第一章
貴女のお名前は?
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翌朝、二方向から突き刺さる殺気を帯びた鋭利な視線を物ともせず、
「さて、やっと全員揃ったことですし―――」
八戒は清々しい笑顔で話を切り出した。
「昨日の答え合わせをしましょうか」
後回しにされていた、昨日の戦闘時の新事実。その確認をと話し出す。
「名無子。貴女は『触れたものを殺すことができる』で、間違いないですか?」
「うん」
「どうやったかは…」
いつもならば分からない、との回答が返るところ。
大して身構えることもなく、朝食代わりの乾パンに手を伸ばしながら耳を傾けていた面々だったが、
「あのね」
普段と様子の違う名無子にその手が止まる。
「えっと…なんて言ったらいいんだろう……えと…」
言葉を詰まらせる名無子を
「ゆっくりでいいですよ」
言いながら、続きを待つ。
「うん…あのね、命がない状態まで進めた…?みたいな??」
「進めた?」
「うん」
「……時間を?」
「そう。たぶん」
八戒の補った言葉にこくり、頷いた。
「命の源みたいな…なんだろう、魂っていう言葉が一番近いのかな……それの時間??を、えいっ!て先に進める感じ…伝わる??」
困り眉で一生懸命、たどたどしくも言葉を紡ぐ。
「つまり、寿命が切れた状態に持っていくということか」
「そう」
「……もしかして、この前猫を生き返らせたのはその逆の要領ですか!?」
「うん」
「魂の時間を戻し、生きている状態まで巻き戻す…成程。そういうことか」
納得の表情を浮かべた三蔵の隣、難しい顔で黙って話を聞いていた悟空がはっと顔を上げた。
「!!?なぁ、それって、ついでに若返ったりする?」
疑問符を浮かべた四人に、
「この前の猫。ちょっと小さくなったって言ったじゃん?あれ!」
付け足せば、
「うん、する。戻すのはゆっくりだから引き摺られて欠けちゃう」
名無子の返した答えに、解けかけた糸が新たに縺れる。
「???えっと…引き摺られて欠ける、というのは?」
「戻す…生き返らせるのは、殺すときみたいに一気に変えると生まれる前まで戻っちゃうから、程良く??なんか…感覚で、ちょっとだけ。
でもそうすると肉体が魂に引っ張られて欠損しちゃう。
若返ったっていうか、成長した軌跡?時間?が、欠けた状態」
「テーブルクロス引きみたいなもんか…?」
探り探りの言葉を繋ぎ合わせた悟浄の例えが妙にしっくりと腹落ちした。
「どう欠けるかはわかんない。精緻にできなくて……ざっくり、命がある状態とかない状態?には動かすことはできるけど、例えば1年だけ巻き戻すとか進めるとかは無理。
もしできたとしても、その間の記憶とか成長とかの欠損は避けられない……と思う…」
説明を聞き終えた八戒が、ふと尋ねる。
「―――もしかして、『駄目』って、そういうことですか?」
「駄目?」
「前僕が、怪我も治せるのか聞いた時、名無子、駄目って答えたんですよ。
他の問には、『たぶん』が付いても割とはっきりできるできないで答えていたので少し違和感があったんです。
あれってもしかして、怪我がない状態まで巻き戻そうとすると戻し過ぎたり何かが欠けてしまうから『駄目』だったんでしょうか」
「言ったの覚えてないけど……うん。そう」
なるほど、と八戒が呟く。
「つまり生殺与奪の力と言うよりは時を操る力が根底にあって、その応用、なんでしょうか。
以前、雨を降らせたのもその要領で?」
「うん。生き物の時間動かすよりも簡単だった」
「天候操作が簡単…ですか…ははっ…」
最早乾いた笑みしか出てこなかった。
八戒の知的好奇心を以てしても理解を放棄せざるを得ない程の超人的な力に対してだけではない。
