第二章
貴女のお名前は?
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誰にとっても衝撃的だった変化も、やがては日常となる。
幸いにして八戒が仄かに危惧していたような悪影響もなく日々は過ぎていた。
三蔵と名無子が恋人関係になったことで変わったことと言えば、三蔵と名無子が堂々と共寝するようになったことと、名無子にちょっかいを出す悟浄への三蔵の当たりが明確かつ鋭利になったこと、三蔵が名無子への配慮と寵愛を隠さなくなったことくらい。
始めは違和感や戸惑いを滲ませていた面々も、時間と共にいつしかそれを当たり前のものとして受け入れるようになっていた。
妖怪の襲撃に際しては悟浄は変わらず騎士を自称するだけの活躍を見せつけているし、三蔵に至っては相変わらず碌に動こうとはしないものの、常に名無子を目の届くところに置いて降り掛かる火の粉を払っている。
そんな新たな日常にも慣れ、この日もまた一行はジープを西へと走らせていた。
「……あーーーーヒマだーーーー」
悟空の口から溢れたのは、慣れ過ぎた日常の弊害、そして妖怪の襲撃が鳴りを潜めたことによる退屈の二文字に他ならなかった。
車上では暇潰しも限られている。言葉遊びも取り留めもなく繰り返せば飽きるだけだ。
理解しつつも、つくづく平穏に向かない悟空の性格を八戒が笑う。
「退屈も平和な証拠じゃないですか。そんなこと言ってるとバチが当たりますよ?」
その言葉がフラグを立ててしまったのか、不意に陽光を覆った影。
八戒が急ハンドル急ブレーキでそれを回避した。
「っぶねェ!!」
「早速バチが当たりましたね」
武器を手に襲いかかってくる4人の男達を前に動じることもなく、
「刺客か!?上っ等!!」
「久々に運動してやろーじゃねぇの」
待ってましたと言わんばかりの表情で意気揚々と車を降り、久方振りに武器を顕現させた悟空と悟浄だったが、
「―――!?おい…」
何かに気付いた三蔵と八戒が声を上げた。
「待って二人とも!!その人達は…人間です!!」
「!!?」
「……ろせ…殺せ…妖怪は殺せぇえええ!!」
焦点の合わない血走った目。呪文のように繰り返す言葉。
攻撃を退けつつ、八戒が疑問を口にする。
「『妖怪』を…?」
殺気のベクトルは明確に三方向。
三蔵と、後部座席の足元に身を屈めた名無子には見向きもしない。
「…確かに、狙いはお前らだけらしいな」
ならばと人心地、煙草を咥えた三蔵を背後から不安そうな瞳が覗く。
「ちょっ……何だってんだ!?人間とは思えねぇ力だぞ!!」
普段の容赦ない戦い方も、相手が妖怪だからこそ。人間相手では勝手が違う。
それに加え、人間離れした怪力に手立てなく防戦一方の悟浄と悟空。
「〜〜〜〜ッ!!変だよコイツら!!生きてる匂いが全然しねぇ!!」
「!!」
悟空のその一言に、三蔵が立ち上がった。
「退け悟空!!」
辺りに木霊した短い発砲音。
額を撃ち抜かれ仰向けに倒れた男の体が、乾いた粘土のようにひび割れ崩壊する。
「!!?な…何だこりゃあ…」
悲鳴を上げ脱兎のごとく逃げ出した男達を、三蔵は追わせることはしなかった。
「なぁ、コイツらやっぱ式神か何か?」
「そうですね…だとしても、彼らが口にしていた言葉が気になります」
死体とも呼べない壊れた土人形を八戒たちが訝しげに見詰める中、
彼方から轟いた遠雷に三蔵が顔を向けた。
「嵐が来る…」
呟いた三蔵の袖を、名無子が遠慮がちに引く。
「三蔵」
