椿野佑
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
アタシにできることなんてたかが知れてるけれど、それでも最後に、これだけは絶対しようって決めてた。
***
遠くで卒業の歌が聴こえてきたのは少し前のこと。こんな学校に未練もなにもないってのに少しだけ寂しさを感じるのは、小学校時代の刷り込みだろうか。中学三年間ろくに通いもしなかったのにほんとウケるんだけど。
担任が持ってきた卒業証書の筒をすぽすぽと鳴らしながらそんな話をしていたら、保健室のおばあちゃん先生と目が合って、今のウソと訂正した。
こんな学校に未練もないし、思い返しても嫌なことばかり。それでもやさしいひとはいて、この保健室とおばあちゃん先生は私の数少ない居場所であり理解者だった。それを失うと思うと、やっぱり寂しいのだろう。
アタシは今日でこの学校を卒業する。四月からは親の転勤も重なってここからだいぶ離れた県外の専門学校に通うことになっている。おばあちゃん先生は「いつでも会いに来てね」と言ってくれたけれど、それが現実的に難しいことは頭の悪いアタシでもわかった。
「大丈夫よ、きっと大丈夫」
おばあちゃん先生の皺々の手がアタシの手を包む。かさついているけれど、すごくあたたかくてやさしい、大好きな手だ。三年間のほとんどをこの保健室で過ごしたアタシにとって恩師は間違いなくこの人で、この人がいなかったら今のアタシはいなかったと思う。
ーーやっぱ寂しい。
じわりと視界が滲んで、こぼれ落ちないように唇を噛んで必死に堪える。最後は笑顔でバイバイするって決めてたから、絶対に泣くわけにはいなかい。
そんな時、タイミングよく保健室の扉がノックされて、おばあちゃん先生の視線がそっちに移った。その間にこっそり制服の袖で目元を拭う。化粧は……大丈夫、取れてない。
「失礼します。先輩は……あ」
「いるよ〜!」
扉の向こうに立っていたのは一つ下の後輩の子だった。手を振ればぺこりと頭を下げてこちらにやってくる。
「椿ちゃん卒業式泣いた?」
「泣いてません。けど、先輩が卒業するのは……寂しいです」
そう言って本当に寂しそうに俯く後輩にまた涙腺が緩みそうになる。歳を取ると涙腺が緩みやすくなるって言うけど、本当みたい。おかしいな、アタシまだ十代なのに。
「もうそんな顔しないで。ほら座って座って」
おばあちゃん先生が用事があると出て行ったので、さっきまで先生が座っていた椅子に椿ちゃんを座らせた。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「ありがと。って言ってもずっと保健室登校だったけどね」
でもそうじゃなければ、椿ちゃんとは出会えなかった。
椿ちゃんーー椿野佑という後輩と初めて会ったのはこの保健室だ。売られた喧嘩を買って怪我したとかで梅っていう男の子と一緒にやってきた髪の綺麗な男の子、それが椿ちゃん。
ちょうどその時おばあちゃん先生は職員室に行ってていなくて、アタシはいつものように保健室のベッドでゴロゴロしていた。そして「先生いるー?」とやって来た二人にびっくりして声を顰めて様子見してたら、勝手に自分たちで手当てし始めちゃって。
椿ちゃんは上手だった。でも、梅がひどすぎて。「もう見てらんない、アタシがやる!」と飛び出したのが交流の始まり。手当ての最中にアタシのつけていた色付きリップに気づいた椿ちゃんとメイクの話で盛り上がって、梅はきょとんとしてたけど、思えばあの日からアタシは学校(といっても保健室だけど)に来るのが楽しみになっていた。
「先輩、これもらってくれますか?」
椿ちゃんが制服のポケットから何かを取り出した。それは綺麗な赤い花で「コサージュ?」と訊ねれば椿ちゃんはこくりと頷いた。卒業生が胸につけるやつだ。
「先輩に渡したくて作ってみたんですけど」
「え、手作り!? すごい綺麗!」
手を叩いて褒めると椿ちゃんは照れたように笑った。
「ね、椿ちゃんつけてよ」
「自分でつけてくださいよ」
「こういうの自分でやると斜めになったりするじゃん。ね、お願い」
やりやすいようにセーターを伸ばして目を閉じる。
「なんで目を閉じるんですか」