以前ならば畏怖していたかもしれないが名無子の為人を知った今では、その根源と力のギャップにどうにも拍子抜けしてしまうのだった。
兎にも角にも、漸く見えてきた全貌。
しかしそれよりも、三蔵には気になることがあった。
「―――何故その事を黙ってた」
三蔵の発した声に、少なからず批難の色を見たのだろう。
名無子がきゅっと唇を結び、そして口を開く。
「思い出したのが最近で…すぐ伝えようと思ったんだけど……ごめんなさい。伝えそびれてた」
尻窄み、目を伏せた名無子を見て、過ぎった可能性。
努めて、出し慣れない穏和な声で尋ねる。
「思い出したのはいつの話だ」
「昨日の朝、起きた時…」
ただ純粋に、申し訳なさそうな顔が返した答えに、やはりかと。
(伝えられなくしていたのは俺か…)
溜息を煙に巻き、
「わざと隠してた訳じゃないならいい。仕方ねぇ」
言えば、耳聡くも八戒が
「……何が『仕方ない』のかは、聞かない方が良いですかね?」
形の良い笑顔で尋ねてきた。
苛立ちを自責で抑え込み返す。
「お前……はぁ…あぁそうだな黙ってろ何なら永遠にな」
「人が折角気を遣ってあげてるのに酷い言い草ですねぇ」
「気遣いのつもりなら先ずその余計な一言を控えやがれ!」
結局は声を荒げる羽目になった。
何処吹く風で八戒が話を纏めにかかる。
「話は逸れましたが―――一先ず、名無子に身を護る術ができたことを喜びましょうか」
「んだな。まぁ使わなくていいようにするのがナイトの役目なんだけど」
「どちらにしろお前の力が特異なのは変わりねぇ。基本的には今まで通り戦闘のときには脳筋共に任せて大人しくしていろ」
脳筋呼ばわりされた二人が、その二文字だけを受け流して深く頷く。
「但し、その脳筋共が役に立たない場合は力を使うことを躊躇うな。触れられた時点で殺していい」
三蔵の言に反論は些かもない。
しかし、
「一つ確認なんですが…その力って生物であれば―――つまり人間にも作用しますよね?」
「うん」
「…三蔵」
場合に寄っては不味いことになりかねないと、八戒が言外に懸念を滲ませる。
「状況判断は本人にさせろ。そこまで馬鹿じゃねぇ」
ちらり、視線を受け取った名無子は
「―――人間はできるだけ殺さない方が良いけど、相手に明らかな敵意があるなら時と場合によっては…?」
三蔵の含みを見事に酌んでみせた。
八戒がぱちぱちと手を叩きながら称賛する。
「はい。100点満点です」
「付け加えるなら、相手の敵意の有無ではなくお前自身に危険があるかどうかで判断しろ」
「わかった」
その遣り取りの中に、自身の知る三蔵とは異なる色を見止めた悟空が声を潜め八戒に耳打ちする。
「なぁなぁ、今のって…」
見上げ来る、新種の虫を見付けた子供のような瞳に、八戒はにっこりと小声で返した。
「敵が何であれ自分の身を第一に考えろってことですね。『誰にも名無子を傷付けさせたくない』と意訳しても可です」
「ひょぉ〜〜!!」
弾む気持ちを抑えきれずに歓声を上げた悟空と
「三蔵サマやっさしー。てか仲直りしやがったのかよ…」
冷やかしながらも、苦々しそうに舌打ちした悟浄。
三蔵の米神がひくつき、
「てめーら……聞こえてんだよ!!あと勝手に意訳すんじゃねぇ!!」
響き渡ったハリセンの打撃音。
人知を超えた力でも妨げることのできない日常がそこにはあった。
その日、敵の襲撃はあったものの幸いにして名無子が力を発揮する機会はなく、日の沈む頃には街の明かりを拝むことができた。
「今度は幻覚じゃねぇよ…な?」
恐る恐る尋ねた悟浄に名無子が頷く。
「うん。ちゃんと街」
安堵の息を零し、辺りを見渡す。
久々に規模の大きな、そこそこに栄えた街だった。
行き交う人々と同様に、立ち並ぶ屋台や店に目移りしながら街を歩く。