見上げくる瞳に不安の色が滲んでいた。
「―――何でもねぇ。雨が降る前に出るぞ」
引き寄せ、頭に口付けを降らせるとその背を押し、自身もジープへと乗り込んだ。
最近では割と見慣れた光景ではあるものの、
「当たり前にキスするようになりましたねぇ…」
呆れと誂いを半々に、苦笑しながら八戒がハンドルを握る。
「うるせぇ。悟浄もしょっちゅうやってんじゃねぇか」
「お。そりゃ三蔵のお墨付き貰えたってことでOK?」
「OKなわけあるか!」
まるで不穏の影を振り払おうとするかのように、ハリセンが空を裂いて唸った。
悟空が退屈に殺される前にどうにか街へは辿り着いたものの、
雨に降られ駆け込んだ宿の一室。
簡単に夕食を済ませ、思い思いに暫しの休息を取る。
部屋もベッドも一つだけ。
こういう時、三蔵がベッドを使うことに誰も異を唱えなくなったのは
名無子の存在があってこそだった。
とは言え、それでも隙あらばとモーションをかけるのを忘れない者もいた。
「名無子ちゃん、俺が勝ったら今夜は一緒に寝ない?」
「やだ。負けるのわかってるもん。…ほらまたブタ…」
「その手口、八戒がよくやるやつじゃん。…ッしゃ!エースのスリーカード!勝った!」
「失敬な。僕は名無子相手にはそんな真似しませんよ」
「冗談だって。そういうのは三蔵がいねぇ時にやんねーとな―――オラ、フォーカードだ!」
「あ゛っっ!ちょっとタンマ!!」
轟く雷鳴も空に弾ける稲光も気にすることなくカードに興じる三人を他所に、
悟浄の言すら放置でベッドの上、窓の外を見詰めている三蔵に八戒が声を掛けた。
「―――さっきの式神のことですか?」
思案げな瞳が、差し出されたコーヒーを受け取りながら尋ねる。
「……あれは式神だと思うか」
「どうでしょうね…強いて言うなら、彼らの屍体には媒体が見当たりませんでした」
術者と式神を結ぶ触媒となる物が必要なはずと語る八戒。
理解の及ばない様子で悟空がへぇと感嘆した。
何度目かの最下位での負けを喫し、つまらなそうにベッドへと腰を下ろしていた名無子に視線を向ける。
「名無子。お前はどう思う」
問われ、マグカップを両手にうーんと唸ると、
「式神…よりは、ネクロマンシー?に近い気がする…」
天井を見上げ答えを零した。
「ネクロマンシーだと?」
「死霊術、でしたっけ?本や映画での知識くらいしかないですが…」
「屍体に霊魂を宛てがって操っていると…?」
「うん、たぶん。でも操ってるわけじゃないと思う」
「何故そう思う」
「術者との繋がりとか、そういうのは殆ど感じられなかったから。
それに…えっと…光がね、変だったの。無理やり光らせてるみたいな。
身体と中身がちぐはぐで…」
「中身?…魂ってこと??」
「に、近い何か??強いて言えば…その残滓、みたいな。身体を動かす力と思念だけを屍体に入れた感じ。伝わる??」
眉を顰め、首を傾げ、たどたどしくも一生懸命伝えようとする姿は相も変わらずで、三蔵は状況も弁えずつい緩みそうになる口元を煙草を持つ手で覆った。
「妖怪だけを襲ってくる思念というのも気になるが…とりあえずわかった」
そもそも気にしたところで答えが出るものではない。
一先ず思考を切り替え、手を伸ばし頭を撫でてやれば擽ったそうに名無子が目を細めた。
「俺、何にもわかんねー…」
しょげたようにぽつり呟いた悟空の頭に悟浄が掌を降らせる。
「安心しろ。お前だけじゃねぇから。―――しっかしよくそんなことわかんね。さっすが俺の名無子ちゃん」
