第一章
貴女のお名前は?
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その夜、街の中心部に位置するとある高級料理店の一室に五人の姿があった。
悟浄が昼間、デートと称して名無子と街へ出掛けた際、目星をつけていた店だ。
「やべぇ!これもすげーうめぇ!!」
「こんな贅沢ができるなんて名無子様々だな」
「確かに、こんな時じゃないとこういう店には入りませんからねぇ」
「おい猿。主役以上に食ってんじゃねーぞ」
「いいじゃないですか。今日だけは無礼講ってことで。ほら、名無子も食べて食べて」
「お前がそんなこと言うの珍しいな…おい。これも食え」
「うん。頂きます」
その評判に違わぬ豪華絶品な料理の数々に舌鼓を打ちながら、笑みの花を咲かせる面々。
乾杯のグラスを速やかに空け、メニューを眺めて二杯目を物色中の名無子に三蔵が隣りから声を掛けた。
「お前はそれ以上飲むんじゃねぇぞ。ソフトドリンクにしろ」
「え」
「え、じゃねぇよ」
「……はい」
過日の経験から早々に釘を刺してきた三蔵に、名無子は落胆を滲ませながらも素直に応じる。
三蔵の胸中を察し苦笑しながらも、
「名無子、いいんですよ好きなの頼んで。でも一応、軽いのにしときましょうか」
折角の歓迎会で主役に遠慮はさせたくないと、八戒が少しばかりのフォローを入れる。
すると、
「だーいじょうぶだって。この前はまぁ流石にアレだったけど……俺らと同じ量くらいなら飲んでも問題ねぇよ。下手すりゃ俺らより強いぜ?」
名無子の頭を抱き寄せ誇らしげに言った悟浄に三人、目を丸くする。
「そうなんですか??てっきりお酒弱いのに悟浄が無理矢理飲ませたものとばかり…」
「俺もそー思ってた!」
「お前ら…」
「日頃の行い、だな」
「うっせ!クソ坊主!―――兎に角、普通に飲ませてやりゃいいって。可愛い子猫ちゃんかと思いきやなかなかの大虎だかんな」
悟浄に撫で回されるが侭の名無子に三蔵が眉を曇らせる中、
「名無子は酒、好き?」
素朴な疑問を悟空が投げ掛ける。
「うん。おいしい」
その答えに、三蔵に注がれた三対の視線。
雄弁なその瞳の圧力に三蔵は深々と溜息を吐き出した。
「お前らはこいつに甘すぎる…」
「貴方も大概、人の事言えないと思いますけどねぇ」
三蔵が一瞥をくれるが気付かぬふりで、八戒は名無子へと微笑みを向けた。
「名無子、何にしますか?三蔵も折れたようですし、好きなの頼んで構いませんよ」
「じゃあ………オレンジジュース」
長めの沈黙を挟んでのオーダーは、まさかのソフトドリンク。
首を傾げ八戒が確認する。
「お酒じゃないんですか?」
「うん。我慢する。三蔵の言うことは絶対」
「……はい?」
思わず聞き返した八戒に、名無子が疑義を汲んだ答えを返した。
「一緒にいさせてもらう条件。最初の日に、約束したから」
それは、発言した本人すらもとうに忘れていた言葉だった。
時が止まり、三人の視線は再び一点に集う。
「うわぁ〜…」
「三蔵…?」
「おまっ…マジサイテー…」
侮蔑を含んだ刺すような視線の雨。
流石の三蔵もいたたまれなくなったのか、渋面で一升瓶に手を伸ばすと、それを名無子の目の前にどんと置いた。
「……飲め」
「でも…」
「いいから飲め。あと…あの時言ったことは忘れていい」
決まり悪そうな顔で、口籠るように付け足した三蔵を
「ホント三蔵サマってば素直じゃねーなぁ―――いてっ!」
けらけらと笑った悟浄の頭上でハリセンが小気味良い音を響かせた。
騒がしくも和やかに酒宴は進む。
大食漢達の腹が満たされた頃、八戒が話を切り出した。
「ところで悟空。名無子に渡すものがあるんじゃありませんか?」
「あ、そだ。―――はい、これ!歓迎のプレゼント!」
はっとした悟空がポケットを弄り、取り出したのはカード型の紙片。
八戒と悟浄が微笑ましそうに見詰める中、笑顔を添えて名無子に差し出す。
「……くれるの?」
「おう!」
名無子が視線を落とすと、そこには色鉛筆でカラフルに描かれた『なんでも言うこと聞く券』の拙い文字。