香ばしい香りに鼻と腹を鳴らした悟空がいつもの常套句を発した。
「腹減ったー。なぁ、とりあえず飯食おうぜ飯」
この街なら宿も複数あるだろうと、
「そうですね。先に食事にしましょうか」
高を括った結果―――
「いやー、参りましたねぇ」
二度に渡り繰り返された満室の答えに、八戒が苦笑いを浮かべる。
「だから先に宿取れっつっただろーが…」
「どーすんのよマジで。街に来てまで野宿とかぜってー嫌なんだけど」
「宿、もう一軒あるそうなので、そこに賭けるしかないですねぇ」
そして三軒目。
「皆さん、何とか野宿は免れましたよ。ただ……」
宿の受付を済ませ戻ってきた八戒の両手には、鍵が1本ずつ。
「シングルが2部屋、です。布団は貸してもらえるそうですが…」
奔った視線は開戦のゴング。
逸早く悟浄が口火を切った―――が。
「名無子ちゃ「来い」―――」
言い終えるより早く、三蔵によって八戒の右手から引っ手繰られた鍵と腕を引かれ連れて行かれた名無子に、残された三人の時が止まった。
数秒を経て息を吹き返した悟浄が声を荒げる。
「………はぁっ??ッざけんな!!何?今の!」
「あはは。攫われちゃいましたねぇ」
「のほほんと言ってんな!何なんだよちょっと前まで殺気向けてやがったくせによ!!」
「貴方と一緒で吹っ切れたんじゃないですか?」
「あんな情緒不安定チェリーと一緒にすんじゃねー!!」
「なぁなぁ、俺ベッドがいい!!」
「ンなの俺もベッドがいいに決まってんだろ!!…ってそうじゃなくて!!」
「はいはい。行きますよ皆さん。誰がベッドを使うかはカードで決めましょう」
「「却下!!」」
悲喜交交、部屋へと向かった。
「いいの?」
部屋に入ってすぐ、名無子が三蔵の背に問い掛ける。
「悪けりゃ連れてきてねぇ」
「うん」
そうなのだろうとは思いつつも、昨日の三蔵の言葉が名無子の足を鈍らせ、扉の前で立ち尽くしていると
「…お前こそ、良かったのか」
椅子へと腰掛けた三蔵が、煙草を咥え今更ながらに尋ねてきた。
「嫌なら誰かと…悟空と代われ」
いつもならば八戒を指名するところだが、鼾の方がまだマシだと次点を挙げた。
ここ最近、八戒の発する言葉が、自身が目を背けている感情を的確にかつ厭らしく刺激してくる。
それがどうにも鬱陶しく、敬遠してしまうのは致し方なかった。
そんな三蔵の言葉に、名無子が思いの儘を口にする。
「ううん。嬉しかった」
名無子の頬に咲いた仄かな笑みに、零れかけた安堵の吐息を白煙に巻いた。
漸く動きを取り戻した名無子が室内の散策を始める。
「あれ?」
入口とは別の扉から顔を出し、
「お風呂、ないよ?」
と首を傾げた。
三蔵がふと視線を落とせば、テーブルに置かれた大浴場への案内図。
それを手に、名無子に示す。
「…行くか」
「うん。行きたい」
疲労の溜まった心身を癒やすべく、二人、部屋を後にした。
大浴場の男風呂、
「あ、三蔵みっけ!」
三蔵の姿を見止めた悟空がタオル片手に走り出す。
「悟空、走ると危ないですよー」
八戒はそれを苦笑で見送って、三蔵達とは別の浴槽に身を浸した。
隣で悟浄が恨めしげな視線を三蔵に送っている。
「あのヤロー…今夜はマジで口説くつもりだったのに…」
先程から止む気配のないぼやきを微笑でやり過ごしながら、久々のお湯を愉しむ。
「……三蔵も同じこと考えてたりして」
ぼんやりと天井を見上げながら八戒が何の気無しに零した言葉に、悟浄が狼狽する。
「なっ!!?―――いや、そんな度胸はアイツにはねぇ!…はず」
力一杯の否定を朧にした悟浄を笑って
「そうですねぇ…ところで、結局本気なんですか?」
改めて尋ねてみれば、
「あぁ。本気も本気」
間を置かず返された答えに零れた息が湯気を揺らした。
