること―――嘗て師がそうしたように、自分のために名無子が自身を犠牲にしてしまうことだった。
だが、名無子はわかっている。
守るべき者に守られた者の想いを。そして、遺された者の想いを。
それでも、これまでのように避けられないことはあるかも知れないが、少なくとも自ら率先して余計な傷を負うような真似はしないだろうと。
得難い確信と信頼が、少なからず萎えた三蔵の心に優しく寄り添う。
込み上げる愛おしさに、三蔵は細く息を吐き出すと名無子を胸に抱き寄せた。
念の為視線を走らせ、どうせ聞き耳を立てているだろう出歯亀達の目に止まらないことを確認してから名無子の顎を掬い、唇に口付ける。
湧き上がる衝動を必死に堪え、気を紛らわすためだけに必要のない念押しを口にした。
「―――本当に何とも、ないんだな」
「うん。寧ろ…嬉しかった。できることがあって。―――悪い子?」
小首を傾げ見上げた顔に少しだけ不安の色が見て取れる。
その様子すらも扇情的に思えて、
(全く…人の気も知らねェで……)
内心でぼやきながら溜息を降らせ、頭を撫でてやる。
「いいや。だが、お前に汚れ仕事をやらせるのはこれきりにしたいところだな」
「えー…何ともないって言ってるのに…」
「プライドの問題だ」
「ぷらいど…」
名無子は今一つ納得のいかない顔で、それでもそれ以上何も言う事なく三蔵の胸に頬を寄せていた。