目を丸くする名無子に
「何にしようか悩んだんだけどさ。名無子が喜んでくれなきゃ意味ねーし、だったら名無子が希望出せるモンにしようって。だからそれ!」
照れくさそうに笑って言う。
満月のような銀の瞳が、細く弓を引いた。
「ありがとう、悟空」
愛おしそうにそのカードを胸に抱き名無子が微笑む。
その笑みに約二名の心臓がどくんと高鳴った。
「―――ねぇ悟空。これ、今使ってもいい?」
改めてそのカードをまじまじと見ながら、ふと名無子が尋ねる。
「え?うん、いいぜ!何??」
少しだけ驚いた表情で、しかしすぐに期待に瞳を輝かせた悟空への、微笑に乗った請願は
「これからもずっと、一緒にいさせてください」
そこにいる誰もが予期せぬものだった。
三蔵が煙草を折り、悟浄が噎せ返り、八戒が呆然と口を開け固まる。
しかし震源地となった二人は
「わかった!じゃあ、ずっと一緒な!!」
「ありがとう悟空。最高の贈り物。嬉しい」
無邪気に笑い合っていて。
何の柵も打算もなく、思いの侭に言葉を紡ぐことができる二人を、心底羨ましいと思った―――
逸早く復活を果たしたのは八戒だった。
照れたように笑い合い、まるで初々しいカップルのような雰囲気を醸し出してはいるが、方や名無子で、方や悟空だ。
冷静に考えればそこに他意があるはずもないと。
動揺を咳払いで誤魔化し、いつもの微笑を悟空に向ける。
「良かったですね悟空。喜んでもらえて」
「うん!」
「ところで名無子。僕達には言ってくれないんですか?一緒にいてって」
その爽やかな笑顔の問い掛けに、続いて息を吹き返した悟浄が
「ちょ、おまッ―――」
口を挟むより早く
「言うこと聞く券、ないよ?」
名無子が苦笑して答えを返す。
「そんなものなくたって、貴方のお願いなら大体のことは聞いてあげ―――というか、寧ろ聞かせてほしいんですが」
悟空がはっとして顔を上げた。
「ダメだって!!それじゃ俺の言うこと聞く券の意味なくなんじゃん!」
喚く悟空を片手間に宥めながら、
「俺は言われなくても最初からそのつもりだかんな」
悟浄が片目を瞑る。
「いますよ。一緒に」
柔らかな八戒の声音に悟浄と悟空が頷く。
三蔵を含め、誰も異を唱える者はいなかった。
名無子の瞳が、水面に映る月のように揺れて滲む。
「―――みんな、大好き」
柔らかな笑みが伝播し四人の頬を染めていた。
それから幾度か注文を繰り返し、もう何本目かもわからないボトルが空いた。
既に悟空はテーブルに突っ伏して夢の中。
三蔵は黙々と清酒を煽っているし八戒も気分良くほろ酔いのようだ。
名無子は途中から敢えてペースを落としたようで、まだ余力を残しているように見える。
グラスに落ちた最後の一滴から視線を上げ、悟浄が口を開いた。
「なぁ名無子」
「ん?」
仄かに朱を帯びた顔が悟浄と瞳を合わせる。
「一つ頼みがあんだけど」
「何?」
いつものように先んじて窘めようとした八戒だったが、居を正して名無子に向き合い、真剣な面持ちの悟浄に様子を見守ることにした。
「とりあえず今は聞くだけでいい。でも真剣に考えて欲しい」
「うん。わかった」
逸る鼓動は酒のせいではないことを、悟浄は知っていた。
深呼吸を一つ、真っ直ぐに名無子を見詰める。
「名無子、俺と付き合わない?」
「……それは…」
「恋人として。本気で」
八戒が目を見開き、三蔵のグラスを持つ手が止まった。
「今は"大好きなみんな"のうちの一人でいい。けどいつか、俺だけを見て欲しい。そのチャンスを俺にくれないか?」
らしくもないと、自分でも思う。
二人きりの時に、気の利いた言葉を甘く囁いて
口説き落とすことだってできただろうさ。
でもな、悟空と話してる名無子が、眩しいほどに真っ直ぐな名無子が
幸せそうに笑ってるのを見てたらさ
小手先で誤魔化すんじゃなく真っ直ぐ伝えたい、なんて、思っちまったんだ。
こんな真似、きっと、最初で最後だ。
例えこの想いが叶わなかったとしても、名無子、お前なら
笑顔を見せてくれるよな?
