スキップとローファー
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私は一体、何をしているのだろう。
教室でクラスメイトの男の踵に絆創膏を貼りながら、そんなことを思う。
「あ。君いま、私何してるんだろって思ってるだろ」
「ご名答。よくわかったね」
「そりゃあわかるさ。顔に書いてあるし、目も死んでるからな」
「毎日毎日男子の足に絆創膏貼ってたらこうもなるでしょ。てかこれくらい自分でやってよ」
鬱憤を晴らすように傷口に思い切り消毒液をかけてやれば、「いっ?!」と眼鏡の奥の瞳が苦痛に歪んだ。
「しょうがないだろ、僕じゃ上手く貼れないんだから。そもそも君が出演してくれればこんなことには……」
それは言わない約束だ。すっと無言で消毒液を持ち上げると、目の前のクラスメイトは慌てた様子で私を宥めに入った。
「じ、冗談だよ冗談! 裏方志望で演劇部に入った君に舞台に立てなんて言うわけないだろ。君が演技する姿を見たい気持ちもなくはないが……人には向き不向きがあるしな」
「どうせ私には演技なんてできませんよーだ」
「ん? 何でそうなる。素直なのは君のいいところだろ」
真剣な顔でそう言われると、どう受け取ったものかと戸惑ってしまう。
クラスメイトで同じ演劇部の兼近鳴海は、良くも悪くも正直で真っ直ぐな男だ。デリカシーがなくてイライラすることもあるけれど、嘘のない彼の言葉に、いちいち舞い上がりそうになる自分がいる。兼近はただ演劇が大好きなだけで、そんなつもりはこれっぽっちもないだろうけど。
一年の時だってそう。隣の席だった兼近が急に私の手を掴んで「君、演劇部に入らないか?」ってキラキラした目で誘ってきて。何度も断ったけど、結局彼の熱意としつこさに負けた。
演劇部の裏方人員が欲しかった兼近からすればたまたま近くに手先が器用な私がいたから声をかけただけだろうけど、毎日のように自作ネイルやメイクを褒められ続けた私は、入部届けを出す頃にはすっかり彼に惹かれていた。
まぁ、あの時勧誘されてたのは私だけじゃなかったみたいだけど。
「おーい。考え事か?」
「ん、ごめん。絆創膏が上手く剥がせなくて」
さっきみたいに思考を読まれては堪らない。私は咄嗟に手元に視線を落とし、春らしく桜色に塗った爪先で剥離紙をつつく。
「相変わらず綺麗だな」
「え?」
「爪。それも自分でやったんだろ」
「あー、まあね」
兼近は私が演劇部の一員になった今も、時折こうして褒めてくる。別に褒めなくても部活を辞めたりしないのに、律儀というか何というか。
「明日の公演、僕も塗ろうかな」
にっと笑って、兼近が私を見る。明日の公演というのは、新入生歓迎公演のことだ。
役者側の女子部員が足りず兼近が女性役で出ることになっていて、彼が足を怪我しているのもそのせいだった。女性の役をやるからにはちゃんとそう見えるように演じなければと、毎日毎日私でも履いたことのないようなハイヒールで登校しているのだ。その熱意は本当にすごいと思う。でもその熱意に気づく人間が、どれだけいるだろう。きっと彼の熱意と努力に気づかない人のほうが圧倒的に多い。だからこそ、こんなに痛々しい怪我をしてまでやることなのかと思わずにはいられない。
「……誰もそんなとこまで見てないでしょ」
言ってからしまった、と思った。今のは兼近がどれだけ頑張っているか知っている私が、絶対に言ってはいけない言葉だった。
怒らせてしまったかもしれない。けれど兼近は私の予想に反して明るい声で言った。
「そうだな! でも僕がそうしたいからそうするんだ」
キラキラと眩しい笑顔で兼近が語り出したのは、今回彼が演じる役について。その役がどういう女性でどういう言葉遣いをして、どういうものを身につけるのか。台本や設定には一切書かれていない、けれど兼近が解釈した『彼女』という役は、つい聞き入ってしまうほど魅力的だった。
「ってことで、やっぱり爪は塗るべきだと思うんだけど」
「……なんか、兼近ってほんと演劇バカだよね」
「それは褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ?」
「あー、褒めてる褒めてる」
「なら棒読みじゃなくてもっと心を込めて言ってくれ!」
やっと剥がせた絆創膏を、昨日まではなかった靴擦れに貼り付ける。毎日毎日新しい傷を増やして、ほんとバカ。でも私もだいぶ演劇バカになってるみたいで、頭の中は明日兼近にどんなネイルをするかでいっぱいだった。