「目を開けた時のお楽しみが欲しいから!」
椿ちゃんがため息を吐く気配がした。それから近づいてくる気配も。
「できましたよ」
それを合図に目を開ける。
「わぁ!」
淡いベージュのセーターに赤い花がよく映える。散りばめられたスパンコールが照明を浴びてキラキラと光り、かわいくて嬉しくて、保健室の姿見の前でついくるくる回ってしまった。
「先輩、はしゃぎすぎ」
「だって嬉しいんだもん。一生大切にするね!」
袖を通すのさえ嫌だった制服も、悪くないとさえ思えてくる。そう思えるのも、ぜんぶ椿ちゃんのおかげだ。
「ありがとう椿ちゃん。そして先輩のアタシから椿ちゃんにプレゼントがあります!」
「ボクに?」
ぱちりと瞬きする椿ちゃんににっこり笑ってみせる。
「とりあえず、脱ごっか!」
こんなアタシを慕ってくれた後輩のために、最後に先輩らしいことがしたい。なんて、椿ちゃんに出会ってなかったらきっと思いもしなかった。
でも何をしたらいいんだろう。喜んでくれなかったらどうする? もし、落胆させたらーー。
考えて考えて、結局正解はわからなかった。
だからアタシが椿ちゃんにしたいことになっちゃったけど、他に思い浮かばなかったのだから仕方ない。
「もういい〜?」
「ちょ、先輩待って……!」
もう結構待ったし、と制止も聞かずシャっとベッドのカーテンを開ければ、慌てた様子でスカートのファスナーを上げようとする椿ちゃんの姿があった。
「その、上まで上がらなくて……」
「椿ちゃんかわいい〜! よく似合ってる! あとファスナーは大丈夫、こうやってセーターで隠せば問題なし」
アタシが椿ちゃんにしたかったのは、女子の制服を着てもらうこと。
前に女子の制服ってかわいいよねって話したことがあったから、憧れがあったんじゃないかなと思って。恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな椿ちゃんの表情を見るに、間違ってなかったんだと安堵する。中学校にしてはうちの制服可愛いんだよね。不安だったけど制服も何とか入ったみたいでよかった。
出会った当初、アタシと同じか少し小さかった椿ちゃんはあっという間に成長した。それを本人は複雑に思っているみたいだけど、どうしようもないことは気にしたって仕方がない。
むしろ長身の椿ちゃんはかっこよく女子の制服を着こなしていて羨ましいくらいだ。大きくなったら買い替えが大変と親にダボダボの制服を着せられていたアタシとは大違い。同じ服でも着る人によってこんなに変わるんだ。
「さて、お次はメイクね」
「えっ」
「せっかくだし、今日くらいはね。ほらこっち来て」
本当は禁止されてるけど、アタシも今日はバッチリ決めてきた。卒業式に出るつもりはなかったし、今更文句を言うような人もいない。さっき来た担任だけがアタシを見て苦い顔をしていたけれど、それだけだ。
持ってきたメイク道具を並べて椿ちゃんに向き直る。今日のために考えてきた春らしい、けれどワンポイントでかっこよさも兼ね備えたメイク。瞼にはキラキラのラメものせて。
「よし、できた!」
椿ちゃんの手を引いて姿見の前に立つ。一緒に映るジャージ姿の自分がノイズ過ぎるけど、それは置いといて。
「どうかな? アタシが椿ちゃんにできるのなんてこれくらいしかないんだけど」
無言の椿ちゃんに恐る恐る訊ねる。すると椿ちゃんはすごい勢いでこっちを向いてぎゅっと抱きついてきた。
「ありがとう先輩、すごく、すっごく嬉しい」
そう告げる椿ちゃんの声は震えていた。
「そっか。最後に喜んでもらえてよかったよ」
「っ、最後なんて言わないで!」
でも事実だ。アタシはここからずっと遠くに行ってしまうのだから。大嫌いな学校でできた大好きな後輩。そんな椿ちゃんとの繋がりは保健室があってこそで、きっとこの先この関係は緩やかに風化していく。
肩を震わせる椿ちゃんを宥めるようにぽんぽんと背中を撫でる。しかし椿ちゃんは納得いかないと首を振った。
「会えなくても連絡手段はいくらでもあるじゃないですか! それに高校入ったらボクもバイトするし、会いに行きます」
「でも……」