汗の滲む掌を固く握り込む。
驚きに瞬く瞳がどう変わるのか、期待と恐怖が悟浄を支配する。
永遠にも感じる数秒、耳障りな心音に遮られないよう耳を澄ましていた悟浄の鼓膜に届けられたのは、
「…ざけんな」
低く轟く雷鳴のような三蔵の声だった。
ゆらり立ち上がった三蔵が顔を上げる。
目の据わった凶相。撒き散らされた無遠慮な殺気に悟空が飛び起きた。
「却下だ。許さん」
悟浄を冷めた紫暗が見下ろし、言い捨てる。
当然、一世一代の告白を邪魔された悟浄が黙っているわけがなかった。
椅子を鳴らして立ち上がり、距離を詰める。
「あ?何だ。『俺の言うことは絶対』ってか?お前、一体何様のつもりだ」
「何だと?」
お互い今にも殴りかからんばかりの剣幕に、名無子が間に割って入った。
「三蔵、悟浄、お願い。やめて」
眉を顰め懇願する名無子を、悟浄は腕を回し引き寄せ
「ごめんな名無子。すぐ終わらせっから、ちょっと待ってな」
穏やかな声音で言って、その頭に口付けを降らせる。
そして再び三蔵へと視線の鋒を向けると、
「お前の物じゃねぇんだ、どーこー言う権利もねぇだろうが。それとも何か?俺の姉貴に手出すなってか?」
捲し立て、はっと嗤った。
「――――のだ…」
「あぁ?何言ってんのか全っ然聞こえねー」
三蔵の手が、名無子に巻き付く悟浄の腕を叩き落とすようにして振り払った。
そのまま名無子の腕を引き胸に抱き寄せ、すぅ、と息を吸い込む。
「俺の女だっつってんだ!!」
部屋に響き渡った声が、時を凍らせた。
「…………は?」
あまりの衝撃にぽかんと口を開け言葉を失った悟浄を横目に
「来い名無子!」
三蔵は名無子の腕を引き、舌打ちを残して部屋を出て行った。
けたたましい音を響かせ開け放たれた扉が、きぃと物悲しそうな音を零して揺れる。
突然の竜巻に巻き込まれ、空高くに放り出されたような、そんな感覚だった。
「………はぁっっ!!???」
瞬きも忘れ見開かれた真紅の瞳。
困惑が言葉にならず、腹の底から悲鳴に近い音が吐き出される。
曰く、いつかそうなる気がしていたとさして驚きもせず黙って成り行きを見守っていた八戒も、流石に最後の展開は予想外ではあったが、
「虎の尾、ならぬ、大虎の尾を踏んでしまったみたいですねぇ」
のほほんと言って笑う。
悟空に至っては、三蔵の宣言を耳にした時点で妙な安心感を覚え、再び夢現の波間を彷徨っていた。
「むにゃ……フラレ河童…ッッてっ!!」
振り下ろされた拳が鈍い音を鳴らした。
「まだフラレてねぇっ!!」
「"まだ"って言っちゃってんじゃん…」
「つか何!?いつから??八戒、お前知ってたのか!?」
「いえ、全く。でも名無子のあの反応からすると……今から?ですかね」
「は?今からって何!?」
「悟浄うるせー…寝れねー…」
「寝てる場合か!!起きろ!!ちょっ―――酒!酒追加で!!」
「すみませーん。お冷くださーい」
「水はいいっつーの!こっちはもう酔いなんか覚めちまってんだよ!!」
息巻く悟浄に、今夜は長くなりそうだと八戒が諦めの嘆息を零していた。
悟浄が昼間、デートと称して名無子と街へ出掛けた際、目星をつけていた店だ。
「やべぇ!これもすげーうめぇ!!」
「こんな贅沢ができるなんて名無子様々だな」
「確かに、こんな時じゃないとこういう店には入りませんからねぇ」
「おい猿。主役以上に食ってんじゃねーぞ」
「いいじゃないですか。今日だけは無礼講ってことで。ほら、名無子も食べて食べて」
「お前がそんなこと言うの珍しいな…おい。これも食え」
「うん。頂きます」
その評判に違わぬ豪華絶品な料理の数々に舌鼓を打ちながら、笑みの花を咲かせる面々。