大人っぽい役だから落ち着いたシックな色? でもしてるかしてないか、わからないくらいのもあり。ネイルに合わせて化粧も少し変えたほうがいいかもしれない。小道具の花に色を合わせるってのもーー。
「……ふ、ははっ」
「なに急に」
「いや、僕の目に狂いはなかったと思ってね。君を演劇部に誘って本当によかった」
そう言って、兼近がくしゃりと笑った。そんな顔を見せられると、真に受けそうになるからやめてほしい。
「私知ってるんだからね。そうやって兼近が色んな人に声かけてるの」
この人たらし! と非難すれば、兼近は心外だと抗議してきた。
「確かに部のために勧誘はしてるけど、断られたらちゃんと引き下がってるさ!」
「嘘! 私の時はあんなにしつこく……」
「そ、それは仕方ないだろ。どうしても入って欲しかったんだから」
珍しく兼近の語尾が小さくなっていく。言ってから恥ずかしくなったのか、心なしか顔も赤くなっているような気がした。
「あーもう! この際だから言うけど、君と一緒に部活ができたら楽しいだろうなって思ったんだよ」
よく言えば真っ直ぐで正直、悪く言えばデリカシーのない兼近。そんな彼のことだから、今の言葉にそれ以上の意味はないはず。一年の時から関わってきてそんなことはわかり切っているのに、私の心臓はさっきからずっとドキドキしっぱなしだった。
落ち着け、私。兼近に他意はないんだから。
深呼吸をして慎重に言葉を返す。
「そ、そっかぁ」
明らかに動揺してます、って声が出てしまった。
「……なあ、君。僕の言葉の意味わかってる?」
「へっ、あ、私も兼近と部活できて楽しいよ!」
誘ってくれてありがとうと伝えると、兼近は不服そうに眉を寄せた。
「それ、本気で言ってる?」
「ん?」
「顔、赤いけど」
「こ、これはチーク塗りすぎただけで」
「ふーん。ま、いいや。全くその気がないわけじゃないみたいだし、今はそういうことにしておこう」
じぃっと私の顔を見てニヤリと笑った兼近は一体何を思ったのか。けれど訊くより先に彼が席を立ち、ヒールを打ち鳴らして教室を出て行ってしまったので、結局わからず終いだ。
教室でクラスメイトの男の踵に絆創膏を貼りながら、そんなことを思う。
「あ。君いま、私何してるんだろって思ってるだろ」
「ご名答。よくわかったね」
「そりゃあわかるさ。顔に書いてあるし、目も死んでるからな」
「毎日毎日男子の足に絆創膏貼ってたらこうもなるでしょ。てかこれくらい自分でやってよ」
鬱憤を晴らすように傷口に思い切り消毒液をかけてやれば、「いっ?!」と眼鏡の奥の瞳が苦痛に歪んだ。
「しょうがないだろ、僕じゃ上手く貼れないんだから。そもそも君が出演してくれればこんなことには……」
それは言わない約束だ。すっと無言で消毒液を持ち上げると、目の前のクラスメイトは慌てた様子で私を宥めに入った。
「じ、冗談だよ冗談! 裏方志望で演劇部に入った君に舞台に立てなんて言うわけないだろ。君が演技する姿を見たい気持ちもなくはないが……人には向き不向きがあるしな」
「どうせ私には演技なんてできませんよーだ」
「ん? 何でそうなる。素直なのは君のいいところだろ」
真剣な顔でそう言われると、どう受け取ったものかと戸惑ってしまう。
クラスメイトで同じ演劇部の兼近鳴海は、良くも悪くも正直で真っ直ぐな男だ。デリカシーがなくてイライラすることもあるけれど、嘘のない彼の言葉に、いちいち舞い上がりそうになる自分がいる。兼近はただ演劇が大好きなだけで、そんなつもりはこれっぽっちもないだろうけど。
一年の時だってそう。隣の席だった兼近が急に私の手を掴んで「君、演劇部に入らないか?」ってキラキラした目で誘ってきて。何度も断ったけど、結局彼の熱意としつこさに負けた。
演劇部の裏方人員が欲しかった兼近からすればたまたま近くに手先が器用な私がいたから声をかけただけだろうけど、毎日のように自作ネイルやメイクを褒められ続けた私は、入部届けを出す頃にはすっかり彼に惹かれていた。
まぁ、あの時勧誘されてたのは私だけじゃなかったみたいだけど。
「おーい。考え事か?」
「ん、ごめん。絆創膏が上手く剥がせなくて」
さっきみたいに思考を読まれては堪らない。私は咄嗟に手元に視線を落とし、春らしく桜色に塗った爪先で剥離紙をつつく。
「相変わらず綺麗だな」