「メイクのこととか、恋愛相談とかまだまだ先輩と話したいこといっぱいあるんです。だから勝手に終わりにしないでよ先輩」
じわりと熱が込み上げてくる。最後は笑ってバイバイしたかったのに、ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
なんとか止めようと椿ちゃんの背に回した腕に力を込めると、椿ちゃんも強く抱きしめ返してきて余計に止まらなくなった。
「いいの? 本当にたまにしか会えないかもしれないよ」
「全然いいです。その代わり先輩も会いに来てくださいよ」
卒業するのがこんなにも寂しいなんて思わなかった。同じ学年に生まれてたらもっと仲良く、楽しい時間を過ごせたかな、なんて想像したって仕方ないことばかり考えてしまう。
笑ってバイバイなんて到底無理で、それからしばらくの間、静かな保健室に二人分の嗚咽が響いた。
「も〜だめじゃん椿ちゃん、せっかくメイクしたのに」
「先輩だって、顔すごいことになってる」
お互い顔を見合わせて、同時にふはっと吹き出す。マスカラはウォータープルーフのはずなのに、ひどい有様だ。おばあちゃん先生が今のアタシたちを見たら腰を抜かしてしまいかねない。
「先輩、メイクの学校行くんですよね」
「うん」
「じゃあ約束しましょう。今度会う時は学校で習ったメイクをして。……アタシももっと綺麗になってファッションとか勉強しておくから」
差し出された小指に自分のを絡めようとして、ハッとする。じっと椿ちゃんを見つめると、ふいと顔を逸らされてしまった。
「椿ちゃん、今アタシって……」
「その、先輩のが移っちゃったみたい」
「いいじゃん! すごくいい」
お揃いじゃんと肩を叩けば、椿ちゃんははにかみつつも頷いた。
四月から、アタシは遠く離れた場所に行く。また学校が嫌になるかもしれないし、大好きになるかもしれない。正直わからないことだらけだ。
でも椿ちゃんとの約束があるなら、きっと大丈夫。私たちの関係はここじゃなくても続いていくと言ってくれたから。
この先も新作の化粧品の話をしたり、恋の話をしたりして。それで会った時には一段と綺麗になった椿ちゃんに、とびきり素敵なメイクをして。
そんな楽しい未来が待っているのなら、なんだって頑張れる気がした。
***
遠くで卒業の歌が聴こえてきたのは少し前のこと。こんな学校に未練もなにもないってのに少しだけ寂しさを感じるのは、小学校時代の刷り込みだろうか。中学三年間ろくに通いもしなかったのにほんとウケるんだけど。
担任が持ってきた卒業証書の筒をすぽすぽと鳴らしながらそんな話をしていたら、保健室のおばあちゃん先生と目が合って、今のウソと訂正した。
こんな学校に未練もないし、思い返しても嫌なことばかり。それでもやさしいひとはいて、この保健室とおばあちゃん先生は私の数少ない居場所であり理解者だった。それを失うと思うと、やっぱり寂しいのだろう。
アタシは今日でこの学校を卒業する。四月からは親の転勤も重なってここからだいぶ離れた県外の専門学校に通うことになっている。おばあちゃん先生は「いつでも会いに来てね」と言ってくれたけれど、それが現実的に難しいことは頭の悪いアタシでもわかった。
「大丈夫よ、きっと大丈夫」
おばあちゃん先生の皺々の手がアタシの手を包む。かさついているけれど、すごくあたたかくてやさしい、大好きな手だ。三年間のほとんどをこの保健室で過ごしたアタシにとって恩師は間違いなくこの人で、この人がいなかったら今のアタシはいなかったと思う。
ーーやっぱ寂しい。
じわりと視界が滲んで、こぼれ落ちないように唇を噛んで必死に堪える。最後は笑顔でバイバイするって決めてたから、絶対に泣くわけにはいなかい。
そんな時、タイミングよく保健室の扉がノックされて、おばあちゃん先生の視線がそっちに移った。その間にこっそり制服の袖で目元を拭う。化粧は……大丈夫、取れてない。
「失礼します。先輩は……あ」
「いるよ〜!」
扉の向こうに立っていたのは一つ下の後輩の子だった。手を振ればぺこりと頭を下げてこちらにやってくる。
「椿ちゃん卒業式泣いた?」
「泣いてません。けど、先輩が卒業するのは……寂しいです」