乾杯のグラスを速やかに空け、メニューを眺めて二杯目を物色中の名無子に三蔵が隣りから声を掛けた。
「お前はそれ以上飲むんじゃねぇぞ。ソフトドリンクにしろ」
「え」
「え、じゃねぇよ」
「……はい」
過日の経験から早々に釘を刺してきた三蔵に、名無子は落胆を滲ませながらも素直に応じる。
三蔵の胸中を察し苦笑しながらも、
「名無子、いいんですよ好きなの頼んで。でも一応、軽いのにしときましょうか」
折角の歓迎会で主役に遠慮はさせたくないと、八戒が少しばかりのフォローを入れる。
すると、
「だーいじょうぶだって。この前はまぁ流石にアレだったけど……俺らと同じ量くらいなら飲んでも問題ねぇよ。下手すりゃ俺らより強いぜ?」
名無子の頭を抱き寄せ誇らしげに言った悟浄に三人、目を丸くする。
「そうなんですか??てっきりお酒弱いのに悟浄が無理矢理飲ませたものとばかり…」
「俺もそー思ってた!」
「お前ら…」
「日頃の行い、だな」
「うっせ!クソ坊主!―――兎に角、普通に飲ませてやりゃいいって。可愛い子猫ちゃんかと思いきやなかなかの大虎だかんな」
悟浄に撫で回されるが侭の名無子に三蔵が眉を曇らせる中、
「名無子は酒、好き?」
素朴な疑問を悟空が投げ掛ける。
「うん。おいしい」
その答えに、三蔵に注がれた三対の視線。
雄弁なその瞳の圧力に三蔵は深々と溜息を吐き出した。
「お前らはこいつに甘すぎる…」
「貴方も大概、人の事言えないと思いますけどねぇ」
三蔵が一瞥をくれるが気付かぬふりで、八戒は名無子へと微笑みを向けた。
「名無子、何にしますか?三蔵も折れたようですし、好きなの頼んで構いませんよ」
「じゃあ………オレンジジュース」
長めの沈黙を挟んでのオーダーは、まさかのソフトドリンク。
首を傾げ八戒が確認する。
「お酒じゃないんですか?」
「うん。我慢する。三蔵の言うことは絶対」
「……はい?」
思わず聞き返した八戒に、名無子が疑義を汲んだ答えを返した。
「一緒にいさせてもらう条件。最初の日に、約束したから」
それは、発言した本人すらもとうに忘れていた言葉だった。
時が止まり、三人の視線は再び一点に集う。
「うわぁ〜…」
「三蔵…?」
「おまっ…マジサイテー…」
侮蔑を含んだ刺すような視線の雨。
流石の三蔵もいたたまれなくなったのか、渋面で一升瓶に手を伸ばすと、それを名無子の目の前にどんと置いた。
「……飲め」
「でも…」
「いいから飲め。あと…あの時言ったことは忘れていい」
決まり悪そうな顔で、口籠るように付け足した三蔵を
「ホント三蔵サマってば素直じゃねーなぁ―――いてっ!」
けらけらと笑った悟浄の頭上でハリセンが小気味良い音を響かせた。
騒がしくも和やかに酒宴は進む。
大食漢達の腹が満たされた頃、八戒が話を切り出した。
「ところで悟空。名無子に渡すものがあるんじゃありませんか?」
「あ、そだ。―――はい、これ!歓迎のプレゼント!」
はっとした悟空がポケットを弄り、取り出したのはカード型の紙片。
八戒と悟浄が微笑ましそうに見詰める中、笑顔を添えて名無子に差し出す。
「……くれるの?」
「おう!」
名無子が視線を落とすと、そこには色鉛筆でカラフルに描かれた『なんでも言うこと聞く券』の拙い文字。
目を丸くする名無子に
「何にしようか悩んだんだけどさ。名無子が喜んでくれなきゃ意味ねーし、だったら名無子が希望出せるモンにしようって。だからそれ!」
照れくさそうに笑って言う。
満月のような銀の瞳が、細く弓を引いた。
「ありがとう、悟空」
愛おしそうにそのカードを胸に抱き名無子が微笑む。