「え?」
「爪。それも自分でやったんだろ」
「あー、まあね」
兼近は私が演劇部の一員になった今も、時折こうして褒めてくる。別に褒めなくても部活を辞めたりしないのに、律儀というか何というか。
「明日の公演、僕も塗ろうかな」
にっと笑って、兼近が私を見る。明日の公演というのは、新入生歓迎公演のことだ。
役者側の女子部員が足りず兼近が女性役で出ることになっていて、彼が足を怪我しているのもそのせいだった。女性の役をやるからにはちゃんとそう見えるように演じなければと、毎日毎日私でも履いたことのないようなハイヒールで登校しているのだ。その熱意は本当にすごいと思う。でもその熱意に気づく人間が、どれだけいるだろう。きっと彼の熱意と努力に気づかない人のほうが圧倒的に多い。だからこそ、こんなに痛々しい怪我をしてまでやることなのかと思わずにはいられない。
「……誰もそんなとこまで見てないでしょ」
言ってからしまった、と思った。今のは兼近がどれだけ頑張っているか知っている私が、絶対に言ってはいけない言葉だった。
怒らせてしまったかもしれない。けれど兼近は私の予想に反して明るい声で言った。
「そうだな! でも僕がそうしたいからそうするんだ」
キラキラと眩しい笑顔で兼近が語り出したのは、今回彼が演じる役について。その役がどういう女性でどういう言葉遣いをして、どういうものを身につけるのか。台本や設定には一切書かれていない、けれど兼近が解釈した『彼女』という役は、つい聞き入ってしまうほど魅力的だった。
「ってことで、やっぱり爪は塗るべきだと思うんだけど」
「……なんか、兼近ってほんと演劇バカだよね」
「それは褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ?」
「あー、褒めてる褒めてる」
「なら棒読みじゃなくてもっと心を込めて言ってくれ!」
やっと剥がせた絆創膏を、昨日まではなかった靴擦れに貼り付ける。毎日毎日新しい傷を増やして、ほんとバカ。でも私もだいぶ演劇バカになってるみたいで、頭の中は明日兼近にどんなネイルをするかでいっぱいだった。
大人っぽい役だから落ち着いたシックな色? でもしてるかしてないか、わからないくらいのもあり。ネイルに合わせて化粧も少し変えたほうがいいかもしれない。小道具の花に色を合わせるってのもーー。
「……ふ、ははっ」
「なに急に」
「いや、僕の目に狂いはなかったと思ってね。君を演劇部に誘って本当によかった」
そう言って、兼近がくしゃりと笑った。そんな顔を見せられると、真に受けそうになるからやめてほしい。
「私知ってるんだからね。そうやって兼近が色んな人に声かけてるの」
この人たらし! と非難すれば、兼近は心外だと抗議してきた。
「確かに部のために勧誘はしてるけど、断られたらちゃんと引き下がってるさ!」
「嘘! 私の時はあんなにしつこく……」
「そ、それは仕方ないだろ。どうしても入って欲しかったんだから」
珍しく兼近の語尾が小さくなっていく。言ってから恥ずかしくなったのか、心なしか顔も赤くなっているような気がした。
「あーもう! この際だから言うけど、君と一緒に部活ができたら楽しいだろうなって思ったんだよ」
よく言えば真っ直ぐで正直、悪く言えばデリカシーのない兼近。そんな彼のことだから、今の言葉にそれ以上の意味はないはず。一年の時から関わってきてそんなことはわかり切っているのに、私の心臓はさっきからずっとドキドキしっぱなしだった。
落ち着け、私。兼近に他意はないんだから。
深呼吸をして慎重に言葉を返す。
「そ、そっかぁ」
明らかに動揺してます、って声が出てしまった。
「……なあ、君。僕の言葉の意味わかってる?」
「へっ、あ、私も兼近と部活できて楽しいよ!」
誘ってくれてありがとうと伝えると、兼近は不服そうに眉を寄せた。
「それ、本気で言ってる?」
「ん?」
「顔、赤いけど」
「こ、これはチーク塗りすぎただけで」
「ふーん。ま、いいや。全くその気がないわけじゃないみたいだし、今はそういうことにしておこう」
じぃっと私の顔を見てニヤリと笑った兼近は一体何を思ったのか。けれど訊くより先に彼が席を立ち、ヒールを打ち鳴らして教室を出て行ってしまったので、結局わからず終いだ。
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