「まぁ、そうなると思ってましたが…覚悟の上なんですね?」
「あぁ。人でも妖怪でもないことも、俺らの理解の範疇を超えた力を持ってることも、いつか消えると、そう言われてることも、な」
淀みない言葉。いつか見た迷いは、そこにはもうなかった。
八戒の口元に笑みが滲む。
「…そうですか。なら僕から言うことはありません。当たって砕けてください」
「おぉい。砕けると決まったみたいに言うなぃ」
八戒なりの激励に苦笑いで答えた。
一方―――
心を掻き乱すものから距離を置き、一人安寧の湯に浸っていた三蔵の元へやってきた悟空は、その隣に腰を落ち着けた。
長らく振りの、手足を伸ばして寛げるお湯に心身共に解れていくのがわかる。
三蔵を見遣れば、閉じられた瞳のその間、幾分和らいだ眉間の皺。
数日前、名無子を抱いて眠っていた三蔵を思い出した悟空の口元が緩む。
「なぁなぁ、三蔵」
「……なんだ」
「名無子のこと、好き?」
怪訝そうに眉を顰めた紫暗の瞳が悟空を捉えた。
「……何故そんなことを聞く」
「んー?そうだったらいいなって思っただけ」
悟空は三蔵の前を、顔を出したまま緩やかに泳ぎながら言葉を続ける。
「この前名無子さ、俺らのこと好きって言ってくれてさ」
酔っ払って、普段とは違う様子で、抱き締められて。
喫驚し狼狽えもしたが、それ以上に―――
「嬉しかったんだ」
名無子が幸せそうに笑っていることが、熱を持って確かにそこに存在していることが心底嬉しいと、そう思った。
「だから、同じ気持ち返したいなって―――4倍で!」
願望の形をした鮮やかな決意が笑みとなって悟空の顔を彩る。
三蔵の瞳が眩しそうに細められ、口の端に仄かな微笑が灯った。
「―――あぁ」
何に対しての肯定だろうか。
わからなかったが、それは不器用な三蔵からの精一杯の答えに思えて。
「へへっ…」
喜色が笑みとなって溢れ出る。
それきり口を閉ざしたまま、二人温かな湯に身を委ねていた。
「さて、やっと全員揃ったことですし―――」
八戒は清々しい笑顔で話を切り出した。
「昨日の答え合わせをしましょうか」
後回しにされていた、昨日の戦闘時の新事実。その確認をと話し出す。
「名無子。貴女は『触れたものを殺すことができる』で、間違いないですか?」
「うん」
「どうやったかは…」
いつもならば分からない、との回答が返るところ。
大して身構えることもなく、朝食代わりの乾パンに手を伸ばしながら耳を傾けていた面々だったが、
「あのね」
普段と様子の違う名無子にその手が止まる。
「えっと…なんて言ったらいいんだろう……えと…」
言葉を詰まらせる名無子を
「ゆっくりでいいですよ」
言いながら、続きを待つ。
「うん…あのね、命がない状態まで進めた…?みたいな??」
「進めた?」
「うん」
「……時間を?」
「そう。たぶん」
八戒の補った言葉にこくり、頷いた。
「命の源みたいな…なんだろう、魂っていう言葉が一番近いのかな……それの時間??を、えいっ!て先に進める感じ…伝わる??」
困り眉で一生懸命、たどたどしくも言葉を紡ぐ。
「つまり、寿命が切れた状態に持っていくということか」
「そう」
「……もしかして、この前猫を生き返らせたのはその逆の要領ですか!?」
「うん」
「魂の時間を戻し、生きている状態まで巻き戻す…成程。そういうことか」
納得の表情を浮かべた三蔵の隣、難しい顔で黙って話を聞いていた悟空がはっと顔を上げた。
「!!?なぁ、それって、ついでに若返ったりする?」
疑問符を浮かべた四人に、
「この前の猫。ちょっと小さくなったって言ったじゃん?あれ!」
付け足せば、
「うん、する。戻すのはゆっくりだから引き摺られて欠けちゃう」