名無子の隣へと勢いを付けて腰を下ろし、名無子に腕を回した悟浄を一瞥、
「死ね俺のだ」
三蔵がおざなりに毒吐く。
「段々とツッコミが雑になってきましたねぇ」
「一々相手にしてられるか…」
嘆息混じりに言いつつ、名無子を引き寄せ悟浄から引き剥がした。
「そーやって余裕かましてっとそのうち泣き見ることになんぜ?」
「現在進行系で泣き見てんのはお前だろうが」
「ンだと?やんのかコラ」
「はいはいそこまで。そろそろ寝ますよ。悟空、布団敷くの手伝ってください」
「あーい。悟浄の布団はベッドから一番遠いところな」
「ンでだよ!せめて名無子ちゃんの寝息が聞こえるとこにしろ!」
「悟浄、それなかなか気持ち悪いですよ?」
「熱が伝わる距離って言わねーだけマシだと思ってくんね?」
「うるせえ!!いらん事くっちゃべってねぇでさっさと寝ろ!!」
喧騒はいつもの幕切れを迎え、やがて室内に悟空の鼾が響き始めたが、
此度の平穏はそう長くは続かなかった。
夜中、三蔵の腕に抱かれ眠る名無子の目を覚まさせたのは窓ガラスに叩き付ける雨粒でも、金切り声を上げて大気を揺らす強風でもなかった。
嵐に紛れた微かな足音と、隠しきれない殺気混じりの妖気に名無子が頭を擡げる。
「三蔵」
ほぼ同時、三蔵が舌打ちで応えた。
「あぁ。―――お前ら」
「へいへい……ったく、嵐の中ご苦労なこって」
「嵐だからこそじゃないですか。ほら、悟空。起きてください」
「ん〜…またぁ?もー…眠ぃ…」
渋りながらも慣れたように起き上がり、部屋の外へ。
そして間もなく。
窓ガラスの割れる音と
「三蔵一行覚悟ォォ!!」
聞き飽きた口上が部屋に響いた。
「油断しやがったな。最強と謳われた三蔵一行もあっけないモンだぜ!!」
「ほー。そりゃめでてぇや」
「え゛?」
「…で、言いたいことはそれだけか?」
雷光が照らし出した三蔵一行のその姿にたじろぐ妖怪達を難なく片付けて行く。
速やかに敵を打ち倒し、寧ろ割れた窓から吹き込む雨の方を憂いていると
「フン…余裕ぶってる場合かよ。この疫病神どもが」
「…何?」
負け惜しみにしては含みのある物言い。そして、
「きゃぁああ!!」
窓の外、巻き起こった悲鳴に一瞬にして緊張が走る。
「!!?な……」
「これは……!!」
二階の窓から見下ろした通りには、多数の妖怪達に襲われ逃げ惑う人々の阿鼻叫喚があった。
「ククク…俺達の目的は何も貴様らだけじゃねぇんだ。正義の味方面がザマあねぇな!!」
床に転がる妖怪の高笑いは
「死んどけ」
冷酷な声と銃声によって途切れた。
「―――ッてめぇら…あぁあァ!!」
逸早く窓枠を踏み越えた悟空。その前に現れたのは、
「あれ。あんた昼間の…」
「おばんです」
銀の髪と青い目をした、見慣れない装いに身を包んだ男と、
両手に銃を携えた、悟浄ですら見上げるほどの大男だった。
「行きなはれ」
人間と妖怪、両方の悲鳴に混じって重低音の銃声が連続して響き渡る。
「すっ…すげぇすげぇっっ!アイツ強えー!!」
片手間に敵を倒しながら、大男の活躍に目を輝かせる悟空に
「…案外ミーハーね、お前」
悟浄が呆れ顔を向けていた。
見知らぬ男達の援護もあり、あっという間に通りは妖怪の死体で埋め尽くされた。
「ははっ、大量やないかガト。余してもうたらもったいないわぁ」
銀髪の男がその場に不釣り合いな笑みを浮かべ、金色のペンダントを手に何やら呟いている。
その時、
「!!危な―――」