その笑みに約二名の心臓がどくんと高鳴った。
「―――ねぇ悟空。これ、今使ってもいい?」
改めてそのカードをまじまじと見ながら、ふと名無子が尋ねる。
「え?うん、いいぜ!何??」
少しだけ驚いた表情で、しかしすぐに期待に瞳を輝かせた悟空への、微笑に乗った請願は
「これからもずっと、一緒にいさせてください」
そこにいる誰もが予期せぬものだった。
三蔵が煙草を折り、悟浄が噎せ返り、八戒が呆然と口を開け固まる。
しかし震源地となった二人は
「わかった!じゃあ、ずっと一緒な!!」
「ありがとう悟空。最高の贈り物。嬉しい」
無邪気に笑い合っていて。
何の柵も打算もなく、思いの侭に言葉を紡ぐことができる二人を、心底羨ましいと思った―――
逸早く復活を果たしたのは八戒だった。
照れたように笑い合い、まるで初々しいカップルのような雰囲気を醸し出してはいるが、方や名無子で、方や悟空だ。
冷静に考えればそこに他意があるはずもないと。
動揺を咳払いで誤魔化し、いつもの微笑を悟空に向ける。
「良かったですね悟空。喜んでもらえて」
「うん!」
「ところで名無子。僕達には言ってくれないんですか?一緒にいてって」
その爽やかな笑顔の問い掛けに、続いて息を吹き返した悟浄が
「ちょ、おまッ―――」
口を挟むより早く
「言うこと聞く券、ないよ?」
名無子が苦笑して答えを返す。
「そんなものなくたって、貴方のお願いなら大体のことは聞いてあげ―――というか、寧ろ聞かせてほしいんですが」
悟空がはっとして顔を上げた。
「ダメだって!!それじゃ俺の言うこと聞く券の意味なくなんじゃん!」
喚く悟空を片手間に宥めながら、
「俺は言われなくても最初からそのつもりだかんな」
悟浄が片目を瞑る。
「いますよ。一緒に」
柔らかな八戒の声音に悟浄と悟空が頷く。
三蔵を含め、誰も異を唱える者はいなかった。
名無子の瞳が、水面に映る月のように揺れて滲む。
「―――みんな、大好き」
柔らかな笑みが伝播し四人の頬を染めていた。
それから幾度か注文を繰り返し、もう何本目かもわからないボトルが空いた。
既に悟空はテーブルに突っ伏して夢の中。
三蔵は黙々と清酒を煽っているし八戒も気分良くほろ酔いのようだ。
名無子は途中から敢えてペースを落としたようで、まだ余力を残しているように見える。
グラスに落ちた最後の一滴から視線を上げ、悟浄が口を開いた。
「なぁ名無子」
「ん?」
仄かに朱を帯びた顔が悟浄と瞳を合わせる。
「一つ頼みがあんだけど」
「何?」
いつものように先んじて窘めようとした八戒だったが、居を正して名無子に向き合い、真剣な面持ちの悟浄に様子を見守ることにした。
「とりあえず今は聞くだけでいい。でも真剣に考えて欲しい」
「うん。わかった」
逸る鼓動は酒のせいではないことを、悟浄は知っていた。
深呼吸を一つ、真っ直ぐに名無子を見詰める。
「名無子、俺と付き合わない?」
「……それは…」
「恋人として。本気で」
八戒が目を見開き、三蔵のグラスを持つ手が止まった。
「今は"大好きなみんな"のうちの一人でいい。けどいつか、俺だけを見て欲しい。そのチャンスを俺にくれないか?」
らしくもないと、自分でも思う。
二人きりの時に、気の利いた言葉を甘く囁いて
口説き落とすことだってできただろうさ。
でもな、悟空と話してる名無子が、眩しいほどに真っ直ぐな名無子が
幸せそうに笑ってるのを見てたらさ
小手先で誤魔化すんじゃなく真っ直ぐ伝えたい、なんて、思っちまったんだ。
こんな真似、きっと、最初で最後だ。
例えこの想いが叶わなかったとしても、名無子、お前なら
笑顔を見せてくれるよな?