名無子の返した答えに、解けかけた糸が新たに縺れる。
「???えっと…引き摺られて欠ける、というのは?」
「戻す…生き返らせるのは、殺すときみたいに一気に変えると生まれる前まで戻っちゃうから、程良く??なんか…感覚で、ちょっとだけ。
でもそうすると肉体が魂に引っ張られて欠損しちゃう。
若返ったっていうか、成長した軌跡?時間?が、欠けた状態」
「テーブルクロス引きみたいなもんか…?」
探り探りの言葉を繋ぎ合わせた悟浄の例えが妙にしっくりと腹落ちした。
「どう欠けるかはわかんない。精緻にできなくて……ざっくり、命がある状態とかない状態?には動かすことはできるけど、例えば1年だけ巻き戻すとか進めるとかは無理。
もしできたとしても、その間の記憶とか成長とかの欠損は避けられない……と思う…」
説明を聞き終えた八戒が、ふと尋ねる。
「―――もしかして、『駄目』って、そういうことですか?」
「駄目?」
「前僕が、怪我も治せるのか聞いた時、名無子、駄目って答えたんですよ。
他の問には、『たぶん』が付いても割とはっきりできるできないで答えていたので少し違和感があったんです。
あれってもしかして、怪我がない状態まで巻き戻そうとすると戻し過ぎたり何かが欠けてしまうから『駄目』だったんでしょうか」
「言ったの覚えてないけど……うん。そう」
なるほど、と八戒が呟く。
「つまり生殺与奪の力と言うよりは時を操る力が根底にあって、その応用、なんでしょうか。
以前、雨を降らせたのもその要領で?」
「うん。生き物の時間動かすよりも簡単だった」
「天候操作が簡単…ですか…ははっ…」
最早乾いた笑みしか出てこなかった。
八戒の知的好奇心を以てしても理解を放棄せざるを得ない程の超人的な力に対してだけではない。
以前ならば畏怖していたかもしれないが名無子の為人を知った今では、その根源と力のギャップにどうにも拍子抜けしてしまうのだった。
兎にも角にも、漸く見えてきた全貌。
しかしそれよりも、三蔵には気になることがあった。
「―――何故その事を黙ってた」
三蔵の発した声に、少なからず批難の色を見たのだろう。
名無子がきゅっと唇を結び、そして口を開く。
「思い出したのが最近で…すぐ伝えようと思ったんだけど……ごめんなさい。伝えそびれてた」
尻窄み、目を伏せた名無子を見て、過ぎった可能性。
努めて、出し慣れない穏和な声で尋ねる。
「思い出したのはいつの話だ」
「昨日の朝、起きた時…」
ただ純粋に、申し訳なさそうな顔が返した答えに、やはりかと。
(伝えられなくしていたのは俺か…)
溜息を煙に巻き、
「わざと隠してた訳じゃないならいい。仕方ねぇ」
言えば、耳聡くも八戒が
「……何が『仕方ない』のかは、聞かない方が良いですかね?」
形の良い笑顔で尋ねてきた。
苛立ちを自責で抑え込み返す。
「お前……はぁ…あぁそうだな黙ってろ何なら永遠にな」
「人が折角気を遣ってあげてるのに酷い言い草ですねぇ」
「気遣いのつもりなら先ずその余計な一言を控えやがれ!」
結局は声を荒げる羽目になった。
何処吹く風で八戒が話を纏めにかかる。
「話は逸れましたが―――一先ず、名無子に身を護る術ができたことを喜びましょうか」
「んだな。まぁ使わなくていいようにするのがナイトの役目なんだけど」
「どちらにしろお前の力が特異なのは変わりねぇ。基本的には今まで通り戦闘のときには脳筋共に任せて大人しくしていろ」
脳筋呼ばわりされた二人が、その二文字だけを受け流して深く頷く。
「但し、その脳筋共が役に立たない場合は力を使うことを躊躇うな。触れられた時点で殺していい」
三蔵の言に反論は些かもない。
しかし、
「一つ確認なんですが…その力って生物であれば―――つまり人間にも作用しますよね?」