背後から振り降ろされた刃が、銀髪の男との間に身を投じた大男の左腕を切り落とした。
しかし動じる素振りもなく、もう片方の手で妖怪の頭を握り潰す。
「何なんだコイツら……!?」
悟浄達を驚愕から引き戻したのは辺りに響くいくつもの泣き声だった。
「そうだ…町の人達!!」
「怪我人を僕の所へ運んでください!!」
八戒が治癒に取り掛かる中、
「お父さん!!目を開けてよォ…お父さんッ……いやあああ!!」
聞こえてきた悲痛な声に眉根を寄せた。
「手遅れだ」
三蔵が小さく呟く。
冷たくなった父親と思しき男の亡骸を抱き泣きじゃくる女の肩に、銀髪の男の手が触れた。
「もう泣かんでええよ」
ペンダントに触れた指が宙を切り、父親の額へと光を導く。
雲の裂け間から光が差し込み、父親の瞼がゆっくりと開かれた。
「う…嘘だろ…生き返った……」
「亡うなった方は全部、ウチにお任せや」
そう言って唇に微笑を灯すその男を、三蔵の鋭い視線が捉えていた。
翌朝、
「大丈夫か?八戒」
「ええ……いえ、すみません」
気功の使い過ぎで倒れた八戒をベッドに寝かせ、労を労っていると
「お邪魔させてもらいます。お疲れさんやね」
にこやかな笑みを浮かべ、件の二人組が部屋を訪ねてきた。
「なんやしんどい事さしてしもたみいたやわぁ。えろすんまへんな」
「いえ、僕なら大丈夫です。すぐに回復しますから―――??」
爽やかな笑みが途切れ、見開かれた青眼。
八戒がその視線の先を辿ると、水に浸したタオルを絞っている名無子が立っていた。
ほんの一瞬の静止からはっと我に返ったように男は再び笑顔を貼り付け直すと
「いやぁ、びっくりしたわぁ。どえらい別嬪さんがおるもんで。天使様かと思たわ。彼女もあんさんらの仲間なんどすか?」
声を跳ねさせ、尋ねる。
「え、えぇ…」
戸惑いを滲ませつつ八戒が返せば
「…もしかして、誰かのコレ、とか?」
小指を立て、にやりと笑って一同を見回した。
相手の素性もわからない今、関係を表沙汰にするのは避けるべきと考えたのは八戒だけではなかった。
いつもならば当然、真っ先に名乗りを上げるはずの三蔵は何も答えない。
それに倣うかのように、名無子もまた然り。
何故誰も答えないのだろうかと悟空がきょろきょろと視線を走らせるその横から、伸びた腕が名無子を引き寄せた。
「そ。俺の天使サマ。手ェ出すんじゃねーよ」
背後から腕を絡め、髪に口付け不敵に笑う悟浄に、三蔵の米神がぴくりと震えた。
男は青い目を瞬かせると、独り言のように小さく呟く。
「Do not give what is holy to the dogs、どすな…」
「あ?なんて??」
「いえ、なんでもあらしまへんよ」
聞き返した悟浄に、形の良い笑みが答えた。
矛先を名無子から逸し、尚且相手の真意を探るべく三蔵が口を開く。
「それで―――目的は?」
妖怪の被害に遭った人間を救うために西の大陸から来たと話すその男は、
「アンタのいた大陸ではさ、死んだ人間を蘇らせる力なんてみんなが持ってんのか!?」
尋ねた悟空に、死んだ妖怪の魂を回収し人間の蘇生に使うと笑って答えた。
「人間の魂を使って妖怪を生き返らせる事も可能か?」
差し挟まれた三蔵の問いが、ぴり、と静電気のような緊張感を生じさせる。
それを感じ取っていたのは、八戒ともう一人だけ。
「何の為に、どすか?」
微笑を浮かべ投げ返された問いに、三蔵は答えなかった。
「ほな三蔵はん。またお会いしまひょ」
再会を匂わせ、ヘイゼルと大男は部屋を後にした。
「…西から来た男…か」