そう言って本当に寂しそうに俯く後輩にまた涙腺が緩みそうになる。歳を取ると涙腺が緩みやすくなるって言うけど、本当みたい。おかしいな、アタシまだ十代なのに。
「もうそんな顔しないで。ほら座って座って」
おばあちゃん先生が用事があると出て行ったので、さっきまで先生が座っていた椅子に椿ちゃんを座らせた。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「ありがと。って言ってもずっと保健室登校だったけどね」
でもそうじゃなければ、椿ちゃんとは出会えなかった。
椿ちゃんーー椿野佑という後輩と初めて会ったのはこの保健室だ。売られた喧嘩を買って怪我したとかで梅っていう男の子と一緒にやってきた髪の綺麗な男の子、それが椿ちゃん。
ちょうどその時おばあちゃん先生は職員室に行ってていなくて、アタシはいつものように保健室のベッドでゴロゴロしていた。そして「先生いるー?」とやって来た二人にびっくりして声を顰めて様子見してたら、勝手に自分たちで手当てし始めちゃって。
椿ちゃんは上手だった。でも、梅がひどすぎて。「もう見てらんない、アタシがやる!」と飛び出したのが交流の始まり。手当ての最中にアタシのつけていた色付きリップに気づいた椿ちゃんとメイクの話で盛り上がって、梅はきょとんとしてたけど、思えばあの日からアタシは学校(といっても保健室だけど)に来るのが楽しみになっていた。
「先輩、これもらってくれますか?」
椿ちゃんが制服のポケットから何かを取り出した。それは綺麗な赤い花で「コサージュ?」と訊ねれば椿ちゃんはこくりと頷いた。卒業生が胸につけるやつだ。
「先輩に渡したくて作ってみたんですけど」
「え、手作り!? すごい綺麗!」
手を叩いて褒めると椿ちゃんは照れたように笑った。
「ね、椿ちゃんつけてよ」
「自分でつけてくださいよ」
「こういうの自分でやると斜めになったりするじゃん。ね、お願い」
やりやすいようにセーターを伸ばして目を閉じる。
「なんで目を閉じるんですか」
「目を開けた時のお楽しみが欲しいから!」
椿ちゃんがため息を吐く気配がした。それから近づいてくる気配も。
「できましたよ」
それを合図に目を開ける。
「わぁ!」
淡いベージュのセーターに赤い花がよく映える。散りばめられたスパンコールが照明を浴びてキラキラと光り、かわいくて嬉しくて、保健室の姿見の前でついくるくる回ってしまった。
「先輩、はしゃぎすぎ」
「だって嬉しいんだもん。一生大切にするね!」
袖を通すのさえ嫌だった制服も、悪くないとさえ思えてくる。そう思えるのも、ぜんぶ椿ちゃんのおかげだ。
「ありがとう椿ちゃん。そして先輩のアタシから椿ちゃんにプレゼントがあります!」
「ボクに?」
ぱちりと瞬きする椿ちゃんににっこり笑ってみせる。
「とりあえず、脱ごっか!」
こんなアタシを慕ってくれた後輩のために、最後に先輩らしいことがしたい。なんて、椿ちゃんに出会ってなかったらきっと思いもしなかった。
でも何をしたらいいんだろう。喜んでくれなかったらどうする? もし、落胆させたらーー。
考えて考えて、結局正解はわからなかった。
だからアタシが椿ちゃんにしたいことになっちゃったけど、他に思い浮かばなかったのだから仕方ない。
「もういい〜?」
「ちょ、先輩待って……!」
もう結構待ったし、と制止も聞かずシャっとベッドのカーテンを開ければ、慌てた様子でスカートのファスナーを上げようとする椿ちゃんの姿があった。
「その、上まで上がらなくて……」
「椿ちゃんかわいい〜! よく似合ってる! あとファスナーは大丈夫、こうやってセーターで隠せば問題なし」
アタシが椿ちゃんにしたかったのは、女子の制服を着てもらうこと。
前に女子の制服ってかわいいよねって話したことがあったから、憧れがあったんじゃないかなと思って。恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな椿ちゃんの表情を見るに、間違ってなかったんだと安堵する。中学校にしてはうちの制服可愛いんだよね。不安だったけど制服も何とか入ったみたいでよかった。
出会った当初、アタシと同じか少し小さかった椿ちゃんはあっという間に成長した。それを本人は複雑に思っているみたいだけど、どうしようもないことは気にしたって仕方がない。