「うん」
「…三蔵」
場合に寄っては不味いことになりかねないと、八戒が言外に懸念を滲ませる。
「状況判断は本人にさせろ。そこまで馬鹿じゃねぇ」
ちらり、視線を受け取った名無子は
「―――人間はできるだけ殺さない方が良いけど、相手に明らかな敵意があるなら時と場合によっては…?」
三蔵の含みを見事に酌んでみせた。
八戒がぱちぱちと手を叩きながら称賛する。
「はい。100点満点です」
「付け加えるなら、相手の敵意の有無ではなくお前自身に危険があるかどうかで判断しろ」
「わかった」
その遣り取りの中に、自身の知る三蔵とは異なる色を見止めた悟空が声を潜め八戒に耳打ちする。
「なぁなぁ、今のって…」
見上げ来る、新種の虫を見付けた子供のような瞳に、八戒はにっこりと小声で返した。
「敵が何であれ自分の身を第一に考えろってことですね。『誰にも名無子を傷付けさせたくない』と意訳しても可です」
「ひょぉ〜〜!!」
弾む気持ちを抑えきれずに歓声を上げた悟空と
「三蔵サマやっさしー。てか仲直りしやがったのかよ…」
冷やかしながらも、苦々しそうに舌打ちした悟浄。
三蔵の米神がひくつき、
「てめーら……聞こえてんだよ!!あと勝手に意訳すんじゃねぇ!!」
響き渡ったハリセンの打撃音。
人知を超えた力でも妨げることのできない日常がそこにはあった。
その日、敵の襲撃はあったものの幸いにして名無子が力を発揮する機会はなく、日の沈む頃には街の明かりを拝むことができた。
「今度は幻覚じゃねぇよ…な?」
恐る恐る尋ねた悟浄に名無子が頷く。
「うん。ちゃんと街」
安堵の息を零し、辺りを見渡す。
久々に規模の大きな、そこそこに栄えた街だった。
行き交う人々と同様に、立ち並ぶ屋台や店に目移りしながら街を歩く。
香ばしい香りに鼻と腹を鳴らした悟空がいつもの常套句を発した。
「腹減ったー。なぁ、とりあえず飯食おうぜ飯」
この街なら宿も複数あるだろうと、
「そうですね。先に食事にしましょうか」
高を括った結果―――
「いやー、参りましたねぇ」
二度に渡り繰り返された満室の答えに、八戒が苦笑いを浮かべる。
「だから先に宿取れっつっただろーが…」
「どーすんのよマジで。街に来てまで野宿とかぜってー嫌なんだけど」
「宿、もう一軒あるそうなので、そこに賭けるしかないですねぇ」
そして三軒目。
「皆さん、何とか野宿は免れましたよ。ただ……」
宿の受付を済ませ戻ってきた八戒の両手には、鍵が1本ずつ。
「シングルが2部屋、です。布団は貸してもらえるそうですが…」
奔った視線は開戦のゴング。
逸早く悟浄が口火を切った―――が。
「名無子ちゃ「来い」―――」
言い終えるより早く、三蔵によって八戒の右手から引っ手繰られた鍵と腕を引かれ連れて行かれた名無子に、残された三人の時が止まった。
数秒を経て息を吹き返した悟浄が声を荒げる。
「………はぁっ??ッざけんな!!何?今の!」
「あはは。攫われちゃいましたねぇ」
「のほほんと言ってんな!何なんだよちょっと前まで殺気向けてやがったくせによ!!」
「貴方と一緒で吹っ切れたんじゃないですか?」
「あんな情緒不安定チェリーと一緒にすんじゃねー!!」
「なぁなぁ、俺ベッドがいい!!」
「ンなの俺もベッドがいいに決まってんだろ!!…ってそうじゃなくて!!」
「はいはい。行きますよ皆さん。誰がベッドを使うかはカードで決めましょう」
「「却下!!」」
悲喜交交、部屋へと向かった。
「いいの?」
部屋に入ってすぐ、名無子が三蔵の背に問い掛ける。
「悪けりゃ連れてきてねぇ」
「うん」
そうなのだろうとは思いつつも、昨日の三蔵の言葉が名無子の足を鈍らせ、扉の前で立ち尽くしていると
「…お前こそ、良かったのか」