嵐の去った澄んだ空に相反して、濃度を増した不穏が三蔵の胸に纏わり付いて離れなかった。
幸いにして八戒が仄かに危惧していたような悪影響もなく日々は過ぎていた。
三蔵と名無子が恋人関係になったことで変わったことと言えば、三蔵と名無子が堂々と共寝するようになったことと、名無子にちょっかいを出す悟浄への三蔵の当たりが明確かつ鋭利になったこと、三蔵が名無子への配慮と寵愛を隠さなくなったことくらい。
始めは違和感や戸惑いを滲ませていた面々も、時間と共にいつしかそれを当たり前のものとして受け入れるようになっていた。
妖怪の襲撃に際しては悟浄は変わらず騎士を自称するだけの活躍を見せつけているし、三蔵に至っては相変わらず碌に動こうとはしないものの、常に名無子を目の届くところに置いて降り掛かる火の粉を払っている。
そんな新たな日常にも慣れ、この日もまた一行はジープを西へと走らせていた。
「……あーーーーヒマだーーーー」
悟空の口から溢れたのは、慣れ過ぎた日常の弊害、そして妖怪の襲撃が鳴りを潜めたことによる退屈の二文字に他ならなかった。
車上では暇潰しも限られている。言葉遊びも取り留めもなく繰り返せば飽きるだけだ。
理解しつつも、つくづく平穏に向かない悟空の性格を八戒が笑う。
「退屈も平和な証拠じゃないですか。そんなこと言ってるとバチが当たりますよ?」
その言葉がフラグを立ててしまったのか、不意に陽光を覆った影。
八戒が急ハンドル急ブレーキでそれを回避した。
「っぶねェ!!」
「早速バチが当たりましたね」
武器を手に襲いかかってくる4人の男達を前に動じることもなく、
「刺客か!?上っ等!!」
「久々に運動してやろーじゃねぇの」
待ってましたと言わんばかりの表情で意気揚々と車を降り、久方振りに武器を顕現させた悟空と悟浄だったが、
「―――!?おい…」
何かに気付いた三蔵と八戒が声を上げた。
「待って二人とも!!その人達は…人間です!!」
「!!?」
「……ろせ…殺せ…妖怪は殺せぇえええ!!」
焦点の合わない血走った目。呪文のように繰り返す言葉。
攻撃を退けつつ、八戒が疑問を口にする。
「『妖怪』を…?」
殺気のベクトルは明確に三方向。
三蔵と、後部座席の足元に身を屈めた名無子には見向きもしない。
「…確かに、狙いはお前らだけらしいな」
ならばと人心地、煙草を咥えた三蔵を背後から不安そうな瞳が覗く。
「ちょっ……何だってんだ!?人間とは思えねぇ力だぞ!!」
普段の容赦ない戦い方も、相手が妖怪だからこそ。人間相手では勝手が違う。
それに加え、人間離れした怪力に手立てなく防戦一方の悟浄と悟空。
「〜〜〜〜ッ!!変だよコイツら!!生きてる匂いが全然しねぇ!!」
「!!」
悟空のその一言に、三蔵が立ち上がった。
「退け悟空!!」
辺りに木霊した短い発砲音。
額を撃ち抜かれ仰向けに倒れた男の体が、乾いた粘土のようにひび割れ崩壊する。
「!!?な…何だこりゃあ…」
悲鳴を上げ脱兎のごとく逃げ出した男達を、三蔵は追わせることはしなかった。
「なぁ、コイツらやっぱ式神か何か?」
「そうですね…だとしても、彼らが口にしていた言葉が気になります」
死体とも呼べない壊れた土人形を八戒たちが訝しげに見詰める中、
彼方から轟いた遠雷に三蔵が顔を向けた。
「嵐が来る…」
呟いた三蔵の袖を、名無子が遠慮がちに引く。
「三蔵」
見上げくる瞳に不安の色が滲んでいた。
「―――何でもねぇ。雨が降る前に出るぞ」