むしろ長身の椿ちゃんはかっこよく女子の制服を着こなしていて羨ましいくらいだ。大きくなったら買い替えが大変と親にダボダボの制服を着せられていたアタシとは大違い。同じ服でも着る人によってこんなに変わるんだ。
「さて、お次はメイクね」
「えっ」
「せっかくだし、今日くらいはね。ほらこっち来て」
本当は禁止されてるけど、アタシも今日はバッチリ決めてきた。卒業式に出るつもりはなかったし、今更文句を言うような人もいない。さっき来た担任だけがアタシを見て苦い顔をしていたけれど、それだけだ。
持ってきたメイク道具を並べて椿ちゃんに向き直る。今日のために考えてきた春らしい、けれどワンポイントでかっこよさも兼ね備えたメイク。瞼にはキラキラのラメものせて。
「よし、できた!」
椿ちゃんの手を引いて姿見の前に立つ。一緒に映るジャージ姿の自分がノイズ過ぎるけど、それは置いといて。
「どうかな? アタシが椿ちゃんにできるのなんてこれくらいしかないんだけど」
無言の椿ちゃんに恐る恐る訊ねる。すると椿ちゃんはすごい勢いでこっちを向いてぎゅっと抱きついてきた。
「ありがとう先輩、すごく、すっごく嬉しい」
そう告げる椿ちゃんの声は震えていた。
「そっか。最後に喜んでもらえてよかったよ」
「っ、最後なんて言わないで!」
でも事実だ。アタシはここからずっと遠くに行ってしまうのだから。大嫌いな学校でできた大好きな後輩。そんな椿ちゃんとの繋がりは保健室があってこそで、きっとこの先この関係は緩やかに風化していく。
肩を震わせる椿ちゃんを宥めるようにぽんぽんと背中を撫でる。しかし椿ちゃんは納得いかないと首を振った。
「会えなくても連絡手段はいくらでもあるじゃないですか! それに高校入ったらボクもバイトするし、会いに行きます」
「でも……」
「メイクのこととか、恋愛相談とかまだまだ先輩と話したいこといっぱいあるんです。だから勝手に終わりにしないでよ先輩」
じわりと熱が込み上げてくる。最後は笑ってバイバイしたかったのに、ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
なんとか止めようと椿ちゃんの背に回した腕に力を込めると、椿ちゃんも強く抱きしめ返してきて余計に止まらなくなった。
「いいの? 本当にたまにしか会えないかもしれないよ」
「全然いいです。その代わり先輩も会いに来てくださいよ」
卒業するのがこんなにも寂しいなんて思わなかった。同じ学年に生まれてたらもっと仲良く、楽しい時間を過ごせたかな、なんて想像したって仕方ないことばかり考えてしまう。
笑ってバイバイなんて到底無理で、それからしばらくの間、静かな保健室に二人分の嗚咽が響いた。
「も〜だめじゃん椿ちゃん、せっかくメイクしたのに」
「先輩だって、顔すごいことになってる」
お互い顔を見合わせて、同時にふはっと吹き出す。マスカラはウォータープルーフのはずなのに、ひどい有様だ。おばあちゃん先生が今のアタシたちを見たら腰を抜かしてしまいかねない。
「先輩、メイクの学校行くんですよね」
「うん」
「じゃあ約束しましょう。今度会う時は学校で習ったメイクをして。……アタシももっと綺麗になってファッションとか勉強しておくから」
差し出された小指に自分のを絡めようとして、ハッとする。じっと椿ちゃんを見つめると、ふいと顔を逸らされてしまった。
「椿ちゃん、今アタシって……」
「その、先輩のが移っちゃったみたい」
「いいじゃん! すごくいい」
お揃いじゃんと肩を叩けば、椿ちゃんははにかみつつも頷いた。
四月から、アタシは遠く離れた場所に行く。また学校が嫌になるかもしれないし、大好きになるかもしれない。正直わからないことだらけだ。
でも椿ちゃんとの約束があるなら、きっと大丈夫。私たちの関係はここじゃなくても続いていくと言ってくれたから。
この先も新作の化粧品の話をしたり、恋の話をしたりして。それで会った時には一段と綺麗になった椿ちゃんに、とびきり素敵なメイクをして。
そんな楽しい未来が待っているのなら、なんだって頑張れる気がした。
2/2ページ