椅子へと腰掛けた三蔵が、煙草を咥え今更ながらに尋ねてきた。
「嫌なら誰かと…悟空と代われ」
いつもならば八戒を指名するところだが、鼾の方がまだマシだと次点を挙げた。
ここ最近、八戒の発する言葉が、自身が目を背けている感情を的確にかつ厭らしく刺激してくる。
それがどうにも鬱陶しく、敬遠してしまうのは致し方なかった。
そんな三蔵の言葉に、名無子が思いの儘を口にする。
「ううん。嬉しかった」
名無子の頬に咲いた仄かな笑みに、零れかけた安堵の吐息を白煙に巻いた。
漸く動きを取り戻した名無子が室内の散策を始める。
「あれ?」
入口とは別の扉から顔を出し、
「お風呂、ないよ?」
と首を傾げた。
三蔵がふと視線を落とせば、テーブルに置かれた大浴場への案内図。
それを手に、名無子に示す。
「…行くか」
「うん。行きたい」
疲労の溜まった心身を癒やすべく、二人、部屋を後にした。
大浴場の男風呂、
「あ、三蔵みっけ!」
三蔵の姿を見止めた悟空がタオル片手に走り出す。
「悟空、走ると危ないですよー」
八戒はそれを苦笑で見送って、三蔵達とは別の浴槽に身を浸した。
隣で悟浄が恨めしげな視線を三蔵に送っている。
「あのヤロー…今夜はマジで口説くつもりだったのに…」
先程から止む気配のないぼやきを微笑でやり過ごしながら、久々のお湯を愉しむ。
「……三蔵も同じこと考えてたりして」
ぼんやりと天井を見上げながら八戒が何の気無しに零した言葉に、悟浄が狼狽する。
「なっ!!?―――いや、そんな度胸はアイツにはねぇ!…はず」
力一杯の否定を朧にした悟浄を笑って
「そうですねぇ…ところで、結局本気なんですか?」
改めて尋ねてみれば、
「あぁ。本気も本気」
間を置かず返された答えに零れた息が湯気を揺らした。
「まぁ、そうなると思ってましたが…覚悟の上なんですね?」
「あぁ。人でも妖怪でもないことも、俺らの理解の範疇を超えた力を持ってることも、いつか消えると、そう言われてることも、な」
淀みない言葉。いつか見た迷いは、そこにはもうなかった。
八戒の口元に笑みが滲む。
「…そうですか。なら僕から言うことはありません。当たって砕けてください」
「おぉい。砕けると決まったみたいに言うなぃ」
八戒なりの激励に苦笑いで答えた。
一方―――
心を掻き乱すものから距離を置き、一人安寧の湯に浸っていた三蔵の元へやってきた悟空は、その隣に腰を落ち着けた。
長らく振りの、手足を伸ばして寛げるお湯に心身共に解れていくのがわかる。
三蔵を見遣れば、閉じられた瞳のその間、幾分和らいだ眉間の皺。
数日前、名無子を抱いて眠っていた三蔵を思い出した悟空の口元が緩む。
「なぁなぁ、三蔵」
「……なんだ」
「名無子のこと、好き?」
怪訝そうに眉を顰めた紫暗の瞳が悟空を捉えた。
「……何故そんなことを聞く」
「んー?そうだったらいいなって思っただけ」
悟空は三蔵の前を、顔を出したまま緩やかに泳ぎながら言葉を続ける。
「この前名無子さ、俺らのこと好きって言ってくれてさ」
酔っ払って、普段とは違う様子で、抱き締められて。
喫驚し狼狽えもしたが、それ以上に―――
「嬉しかったんだ」
名無子が幸せそうに笑っていることが、熱を持って確かにそこに存在していることが心底嬉しいと、そう思った。
「だから、同じ気持ち返したいなって―――4倍で!」
願望の形をした鮮やかな決意が笑みとなって悟空の顔を彩る。
三蔵の瞳が眩しそうに細められ、口の端に仄かな微笑が灯った。
「―――あぁ」
何に対しての肯定だろうか。
わからなかったが、それは不器用な三蔵からの精一杯の答えに思えて。
「へへっ…」
喜色が笑みとなって溢れ出る。
それきり口を閉ざしたまま、二人温かな湯に身を委ねていた。