引き寄せ、頭に口付けを降らせるとその背を押し、自身もジープへと乗り込んだ。
最近では割と見慣れた光景ではあるものの、
「当たり前にキスするようになりましたねぇ…」
呆れと誂いを半々に、苦笑しながら八戒がハンドルを握る。
「うるせぇ。悟浄もしょっちゅうやってんじゃねぇか」
「お。そりゃ三蔵のお墨付き貰えたってことでOK?」
「OKなわけあるか!」
まるで不穏の影を振り払おうとするかのように、ハリセンが空を裂いて唸った。
悟空が退屈に殺される前にどうにか街へは辿り着いたものの、
雨に降られ駆け込んだ宿の一室。
簡単に夕食を済ませ、思い思いに暫しの休息を取る。
部屋もベッドも一つだけ。
こういう時、三蔵がベッドを使うことに誰も異を唱えなくなったのは
名無子の存在があってこそだった。
とは言え、それでも隙あらばとモーションをかけるのを忘れない者もいた。
「名無子ちゃん、俺が勝ったら今夜は一緒に寝ない?」
「やだ。負けるのわかってるもん。…ほらまたブタ…」
「その手口、八戒がよくやるやつじゃん。…ッしゃ!エースのスリーカード!勝った!」
「失敬な。僕は名無子相手にはそんな真似しませんよ」
「冗談だって。そういうのは三蔵がいねぇ時にやんねーとな―――オラ、フォーカードだ!」
「あ゛っっ!ちょっとタンマ!!」
轟く雷鳴も空に弾ける稲光も気にすることなくカードに興じる三人を他所に、
悟浄の言すら放置でベッドの上、窓の外を見詰めている三蔵に八戒が声を掛けた。
「―――さっきの式神のことですか?」
思案げな瞳が、差し出されたコーヒーを受け取りながら尋ねる。
「……あれは式神だと思うか」
「どうでしょうね…強いて言うなら、彼らの屍体には媒体が見当たりませんでした」
術者と式神を結ぶ触媒となる物が必要なはずと語る八戒。
理解の及ばない様子で悟空がへぇと感嘆した。
何度目かの最下位での負けを喫し、つまらなそうにベッドへと腰を下ろしていた名無子に視線を向ける。
「名無子。お前はどう思う」
問われ、マグカップを両手にうーんと唸ると、
「式神…よりは、ネクロマンシー?に近い気がする…」
天井を見上げ答えを零した。
「ネクロマンシーだと?」
「死霊術、でしたっけ?本や映画での知識くらいしかないですが…」
「屍体に霊魂を宛てがって操っていると…?」
「うん、たぶん。でも操ってるわけじゃないと思う」
「何故そう思う」
「術者との繋がりとか、そういうのは殆ど感じられなかったから。
それに…えっと…光がね、変だったの。無理やり光らせてるみたいな。
身体と中身がちぐはぐで…」
「中身?…魂ってこと??」
「に、近い何か??強いて言えば…その残滓、みたいな。身体を動かす力と思念だけを屍体に入れた感じ。伝わる??」
眉を顰め、首を傾げ、たどたどしくも一生懸命伝えようとする姿は相も変わらずで、三蔵は状況も弁えずつい緩みそうになる口元を煙草を持つ手で覆った。
「妖怪だけを襲ってくる思念というのも気になるが…とりあえずわかった」
そもそも気にしたところで答えが出るものではない。
一先ず思考を切り替え、手を伸ばし頭を撫でてやれば擽ったそうに名無子が目を細めた。
「俺、何にもわかんねー…」
しょげたようにぽつり呟いた悟空の頭に悟浄が掌を降らせる。
「安心しろ。お前だけじゃねぇから。―――しっかしよくそんなことわかんね。さっすが俺の名無子ちゃん」
名無子の隣へと勢いを付けて腰を下ろし、名無子に腕を回した悟浄を一瞥、
「死ね俺のだ」