汗の滲む掌を固く握り込む。
驚きに瞬く瞳がどう変わるのか、期待と恐怖が悟浄を支配する。
永遠にも感じる数秒、耳障りな心音に遮られないよう耳を澄ましていた悟浄の鼓膜に届けられたのは、
「…ざけんな」
低く轟く雷鳴のような三蔵の声だった。
ゆらり立ち上がった三蔵が顔を上げる。
目の据わった凶相。撒き散らされた無遠慮な殺気に悟空が飛び起きた。
「却下だ。許さん」
悟浄を冷めた紫暗が見下ろし、言い捨てる。
当然、一世一代の告白を邪魔された悟浄が黙っているわけがなかった。
椅子を鳴らして立ち上がり、距離を詰める。
「あ?何だ。『俺の言うことは絶対』ってか?お前、一体何様のつもりだ」
「何だと?」
お互い今にも殴りかからんばかりの剣幕に、名無子が間に割って入った。
「三蔵、悟浄、お願い。やめて」
眉を顰め懇願する名無子を、悟浄は腕を回し引き寄せ
「ごめんな名無子。すぐ終わらせっから、ちょっと待ってな」
穏やかな声音で言って、その頭に口付けを降らせる。
そして再び三蔵へと視線の鋒を向けると、
「お前の物じゃねぇんだ、どーこー言う権利もねぇだろうが。それとも何か?俺の姉貴に手出すなってか?」
捲し立て、はっと嗤った。
「――――のだ…」
「あぁ?何言ってんのか全っ然聞こえねー」
三蔵の手が、名無子に巻き付く悟浄の腕を叩き落とすようにして振り払った。
そのまま名無子の腕を引き胸に抱き寄せ、すぅ、と息を吸い込む。
「俺の女だっつってんだ!!」
部屋に響き渡った声が、時を凍らせた。
「…………は?」
あまりの衝撃にぽかんと口を開け言葉を失った悟浄を横目に
「来い名無子!」
三蔵は名無子の腕を引き、舌打ちを残して部屋を出て行った。
けたたましい音を響かせ開け放たれた扉が、きぃと物悲しそうな音を零して揺れる。
突然の竜巻に巻き込まれ、空高くに放り出されたような、そんな感覚だった。
「………はぁっっ!!???」
瞬きも忘れ見開かれた真紅の瞳。
困惑が言葉にならず、腹の底から悲鳴に近い音が吐き出される。
曰く、いつかそうなる気がしていたとさして驚きもせず黙って成り行きを見守っていた八戒も、流石に最後の展開は予想外ではあったが、
「虎の尾、ならぬ、大虎の尾を踏んでしまったみたいですねぇ」
のほほんと言って笑う。
悟空に至っては、三蔵の宣言を耳にした時点で妙な安心感を覚え、再び夢現の波間を彷徨っていた。
「むにゃ……フラレ河童…ッッてっ!!」
振り下ろされた拳が鈍い音を鳴らした。
「まだフラレてねぇっ!!」
「"まだ"って言っちゃってんじゃん…」
「つか何!?いつから??八戒、お前知ってたのか!?」
「いえ、全く。でも名無子のあの反応からすると……今から?ですかね」
「は?今からって何!?」
「悟浄うるせー…寝れねー…」
「寝てる場合か!!起きろ!!ちょっ―――酒!酒追加で!!」
「すみませーん。お冷くださーい」
「水はいいっつーの!こっちはもう酔いなんか覚めちまってんだよ!!」
息巻く悟浄に、今夜は長くなりそうだと八戒が諦めの嘆息を零していた。