三蔵がおざなりに毒吐く。
「段々とツッコミが雑になってきましたねぇ」
「一々相手にしてられるか…」
嘆息混じりに言いつつ、名無子を引き寄せ悟浄から引き剥がした。
「そーやって余裕かましてっとそのうち泣き見ることになんぜ?」
「現在進行系で泣き見てんのはお前だろうが」
「ンだと?やんのかコラ」
「はいはいそこまで。そろそろ寝ますよ。悟空、布団敷くの手伝ってください」
「あーい。悟浄の布団はベッドから一番遠いところな」
「ンでだよ!せめて名無子ちゃんの寝息が聞こえるとこにしろ!」
「悟浄、それなかなか気持ち悪いですよ?」
「熱が伝わる距離って言わねーだけマシだと思ってくんね?」
「うるせえ!!いらん事くっちゃべってねぇでさっさと寝ろ!!」
喧騒はいつもの幕切れを迎え、やがて室内に悟空の鼾が響き始めたが、
此度の平穏はそう長くは続かなかった。
夜中、三蔵の腕に抱かれ眠る名無子の目を覚まさせたのは窓ガラスに叩き付ける雨粒でも、金切り声を上げて大気を揺らす強風でもなかった。
嵐に紛れた微かな足音と、隠しきれない殺気混じりの妖気に名無子が頭を擡げる。
「三蔵」
ほぼ同時、三蔵が舌打ちで応えた。
「あぁ。―――お前ら」
「へいへい……ったく、嵐の中ご苦労なこって」
「嵐だからこそじゃないですか。ほら、悟空。起きてください」
「ん〜…またぁ?もー…眠ぃ…」
渋りながらも慣れたように起き上がり、部屋の外へ。
そして間もなく。
窓ガラスの割れる音と
「三蔵一行覚悟ォォ!!」
聞き飽きた口上が部屋に響いた。
「油断しやがったな。最強と謳われた三蔵一行もあっけないモンだぜ!!」
「ほー。そりゃめでてぇや」
「え゛?」
「…で、言いたいことはそれだけか?」
雷光が照らし出した三蔵一行のその姿にたじろぐ妖怪達を難なく片付けて行く。
速やかに敵を打ち倒し、寧ろ割れた窓から吹き込む雨の方を憂いていると
「フン…余裕ぶってる場合かよ。この疫病神どもが」
「…何?」
負け惜しみにしては含みのある物言い。そして、
「きゃぁああ!!」
窓の外、巻き起こった悲鳴に一瞬にして緊張が走る。
「!!?な……」
「これは……!!」
二階の窓から見下ろした通りには、多数の妖怪達に襲われ逃げ惑う人々の阿鼻叫喚があった。
「ククク…俺達の目的は何も貴様らだけじゃねぇんだ。正義の味方面がザマあねぇな!!」
床に転がる妖怪の高笑いは
「死んどけ」
冷酷な声と銃声によって途切れた。
「―――ッてめぇら…あぁあァ!!」
逸早く窓枠を踏み越えた悟空。その前に現れたのは、
「あれ。あんた昼間の…」
「おばんです」
銀の髪と青い目をした、見慣れない装いに身を包んだ男と、
両手に銃を携えた、悟浄ですら見上げるほどの大男だった。
「行きなはれ」
人間と妖怪、両方の悲鳴に混じって重低音の銃声が連続して響き渡る。
「すっ…すげぇすげぇっっ!アイツ強えー!!」
片手間に敵を倒しながら、大男の活躍に目を輝かせる悟空に
「…案外ミーハーね、お前」
悟浄が呆れ顔を向けていた。
見知らぬ男達の援護もあり、あっという間に通りは妖怪の死体で埋め尽くされた。
「ははっ、大量やないかガト。余してもうたらもったいないわぁ」
銀髪の男がその場に不釣り合いな笑みを浮かべ、金色のペンダントを手に何やら呟いている。
その時、
「!!危な―――」
背後から振り降ろされた刃が、銀髪の男との間に身を投じた大男の左腕を切り落とした。
しかし動じる素振りもなく、もう片方の手で妖怪の頭を握り潰す。
「何なんだコイツら……!?」
悟浄達を驚愕から引き戻したのは辺りに響くいくつもの泣き声だった。
「そうだ…町の人達!!」
「怪我人を僕の所へ運んでください!!」
八戒が治癒に取り掛かる中、
「お父さん!!目を開けてよォ…お父さんッ……いやあああ!!」
聞こえてきた悲痛な声に眉根を寄せた。
「手遅れだ」
三蔵が小さく呟く。
冷たくなった父親と思しき男の亡骸を抱き泣きじゃくる女の肩に、銀髪の男の手が触れた。
「もう泣かんでええよ」
ペンダントに触れた指が宙を切り、父親の額へと光を導く。
雲の裂け間から光が差し込み、父親の瞼がゆっくりと開かれた。
「う…嘘だろ…生き返った……」
「亡うなった方は全部、ウチにお任せや」
そう言って唇に微笑を灯すその男を、三蔵の鋭い視線が捉えていた。
翌朝、
「大丈夫か?八戒」
「ええ……いえ、すみません」
気功の使い過ぎで倒れた八戒をベッドに寝かせ、労を労っていると
「お邪魔させてもらいます。お疲れさんやね」
にこやかな笑みを浮かべ、件の二人組が部屋を訪ねてきた。
「なんやしんどい事さしてしもたみいたやわぁ。えろすんまへんな」
「いえ、僕なら大丈夫です。すぐに回復しますから―――??」
爽やかな笑みが途切れ、見開かれた青眼。
八戒がその視線の先を辿ると、水に浸したタオルを絞っている名無子が立っていた。
ほんの一瞬の静止からはっと我に返ったように男は再び笑顔を貼り付け直すと
「いやぁ、びっくりしたわぁ。どえらい別嬪さんがおるもんで。天使様かと思たわ。彼女もあんさんらの仲間なんどすか?」
声を跳ねさせ、尋ねる。
「え、えぇ…」
戸惑いを滲ませつつ八戒が返せば
「…もしかして、誰かのコレ、とか?」
小指を立て、にやりと笑って一同を見回した。
相手の素性もわからない今、関係を表沙汰にするのは避けるべきと考えたのは八戒だけではなかった。
いつもならば当然、真っ先に名乗りを上げるはずの三蔵は何も答えない。
それに倣うかのように、名無子もまた然り。
何故誰も答えないのだろうかと悟空がきょろきょろと視線を走らせるその横から、伸びた腕が名無子を引き寄せた。
「そ。俺の天使サマ。手ェ出すんじゃねーよ」
背後から腕を絡め、髪に口付け不敵に笑う悟浄に、三蔵の米神がぴくりと震えた。
男は青い目を瞬かせると、独り言のように小さく呟く。
「Do not give what is holy to the dogs、どすな…」
「あ?なんて??」
「いえ、なんでもあらしまへんよ」
聞き返した悟浄に、形の良い笑みが答えた。
矛先を名無子から逸し、尚且相手の真意を探るべく三蔵が口を開く。
「それで―――目的は?」
妖怪の被害に遭った人間を救うために西の大陸から来たと話すその男は、
「アンタのいた大陸ではさ、死んだ人間を蘇らせる力なんてみんなが持ってんのか!?」
尋ねた悟空に、死んだ妖怪の魂を回収し人間の蘇生に使うと笑って答えた。
「人間の魂を使って妖怪を生き返らせる事も可能か?」
差し挟まれた三蔵の問いが、ぴり、と静電気のような緊張感を生じさせる。
それを感じ取っていたのは、八戒ともう一人だけ。
「何の為に、どすか?」
微笑を浮かべ投げ返された問いに、三蔵は答えなかった。
「ほな三蔵はん。またお会いしまひょ」
再会を匂わせ、ヘイゼルと大男は部屋を後にした。
「…西から来た男…か」
嵐の去った澄んだ空に相反して、濃度を増した不穏が三蔵の胸に纏わり付いて離れなかった。